2004年08月17日(火)
1232, 「こころ」の出家 -読書日記

この年齢になると周囲が、定年、病、倒産、子供の自立、連れ添いの死、老父母の死、等、
何らかの大きな転換期に直面してくる。情報化社会に翻弄されて深刻な危機に何らか陥っているケースが多い。
この本は現代中高年論であるが、なかなか味わいのある内容だ。人生の後半にとって、「真に豊かな時間とはなにか」
を問いかけている。 特に、自分の内側に向けての豊かさが問われる時期になってくる。

*ふと書いていて気がついたが、この随想日記は内に向かって問いかけていることになる。
自らの経験と思索を、そのまま書き綴っていることは、豊かな時間ということだが?書けば書くほど、
自分の深層の階段を一歩一歩降りている。今のところ、まだ地下2〜3Fだが、書き続けているうちに地下10Fまでいく
可能性がある。ユング横尾忠則の世界に近づくかもしれない。いや、それは無いか!
この本の最後のまとめになっている「第5章ー もう一つの座標軸―豊かな時間を求めて」がよい。
その中の気に入った部分を抜粋してみる。自分の好きな映画の「男はつらいよ」の寅さんへの気持がそのまま書いてあった。

ー27年間に48作、多くの人が寅さんとともに充足をした至福の時間を共有してきた。
寄せられた手紙の一つ一つが、映画「寅さん」がわたしたちに残してくれたものの重さを物語っている。
「寅さん」という存在は、その自由な生き方への共感と憧れの対象でなるのみにとどまらず、
わたしたちが失ってしまった大事なものを発見させてくれるものであった。ここでわたしは、
いま一人の俳優をふれなくてはならない。渥美清の死より3年前、1993年に亡くなった笠知衆のことである。.......
さらにある人は、笠さんに、私的な悲しみと同時に、もっと普遍的なものを見ている。
人々が感じた悲しみは、そこに、<時代の終わり>を見たからだ。 笠さんが演じてきた「古き良い時代」「不器用で、朴訥な」
でも「愛すべき」人々は、現代ではつい忘れられ、切り捨てられてきたのではない。

以下は、この本の概要である。
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―中高年の心の危機に
    (ちくま新書)立元 幸治 (著)

経済不況による停滞感、そこから生じる社会不安が、中高年の価値観を根底から揺るがせている。
かつての経済的繁栄を支えた中高年は、「時代の転換期」と「人生の転換期」という二つの節目を同時に迎え、
逃れようのない不透明感と逼塞感を感じつつ、深刻な「心の危機」に直面している。大きな変革の潮流のなかで、
“癒し”“スローライフ”“ヒーリング”などのキーワードが溢れる現在、
真に「豊かな時間」とはなにかを問い直し、充足した「生」を取り戻すための座標軸を探る。
 ー解説ー
ユングは、人生の午後に、人生の午前に劣らぬ価値を認めている。
人生の午前と午後は、その優劣を比較するものではなく、全く違う意味と価値を持つものだという。
若いころの「発達中心のライフサイクル観」を否定し、もう一つの座標軸の模索を勧めるユングの考え方を、
著者が、ある種の「出家」ととらえるのは自然である。 放浪の俳人種田山頭火にとって人生とは、
「歩く、飲む、句を作る」ことだったと書いていることは、 著者の考える『「こころ」の出家』の一つの
イメージとして印象的である。本書は、具体的な行動より、心の持ち方を中心に考察しているのが特徴である。
本書によって、先哲も『「こころ」の出家』のような生き方を、 一つのまともな生き方として、
以前から主張していたことが分かる。 元NHKチーフプロデューサーで、今大学でメディア論を講ずる著者の筆は手堅い。
なお、ユング、ソローの名前は、必ずしも広く知られているとは思えず、
「スイスの精神医学者」「米国の随筆家」といった肩書きをつけてほしかった。

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