2004年08月09日(月)
1224, 広松渉ー哲学について −26

広松渉の「新哲学入門」を私が理解したレベルで書いてみるが、内容はかなり難しい。
しかし、これを理解しないかぎり現代の哲学を語ることができない。
簡単に加工可能なデジタル社会の現在、存在・認識・実践そのものを
根底から考えなければならない時代になっている。

荘子の[胡蝶の夢]で、蝶になった夢から醒めた男が「醒めた自分こそ蝶が夢をみているのではないか」。
「蝶が人間になった夢が現実」とすると、見えている事実は脳内の作用でしかない?
TVドラマの世界に入り込んでしまい、現実をむしろ虚構と思い込んでしまう可能もある時代である。

この書は、認識、存在、実践の近代的世界観を根底から批判しているが、最後の章の
「実践するとはどういうことか」から、感想と印象的な文章を書きだしてみる。
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 第三章 実践するとはどういうことか
   第一節 行為の存立構造
 
 行為の存立構造の、糸口として、演劇(芝居)を喩えのモデルとしてすると構図が見えやすくなる。
社会学では、役割行為論がスポーツ・モデルが展開するケースが多く見られるが、演劇モデルを取り上げる。
                           *ー私の感想である
 ー人生劇場の舞台
人生劇には、舞台的場所や道具的与件があり、総じて幕場的状況がまずある。
−−神といった超越的「劇作家」の存在を考える立場もありますが、
これは暫く括弧に収め、[即興劇]ということにしましょう。

人生劇では[舞台]が大変に広く、観客席や楽屋までが舞台であり、観衆や裏方も俳優に導入される。
舞台的場面は、自然的環境と社会・文化的環境とに二分して考えるのがふつうである。

*人生を徹底的に、舞台劇場として自分を醒めた目で書き出してみると、全く違った見方ができるだろう。
長期的将来の計画をたてるのは「劇作家」の存在の視点であろうし、現在は過去の自分という劇作家の結果といえる。
何も考えず惰性に流されて生きている人もいるが。

ー行為の共演性と役割存在
行為という時、一個人だけで自己完結的であるように扱われるのが常套です。
いわゆる集団の行為といえども、個々人的行動の代数和のように扱われがちです。
確かに単独行為があるが、舞台的・道具的条件なるものからして、他人たちの介在によって初めて成り立ちます。・・・

今、例えば、農夫が孤独に畑を耕しているとします。畑は彼自身が拓いたものではなく、農具も彼自身が作ったものでなく、
農耕動作も彼自身が案出したものでありません。いずれ他人が作ったものです。
行為は、本質的には、協演的存立構造にあるものと看じます。

行為の協演性とは、行為が役割分担ということです。
・・たとえば、[ハムレット]という劇は、先王役、新王役、ハムレット役、といった
まさに「役・割」によって成り立っています。・・・・・

人々は幕場的情況に相応しい仕方で、余程の場合以外は、期待された行動以外は
ナチュラル」に遂行する態勢を形成しており、共演者どうしはおたがいに相手を
「当方の期待する所作を当然体現する筈のもの」と覚識する。
*劇である限り、何らかの形で行為の協演性がある。行為が役割分担になっている。
それはそれぞれのお互いに期待された役を演じるということだ。その中でも、それぞれの個性ー主体がある。

ー役割行動と「内自的主体」

・あれこれの[役柄]衣裳を脱・着する本体的主体とは、いかなる存在でしょうか。
さしあたり、[役割]を身にひきうけて所定の様式行動を演じる[俳優]本人です。
しかし、、芝居の俳優には舞台外の生活があるが、人生劇場の「俳優」
には[舞台外生活]はない。全てが[舞台生活]ですから話が厄介になる。
裸の当の固体は、単なる肉体的・物質的固体ではなく、‘魂’を内在せしめている
いる個体と認めるべきかもしれません。が、しかし、‘魂'とやらを認めても、
直接的な外部観察では当人の‘魂’の個性的な特徴は見えません。
他の諸固体と区別をする特質を‘魂’とやらに求めるわけにはいきません。

役割的行動とは、図式化していえば、おのおの内自的特質を具えた人格的主体が、
幕場的情況の場において、終局情景的目標を設定して手段的行動様態をつくりつつ
[決意的起動]を遂行するが、当の目標行為は、ただ単なる対自的な
[目的合理的行動]ではなく、[共演者たち]によって期待されている行動
[対他的「役割行動」]でもあるのが現実です。
そもそも[内自的に個性的な人格]とは何であるか、その人格性とは何であるか。

*要するに、期待に対する役割行動の中には演じる俳優が存在しているが、人生の場合はそれが同一の自分である。
それ故に、多くの問題が提示される。 俳優個人を‘魂’とやら、いうのか?
といって、その俳優を‘魂’とみれば、その個性ー固体を区別ができなくなる。

ーー以上が、行為の存立構造の概略である。
人生を、人生舞台に例えて、そこで演じる自分の役割と舞台における幕場(シーン)で
人間の実践における行為を解りやすく、説明をしている。
女の人生をみても、幼女、少女、若い女、妻、中年、老女と、その時々変わっていく。
そして役割(学生、ギャル、妻、母、祖母)も、その都度、変化をしていく。
そして、同時に共演者も変化をしていく。 それが人生である。

この[新哲学入門]を読んでいると、覚せい剤を飲んだような?
意識が覚醒してくるような気分になる。次は、[実践と価値評価]についてである。

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