ロシアの作家のソルジェニーツィン が亡くなったと報じていた。 享年89歳だった。
  私が20代前半の頃に、『イワン・デニーソヴィチの一日』『煉獄のなかで』『ガン病棟』を読んで、
  大きな衝撃を受けた記憶が鮮明に残っている。 当時のソ連は一番勢いがあった時期。
  反体制は秘密警察に捕まり、収容所に入れられるなどの弾圧を受けた。
  その経験を書いたものだが、彼の文からソ連共産党支配の弾圧の中の重苦しさが作品から滲み出ていた。
  それに対して日本は高度成長期で絶頂期、その温度差にも驚かされた本であった。

ー経歴からして骨入りである。(ウィキぺディアより)
1918年、北カフカス、キスロヴォツクに生まれる。敬虔なクリスチャンの母と祖父母に囲まれて成長。
1941年ロストフ大学卒業と同時に第二次世界大戦に従軍。誕生の半年前に戦死した父と同じ砲兵大尉となる。
1945年、スターリン批判の嫌疑で告発され、欠席裁判で懲役8年を宣告される。収容所に送られ後に流刑。
1958年にニキータ・フルシチョフによって名誉回復される。
1962年、スターリン時代の収容所の1日を描いた処女作『イワン・デニーソヴィチの一日』を発表し世界的ベストセラーに。
1964年10月15日のフルシチョフ失脚から暗転。1970年度ノーベル文学賞を受賞するも、
1974年2月12日逮捕、国家反逆罪でレフ・トロツキー以来45年ぶりの国外追放処分を受ける。
   スイスを経て、1976年9月米国に移住。
1990年8月ミハイル・ゴルバチョフペレストロイカソ連市民権回復。
   同年9月、『甦れ、わがロシアよ〜私なりの改革への提言』
   はソビエト国内で2,650万部が出版されソ連国民の白熱の議論を呼んだ。
   ゴルバチョフは同月25日ソ連最高会議の席上で彼の論文を絶賛。ロシアの再生に大きな影響を与えた。
1994年5月27日亡命先の米国からロシア連邦に帰国。1997年5月からロシア科学アカデミーの正会員(芸術院)。
2007年6月13日ロシア文化勲章を受章。
2008年8月3日、モスクワの自宅で死去[1]。

 ーこのWeb辞書の中に次ぎの一節がある
1991年12月31日深夜、ソ連は消滅してしまった。代わりにロシア共和国が消滅して再生したロシア連邦は、
ソルジェニーツィンの提言どおりのロシアではなかった。 ロシア連邦の中で再び民族が捕われている。
彼の地元のチェチェン共和国はかつてエリツィンに、今はプーチンに独立を妨げられたままである。
彼は書いた。「それぞれの民族は、たとえ最も小さなものであっても、神の意志によってこの世に生まれてきて、
それぞれ独自性をもっているのである。ウラジミール・ソロヴィヨフは、キリスト教の戒めをもじって、
こう書いている。『自分の民族と同様に、他の民族を愛せよ』
ロシア人の民族自決権を認めるなら、他の民族の自決権も認めるロシア連邦になるように願うものである。
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   40年前といえば、ブレジネフが第一書記で、コスイギンが首相だった。二十年近くがソ連の絶頂期だった。
   この小説を読んだ感想は、
  「歴史的にみてー百年単位でみたらソルジェ二ーツェンは大作家、この二人の権力者は歴史的汚点」と、
   直感したことを憶えている。
   現在、ブッシュとかいうアメリカ大統領は、話題を出すこと自体が小汚い気がする。
   それだけ現在のアメリカは狂乱状態と言ってよい。 現在の日本のエリートとかいう政・財・官の連中!
   このアメリカの隷属に尻尾の振り方で選抜されているに過ぎない。
     何かうら悲しい気がするが、自分のコンプレックスが根こそぎ解消できることも事実。
     この隷属の御陰で、物理的に恵まれた時代を過ごせてのは御前らの世代だろう!これも事実。

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