今東光の毒舌が、この本に次から次へと出てくる。
   今度、図書館に行って今の本を借りてくるつもりだが、これを読んでおけば充分?か。
   とにかく、面白い。何で面白いか? 悩みなど言っていられるのは可愛いいだけ。
   自分を、くそ坊主と割り切れば、所詮は悩みなど欲と嘘の織り成す妄想と好き放題いえる。
   
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「眠れないんだったら、眠らなけりゃあいいじゃねえか」「別のブスを探しな、おめえの顔に合ったよ」
「手のつけられねえほど愚鈍であるよ、てめえという男は!」「てめえがみじめそのものなんだよ」
「生意気なこと言いやがって。親のスネ齧りのくせして、チンポだけ発達してやがる」
「バーカ。そんなこと、医者に聞けばいいじゃねえか。オレがわかるわけねえだろうが」「ぶっ殺してやりたいよ」
「何とぼけてんだよ、こん畜生は!? 何のために兄貴に生まれたんだ!?」「けったくそ悪いガキだぜ、てめえも」
「バカか、てめえは」「張り倒すぞ、この野郎!」
「人生で一番大事なものは、あくまでも正直であり、誠実であり、愛情であるんだ」
「愛のないような人間は人間のクズでな」「ひとりの女を不幸にするよりは、てめえが不幸になる方がいい」。

極めつけは、これ。
「おめえは一人のいい女を見つけたら、それにひれ伏すような謙虚な気持ちになれ! 
 そこから出発するんだ。恋だの愛だの言う前に、まず己を空しゅうして、謙虚になってひれ伏す。
 愛する人の前にひれ伏すという気持ちにならなければ、女を愛することもできないし、女にも愛されない」。
 
「自分(人間)はどうして生きなければならないのだろうか?」という二十一歳の学生の質問。
 利いた風なことをいう者には東光は容赦がない。
「バカとちがうか、こん畜生は? 生きているのに“生きる義務”もねえもんだ。
 いやならとっとと死にゃあいいだろう。そんなこっていっぱし物を考えていると思ってるのはバカだよ。
 生きるのは何も義務でもないし、運命でもない。オレたちは命のあるだけ生きるだけのことだ。
 努力によって生きてるわけでもありゃあしねえ。それでどうせ死ぬんだとか、あとには何も残らねえとか、
 そんなくだらねえことを若い身空で考えてよう。たしかに残らねえよ、おめえみたいなバカ者は! 
 その生きる義務とやらをさっさと放棄して死んじまえ! ──『極道辻説法』

 おなじように、「人生ってちっとも面白いと感じたことがない」
「つまらなかったらさっさと自殺していいんだと思う」十九歳の学生に。
「自殺より、最初に人生についていうと、全部の人間に聞いてみな、『おまえの人生、つまってるか?』って。
 みんな「つまらねえよ」って言うよ。そのつまらない中で、どうしたらつまるか、つまり、つまるものを見出していく発見だ、
 この能力を養わなかったらどうにもならねえんだよ、人生は。どこへ行っててもつまるものを発見するという能力をまず養う。
 能力というより、そういう努力をするということだ。(略) それでもつまらなかったら、さっさと死んじまえばいい。
 オレは別にとめやせん。生きてる意味を放棄したんだから、勝手に死にゃあいいさ。」 ──同書
 
最後に、「死んだらどこへ行くのか?」という十八歳の学生へ。
「そんなことわかるかい!」。
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 これを読んでいると、悩むのが馬鹿馬鹿しくなる。 そして、言葉は何時までも残るというのが解る。
本当に言葉は大切だ。 その中に感情と理性が入るからである。 最後は人間性ということだ。

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