2006年07月19日(水)
1933, 霊界からの訪問者-2
   (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 ヨウ
             ユーレイイホー ♯♭
ー四四太郎の霊日記−3

宗親よ、御前の命も10年か20年、早ければあと5年だろう。
そんなものだ。それじゃ~、本当に解っているというと解ってないだろう。
こちら側の殆んどの連中は「まさか自分が死ぬなんて思ってもいなかった」
と言っているよ。死ぬ意味がわからなかったようだ。それは生きる意味がわかってないことと同じことなんだよ。
死ぬとね完全に無になって数十年か数百年の休みを貰って娑婆世界に戻される、と思ってりゃ良いんだよ。
実際は、??・・ ただ、誰もが死に際に後悔をするんだ。 あれもこれも、何故しなかったのだろう?と。

   「人生は二度とない」は、お前の口ぐせだったろう。
   ワシがこうして出てきたからには、これから死ぬまでの間、生き方を指導してやるよ。
   それとも、お前の脳に光を当ててやるよ。前にも言ったとおり、人生の60年や80年など一瞬でしかない。
   そして、ある日、一瞬に終わりになるんじゃ。
                    \(+×+)/バタンキュー
それでいいんだが、その日まで 光り輝いて生きるべきだといっているのじゃ。
といって、それほど深刻になることも無い!ただ、せっかく短い人生、何時までもあると思うな!ということさ。

    御前の好きな言葉に「正中心一点無」という言葉があるだろう。 常に物事の中心を見つめ求めること、
    そうすると中心点の無からエネルギーがでてくるのじゃ。その正中心一点無がワシであるのだ。
    だからワシの声は真実なのじゃ。                   つづく     
              ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪   
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四四太郎の霊日記ー4

霊のことを、結局はお主の頭で考えた範囲のことでしかないと思うだろうが、
ワシの口を通すと全く違う視点になるのじゃ。「無への窓としてのワシがいる」と言っただろう。
だからワシが話している時は、一種の瞑想の状態と同じ。
御前はワシが付いた時は、全く違った人間になっているのじゃ。ワシは気まぐれで、扱いにくいのだ。
この宗親氏の道具でも使用人ではないからの~。 さて今日は何を言おうか考えてなかったが、
最近、癒しとかいう言葉があるじゃろう?    ( ̄ω ̄;)!!
あれはワシの目から見たらおかしいと思うのじゃ。人間は生きていく上で、傷つき血だらけになるものじゃ。
その根本を変えないで、結果としての心の傷の対処をしようとするだろう。
まともな癒しは、その根本対処をするもので、傷口だけを治そうとする癒しは何の対処にならない。
ただ爛れるよりよいから、緊急処置も必要だがね。人間世界では、何かおかしな風潮があるのが不思議でたまらない。
傷つくのを異様に恐れたり、嫌ったりするが、それと同じくらい、その傷は人生の深さを教えてくれるものじゃ。
親鸞とかいう坊様もいっているだろう、悟りとかは深い心の傷を乗り越えてこそえられるもの。
アチラから見ているとそれがよく解るのじゃ。 それにしてもワシの言っていることは胡散臭いの~  (^_^)v
まあまあ、もういっぱい  (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?

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