2004年07月18日(日)
1202, 実存哲学(1) 
   ー哲学について-17

実存の哲学とは[真理」ではなく[実存」を出発点とした哲学である。
最初に実存の哲学を語ったのはキエルケゴールである。
実存とは[この私がここにいる]であり、キエルケゴールは「真理」を語る
伝統的な哲学者を批判し、ニーチェなどに大きな影響を与えた。
哲学上の近代から現代への大テーマの転換は、認識論から存在論への転換です。
「本質」から、「存在」への転換といってもよい。

実存という言葉は、中世スコラ哲学が本質存在と対比させた事実存在という概念に由来する。
「〜である」に対応する概念が「本質存在」であり、「いる・ある」に対応するのが「事実存在」である。
すなわち実存とは、事実をして存在していることが重要だという考えを含んだ
概念であり、サルトルはそれを「実存は本質にせんこうする」と表現した。

キエルケゴールは以前にも書いたが、不安や孤独や絶望を真正面からとらえた。
それは、人間が精神を持ち、自由であることの証であると。 主体の哲学である。
人間が人間であることの特性や意味を哲学の対象としたことで、
それまでの哲学とは違った実存哲学が注目されるようになった。

それまでの古典哲学の代表者であるヘーゲルと基本的なキーワードで比較すると
ヘーゲル    ー普遍性ー客観性ー抽象的
キエルケゴール ー単独社ー主体性ー実存的 となる。

このキエルケゴールに対して、サルトルが彼の絶対者ー神を前提とすることを根底から否定して
「実存が本質に先立つ」と主張をはじめた。
サルトルはー
ーわれわれを取り巻く根本状況は、本質を持った「何ものかである前に、すでに
事実存在としてある、実存している。この根本状況はわたしたちが自ら選択したものではない。
それでは流されていてよいのかというと、そうではない。
受動的に決定されているだけの「何ものでない」わたしが、「何ものか」になるべく自己を投企して、
状況に主体的に関わっていくことこそ、真の実存のあり方である。 と主張した。

自分の「本質」を自ら生み出すような「決断」を自分に課して生きる必要がある、
といっているのだ。 サルトルは、人間は自分が生きるべき「理念」を想定し、
それを実現するために自由に決断する「自己投企」をする能力をもっているといっている。

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