「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」とは? それも最上階の幸福とは?
頭の中が混乱して、今も考え続けているが、実感として解らない。

エイズになった人が、果たして幸福なのだろうか?
ガン末期の人が、ライ病の人が、最上階の幸福なのだろか?
明日の朝、特攻で旅たつ若者が幸せだったのだろうか?
(実際にあったかどうか別として)キリストが十字架で意識がモウロウ
「神よ私を見捨て給ううのか?」というギリギリの苦悩が幸福だったのだろうか?
深い絶望のうちに自らの命をた断たなければならない者が幸福なのだろうか?
自分の不注意で子どもを死なせてしまった母親の絶望が幸福なのだろうか?

問題提起としては重く、深いが、何か反発の方が強い。
もし「克服できない苦難の中にこそ、幸福がある」と思えたら、
それだけで苦難を幸福に切り替えていることになる。
その切口からすると、軽く否定するこもできない。

崇高な幸福は、そんなに甘いものではない?ということからみても
「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」というのも筋が通っている。
不幸の真っ只中の、その中心に実は幸福がある!ということなのであろうか?
どん底になったら、その底を掘れ」というが、そういうことなのか?

人生を振り返ると、実感として、どん底?から水が湧き出てきたのは解る。
その水が自分を支えてくれていたのも解る。 苦難の中にこそ、大きな喜びがあった。
事業では、問題にブツカッタとき、その問題の中心に解決の鍵があった。(その理屈は知っていた)
それからみると、最上の幸福は、克服できない苦難の中に、幸福があるというのも筋である。
ところで、屋上は何だろうか? それより、4Fの意味である。
「克服できない苦難の中こそ、幸福の『鍵』がある」なら分かるが。


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