2006年07月16日(日)
1930, 二つ目のブログ
               ( ̄▽ ̄;)!! オハヨウ!               
新しいブログを二つ開設した。
一つは、このHP上に貼り付けてある海外旅行の写真ブログ。
いま一つは堀井宗親というペンネームで400年前の霊が私の脳を通して話す方式をとっている。
毎朝書いているモーニングページに現れた 霊ー着想であるが、出てきてから二週間経つ。
「霊界からの訪問者」とは、面白そうなネーミングである!                

    別人格のように自分の発想を超えて話しかけてくる。
    今までは父親や母親の霊を呼び出して話しかけても直ぐに消えてしまう。
    ところが、このご先祖様・四四太郎の霊に誘導してもらい、
    一緒に話す形式をとると今までは直ぐに消えた両親などの対話が延々と続くから不思議である。
    亡くなった恩師も何人かと同じように誘導をしてもらって話をしてみたが、成る程どこまでも話が途絶えない。

以前、考える手段として死者でも生者でも、その人のイメージを持って(その人をイメージをして、
後ろから自分が入り込む)考え事をした。思わない着想が出て驚いたが、しかし長続きはしなかった。

これからは、このご先祖様の霊に誘導してもらい、介添えをしてもらえば、数倍も効果があるだろう。
現実に何人の霊?の中に入ってみた!おまえ馬鹿か?と思われるが、本を読みながら考え事をしていると同じことになる。
思考形式の一つとみればよい。
                 ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪             
    以前、芹沢光次郎の「人間の運命」のシリーズを読んだことがある。14巻のシリーズで10巻までは読んだが・・・
    天理教の教祖がある人に降りてきて、その霊と対話する小説。
    「文学は 物言わぬ 神の意思に 言葉を あたえることである――」
    というとおり、信じ難い物語が美しい文章で綴られていた。
 
    90才までの人生をあらためて振り返りながら、次々と新たに起こる不思議な体験
    −天理教の存命の親さまとの出会い、神の世界と死の世界への訪問、大自然の親神の人間への思惑等、
    フィクションなのかノンフィクションなのか、読んでいて、気味が悪くなるようなストーリーであった。

これを続けていると、それに近い状態になる可能性がある。人間の運命は、天理教の教祖様と大文学者の組み合わせ。
こちとらは、地方の小企業の親爺と元地侍の百姓?組み合わせ。それぞれ違っているから面白いといえば面白いだろう。
だいたい比べること自体が、オコガマシイが・・・

    多重人格者になるのか心配になり、調べたが全く違うものである。気晴らしのお遊びとは違うようだ。
    自分の本質を擬人いや、擬霊化して自問自答をすることになるからだ。
    モーニングページを続けていると何か思わない着想が出てくると思っていたが、まず第一弾はご先祖様の出現である。
    
 驚いたのはアクセスが2日で130以上もあったことだ。
 霊お宅が多いんだ! 霊霊というけれど、人間は生きているときは魂に心を包んでいるけれど、
 それ全体は霊といえば霊じゃないか?書き残した言葉は数千年、数百年の時空を通して我われに語りかけてくる
 ・・それを霊と言ってもよいはず?ジャありませんか。  まあ遊び!いや・・      
                    
    ブログ一つぐらい持ったほうが良いよ!これでHPを含め三つも持っている本人が言っているのだから、
     間違いございません! 大した材料がないのも解るけど、それで良いじゃない! *^_^*)
                    ホンジャ Σ( ̄□ ̄;;;)!!
・・・・・・・