2005年07月04日(月)
1553, 宇野千代−2

   あるHPに彼女の語録が出ていた。突き抜けた明るさが全ての語録の中に出ている。
   もし鬱になりそうになったら、彼女の言葉を何度も読んでみるとよい。
   私の場合は、十年以上もトイレに中村天風の本が置いてあるが。あるHPにあった彼女の語録をコピーしておきます。    
ー「宇野千代語録」ー 

*信じるということは面白い事である。人の力ではなく、自分の力を信じる、自分にはこれっぽっちの力しかない、
と思っていたときと、そのこれっぽっちの力を大切にし、その上にもまた積み重ねて行く力があるかも知れない、
いや、あると思うようになったときとは、違う。 (「願望」より)
 ー感想ー
言葉の力こそ、人間のイメージを作りあげる源泉である。
また自分の中の小さな力を見つけ出して、そこに集中することこそ自分の人生のゲーム化の一歩である。
ーー
*本当のことを言えば、私の九十六年の人生は決して平坦な道ではありませんでした。
それどころか、でこぼこの道の連続と言った方が早いくらいの人生でした。でも、あるとき気がついたのです。
でこぼこがひどければひどいほど、やっと見つけた幸福の味もいっそう美味になると言うことです。
そして、足をくじきそうになりながらあるいは、くたびれて膝をがくがくいわせながら
歩いたでこぼこ道の思い出のほうが、いつまでも心に残り、自分を成長させるものだ
ということを知りました。そう思うと、でこぼこの道も、ちっとも苦ではなくなりました。(「幸福に生きる知恵」より)
 ー感想ー
こう思えるのに、一生かかったのだろう。
 ーー
*私はいつでも明日から後のことを考えていた。明日は何をしよう、と思っていた。
考える事が雲霧のように寄せて来る。明日から後の世界ではいろいろなことが
出来るような気がする。今の現実から明日の夢想にまで梯子をかけて見る。
私は一段ずつ上がる。いつでも上の方を見て上がる。下の方を振り返るようなことはあんまりない。(「願望」より)
 ー感想ー
過去のことを考えていたほうが楽。明日から後のことを考えるほうが本来苦痛のはずだが。
そこが彼女の凄いところである。
ーー
*人間というものは、おかしな、間違ったことをしていても、
 一心不乱でしている中に、そこからとんでもない芽が吹いてくることもあるのですね。(「お化粧人生史」より)
 ー感想ー
この一心不乱の持続というのが難しい!
ーー
*私は、辛いと思うことがあると、その辛いと思うことの中に、体ごと飛び込んで行く。
まず、飛び込んで行くと、その、辛い、と思う気持ちの中に、自分の体が馴れて来る。 不思議なことであるが、
その、体が馴れてくることで、それほどには、辛いとは思わなくなる。これが私の生活の術なのであった。(「生きて行く私」)
 ー感想ー
正中心一点無という言葉があるが、中心点から目を外さないことだろう。
ーー
*どんなことの中にも、愉しい、と思う要素はあります。
目をみはってその、愉しい、と思う要素を探し出して、愉しく生きて行きたいものと私は思います。
愉しく思うことは、また隣の人にも伝染して、そこら中が、愉しいことだらけになるものです。
すると世の中がどんなに暮らし良くなるものか、想像するだけで嬉しくなります。
                                 (「幸福に生きる知恵」より)
 ー感想ー
愉しいと思えばよいが、なかなか難しい。 愉しんでやれ!と思う習慣をつけてしまえばよいが・・
ーー
*幸福のかけらは、幾つでもある。ただ、それを見つけ出すことが上手な人と、下手な人がある。
幸福とは、人が生きて行く力のもとになることだ、と私は思っているけれど、世の中には、
幸福になるのが嫌いな人がいる。
                                 (「生きて行く私・下」より)
 ー感想ー
何気なく使っている普段の言葉による影響に気がついてない人だ。
内なる声はマイナスが多いことに気づいているのだろうか。
ーー
私たちはどの瞬間にも、人の着ているもの、その顔つき、その言葉、話し方の影響をうける。
今会って来た人の顔つきから、仕合わせな感じ、その反対の感じを受ける。
もし、可能なことであれば、いつのときでも人は決して不仕合わせを感得させないような顔つき、
そういう顔つきでいたいものである。                (「幸福人生」より)

・・・・・・・・