[読書日記}

2006年07月02日(日)
1916, スペイン画家・堀越千秋ー7
                 才八∋ウ_〆(∀`●)
      スペイン七千夜一夜  集英社文庫  ー読書日記

スペインといえば、やはり闘牛である。何回か闘牛について書いてきたが、
堀越氏の闘牛の見方が独特の視点である。「俺と一緒にするな!」という著者の声が聞こえそうだが!
一回目は衝撃的だったが二回目に見たときは、観衆と一緒に興奮して、面白いと思えるようになった。
早くいえば、寄ってたかって一頭の牛を殺すのを楽しむショーである。
 が、慣れてくると、それが恐ろしいことに、面白くなるのだ。
    
現在は、闘牛士と戦う前に、槍で刺して弱らせる。そうしないと殺される確率が高くなるからだ。
初め観たときに誰もが思う「卑怯ではないか!」と。しかし、ここはスペイン!
それが現地の文化?の一つなら一緒に楽しむこと、と決め込み、何度か自分の良心に言い聞かせて・・・
  まずは、その一部を抜粋してみた。
    ー
    スペイン名物、闘牛とは、そもそもそんな主客転倒の様式化といってよい。
    牛は、平和な原野の牧場からある日突然連れさられる。
    暗闇に閉じ込められて、いきなりドアが開くとまぶしい闘牛場だ。
    怒ってやみ雲にも角を振り回しているうちに、あちこち槍だの銛だのに
    突き刺されて、最後に長剣を刺されて死ぬ。 何が何だかわからない。
    一方、客の方は、やれあの牛は闘士がない、いや勇敢だ、角を左に回す癖があって
    よくない。いや口を結んだままで強い、右足がゆわい、いやダメな牛だ、
    いや素晴らしい牛だ、これこそ牛の中の牛だ、等々、勝手なことを言う。
    そして、血の泡吹いて息絶えた牛が、4頭のラバに引かれて退場をするところを、
    拍手をしたり、口笛をふいて避難したりする。人間どもの勝手もいいところだ。牛の都合など一切、考えない。
    人間の都合と審美観のみを一方的に牛に押し付ける。元々人間対動物の関係は、そういった一方的なものだが。

    牛の都合は、実は、無視されているのではない。
    スペインの人間によって、主客転倒や主客合一の甘露をかけられて、つまり人間にとって良い牛は、
    恐ろしい野生の黒牛でもないし、敵でもない。美しい、雄雄しい、勇気ある、気高い「自分」なのである。
    強い牛は自分の美点の反映なのである。勿論こっちの自分は、牛がいくら刺されても痛くもかゆくもない。
    牛の中に一瞬、自分の美しい反映を認めただけなのだから、
    牛がばたりと死んでしまえば、あーあと葉巻をくわえて背伸びするだけだ。

こういう便利で自分勝手で、自由にあっちへ行ったりこっちへ来たり、一瞬のうちに都合の良いほうへ
乗り移る「自分」というものを、日常的に心の中に飼っておかないと、闘牛という、不思議な審美観によって
支えられる「芸術」を理解したり、まして愛したりなど、到底できない。
    ーーー
 スペイン人と日本人は違うのです!!  
ー以前の闘牛について書いた文章ですー
 −−
2002/09/07
パンプローナ牛追い祭り

今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。もし神様が一日だけ
もう一度同じ日を与えてくれるといったら、4年前のこの祭りの最終日を間違いなく選ぶだろう。
今年は例年になく多くの負傷者が出た。
今日の番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、毎年放映される中でも特に迫力があった。
初めから最後まで手に汗を握る内容であった。
この祭りはヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界に一躍知られるようになった。

この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、
赤いネッカチーフをつける。パンプローナの出身者の多くが帰ってくるという。
毎朝6頭の闘牛とそれを先導する虚勢牛6頭の合計12頭が闘牛場に向かう街の道路に放たれる。
毎日異なるドラマを生みながら熱狂を8日間重ねていく。その6頭の闘牛が毎日おこなわれる。
4年前その最終日の闘牛をみたが、会場が異様な熱狂に包まれていた。

その牛の前を走るエニシエロが、勇気試しになる。
19世紀半ばからこの祭りが始まり、闘牛とか牛追いは途中からその祭りに加わった。
ーユーラシア旅行社でいくと、市役所広場の前の4階の部屋から最終日のエンデングと牛追いが見れる。
ーーーーー
4年前の「北スペインの旅」−より抜粋ーをコピーしておきます。

・・その中で一番のハイライトがパンプローナの“牛追い祭り”であった。
延々8日間にわたって毎夜、闘牛が行われる。その牛を毎朝、市役所から闘牛場へ、町中を追い上げる。
その前を街の若者が走って、度胸試しをする。死人が出ることがあるという。
我々が着いたその日が最終日の為、最高の盛り上がりであった。
その夜の闘牛もその為か異常な熱狂を会場にただよわせていた。これこそ正しくスペインと思われた。

深夜の十二時に向けたファイナルギャザリングが、一生の思い出になった。
市役所前に数千の群集がロウソクを手に持って集まり、ロウソクをかざしながら歌い踊るのだ。
彼らが心の底からパンプローナを愛しているのがよくわかるのだ。
民家の4Fの一室を借りて見たのだが、光の海を見ているようであった。
トランペットやバイオリン・タイコの楽団の演奏にあわせて歌を全員が歌っている。

キリスト教で祭りを集団で祝うのはスペインだけといわれている。
イスラムキリスト教が融合して、神聖かつ感動的・熱狂的なお祭り騒ぎなのである。
このような宗教的感動的場面に出会ったのは初めての経験であった。
この場面に出会っただけでもこの旅行は充分の価値があった。一生の心の財産になった。
                         (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!   
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