[読書日記]

2007年06月29日(金)
2278, あと半年の命!と告げられた人の言葉  −2
            才ノヽ∋―_φ(゚▽゚*)♪
   
    ガン告知と、末期がんの死期の告知とは違う。 その辺が曖昧になっているから、
    医療現場では残酷な問題が生じる。「あと半年!」と言われて、果たして抗しきるというのだろうか。
    この女性は、正直にその辺の気持ちを吐露している。その瞬間から、砂漠の真っ只中の炎天の中に
    置かれたようになるという。それまで生きてきた分の人生を、その期間の僅かの間に生きるのである。
    だから死ぬ時は、その人が生きてきたように死んでいくのである。
      ー以下は昨日の、続きー
 ーーー
我がことながら、いまもってその行為(祈り)の意味、内容を言葉で説くことはできません。
最初は確かにわかりやすかった。「助けて」「治して」といった懇願でした。
が、いつの間にか意味不明、質、量もつかめぬままあいまいな時間に変わってしまいます。
いわば、からっぽ。・・・・中略

私の住む京都は数え切れぬほどの宗派が密集しています。
そこで多くの宗教的なる行事、儀式に参集し、指導されるまま念じたり、動いたりしてきた。
そこで何となしにつかめたのが、炎、音、匂い、金銀極彩色、像、言葉、
残酷な修行のいずれも、からっぽになる為の巧みな装置であるということでした。
それらを駆使して何処かに導くのが、僧侶、宗派の教祖であるようで、彼らは演出家といっていい。

人の祈りにさらされ、磨かれた回数、機会が多い宗派ほど、その演出、導きの巧みさが際立っているのは
言うまでもありません。それを理解してなお、告知されて後の恐怖のリアルをとりあえず騙す、
目くらまし剤は今考えても、どうさぐってもあの、からっぽへと導く行為の蓄積以外にはなかったと思います。

それにしてもテレビなどで紹介されると必ず数十通の手紙が局に届き、数人がわが家を訪れます。
ほとんどが健康食品と宗派への勧誘です。そこで語られ、展開される論旨、勧誘の説得法、術はどれもきわめて似ています。
訪間者の全員が確信を瞳に浮かべ、強引に部屋に進入し、笑顔を湛えています。
これで貴女は救われますと断じます。彼らの確信する「やさしさと善良さ」を如何拒めばよいのか? 
形も効果もない空っぽだけが私を支えうる、と善男善女に伝える術を今だ見つけられず、戸惑うばかりです。 
                      ーおわり
    ・・・・
   ー死は誰にとっても永遠なる闇の空洞。その空洞はその大きさ、質感、彩など具体的に知るうる
    捉えきれないゆえに言いしれぬ恐怖を誘います。想像力のなかに位置するブラックホール
    何ひとつ手がかりのない闇といささかなる音、気配のない空洞を方向も理解できず誰も傍らにいないまま歩む旅路。
   ーこの言葉の中の何と恐ろしい、虚空を独り彷徨ってきた彼女の咆哮が言葉に裂けている。
    その救いの装置が、結局、神社仏閣の長年つくりあげてきた神と仏に祈る行為の積み重ねの中から、
    その時その時の目くらましをするしかない!という。それほど人間は弱い存在でしかないのを自ら告白している。
    私は末期ガンは告げるべきでないと思っていた。この告白を読んでますます、そう確信を持つようになった。
    家内とは互いに末期の場合は、絶対に隠すようにと、話がついている。
    父の末期を一年間、自宅で一緒に過ごした経験からして、その灼熱地獄のような死の恐怖との闘いを目の当たりにした。
    その時、エピクロスの「死は存在しない。死んだ瞬間、自分は無いんだから。
    在るのは他人の死だけ。しかしその当人にとっては既に自分で無いから死はない、
    とある本に書いてあったよ」と、何気なく言った時、ハッとした父の顔を覚えている。
   「死の意味が、この歳になって初めて解った」と、正直に答えてくれた。
    父の口癖は「死んでしまえば、それまでよ!」だった。傍観者の言葉でしかないことを、
    その時に理解したのだろか?           
                                 さいなら!(゚▽゚*)♪ノ
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