2007年06月28日(木)
2277, あと半年の命!と告げられた人の言葉  −1
               |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ

   何げなく読んだ言葉の重みに、すくんでしまった。その一言一言の重みと、
   末期ガンと宣告された経験者しか知らない、虚空を目の前にした不思議な体験の言葉。   
   ノンフィクション作家の柳原和子の「からっぽの演出と装置」の文章である。
ーー
三年半前、医療から末期を告げられました。なぜか今も生存しています。
告知された私が三年半かけて自覚したのは、告知人が医師であれ、占い師であれ、裁判官であれ、
死の期限を切られると人は(わたしは)「その言葉にとことん支配されてしまう、修正がきかない、」という
他人からみれば愚かしいまでの単純な事実でした。

実のところ死は虚構です。誰ひとり体験し、蘇り、それを聞かせたり、した人は一人もいません。
にもかかわらず、誰もが死を語ります。その殆どは身内や友人の死の目撃談、
または別離でしかありません。死そのものではありません。当事者がいないのに目撃者だけがいる。
画像に映り込んだ数えきれない幾つもの黒い影を論拠として提示されながら、
「あと半年の確実な死」を告げられるのはかって経験したことのない不思議な体験でした。
  ・・・・中略
死は誰にとっても永遠なる闇の空洞です。しかも空洞の大きさ、質感、彩りなど知りうるすべてが
捉えきれないがゆえに言いしれぬ恐怖を誘います。想像力のなかに位置するブラックホールとでも
言いえるかも知れません。「あなたは6ヶ月後にそこに入っていくのです、」との告知は不思議でした。
震えながら、ひとり、を実感しました。なにひとつ手がかりのない闇といささかなる音、
気配もない空洞を方向も理解できず、誰も傍らにいないままに歩む旅路。・・・・中略

ガンはいまだミステリーなのです。だからこそ古今の研究者、医師、小説家、哲学者の限りない探求、
征服の野望をかき立てるにちがいなく、またそれを得た患者としての時間も限りなく幻惑される日々となるわけです。
死とガンという二つの幻が混在する、しかも決して読みきれぬ私という幻が歩んでいく日々。
恐いもの見たさ。虜になるのを防ぎきれませんでした。

闇の空洞は悪魔的な魅力を放っていますが、しかし、そこを歩く恐怖に抗して日々を凌ぐ胆力と精神の蓄積を
私は持っていません。そこで、それ以上か以下かは判然としませんが、より不可解なる何かをひきよせることで、
とりあえずの支えにしようとします。 祈る、という行為にそれは凝縮されます。
朝陽に祈り、木々に祈り、なき両親に祈り、路傍の石や草木に祈り、お地蔵や神社仏閣にたちこめる人々が
営々と祈りつづけてきたからに違いない。 その蓄積が源泉であるに違いないある種の空気に祈り、残照を祈る。
 ーー
                              ーつづく
 死に関しては色いろある。私の知人は両養子で、義父の亡くなって数年もしないうちに
80歳半ばの義母も亡くなった。その死の間際に義母は知人に向かって眼を見開いて
「(あなたは)嘘! みんなあげる! 面白かった!」と言ったそうな! これまた、凄い言葉である。
                        ホナナァ☆ |∀・`@)ノ|Ю
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