2002年06月17日(月)
440,自己不一致の人

誰でも持っている要素である。 組織も対象の人とも合わない、
突き詰めてみると自分と合わない人だ。 自分の事といってよい。
・今所属している組織か職業と自己一致しているかである。
・夫婦間の問題
・両親の仲が良かったか

中学時の問題児は両親の不一致である場合が多い。不幸にしているのは本人にその意識がないことだ。
あと舅・姑の関係も絡んでくる。家庭内が安定しているかどうかであるし、やはり家系も関係している。
夫婦間を見ていると、いろいろな問題がある。それがそのまま子供に反映してくる。あるいは自分に反映する。
その蓄積が自己不一致を深めていく。そしてそれが対象に不満という形で向けられる、
実際は自分の問題なのに。誰もが多かれ少なかれ抱えている問題である。

会社が両親が離婚をしている人を入れたがらないのは、多くの人の中で経験的に
それを知っているからである。 何事も例外はあるだろうが。
言葉を持ってしまった人間が無限の欲を持ってしまった。
アダムとイブが蛇に勧められて食べてしまったりんごである。
しかしそれは有限である。そこに不平が出てくる。
仏様はその欲の対処の仕方を教えた、それが仏教である。

ただ自己不一致も捉え方によっては必要なことがある。
理想主義による不一致、それを埋めるための視点であるからである。
あるいは経営にとって、計画の不一致のフィードバックとして必要な事だ。
前向きな建設的な自己不一致ならむしろエネルギーにもなる。コンプレックスもそうなのかもしれない。

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