2004年06月11日(金)
1165, 哲学について−2

 「私は何をすることができるか」の「形而上学」は事物の本質、
 存在の根本原理を思惟や直観によって研究する学問であるが、
 ーアリストテレスにおいては存在一般を考察する存在論、また超越的なものを探究する学問であった。
 ーカントは純粋理性からの認識論をめざした。
 ーヘーゲルは反弁証法的思考を形而上学的と呼んだ。
  
 我々の住む世界の特徴は、空間(三次元)と時間(一次元)から成り立っているが、
その「空間とは、時間とは、そもそも何ぞや」という疑問から、その問いに対する答えを
探そうとする。そこでは信仰にすりかえたり、権威にすりかえることは許されない。

哲学といえば、さきほど述べた形而上学には二つの基本課題がある。
・「存在するものは何か」
・「もし何かを知ることができるとしたら、それはどのようにして可能か」である。
 「存在論」と「認識論」である。
 この何が存在し、何を知ることができるかという課題は哲学で探求される問題の大前提である。

哲学を芸術と宗教と科学の違いから見てみると
ー宗教は理より信仰がまずあり、宗教心を育てることに重きを置く。
ー芸術は哲学とものごとの底流にある真実をもとめ、人間を理解しようとするが、
 その手段が絵画や音楽などの作品を通して直接的な感にうったえる。
ー科学もしかりである。真実を追究するが、実験や観察によって答えが出せる問題に限られる。
 物質的な問題が主になる。
フォイエルバッハではないが、
「宗教にとっては、神聖なるもののみが真実である。哲学にとっては、真実なるもののみが神聖である。」
というが、芸術は、さしずめ作品そのものの感動が真実である。

これらはけっして相反するものではなくどれも宇宙や社会や人間の存在という
不思議を深く理解しようとするものである。また、直感と批判をどれもが必要としている。
                           ーつづく
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