■
「消費社会から格差社会へ―中流団塊と下流ジュニアの未来」
三浦 展 (著), 上野 千鶴子 (著)
とにかく面白い本である。社会学部出身ということもあり、その系統の本を40数年読み続けてきたことも
あるが、最近の格差社会については、非常に興味があった。「下流社会」の著者が対談の一人で、
かつ上野千鶴子は私が20代の頃から、本を目にしていた。この二人の対談なら面白くないわけがない。
面白そうなところを抜粋して、感想を書いてみる。
・上野が(今の「下流」と言われるコミュニケーション能力の低い、ノイズに弱い若者が出てきたことに対して)
「『日本の保守本流が望んだとおりの国民形成を、あなたたちは3世代に渡って達成したじゃありませんか。
これこそあなたたちが望んだ結果ですよ』って、『教育基本法改正』なんて言っている自民党のオジサンたちに
言ってやりたい気分ですよ」
〜感想ー強烈な皮肉が現代の若者、それも下流社会の若者に対して言いあらわされている。
反面、ノイズの向こう側には彼らの好む音楽などの世界もある。
これで対人恐怖症とか、トラウマとかいって、社会の面倒な世界を拒否する。
・団塊が中流で、団塊ジュニアは下流。
〜感想ー これもまた、大方三分の二が団塊世代が中流、そのジュニアが下流である。
何故、そうなったか、時代がそうさせただけである。
・三浦 「堤清二が破滅型経営者で、西武破綻は起こるべくして起こった。
〜感想 堤義明は、どうだったか? 似たようなもんか。
・{ 中村うさぎ何故ショッピング中毒になるかというと、何ものでもない自分が、女王様になれるから。
うさぎが、自分のことを『女王様』といったのは象徴的でしたね。ショッピングも、そのものを買った瞬間、
ガラクタになってしまう。アルコール依存症や薬物依存症と同じ一種の病気として『消費』は「もっと刺激を」
とエスカレートしていくわけ。渋谷の「109」が「表参道」、「ユニクロ」が「プラダ」になり、
「エルメス」になっていくのです。消費によって人は王様になれるのです。でも、誰からも感謝されない。
存在としては必要とされない。それが消費の限界です。 それに気づいた人が、消費以外の何かを探し求めた。
それが自分探しである。}−上野
〜~感想ー 突き詰めると、記号の消費でしかないのでは?という見方が面白い。
記号を消費し、王様気分になっている幼稚さ、精神症は、言いえて妙である。
・国家の安楽死説ーグローバリズムで外国人が来てもらわなくてよいようにするには、
景気を悪くすれば良い。不況になれば潮を引くように自然に居なくなりますよ。逆に言えば、
外国人が来ている間は、その社会が経済的に魅力があるということです。 そういう豊かな社会で
育った子供達が競争力を無くすのを別に抵抗することは無い。{平和に滅びていってくれれば」
というのが私の説です。ー上野
〜感想ー ここまで書くだけ社会が変になっているのだろう。情報化に適応できないからである。
つづく
・・・・・・・・・・