■
(p≧w≦q)オッ☆ ハ!
最近みる夢は、ますます深遠の奥にある中心に入り込んだような内容が多い。
一昨夜の内容といえば、
飛行機からパラシュートで落下するが半分しか開かない。
先に飛び降りた人達のパラシュートは開いているのに・・・
そして海に落下する。そして気づくと海底の牢獄のようなところでもがいている。
ところが檻があって海面に出ることができない。生死の境目を漂っているようなストーリーである。
最近、図書館から借りて目を通した「死のまぎわに見る夢」の影響だろうか。
哲学書の生死の問題について読んだばかりのためだろうか。
映画でみたダイビングのシーンの影響か。 その全てだろう。
夢とはその人に深く埋もれている創造性が出るというが。
現時点の、死に対する潜在的なイメージなのだろうか。
何度も書いたが、父親が死んだあとに父のベッドで見た夢は、心の奥深く刻まれている。
亡くなる前の数ヶ月、父は「死にたくない」という死の恐怖と闘っていた。
一緒に住んでいたので、その気持ちを私に痛いほど通じていた。
亡くなった数日後に、父のベッドで、父の気持ちに乗り移ってしまい「死にたくない、死にたくない」
という父の気持になったのである。 その夢から覚めたときに、「何だ生きているじゃないか!」という、
父の感覚が乗り移った不思議な感覚である。 魂が入り込んだとイメージである。
魂は不死を、その時に初めて実体験をしたのである。
27歳時だったが、それ以来20年近く、霊能力みたいなのが私の中に入りこんでしまった。
しかし最近は、殆ど無くなってしまった。 しかし、何時また出てくるかもしれない。
夢の内容を意識的に思い出し考えると、不思議な世界を覗き込むようである。
深い得体の知れない自己の深遠の世界をみるのである。
その奥は、想像を遥かに超えた自分の経験の積み重ねだけでなく、
何億年の生命の経験の積み重ねの記憶まで広がっているようにさえ思える。
考えてみれば、宇宙の一点で独り彷徨っているのである。
それを真に気がつくのが死の間際だけとは・・・身近な不幸な死を垣間見たとき、
つくづく感じるのである。 群れているしか身の処し方を知らない人こそ、そうだ。
(*´・ω・)ノホナ
・・・・・・・・・・