2005年05月19日
(木) 1507, 猛女怪女列伝
  ーアナタハンの女王

終戦直後の日本で、このようなドラマがあったと「新潮45」という
月刊誌のー猛女怪女列伝ーで初めて知った。

 太平洋戦争での敗戦濃厚になった、昭和19年6月から6年間、
敗戦を知らない南海の孤島「アナタハン」で取り残された「男31人、女1人の生活」で、
一匹の『女王蜂』比嘉和子をめぐる、壮絶な性と生のもう一つの戦争があった。

その殺戮の中で生き残ったのは20人、残りの12人は、『女王』を争って殺されたり、
原因不明な死を遂げたと生還した兵隊達によって証言されたという。
極限の世界で野獣と化した雄どもの命をかけた雌の奪い合いの地獄絵である。

 その比嘉和子も、昭和47年(1972)年に亡くなった。
アナタハンの女王」といっても、昭和20年代後半の話で、この本を読むまでは全く知らなかった。
アナタハン島は、サイパン島の北方約117キロにあり、東西の長さ約9キロ、
幅3.7キロしかない小島で、面積は約32平方キロだから、サイパン島の4分の1弱の大きさである。

この時の『女王蜂』をめぐる殺戮劇が、月刊誌「新潮45」4月号に、詳細に書かれていた。
「事実は小説より奇なり」というが、すざましい内容である。

この六年間に、和子は5人の男と正式でない結婚をした。 ピストルを所持する`権力者’?に、
強引に娶られたり、争いを恐れた男たちが合議した末、次の夫が指名されたりしたのだ。
そのうち大部分が、明らかに殺害されたり、不自然な事故で命を落とした。

女王をめぐっての殺戮が続く中、遂に和子の『処刑裁判』が開かれた。
その時には、32人のうち10人が亡くなっていた。男達は全員出席した。
そして、『敵と戦って死ぬならとにかく、和子をめぐって殺しあうなど
許されない。彼女に死んでもらうことがよい』という結論になった。

その中の一人が彼女に、そのことをこっそりと告げた。そして、彼女はジャングルに逃げた。
その一ヶ月後に、投降を勧めるアメリカの艦が島に近づくと和子は必死に着ているものを脱いで降り続けた。
助かったのだ。 そして、その一年後に残った全員が助けられた。

昭和26年から29年にかけて、「アナタハン」ブームが、日本を席捲した。
「おしさしぶり」の代わりに「アナタハン」という挨拶が流行り、「女王蜂」「アナタハン
という名前の飲食店も続々登場。さらに、ハリウッドの巨匠ジョゼフ・フォン・スタンバーグが監督をした
アナタハン」もつくられて「ライフ」や「ニューヨークタイム」にも採りあげられて世界的にも話題になった。

その後も、彼女は数奇な人生をおくったが、最後は結婚をして穏やかな人生を終えたという。
彼女も戦争の犠牲者の一人であった。

・・・・・・・