2007年05月14日(月)
2232, しお壷の匙
      ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
    
    車長吉の本の評価は、それがどうした?とみるか、驚きの目でみるか?
    二つに分かれる。私は「で、それがどうした?」という視点が強い!
    内容は事実をそのまま写生的だが、何処にでもある話である。
    人はそれぞれの人生を生きているのである。

 ー面白そうなところを抜粋してみた。
 ーーー
私が物心ついた時分の勇吉は、すでに七十を超え、鍛冶仕事はやめていた。
いつ行っても家の奥の暗がりに黙って坐っていた。異様によく光る夜蜘蛛のような目で人のすることを見ていた。
…そして何か癇に触ることがあると、たとえ相手が三つの子供であろうと、情け容赦のない険しい声で
「ド畜生めがッ。」と言った。恐らくは人間は凡て畜生であることを見抜いていたのだろう。
孫あやしをして喜ぶような甘さはカケラもなかった。私が五つ時分のことである。
ポケットから落ちた五円玉が日土間のたたきの上で、独楽のように廻転しはじめた。
それを足で踏んで拾い、顔を上げた瞬間、いきなり横っ面を張り飛ばされた。
私はもんどり打ってたたきの上へ転げた。
「この糞ったれめがッ。」その時の瞋恚(しんい)に燃え立った勇吉の目を今も忘れない。

吉祥天のような貌と、獰猛酷薄を併せ持つ祖母は、闇の高利貸しだった。
極道がドスを呑んでやって来ても、「うちは冗談は嫌いやが。」と言って、目をつぶっており、
なお相手が横車を押してくれば、いきなり鍋の蓋が飛ぶような烈しい声でカチ喚いた。
「斬るんなら斬りんな、うちは承知しないでッ」陰気な癇癪持ちで、没落した家を背負わされた父は、発狂した。
銀の匙を堅く銜えた塩壷を、執拗に打砕いていた叔父は、首を縊った。
そして私は、所詮叛逆でしかないと知りつつ、私小説という名の悪事を生きようと思った。


「あとがき」で、こう書いている。 詩や小説を書くことは救済の装置であると同時に、一つの悪である。
ことにも私小説を鬻(ひさ)ぐことは、いわば女が春を鬻ぐに似たことであって、
私はこの二十年余の間、ここに録した文章を書きながら、心にあるむごさを感じつづけて来た。
併しにも拘らず書きつづけて来たのは、書くことが私には一つの救いであったからである。
凡て生前の遺稿として書いた。書くことはまた一つの狂気である。
 
 この二十数年の間に世の中に行われる言説は大いに変容を遂げ、
その過程において私小説は毒虫のごとく忌まれ、さげすみを受けて来た。
そのような言説をなす人にはそれなりの思い上がった理屈があるのであるが、
私はそのような言説に触れるたびに、ざまァ見やがれ、と思って来た。

 私は文章を書くことによって、何人かの掛け替えのない知己を得た。
それは天の恵みと言ってもいいような出来事だった。されば、それがあったればこそ、
ここに納めた文章も書くことができた、と思わないわけには行かない。
ーー

解)以上だが、地べたから這い上がってきた男の迫力が漲っている。
「書くことも一つの狂気である」という著者の言葉は、「生きることは狂気である」に繋がる。
私小説は人生の狂気をそのまま書くことである。
                          ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
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