2004年04月29日(木)
1122, 「ライフ・レッスン」ー8
 ー怒りのレッスン

・怒りは文字通り腹部でつきあわなくてはならない。
そのこつを身につけるには、眼をとじて、片手を胃のあたりに
当てるとよい。脳でなくからだを使うというかんたんな動作が、そのとき感じていることを知るのに役立つ。
自分の感情とつきあう習慣は、現代社会ではほとんど知られていない。
現代人はからだで感じるということを忘れている。わたしたちは理性と感情を分けようとする。
理性に支配させることに慣れすぎているで、感情やからだのことは忘れてしまう。

・怒りは、うけた傷に自分がなんの対処もしていないことを知らせるシグナルである。
その傷は現在進行形の苦痛だが、怒りはだらだらと長びく苦痛になる。
傷をためこみ、それに注意を向けないでおくと、怒りは成長をする。
わたしたちは怒りを多くためこみ、やがて傷の分類ができなくなって、
最後には自分に怒りがあることにさえ気づつかなくなってしまう。
怒りの感情とともに生きる事になれてしまい,それが自己の一部と思いはじめる。
その怒りがアイデンティテーの一部になる。
だから、わたしたちは、自己のアイデンティテーと古い感情とを分ける作業を分けなくてはならない。

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ー感想ー
怒りっぽい性格のためか、このレッスンを過去の人生で多くしてきた。
怒るには怒るだけの理由がある。また、その怒りによって適切な判断ができたことが多かった。
怒りは、その感情の高まりによって自分の世界を他者との間に一瞬ラインとして見ることができる。
怒りの感情を抑圧することで対処しようとする人が多い。
その必要はないのだ、といって怒ってばかりいるのは問題だが。

はなしは変わるが、去年の同日の随想日記の内容が偶然の一致で
「怒る技術」であった。面白いものである。怒るということからのレッスンが全く足りないのか?
方向違いを知らしめようとしているのか? じっくり考えてみる必要がある、特に私の場合は。

怒りの背後にあるものの一つに「恐れがある」という。 なるほどそうかも知れない。
怒ってみて初めて、その正体がわかることもある。 怒りを溜め込むと憎しみになる。
憎しみのヘドロを溜め込むなら怒って、そのつど吐き出すことも必要なこともある。

憎しみのヘドロでドロドロの人が、あまりに多い。そのヘドロを他人に投げつけるから始末が悪い。

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《--怒りについて--》

怒る・・
(「起こる」と同語源で、勢いが盛んになる意から、感情が高ぶるのを言うようになったもの)
  自分の意に反するものの存在によって感情がいらだち荒れること。

・いつまでも人を恨んでいてはならない。
 あなたが恨んでいる人は、人生を楽しんでいる。      ーハケット
・敵のため火を吹く怒りも、加熱しすぎては自分が火傷する。 −シェークスピア
・怒りの結果は、怒りの原因よりはるかに重大である。    ーマルクス・アウレリウス
・汝を傷つけた人間は、汝より強い者か弱い者かのどちらかである。もし弱い者であれば、
 その者を許しなさい。もし強い者であれば、汝自身を許しなさい。−セネカ
・あなたの敵を許しなさい。しかし、絶対に名前を忘れてはなりません。−ジョン・F・ケネディ
・過去を忘れ、心から怒りを消し去れ。どんな強い人間もそんな重荷に耐え続けることは出来ない
                             −チェロキー族の格言
・間違っていながら、しかもそれを認めたがらないとき、人はついには怒り出す。
                             −トーマス・ハリヴァーン
・怒れる人は再び怒る――彼が冷静になったとき、彼自身に向かって。
                              ープブリリウス・シルス
・死ぬほどの怒りは狂気よりもずっとひどい病で、
 胸の奥の奥にある一番の秘密をしばしばさらけだすものである。−ヤコプス
・怒りは他人にとって有害であるが、憤怒にかられている当人にとっては −トルストイ
・我々がある人間を憎む場合、我々は彼の姿を借りて我々の内部にある何者かを憎んでいるのである。           
                              −H・ヘッセ
・怒りと愚行は並んで歩み、後悔が両者のかかとを踏む。    −フランクリン
・人間は、理性のうちに負けたものの埋め合わせを怒りのなかでするものだ。ーW・R・アルジャー
・人は軽蔑されたと感じたときに最もよく怒る。だから自信のあるものはあまり怒らない。
                              −三木清

 偶然の一致だが前年、怒りについての読書日記を書いていた。面白いものである。
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2003年04月29日(火)
755, 「怒る技術」ー読書日記
 
タイトルが面白そうなので買ったが期待したほどの内容ではなかった。
私が怒りっぽい人間でこの技術を経験上身につけてきた事もある。
 著者と同じ年齢で闘争的であることもあってか合点することが多かった。
私の場合は子供の頃から兄姉やクラス内の喧嘩で怒りの山であった。
また学生時代の寮生活で、怒りのテクニックを身につけざるを得なかった。

創業でも色いろな場面に遭遇したことが多かったこともある。
怒りの山を一づつ乗り越えてきたというのが実感だ。
その意味では、この本は哲学者の言葉の遊び的な甘さもあった。
しかし彼がウイーンで、怒らなくては生きていけなかったというのは
よく理解できる。ヨーロッパ人は実によく怒るそうだ。
喜怒哀楽を冷静に使い分けないと、事業など出来ない。
著者も彼らの「怒る力」には及ばないと書いてあった。
彼らはわれわれ大和民族と怒りの表出の仕方が違うという。

彼らの特徴は
・すぐにその場で怒りを表出する
・以前の怒りを根に持つことが少ないこと
・怒りは激しく、しかしただちに収まること
・怒りの表出が言葉中心であること
・個人的に怒ること
・演技的怒りであること
以上であるが、全く私が身につけた怒りかたと同じである。

寮生活をしていて、大学を卒業しながら、社会に溶け込めず寮に入り浸っている先輩の群れがいた。
大人しくしていたら部屋のものを持ち去ってしまうこともあった。
直接攻撃もできないし、ただ見ているしかないこともあった。
彼らの姿から、脱皮していくには過去の場所には二度と行ってはならない、ことを学んだ。
  
怒りは貯めておくと、膿になり化膿してくる。自分でコントロールしなくてはならない。
この本の中に「怒れない人達」というのが書いてあった。何か気の毒のような気がする。
最近こんなものかと怒りが少なくなってきたが、それでも山のようにある。

この著者は怒りの代用として対象への軽蔑がある。そのことに気がついてない。
自分が生きているだけで精一杯でしかないのか、それとも哲学者のゆえんか。
「怒りの代用としての軽蔑と、生きていくだけで精一杯」は自分のことだからよく解る。
私の場合と違うのは、この人の人生は全く楽しくないということだ。
本人もそう書いている。「笑いの技術」でも書けばよいのに!要らぬお世話と怒られるか!

昨夜この下書きを書いて寝た為か今朝面白い夢をみた。
ペガサスクラブというチェーン店理論のコンサルタント
一種気違いに近い怒り方をする渥美俊一先生が、セミナーで招いていた
先生ー経済評論家のリチャード・クーを、私語をしていたといって殴りつけたのだ。
なんでリチャー・クーなのだろか解らないが?そして二人は喧嘩をしながら、会場外に出て行った。
恐らく警察をクーが呼んだのではと思いながら・・で夢が覚めた。こんなものだが、それにしても脳は面白い!
話は変わってしまったが!
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「怒る技術」
PHP研究所 中島 義道【著】
ー内容ー
たとえ間違っていようと、あなたは怒るべきである。
20年にわたる壮絶な対人闘争から掴んだ「怒りの哲学」。

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