2005年04月12日(火)
1470, 書く(一人、語る)ということ−2

このHPを開設をして一番の効果について何回か書いてきた。
今までは、知識を得ても自分の内面に落とし込んで、それでお終い。
殆んどが記憶の底から出ることなく埋没するだけであった。
知識・教養とはそれでもよいが、
やはり外部化をしておいたほうが良いに決まっている。
いつでもコピーをしたりできるし、分類や再考が可能になる。

反面、このHPに落とし込んだ場合に第三者にも曝すことになり、
自分のノートや備忘録に落とし込むのとはおのずから違ってくる。
まず第三者にも理解するように書かなくてはならない。
自分の気持を書き込む時には、自分の中の第三者の目ー理性ーで、
一度濾過をしなくてはならない。それが自分をコントロールをしてくれる。
1年、3年、10年経った時の自分や、子孫の目も意識しなくてはならない。
しかし、その加工は時間が経った時の自分にとってプラスに働くうえに、
三者の人とも共用が可能になる。この共有感が、気持ちを安らげてくれることになる。

いま一つ良かったことは、何か感じたリ驚いたりした時に、
それを無意識に起承転結として文章化をするようになった。
いつの間にか、書くように頭の中でまとめている習慣がついてしまったことだ。

また他人と話している時なども、書くように話しているのだ。
これも結果として大きな収穫であった。
更に、他人の話を聞くときも、文章を読むように聞いてしまっている。
相手の起承転結を整理しながら聞いてしまっている。
インプットも、アウトプットも、無意識に整理しながら聞いたり
話したりする習慣(脈絡を掴むよう)になっていた。
                    つづく
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