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「幸福論」は、古典的に読み継がれているのが、ヒルティ、ラッセル、そしてアランがある。
この3つは世界の三大幸福論と言われている。
アランは、19世紀から20世紀にかけて活躍したフランスの哲学者。
1906年のはじめ、アランは地方紙に、毎日原稿用紙2枚程度の短い文章を書きつづけ、
このコラムは「あるノルマンディー人のプロポ」という見出しで、第一次大戦が勃発する
1914年までにこうしたプロポを3078編、さらに大戦後に約2000編を新聞や雑誌に書けた。
健全な身体によって心の平静を得ることを強調。
すべての不運やつまらぬ物事に対して、上機嫌にふるまうこと。
また社会的礼節の重要性を説く。
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「幸福であることは他人に対する義務である」
「私たちが自分を愛してくれる人のためになしうる最善のことは、
自分が幸福になることである」
「望んでいることはすべて、人を待っている山と同じ。
自らよじ登っていかなければならないのだ」
「上機嫌療法を行うと、物事を気持ちの良いシャワーのように受け流し、
筋肉をのばししなやかにし、食欲がすすみ、気分がさばさばして、生命が元気づく。」
「もし道徳論を書かねばならなくなったら、私は、上機嫌を第一位におくだろう」
「新年の贈りもので私がお勧めしたいのが、上機嫌である。これこそ、贈ったり、
貰ったりすべきものだろう。何よりもまず贈り主を豊かにする真の礼儀である。
これこそ、交換によって増大する宝物である。あなたがどこへ投げ捨てても、
それは芽を出し、花を開くだろう」
「運命は不変ではない。指をパチンと鳴らした瞬間にも、新しい世界が生まれているのだ」
「嘆きも悲しみも、鳥と同じ。ひょいと留まっては、飛びさっていく」
「まず自分がほほえまなくて、誰がほほえむのか」
「私は投獄されれば、毎日たった一人で笑うことを健康法とするだろう」
「幸せとは、すべてが満たされている状態ではなく、多少の満たされない部分があり、
それを、追求するところに幸せがある」
「体操と音楽とがプラトンの二大療法であった 」
「深い悲しみは肉体の病的状態の結果である」
「うつ病者は、グルメのように自分の悲しみの味をかみしめてばかりいる」
「悲しみは病気なのだから、あれこれ理由など考えず、病気として我慢すればいい」(5.ふさぎの虫)
「子供たちには幸福になる方法をしっかり教えるべきである。その第一の規則は、現在のものにせよ、
過去のものにせよ、自分の不幸について、決して第三者に話さないことである」
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この本は学生時代に読んだが、本はもう手元にない。
そこで図書館から借りて読んでみたが、時間を隔てた後に読むと受け止め方が違ってくる。
幸福な人と、そうではない人(不幸)の経験をしたり、周囲に実例を多く見たためである。
何をしても駄目な人、結果として周囲を利用してマイナスを振りまいている人と、
その正反対の人がハッキリ分かれている。その分岐は「求めよ、さらば与えられる」と、
「上機嫌である」が基本である。アレンは、そのことを一貫して述べているし、
周囲を見ると、その実行の継続がポイントと教えてくれる。 知ること、経験すること、
今ここを上機嫌にすることである。 同じ人生、面白おかしく、何かを求めていかないと!
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