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*盃の中に蛇がいる!*
何気なく図書館の本を捲っていたら、この言葉が合った。
「英国の詩人のホープという人の言葉」だが、私など何度か、その蛇に噛み付かれたものである。
酒を飲んでいると思っていたら、その盃の中の蛇に飲みこまれていた経験が、あまりに多い。
それだけではなく、その蛇が内臓まで食い散らしているのに、大蛇だけでなく、
「本当の敵は沈黙している」と、フランスの詩人のバレリーの言葉にあるが、
黙っている敵こそ、恐ろしい。何時の名は酒!ということか、それとも不摂生ということか?
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*偏見のかたまり*
「故郷より一歩も出たことの無い人は偏見のかたまりである」
(ゴルドニー・18世紀の喜劇作家)
これは地域の問題だけでなく、自分の職業、固定観念、学問から一歩も出てない人に
対していえる問題である。 地方にいると、それをつくづく感じることがある。
人間は誰しも偏見の塊と己を割り切った方がよいだろう。
だから、常に外の世界に触れる必要があるということだ。
それと、あらゆる分野の本を読み続けていないと、偏見の穴の中に入り込んでしまう。
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*世逃げのすすめ(ひろさちや著)*
−この本の紹介を検索したら以下の説明があった。
普段は算数のテストで30点ぐらいしか取れない子が、あるとき70点を取りました。
お母さんは喜んで、「じゃあ、あなたの好きなカレーライスを作ってあげるね」と、台所に入ります。
ですが、途中でわが子に質問します。
「それはそうと、きょうのテスト、平均点は何点だった?」
「お母さん、きょうはみんな点数が良かったのよ。平均点は84点だった」
それを聞いたとたんに、お母さんはカレーライスを作りたくなくなります。
おかしいですよね。 子どもの取った70点という点数は宝物です。
それを、お母さんの〈平均点以上を取ってほしい〉と思う欲望が化け物に変えてしまうのです。
ですから、かりに100点を取ってもだめなんです。
「100点で良かったわね。それで、きょうは100点が何人いたの?」とお母さんは質問します。
そして100点が六人だったと聞けば、「あら、あなたのほかに100点が五人もいたの……。
それじゃあ、この100点は値打ちはないわね」となってしまうのです。
100点が宝物でなくなり、化け物になってしまう。
じつは、これが世間の価値判断の基準です。世間はおかしな物差しで価値を測ります。
あるいは歪んだ物差し、狂った物差しと言うべきでしょうか。
でも、それを非難したって、意味はありません。世間はその物差しで運営されているのですから。
世間に、そんな歪んだ物差し、狂った物差しを捨てよ! と命じても、世間はそれを捨てられない。
捨ててしまえば、世間はいっさいの価値判断ができなくなります。
たとえば、新入社員と古参社員の給料を同じにする。
あるいは、社長の給料よりも新入社員の給料を高くします。
それをやれば、会社は潰れてしまいます。だから、世間は世間のその物差しを捨てられません。
だとすれば、わたしたちが世間から逃げ出すよりほかありません。
逃げてどこへ行くのか……? それは、あとから考えましょう。
まずは、なにはともあれ、われわれがすたこらさっさと世間から逃げ出しましょう。
つまり、「世逃げ」のすすめです。
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