2003年03月20日(木)
715、「退場宣告」-読書日記

 借りている手前、銀行の現状を書くことができないのが現在の中小企業経営者。
「よく書いてくれた!」というのがこの書である。実際現場で起きていることは、
大手の不良資産の処理の肩代わりを中小企業に押し付けている。
大手がつぶれると、その資産圧縮に中小企業の貸しはがしを露骨にしている。
担保が足りないとか、金融庁に指摘されたとかいい辛辣に貸し剥がしている。
旅行先などで出あう中小の経営者は、貸し剥しの辛辣さに口を揃えて非難の嵐である。
一番の利益の元を虐待をしていれば、必ずその逆襲にあう。
担当には若い役のついてないのを遣し、トップ直談判で貸しはがしと追加担保要求をする。
暴力団と手口は同じである。直接間接の脅しである。ここまで落ちたかというのが現状である。
この不信感は銀行にとって数年後には致命傷になるのは目に見えている。

 ある人の話だが[地元の「大蔵省の天下り先専用の銀行」に行ったら、「その件は前例がない
から全く考えられません」と50代後半の次長がのたまったのに驚いてしまった。
50代後半の次長にも驚いたが、その旧体質の空気がすべての今の日本の現状をそのまま
現していた。70歳位の頭取が今でも時たま新聞に出てきて、自画自賛をしている姿は
??としかいいようがない。]といっていた。
彼らの言い分も解らないでもないが、金融庁から尺度を急に変えてきて
その基準で自己保全をやれ!ということだから。
といって現場にとって、それは暴力団になれということだが。

ー大筋は以下の通りである(これは私の主観で書きうつしたものだ)

・銀行の経営者はお気楽なエコノミストとは立場が違う。それを忘れてしまっている
 のではないか。彼らは結果を日々問われるプロなのだ。
 不振の言い訳を考える暇があるのなら、難局を打開するスーパープレイにトライし続ける
 べきだろう。それが出来ないのなら、経営者のポジションから潔く立ち去るべきだ。

・日本には昔から「法律は破ってもいいけど、村の掟は守らなくてはならない」
 という感覚があった[田原]

・「金を借りたら返す」という当たり前のルールをみんなが守らない限り、
 自由主義はだだの暴力主義になる[木村]

・日本経済はおかしい。中小企業は失敗したら退場必至の資本主義だが、
 大企業はどんなに失敗しても退場しなくてもよい社会主義。 
 中小企業は貸し渋りにあって続々潰れていくのに、大企業は失敗したら
 債権放棄で救ってもらえる。中小企業の経営者は、包括の連帯保証で身ぐるみはがされる
 のに、子会社に更迭されても、悠々自適の生活が待っている。天と地の差がある。
 アンフェアそのものである。ー田原

・いま中小企業経営者の怒りは,すべて銀行に向かっている。
 日本の構造改革をこばむ元凶は銀行ということだ。
 銀行の本部に行くと必ず言われるのが「金利を上げてもよければ融資の応じる」
 というセリフである。融資されないのだから仕方がない。融資を申し込むごとに
 金利が上がっていく。
 そして経営を軌道に乗せたところで、当然金利の下げを頼みにいくと「業績が上がる、
 つまり利益が上がれば金利を下げてもよい」というセリフ。
 しかし、そもそも金利が高いから利益が上がらない。利益を上がらないようにしておいて、
 それを理由に金利を上げていくのである。ー木村

・木村氏は日本の銀行のことを「不動産質屋」とカンパしたが、まさしく平成不況の
 元凶は銀行であり、さらにそういう銀行の構造改革を進めることのできない金融行政にある。
                                     −田原
・ノンバンクが勝手にリスクを取ってくれて、銀行は一括で大量貸し出しをすればよい
 だけですから。銀行は卸で儲けているんですから。
 卸しなんですよ。どんどん銀行免許を認可する事です。一挙に不良債権のない銀行
 ができるのですから。世の中がいっぺんに変わりますよ。ー木村

ーこの本を読んでいると、怒りと絶望感と哀れみを今の日本に感じる。
 こんな姿を見ようとは思ってなかった。しかしこの中で生き抜いていかなければ
 同じ穴のムジナでしかない。知恵を搾り出して自分を変えていくしかない。

「退場宣告」 著者/訳者名
木村剛/著 田原総一朗/著
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2002年3月20日
旅行中につき書き込みなし

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