2004年03月17日(水)
1078, 「最後の言い分」ー読書日記

図書館で借りてきた「最後の言い分」が面白い。
50人の有名人が語る人生のラストメッセージを、それぞれ短編にまとめてある。
   東京新聞編集局 (編集)
ーレビュー
死ぬ前に言っておきたいことがある! 各界著名人が語った死生観。
どのような臨終を思い描き、どのような野辺の送りを望むのか。
介護、遺言、葬儀、墓、形見…。五十人五十色の生・老・病・死。 『東京新聞』連載を単行本化。

ー以上がインターネットで調べた内容であるが、簡易な文章の中に、深い内容がアチコチ見られた。
その幾つかを書きうつしてみる。

永六輔が、生々しい深い悲しみが直に伝わってくる。
ー「看取るのは感動的でした。ホントウに。こんな感動的なら、看取られたいと
思うくらい」1991年に父、99年に母、そして2002年に妻・晶子さんを見送った。
戒名、遺影、法名、棺はダンボールでいいと言い残した住職の父。
感謝の言葉をつづった遺言と、自ら縫った死に装束を用意した母。

余命3ヶ月と悟った妻は、死にまつわる要望を家族に伝えた。
家族に見守られる中、自宅のソファーで、安らかに息を引き取った。
「母の死の見事さに、ボクよりも女房のほうが感動したのですね。
母のように死にたいって。母とは状況は違いますけど、本人の思い通りに亡くなって。
看取り方は百点満点もらっても良いと思いますよ。

父を亡くしたときは『寂しい』、母を亡くしたときは『つらい』、
女房を亡くしたときは『虚しい』。寂しいのもつらいのも、我慢すればなんとかなる。
虚しい時の対処のしかたはちょっと・・。何をもってすれば、虚しさを埋められるか。
まだわかってないですね。習慣だった旅先の電話は、死後一年でやめましたけれど、はがきは今も
出しています。女房あてに、はがきを書いて、ポストに出し、週末、自宅に帰った僕が受け取る。
無駄のように見えますが、はがきはやめないと思いますよ。面白いから」

加藤登紀子永六輔の反対に近い。それぞれの立場があるものだ。
ー「コンサートでも、最後の一曲を何にするかは何よりも大事なプログラム。
お葬式は人生最後のアンコールみたいなものだわね。だからちゃんとやってほしいし、
いいお葬式でしたねって言われるものにって思いはあります」

「畳の上で娘や夫に看取られたいなんて、全然思いませんね。父が急死
したとき、ボキッと折れた人生もいいなと思ったんです。
ギザギザが出ているから、残された人はほうって置けないでしょう。
どうしてもその上をつながなくちゃならないから、現実を受け止めざるをえない。
完結しすぎない父の逝きかたを見て、上手くいったわねと思いましたよ」

佐高信も彼らしい内容である。
ー「死というものを、あまり大げさに考えたくない。淡々と、日常と同じ歩幅で
歩いて死んでいきたい。野垂れ死ぬより野垂れ生きるちゅう。
死を美化するのは、非常時の思想だと思う。」

「白蓮に純白という陰あり」という、この句が好きでね。結構、白が好きなんです。
白蓮の時期だったら、棺に入れてもらいますか。
行き先は善人たちのいる天国は避けて、魯迅の『天国には行きたくない。なぜなら
聖人君子と付き合いたくないからだ』っていうのがいいね。」

 ーー
この随想日記に「私の遺言」「死について」を書いてきた。
ラストメッセージにはチト早い気がしたが、死は直視し続けると逆に生がみえてくる。
私の場合、父が亡くなった時は喪失感、母が亡くなった時は自立感であった。
ただ、寂しさは無かった。二人とも自分の中でしっかり生きていたからだ。
母は今でも月に数回夢にリアルに出てくる。
二人から学んだことは、死ぬのは生きることと同様、そう簡単なことでないことだ。
「最後の言い分」も生きている内の戯言でしかない。
でも、戯言が死んだ後のシミにもなる。  残すか残さないかはその人しだいである。

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