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2006年03月15日(水)
1807, 新書と文庫について
おっ w(゜Д゜)w ハァョ〜
「いまどきの新書」永江朗著ーを読んでいたら、新書と文庫について書いてあった。
新書が大きく変容しているのを実感していたので、その内容に注目をした。
そこで、それをベースに「新書と文庫について」纏めてみた。
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書店には新書と文庫のコーナーがあるが、新書と文庫は少し前までは、地味な存在であった。
デザインは、書店ごとに統一されていて似たようなもの。
テーマも[学術・教養もの]と呼ばれていた。
新書・文庫という形態は、岩波書店の岩波新書・文庫が始めたもの。
岩波新書は現代的教養を、岩波文庫は古典的教養を集めた。
相手は、主に学生で、学校の先生を次のターゲットにした。
ところが、最近になり新書が大変身をしてしまった。
多くの出版社が新書を作るようになり、岩波新書、中公新書、
現代新書の御三家に割ってはいってきた。
(*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
値段が安いことがうけ、古典的教養書という意味あいは薄れ、
軽いエッセイや対談や、趣味的な旅行本、写真集や、
はてはマンガ本的なものまで新書として出版されだした。
不景気や印刷技術の向上や物流の合理化を背景として、
何処でも読みやすい小型本としての手軽さが受けてきた。
またデジ・カメや印刷の高度化で安価に写真などが新書に、
掲載できるようになったこともある。
本屋も、文庫本のコーナーを拡充して、文庫本を平置きして買いやすくしている。
学生時代買った新書本が今でも自宅の書棚に多く残っている。
小型で場所をとらないので残しておけたこともある。
中公新書の加藤秀俊『整理学』、川喜多二郎の『発想法』
講談社の現代新書の立花隆『知のソフトウエア』
岩波新書の梅棹忠夫『知的生産の技術』
など、懐かしい本が2百冊位が捨てられることなく並んでいる。
かっては古典の代名詞だった文庫が、
単行本の普及版、小型版、かつ価格破壊版になってしまった、
ということだ。
ホンジャ o(▽^*)ノ~~マタ〜
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