2005年03月14日(月)
1441, 星野富弘ー詩画展 −2

先週、近くの長岡中央図書館に行ったところ星野富弘ー詩画展が
2Fで開催されていた。
3年前に新潟市に隣接している豊栄町で見ていたこともあって、
今回は見るのをパスをしたが、いま一度見ておけばよかったと後悔している。

画家から見たら、星野さんの絵に対して違う見方をするだろが、
絵からは花に対する思いと、美しさへの感動が直に伝わってくる。
花という儚い一瞬の生命の光りが、そのまま絵にこめられている。
花が自分で星野さんを通して、その姿を刻印しているようだ。

首から下が麻痺で動けない状態で、口だけで描くのだから、「念写のような」
という表現の方が正しいのかもしれない。誰もが感動するのも納得する。
反面、あまりに波動が強いこともあって、少し不自然?の感もするが、
絵は、それで良いのではないだろうか!
いかなる状況でも、人を感動させる道があるものだ。

以前、書いた文章をコピーしておきます。
ー文章に書き残していると、その時の感動、感想が残るからよい。
 絵に残すのは、もっと残るだろう。
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2002/06/28
星野富弘ー詩画展 −1

先日、新潟近郊の豊栄の公会堂で彼の詩画展に行ってきた。
数百人が来ていて,何ともいえない熱気に包まれていた。

ー彼の概略は
・私と同じ年の1946年生まれ。
 24歳のとき教師をしていたクラブ活動で、首の骨を骨折して手足の自由を失う。
・入院の2年目より口に筆をくわえて文や絵を書き始める。
・9年後の退院の年に前橋で絵画展を開く。
・その後国内やアメリカ各地で花の詩画展を開く。
・1991年に生地の群馬県勢多郡東村で村立富弘美術館を開く。
 毎年40万人が訪れるという。

彼のことを知ったのは十数年前の「到知」という雑誌である。
対談だったと思うが、その中で「傷口よりあなたの優しさが沁みこむ」
という文が忘れられない。早速詩画集を買って絵を繰り返し見た。
口で、これだけの絵を書くエネルギーに別世界を感じ取った。

今回の豊栄の「花の詩画展」で彼の絵を同じ目線で直接見て、自分が彼(星野)
そのものになって、自分の絵を見ているような気持ちになってしまった。
何か悲しい、しかし底から突き上げてくるような暖かさを感じとった。
更に動けない自分と花が一体化したような。
花も星野という一つの生き物が自分と一体になっていることを喜んでいる感覚。
見方によっては、反対に不自然な絵でもある。

これまで一人の人間に見つめられた花が過去にあっただろうか?
愛情と言葉とエネルギーに包まれ一体化して、絵として表現されたことが。
絵の世界ではあったのか知れないが。

決して幸せでない、動けない自分に対する苛立ち、諦め,怒り、そして
愛がそのまま絵と文を通して迫ってきた。
地方の女性が一生、因縁に縛られ他の世界を知ることなく終えようとしている。
そういう人にとって、その絵と文は、いま流行の癒しとなるのだろう。

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