2007年03月13日(火)
2170, 「日の名残り」ー 2   読書日記
       (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜

    最後にある丸谷才一の解説の中の、ある一節がよい。
     彼をしてこれだけの解説をさせるのだから、
    カズオ・イシグロの作家のレベルを窺い知ることができる。
 ーまずは、その解説の一節を抜粋してみるー

ヘーゲルの名文句に「従僕の眼に英雄なし」あるが、
ヘーゲルは、「それは英雄が英雄でなく従僕が従僕だからだ」と言い添える。
服を着せたら長靴をぬがせたり、身のまわりを世話してくれる卑小な男にかかると、
どんな歴史的人物も偉大なところが見えなくなる。
欠点しか目につかない、というわけだ。そういう理屈で押し切ることで、
ヘーゲルは彼の歴史哲学を構築した。そうしてたいていの歴史小説は、
英雄を従僕の眼で見る手法と、英雄崇拝的な民衆の眼で見る態度とをまざあわせる
手法で成り立っている。ー 
 ーー
 
 この文章を読むまでは「英雄の私生活はその偉業を除けば普通の人と何ら変わらない」
という解釈で、従僕の卑小な眼の限界というヘーゲルの隠された意味を初めて知った。
最近、「そうだったのか!」と、知らなかったことがあまりに多い。
良く解釈すれば、知識が増えた分だけ周辺の知らないことに気づいたということになるが。
そんなレベルには、まったくないことは自分がいちばん知っている。
     
    またいかにもイギリス的なところが書いてある一節を紹介してみよう。
    断片からみる文化も興味をひかれる。
  
    ーー私どもの世代にとりましては、執事としての職業的威信が
   雇主の人間的価値の大きさに 比例して決まってくると言って過言ではありません。
   ・・・  父の世代の執事は、世界を「はしご」に見立てていたと存じます。
   いちばん上には、王室や公爵家をはじめとする、古い家系を誇る家々があります。
   やや下がったところに、「新興階級」が位置し、サラにずーと下がってある位置を
   越えると、 あとは単純に財産の多寡で上下関係が決まります。
   多少とも野心のある執事は、このはしごをできるだけ高くまで上ろうとしましたし、
    一般的には、高く上るほど、その職業的威信も増したと言えましょう。
   もちろん、ヘイズ協会の言う「名家」の背後には、こうした価値観が隠されていたのです。
   ・・・ 私どもの世代では、この世界を「はしご」ではなく「車輪」に見立てていました。
   それは、偉大なお屋敷を中心に回転する車輪なのです。
   中心で下された決定が順次外側に放射され、いずれ、周辺で回転しているすべてに
   ー 貧にも富にもーいきわたります。職業的野心を少しでも持つ執事なら、
   誰でも車輪の中心を望み、そこへできるだけ近づきたいと願ったでしょう。
   ・・・・(中略)

ーー執事になりたての頃は、私も雇主から雇主へ頻繁に移動いたしました。
それは、最終的にダーリントン卿に巡りあう幸運に恵まれるまで、
そのときどきの地位から永続的な満足を得られなかったからにほかなりません。
召使部屋の火を囲んで「偉大さ」の何たることかを語り合った当時、
ミスター・グレーアム、私も、この問題にこのような側面があろうとは
思いもつきませんでした。ーー

    ーーーー
    この本を読んでいて、イングランドに行きたくなった。
    学生時代に行ったイングランドの印象は良くなかった。
    プライドだけ高く、昔の威光がもの悲しそうに光っている国。
    もう二度と来たくない、というイメージがあった。
     しかしその時、イギリスは数年いると深い魅力に圧倒されるとも聞いた。
    
    面白いもので、一昨年に北イタリアに同行した人から
    イングランドの旅の誘いの手紙が来た、さてどうするか。
    友人の息子がアイルランドに留学に行っているので、
    二人で夏に訪ねていこうかと、先日酒を飲んで盛り上がったが、
    どういうものか?北イタリアの人に今日明日に手紙を出さないと!
    この本を読んで感じ取ったことは、国の品格ということだろう。
    
    この礎は世界中の植民地から奪略をしてきた富から成り立っている
    ことも事実である。 突き詰めれば、どう考えるか?である。

                 ヾ(●´∀`●)  バイ!        
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