? 一度だけの人生

       ―どこに根を張るかー  〜2

P−197
私たちは子供に向かって、「大きくなったら何になるか」と聞くが、それはよくない。
「何をするか」ということを問題にすべきである。
自分の職業を選ぶかということは、つまり自分の人生で何をするかを選ぶことである。
自分は何をするかを選んでから、どういう学問をするかを選ぶべきである。
一流大学でなければいいところに就職できない、など寒々しい気持ちで進学をしてほしくない。
自分が何かをしたいと決めて、そして、あの先生を決め、そして大学を決めてほしい。
あなたの人生で何をするかということは、世間や親が決めてくれることではない。
どこまでも貴方が決めることである。

解)ここで著者は、意志、志をまず持ってから学問を目指すべきと言っている。
 学問は、その意志ー目指すべき人生を学ぶことでもあるから、一概には言えない!、
 それでも、目指すべき人生は何か?を学びたいという意志も、学問の効果になる。
 
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P−206
 *人生に意味をもて 
生きることに希望を持ってない現代人は、また人生に意味を感じられなくなっているように
思われる。意味がないから、生きることがたいくつなんだ。これほど忙しさを売物にしながら、
これほど人間が生きることに退屈している時代はなかった。
人間が人間であるゆえんは意味のない生活には耐えることができないことにあるのではないか。
耐えることができなくなると、それから逃げ出したいという欲求にかりたてられるのである。
・・・私もまたしばしば現実のさまざまな苦しみにうちひしがれることがある。
しかし、私はもはや人生に絶望しないであろう。「生きよ」と私をうながしてやまない声があるのだ。
祈りを通して、答えてくれる声である。祈るとき私はイエス・キリストの前に立つ。
祈るときキリストは私の前に立ちたまう。私は独りではない。
人生に意味を失っている友のうち、キリストが私に与えてくれるひとりの友のそばによって、
「生きよ」という力強い声を伝いたいのである。

解)「生きよ」という言葉! それは知識を持ってしまった人間に対し、
 神を信じろという言葉に等しい。
 その人によるのだろうが、やはり神しかないのだろうか?
 40年近く前の文章だが、現在の社会に対する警告が深く含まれている。

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