* またまた奇妙な状態に…
 大相撲も白鵬以外の横綱大関がガタガタ。貴乃花の置土産の
横綱大関アドバンテージ』の‘肘カチ上げ’と、‘張り差し’の専売特許が、
やり辛くなったため… それと、その瞬間の外し方を研究されてしまった。
横綱大関が負けると、稽古に託けて徹底的にモンゴル相撲の一派が、計画的に
陰に痛めつけるシステムも?万人知るところとなると、この有様である。
としても有望な若手が台頭してくると、潰しに入る。まず御嶽海が負傷。
制度疲労で弱った個所を狙われ、潰された。稽古場で、本場所で、肘、膝、踵の
攻撃個所をきめて… これでは誰も耐えることが不可能。次は間違いなく貴景勝。 
数場所内に狙われる。閉鎖社会は陰湿なのである。
 その中で、生延びて41回の優勝の白鵬は、それなりの身を守る術があったと
しても、ただ事ではない。 朝青龍が考え出した、張りて、肘カチ上げ。そして
負けた場合、稽古と称した相手へのシゴキの徹底。 それが明らかになって… 
大関も、それを真似ていた? それを観衆に気づかれ、また若手も、公然と張り
返すため、勝てなくなった。 <立合い張り手のない横綱なんて関脇、小結並み>
になってしまった。正常に戻りつつある過渡期としても、酷いありさま。
殊勲力士のインタビュールームも、これが常になると白けた空気感が漂う。
される方が、何でまた、この程度で? と言わんばかり。一時期、人気力士の
遠藤が、怪我だらけになった。幕内下位の頃から、ライバル心と、懸賞が多く
かかるため、対戦相手は目の色を変えてくる。現在でも上位に定着できない。
逆に、それがバネとなり、強くなると期待をしていたが、そうはいかない。 
今場所も、この流れが、より強くなり、白鵬以外、五分五分以下の勝敗。
鶴竜が次の引退へ向けて? …9・6大関も、8勝を目指して健闘の日々。
その意味では、元貴乃花の功罪の罪の深さもある。本来は興業でしかない
大相撲を、理事長の目が無くなった腹いせに、『相撲道の徹底』と問題を
切替えてしまった。 …で、ガチンコ(真剣勝負)をするしかなくなりゃ、
怪我人続出は当然のこと。横綱が、ときに負けるから番狂わせになる。
それが度々となると… 島国の神事は上位に花を持たせる祭りごと。
そこに、外国人の導入とは、これ如何に? 柔道がJudouに変わってしまった
ように、大相撲もOOSUMOUにするしかない! のか。
 こうなっても、その矛盾を抱えて進化するのが国際化、これはこれで、
問題を一つ一つ解決するしかない。 
 理事長・副理事長こそ、現役時代の実績と品位?を含めた第三者
人気投票で決めればよい。御茶屋などの利権が絡む得体のしれない理事会
より、遥かに選択眼が上? 当然、フェイクも出てきて大騒ぎの中で、
マスコミも大騒ぎで… どうでもいいことですか。今場所も
「休場明けの白鵬」ですか。来場所が出場し、翌場所に休み… 
何とか来年の東京オリンピックで、大横綱の土俵入り? ですか!
 そうこう見ると、貴乃花の功罪の罪の方に? それより、肉食系の力士に、
即席肉食系が勝てるわけがない。相撲の原型がモンゴル相撲を考え合わせると
尚のこと。 <談合談合、八百長八百長だよ、オッカサン!>が今日の結論!
――
追:談合といえば、長岡選出の県議、当然「何」でしょうが、これまた城下町談合?
 忖度?で有耶無耶に? ならば秘書の逮捕はなかったから… やはり?
しかし全国版ニュースになれば、あり得るが。「右手が勝手にヤッタが私は
知らぬぞんぜぬ」が罷り通るのが、この世界? 先週末から城下町世間様の世界
では… これまたドエリャイ世間話で溢れかえ? 何せ長岡商業高校出の
ドエリャイ先生様。…本人は生きた心地がしないだろうが。
 何は6対4、いや、長岡の風土からして5分5分。何故か?全国版ニュースに
なってないということは4対6ですか。淀んだ沼のこと、今さら掻き回すこともなし、
そのまま忖度し、ということで、終わり? 城下町のシンジケート社会で起きた
大ニュース。それは、それは、尾ひれはひれの世間話の材料だもの。

・・・・・・
6159,閑話小題 〜熊さん、八つぁん、珍問答、再び −4
2018年01月23日(火)
   * 節目時に…
 1,2ヶ月に一度は全くネタがなく茫然とするが、今日が、その日。
そこで、「熊さん、寅さん」に縋ることになる。
≪ 八つぁん: 相撲の話は、もういいから、トランプ大統領でも…
熊さん: こんなバカな話はないよ。白人第一主義の泡沫候補が、ロシアの
  支援を受けて当選して一年。政治的混乱は当然のことだが、酷いもんだね。
大家: 一番危惧するのは、中間選挙の前に、朝鮮戦争を仕掛けること。
  私なら、やるね。そりゃ、結果の惨状は、そりゃ酷いと思うよ。
八つぁん: 私も、同意見。あそこまで、挑発されれば、攻撃しますよ。
  ロシア疑惑隠しになるからね。しかし日韓とも、深く傷つくね。
  北も開戦になれば、一瞬で消滅するため… それは巧妙になるよ。
寅さん: 冬季オリンピックまでは、大丈夫だろうがね。その後は、いかん
  ともし難いね。沖縄で事故が頻繁に起きているが、これは開戦前の
  実戦訓練が多くなったからさ。
大家さん: あと2年数ヶ月後に、東京オリンピックと騒いでいるが。
  何だろう、これは。 世界は戦争に備えて、体制を作りかえている
  最中に。憲法改正と核ミサイル保持は当然のこと。
熊さん: 天皇陛下の退位。 タイミング的に、丁度よいね。
  そうこう考えると、今年は、日ごとに緊迫感が異様に強くなるね。
八つぁん: 太平洋戦争の終戦の半年後に生まれたため、両親の日常会話で
  「疎開」の話を聞いていたが、そう遠くない先に、現実に首都圏からの
  疎開が有得るかもしれない。
熊さん: 大家さん、八つぁんの世代は、右上がり真っ只中だったが、
  俺らの時代は、その恩恵が無かったのが悔やまれるさ。
大家: そりゃもう、面白かったさ。悪いけど…
八つぁん: 20,30歳代と、40歳半ばまでの30年近くも味わったのだから!
  その経験の行蔵は、魂に刻み込まれているし、これほどの財産はないよ。
寅さん: 行蔵は、あの世に持っていけるから羨ましいよ。こちとら、
  そんな経験は少ないよ。 …でも、ネット社会の恩恵は大きいよ。
  それと、アナログ時代と、デジタルの時代の交代期を経験できたしね。
八つぁん: 180万年前にホモ ・エレクトスが、アフリカを出てアジアや
  ヨーロッパへ出て行ったが、それ以来の人類の節目が現在とみる説がある。
  現生人類はエチオピアで出土した20万年前の化石がこれまで最古…。
  1万年前の農業革命以来の節目とも…
熊さん: あんたは、直に壮大な話になるから… 俺のレベルにしてよ。
大家: それほど、この情報化社会の到来は、大きなインパクトを与えて
  いると、言いたいんだよ。でも、AI化とか、グローバル化が進んでいる
  現状は、何かしら不気味だよ。
寅さん: 今回は、俺が〆るけど。 不気味な感覚になってきたねl

――――
5792,閑話小題 〜トランプを大統領にしたアメリカの民度
2017年01月23日(月)
   * トランプを大統領にしたアメリカの民度
 去年の『新潮45・4月号』に<トランプを大統領候補にするアメリカの民度
の、レポートがあった。 共和党本流の複雑な事情のレポートだが、それだけ
アメリカが痛んでしまった焦りがある。結果からみると、一度、アメリカを
閉じて建直す時期に来ているとも解釈可能。団塊の世代の二人の元首相が、
首相と、副首相に返りざきアベノミックスの経済成長を計っているのと比べ、
よほど健全? 日本にとって太平洋戦争以来、最大の危機。ブラックスワン
というより、ブルースワン? オバマが8年かけた社会保険制度も一瞬で消えた。
 大地震は起こってしまった。問題は、大津波の襲来。結果として、アメリ
国内の不満が、公共の場でのテロを誘発することになる。パンドラの箱は開いて
しまった。ただ、キッシンジャーが隠れブレーン?の説がある。これでフランス
の極右のルペンが政権でも取ったとしたら…
 こうなると、20、30歳代の高度成長期の恩恵を受け、充実した青・壮年期を
過ごせたことに感謝している。 このテーマを日本に置換えると、
<安倍首相をトップに頂き、今だ経済成長を妄想している日本の民度>になる。
3年後に東京オリンピック? 災害対策で東京一極の政治経済の機能を国家
一丸となって分散に集中するのが正道のはず… しかし、これが日本の民度
 そのおり、タイミング的に適切なTV番組「ザ・リアル・ボイス」があった。
≪いよいよ1月20日ドナルド・トランプが合衆国第45代大統領に就任。
 “不法移民の強制送還”“女性蔑視”など、過激な発言を繰り返してきた
トランプ氏。今でも全米各地で「反トランプ」のデモが発生しています。
アメリカ国民は、トランプに何を期待し、どう受け止めているのでしょうか?
22日(日)の「ザ・リアル・ボイス」では、「ダイナーからアメリカの本音が
聞こえる?」と題し、アメリカ国民の生の声を紹介します。訪れたのは選挙
期間中に注目を集めた、ロサンゼルス、ウェーコ、ランシング、フェニックス
の4都市の大衆食堂「ダイナー」。「なぜ今トランプなのか?」という質問に
対し、住民たちからはどんな声が出てくるのでしょうか?
取材時の様子など、番組を担当している日置一太プロデューサーに話を伺った!
 人々の本音が聞ける大衆食堂“ダイナー”
─―番組ではニュースでも報じることがない、その場所でしか聞けない本音=
“リアル・ボイス”がたくさん聞けたようですね!
そうなんです。“ダイナー”はさまざまな人が集まり、本音がもっとも聞ける
場所なんですよ。そこでアメリカ国民が思っていることを素直に聞くという、
とてもシンプルな構造の番組です。 昨年放送した「“ダイナー”からアメリ
の本音が聞こえる」に続く、アメリカ編第2弾なのですが、前回の放送後、
「現地で暮らす人の体温が伝わってくる番組だった」「何を感じて、どのように
暮しているのか──その空気感が伝わってきた」「ニュースで語られている背景
がわかり、深く理解することができた」などの反響をたくさんいただきました。
今回も、再び各地の“ダイナー”と呼ばれる大衆食堂を訪ね、「トランプ時代
にどう向き合おうとしているのか」という質問をぶつけ、本音を聞いてきました。≫
▼ 思いのほか、冷静な国民の反応で、これが本音の結果という感を受けた。
 あれだけ戦争で傷ついた割には、恩恵を受けてない長年の苛立ちの蓄積が
あればこそ。こういう反動があって然るべきと…
・・・・・・
5062,貧・病・争と宗教 ー楽しく生きる一日一話 〜?
2015年01月23日(金)
      < 本日「いいかげん」日和  一日一話 >ひろさちや(著)
   * 貧・病・争と宗教
「解決するのではなく、そのままで幸せに生きることが宗教の功徳」と、
優しい言葉で、仏教の本質をズバリついた道理。それに気づくのが老年と
いうのが、私も含めて大方?。まず幸せであること。そのまま自然であれば、
何ごとも良い方向に運ぶということ。
≪一昔前まで、新興宗教への入信の動機は、― 貧、病・争の三本柱 ―
 と言われていた。貧しい人が金儲けのために、病気の人は病気治しを求めて、
そして人間関係トラブルの解決を期待して、多くの信者が新興宗教の門をたたく
のだそうだ。しかし、信者になったら金儲けができるとか、入信すれば病気が
治るというのは、どうもインチキくさい。本物の宗教は、貧しい人は貧しい
まま、病人は病気のまま、幸福に生きる道を教えてくれるものであろう。
わたしは、宗教とはそういうものだと思っている。
 ところで、貧と病につづく第三の争であるが、仏教やキリスト教といった
本物の宗教は、この人間関係のトラブルを解決してくれるのではないか…と
いった期待が大きい。つまり、簡単に言えば、仏教のまじめな信者であれば、
嫁と姑のあいだがうまくいくと思っている人が多いが、これは誤解である。
宗教は、人間関係のトラブルを解決するためにあるのではない。
嫁と姑が対立していても、対立したままの二人が幸せに生きることが
できれば、それでいい。宗教はそのような幸せを教えてくれるものだ。≫
▼ 「貧・病・争、そのまま結構!」が、宗教の本質? どの道、これらを
 避けて通ることが出来ないのだから。逆の「富・健・和」も、現象の捉え方
でしかない。やはり宗教心は当然だが必要条件である。南無ぅ( ̄人 ̄)ちーん
即説咒曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経 ーノー)o/"Ω
・・・・・・
3955, 他人を責める「新型うつ」について
2012年01月23日(月)
  * 生存適応戦略だった「ユウウツ」
「新型うつ」についてNHKのクローズアップ現代や、新聞や、週刊誌で
何度か見て、ここでも書いてきた。ある本に、次のような記述があったが、
なかなか面白い。 まずは、その内容から・・・
【 うつ病は現代病の代表のようにいわれるが、もちろん太古の昔から存在
 していた。うつ病の歴史について詳述された、防衛医大野村総一郎教授の
著書『うつ病の真実』によると、進化生物学的には、うつ病の主症状である
「ユウウツ」はもともと、ぽ乳類以上の高等動物が、生存に適応するために
獲得した感情だという。たとえばサル社会では、ボスの座を追われたサルは、
うつ病のように元気がなくなる。このユウウツは、新ボスに反抗しないという
無意識の屈従信号であり、これにより攻撃されないという利点があると。
また一〇〇万年前の人類が、仲間同士でマンモス狩りをしていたとする。
ある人が果敢に正面からアタックしたが、簡単にマンモスにつぶされる。
その死を悲しんだ仲間たちは、ふたたびマンモス狩りをする気力もなくなるが、
あまり悲しまなかった仲間はまた同じ方法でアタックして死んでしまう。 
生き残った悲しみの人たちは、もっと安全なマンモス狩りの方法を考える…。
このように、本来は生存適応してきたユウウツが、人類の発達とともに、
かえって不利に働く場面がでてくる。たとえば、人類に言語が発達すると、
マンモス狩りの方法は行動より言葉で伝達したほうが効率的であり、
悲しみによって行動が停止してしまうデメリットのほうが大きくなる。
人間社会が複雑になると、ボスザルの世代交代のように円滑にいかなくなり、
ボスの座を追われてもウツ状態になってはいられず、巻き返しをはからざるを
得ないケースもでてくる。このようにして、遺伝子に囲い込まれユウウツに
関する内部的なルールと外部環境がかならずしも適合せず行働に無理が生じる。
野村教授それがうつ病に発症につながるかもしれないと述べる。】
  ー日本の論点2012ー他人を責める「新型うつ」片田珠美 より
▼ 「ユウウツ」は本来、ぽ乳類以上の高等動物が生存に適応するために獲得
 した感情で、適者生存のため必要な病とは、面白い見方である。人生の節目は、
大方が挫折、絶望のカタチで、表立った心の病としてウツが押し寄せてくる。
それは、本人にとって内面の切り替えどきであり、竹の分厚い節と同じで、
独りで耐えるか、病院通いになるか、自死に至るかの瀬戸際になる。
しかし断崖絶壁の危機を独り耐えないと、それまでとの切替えは不可能である。
これは、ボスの座を追われたボスザルの屈従信号のサインと同じ。
それは当事者としても、ギアの切替えになる。現在の日本が、その立場にある。
「一億二千数百総うつ病」状態である。その怒りの攻撃対象が、首相と政府に
集中するため、一年で引きずり下ろされる。その背後にいるアメリカも間接攻
撃をする。そのため、奪略対象として冷静に操作が出来る。
振り返れば節目時は鬱だった!

・・・・・・
4697,末期がん、その日のための予習を ー1 
2014年01月23日(木)
        ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
 怖しい本だが、いつ何時、「余命?ヶ月」を宣言される可能性のある年齢。
父の余命一年間の精神的、肉体的苦痛を目の当たりにしたが、この世から消え
去る恐怖と、生への渇望は、砂漠の中の彷徨い人のよう。いずれは通る道。
 その時、父に聞きかじりの哲学の『死についての一考察』を話したことは、
何度か、ここで書いてきた。
【 本人にとって死は存在しない、あるのは自分以外の死だけ。何故なら、
死んだ瞬間、自分は無くなる。その当人が考えている死は、他人の死の
イメージで、亡くなった人にとって、死んだ瞬間、その自分は、消滅している。
だから、全て死は、それぞれの当人に存在をしていない云々』と話したところ、
ハッとして急に顔が輝いたことがあった。 死は何か? 死の恐怖の克服を如何に
すべきか?何故、自分が死ななくてはならないか?等の問いは、哲学の究極的問い。 
いざ余命を告げられ、絶望に陥ってから、この類の本を探し当てるのは至難のこと。 
哲学として死について考えること、身近な人を見送った手記や、医師と末期患者
との哲学問答などの本を読むことが出来るのは、今のうち。
『死ぬための生きかた』と『生きるための死にかた』という具体例に
取上げた本を読んだことがあるが・・それは生々しい!
   まずは ーアマゾン〜内容紹介ー
《 一人の病理医師が‘期間限定’で開いた「がん哲学外来」。
 評判が評判を呼び、全国に広がった。人は「死」を前にしたとき、「生」
の意味を考え始める。ここに生きるヒントがある。日本人の2人に1人はがんで
死ぬ時代、一人の病理医師が開設した「がん哲学外来」。医療が手放した末期の
患者に対し、生きる意味、死ぬ意味などを問うこの外来が大きな評判を呼んだ。
余命を宣言されたとき、あなたは何を思うだろうか、何をしたいのだろうか… 
多くの患者が抱える悩みは、人間関係にあるという。それらを克服し、どう死ぬか
に至るための道筋がこの本にある。いま、がんで苦しむ本人はもとより、その家族
ばかりではなく、現在、健康な人へも「なぜ生きる」「死をどう迎える」という
命題をつきつける。
●人生いばらの道、にもかかわらず宴会●八方ふさがりでも天は開いている
●命より大切なものはないと思っている人ほど、悩みは深い
●死ぬという大事な仕事が残っている ●がん細胞は人間社会と同じ
●勇ましく高尚なる生涯〜死んだあとに何を残すか
●がんになっても天寿は全うできる●愛しているなら、心配するな
●「する」ことより「いる」ことがやさしさ●暇げな風貌と偉大なるお節介・・》 
 ▼ まずプロローグをまとめてみる。《「がん哲学外来」の言葉は著者が、
 初めてつくった造語。 2008年に3ヶ月にわたり、5回、特別外来を開いた。
宣伝をしたわけでないので不安だったが、何と80組の予約。 
予測を遥かに超えてしまった。患者は、不安を少しでも解消したいと思っていた。
これだけでなく、この「がん哲学」の動きは全国的に広がり、講演やシンポジウム
に呼ばれるという。2001年の学術雑誌に『がん哲学への道』というテーマで寄稿。
末期がん患者の悩みに医師や最新医療が何も答えることが出来ない。
がん医療は、患者の「心」を支える部分で不十分。著者が患者に語りかけた内容は、
それまでの患者から教わったこと。》次回から、章ごとにおって、テーマにする。
・・・・・・
5426,閑話小題 〜シネマ、『白鯨との闘い』が面白い!
2016年01月23日(土)
   * シネマ、『白鯨との闘い』が面白い!
 全然期待してなかったが、これが面白い。ネットの評論より、
【 出て来るのは白鯨でなくて、大きなマッコウクジラマッコウクジラ
 の群れの中のリーダーのような存在で、多少、寄生虫とかで皮膚が
白っぽく見える部位がある程度。原題では「白鯨」と書かれていない。
一等航海士チェイスとの対決も割と単純で、銛を一発かまし、親分クジラが
反撃してエセックス号に体当たり、呆気なく沈没するという話。世襲船長
ポラードとの確執も、特段ストーリーに影響与えず、ポラードが経験に
鍛えられてチェイス化するというだけ。むしろ、太平洋のど真ん中で救命
ボートで漂流し、いよいよカニバリズムが始まるということの方が本作の
キモ。辿り着いた孤島も「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日
に出て来る食虫島とよく似ている。カニバリズムで最終的に全員餓死するか、
食虫というメタファーにするかという話。やっぱりキリスト教世界の話で
「しょうがねえだろう」では済まされないんだ。】
▼ 特撮の進化のためか、画面の迫力があり、その世界にアッという間に
引き込まれてしまった。荒れ狂う嵐の中での船内の男たちの葛藤とか、漂流
する太平洋のど真ん中でのカニバリズムの生なましさは圧倒的。数年前にみた、
「トラと漂流した227日」に匹敵するレベルで、評価は久々の95点!お勧め。
   * 4日間乗り放題の新幹線で
 一昨日から、この時節の恒例の<4日間、JR東内、15000円で
乗り放題>の切符で、家内は妹と連日、東京へ日帰りの御のぼり。
当人は40回近い海外ツアーで鍛えられているため、「4日間ツアー」と思えば
東京通いなど軽いもの。 毎年、恒例で、往復、一日「3500円」なら仕方ない。
 このサービス期間は、新幹線の列車内と東京の名所には、女性の二人連れ
が目立つという。 腰痛でへたっている私とは気合が違う。
 今週の御在宅が一昨日だけで、スポーツジム、美容院などへ、お出かけ! 
幸せなことだ。「良いこと?が次々と起こるから幸せではなく、幸せだから、
良いことを引き込む」を、地で生きている。馬鹿な蛙(私)に抱きついて養分
を吸い取って、一生を終えるタガメに徹して一生を終えるなら、これも人生!
 『私の事業清算で、友達に肩身が狭くないか?』と聞くと、
 『ぜんぜん、私にはまったく関係ないし、そんな素振りの人は誰もいない』
私が平然としている日々が、本人にも影響しているのか。本人が全く気に
しないので、周囲も何も言わないのか? で、私の夕飯は、回転寿司の
持帰りか、コンビニのオデンを肴に、録りだめの録画の映画やドラマで、
独り満喫。「上さんリッチで わたしはプアー」 最後は、楽しんだもの勝ち?

つれづれに

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http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive


 数日前に、腰痛が出たが、直ぐにホッカイロをつけると、
数時間で治まった。 昨日のヨガで、少しきつめの腰捻りが
あったが、その後の痛みが出ることがなかった。





・・・・・・
・・・・・・

5426,閑話小題 ~シネマ、『白鯨との闘い』が面白い!
2016年01月23日(土)
   * シネマ、『白鯨との闘い』が面白い!
 全然期待してなかったが、これが面白い。ネットの評論より、
【 出て来るのは白鯨でなくて、大きなマッコウクジラマッコウクジラ
 の群れの中のリーダーのような存在で、多少、寄生虫とかで皮膚が
白っぽく見える部位がある程度。原題では「白鯨」と書かれていない。
一等航海士チェイスとの対決も割と単純で、銛を一発かまし、親分クジラが
反撃してエセックス号に体当たり、呆気なく沈没するという話。世襲船長
ポラードとの確執も、特段ストーリーに影響与えず、ポラードが経験に
鍛えられてチェイス化するというだけ。むしろ、太平洋のど真ん中で救命
ボートで漂流し、いよいよカニバリズムが始まるということの方が本作の
キモ。辿り着いた孤島も「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日
に出て来る食虫島とよく似ている。カニバリズムで最終的に全員餓死するか、
食虫というメタファーにするかという話。やっぱりキリスト教世界の話で
「しょうがねえだろう」では済まされないんだ。】
▼ 特撮の進化のためか、画面の迫力があり、その世界にアッという間に
引き込まれてしまった。荒れ狂う嵐の中での船内の男たちの葛藤とか、漂流
する太平洋のど真ん中でのカニバリズムの生なましさは圧倒的。数年前にみた、
「トラと漂流した227日」に匹敵するレベルで、評価は久々の95点!お勧め。
   * 4日間乗り放題の新幹線で
 一昨日から、この時節の恒例の<4日間、JR東内、15000円で
乗り放題>の切符で、家内は妹と連日、東京へ日帰りの御のぼり。
当人は40回近い海外ツアーで鍛えられているため、「4日間ツアー」と思えば
東京通いなど軽いもの。 毎年、恒例で、往復、一日「3500円」なら仕方ない。
 このサービス期間は、新幹線の列車内と東京の名所には、女性の二人連れ
が目立つという。 腰痛でへたっている私とは気合が違う。
 今週の御在宅が一昨日だけで、スポーツジム、美容院などへ、お出かけ! 
幸せなことだ。「良いこと?が次々と起こるから幸せではなく、幸せだから、
良いことを引き込む」を、地で生きている。馬鹿な蛙(私)に抱きついて養分
を吸い取って、一生を終えるタガメに徹して一生を終えるなら、これも人生!
 『私の事業清算で、友達に肩身が狭くないか?』と聞くと、
 『ぜんぜん、私にはまったく関係ないし、そんな素振りの人は誰もいない』
私が平然としている日々が、本人にも影響しているのか。本人が全く気に
しないので、周囲も何も言わないのか? で、私の夕飯は、回転寿司の
持帰りか、コンビニのオデンを肴に、録りだめの録画の映画やドラマで、
独り満喫。「上さんリッチで わたしはプアー」 最後は、楽しんだもの勝ち?


・・・・・・
3955, 他人を責める「新型うつ」について
2012年01月23日(月)
   * 生存適応戦略だつた「ユウウツ」
 「新型うつ」についてNHKのクローズアップ現代や、新聞や、週刊誌で何度か見て、ここでも書いてきた。
ある本に、次のような記述があったが、なかなか面白い。 まずは、その内容から・・・
【 うつ病は現代病の代表のようにいわれるが、もちろん太古の昔から存在していた。うつ病の歴史について
 詳述された、防衛医大野村総一郎教授の著書『うつ病の真実』(日本評諭社)によると、進化生物学的には、
うつ病の主症状である「ユウウツ」はもともと、ぽ乳類以上の高等動物が、生存に適応するために獲得した
感情だという。たとえばサル社会では、ボスの座を追われたサルは、うつ病のように元気がなくなる。
このユウウツは、新ボスに反抗しないという無意識の屈従信号であり、これにより攻撃されないという利点が
あると考えられる。また100万年前の人類が、仲間同士でマンモス狩りをしていたとする。ある人が果敢に正面
からアタックしたが、簡単にマンモスにつぶされる。その死を悲しんだ仲間たちは、ふたたびマンモス狩りを
する気力もなくなるが、あまり悲しまなかった仲間はまた同じ方法でアタックして死んでしまう。生き残った
悲しみの人たちは、もっと安全なマンモス狩りの方法を考える…。このように、本来は生存適応してきた
ユウウツが、人類の発達とともに、かえって不利に働く場面がでてくる。たとえば、人類に言語が発達すると、
マンモス狩りの方法は行動より言葉で伝達したほうが効率的であり、悲しみによって行動が停止してしまう
デメリットのほうが大きくなる。人間社会が複雑になると、ボスザルの世代交代のように円滑にいかなくなり、
ボスの座を追われてもウツ状態になってはいられず、巻き返しをはからざるを得ないケースもでてくる。
このようにして、遺伝子に囲い込まれユウウツに関する内部的なルールと外部環境がかならずしも適合せず、
行働に無理が生じる。野村教授それがうつ病に発症につながるかもしれないと述べる。】
                 ー日本の論点2012ー他人を責める「新型うつ」片田珠美 より
▼「ユウウツ」はもともと、ぽ乳類以上の高等動物が生存に適応するために獲得した感情で、適者生存のため
必要な病とは、面白い見方である。 人生の節目は、大方が挫折、絶望のカタチで、表立った心の病として
ウツが押し寄せてくる。それは、本人にとって内面の切り替えどきであり、竹の分厚い節と同じで、独りで
耐えるか、病院通いになるか、自死に至るかの瀬戸際になる。しかし断崖絶壁の危機を独り耐えないと、
それまでとの切り替えは不可能である。これは、ボスの座を追われたボスザルの屈従信号のサインと同じ。
それは当事者としても、ギアの切り替えにもなる。現在の日本が、その立場にある。
「一億二千数百総うつ病」状態である。その怒りの攻撃対象が、首相に集中するから、一年で引きずり
下ろされる。その背後にあるアメリカも間接攻撃対象にするため、アメリカにとって奪略対象としてシビア
に料理が出来る。
 ・・・・・・・
3590, 戦略ネット会議システム -2
2011年01月23日(日)
 K氏の話. そのメンバーの人物像が面白い。大手企業、官僚と渡り、大手銀行に応募をして入社した人物
の面接での応答に驚いた。「貴方は我社に対し何が出来るか?」に対し、「貴社が潜在的にやりたいと望んで
いたことを、掘り起こして達成しててみせます!」という。 実際にやってのけるだろうし、その新しい
実績が本人にとって、さらにキャリアになる。その本人も凄いが、探して採用する会社も、時代のなせるわざ。
ネットのY社のキャリア女性の感覚が初めて見る人種とか。東北の電鉄会社の開発の人が、線路に直接バスを
乗り入れる開発のチームを組んで・・・とか。 中国、インドなど新興国向けのネット上のセキュリティー
ソフトに絞り開発している会社とか、聞いているだけで面白い! それらの事業戦略のコア部分に、互いに
知恵を出しあえば、多くの切口から多くの事業ヒントを得ることが出来る。 秘密漏洩の問題もあるだろうが、
互いに戦略をマナイタに上げて、複数の脳で練りこみをした方が、内容はアップする。そこにはある種の
独特のアルファー波が出ているのだろう。その現場の空気を一度吸ってみたいもの。「潜在的に、やりたい
ことを掘り起こし、新たに顕在化すること」こそ、企業にしても、個人としても革新ポイントのコアになる。 
この事業戦略の互いのケース・スタディーは、その辺に焦点を合わせているはず。 ところで、
「現時点で、会社にしろ個人の、潜在的にやりたいと望んでいることは何? それを練り上げあげているのか? 
この恐慌の一番底が来年に到達しようとする中で、どうする?」 そう簡単に答えはない。考えつくし、
身を委ねるしかない。
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3225, 死もまた愉し
2010年01月23日(土)
 孤高の文士・結城昌治が死の直前に語った「死とどう向かいあったか」の言葉がよい。50代には、ハッキリ
した絶対言明があった。「60歳までに、それ以降の人生の全てを成し遂げること」であった。そして、還暦を
むかえて一人「もと、とった!」と、ほくそ笑んだ。今となって本当に良かったと思っている。ところが還暦
を過ぎてから、次の絶対言明が見つからないのである。しかし「死もまた愉し」の中の、次の言葉が、 
これからの私の指標に最適に思えたのである。
≪ 余生だから、とにかくあくせくしない。5年先、10年先まで考えて計画を立てたりすると、どうしても張り
 きりすぎる。とりあえずは1年だけ考える。あと1年と思えば、その間の人生を目いっぱい生きることができる。
1年が無事に過ぎたら、よし、もう1年生きよう、と……。新しい目標を定めてもいいし、前のつづきをやって
いい。また1年たったら、つぎの1年を考える。こうすれば、1年ごとに新鮮な人生をくり返すことができる。
これはうぬぼれをなくすコツでもあるし、人生最後の志として大事なことではないかと思うんです。 ≫
 若い時に肺結核を患い、肋骨を12本も切るという大手術をうけ、長い療養生活をおくった結城の人生は
死と隣り合わせ。 ーそのような境遇で、会得したことは、【死を大袈裟に怖がるのではなく、生きている
最後に来る愉しみと思えば、寧ろ、日々の人生がずっと気楽なものになる】ということ。
 私には、どうも無理のようだが・・、彼は毎年、誕生日ごとに遺言書を書いていた。 
内容は毎年同じで、原稿用紙。
 「通夜、葬式、告別式、無用のこと」
  結核療養所石田波郷福永武彦と出会ったことが、彼の生涯を決定付けた 
・春惜しむ いのち惜しむ 酒惜しむ         ・耀きて 驟雨に落つる 蝶見たり
・風船の まぎれむ雲も なかりけり         ・緑陰に 置かれて空の 乳母車
・降る雪や 余生といふも やすからず        ・來し方の 見わたすかぎり おぼろかな
・花あんず 母と旅せし 記憶なく          ・ぼうふらも 生きるいとなみ 死ぬなかれ
・ゆゑ知らぬ 疲れ金魚を 憎みけり         ・秋風や 逢ひたきひとは みな故人
・いわし雲 どこへゆくにも 手ぶらにて       ・夕虹や 夢はかなはぬ ままがよし
・いくたびも 死にそこなひし ゆかたかな
    ≪ 一句一句が、何とも格調高く、見にしみる ≫
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2850、チベット旅行記 -1
 2009年01月23日(金)
ある人に強く勧められて読み始めた、これ面白い。6年にもわたるチベット旅行の記録が本になっている。
内容が臨場感があり、生々しいから自分が経験しているような気持ちになってしまう。勧めてくれた人が
山の手線の東京駅を(内容に引きこまれて)三回も行ったりきたりしたというのも頷ける。
 ー要約をすると
{ 日本に伝わっていない未伝経典を知りたいという思いから、サンスクリット原典が唯一残っている
 チベット国に行くことを思い立つ。鎖国状態のチベットに、ヒマラヤを越えをして入国する大旅行。 
 唐の玄奘三蔵のインドへの旅に似ているが、河口慧海の場合は個人の意志によるもの。三蔵とは事情が違う。
 明治30年(1897)31歳の時の密入国である。当然に死を覚悟をしなければならない。抜け道の
 間道を通ってヒマラヤ山脈を逆回りのコース。 僧衣で平均高度4500mのヒマラヤを走破する。
 若い娘に結婚を迫られたり、強盗に出会いながら山中で野宿。 凍りつくような川を裸で渡ったり、雪中で
 進退きわまる時や、右に行くか左かの道を選択しようかという時は、座禅をして知恵を得る。食事は
 麦こがしをお湯とバターで練ったものを1日に一食。想像を絶した苦難を次から次へ乗り越えた末に
 チベットのラサ府に到達。そこで知遇を得、日本から持参した薬と医学知識で病人を治し、現地の人たち
 に経を唱えて糧を得る。そして大学に入る。その旅で、チベットの生活、習慣、風俗などを細かに観察、
 貴重な記録になっている。目的と動機を以下のように書いている。「私は世の冒険家にならって、探検の
 功をあげることを目的にしてはいない。 我が国未伝の経典を得たいがために出かけたのだ。したがって
 探検家の資格は私にはない。……ただ、今回の旅行では、宗教に関すること以外にも、社会学、経済学、
 歴史学、地理学、動植物分布などに関する様々なことを観察することができた。」 その観察眼の客観的
 で冷静な見方に、ただただ驚かされた。
 ▼ 河口慧海チベット旅行記」:1866年大阪堺生まれの僧侶。チベットに仏教の原典を求めるために僧籍
 を離れ、1897年に船でインドに渡り、ダージリンやムスタンでチベット語の勉強などの周到な準備を整えた末、
 1900年にヒマラヤ山脈を越えて西チベットに入る。マナサロワール湖やカイラスを巡礼した後、日本人と
 して初めてラサに入り、セラ寺に入門。漢方薬の知識を生かして人望を集め、ダライ・ラマ13世に謁見する
 までになるが、日本人であることが露見したために急遽ダージリンに脱出。 その後も中国、インド、
 ネパール、チベットを訪れ、在家仏教を起こすなど、日本のチベット学の始祖として知られる。        
              1945年、「チベット語辞典」の編纂半ばにして没。享年80歳――。  
                                          ーつづく
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2008年01月23日(水)
2485,「恐慌」が待ち構える黄昏の米国 -2     オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
今週に入ってからも、更に日本の株価は下がり続けている。当面は1万2千円辺りが底値か、それとも
更に下がり続けるのか?世界的に広がってきたのが気がかりである。余りにも悪材料が揃い過ぎている。
下手をすると、恐慌の可能性がある! 
  ー前回の「記者の目」ー毎日新聞の、つづき
ローンを担保に次の金融商品を作り、それを担保にまた商品化(証券化)と何度も繰り返されていることが
サブプライムの特徴で、どの商品が焦げ付くのかが見えにくいから始末が悪い。しかも、住宅価格が上がる
ことで借金が可能となり消費を膨らませるというアメリカ人の消費行動も狂わせた。減速どころではなく、
アメリカのリセッション(景気後退)が現実味を帯び始めている。原油高騰などからインフレ懸念を引き
ずっての景気後退となれば、なおやっかいである。1月7日、経済3団体などの賀詞交換会。「アメリカは
スクラップ・アンド・ビルドの国。うみを出し切れば、あらゆる手を打ってでも、経済を立て直してくる」。
年後半の相場反転を期待する企業トップもいたが、多くは「アメリカ・プロブレム」を気にかけていた。
 90年代以降、同時多発テロで一時揺らいだものの、世界経済を主導し、自らもその果実を満喫してきた
アメリカの黄昏。一方で、ユーロ高を導いているEU(欧州連合)、今夏、北京五輪を開催する中国、
資源外交を強めるロシア、成長力は中国以上といわれるインド、オイルマネーが勢いづく中東諸国、資源
大陸アフリカ等々、08年経済の担い手は多士済々だ。基軸通貨(ドル)の信頼感からアメリカに還流して
いた資金は今、原油に向かい、金を買い、非鉄金属などをめざしている。資源バブルである。
バイオエタノール需要を見込んで、穀物にも向かっている。どれも投機色が強いが、新興国の経済急成長
という需要増が背景にあり、世界経済の主役の座がすでに、アメリカからこうした国々に移っていること
も確か。
(字数制限のためカット 2012年1月23日)
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2007年01月23日(火)
2121, 銀行も本格的な競合状態に!     (^^)/ おはようよっ!
地元の銀行の担当の話によると、「地方銀行も本格的な競合状態に入ってしまった。都銀や大手信託銀行が、
中小企業への本格的な開拓を始めてきた上に、地銀同士がこれまでのテリトリーを越えて顧客の奪いあいを
始めた。 (字数制限のためカット 2010年1月23日)
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2006年01月23日(月)
1756, サイボーグ   (σ・з・)σオハYO!!
NHK・BSスペシャル「サイボーグ技術が人類を変える」の放映が衝撃的であった。身体の一部を機械に置き
換え、脳が機械と直接つながったサイボーグ。SFの世界の話だと思われていたサイボーグが、現実のもの
になろうとしている現状のレポートである。脳とコンピューターを直結し、考えただけで身体を動かす研究
を実用化しようとしている。 ・∀・)つ 
   (字数制限のためカット2011年1月23日) 
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2005年01月23日(日)
1391, 危ない格言           ー 読書(毒書)日記 ー
ー新書yosennsya 榎並 重行 (著)
書店で立ち読みをしていたら、鋭いとげのある格言が目についたので衝動買いをしてしまった。
私向きの本である。買って読むと棘が棘に見えなくなってくるから不思議なものだ。ー帯びに
『類を見ない猛毒に満ちた格言集!』とあるが、買ってジックリ読むとやはり毒だらけである。
それぞれの章ごとに、毒の強い文章を幾つか書き写してみる。第6章まであるので、数日の随想日記の
ネタになる。先ず本の名前を見て、帯を見て、表紙の裏の文章をみて、そして、前書きを見て、終わりを
見て、パラパラと開いて、飛ばし読みをするのが通例だが、どこを見ても毒だらけの珍しい本である。  
(字数の関係でカット2009年1月23日)              
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2004年01月23日(金)
 1024, 22歳の日記-2
何回か書いた事があるが、ゼミについて考えてみる。この時期は、武澤ゼミと寮とクラスメイトなどの
過去4年間の友人が、ほとんど全てを占めていた。特に武澤教授の影響が大きいことが、この日記か窺い
知れる。ゼミでは、まず一週間前に事例(ケース・スタディー)の用紙を渡される。その間に対処を
考えてきて、それを元に全員で徹底的に議論をする。その後、その事例研究の答えの用紙を見せられる。
我々の出した結論と、誤差について更に議論をさせる。また二班に分かれて議論した結果を持ち寄って
互いに議論もする。結果的に、知識と体験をもとになっている地言葉で議論をすることになる。教授の
意見は、要所要所以外はほとんど話さない。考える為のヒントを与えるだけで、「考えること」を促すのだ。
「考えることは如何いうことか」と、更に一歩踏み込んでいく。自分の中の知識不足を、冷静に自ら気が
つくように仕組んである。いま日記を写しながら気づいたことだが、ソクラテスの「対話法」による
真理の追究を、その中で体験させていた。素朴で深い疑問を常にもって、社会や世界を見る目を持たせる
のが目的であった。その結果、卒業まじかに多くの友人が私に集中してきた。誰もが転換期にたって、
迷っていたからだろう。また社会に出て、事業の組立てに非常に役に立った。冷静な事実の組み合わせと、
仮説の積み上げと崩しの繰り返しの中で計画の練り上げをしていくのと酷似していたからだ。ようするに
地頭で考えることに役立った。35年前の日記を読みながら、感想を書いていること自体が自分の深耕に
なっている。過去の自分と今の自分が向き合って対話しているからだ。その意味でも、この22歳の日記
の写しと公開は良かったと思っている。
 ー後記ー
このホームページ内検索で「武澤ゼミ」で出したら、ほぼ同じ内容が出てきた。 
こんなものかと呆れてしまった。以下である!
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2002/11/01  ケーススタデー  ー1
 字数の関係でカット(2008年01.23)
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2003年01月23日(木)
659, 人間-女心
ー宗親流に書いてみるー
人間の心ほど、いや自分の心ほど面白いものは無いね。単純で複雑で自分でもコントロールが不可能な
ものだね。だからノイローゼになるんだろうな。それにさ男女の下が絡んでくるからね。「女の身体の
真ん中辺にシンショぶっちゃる穴がある」という都都逸があるがね。これを即興でつくりかえると
こうなるよ。「男の身体の真ん中辺に陸釣り用の竿がある」少し品が無いね! 暇だからさ女という
生き物について書いてみるね。あれほど割り切ってみると単純で可愛い生き物はないよ。姉が4人もいて、
女の職場にいた為に鍛えられたね。この単純でかわいい存在に。要するにエゴの塊、これも生理から
きているからね。いつもある姉に言われていたね。「女なんてね、やられる振りしてやる動物なんだから
気をつけな!」ってね。女を制すれば世界を制することができるというが、性欲がそれを鈍らしてしまう
んだよ。女は知っているんだ人間をね、男と比べたら数倍もね。初めは大人しくしていて、段々図々しく
なっていく仕方。あれは戦術なのか戦略なのか?両方だろうがね。単独に彼女と接するときは真摯に
徹すること。複数を対象にした時はエテコウー猿のレベルと割り切ることだよ。泣いているときは、
一緒に泣いてやるのさ。笑っているときは、一緒に笑ってやるの。合わせ鏡に自分をしてしまうのさ。
彼女たちは、長い時間の中で知恵を持っているの。男の甘さの嗅覚を。だから真っ当に相手にしては
駄目だよ。昔からいうだろ「怒れば泣く、甘やかせればつけ上がる、殺せば化けて出る」これ本当だよ。
でもね、あつかう時はね、怒り、甘やかせ、褒め殺しにしなくてはね。理屈じゃないんだから。
でも好きだね女!  まあこんなところが大体の男の視点!   - 宗親
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2002年01月23日(水)
309,壁ー2(言葉の壁)
 決断しなくてはならないが、そこに壁があり躊躇するとき「取りあえず、決断を引き伸ばすか回避する
言葉」が「取りあえず」である。思考停止病といっていい。「とりあえず、こおしておこう」「とりあえず、
大学にいっておこう」「とりあえず、就職しておこう」「とりあえず、定年になってから考えよう」 
人生の一番大事な事を、その時々に判断をいい加減にさせ、あるいは先延ばしにさせる言葉である。
この言葉で思考停止の状態になり、決断放棄の一生を過ごしてこなかっただろうか? そして最後の最後、追
い詰められても「取りあえず、今をやり過ごそう」とする。
 (字数制限のためカット 2012年1月23日)
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1月23日 木曜日 1969年
 8時起床。登校後、産関論の授業に出席。この授業は、これが最後だった。
その後、川崎と喫茶店に行く。午後は価格理論に出席。帰寮後、合気道のOB会出席迷ったが、
結局欠席にした。18時から一時間、産関論のレポートを纏める。 21時から勉強を開始。 
夜半の2時に就寝。