* 独りの味わい
☆ 毎朝、4時前に起床し、この文章を書いたり、翌日分のテーマ探しをした後に、
 (3月末〜11月末)信濃川の二つの大橋を一周のポタリングに一時間かける。
その後、朝食をとり朝風呂に入るが、これも慣れてしまうと至福の時間になる。
独りの世界に嵌るため。それが、過去文の文章に、そのまま現れ現在の自分に
語りかけてくる。
 夕方には17時から18時半まで居間で、iPadかTVを見ながら独り晩酌をする。
この時間も朝の時間帯と同様に至福の時間。 この習慣も、8年近くになるが、
そうそう長くは続かないことが分かっていればこそ、独りの至福時間を味合う
ことが出来る。また、午前中の、合間の読書時間も孤独の最たる時間になる。 
孤独は時空を超え、作家、思想家との魂の交流が可能になる。 この4月から
続けてきた早朝の、信濃川の土手沿いの自転車散歩も、今年分は終わりつつある。
昼の晴間に隔日位に12月半ばまで何とか行く。 これは精神の毒素を吐出して
くれるため、可能な限り続けている。これから毒素4ヶ月分が蓄積する…
ヨガとか、海外ツアー、週一のシネマ通いも、毒消しになっているが、ミニ・
チャリの習慣も効果的である。そのため、「毒素にやられた病人の程度が直感
で察知できるという想いこみ」が私に確かにある。 精神の毒素も必要…。

☆ 緩やかな落ち着いた時間の中で、突然、過去の不快なフラッシュが湧き上
 ることがあること屡々。ソクラテスが、知識人と自認している人達にとって
耳の痛い人たちに、「無知の無」など、説教したため、怨まれ、非難されても、
平然としているため、知人が理由を聞くと、「ロバに嘶かれて、腹を立てる者
がいるかね」と宣ったとか。孤独の世界に住む者にとって、嘶きに対し、孤独
の壁の修正などの手入れが必要だが、耳を貸す必要など一切にないのである。 
群れ犬には、孤独、孤立ほど辛いものがないが、一匹オオカミにとって、
孤独世界こそが至福の唯我独尊の世界であるためだ。
・・・・・・

3907, ルソーの孤独
2011年12月06日(火)

 二年前の2009年12月1日の随想日記「人生に関する小題」の中で、現在の私を予感させる文章があった。
≪【 わたしは地上でたった一人になってしまった「孤独な散歩者の夢想」は、64歳のときに書き始め
2年後の死ぬ直前に終わった文章、ルソーの絶筆である。「第一の散歩」から「第七の散歩」まであり、
その後は「八、九、十」がメモのような文章が続く。
 冒頭で、「こうしてわたしは地上でたった一人になってしまった。 人なつっこい人間でありながら、
万人一致の申合せで人間仲間から追い出されてしまったのだ・・ わたしは、かれらから離れ、すべて
のものから離れたこのわたしは、いったい何者か」と問う。「自分に残されたことは、すべての世間から
放逐された自分はいったい何者なのかを探求することだけなのだ」と自覚する。】
私の周辺で倒産時の男たちの気持ちは、まさに、このようだ。 多くの取引先、部下を路頭に迷わせ、
自分の存在の卑小さと、嫌らしさに自己嫌悪を独りする。自分は何者なのか? ただ、歩くこともまま
ならぬ、折れてしまった、これ(私)!である。≫
▼ まさか、この文章を書いた二年前に、売上げ下降が直線下降を続けるとは夢にも思わなかった。
 そしてトドメが東北大震災。税理事務所の30年来の担当Jさんが、「初めは気が張っているが半年も
過ぎれば、ジワジワとボディーブローとして効いてきますよ」と忠告してくれたが、成るほど、である。 
地方の大方の会社に、この大不況が直撃していることも事実。 大津波の前兆の波が、特に敏感な立ち
位置の当方に先に直撃したが、本体の波が来るのは今年から来年にかけて。(但しG20が時間稼ぎを
して来年に先送り) どのようにシュミレーションをしても、本体の津波がやってくれば海岸線に近い
三次産業、輸出関連産業は、致命的大打撃を被る。ところが津波に一番危ない会社ほど、大津波
気づかず高台に逃げていく人を嘲笑う? ルソーの孤独感は、独り死に直面した時に誰もが経験する
ことになる。 ネット上にブログを10年間書き続け、墓としての思いを入れ続けてきたので、ルソー
の孤独感は無かった。しかし、この10年間に多くの友人知人が亡くなっている。亡くなる直前に、
ルソーのような絶望的な孤独感にさい悩されたはず。このルソーの孤独は、虚無という真っただ中に
漂う私が、壊れていく恐怖が伴う。談志も死を前に強がりを言っていたが・・・
・・・・・・
4647, 閑話小題 ー「考えないこと」こそ罪 ー2
2013年12月06日(金)
* 「考えないこと」こそ罪 ー2
 人間が考えないのは、「馬鹿の壁」に取り囲まれているからである。
 その「バカの壁とは何か?」をネット検索すると・・・
《「養老 孟司の『バカの壁』を解りやすく説明してください」の問いに対し、
「人間は、外界からの刺激を感知する際に、その刺激に対してX(エックス)
という変数をかけている。例えば私たちは、自分が大好きな歌を聞くときには、
「その歌」×「限りなく大きなX」に導かれる値を刺激として受止めています。
一方、まったく興味のない歌を聞くときは、「その歌」×「限りなく0に近いX」
から導かれる値を刺激として受け止めています。そのため、前者の刺激が非常に
大きく、その人に対して多大な影響を持つのに対し、後者の刺激は「空気」
のような存在です(レストランの有線放送が良い例)。「バカの壁」とは、
こうした「外界からの刺激に対する無意識の判別」を指す言葉だと理解します。
もし全ての刺激に「大きな変数」をかけてしまうと、その結果頭に入ってくる
刺激に対応しきれなくなるため、刺激の必要不必要を判別するこの機能は非常
に重要です。それは外界の刺激に対する「目隠し、壁」としても働いている。》
▼ バカの壁は決してマイナスだけでない。問題は、自分のそれを意識できるか
 どうか。人間である限り誰もが考えている。問題は、より広く、より深く掘り
下げて考えようとしないこと。現在、アベノミクスのミニバブルが起きつつある。
15〜6年前のデフレ直前1990年代半ばに似ている。その後に2001年の9・11テロ、
2008年のリーマンショック、そして、2011年の東北大震災が起こった。
現在の私の立ち位置の高台からは津波(恐慌)の本体が見えるが、眼下の海辺
近くの街中で、宴会で酔い遊んだり、仕事をしている人は、次の大津波
見えない。それを察知するに、自頭で考えるか、情報に対する己の勘しかない。
そこで、近い将来の犠牲者達が、高台に避難した人を不思議そうに見ている。 
笑っているのもいる。ところで、『そういうアンタ、考えているの?』と
言われると、『ウ〜ン!』になる。石原慎太郎がつくりあげた尖閣列島
国境問題。下手をすると戦争だが、今の日本には、これで良い。目先に迫った
危機が、ピンとこないようだ。「考えない」のはの罪であり、罰になる。
最初の余波で浚われた罰を受けた私が言うのだから、間違いない。
・・・・・・
5379,閑話小題 〜70歳の峠は
2015年12月06日(日)
   * 70歳の峠は、いずれも厳しい
 昨夜は、学生時代の同級会に出席してきた。6年前から毎年、欠かすことなく
上京しているが、地方にいるせいか、首都圏出身の中は、何かホッとする。
去年、一昨年辺りから、メンバーに異変がおき始めた。病と、死の問題である。
次々と、脳梗塞・脳溢血、糖尿、ガンなどで、手術や、寝たきりになったり、
亡くなったりの話ばかり。毎年、この会が終わって東京駅まで、タクシーで
同乗していた二人の一人が、去年の会の前日に倒れ、急遽、亡くなったと、
この会の幹事から一月ほど前に電話があった。『同級会の一ヵ月後の一月に、
二番の脳梗塞から危篤、その直後、心筋梗塞が併発しアッケなく亡くなった。
そして、S君がステージ4の膵臓ガンで、数ヶ月前に手術。この会には
出席出来るかどうか? 他に某君も亡くなった。そういう僕も、○○ガンで、
数日後、手術の予定だが、会には何とか出席のつもり!』と悲痛の声。
 で、この寒さで、悪化した腰痛をおして何とか、出席をしたが、幹事と、
S君は、痩せ細った身体でギリギリ、出席をしていた。そして、出席をした
16人の近況報告の多くが、病と死の瀬戸際の話が大部分。それぞれの70歳の
峠は、病の面からみて、そう甘くはない。特に欠席している脳梗塞で、半身
麻痺の二人や、まだ生々しい進行ガンの話は、冬景色そのもの。
 帰りの新幹線の時刻の都合で、中途退座をSさんと二人したが、入れ
替わりに、長男が経費を不正に着服をし逮捕された、話題の服部料理学院
の服部(染谷)さんが来たところで、直接、その経緯は聞けなかった。
 同級生の話によると、これは「ネット・テロ」で、事実が先にマスコミに
流され、手の打ちようが無かったと・・ ここにもネット社会の影がある。
 誰も、「個人のイメージを売りにしている料理学校で、何故、公表前に揉み
消す方策をしない?」と思うが。学校法人は私学補助金などを受けていること
もあり、経理監査が非常に厳しく、揉み消すなど論外!という。 
70歳の峠は、いずれも厳しい! それにしても、『魚久』の料理は美味い!
 ここのマグロの刺身と、サワラの糟漬けが、特に絶品。
・・・・・・
5014,幸福優位7つの法則 −5
2014年12月06日(土)
            【幸福優位7つの法則】ショーン・エイカー著
 * 法則4:再起力〜下降への勢いを利用して上昇に転じる
 人生で何事も思うようになることはありえない。 人は「うまくいったか」
「失敗したか」のどちらか二択で物事を捉えがちだが、ここに「第3の道」が
隠されているケースが多い。その為には、節目を自らつくり、強く打たなければ
ならない。予定挫折である。そこには、「失敗した後に学んで強くなり、最後に
上手くいく再起する力」が出てくる。心理学では「心的外傷後の成長」と呼ぶ。
多くのベンチャー投資家は、ビジネスで大失敗した人物しかマネージャーとして
雇わない。マイケル・ジョーダンは高校時には控え選手だった。
「私は何度も何度も挫折した。それがいまの成功をもたらした」と。 
第三の道は見えにくく、近視眼的に物事を見がちになるが、長期的な立ち
位置を客観的に認識する知識が必要になる。
≪ ◎ 第三のの道を見つけること
人間の脳は、勤勉な地図製作者のように、頭の中の地図をしょつちゅう訂正して
作り直している。複雑で変転するこの世界で、そうやって私たちをナビゲート
してくれている。 こういう能力は、何千年もの変化の過程を経て人の脳に
組み込まれた。人類は生存のため、環境の物理的な地図を作り、食料や
パートナーを得るための戦略を立て、それぞれの行動がどんな結果を
もたらすかをプランする必要があった。(略)・・何かを決断するときには、
このようなマッピングが頭の中で必ず行われる。このマップには「現在地」
(現状)が出発点として示され、そこからいろいろな道が放射線状に出ている。
道の数は決断の複雑さによって異なり、その瞬間の思考の明晰さによっても
違う。最良の決断ができるのは、明解でクリエイティブな思考により、可能な
道すべて把握し、それらの道がどこに続くかを正確に予想できたときである。
しかし、ストレスを受けているとき、窮地にあるときには、多くの人が一番
重要な道を見落としてしまう。それは、上方に向かう道。 危機や逆境から
延びる道は3つある。
1つは、いまいる場所をぐるぐる回る道。ネガティブなできごとは変化を
生まないため、いつのまにか出発点に戻ってきてしまう。
2つ目の道は、さらに悪い結果へつながる道。悪いことが起き後に、そこから
更に悪い状態になっていく。 こういう道があるために、人は事態に立ち
向かったり、難題に桃戦したりすることを逃れる。
3つ目に、私が「第三の道」と呼ぶ道がある。これは失敗や挫折から始まり、
人をより強くし、困難のさなかにこの道を見つけるのは易しいことではない。
経済不況でもその他の危機でも、そういうときに作られる脳の地図は
不完全なことが多いし、皮肉なことに、ポジティブで生産的な道が一番
見えにくくなっているからだ。無力感や絶望に覆われていると、そういう直が
存在することすら信じられない。 だから探そうともしない。しかしこれこそ、
ぜひとも探さぶければならない道である。そこで、「第三の道」を発見できるか
どうか、挫折に打ちのめされるか、そこから立ち上がれるかを、分けられる。
挫折を「成長の機会」ととらえられる人が、その成長を実現できる、
ということを多くの研究結果が示している。逆に、挫折を「この世の終わり」
ととらえるなら、その通りになる。 ≫
▼ 私の経験でも、節目で「第三の道」が現れ出てきた。
思いもよらないチャンスが、そこにあった。 それが運命を変えてくれた。
三年前の節目の「第三の道」とは何だろう。 足元を見直し、内省をより深く
すべきということ? 日々を味わう? 実際、自然の成り行きで、そうして
いるが・・ 今さら第三の道でもないか! 「死の淵に立ってこそ分かること、
後悔することを、今、経験しろ」ということか。 日々を楽しみ、味わって
過ごせば、第三の道を歩くことになるが。
・・・・・・
6111,閑話小題 〜「山椒魚」の悲しみ!
2017年12月06日(水)
   * 山椒魚と「わたくしめ」
 井伏鱒二の『山椒魚』を読み返し、「人生とは、それぞれが谷川の岩場に閉じ
込まれて終えるだけのことか」と、学生時代に受けた衝撃を思いだした。あれから
50年が過ぎ、齢70年を2年も過ぎた。必死に岩場から這い出て、様ざまな岩場を
彷徨ってみた。思いの外、面白かったが、中途半端な彷徨いだったことも事実。
人生の黄昏時期に改めて読み返すと、なかなか味わい深い。ネットで「山椒魚」 
「あらすじ」で検索すると、簡潔にまとめた内容があった。
≪・谷川の岩屋をねぐらにしていた山椒魚は、あるとき自分が岩屋の外に出られ
 なくなっていることに気がつく。二年の間岩屋で過ごしているうちに体が大きく
なり、頭が出入り口に「コロップの栓」のようにつかえるようになってしまった
のである。ろくに動き回ることもできない狭い岩屋のなかで山椒魚は虚勢を張るが、
外に出て行くための方途は何もない。彼は出入り口から外の谷川を眺め、メダカの
群れが先頭の動きにあわせてよろめいているのを見て嘲笑し、渦に巻き込まれて
沈んでいく白い花弁をみて「目がくらみそうだ」とつぶやく。
・ある夜、岩屋のなかに小海老がまぎれこみ、山椒魚の横っ腹にしがみつく。
山椒魚を岩石と勘違いして卵をうみつけているらしい。しきりに物思いにふけって
いるらしい小蝦の様子をみて山椒魚は、屈託したり物思いに耽ったりするやつは
莫迦だと言う。しかし山椒魚がふたたび出入り口に突進し、栓のようにはまり
込んだりといった騒ぎをはじめると、はじめは狼狽していた小蝦も失笑する。
・その後、山椒魚は外へ出ることを再度試みるが徒労に終わり、涙を流して神に
むかって窮状を訴える。彼は岩屋の外で自由に動き回っている水すましや蛙の姿
を感動の目で眺めるが、そうしたものからはむしろ目をそむけたほうがよいと
考え目蓋を閉じる。彼は自分が唯一自由にできる目蓋のなかの暗闇に没頭し、
寒いほど独りぽっちだ、と言ってすすり泣く。
・悲嘆にくれるあまり「悪党」となった山椒魚は、ある日、岩屋に飛び込んで
きた蛙を閉じ込め、外に出られないようにした。蛙は安全な窪みのなかに逃げ込ん
で虚勢を張り、二匹の生物は激しい口論を始める。二匹のどちらも外に出られず、
互いに反目しあったまま1年が過ぎ、2年が過ぎた。蛙は岩屋内の杉苔が花粉を散ら
す光景を見て思わず深い嘆息を漏らし、それを聞きとめた山椒魚はもう降りてきて
もいいと呼びかける。しかし蛙は空腹で動けず、もう死ぬばかりになっていた。
お前は今何を考えているようなのだろうか、と聞く山椒魚に対して蛙は、今でも
別にお前のことを怒ってはいないんだ、と答える。
―(注)明日どうなるかわからない無名作家だった井伏鱒二が生活を続けていた。
山椒魚」の冒頭近くには、「人々は思ひぞ屈せし場合、部屋のなかを屡々、
こんな具合に歩きまはるものである」という文があるが、「山椒魚」はこのような
作者の生活、世に出られない焦り、そして時代の閉塞からくる「思ひぞ屈した」
状況を反映しているものと考えられる。そのような「思ひぞ屈した」感情はまた
井伏の初期作品に共通するユーモアの基底をなしているものでもあるが、しかし
中村光夫は井伏と「山椒魚」を次のように述べている。<氏の「思ひぞ屈した」
憂鬱は、この醜い両棲類に代置されることで、明瞭な形を与へられ、自己を限定
され、理想化されたので、この点では氏の後の小説のどの主人公も、この一匹の
山椒魚に及ばないのです> ≫

▼ 初老性鬱症も、こんなものか? このブログにも、そのままの屈折が色濃く
 出ている。「日々、是、口実」の一つになるが、<井の中の蛙大海を知らず」+
「されど空の深さ(青さ)を知る」というが、狭い岩場にいても、空が雄大なことを
知ることができると? 人生を振返るとき、限りないエネルギーを私という器に
閉じこめら、山椒魚のように鬱屈した己を省みて涙する。また夫婦間の軋轢も、
似た(妻=蛙)ようなもの。お互いの首を縛りつけた紐を持ち合い、締付けあい、
罵声を投げあう。蛙を他者として、色いろな人を当てはめると、これまた面白い!
「誰?」「あ・な・た」 いや「めだか」に… もちろん、冗談です。
ノイローゼにも… 自殺もしたくなるわ、屈折もするわ… そこを何とか?
「にっこり笑って、ハンカチーフ」が、人生のコツ。最近は、B級グルメを食べ
ながら… が効果的と気づいた。まあ、可愛いものである。
 蛙が死んだ独り身は、それはそれは寂しい孤独と、孤立が待っている。
生臭い「死」と「生」の境目にある岩場の中の生きものの感じる孤独とは?
「呆けていなけば、やってられません」ということで… お後が宜しいようで。
――――――
2011年12月06日(火)
3907, ルソーの孤独
 2009年12月1日の随想日記「人生に関する小題」の中で、
現在の私を予感させる文章があった。
≪【 わたしは地上でたった一人になってしまった「孤独な散歩者の夢想」は、
 64歳のときに書き始め2年後の死ぬ直前に終わった文章、ルソーの絶筆である。
「第一の散歩」から「第七の散歩」まであり、その後「八、九、十」がメモの
ような文章が続く。冒頭で、「こうしてわたしは地上でたった一人になった。 
人なつっこい人間でありながら、万人一致の申合せで人間仲間から追い出されて
しまったのだ・・ わたしは、かれらから離れ、すべてのものから離れたこの
わたしは、いったい何者か」と問う。「自分に残されたことは、すべての世間から
放逐された自分はいったい何者なのかを探求することだけなのだ」と自覚する。】
私の周辺の倒産時の男たちの気持ちは、まさに、このようだ。多くの取引先、
部下を路頭に迷わせ、自分の存在の卑小さと、嫌らしさに自己嫌悪を独りする。 
自分は何者なのか? ただ、歩くこともままならぬ、折れてしまった、
これ(私)!である。≫
▼ この文章を書いたのが二年前。そこから、清算を決断するまで売上下降が続く
とは夢にも思わなかった。そしてトドメが東北大震災。税理事務所の30年来の担当
Jさんが、「初めは気が張っているが半年も過ぎれば、ジワジワとボディーブロー
として効いてきますよ!」と忠告してくれた。地方の大方の会社に、この大不況が
直撃していることも事実。大津波の前兆の波が、特に敏感な立ち位置の当方に先に
直撃したが、本体の波が来るのは今年から来年にかけて。
(但しG20が時間稼ぎをして来年に先送り)どのようにシュミレーションを
しても、本体の津波がやってくれば海岸線に近い三次産業、輸出関連産業は、
致命的大打撃を被る。ところが津波に一番危ない会社ほど、大津波に気づかず
高台に逃げていく人を嘲笑う? ルソーの孤独感は、独り死に直面した時に
誰もが経験することになる。ネット上にブログを10年間書き続け、墓としての
思いを入れ続けてきたので、ルソーの孤独感は無い。しかし、この10年間に
多くの友人知人が亡くなっている。亡くなる直前に、ルソーのような絶望的な
孤独感にさい悩されたはず。  このルソーの孤独は、虚無という真っただ中
に漂う私が、壊れていく恐怖が伴う。談志も死を前に強がりを言っていたが・・
・・・・・・
5744,閑話小題 〜同級会 ?
2016年12月06日(火)
   * 大都会の同級会
 都会の同級会の良いところは、その出自を気にしないこと。
問題は、品性である。両方とも自信がないが、青春真只中だった頃の
懇親会は魂の故郷に帰ったようで気が休まる。階段を上がるにつれ、
「恒産あって恒心あり」が鮮明になっていく。 で、・・・?
 乾杯後それぞれが数分、近況を語るが、これが面白い。数年前から病気に
倒れる人が目立ち、話題は倒れた人の闘病話や、各人の持病の話が中心。
生活圏から離れているため具体的エピソードを、平気で話せる。数年前まで
は、仕事や、家庭内の実情、趣味、旅行などが中心だったが、今は、持病や、
会社移譲と、引退などに話題が移っている。古希の風景そのもの。そこで、
去年の話題になるが、ある男の内容が実感が籠っていて、印象に残っている。
《長男の嫁が東欧出身でソリが合わない。国柄が貧しいためか、人間性まで
貧しいのが鼻につく。特にお金に対しシビアで・・ 聞くところによると、
東南アジアでも、大地の豊かなタイや、商業が盛んなマレーシアは良いが、
フィリピン、インドネシアは貧土のため良くないと聞く。どうもこうもである》
と、憤懣やるかたない様子だった。 
 そこで思い出したのが、金沢の修行時代の能登出身の上司の話。
福井県能登半島の出身は人間性が良くない。石川県の山よりと、富山は
豪雪の融け水が、作物を豊富にもたらすため、人間性が豊か。自分が能登出身
のため、つくづく実感している!』 そういえば、有名神社は、山沿いの、
海に面したところが多い。山から流れ出た水が、大地に流れ出て、作物を豊か
にして、森林の養分を含んだ水が海に流れ出て、魚を呼び込み育てる。
そこには農水産が豊かにする循環がある。
 そういえば、新潟在住の人が、佐渡者を・・? ここで止めく。
地元を嫌って県外に出ても、佐渡に戻らず、新潟市内か長岡に住むという。
それにつけても、実業を新潟に、住居を長岡に分けて良かった。 
呼吸不全で肺炎になりそう。んったく! 長い岡から湧出る水が豊富で、
人間性豊かで、穏やかで、暖かいのは良いが。淀みにボウフラの群れが・・ 
ボウフラが存在すのは、元もと水が良いから。とすると住みやすい? 娑婆!
 〜で、以下に続いていく。(去年も同じようなことを書いていただけか。)

つれづれに

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 一週間ぶりに早朝のポタリング信濃川べりを一周してきた。
昼間は隔日に行ってはいたが。この寒さの中、ほぼ誰も歩いてはいない。





・・・・・・
・・・・・・

5744,閑話小題 ~同級会 ②
2016年12月06日(火)
   * 大都会の同級会
 都会の同級会の良いところは、その出自を気にしないこと。
問題は、品性である。両方とも自信がないが、青春真只中だった頃の
懇親会は魂の故郷に帰ったようで気が休まる。階段を上がるにつれ、
「恒産あって恒心あり」が鮮明になっていく。 で、・・・?
 乾杯後それぞれが数分、近況を語るが、これが面白い。数年前から病気に
倒れる人が目立ち、話題は倒れた人の闘病話や、各人の持病の話が中心。
生活圏から離れているため具体的エピソードを、平気で話せる。数年前まで
は、仕事や、家庭内の実情、趣味、旅行などが中心だったが、今は、持病や、
会社移譲と、引退などに話題が移っている。古希の風景そのもの。そこで、
去年の話題になるが、ある男の内容が実感が籠っていて、印象に残っている。
《長男の嫁が東欧出身でソリが合わない。国柄が貧しいためか、人間性まで
貧しいのが鼻につく。特にお金に対しシビアで・・ 聞くところによると、
東南アジアでも、大地の豊かなタイや、商業が盛んなマレーシアは良いが、
フィリピン、インドネシアは貧土のため良くないと聞く。どうもこうもである》
と、憤懣やるかたない様子だった。 
 そこで思い出したのが、金沢の修行時代の能登出身の上司の話。
福井県能登半島の出身は人間性が良くない。石川県の山よりと、富山は
豪雪の融け水が、作物を豊富にもたらすため、人間性が豊か。自分が能登出身
のため、つくづく実感している!』 そういえば、有名神社は、山沿いの、
海に面したところが多い。山から流れ出た水が、大地に流れ出て、作物を豊か
にして、森林の養分を含んだ水が海に流れ出て、魚を呼び込み育てる。
そこには農水産が豊かにする循環がある。
 そういえば、新潟在住の人が、佐渡者を・・? ここで止めく。
地元を嫌って県外に出ても、佐渡に戻らず、新潟市内か長岡に住むという。
それにつけても、実業を新潟に、住居を長岡に分けて良かった。 
呼吸不全で肺炎になりそう。んったく! 長い岡から湧出る水が豊富で、
人間性豊かで、穏やかで、暖かいのは良いが。淀みにボウフラの群れが・・ 
ボウフラが存在すのは、元もと水が良いから。とすると住みやすい? 娑婆!
 ~で、以下に続いていく。(去年も同じようなことを書いていただけか。)


・・・・・・・
3542, 価値観の中心の書き換え -4
2010年12月06日(月)
  * そもそも「成功」とは何ぞや?
 ーここで、成功とは、そもそも何かという著者の論理が、言いえて妙である。まずは、その辺を・・・
【 大金持ちになりたいかと訊かれれば、ほとんどの人間が手を挙げるだろうが、だからといって、
 なにがなんでも絶対になりたいとか、人生の目標の一番に「成功」(大金持ちになること)を掲げて
生きていきたいわけではないのである。成功本を書く著者たちは、人生の最大価値を「成功」に置いて
いるようである。つまり金を儲ける「仕組み」を作ったら、あとは「こっちの水は甘いそ」とかいいながら、
左うちわで遊んで暮らすというのが理想の生活だと考えている。人間を金持ちとそれ以外に二分し、
金持ちだけが「自由人」で、それ以外は「不自由人」だ、などと幼稚なことをいって恥じるそぶりすらない。
もしめでたく「成功」したとしても、それは全のなかの一つの要素に過ぎない。ところがかれらはそれが
人生のすべてで、それがなければ人生ではない、みたいに考えているらしい。「成功」が人生の最上位に
立っているのだ。かれらにとってすべての価値判断が金を持っているかいないか、だけのように見える。
頭のなかにはつねに、いかにして金を儲けるかというだけのようだ。「自由」であるほずなのに、
「不自由」なのかもしれない。有り余るほど金があるのなら、本なんか書かないで隠遁していれば
いいのに、やほり「名」が欲しいのだろう。けれどかれらには金はあるかもしれないが、どう転んでも
「名誉」だけは手に入らない。「プライド」もない。・・・
人生で大事なことは「過程」そのもの。それが目標を実現していく過程」であろうとなかろうと、
目標が「実現」しようとしまいと「過程」がそれ自体が大事である。それらの「成功」という言葉が
馴染みにくいと思っていたら、全部アメリカ人の好きな、大げさかつ幼稚な言葉であるサクセスや
グレートやドリームの受け入れだったからではないか。】
 ーまずは、彼の批判している成功は、衰退し右肩下がりの時代背景からみた成功に対する目線。
高度成長期では大方の人からは受け入れられない見方である。現在は、多くは成功は無理。
ならば、それぞれが自分の価値を見出し、追求していくプロセスを大事にするしかない。
情報化で価値の多様化が進んでいる現在、何をするにも、それぞれのスキルが必要である。人生に
今さら成功も失敗もない?いや、ある? 人生を旅に喩えると、やはり良った旅と、良くない旅がある。
旅の準備を充分してきたか、災難を無難に乗り越えられるか、その知識は必要。成功とは良かったと
思える旅のことになる。 良かった思えば、良い旅になる。でも、良くない? 修行が足りないのでは。
 ・・・・・・・・
3167, シュリーマンの話  ー4
2009年12月06日(日)
  ー抜粋のつづき
 彼は貴族ではない。清国と日本の支配階級を対比しているのではなく、市井の人々のこまごまとした
暮らしぶりの中から、日本の庶民や下級武士、坊さん、はては花魁に至るまで、きれい好きで潔く、
親切な人々を事細かく書き残しているのである。彼は、玩具、織物、刀剣、象嵌細工、木彫り等々を見て、
日本の工芸品は蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達していると評する。教育に
ついても、「ヨーロッパの文明国以上に行き渡っている。アジアの他の国では女たちが完全な無知の中に
放置されているのに対し、日本では、男も女も皆仮名と漢字で読み書きができる」と称賛した。 彼の
ために、彼の目が日本びいきであるために曇っていたのではないかという疑いを晴らしておきたい。
 幕末当時、日本には1万5千の寺子屋があり、武士は100%、庶民男子50%、女子20%、江戸市中で70%
識字率で、当時のロンドンの識字率30%などを断然凌駕し、何百年も世界一を続けていた事を申し上げて
おきたい。彼のたどり着いた疑問は二つ。
《 一つは深奥なる体系的な宗教が存在しないこと。
 もう一つは、「ここでは君主が全てであり、労働階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、
行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地がある 》
という到達点であった。シュリーマン旅行記が今密かなブームを呼んでいるという。 失いつつある
懐かしい日本の原風景に触れることができるからであろうか。 最後に本書の訳は素晴らしい。
気品と気骨に満ちた石井和子さんという老婦人の訳である。たまたま旧知の関係だったご子息にお聞き
したところ、数年前ご逝去されたとのこと。お会いできなかったのは誠に残念である。 以上   
                             【文芸春秋 誌7月号 但木敬一著】
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 戦国時代、そして幕末・明治初期に日本を訪問した外国人の旅行者の報告書は、この旅行記とほぼ同じ。
日本人が清潔で、礼儀正しく、親切で、勇気と正義感を持ちっており、教育熱心で識字率が高く、日常の
生活用具や工芸品などの技術水準が高い。 また武士の倫理観の高さである。 日本人は中世の頃から
誇り高く、質実剛健で、教養が高く、公平な社会を築いていた。 しかし、戦後60数年のアメリカ占領
教育で、それらが多く失われてしまった。NHKが「天地人」や、「坂之上の雲」などを放送するのも、
あるべき日本人像に立ち返るべき時と、言いたいからである。
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2802, イングランド・ツアー 
2008年12月06日(土)
 *集団スリに狙われて
観光地には、必ずといってよいほどスリがいる。何度か危ない場面はあったが、隙さえ見せなければ大丈夫
と思っていた。南イングランドコッツウォルズブロードウェーの自由散策時間も終えて、バスの待って
いる駐車場に行ったところ、添乗員が少し時間があるのでトイレに行ってきてくださいとのこと。
200メートル先のトイレに一人で向かったところ、誰も居ないトイレの前に30歳過ぎの男達が三人、
私を見ている。大きな駐車場に我われのバスが一台。
 (字数制限のためカット 2010年12月6日)
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2007年12月06日(木)
2437, ファッションを哲学する          ヾ(≧∇≦*)ゝおはよんよん♪
 哲学者の鷲田精一の「ファッション」論が面白い。人は、とりわけ女性はファッションに多くの金を
つぎ込むが、その割りには「ファッションとは何か?」を哲学者も社会学者も取りあげない。鷲田は哲学
仲間から呆れられながら考察する。言葉と衣服は似ているのである。ファション衣服は何ぞや?を、
考える前に衣料とは何ぞや?を取上げる。「なぜ服を着るのか」「なぜその服でなければならないのか」
を考え、ファッションを通じて、「私」や「私の身体」について考察する。「ファッションはいつも愉しいが、
ときどき、それが涙に見えることがある。」という彼の言葉は痛烈である。そもそも人は何のために服で
体を隠すのか? 隠すべきものの実体は?等々、身体論を含めてわかりやすく説いている。
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ー彼の論を簡潔にまとめるとー
・まず人は「らしい服をまとって人は『だれか』になる」という。警官は警官の制服、そして兵隊は軍服、
 そして消防士は消防服をきて、制服の中味になっていく。 社会的なコードとして一番わかりやすい。
・ファッションは社会の生きた皮膚として端的な表現をする。 流行の服を着るということは、過去を捨て、
 未来のことも考慮に入れず、まさに現在だけを考えるということ。 流行の服を追う事というのは、
 今を生きるということでもあるし、刹那的でもある。
・身近で加速するハイブリッド現象と捉えることができる。
 Tシャツであれ、ジーンズであり、衣服は国境や、民族文化の境界をやすやすと越えて浸透していく。 
 哲学者や社会学者が異文化理解の可能性を説いている間にも、ファッションは確実に文化のハイブリッド化
 を加速する。カルチャーとサブカルチャーが世界を激しく横断する。
ー印象に残った部分を抜粋してみるー
 そういう虚ろな<像>を補強するために、われわれは他者とともに安定した<像>の様式をスタンダード
 として作りあげ、それにしたがって自己のイメージを構成したり、ときには取り繕ったり、偽装したりもする。
 それをさしてロラン・バルトは「モードは人間の意識にとってもっとも重大な主題(《わたしはだれか?》)と
 遊んでいる」と言ったのである。男性らしい服、子どもらしい服、会社員らしい服、喪の服…をまといながら、
 ひとは社会のなかで「だれか」になっていくのである。ひとが自分の身体的存在をイメージするときのその
回路を、
 衣服の社会的コードが拉致する。ちょうど、現代社会では病める自分の身体への関係が医学と医療制度に
 よって全面的に謀介されているのと同じように。 こうしてファションは、社会の生きた皮膚として、
 ある時代における社会の成員の自己同一化の構造を解読するための恰好のテクストとなるものである。
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衣料品店に生まれ、ホテルの一角でファッション学生服も含めたら20年も携わっていた。
とにかく、市場とメーカーの架け橋のシステムを如何に日々作りあげ、作り変えていくかに全てのエネルギー
をかけないと、一瞬に不良在庫の山になる。ファッションとは何かなど考えている暇は無かった。知っていた
ところで、システムつくりには関係なかった。しかし、衣服とは、そういうものである。社会的コードであり、
社会成員の自己同一化の道具でもある。劇をしようとしたら、まずは服装から始めることを考えれば解ること。 
昔から「馬子にも衣装」と言った。今だったら「馬子にもブランド」?       
 後記)偶然の一致とは!面白いものだ。後の方に貼り付けてあるが、6年前の今日に
「ブランド」というテーマで書いたあった。度々あることだが・・・  
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2006年12月06日(水)
2073, 金は人を幸せにするか?           才八∋ウ_〆(∀`●)
 お金に関しては、何度か書いてきたが・・先日の書評「金は人を幸せにするか?」は題材として面白い。
毎日新聞の『「豊かさ」の誕生…』=W・バーンスタイン著の書評で、その内容が紹介されていたが、
なかなかよい。建前でいえば、「お金で幸せが買えるかって?冗談じゃない。幸せは心の問題だろう。
  (字数の関係でカット2009年12月06日)・・
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2005年12月06日(火)
1708, 戦略ノート -1          -読書日記
 また斉藤孝である。~~匸Pヽ(・ω・`) ただし、この本は訳者としてだが。 俗にいう「夢・枝もの」。
 『夢』-目標・戦略ーを持ち、それに対して『枝』ー戦術ーと 根ー教養ーを長年かけて養えば、いつの
間にかほとんどのことは叶う、という手のものである。実際のところ、その通りだが80?の人が初めから
興味を示さず、残りの20?うちの5?の人しか、長年にわたって努力をしない。 これが人間の固定観念
なせる業だ。 この本では、成功とはなんだろうか? 富は成功の付属物にすぎない、から始まり、
  ー 成功を以下のように定義する。  φ(・ェ・o)~カキカキ
  1、自分の人生の目的を知り
  2、潜在能力を最大限に発揮するために成長し
  3、人のためになるような種をまくこと  (n´∀`)η゚・.。. .。.:*・
   ・自分の心の奥底から望むことは何か? ということを熟考して
   ・自分の後ろ盾、強みは何か? を把握
   ・何でも屋ではなく専門家になれそうすれば優先順位が明確になる
 更に 次の5つのステップで夢を見つける
   ー字数の関係でカット(2007年12月6日)ー      
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2004年12月06日(月)
1343, 雪下ろしの雷
今朝方の夜半の2時から、大きな雷が30分ほど鳴り響く。特徴は、落雷の時間の長さである。落ち始めて
から十数秒?も鳴り響いて、それが何度も続いていた。これだけ長い時間の落雷の音を聞くのは初めて。
さらに明け方になって、再び駄目押しの雷が鳴り響いた。おかげで、寝不足である。
今の時期の落雷は「雪下ろしの雷」といって、雪がまじかに降るというお知らせである。
雪も降るときには降ってもらわないとスキー場や冬物商売に差支えが出てる。新潟県は雪で年の3分の1
か4分の1は閉ざされてしまう。反面、その雪が天然のダムの役割を果たして豊かな水をもたらす。
そのため中越地震の被害を受けたところは、内福のところである。魚沼米とか、錦鯉とか、闘牛の山古志
とか、地味だが内福を絵に描いたようなところといわれている。見たと聞いたとこれだけ違う所も少ない。
贅沢をしない県民性もあるが。雪下ろしといえば、最近は温暖化のためか雪の量が年々少なくなっている。
(字数の関係でカット2011年12月06日)
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2003年12月06日(土)
976, 新婚さんいらっしゃい ! -2
この5月に、このテーマで書いたが、再び書く。人間関係の、いや人生の凝縮が結婚と親子関係である。
特に結婚は全く違った人生を生きてきたもの同士が、一つの家庭の中で生活をするのだから大問題が生じて
当然。まずは二人だけの権力闘争がはじめるのだ。そして、底知れないドブ沼が二人の間にできてくる。
その入り口に立った二人が、熱にうなされ発情している状態が面白い。‘我まま’丸出しの女が出てきて、
男を奴隷のように扱っている姿を見ていると、その男の中に自分の姿を見ているようで、我を忘れて
感情移入をしてしまう。
(字数の関係でカット2011年12月06日)
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783, 新婚さんいらっしゃい ! -1
2003年05月27日(火)
 (字数の関係でカット2008年12月06日)
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2002年12月06日(金)
602,ある時間の断片-16
 1968年 
 10月6日  日曜日
(字数の関係でカット2009年12月06日)
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2001年12月06日(木)
261,ブランド品
ブランド品の定義ー
1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。それも不釣合いのノーコーデネート。
                                  一品豪華主義の典型
2、それなりの金持ちが、社会的体裁の為に飾り立てる小道具。
3、キャリアのブスの中年女がこれ見よがしに身に付けたがる。
  -野村監督の奥様。スナックなどでも時時いる金ぴか女? ブランド痴呆女というところか!
4、自分のセンスに自信がない人の印籠代わりの小道具。
5、家具から、身に着けているも全てコーデネートして初めて意味のあるもの。
 したがって大金持ちの贅沢遊び! 収入が年間何億のレベルの人種のステータスシンボル。
  したがって一般の人が買うことは、金持ちコンプレックスの低脳を披瀝していることと同じ。
 一時凝っていた家内が突然買うのを止めた。その意味が解ったのだろう。
 アジアの黄色人種が身に付ければ、エテコウのお笑い! それが旅行を重ねているうちに気づいたようだ。
 飛行場とか、ツアーで連れて行くショップのブランド物は2~3年か それ以前の「投げ捨て商品」。 
 その筋のシンジケートから「売価の一~二割の原価」のしろもの。ハワイの飛行場で確か売上の6割か
 7割の家賃を取っていることで、それが公になった。 その事は20年以上前から、知っていた。 
 大手の旅行代理店がそれを熟知、それで一時は荒稼ぎをしていた。 黄色のエテが群がっている姿は、
 西欧人の軽蔑の対象だった。
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12月6日 1968年
 朝7時半目覚まし時計がなる。しかし起きることが出来なかった。やっと10時過ぎに起きた。
タクシーで学校へ。11時20分にやっとのことで、食事をしてゼミの「工場見学」に、時間ギリギリ
間にあう。新宿から京王線で府中へいく。NECの工場だ。事業所長の説明後、工場の見学だ。アカデミック
な感じがした。雰囲気が知的で、コンピュータが部屋せましと並んでいた。 16時から、工場所長と
人事部長補佐など数名と労務管理について話し合う。積極的に話したのは、石川・田島・植本君の三人。 
それに質問者の横井さん以外誰も無口であった。18時から腹がすいて苦しかったが、19時に天丼がでる。 
19時半に終了。その後マイクロバスで府中へ。解散後、田島と河村と三人で井の頭公園へ行く。それから
荻窪へ行って、喫茶店で話をする。田島がよく話す。彼は先まで一緒だったゼミの石川に腹を立てていた。
彼が10月頃から大きく変わったと言った。彼は「寂しい、ずるい、ゆわい人間だ」と指摘していた。
私が感じていることを、そのまま言葉にして田島が言った。 ゼミの個性派同士の対立というべきだ。
大人しい河村も石川を否定したということは、彼はやはり異常と言ってよいのだろう。人間性が崩れている
というのが共通項であった。自分で墓穴を掘ったのか、それとも自己の創造性を見出したのかは判断できない。
何か話していて、その姿が自分の姿でもあることに気がつく。