つれづれに

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 一週間ぶりに早朝のポタリング信濃川べりを一周してきた。
昼間は隔日に行ってはいたが。この寒さの中、ほぼ誰も歩いてはいない。





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5744,閑話小題 ~同級会 ②
2016年12月06日(火)
   * 大都会の同級会
 都会の同級会の良いところは、その出自を気にしないこと。
問題は、品性である。両方とも自信がないが、青春真只中だった頃の
懇親会は魂の故郷に帰ったようで気が休まる。階段を上がるにつれ、
「恒産あって恒心あり」が鮮明になっていく。 で、・・・?
 乾杯後それぞれが数分、近況を語るが、これが面白い。数年前から病気に
倒れる人が目立ち、話題は倒れた人の闘病話や、各人の持病の話が中心。
生活圏から離れているため具体的エピソードを、平気で話せる。数年前まで
は、仕事や、家庭内の実情、趣味、旅行などが中心だったが、今は、持病や、
会社移譲と、引退などに話題が移っている。古希の風景そのもの。そこで、
去年の話題になるが、ある男の内容が実感が籠っていて、印象に残っている。
《長男の嫁が東欧出身でソリが合わない。国柄が貧しいためか、人間性まで
貧しいのが鼻につく。特にお金に対しシビアで・・ 聞くところによると、
東南アジアでも、大地の豊かなタイや、商業が盛んなマレーシアは良いが、
フィリピン、インドネシアは貧土のため良くないと聞く。どうもこうもである》
と、憤懣やるかたない様子だった。 
 そこで思い出したのが、金沢の修行時代の能登出身の上司の話。
福井県能登半島の出身は人間性が良くない。石川県の山よりと、富山は
豪雪の融け水が、作物を豊富にもたらすため、人間性が豊か。自分が能登出身
のため、つくづく実感している!』 そういえば、有名神社は、山沿いの、
海に面したところが多い。山から流れ出た水が、大地に流れ出て、作物を豊か
にして、森林の養分を含んだ水が海に流れ出て、魚を呼び込み育てる。
そこには農水産が豊かにする循環がある。
 そういえば、新潟在住の人が、佐渡者を・・? ここで止めく。
地元を嫌って県外に出ても、佐渡に戻らず、新潟市内か長岡に住むという。
それにつけても、実業を新潟に、住居を長岡に分けて良かった。 
呼吸不全で肺炎になりそう。んったく! 長い岡から湧出る水が豊富で、
人間性豊かで、穏やかで、暖かいのは良いが。淀みにボウフラの群れが・・ 
ボウフラが存在すのは、元もと水が良いから。とすると住みやすい? 娑婆!
 ~で、以下に続いていく。(去年も同じようなことを書いていただけか。)


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3542, 価値観の中心の書き換え -4
2010年12月06日(月)
  * そもそも「成功」とは何ぞや?
 ーここで、成功とは、そもそも何かという著者の論理が、言いえて妙である。まずは、その辺を・・・
【 大金持ちになりたいかと訊かれれば、ほとんどの人間が手を挙げるだろうが、だからといって、
 なにがなんでも絶対になりたいとか、人生の目標の一番に「成功」(大金持ちになること)を掲げて
生きていきたいわけではないのである。成功本を書く著者たちは、人生の最大価値を「成功」に置いて
いるようである。つまり金を儲ける「仕組み」を作ったら、あとは「こっちの水は甘いそ」とかいいながら、
左うちわで遊んで暮らすというのが理想の生活だと考えている。人間を金持ちとそれ以外に二分し、
金持ちだけが「自由人」で、それ以外は「不自由人」だ、などと幼稚なことをいって恥じるそぶりすらない。
もしめでたく「成功」したとしても、それは全のなかの一つの要素に過ぎない。ところがかれらはそれが
人生のすべてで、それがなければ人生ではない、みたいに考えているらしい。「成功」が人生の最上位に
立っているのだ。かれらにとってすべての価値判断が金を持っているかいないか、だけのように見える。
頭のなかにはつねに、いかにして金を儲けるかというだけのようだ。「自由」であるほずなのに、
「不自由」なのかもしれない。有り余るほど金があるのなら、本なんか書かないで隠遁していれば
いいのに、やほり「名」が欲しいのだろう。けれどかれらには金はあるかもしれないが、どう転んでも
「名誉」だけは手に入らない。「プライド」もない。・・・
人生で大事なことは「過程」そのもの。それが目標を実現していく過程」であろうとなかろうと、
目標が「実現」しようとしまいと「過程」がそれ自体が大事である。それらの「成功」という言葉が
馴染みにくいと思っていたら、全部アメリカ人の好きな、大げさかつ幼稚な言葉であるサクセスや
グレートやドリームの受け入れだったからではないか。】
 ーまずは、彼の批判している成功は、衰退し右肩下がりの時代背景からみた成功に対する目線。
高度成長期では大方の人からは受け入れられない見方である。現在は、多くは成功は無理。
ならば、それぞれが自分の価値を見出し、追求していくプロセスを大事にするしかない。
情報化で価値の多様化が進んでいる現在、何をするにも、それぞれのスキルが必要である。人生に
今さら成功も失敗もない?いや、ある? 人生を旅に喩えると、やはり良った旅と、良くない旅がある。
旅の準備を充分してきたか、災難を無難に乗り越えられるか、その知識は必要。成功とは良かったと
思える旅のことになる。 良かった思えば、良い旅になる。でも、良くない? 修行が足りないのでは。
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3167, シュリーマンの話  ー4
2009年12月06日(日)
  ー抜粋のつづき
 彼は貴族ではない。清国と日本の支配階級を対比しているのではなく、市井の人々のこまごまとした
暮らしぶりの中から、日本の庶民や下級武士、坊さん、はては花魁に至るまで、きれい好きで潔く、
親切な人々を事細かく書き残しているのである。彼は、玩具、織物、刀剣、象嵌細工、木彫り等々を見て、
日本の工芸品は蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達していると評する。教育に
ついても、「ヨーロッパの文明国以上に行き渡っている。アジアの他の国では女たちが完全な無知の中に
放置されているのに対し、日本では、男も女も皆仮名と漢字で読み書きができる」と称賛した。 彼の
ために、彼の目が日本びいきであるために曇っていたのではないかという疑いを晴らしておきたい。
 幕末当時、日本には1万5千の寺子屋があり、武士は100%、庶民男子50%、女子20%、江戸市中で70%
識字率で、当時のロンドンの識字率30%などを断然凌駕し、何百年も世界一を続けていた事を申し上げて
おきたい。彼のたどり着いた疑問は二つ。
《 一つは深奥なる体系的な宗教が存在しないこと。
 もう一つは、「ここでは君主が全てであり、労働階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、
行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地がある 》
という到達点であった。シュリーマン旅行記が今密かなブームを呼んでいるという。 失いつつある
懐かしい日本の原風景に触れることができるからであろうか。 最後に本書の訳は素晴らしい。
気品と気骨に満ちた石井和子さんという老婦人の訳である。たまたま旧知の関係だったご子息にお聞き
したところ、数年前ご逝去されたとのこと。お会いできなかったのは誠に残念である。 以上   
                             【文芸春秋 誌7月号 但木敬一著】
 ~~
 戦国時代、そして幕末・明治初期に日本を訪問した外国人の旅行者の報告書は、この旅行記とほぼ同じ。
日本人が清潔で、礼儀正しく、親切で、勇気と正義感を持ちっており、教育熱心で識字率が高く、日常の
生活用具や工芸品などの技術水準が高い。 また武士の倫理観の高さである。 日本人は中世の頃から
誇り高く、質実剛健で、教養が高く、公平な社会を築いていた。 しかし、戦後60数年のアメリカ占領
教育で、それらが多く失われてしまった。NHKが「天地人」や、「坂之上の雲」などを放送するのも、
あるべき日本人像に立ち返るべき時と、言いたいからである。
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2802, イングランド・ツアー 
2008年12月06日(土)
 *集団スリに狙われて
観光地には、必ずといってよいほどスリがいる。何度か危ない場面はあったが、隙さえ見せなければ大丈夫
と思っていた。南イングランドコッツウォルズブロードウェーの自由散策時間も終えて、バスの待って
いる駐車場に行ったところ、添乗員が少し時間があるのでトイレに行ってきてくださいとのこと。
200メートル先のトイレに一人で向かったところ、誰も居ないトイレの前に30歳過ぎの男達が三人、
私を見ている。大きな駐車場に我われのバスが一台。
 (字数制限のためカット 2010年12月6日)
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2007年12月06日(木)
2437, ファッションを哲学する          ヾ(≧∇≦*)ゝおはよんよん♪
 哲学者の鷲田精一の「ファッション」論が面白い。人は、とりわけ女性はファッションに多くの金を
つぎ込むが、その割りには「ファッションとは何か?」を哲学者も社会学者も取りあげない。鷲田は哲学
仲間から呆れられながら考察する。言葉と衣服は似ているのである。ファション衣服は何ぞや?を、
考える前に衣料とは何ぞや?を取上げる。「なぜ服を着るのか」「なぜその服でなければならないのか」
を考え、ファッションを通じて、「私」や「私の身体」について考察する。「ファッションはいつも愉しいが、
ときどき、それが涙に見えることがある。」という彼の言葉は痛烈である。そもそも人は何のために服で
体を隠すのか? 隠すべきものの実体は?等々、身体論を含めてわかりやすく説いている。
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ー彼の論を簡潔にまとめるとー
・まず人は「らしい服をまとって人は『だれか』になる」という。警官は警官の制服、そして兵隊は軍服、
 そして消防士は消防服をきて、制服の中味になっていく。 社会的なコードとして一番わかりやすい。
・ファッションは社会の生きた皮膚として端的な表現をする。 流行の服を着るということは、過去を捨て、
 未来のことも考慮に入れず、まさに現在だけを考えるということ。 流行の服を追う事というのは、
 今を生きるということでもあるし、刹那的でもある。
・身近で加速するハイブリッド現象と捉えることができる。
 Tシャツであれ、ジーンズであり、衣服は国境や、民族文化の境界をやすやすと越えて浸透していく。 
 哲学者や社会学者が異文化理解の可能性を説いている間にも、ファッションは確実に文化のハイブリッド化
 を加速する。カルチャーとサブカルチャーが世界を激しく横断する。
ー印象に残った部分を抜粋してみるー
 そういう虚ろな<像>を補強するために、われわれは他者とともに安定した<像>の様式をスタンダード
 として作りあげ、それにしたがって自己のイメージを構成したり、ときには取り繕ったり、偽装したりもする。
 それをさしてロラン・バルトは「モードは人間の意識にとってもっとも重大な主題(《わたしはだれか?》)と
 遊んでいる」と言ったのである。男性らしい服、子どもらしい服、会社員らしい服、喪の服…をまといながら、
 ひとは社会のなかで「だれか」になっていくのである。ひとが自分の身体的存在をイメージするときのその
回路を、
 衣服の社会的コードが拉致する。ちょうど、現代社会では病める自分の身体への関係が医学と医療制度に
 よって全面的に謀介されているのと同じように。 こうしてファションは、社会の生きた皮膚として、
 ある時代における社会の成員の自己同一化の構造を解読するための恰好のテクストとなるものである。
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衣料品店に生まれ、ホテルの一角でファッション学生服も含めたら20年も携わっていた。
とにかく、市場とメーカーの架け橋のシステムを如何に日々作りあげ、作り変えていくかに全てのエネルギー
をかけないと、一瞬に不良在庫の山になる。ファッションとは何かなど考えている暇は無かった。知っていた
ところで、システムつくりには関係なかった。しかし、衣服とは、そういうものである。社会的コードであり、
社会成員の自己同一化の道具でもある。劇をしようとしたら、まずは服装から始めることを考えれば解ること。 
昔から「馬子にも衣装」と言った。今だったら「馬子にもブランド」?       
 後記)偶然の一致とは!面白いものだ。後の方に貼り付けてあるが、6年前の今日に
「ブランド」というテーマで書いたあった。度々あることだが・・・  
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2006年12月06日(水)
2073, 金は人を幸せにするか?           才八∋ウ_〆(∀`●)
 お金に関しては、何度か書いてきたが・・先日の書評「金は人を幸せにするか?」は題材として面白い。
毎日新聞の『「豊かさ」の誕生…』=W・バーンスタイン著の書評で、その内容が紹介されていたが、
なかなかよい。建前でいえば、「お金で幸せが買えるかって?冗談じゃない。幸せは心の問題だろう。
  (字数の関係でカット2009年12月06日)・・
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2005年12月06日(火)
1708, 戦略ノート -1          -読書日記
 また斉藤孝である。~~匸Pヽ(・ω・`) ただし、この本は訳者としてだが。 俗にいう「夢・枝もの」。
 『夢』-目標・戦略ーを持ち、それに対して『枝』ー戦術ーと 根ー教養ーを長年かけて養えば、いつの
間にかほとんどのことは叶う、という手のものである。実際のところ、その通りだが80?の人が初めから
興味を示さず、残りの20?うちの5?の人しか、長年にわたって努力をしない。 これが人間の固定観念
なせる業だ。 この本では、成功とはなんだろうか? 富は成功の付属物にすぎない、から始まり、
  ー 成功を以下のように定義する。  φ(・ェ・o)~カキカキ
  1、自分の人生の目的を知り
  2、潜在能力を最大限に発揮するために成長し
  3、人のためになるような種をまくこと  (n´∀`)η゚・.。. .。.:*・
   ・自分の心の奥底から望むことは何か? ということを熟考して
   ・自分の後ろ盾、強みは何か? を把握
   ・何でも屋ではなく専門家になれそうすれば優先順位が明確になる
 更に 次の5つのステップで夢を見つける
   ー字数の関係でカット(2007年12月6日)ー      
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2004年12月06日(月)
1343, 雪下ろしの雷
今朝方の夜半の2時から、大きな雷が30分ほど鳴り響く。特徴は、落雷の時間の長さである。落ち始めて
から十数秒?も鳴り響いて、それが何度も続いていた。これだけ長い時間の落雷の音を聞くのは初めて。
さらに明け方になって、再び駄目押しの雷が鳴り響いた。おかげで、寝不足である。
今の時期の落雷は「雪下ろしの雷」といって、雪がまじかに降るというお知らせである。
雪も降るときには降ってもらわないとスキー場や冬物商売に差支えが出てる。新潟県は雪で年の3分の1
か4分の1は閉ざされてしまう。反面、その雪が天然のダムの役割を果たして豊かな水をもたらす。
そのため中越地震の被害を受けたところは、内福のところである。魚沼米とか、錦鯉とか、闘牛の山古志
とか、地味だが内福を絵に描いたようなところといわれている。見たと聞いたとこれだけ違う所も少ない。
贅沢をしない県民性もあるが。雪下ろしといえば、最近は温暖化のためか雪の量が年々少なくなっている。
(字数の関係でカット2011年12月06日)
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2003年12月06日(土)
976, 新婚さんいらっしゃい ! -2
この5月に、このテーマで書いたが、再び書く。人間関係の、いや人生の凝縮が結婚と親子関係である。
特に結婚は全く違った人生を生きてきたもの同士が、一つの家庭の中で生活をするのだから大問題が生じて
当然。まずは二人だけの権力闘争がはじめるのだ。そして、底知れないドブ沼が二人の間にできてくる。
その入り口に立った二人が、熱にうなされ発情している状態が面白い。‘我まま’丸出しの女が出てきて、
男を奴隷のように扱っている姿を見ていると、その男の中に自分の姿を見ているようで、我を忘れて
感情移入をしてしまう。
(字数の関係でカット2011年12月06日)
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783, 新婚さんいらっしゃい ! -1
2003年05月27日(火)
 (字数の関係でカット2008年12月06日)
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2002年12月06日(金)
602,ある時間の断片-16
 1968年 
 10月6日  日曜日
(字数の関係でカット2009年12月06日)
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2001年12月06日(木)
261,ブランド品
ブランド品の定義ー
1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。それも不釣合いのノーコーデネート。
                                  一品豪華主義の典型
2、それなりの金持ちが、社会的体裁の為に飾り立てる小道具。
3、キャリアのブスの中年女がこれ見よがしに身に付けたがる。
  -野村監督の奥様。スナックなどでも時時いる金ぴか女? ブランド痴呆女というところか!
4、自分のセンスに自信がない人の印籠代わりの小道具。
5、家具から、身に着けているも全てコーデネートして初めて意味のあるもの。
 したがって大金持ちの贅沢遊び! 収入が年間何億のレベルの人種のステータスシンボル。
  したがって一般の人が買うことは、金持ちコンプレックスの低脳を披瀝していることと同じ。
 一時凝っていた家内が突然買うのを止めた。その意味が解ったのだろう。
 アジアの黄色人種が身に付ければ、エテコウのお笑い! それが旅行を重ねているうちに気づいたようだ。
 飛行場とか、ツアーで連れて行くショップのブランド物は2~3年か それ以前の「投げ捨て商品」。 
 その筋のシンジケートから「売価の一~二割の原価」のしろもの。ハワイの飛行場で確か売上の6割か
 7割の家賃を取っていることで、それが公になった。 その事は20年以上前から、知っていた。 
 大手の旅行代理店がそれを熟知、それで一時は荒稼ぎをしていた。 黄色のエテが群がっている姿は、
 西欧人の軽蔑の対象だった。
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12月6日 1968年
 朝7時半目覚まし時計がなる。しかし起きることが出来なかった。やっと10時過ぎに起きた。
タクシーで学校へ。11時20分にやっとのことで、食事をしてゼミの「工場見学」に、時間ギリギリ
間にあう。新宿から京王線で府中へいく。NECの工場だ。事業所長の説明後、工場の見学だ。アカデミック
な感じがした。雰囲気が知的で、コンピュータが部屋せましと並んでいた。 16時から、工場所長と
人事部長補佐など数名と労務管理について話し合う。積極的に話したのは、石川・田島・植本君の三人。 
それに質問者の横井さん以外誰も無口であった。18時から腹がすいて苦しかったが、19時に天丼がでる。 
19時半に終了。その後マイクロバスで府中へ。解散後、田島と河村と三人で井の頭公園へ行く。それから
荻窪へ行って、喫茶店で話をする。田島がよく話す。彼は先まで一緒だったゼミの石川に腹を立てていた。
彼が10月頃から大きく変わったと言った。彼は「寂しい、ずるい、ゆわい人間だ」と指摘していた。
私が感じていることを、そのまま言葉にして田島が言った。 ゼミの個性派同士の対立というべきだ。
大人しい河村も石川を否定したということは、彼はやはり異常と言ってよいのだろう。人間性が崩れている
というのが共通項であった。自分で墓穴を掘ったのか、それとも自己の創造性を見出したのかは判断できない。
何か話していて、その姿が自分の姿でもあることに気がつく。