* 言われてみれば、そのとおり!
人には「公正世界仮説」という認知傾向があるという。ネットサーフィンで、
出あった仮説だが、御隠居になった現在、この仮説そのままを前提に生きて
きた自分の愚かさを自問自答させられる内容である。世の中は、決して
『自由、平等、博愛』ではない。不自由で、不公平で、憎しみが満ちている。
間違いなく、<3,30,67%法則>の社会層で出来ている。その層の中でも、
さらに細かく分けられている。その間の相克は、それはそれは、激しい!
 都会の孤独とは、それが圧縮して露呈された中で、ポツンと置かれるため、
世の無常を敏感に感じ取る寂寞観が重なる。その前提に、この「公正世界仮説
がある。それがあるから恨み、妬みが発生する。それが露呈しているのが、
インド社会であり、中国共産社会の実態。こういう視点も、この仮説が言わ
せるもの。 〜先ずは、その内容から〜 
 ――
≪ 公正世界仮説とは「世の中は公平にできている」と考えたがる人々の傾向
(バイアス)のことで、社会心理学の分野でメルビン・ラーナーが最初に言及
したとされている。<一般に人間は「世界が予測可能、理解可能であり、
したがって自分の力でコントロールできると考えたがる」と…。>

つまり人は「世界が公平で、コントロール可能で予測可能であって欲しい」
という願望のようなものを持っている事を意味します。
予測可能な世界観は、ルールに従った者は利益を得られ、悪は罰せられるような
世界観。多くの人は「良い行いをすれば報われ、悪い行いをすれば罰が当たる」
と思い込んでいます。私たちも子供の頃からそう教育されてきます。しかし、
この世界の捉え方は時として認知のゆがみをもたらすと…。

私たちは成功者や富や権力を手にした人を見るだけで、
「その人はその富を享受するのにふさわしい行動を何かしたのだ」と考える。
その人があまり社会的に認められないやり方で成功したとしても、無条件に
何かしら人として優れ、尊敬に似た感情を抱いてしまいます。

逆に、不遇な境遇に置かれている人に対しては「ああいう目にあっているから
には何か原因があるはずだ」と推論してしまいます。これは被害者批判、過度な
自己責任論につながり、例えば夜に出歩いて襲われた女性に対して、
「夜中に出歩く女性のほうが悪い」などと、本来攻めるべき加害者では無く
被害者のほうに批判が向いてしまいます。

高身長のイケメンや美女は周囲から仕事が出来るように思われやすい傾向も、
良い特徴を持った人は他の部分でも能力があるというハロー効果のような
認知傾向を私たちは抱いています。
「世界は公正で、何らかのルールで回っている」と認知したい傾向は、人がより
良く生きていくのに必要だと言えます。真面目にコツコツ生きている人は、法律
に隠れて悪いことした人に天罰が当たることを期待しますし、悪人が罰を受ける
こと無くのさばる世界など認めたくないでしょう。
努力や良いことをした分だけ報酬や報いを期待してしまったり、何か悪いことを
した人には罰が当たるに違いない、と思い込むのはごく自然なことだと言えます。≫


▼ トランプ大統領をみると、誰も「公正世界仮説」を信じないが、アメリカの
 67%の層の殆どが、アメリカンドリームを信じ、この仮説の上で生きている。
悪いのは、あくまで、やり方が悪い、チャンスに恵まれないからと… 
会社整理で、面白かったのは、「失敗した全責任は、御前にある!」という見方。
全責任などあろう訳がない。たまたま、歴史的断層のバブル崩壊、9・11、中越地震
中越沖地震リーマンショック、3・11地震に出会ってしまった。万一の対処は、
事業設計に組込んでいたため、骨折?で済んだ… が、そこで見えたのが、この
公正世界仮説」。それを前提に、それまで私も生きてきた。そして、それを機会に、
この論を信じて生きている世界(社会)の実態を知る。 社会は、この幻想で成立
しているのである。何を今さらだが… アメリカの属国の日本。 頑張ってね…

・・・・・・
5721,閑話小題 〜アメリカ大統領選挙 〜?
2016年11月13日(日)
   * メガトンクラスの衝撃に、驚愕!
 この選挙結果を総括していうと、こういうことになる。
< 泡沫候補の戯言に乗って、アメリカがグローバル化政策から、内向きへの
 大転換の道を選んでしまった。世界中のエコノミストも、政治家も、この驚愕
の選択に、今だに信じられない思い。とりわけ、日本にとって、最大級の衝撃。
これがメガトン級の地震なら、問題は、これから押し寄せてくる大津波である。
 明治維新も、太平洋戦争と敗戦も、1985年のプラザ合意による意図的な
日本経済のバブル化と崩壊による日本経済の弱体化も、アメリカのアジア支配の
一環としての力学の結果。 それが一人の泡沫の実業家の戦法、
グローバル化の恩恵を受けなかった下層白人に的を絞ったアン・グロ政策」
に賛同し、得体のしれない野心家に絶大な権力を与えてしまった。
 受けを狙って、まずは、日本に矛先を向けてくるのは必至。日本の改憲派
とって、非常にプラスになるが、その前に、近くの強盗に、家中の現金、資産を、
ごっそり持っていかれる。明治維新以来の、あるべき真の独立が、嫌が応にも、
突きつけられる。「前門の虎、後門の狼」の虎を中国に例えれば、後門の狼が
アメリカになる。今までは、後門の狼に尻尾さえふれば、前門の虎は、後門の
狼を怖れて襲ってこなかったが、これからは、違ってくる。後門の狼も、牙を
剥いて、襲いくる可能性も出てきた。
 2045年が技術的特異点になるというなら、今回のアメリカの選挙結果は、
欧米にとって、日本にとっても、『特異点』になるのでは? その中、日本は
東京オリンピックの乱痴気騒ぎが、始まっている。 江戸末期の、
「ええじゃないか、ええじゃないか!」の狂乱が、東京オリンピックそのもの。
「それも、ええじゃないか」で、目先、行くしかないとしても・・・
「まさか」の坂が次々と現れ出てきたが、2045年問題を含めて、これが21世紀。
・・・・・・
4259, しまった!  ー8
2012年11月13日(火)  ーしまった! 「失敗の心理」を科学する
                 ージョゼフ・T・ハリナン(著)     
   * 人は、聞いた話を自分なりに綺麗に改変する  
≪学生の被験者に、ある物語を聞かせ、後で、その物語を語らせると、大きく
 歪曲する事実があった。問題は、その話の程度が予想を遥かに超えていたこと。 
全談話の61%に情報の追加、省略、誇張、最小化をおこなっていた。
それを学生の42%しか、認めてなかった。それは学生が偽りだったとは思って
なかったことを示している。・・そのうえ、学生は話を聞き手の好みに合わせた
だけでなく、更に重要なことは自分の目的に合わせていた。特に面白い話の場合、
大幅に誇張したり、うそを加えたりした。後で聞くと、被験者の6割が、その話
に嘘を入れていた。人は談話をするときには、情報伝達をする目的と同時に、
ある目的を達成する手段になるもの、という結果になった。その意味で、対話の
目的とは事実を伝えるのではなく、印象を伝えることだと。もっと面白い作用は
聞き手だけでなく、話し手自身に対するもの。語り手が自分の作り話を、何度か
話しているうちに、作り変えた話が、その人にとっての記憶になるケースが多い。 
私たちは自分の嘘を本気で信じるようになるのである。更に悪いことに、本人に、
その自覚がないことである。≫
▼ 私が小さな地域社会で、アウトサイダーに徹しているのは、これを知って
 のこと。社会学を40年以上、独学してきて、その馬鹿馬鹿しさを知っていた。
逆に、それを独り楽しんでいる自分がいる。割切ってしまえば、これほど面白い
ものはない。B層の、さらに下のC層という何も考えない旧来の価値観から一歩
も出たことのない人たち。彼らにゾンビが多い。彼らは普通の風体をしているが、
中身はカラカラの干物。水気が失われているため、真っ当な人間に対する語り部
になるしかない。彼らの毒は、「作り話」として人に襲いかかる。 襲われ、
その毒に侵された人間は、その瞬間、ゾンビに変身する。そして地域社会の多く
がゾンビ化してしまう。彼らは思考能力ゼロのため、その自覚も無く、屍の
群れは今日も人を襲い続ける。これが城下町レベルでなく、情報化の御蔭で
全国区レベルになっている。
・・・・・・
4991,暴走する世間 −7
2014年11月13日(木)
      「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹(著)
   * なぜ日本の男はマザコンなのか
 世間が、そのまま家庭に入り込んでいるため、そこにあるのは甘えの構造。
その延長を男は、酒場の女将に「ママ」として求める。マザコンは、どこか
乳離れしない母子関係の名残。 ーその辺りからー
≪一般に日本では、恋愛が恋愛として完結しない。恋愛関係はいずれ壊れるか
壊れなければ「母子関係」に移行するかのどちらかになる。奇妙なことに、
日本の家庭で夫婦がお互いをよぶときに、「ママ」「お母さん」や「パパ」
「お父さん」がつかわれる。子どもが親をよぶときの名前が、そのまま夫婦の
呼称になっているのだ。これは、そもそも夫婦がお互いに個々の人格として向き
合っているのでなく、あくまでも子どもを媒介として向き合う関係を示している。
そして面白いことに、飲み屋のおねーさんや、バーの「ママ」、クラブの
「ちーママ」も「ママ」。つまり夫の場合、家庭の外に複数の「ママ」が存在
することになる。妻に家庭外に「パパ」がいることもあるかもしれないが、
それは、愛人関係など特殊な場合だろう。妻にとっては、家庭での「パパ」は、
ただちに「父子関係」を意味しない。だが夫にとっては、家庭内外での複数の
ママとの関係は「甘え」の関係であって「母子関係」を意味する。ようは、
男はいわば複数の「家庭」をもってることになる。さらに夫の側が、家庭は
「癒しの場」や「憩いの場」だというときには、根底にはこの「母子関係」
がある。つまり、自分が癒される場所、憩える場所だと考えている。
しかし妻の側にとって、家庭はあくまでも「夫を癒してあげる場所や、夫を
憩わせる場所」なのである。そこにある癒される自分のちがいは決定的である。  
阿部さんは日本では、西欧のような「個人の時間意識」ではなく、
「共通の時間意識」があるため、母親と子供の関係も、母親が90,70歳
でも、息子は息子であり、いくつになっても、母と子の関係が続く。 ≫
▼ 日本の夫婦間の喧嘩で常に妻から出る罵声、『マザコン!』。
 外向きは亭主が上だが、内情は、妻のほうが上位にある。これは「母子関係」
が、知らぬ間に夫婦間に移行したため。私など、マザコンファザコンの上に、
4人の姉の存在もありシスコンが加わる。これが悲しいかな大家族の末子の宿命。
家の中は「憩いの場」は一切なく、常に緊張をした「集いの場」で、無言で
大人しくするしかない。そう自分とは、家庭内の他者と、家庭外の他者から、
形づくられていることが分かる。健全な家庭こそ、全ての基本になるが、
ファザ、マザ、シスコンの歪んだ私が健全の家庭をつくってきたのだろうか?
ところで健全な家庭って存在するのか?程度の問題? マザコンファザコン
が絡みあった二人が家庭をつくるのだから、それは大変なことである。
・・・・・・
6088,閑話小題 〜改めて想う、親の愛
2017年11月13日(月)
   * 相性のあった両親に出会えて
 ある席で、中学校を卒業後、大手メーカーに勤めながら、夜間高校を卒業。
地方公務員試験に合格し、公司として無事、勤め上げ、今は年金暮らしという男。
後日、『あなたの話を聞いて、頭が下がる思いだった』と、問いかけると、
『実は、親父が大酒飲みで、家に金を入れず、生活に瀕していた。自分が長男の
ため、少しでも早く自立したかった』とのこと。逆に私といえば真逆で、9人
‘きょうだい’の末っ子の立ち位置もあって、両親、とりわけ父親に間接的に、
溺愛されて育った。その人の生き様から、特に「私は愛情のベースの上で生きて
こられた」と、つくづく思い知らされた。その温もりの体質が「幸せな一生」を
引き寄せてくれていた。大きな節目の判断ごとに、『父だったら、どうするか?』
の自問自答と、読書習慣から得た知識と知恵が、自らを救ってくれていた。
最後の最後まで、家族を、とりわけ不祥の末っ子の幸せを祈ってくれていた。
人生を総括すると、時代背景と両親に恵まれ、時節の出会う人に恵まれていた。
こういうのを「運」という。 その「運」とは、「判断」の結果をいう。
判断が良ければ「幸運」、悪ければ「不運」と。判断を誤らないために、
心の芯を純白にして、正しい判断を…  私の多くの判断ミスは、
・1990年前後のバブル崩壊への対応と、
・1995年の「ウィンドウ95」から始まったネット情報社会の到来からくる
 「断絶の時代」への社会的大変動への読みと、
・2001年の9・11テロの歴史的転換の事象への認識と対応の甘さと、
・2008年9月のリーマン・ショックの大波、とりわけ地方経済影響。

 父親が死期を悟り、その恐怖に七転八倒をしている中で、人生を振返り、
<「太平洋戦争」が、あまりに大きな出来事であったと… > 呟いていた。
「社会は突然、何が起きるか分からない。常に備えは怠りなく」と家宝の教えの
伝授をしてくれた。時は昭和40年代後半。ドルショックと石油ショックが起きた。
創業に向け動き出した直後で、人生の出発時の環境として最悪の事態。考えて
みれば、その最悪の事態が力を試すという面では良かった。 何はともあれ、
前向きに、無心に、真正面に、全力を持って立向かえば、悪条件が好条件に好転
すると、信じるしかなかった。「想い」とは、死んでも、何かを通して、世に
残るもの。残らないのは、残さないから。 残すこともないが…
 太平洋戦争から70年以上も何事もなかった、平和な島国の日本に、真っ黒な
暗雲がたちこめてきた。これだけは「ケセラセラ、なるようになる!」の世界。
<相性にあった両親と時代に出会えた幸運に感謝し、戦争回避を祈るしか。>
役者の顔ぶれが、劣悪すぎ。 世界が燃え上る空気感とは、こういうこと?
金のバラまきで、一部は浮かれているが。所詮は、あぶく。戦争は残虐である。
・・・・・・
5356,そこに困っている人がいれば ーベストエッセイ ?
2015年11月13日(金)
           ーベストエッセイ 2015(文藝春秋)ー
  * そこに困っている人がいれば ー角田光代
 毎年のベストエッセイを特集した単行本で、面白いのが揃っている。
その中からランダムに面白いエッセイを幾つか紹介する。物書きのプロは
流石と、思い知らされる。このエッセイに、タイの仏教色が滲み出た国民性
が、色濃く表現されている。江戸・明治時代は、こんな仏教色豊かな空気が
日本にも漂っていたのだろう。 〜その辺りから〜   
 ≪ 完全な仕事で、遊べるような時間どころか、ゆっくり食事をする時間も
 ないほどのせわしなさだったのだが、数日間、バンコクにいった。タイに
初めていったのは一九九一年。もう二十三年も前で、以後、七度訪ねてきてる。
町はどんどん変わる。スカイトレインができ、地下鉄が走り、ピンクのタクシー
が多く見られるようになり、飛行場も場所が変わった。毎回、驚いている。
 二十三年前の旅は、私にとってははじめての自由旅行だった。宿もいき先も
決めない、一カ月の滞在だった。私がその後、二十年以上ひとり旅を続ける
ようになるのは、あの旅がすばらしかったからだ。何がすばらしいって、人。
食事もおいしい、光景もすばらしい、ものすごい体験もたくさんした、けれど
魅了されたのは、すれ違うだけのような関係の、多くの人たち。地図を開けば、
何か困っているのかと人が近づいてくる。ここにいきたいと伝えると、自分は
用もないのにいっしょにバスに乗りこんで、目的地で下ろしてくれる。炎天下、
バスがくるのをいっしょに待って、運転手に私の目的地を説明してくれる。
あまりのバスの混雑に辟易していたら、席を譲られそうになったこともあった。
目が合うと、みんなにこっと笑う。
 それから訪れるたびに、町の変化と同様に、人の顔つきも変わってきた。
バンコクはどんどん大都会になり、人の顔つきも都会のそれになった。
町も人も、洗練されたのだと思う。 パリとか、ニューヨークなんかと同じ
ように。そうした都会では、旅人がひとりで歩いていても、ふつうはだれも
声をかけてこない。と、思っていたのだが、今回、びっくりすることの連続。
方向を確認するために地図を開くと、「どうした、どこにいきたいのか」
と歩いていた人が近づいてきて、ていねいに道案内をしてくれる。ある場所
をさがして迷いに迷い、店番をしている人に訊くと、「こっち」と歩き出し、
目的地まで連れていってくれるではないか。なんにも変わっていないと、
驚きをもって思い知った。なぜ、都会的に洗練されたなんて思い込んでいた
のだろう。私が旅した二十三年前に生まれてなかっただろう若い人たちも、
戸惑う位親切で、あたたかい笑顔を見せる。ありがとう、とタイ語で言うと、
「まいど!」と笑顔と日本語が返ってきたりする。
 バイクタクシー乗り場をさがして、あるビルの駐車場にいたスタッフに、
乗り場が近くにないかと訊いた。バイクタクシーでどこに行くんだ、と彼が訊く。
私は目的地を言った。地図には載っていないムエタイジムだ。その彼は、
場所は知らないがジムの名だけ知っていると言い、ついてきてと手招きをして
歩き出す。どこにいくかと思っていると、車の走る大通りに出て、空車を
見つけては手を上げる。止まったタクシーのドアを開け、運転手にムエタイ
ジムの名を告げる。みな知らないらしく、首を横に振る。この人、私が
とめないと、ジムを知っているタクシーがあらわれるまで、えんえんと、
タクシーを止め続けてしまう! 自分の仕事を放ったまま、と気づいた私は、
もういいんです、だいじょうぶです、自分でさがしますと彼に伝えた。
いいんです、戻ってください、ありがとうございますと言い続けると、釈然
としない顔つきで、彼は駐車場に戻っていった。この国の人たちは、困って
いる人を見ると、平気で自分の時間と労力を差しだすのだ。
 二十三年前からずっとそうだ。だれかを助けたなんて彼らは思っていない。
そうして助けられた日本の若い女が、その後、人において圧倒的な信頼を持つ
に至ったなんて、考えることもない。例のジムは、その後にさがしあてて
乗ったバイクタクシーの運転手が、すれ違うバイクタクシー仲間にさんざん
訊きながら、なんとかたどり着いてくれたのだった。「文藝春秋」九月号}≫
▼ フィジーでも、その国民性の純粋さ、暖かみに驚かされた。
 イギリスから独立した国で、欧米と南太平洋の大らかさが、ほどよく
ミックスされている。近くにあるフランス領ニューカレドニアとは、
えらく違う空気。何か地中海の飛地にいるような感覚で、原住民は、
片隅に追いやられているような。海産物や果物など自然の幸が豊かで、
キリスト教が、プラスに働いているようだ。天国より、煉獄が似合って
いる私など、10日もいれば飽きあきするのだろうが。
・・・・・・
4624, 夫婦格差社会 ー1
2013年11月13日(水)
 『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著), (その他)
図書館の中公新書のコーナーで、この本を手にとって、てっきり夫と妻との
格差と思った。私など今では妻との立場が逆転、家内の家に年金を収めて
住まわせてもらっているよう。ママ(ババ)リッチ、パパ(ジジ)プアー。 
ところが、これは家庭間格差の問題。現在、パワーカップル(夫婦共に医師など
の高学歴・高収入世帯)と、ウィークカップル(非正規労働同士の低収入世帯)の
二極化が進んでいる。嫌な話だが、学生時代の欧州旅行で知り合った友人たちの
相手は、誰もがつり合いのとれた?家庭環境で、間違えてもシンデレラ物語の
相手でない。病院で、医師と看護婦の職場結婚が案外少ないのと同じである。
医師同士か、その収入レベルの出身者になる。女性の選択基準は、学歴と、
所得、家の資産状況、そして容姿になる。まずは互いに釣りあった条件の相手
を求めるのである。 卒業間近に「学生時代に伴侶を見つけるのが最良」と
気づき、半年の間、友人に頼んで探したが間に合わず? 今から振り返ると、
居ないことはなかったが、それが誰かを判断し、決断する能力が無かった、
ということ。それより、覚悟が出来たのが結婚をした27歳。事業創業を
目指す!と決めていたことが、相手の選定に大きは壁になっていた。
それと四人の姉と遜色ない相手の中で、なびく女性を探し出す能力と自信が
なかった?(シスコン?) やはり、一番面白い20歳から26歳に、独り者
の方が良かった?と言える。「結婚とは一人以外のすべての女性との(結婚の)
可能性を捨て去ること」という格言も効いていた? 二度とない、あたら
青春を早そう捨てることもない。 人それぞれだが・・ 
  まずは ーアマゾン〜内容紹介ー
〔 格差が拡大しつつある日本。家族の最小単位である「夫婦」もその流れに
 拍車をかけている。さまざまなデータに基づき、日本の夫婦の今を探ると
 見えてくるのは、夫の所得と無関係に働くようになった妻の影響力の大きさ。
 医師夫婦に代表されるパワーカップルと、対極にある若いウィークカップ
 など、興味深い事例を紹介。 また、結婚できない人たちから、離婚、
 そして地域差まで視野を広げ、夫婦をめぐる格差を考える。 〕
ー目次ー 第1章:夫の所得と妻の所得   第4章:結婚できない人たち
    第2章:どういう男女が結婚するのか 第5章:離婚による格差  
   第3章:パワーカップルとウィークカップル 第6章:地域差を考える
▼ 目次からみると、日本の結婚像と夫婦像を分析する構成でなっている。
 東大卒女性104人の結婚相手の大学の内訳や、早慶卒の相手の学歴の傾向、
中卒男子の相手の学歴?とか、離婚率は欧米では高学歴ほど高く、日本は真逆
とか、著者の教え子の女子学生?が補佐したこともあり、切り口が醒めており
女性週刊誌的で面白い。子供の頃から姉達や、実家が商売をしていた環境の中、
若い女性に多く接して、年頃を過ぎた後の変容の激しさを見てきたこともあり、
選定には用心をしたが、その結果が? 互いに(●≧Å≦):(/ェ\。))である。
結婚は百人が百人、そうだから? 書けるが! ライオンのメス集団の
ボス・オス選び以上に、女性の場合、結婚相手の選択にシビアになるのは
自然のなせる技。世間でいう階層をアップする最初で最後の機会、自分の特性
を最大限にアピールをして売り込むしかない。それが、つり合いの取れた
チョット上の相手。 ーつづく  で、結果が、以下の文章になってしまう。 
 ーこれも、たまたま偶然だがー 

つれづれに

イメージ 1

 他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/549/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive


 大相撲、稀勢の里が二連敗の出発。好調に出来上がったというが、この結果。
 一番喜んでいるのが、白鵬。これで、引退ともなれば願ったり叶ったり。
 精神的も含めて力量の無いのを無理やり、横綱にした結果がこれ。
 協会そのもの問題でもある。相討ちで協会を辞めた貴乃花、正解だった!





・・・・・・
4624, 夫婦格差社会 ー1
2013年11月13日(水)
 『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著), (その他)
図書館の中公新書のコーナーで、この本を手にとって、てっきり夫と妻との
格差と思った。私など今では妻との立場が逆転、家内の家に年金を収めて
住まわせてもらっているよう。ママ(ババ)リッチ、パパ(ジジ)プアー。 
ところが、これは家庭間格差の問題。現在、パワーカップル(夫婦共に医師など
の高学歴・高収入世帯)と、ウィークカップル(非正規労働同士の低収入世帯)の
二極化が進んでいる。嫌な話だが、学生時代の欧州旅行で知り合った友人たちの
相手は、誰もがつり合いのとれた?家庭環境で、間違えてもシンデレラ物語の
相手でない。病院で、医師と看護婦の職場結婚が案外少ないのと同じである。
医師同士か、その収入レベルの出身者になる。女性の選択基準は、学歴と、
所得、家の資産状況、そして容姿になる。まずは互いに釣りあった条件の相手
を求めるのである。 卒業間近に「学生時代に伴侶を見つけるのが最良」と
気づき、半年の間、友人に頼んで探したが間に合わず? 今から振り返ると、
居ないことはなかったが、それが誰かを判断し、決断する能力が無かった、
ということ。それより、覚悟が出来たのが結婚をした27歳。事業創業を
目指す!と決めていたことが、相手の選定に大きは壁になっていた。
それと四人の姉と遜色ない相手の中で、なびく女性を探し出す能力と自信が
なかった?(シスコン?) やはり、一番面白い20歳から26歳に、独り者
の方が良かった?と言える。「結婚とは一人以外のすべての女性との(結婚の)
可能性を捨て去ること」という格言も効いていた? 二度とない、あたら
青春を早そう捨てることもない。 人それぞれだが・・ 
  まずは ーアマゾン~内容紹介ー
〔 格差が拡大しつつある日本。家族の最小単位である「夫婦」もその流れに
 拍車をかけている。さまざまなデータに基づき、日本の夫婦の今を探ると
 見えてくるのは、夫の所得と無関係に働くようになった妻の影響力の大きさ。
 医師夫婦に代表されるパワーカップルと、対極にある若いウィークカップ
 など、興味深い事例を紹介。 また、結婚できない人たちから、離婚、
 そして地域差まで視野を広げ、夫婦をめぐる格差を考える。 〕
ー目次ー 第1章:夫の所得と妻の所得   第4章:結婚できない人たち
    第2章:どういう男女が結婚するのか 第5章:離婚による格差  
   第3章:パワーカップルとウィークカップル 第6章:地域差を考える
▼ 目次からみると、日本の結婚像と夫婦像を分析する構成でなっている。
 東大卒女性104人の結婚相手の大学の内訳や、早慶卒の相手の学歴の傾向、
中卒男子の相手の学歴?とか、離婚率は欧米では高学歴ほど高く、日本は真逆
とか、著者の教え子の女子学生?が補佐したこともあり、切り口が醒めており
女性週刊誌的で面白い。子供の頃から姉達や、実家が商売をしていた環境の中、
若い女性に多く接して、年頃を過ぎた後の変容の激しさを見てきたこともあり、
選定には用心をしたが、その結果が? 互いに(●≧A≦):(/ェ\。))である。
結婚は百人が百人、そうだから? 書けるが! ライオンのメス集団の
ボス・オス選び以上に、女性の場合、結婚相手の選択にシビアになるのは
自然のなせる技。世間でいう階層をアップする最初で最後の機会、自分の特性
を最大限にアピールをして売り込むしかない。それが、つり合いの取れた
チョット上の相手。 ーつづく  


・・・・・・
3884, マネーボール ーシネマ感想
2011年11月13日(日)
 ブラッド・ピット主演の『マネーボール』を見てきた。最近、シネマが面白いのがたて続きで、先月から
今月にかけて映画漬け。内容の概略といえば、今までは、スカウトが見つけてきた有望選手を一流選手に育て
上げ、有能な監督が選手を有効に使って優勝に導く手法だった。 それを実在のアスレチックスのGMの
ビリー・ビーンが「他のチームで埋もれている傷物に近い選手を一流選手の値段の数分の一で入団させて、
その強みを組みあせて有効に使う手法」を、考え出す。 そのため、当初は敗戦が続き、旧来のスカウトや
監督、選手、そしてマスコミからも袋叩きになる。しかし、ある時期からその理論通りにチームが20連勝を
達成をする。これでビーンは、現在のメジャーリーグの野球を根底から変えてしまった。それも、わずか
10年前の実話を映画化したもの。最近、弱小チームだったヤクルトが、監督交代と同時に優勝を争うチーム
に変身したが、この理論に忠実に沿ったチームの立て替えだったかどうかは分からないが、みるみるうちに
逞しいチームになっていった。 また新潟の野球チームの前監督が、野村監督のデーター野球を引き継いで
いたのを買われて巨人入りをしたと報じていた。 過っての巨人のような一流選手を金でかき集めたチーム
編成で勝てる時代は終わったようだ。この映画を見た翌日に、巨人の騒動である。この数年のトレードの責任は
GMを兼ねている球団代表にある。特に外人選手のトレードをみて、GMの首は当然と思うのは私だけでないはず。
  ー 『マネーボール』のHPの内容紹介 ー
< メジャーリーグの弱小チームを“常勝軍団”に作り替えた男、ビリー・ビーンを題材にしたノンフィク
 ションを、ブラッド・ピット主演で映画化した「マネーボール」が公開された。「ソーシャル・ネットワーク
(2010年)でアカデミー脚色賞を受賞したアーロン・ソーキンらの脚本で、燃える男ビリーと相棒ピーター
の孤立無援の戦いが、抑制の利いたタッチで描かれる。 経営難の球団、オークランド・アスレチックスは、
スター選手をまたしても裕福な球団に引き抜かれ、ピンチに陥っていた。ジェネラル・マネジャーのビリー
(ブラッド)は、イェール大で経済を専攻したピーターを引き抜き、球界の常識を完全に無視したデータ主義
によるチーム作りに乗り出す…。 打点や本塁打の数より、出塁率長打率を重視し、低コストで人材をかき
集めていくビリーに対し、ベテランのスカウトたちから強い批判が集まる。そのビリーには、かつて巨額の
契約金を提示され、大学進学をあきらめてニューヨーク・メッツ鳴り物入りで入団、その後、芽が出ずに
退団した過去があった。>
 ・・・・・・・
3519, インターネットは20万年来の革命か? -2
2010年11月13日(土)
 「一口に、インターネットは20万年来の革命というけれど、過剰表現では?」と思うのは誰も同じ。
人間が狩猟・採取から、牧畜・農業を始めて1万年、その20倍の20万年前に道具を本格的に使い始めて以来
の大革命、というから、いかにネットのツールとしての威力の凄いかである。 個々人の情報を写真、動画、
論説、つぶやき、などが発信も、受信も、気楽に出来るのである。やはり道具として20万年、200万年来の
大革命である。それに加えて端末機器が日ごと進化を始めて、止まることがない。 電子化は一度ソフトが
完成すればコピーと圧縮が可能。 それをベースに次々と新しいソフトの追加が際限なく出来るため時間の
経過とともに、進化していくことになる。
フューチャリスト宣言」の対談で、梅田 と茂木 の次の一節がネットの明い可能性を言いあらわしている。
ーとにかく、明るい未来フューチャリストだから、読んでいても楽しい!ー
茂木:  自分の人格を高めていく喜びは、おそらく人間が体験できる喜びのなかでも最も強く、深い喜び
 はないでしょう。食べる喜びなど、おなかがいっぱいになれば終わりだし、性的な喜びも限界がある。 
 それに対し学ぷ喜びは限界がない。インターネットというものが、「学ぷ」という最も根源的な、
 終わりのない喜びを大爆発させる機会を与えている。まさに、「知の世界のカンブリア爆発」です。
 しかも、一部の特権的な人だけにでなく、あらゆる人に、発展途上国の人にも、その可能性が広っている。
 基本的な認識はそこで、人間の脳の報酬系強化学習のプロセスに作用する。
梅田: なるほど。言語を獲得したときも、脳が喜んだわけですね。
茂木: 要するに、それが現れたことで脳の使い方がまったく変わったもの、ということで、「言語以来」
 という言い方が成立するのではないか。言語によって脳の使い方が劇的に変わったんだけど、インター
 ネットによっても変わるポテンシャルがある。でも、まだその可能性にまだみんなあまり気付いていない。
茂木: 人間は快楽主義だから、楽しいことをどんどんやろ・・とする。思っている以上に変わるかも。
 ほんとうに素晴らしい機会がいま訪れていますよね。動画でも何でも、たとえ大学の講義のようなものでも、
 タダに近いかたちで入手できる。そういうときに大学などの既得権益を保持する側がどういう反応を示すか。
 でも、長い歴史の中で人間の社会は必ず学ぶ喜びを青天井に開放する方向に変わると恩います。
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ネットが、ほぼ無料で、知識を世界中から簡単に入手できるツールになったこと、そのことが20万年来の革命である。
ネットが出現して15年、本格的に普及をはじめて7~8年で、もう一つの世界をつくり上げた。ネット販売が僅かな時間で
百貨店、コンビニの総売り上げを超えてしまったこと一つをとっても分かる。 当方のホテルの三割近くが既にネット
経由からの予約。また私の書籍購入の八割がたはアマゾン。小型の電器製品もほぼネットから購入している。これは
20万年来の革命的ツールと仮説を立てると、まさしく符合する。ここでも脳学者が言語で脳の使い方が変わったのと
同じく、ネットで脳の使い方が変ると述べていることを考えると、ネットは200万年来の大革命というのも納得いく。
これがリアル世界を根底から変化させている犯人。
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3144,「法則」のトリセツ  ー5
2009年11月13日(金)
  * フェルミ法則
 ーネット辞書「ウィキペディア」によるとー
フェルミ推定とは、実際に調査するのが難しいようなとらえどころのない量を、いくつかの手掛かりを元に論理的に推論し、
短時間で概算すること。名前は物理学者のエンリコ・フェルミに由来する。フェルミはこの手の概算を得意としていた。
フェルミ推定コンサルティング会社や外資系企業などの面接試験で用いられることがあるほか、欧米では学校教育で
科学的な思考力を養成するために用いられることもある。Google社やマイクロソフト社でも、入社試験問題として出題
されたことがある。フェルミ推定という語句が日本に入ってきたのは、
『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミパラドックス』(スティーヴン・ウェッブ著、04年)が最初。
ただしこのような考え方自体は大学の授業などで教えられていた。
例えば「東京都内にあるマンホールの総数はいくらか?」「地球上に蟻は何匹いるか?」など、見当もつかないような
量を推定する。フェルミ推定で特に知られているものは、「アメリカのシカゴには何人のピアノの調律師がいるか?」を
推定するもの。これはフェルミ自身がシカゴ大学の学生に対して出題したとされている。この問題に対して、次のように
概算することができる。
 まず以下のデータを仮定する。
・シカゴの人口は300万人とする    ー>        ・シカゴでは、1世帯あたりの人数が平均3人程度とする
・10世帯に1台の割合でピアノの保有している世帯があるとする ー> ・ピアノの調律は平均して1年に1回行うとする
・調律師が1日に調律するピアノの台数は3つとする      ー> ・週休二日とし、調律師は年間に約250日働くとする
・そして、これらの仮定を元に次のように推論する。    ー> ・シカゴの世帯数は、(300万/3)=100万世帯程度
・シカゴでのピアノの総数は、(100万/10)=10万台程度  ー>    ・ピアノの調律は、年間に10万件程度行われる
・それに対し、(1人の)ピアノの調律師は年間に250×3=750台程度を調律する
・よって調律師の人数は10万/750=130人程度と推定される
 フェルミ推定では、前提や推論の方法の違いによって結論にかなりの誤差を生じることもある。
  ~
 以上のような推定と実際の数値が、変わりないというから驚いてしまう。先日、新潟駅南のジュンク堂
フェルミ法則の事例訓練」の本があった。迷ったが買わなかったが、面白そう。推論の訓練も面白いだろう。
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2779, アメリカは、どう転んでも、最小の損失!
 2008年11月13日(木)       
こういう微妙な時期には「産経新聞」と「毎日新聞」の論説の方が、読売、朝日、日経より筆先は鋭い。
サブプライムローンの、問題の深さを解りやすく説明しており、民主党オバマのスタッフが、クリントン時代の
面々が返り咲き、国債の「奉価帳」を回してくることを予測する。 今度の緊急サミットも、そのために使われるだろう。
アメリカの消費バブルと、中国が生産バブル、そして日本が金利ゼロの金融供給のバブル、それが一挙に破裂したことを
解りやすく書いている。 一番の加害国のアメリカは、実際のところ、大恐慌になっても、ドルもアメリカ国債の価値が
失墜しても、あまり困らないのである。損失は紙代だけという穿った見方もできる。 困るのは、紙を溜め込んだ日本と、
中国、そしてアラブの連中だけ。だから、アメリカの脅しにのり、更に紙を引きうけ、セッセと生産品を送り続け泣けれ
ならないのである。 その結果、待っている事態は、戦争であある。   -まずは、その内容から    
  (字数の関係で中間カット2009年11月13日)
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2007年11月13日(火)
2415, 閑話小題        才ノヽ──d(∀`d*)─(*b´∀)b──
 *古着の処分*
今まで、古い背広を思い切って処分をした記憶がない いや、数年前に処分したつもりであったが、
よく見たらまだ何着もあった。
(字数制限のためカット2010年11月13日)
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2006年11月13日(月)
 2050, あたりまえなことばかり -6       \(≧ロ≦\)オハヨウ! サン
 著者の幸福論もシンプルで解りやすい。幸福など観念でしかない、観念をカタチに求めるから
‘こんなはずではなかった’という結果になってしまうのである。それはあれ等、軽いタレント同士の結婚の
破局をみれば分かることだ。家庭内を含めると半数以上の夫婦間が破局するのも、このような無知からきている。 
まあ、相性もあるが・・・ 
幸福論は、格言以外あまりまともには読まないが‘付随してくる感情か、自分を納得させるための方便’にしか
考えてなかった。この著では、タレントとか有名人の表層の幸福のカタチは、動物レベル?になるが・・
コミックとしてしか誰も観ていないか、いやまともに見ているから恐ろしいのか!   
「あたりまえなことばかり」
 ・ 幸福はどこにあるのか ー 
何ものでもない心の状態としての幸福というものを、ほとんどの人は物質に似たものとして人は思い込んでしまう。
人は「思い込みの動物」である。 動物存在として「カタチあるもの」をのみ幸福と思い込むのは自然である。
そのレベルでは、目に見え、触れるもののみが存在する。生存するために存在する。しかし動物は、そのような
自身のありように自身のありようを問わないであろう。人間のみが、その生存において、自身の孝・不幸を問う。
このとき、その理由によって孝・不幸は一つの思い込みになる。カタチあるものを、カタチない孝・不幸と同じ
ように、カタチないものを、カタチあるものに孝・不幸を求めてしまう。カタチなきものを、カタチあるように
思い込む、 の思い込まれる思い込みを、通常は「観念」という。孝・不幸もその意味で観念である。幸福とは
何がしかカタチないものと予感しながら、カタチ無いままにさせておくことが出来ず、何がしかのカタチある
ものとして捉えては、捉われる、とか。例えば、カタチなきものであるはずの「愛情」を求めようとして、
人は結婚や家庭というカタチを求める。あるいは、カタチなどあろうはずが無い「自由」を求めようとして、
「自由」「自己実現」というカタチを求める。はたして幸福でない心に、幸福な生活があり得るだろうか。
心は、いわば分母の一のようなもの。心が不幸であれば、いかなる分子も不幸であろう。分母が幸福であれば、
いかなる分子も幸福であろう。あれこれの生活のありようなど所詮は分子的な存在でしかない。ここで問題に
なるのは、「私」とは、では誰のことなのか。他人と比べての孝・不幸であるところの「私」とは誰なのかの
問題になってくる。「私は私である」「私は個人である」とは、「私とは誰なのか」という問いを止めて
しまった我われの思い込みである。この限り「私」とは、一つの観念なのである。人は自分を「個人」と思い
込むことによって「幸福を個人の領域」に押し込んでしまう。財産や地位など有形のものも等しく「個人の所有」
とみなして、その所有を幸福と思う。
 (字数の関係でカット2011年11月13日)
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2005年11月13日(日)
1685, ザ・マインドマップ-3  -読書日記         (~O~)ふぁ・・                   
ー技術的ルールとして、
1、強調
  ・中心イメージを置く             ・絵を使う
  ・中心イメージには3つ以上の色をつかう    ・イメージと言葉を立体的にする 
  ・感覚にうったえる-視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚など
  ・字、線、イメージの大きさに変化をつける   ・スペースを整理して使う
  ・適当な余白を残す    (ρ_-)
2、連想
 (字数の関係でカット2008年11月13日)
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2004年11月13日(土)
1320, 2000年前のポンペイ -3
 小プリニウスの「手紙」-1
ポンペイについて書いた直後に地元の新潟中越地区に大地震がおきた。何かの偶然の一致だろう。
ポンペイの遺跡から当時の情報が多く知ることができた。歴史から忘れられたポンペイの遺跡が発見され、
発掘が始ったのが18世紀の半ば。そして現在に至るまで250年にわたって発掘が続いている。まだ発掘して
ないところが多くあるという。歴史家のタキツゥスが、書の中で当時のある若い青年の手紙を残していた。
当時まだ17歳だった青年の2通の手紙が当時の模様をこと細かく整然と後世に伝えていた。その文章を読んで
いると、その一言一言が身に沁みる。 その青年とは、当時、地中海艦隊の司令官としてナポリ湾岸の町
ミセヌムに駐在していた大プリニウスの甥、小プリニウス(61年頃~112年頃)である。歴史家タキトゥス
求めに応えて書いたこの手紙は、ローマ帝国内の美しい都市に起きた大惨事の貴重な目撃談。この手紙を
読んでいて、彼の驚きと当時の若い彼の興奮がそのまま、2000年の時空を超えて伝わってくる。
「言葉を持つことは魂を持つこと」という言葉の重みを実感する。
発掘された遺跡の姿そのものが、そのまま人間の変わらない生活と真実を伝えている。
 ◎ 小プリニウスの「手紙」 ー6月16日の手紙
 伯父の死をできるだけ正確に後世に伝えるため、あなたに手紙を書くようにとのご依頼を受け、私は嬉しく
感じました。というのは、伯父の死があなたによって書き留められることで、彼に不滅の栄光が与えられると
考えたからです。恐ろしい災厄によって死んだために、伯父の死は、他の被害にあった住民や美しい町ととも
に永遠に記憶されるでしょう。また、伯父自身、後世に残るであろう多くの作品を書いています。しかし、
それに加えてあなたの著書に書き留められるとすれば伯父の歴史上の記憶は、より確かな永遠のものになるはず。
私は思うのですが、歴史に残るようなことを行うか、あるいは価直のある文章を書く能力を神から与えられた人
は恵まれた人であり、しかもこの能力を2つとも与えられた人は、最も幸せな人です。
私の伯父は、彼自身の著書とあなたの御著書とによって、そのような恵まれた人物の一人となるでしょう。
(字数制限のためカット2010年11月13日)
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2003年11月13日(木)
 953, 腰痛ー2
腰痛のことは以前にも書いたが、一昨日の朝、例年どおり腰痛が出た。
いつも季節の変わり目に出るが、私は寒さで体を冷やしてしまうのが一番の原因である。
いま一つは、パソコンを座って打っていると腰に負担がかかる。今のところ時間をかけて暖めるしか方法
はない。間接的には、パソコンと寒さがあるが散歩の後、屈伸とストレッチをしたのが悪かったようだ。
腰痛について書こうと思って過去の随想日記を調べたら、去年の連休後に書いていた。五月の連休後も
例年腰痛が出るのだが、今年はどういうわけかなかったが。
 腰痛になると何もする気が起きなくなる。また一回一回ごの痛みの内容が微妙に違う。
しかし今まで一回も医者がかりはない。経験上、暖めていると長くて10日で大体は直ってしまうからだ。 
その治療法を40年近くしている。 インターネットで調べたら、腰痛にも色いろある。デスクワークの人や、
お産や生理が原因であったり、内臓の負担からくるものや、運動のやりすぎ、等々ある。今朝おきたら
3分の1位に痛みが減っていた。全治四日の予測が当たっていたようだが、どうなることやら。
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401, 腰痛 - 1
 2002年05月09日(木)
 (字数の関係でカット2008年11月13日)
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579,ある時間の断片ー11
- 2002年11月13日(水)
 1968年 9月29日ー日曜
8時起床、午前中は部屋と寮の大掃除。気持ちもすっきりした。午後は3時間、明日のための準備の読書だ。
そういえば最近寮の他の人との距離が出てきた。仕方がないが、あまり開放をしていると自分の世界が保てない。
彼らは彼らの価値観があるのだ。当然だが、20数年お互いに違う道を歩いてきたのだから仕方がないことだ。
これからもまったく違う道をお互い歩くのだから。 そのことを考えれば今の疑問が少しは晴れるだろう。
 1968年 9月30日ー月曜
8時10分前起床、学校に出発をする。 武澤ゼミに参加する。 武澤先生に皮肉を言われた
ー少なくとも私のいい加減さを指摘されたと感じた -気持ちだけは積極的になっているが、
その実はやっていることはいい加減だということだ。 ゼミ終了後、図書館で卒論のまとめをする。 
気持ちが落ち着かず中途半端であった。 校庭であった奥野と中野と話をする。試験がその後あった、
ここは出ないと思っていたところが出てしまった。もっと駄目押しをしておけばよかった。70点ぐらい。
兼子と池袋駅まで一緒であった。 バスで帰るがこの風景もあと半年で終わりだ。
帰寮後夕食に行くと、寮の佐藤嬢がいる。 少しの時間だが食事をして話をする。
何か毎日が矛盾だらけだ、今日の先生の皮肉が聞いたのか気持ちの動揺が残っている。
現在の自分はゼミと卒論に気持ちが集中している。それと就職のことがーこのまま就職してよいのだろか?
今の寮生とあまりに気持ちが違っている、これも仕方がないか?