* 成田への機内で気づいたこと
 52回の旅ゲームのツアーを重ねるうち、それぞれが、文化、文明、大自然
要素の全てが入っていることに気づくことになった。
  「ケニアタンザニア」旅行を例にとると〜
【 まず欧州のハブ空港のあるパリ。そしてエジプトのカイロから、ケニアへ。
 その場合、パリの市内観光でギザのピラミッドに立ち寄り、ケニアへ。…
大型サファリカーで360度パノラマの大草原へ。夜半、耳元1m先から聞こえて
くるハイエナの息遣い。部屋と策で砦のように円形状に囲んでいるため、窓まで
近づいていることなど、深夜到着で、知る由もないため、恐怖のどん底
 『ライオンか、象一匹が見れるかどうか?』と思いきや、翌日のサファリから
ヌ〜や象の群れがオンパレード。夕景のキリマンジェロと、ピンクから、黄色、
オレンジ色、そしてどす黒い黄み色、漆黒の黒へと変わっていく中、砦のホテル
に、何処までも続く一本道をサファリカーで突っ走る。 その中は、100年、
200年続いてきたイギリス統治のリゾートホテル。中央がレストランやロビーに
なっていて、部屋はコテージになっており、警備の現地人が長銃を肩に警備を
している。 …そして、早朝6時から、朝食前の一回目のサファリへ。
二時間のサファリの後に、朝食と休憩。二回目のサファリ。サファリは、無線で
ドライバー同士が情報を共有しているため、「ライオンがヌ〜を狩って、何処そこ
で朝食」とかの情報で現場に直行。これじゃあ、合理的で面白いわけだ。 
欧米の金持ちがつくり上げた遊びを、20〜30万そこそこで、楽しめる。 
帰路のカイロは、エジプト考古学カイロ博物館。館内には、ツタンカーメン王の
黄金のマスクや、カフラー王座像、ラムセス2世のミイラなど驚くべき文化財
陳列されている。そして、最終のホテルは、最高級ホテルの宿泊が組込まれている。 
 帰路の機内のエコノミー席も回数を重ねる度に、その狭さが気にならなくなる。 
この到着するまでの時間こそ、基調と瞑想状態に持っていく。これが可能になるに、
10年近くかかった。人生と、その都度のツアーを重ね合わすうちに、日常が、夢幻で
ないかと? <他の銀河系から80年間、肉体と精神を借りた旅に来ているのでは?>】
 
 数年前に、この宇宙の他に、‘10の500乗の他宇宙の存在’の有無が出てきた。
ならば、人生ツアー論もタワイのないもの。そんなことをしていないで、繭から
出て、羽ばたいたら。 バカくさいことなど横に置いてね。 繭って両親、家族、
身辺がつくり上げた、その繭の壁。喰いちぎらない限り、外に出れないと…。
といっている、それ自身も、妄想が成せる業でしかないと! なら如何する?
 さて早朝のポタリングに出る時間に近づいてきた。
――
 某ブログより
[旅の記録]
10月18日
夜、エジプトのカイロに到着。ホテルはナイル川沿いのラムセスヒルトン。
部屋からのカイロの夜景が幻想的だった。

10月19日
カイロは7年ぶり。ギザのピラミッドとスフィンクスを観光。遠くから見ると
やっぱり大きいな〜と思ってしまう。クフ王のピラミッド入場は限定300名/日に
なっていたが、チケット売り場に並んで入場した。 お昼はピラミッドが見える
レストランで魚料理を食べる。エジプト考古学博物館では前回行けなかった
ミイラ室を見学、気持ち悪かった。その後、ハンハ-リで買い物して、ナイル川
ディナークルーズへ。お決まりのベリーダンスよりも、甲板で風に吹かれながら
カイロの夜景を見るほうが気持ちよい。ナイロビ行きは1時間ほど遅れて、
深夜1時過ぎに出発になり、すごく眠かった。

10月20日
早朝にナイロビに到着。ナイロビからアンボセリまで約260km、途中、悪路を
進み、昼過ぎに到着。昼間は雲に隠れてなかなか見えないキリマンジャロの雄姿
がバッチリ見えた!キリマンジャロを眺めながら昼食、その後ロッジで休憩。
夕方、サファリに出発。キリマンジャロをバックにした野生動物の風景はホント
絵になる。公園内で唯一車を降りて歩けるオブザベーションヒル(展望台)に登る。
天気がよく、キリマンジャロや大草原の眺めがすばらしい。 今日はヌーや
シマウマ、ゾウ、キリン等の草食動物の他、ライオンの親子も見れて、満足な
1日だった。

・・・・・・
5918,閑話小題 〜帰りの宇宙船内で −1
2017年05月29日(月)
   * 帰りの宇宙船で
 「何故に生まれてきたか?」の問いかけの答えを考えるに、
「宇宙彼方の惑星から地球の80年の旅に来ていると想定すると考えやすい」と、
そして、「子猿に纏わりつかれ、殆ど地球上の大自然も、人間も、人間が営々
としてつくり上げた「文化・文明」をみること出来なかったことに後悔する」
と書いた。 秘境異郷ツアーに嵌って、私にとっての世界の果てからの現実
社会からのトリップする経験をしてきた。この感覚を「人間の生死」の極みの
実感から、「人間の生きる目的」を考えるヒントにしている。
 旅行から自宅に近づくにつれ、ホームベースがあればこそ、余裕を持って世界
の果てに飛ぶ立つことが出来た。それを拡大して、宇宙の果てから地球へ、
約80年の時間に色々な条件を与えられた上に、世界と内界を知り、味わい、
宇宙船に乗って帰っていく。宇宙船内で、自問自答するのは、如何だろう?
観て、経験した、感動と、感激と、感涙した極上の感情体験。四苦八苦、四楽
八楽の経験。それを阻んでいたのは、地球のシリアスな小憎らしいが、可愛い
子猿たち。それらも元の惑星に着いたと同時に宇宙の旅として忘れ去られる。
ただ、帰りの宇宙船内には、両親など因縁のある人たちが居る。数年前から、
早朝の仏壇前で、因縁深かりし故人のイメージを繰り返し想い浮かべている。
「末期の死の床での予行演習」の準備の一環ですか、これは。「暗い!」と、
いうアナタ。これは時間をかけ身につける「必須科目」。私だけの話だが… 

・・・・・・
5921,閑話小題 〜帰りの宇宙船内で 〜2
2017年06月01日(木)
  * 帰りの宇宙船内で 〜まずは父親と〜
 宇宙船内に父親の姿が見えたので、隣に座る。
開口一番に聞いてきたのは、<どうだ面白かったか?>である。
 〜その答えは〜
≪ お陰様で本当に面白く満喫しました。子供の頃から、色いろ教えて貰った
 知識と経験に加え、20歳時に創業の志を立て、読書など独学していたことが、
そのまま面白さに味を添えたようです。早寝、早起きと、新聞などの活字情報、
知識を収集する姿を幼児期から見ていた要素が大きい。新たな経験を加える
たびに教えを思い出し、参考にして、生きてきた。貴方が亡くなった半年後に
一緒に計画した飲食ビルの立上げと同時に結婚をしました。 悪いことに、
その時に石油ショックに直撃されたが、テナント部分に、居酒屋と、焼き立ての
ベーカリーを立上げ、一応カタチにし、数年後に、投資金額の二倍で売り抜けました。 
恐れていたとおり、動けないとみて、その隙を姉夫婦につかれましたが、
経営委託の奇策で乗り越え、実家にトンボ返り。任された本店に全エネルギー
を投入し支障なしに引継ぎが出来ました。
これも高校の頃、二度、仕入れの現場で、直に見ていたのが大きかったです。
それが、そのまま貴方の分身のように動けた大きな要因です。
 また、質素倹約と、合理的思考の習慣も大きなベースになりました。
分かっていたとしても、姉夫婦には驚いた。シロアリとは、こういう人かと。
貴方の静かな怒りが、そのまま伝わりました。
 地元経済の御仲間の存在にいるためには何でもござれだったということ。
貴方が一番嫌っていた、あの何も考えようともしない紋付羽織人たち…
根性の良い、母と、実兄も… 二人の姿に当初、茫然自失していたが、それぞれ
役割を果たし乗越えました。それも避けて通れない一本の道の現象と割切れば、
それもこれも許すことができます。その後、姉夫婦も、起業準備不足故に、創業
に失敗。最期は凄惨な結果に終わりました。
という私も、手を広げ過ぎて、9・11テロ、リーマンショック、東北大震災で、
遭えなくダウン。教えの通り実行していた幾つかのシェルターのお陰で、生活の
質を落とすことなく、ここに乗込むことが出来ました。この45年間で世界は
大きく変化しました。ソ連が解体してロシアに縮小。東欧など共産圏も消滅。
中国・共産党も、自由経済を取り入れ、今ではアメリカに次ぐ経済大国に成長し、
現在に至っています。さらに情報化社会が到来、社会の激変ぶりに驚きを持って
います。 地元商店街の「イチムラ」「丸大」「丸専」「大和」「長崎屋」
も消滅、当時、セトモノ屋からスーパーに転身をした「原信」が、一部上場
を成しとげたが、これも、10年?もしないうちに、商社か、ネット系の
資本系列下に統合されるでしょう。 
 父方、母方の親戚の商家も、全て廃業し、一軒も残ってません。 
また、地元の地銀の「北越銀行」も、第四銀行経営統合が決まり、風前の灯。
あまりにも時代が激変してしまいました。面白いには面白いが、面食らう日々。
 こうして宇宙船内から、地球ツアーを省みると、地球は豊潤で、奇跡的
世界であったと思います。人間という生き物は、ケッタイで、変わった生物と
実感します。 生れ出た先の地球上の役割と舞台で、丁度よい両親と、時代に
巡りあえたことに感謝しています。特に貴方には! 幼児期から、長期に渡る
定期預金を続け、増えていく楽しみと、それを元手でベストのタイミングの
学生時代に、「30日間の欧州を中心とした世界旅行が出来たことが、人生の
ベースを培ってくれました。それが切っ掛けで、ライフワーク「秘異郷ツアー」
を続けることになりました。その先で、「感謝、感動、感謝」の念を、実感を
持って、報告出来るのは、これ以上の幸運はないと思ってます。 若くして
亡くなった2人の兄の分まで、生きた気がします。「有難うございました!」≫  
 辞世の文みたいだが。  

・・・・・・
5924,閑話小題 〜帰りの宇宙船内で 〜3
2017年06月04日(日)
  * 母親と供に
 宇宙船内の両親の席の母の隣に座り、一方的に話した内容とは。
≪ 父親も尊敬してましたが、貴女も人間として見上げる存在でした。
 亡くなった時、医師の希望の解剖の結果、心臓の4分の1が壊死していたこと
を知り愕然としました。2人の息子を死なせ、母としての責任と後悔で重度の
ノイローゼに陥ってしまったことは知っていました。それでも、心臓が四分の一
も壊死していたとは。 中学校2年の時に、夜半、心臓発作のため、立川病院の
院長自らが駆けつけて、止まりかけた心臓のマッサージをしながら、大声で、
『堀井さん、自分で生きようとしなければ助かりません。苦しくても生きたいと、
思って自ら立ち上って下さい!』と絶叫していたのを覚えています。
言語に絶する苦しみが当時の私に伝わっていたと思ってましたが、殆ど分かって
なかったということですよね。 白髪が逆立ち、両手を上に突きあげ。私を見て、
「助けて!」と、絶叫していましたね。 その急場を乗越えた後、少しずつ病状が
良くなっていく過程で、新興宗教に助けを求めたり、宗教書や倫理書を熟読する
ことで、苦しみの種を、一つずつ取除いて立上っていく姿を身近で見ることが
出来ました。貴女の生い立ちは、生れて直ぐに父親が亡くなり、男後家の義父に
苛め抜かれたと、ことあるごとに聞いてました。実母も義父に気遣い、表向き
幼女の貴女には冷たくしていたと。 親からの直の愛情を、子供に与えられた
経験のなさが、仕事の忙しさも手伝って、目先、ガムリャラに生きるしかなく、
息子の不幸を招いたと、聞いていました。これは子供の私たちにも影響をあった
ようです。 その反動が、私に集中し、孫のような特別待遇をして貰いました。
結果的に、それが良かったか、悪かったか。貴女は、子供でも分かるような、
宗教書や倫理の本を何気なく、茶の間において、自然に読ませてくれていたのが、
間接的教育だったのですね。
 10年近くの重度のノイローゼの中で気づいたことは、「過酷の環境下での、
『無教養』が、取返しのつかない不幸の原因だった」ということですよね。
私自身も、「知識の絶対的不足」に気づいたのは、地元を離れた学生時代。
オープンハウス的な寮生活で、全国の多くの人と、私生活を共有したためです。
「面白い共同体の寮があって、実に社会勉強になる」と、何処かから聞きつけ、
放り込まれましたが、その実態について、殆ど話した事はなかったですが…
これが絵に書いたような雑多の家庭事情を持った玉石混合の25室の寮。その部屋
には、その友人も多く出入りをしており、良いにつけ悪いにつけ、赤裸々な様々
な品位を垣間見ることが出来ました。これが、面白い別次元の空間。都会の寮や、
アパートなら、こんなものでしょうが… 
 そういう貴女と33年間も同居することが出来、あまりに多くを学ぶことが
出来たことが、この地球ツアーで一番の成果だったようです。両親にならって
何が創業人生を目指してきたのが、この程度で、です。
『ご覧のとおり、そのまま結構!』とは、あなた方を省みると、決して
言えません。何はあれめぐり会えたことが、一番の感謝すべき幸運だったと、
黄昏の日々を過ごしています。≫

▼ 書いて初めて気付くことが、あまりに多い。愛情は与えることであって、
 受けているだけではダメということですね。 

・・・・・・
5959,閑話小題 ―帰りの宇宙船内で 〜4
2017年07月09日(日)
   * 人生の元をとったかい
 ふと気づくと、学生時代の友人だったAが、隣に座っていた。30年前に
脳梗塞で亡くなった男だが、突然の死で、当分の間、成仏できなかったようだ。
 開口一番『人生の元を取ったかい?』と問うてきた。
 A君が言うには、
『人生の最も美味しい時節の前に、突然終えたのは残念。成仏出来ないまま、
見えていた情報化時代と、ソ連と東欧の共産圏の崩壊の時代に立ちあえた君ら
が、羨ましい限り。あと、老いた父親から強引に実権を取ったことも。』と。
ここでは故人の愚痴の聞き役になっていた。幸せを絵にしたような男だったが…
『堀井な〜。生きている内だよ人生は。それも日常の平凡と、それとは別の
非日常でトリップする経験の組合せを、楽しむことを心掛けることだよ。
それと、孤立でも、孤独でも何でもいい。自分を閉じ籠めて、暗闇の漆黒を
味わうことだよ。そうした分、外の世界の輝きが違って見えてくる。地球は、
広く、深いと、つくづく思うよ。地球は極上の観光名所であり、そこには、
地球自身がつくり上げた大自然と、人間のつくり上げた文明・文化もある。
 それらと可能な限り、触媒し、直感し、味わうことだよ。自分は現実に
溺れ過ぎて、一番大事なこと、平凡の日々と、トリップして現実から離れた
時空を味わうことが、あまりに少なかったよ。』 といって、消えていった。
フッと気付くと、宇宙船が消え、宇宙の漆黒の中、魂だけが独り漂っていた。
30年前に、新潟駅前で事業をしていた時の不動産屋社長で、町内会長だった
酒友で古町を月に一度、10数年、飲み歩いた人と、私の母親の二人への質問
と同じだった。二人とも、「よくぞ聞いてくれた」と?、急に顔色が輝き
だしていた。 老いるに従い、「人生、これ果たして良かったか、悪かった
のか」の自問自答が深くなる。良し悪しとは別に、充実した人生かは、本人
の心の問題になる。2人とも、『とったとった充分とった!』であった。
2人とも、当時70歳後半だった二人の共通点が、何れの時点でも人生を
楽しんでいた。太平洋戦争の最中、何とか家庭を支えて生き抜いてきた。 
その質問を、学生時代の友人が、私に質問をしたのには驚いた。そして、
私の答えも同じ『充分とった!』。
★ 後記= で、偶然だが、以下に続いていく。あの世だけでなく、
 娑婆も漆黒の闇である。 偶然にしても、少し気味が悪い… 

――――
2016/04/04
閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜?
             『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 産業廃棄物の末路
 第二の人生の準備のない人の末路は哀れである。
この言葉は、著者の淳一が、老後の生き方の講演で、聞こえてきた言葉。
リタイア後、邪魔者扱いされている団塊世代の夫に対する、奥方の、
『男って、定年になったらいらないのよね!』が、耳に聞こえてくるようだ。
私自身が、その一人だからこそ身にしみる。ただ、少し離れた仏間に、書斎・
兼パソコン・コーナーをつくって棲み分けて、何とかバランスがとれている。 
また日中は、互いに違ったスポーツ・ジムや図書館に行ったり、別行動が多く、
それで丁度良い間隔が出来ている。 一般的に、夫は妻より7〜8年も早死に
するが、これも長年の仕事からくる磨耗の結果。
 雄ライオンも、支配下の群れを、何時か、より強いのに敗れて乗っ取られた
後は、離れライオンとしての野垂れ死が待っている。先日、旅行帰り立寄った
居酒屋で、何処かのOBらしきグループ7〜8人が、不在の元同僚の悪口が、
襖を隔て聞こえてきた。退職後も、会社の首輪と紐を付けたまま集まって、
昔の傷口を舐めあっている姿が、痛ましい、というより何とも哀れ。
定年後の寂しさを紛らしているようだが、せっかく解放されて、自由を謳歌
できるのに、今さら何だろう? 飼い主の家が全世界で、それも仕方がない
といえば、ないが。 こういう人が、四六時中、家でゴロゴロしていたら
連れあいは、地獄。そういう私も大同小異。 それでも一日単位では、
スポーツジム、図書館、早朝の一時間のミニ・サイクリングに。週単位で、
シネマと、月単位では、何処かの飲み会に。年単位は、家内の鞄持ちの旅行と、
何とかバランスを保っているだけ。
 一般的に、夫が驚くのが妻の外出の多様さという。何せ、長年の主婦歴と、
横に繋がる人間関係が幅が違う。『あの人は、息子の小学校時代の友達の母親
で気が合うの』とか、『今日は大学の同郷OB会の幹事の打ち合わせ』とか、
地元密着型。 ところが、男は縦社会の他動型ロボットで、指示をされないと、
動けない。 「自由の不自由」で、自失呆然。 家に篭るが、妻から家から、
追い出されて、午前は図書館か、公設のSJ辺り。午後からはSCのベンチで、
人通りを眺める日々。これが慣れると悪くないらしい。
そこで、小遣い格差と教養格差がシリアスに出てくる。   ーつづく

・・・・・・
2016/04/05
閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜?
           『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 出かけようにも、何処に? 
 『男って、定年になったらいらないのよね!』 リタイア後に、
こんな言葉を投げかけられたら夫は、グサッとくる。これに近い言葉を
週一は投げかけられているが、長年かけられたら生きる気力がなくなる。
 著者は私より12歳年上。この本を発行した2年後に80歳で亡くなった。
私にとって、70歳代を生きる道標のような内容。75歳からの後期高齢期は、
右下がり一方で厳しいらしい。 教訓として、あと5年間、捨身で生きろ!
〜世田谷区内の高齢者10万人のデーターによると、
・65歳以上の高齢者の4人に3人は、自宅内から一歩も外に出ない。
・近所付き合いは、「ほとんど付き合いがない」「挨拶をする程度」が6割弱。
都会の高齢者、特に男性は家に篭りきりで、外には滅多に出かけないため、
急速にボケるらしい。外に出かけようとしても、何処に行っていいか分からない
上に、手持ちの金が少なく、足腰が痛んだりして外出が億劫になる。
 それに比べ女性のキャリアが長いため、日々を楽しんでいる。
 ここで、著者は妻の禁句として、『どこかに出かけたら』の言葉。
これを言われると、すべての夫は居たたまらなくなり、「うるさい!」と、
言いたいが、その気力もなくなり、それが痴呆化を促す。だから、人生設計に
ライフワークを長年かけてつくっておく必要がある。 そこで、『自伝』の作成
を勧める。誰のための自叙伝でなく、自分のための自叙伝と割切ってしまえば、
過去の思い出は、次々と湧き出てくる。
 独立独歩で生きてきたので、リタイア以後の生活に全く戸惑うことはないし、
部下を介して何かをするのより、一長一短があっても、自分の手足でする方が、
物事がはかどる。 以前から実行してストレス解消になっているのが、週一の
酒とツマミと飲料の買い物。買物症候群という精神質症があるが、私のは小さな
ストレス解消。それと嫌なことがあった時の「百均」の買物。一時間で、7〜8個も
買えば、心が晴れる。 高齢期は特に『おもしろき こともなき世を おもしろく
すみなしものは 心なりけり』の高杉晋作の言葉のように生きるしかない。 
目を凝らすと、面白いこと、楽しいこと、知りたいことが、あまりに多い。 
如何に馬鹿の壁のため、それに気づかなかった?か。
「犬も歩けば 棒にあたる」と、成るほど、昔の人は良いことをいった。
――――
2016/04/06
 閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜?
            『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 70歳代、特に後半は、すざましい!
「70歳代、特に後半は、すざましい!」は、医師である著者からみて、私の
同世代からみて、充分に頷ける。 数ヶ月前に70歳代になって感じたことは、
「(3年を見据えた)一年単位でしか、人生計画を立てられない」という実感。
後方から迫ってきた己の死が、真正面から迫りくるような感覚は、やはり60歳代
とは、全く違う。 人生の峠から見えてきた風景も、寒々としてきた。 
  〜その辺りから〜  
≪ 六十代で運動して、体力をつけるのも悪くはないが、外に出てさまざまな
 人と触れ合い、話し合うのは、それ以上に明るく、若返らせるはずである。
 そして七十代、これはなってみて改めてわかるが、すさまじい世代である。
すさまじいとはなにか。これをあえて具体的にいうと、日々、確実に老いて
弱っていく年代、とでもいおうか。
 その前、六十代は老いるとはいえ、まだ鍛えようによっては伸びる、
強くなる余地もないわけではなかった。しかし、七十代はすべて下るだけ。
あれ、こんなことができなくなった、これも無理かと、不可能なことが増える
ばかり。といって、努力しても無駄。 かくして、ここからは「諦めの時代」、
老いてやがて死ぬ、そのための準備期間といえなくもない。
 こう書くと、人生の末期、暗いだけの時代、と思うかもしれないが、
そうともいいきれない。 このすべて終わりに向かって傾き出す、このときに、
とてつもない発想にとりつかれ、動き出すことがある。 たとえば、突然、
動物や植物に異様に熱中したり、今迄と全然、別の仕事に全力を注ぎこんだり、
激しい恋に溺れたり。
 七十代の高齢者とは思えぬ、激しい行為に熱中する人が少なくない。
そう、わたしも七十代後半になって、突然、自らの不能、インポテンツに
ついて書こうと、思いついたけど。これも、七十代の狂気かも。
賀寿のなかで、七十七歳を喜寿としているが、なにをやらかすか知れない、
狂寿としたらどうだろう。とにかく人生、長く生きてみるとそれなりに
妙味に富み、面白いものですよ。 ≫
▼ 夜半に目が覚めて、フッと自分の死を考えることがあるが、ここにきて、
 それが、リアルなフラッシュの塊と、生きてきた人生が小さな丸=(。)
に凝縮して、それが更に点(.)になり、無限の極小になり、消滅していく
イメージが出てくる。 そして我に返ると、その微小の人生が愛しく思える。
その点の中には、両親、亡くなった兄姉、因縁のあった知人たち、恩師が
リアルに生きている。そして行蔵が詰まっている。 我が人生、万歳。
我が両親、万歳。我が恩師、万歳。我が因縁在りし恩人たち、万歳。
残された人生に、万歳。 考えてみれば、『人生はそのものが狂寿』である。
「誰の?」「すべての!」 だったら、せめて心の底で、狂喜乱舞したら?
考えたことが無かった? なら、考えてみたら! 考えている? 本当に?
バカバカしい? バカになってみてから言ってみたら! で、『男はつらいよ
を見たら!「泣いても笑っても、同じ空」。「狂っても正気でも、同じ空」。
「エライコッチャ、エライコッチャ、同じアフォなら踊らな、ソンソン」か。
それが面倒だから、ウタタネ寝をしている。それもありか! で、残された
時間を、どうしようか? うたた寝で、心の中で狂喜乱舞か、これまでの
人生で培った材料を駆使して、燃焼するか? それもこれも、今さらか。

つれづれに

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 昨日、今日の連休は、各種格闘技や運動の選手権のTV放映が目白押し。 
明日のブログなどの下書きなどを終えてから、ベッドの前でTV三昧。
午後からは、頭を切替える為に、再度のミニチャリの予定。
 極真空手、大学駅伝、格闘技など、昨日にまけない多くの試合が
重なる。 一年に一度の11月初旬連休のイベントディ。
 



・・・・・・
・・・・・・

6079,「幸せ」の4つの種類
2017年11月04日(土)
         <「めんどうくさい」がなくなる本ー鶴田豊和著>
   * 幸せの4つの種類
「幸せの4つの種類」とは、これ如何に? これからすると、この6年半の
スケジュールは、この4種類で構成されている。 変化も受容し、適応さえ
すれば、幸福感は維持することが可能。この4つの感情の背後にはネガティブな
感情が広がっている。しかし、意志の力でポジティブに替えることが可能。
  ~4つの幸せの種類とは~
< ・一つ目が、「ポジティブな動的感情」
  ~たとえば、楽しい、うれしい、おいしい、ワクワク、興奮の感情を指す。
・二つ目が、「フロー状態」。
  ~何かに没頭している、夢中になっている状態。
・三つめが、「自分が行っていることに、意味や意義を感じている」こと。
・四つ目が、「ポジティブな静的感情」です。
  ~心の安定や穏やかさを指す。自然の中で一体化をしている時や、海の中で
  海を見ながら家族と一緒に過ごしている時や、瞑想をして、無心状態の時。
☆ ベストセラー作家で、幸せに関する世界的エキスパートであるマアーシー・
 シャイモフは、この4つ目のポジティブな静的感情を「理由なき幸せ」と呼んで、
 最高の幸せと、説いている。
☆ 1つ目の「ポジティブな動的感情」には、負の側面がある。この感情は、
 瞬間的であり、それに慣れてしまうと、幸せを感じなくなってしまう。
 この幸せの維持のためには、ハードルを上げなくては幸福感が保てなくなる。>

▼ 欧米の休暇のレジャーで、リゾート地の浜辺での日光浴がある。ひたすら
 ボーッとする。これが「理由なき幸せ」である。スケジュールの中で、どれに
なるのか、内省すると、20時から熟睡した後の0時から4時辺りのウトウト状態。
ヨガから取入れた「死者のポーズ」。様ざまの過去や、最近、起こった事象が
自然発生で浮かんでは消えていく。魂の抜け殻の、この私。「死んでしまえば、
全ての感情はカスリキズ」と思い気を楽にする。所詮は「珍獣」と「珍ころ」
の対話でしかないと。 この2つの設定も考えるためのパピット(指人形)。
0~4時までの時間帯を、「ポジティブな静的感情」
4~6時までの、随想日記の完成とネットへのアップが、「フロー状態」
6~7時までの、ポタリングが、「ポジティブな静的感情」
9~12時の、読書と「随想日記」の構想と下書きが、三つ目か。
 午後からはフリーになり、20時の就寝に至る。
その間の隙間に、様ざまなネガティブな感情の嵐が起こっては消えていく。
これがなかったら、即、痴呆症だろうに。 だから面白い。それにつけても、
呆け顔が多い。 悩みが無いというより、「正・中心・一点・無」= 
「生死の問題」から目を背けている。
  <エッ、見たふりしている私よりマシ?> 
 で、以下のとおり、線路が続いていく、いつまでも!

・・・・・・
5712,つれづれに哲学 ~ヤスパーの「実存」について
2016年11月04日(金)
   * ヤスパーの「実存」について
 音楽を聴き、演劇を観て、スポーツの観戦に、大自然の光景に、心を大きく
動かされ感激することが、「哲学的真理」という。それは、それを受け入れる
ことのできる人だけが受け取ることができる権利。 ヤスパーの「実存」
について、明快な文章があった。 (「世界の哲学・思想」小須田健著より)
≪ 他のだれでもない唯一の存在である私を指す言葉を「実存」という。
 ヤスパースによれば、客観的には分析できないし、知識のように知る
ことも出来ません。自分で実感するしか仕方ないのが、「実存」である。
 通常、私たちは成長につれ、自分の世界の果てしなさに一度は圧倒される。
その果てしなさを実感したとき、自分がこの世界のどの辺りにいるか、知り
たいと思う。 様々な経験から、自分は世間の人々と同じ一人でしかないと、
実感したとき、このかけがえの自分が、他の誰とも違う自分という意味での
実存を私たちに確認させてくれる。ヤスパーによれば、各人に固有なあり方
のため、客観的な事物のように分析ができないし、教科書で学ぶ知識の
ように知ることができない。実存は、ある意味で実感するしかない。
 ヤスパースは、各人に実存を与えてくれる経験を、「哲学的真理」と
呼びました。これは、それを必要とし、耳を傾ける心構えのある人にだけ
大きな衝撃を与えてくれる体験のことです。
例えば、ある音楽,小説、映画や出会いから、生涯色あせないインパクトを
受けた経験は、誰にでもあるはずです。このように、他人には取るに足らない
ことでも、自分にとっては切実に響いてくるのが、哲学的真理です。
このような真理との出会いを経験した時、人は確実にそれ以前とは違う
自分になっています。
 つまり、人間は、いろいろな経験を通して常に生まれ変わり、どんどん
向上していく存在なのです。だから、ヤスパースは「人間であるということは
人間になること」である、と説いたのです。 この実存を高める経験の中で、
ヤスパースが最も重視したのが「交わり」の経験。
これは、通常の言語的コミュニケーションとは区別され、切磋琢磨しあい
ながら高まりあっていく人間関係を指します。 ヤスパースは、それを
「愛しながらの争い」とも呼びました。 交わりとは、自分の既成の価値観に
充足せず、常に新しい遭遇の可能性を開いておこうという態度であり、
自分が自分でなくなるような出会いの経験です。≫
▼ 前に取上げた、「限界状況」や「超越者」が、ヤスパーの論として有名。
死や苦悩、争いといった自分ではどうしようも出来ない「限界状況」に直面した
とき、わたしたちは挫折します。しかし、こうした問題は他の誰かに代わって
もらえるものではない。自分の有限性を自覚できるのは自分だけだからである。
この有限性の自覚を通してのみ、自分を超えた真の実存「超越者」の存在に
気づくことが出来るのです。死や苦悩を受け入れ、強い意思をもって生きる
ことで、限界状況から脱出できると、ヤスパースは説いた。
ヤスパース夫妻の収容所送致の日程も決まって、もはや自殺というときに、
米国軍がハイデンブルクを占拠し、妻と共に奇跡的に命拾いをした。 
彼によると、「自国の政府によって殺される寸前、敵国の軍隊により命を
救われた」ことになる。「限界状況」や「超越者」から考えみると、
<創業そのものが、実存の経験である!>  また秘異境旅行も然り。
 そこで見る光景の感動が、内なる「超越者」を垣間見ることになる。

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5347,事前の一策は、事後の百策に勝る ~2
2015年11月04日(水)
 何時ものようにボ~っとしていたら、「事前の一策は、事後の百策に勝る」
という格言が浮かんできた。そこで以前、このタイトルのテーマを書いて
いたことを思い出した。 HP内検索で調べると、15年近く前であった。 
 会社整理も、事前の一策、いや10策・20策を長年かけ立てていたため、
最小の打撃で終えることが出来た。考えれば事前にしか出来ないことは、
幾らでもある。楽観だけでは世渡りはできない。最悪の事態の用意を、常日頃
から立てておく必要性をつくづく思い知らされる。事前の策は、最悪の事態を
想定し、シェルター、救命ボート、セフテイー避難口を用意してことである。
これは創業設計からの事前段階に組入れておくか、長年かけた準備をすれば、
さほど難しいことではない。これは、サラリーマンや、二代目には、何のこと
やら理解できない。幼児から少年期の両親の倒産の不安話からも学んだ事。
 この事業清算で、多くの人たちの視線、視点が滑稽にみえていた。
私の知る限り9割以上が最悪の想定の対処がしてない?のではないか。
それぞれが知っている範囲でしか判断できないことが透けて見えてくる。
 当時の私より、推定だが9割以上の中小企業の万一の備えが悪いことを
知らないで、「他人の不幸は蜜の味」と他人事と冷笑していたようだ。
 両親の倒産・夜逃げ話が、私に取っての子守唄であったことを誰も知りうる
はずはない。他人の隠された経験を推し量れないのは、自分自身にも当て
はまることを「合せ鏡」として知るに絶好であった。何事も、自分の分厚い
様ざまの色のサングラスを通してしか理解できないことが自覚できてない。  
 何事も、一に準備、二に準備、三に準備が必要である。 人生においての
準備は、ベースとなる教養である。他人様の教養度は、少しの接触では計れ
ない。その段差が大きいと、浅い人からは皆目、知る由がない。
 あれから4年半、あと半年で5年(私にとって)の喪があける。
あの結果が、私の人生にとってベストと思えるかどうか? 
どのみち同じことか! 人生は絶妙に出来ている。
「事前の愚作は事後の百策をフイにする」というところか、人生は!
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2002/01/16
事前の一策は事後の百策に勝る

生きてきて、事業を通してつくづく感じる事である。
これは準備の大事さ、計画の大事さをいっている。

ビル計画の場合、出来上がった後「こうしておけばよかった、
ああしておけばよかった」ということが出てきても、その
修正に莫大の費用がかかってしまう。従ってアアでもないコウでもない
と仮説を立て、あらゆるケースを考え設計にエネルギーを叩き込む。

これ以上もう考えられないところまで、考え尽くす。
それをどこまでやれたかが、10年~20年後に結果として出てくる。
宮大工は、自分が死んだ数百年後の修理のことまで十分意識して、
建物を造るという。数百年後の宮大工を意識して仕事をするという。

以前何かに書いたが、成功の言葉は「練り上げ成す」という。
事前の一策を練る事といえる。
一般にみていると、「事前の一策の戦略ミス」を「事後の戦術でカバーして
いるプロセスを踏んでいる」ケースが多い。本人はその意識もないレベルだが。
他人事でないか?事前の一策をどう打つか、立てるかがポイントになってくる。

それでは「それを十分に立てることが可能か?」もちろん「可能」である。
十分な情報収集とその分析に、時間とエネルギーをかけることである。
過去の自分の失敗事例と成功事例を振り返ると、ここに行き着く!
準備とは集中の要である。準備とはなんに集中するかを、
とことん突き詰める事だ。

計画中断も一策かもしれない。根本から数回やり直すことも、
必要だったらやるべきだ。やる前ならどうとでも修正できる。

結婚もそれがいえるかもしれない。以前は「足入れ婚」があったという。
数年住んだあとで、籍を入れる、ああそうか今は同棲という形か!
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4982,瞬間説得 ー3
2014年11月04日(火)
    「瞬間説得ーその気にさせる究極の方法」ケヴィン・ダットン著
  * 美人であることが、瞬間説得になる!
 「美人は本当に得か?」という研究を社会心理学者がしたところ、
その答えは、「本当」である。今さらで驚くべきことでないが、
女性にとっては大問題。 ーその辺りを要約するとー
・署名活動で、美人の方が普通の人より格段に多く集めるし、
・美人のボランティアが立っている慈善街頭募金は、圧倒的に金額が多いし、
・裁判でも、容姿の魅力が効果をあげ量刑が軽くなっているという。 
アメリカの大学の実験で、男子大学生に事前に被験者の細かい情報に加え、
 美人と、そうでない人の写真を混ぜておくと、事前の10分間の電話打合せ
 では、魅力度で、対応に明らかな変化をもたらす結果だった。
・もっと露骨な調査があった。排卵期、月経期、その他のグループの3つに
 分けて、どのグループの女性が、持てたかというのもある。もちろん、
 子供ができる可能性が高い排卵期の女性で、フェロモンが出ていたため?
   ーこのジョークが、まさに瞬間説得である。
《 交通警察官が、スピード違反でバイクの男をつかまえた。
「違反切符を切れないような、納得できる理由があればいってくれ」と警官。
「それがさ。先週、女房がおたくの警官と駆け落ちをしたんだ。それが、
パトカーを見たとたん、彼女を帰しにきたかと思って逃げたんだよ」》
 身近なペットを見ても、それぞれの方法で飼主への瞬間説得を身につける。
ペットのインコは、鳴き声と、止り木での回転と、視線で瞬間説得をしている。
アイコンタクトも、女性の流し目も同じ。「目は口ほどにモノを言い」である。 
TVのスポットCMも、15~20秒の瞬間説得になる。特に、女性への
コンプレックスCM(化粧品、ヤセ薬、装飾品)が巧妙で見ていて面白い。 
香水は、瞬間説得の最たるもの。 それと褒め言葉も。
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4615, 閑話小題 ー愛すればそっくり
2013年11月04日(月)
   * 愛すればそっくり
 30年間、ウォーキングとポタリングを続けてきた中、犬の散歩と行き
あってきたが、何故か犬と飼い主の姿と顔が似ている。TV番組で、その
レポートをしていたが、学者まで出て分析をしていた。犬と飼い主の写真を
左右において、ペア当てをしたところ、7割が一致。そこで、目だけを両者
切り取ってペア当てをさせたところ、やはり7割が一致。同じ環境で、
似たようなものを食べていれば似てくるのか? しかし飼った年月が長い
ほど似てくるか? といえば、そうでない。そこで「自分に似た犬を無意識に
選定する」という説がクローズアップ。同じ環境と、互の性格が同化する説が
尤もらしい。 似た者夫婦というが、同じ? 犬は上下が明確だが、夫婦は
対等?で、愛憎相まり!正反対の顔になっていくケースが多い? 
   * シネマ『スティーブ・ジョブズ
 シネマで『スティーブ・ジョブズ』をみてきた。ーシネマのブログにはー        
【 常に既成の枠組みを打ち破り、理想を求め続けたスティーブ・ジョブズ
人と違う考え方を貫き、周りの人全てを敵に回した<反逆児>が、どうやって、
世界中の人に愛されるデバイスを創ったのか。 シリコンバレーの寵児と
呼ばれながらも繰り返される成功と挫折の狭間で、彼は何を考え、何を想った
のか―。1970年代、友人たちと共に自宅ガレージからスタートしたアップル
・コンピューター。 その類稀なる創造力により、文字通り“世界を変えた”
天才の半生を描いた大注目作。】
▼ ジョブスに関するドキュメントは、幾つかTVで取り扱われており、
 シネマは、それらを忠実に物語化。その中で、ジョブスが、マイクロソフト
ビル・ゲイツ氏に電話越しに怒鳴りつける場面が圧巻。ジョブスは
「絵文字をモニター画面上に表したりマッピングの概念」をゼロックスから
盗み、そのアップルからゲイツが盗作したのである。
《 画面をスクロールするために「ボタン」をかたどった部品の絵を使ったり
 して、PCを直感的に、しかも簡単に操作できるようにしたウィンドウズは、
これらの経緯で出来ている 》ということ。
 映画では、ガレージでアップルを興した20代初めから、晩年までの約30年間
ジョブズ氏の人生のストーリ。まず学生時代に、友人たちと自宅のガレージ
でアップルを設立するところからスタート。4年で株式を上場させ富と名声を
手にするも、目に余る傍若無人ぶりで「君自身がアップルの敵だ」と役員の
全員一致で解任されてしまったジョブズ氏が、それでも夢を諦めずピンチに
陥ったアップルに立ち戻って「アップルをもう一度クールに」と大胆かつ
斬新なビジョンを実現していく。そのキッカケが、iPodである。
そしてiPhoneiPadにつながっていく。ウィンドウズも元といえば、ジョブス。
ジョブス、ゲイツは、明らかに歴史を変えた人物として残る。 ~評価85点
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4240, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー13
2012年11月04日(日)
  * 駅伝のルーツとは  ー「ルーツ大全」インフォペディア編より
 今日、大学選抜の駅伝が行われるが、駅伝のルーツが、この本にあった。
飛脚がルーツという感があったが、なるほど、色いろな経緯があった。
箱根駅伝もTV中継をするようになってから爆発的にファンが増えた。 
 -まずは、その辺りを抜粋する。
≪選手がリレーして走る、いわばロード・リレー・レースである駅伝は、
 日本発祥のスポーツである。最初に駅伝が行なわれたのは、1917(大正六)年
のことだ。この年は、京都から東京へ首都が移ってからちょうど50年目にあたる。
当時の有名企業は、こぞって50周年の記念行事を計画し、駅伝はそうした企画の
なかの一つとして、考案されたものだった。駅伝を発案したのは、当時はまだ
朝日新聞毎日新聞の後塵を拝していた読売新聞の青年社員。彼は、京都の
三条大橋から東京の上野を結んで、昔の飛脚のように東海道五十三次をマラソン
リレーする斬新なアイデアを考え出した。「駅伝」という名前はこの時考え
出された。鉄道の駅に立ち寄るわけでもないのに、なぜ駅伝という名前が
つけられたのだろうか。これは、古代の「駅伝制度」にちなんでいる。
古くは飛鳥時代から、日本の主な街道には、急ぎの使老が乗り継ぐための
馬を配した「駅馬」「伝馬」が置かれていた。選手たちが次々に走り継いで
いく様子をこれになぞらえ「駅伝」と名づけたのだ。この日本初の駅伝は、
関東組、関西組のニチームで争われ、選手たちは三日間昼夜を徹して東海道
走り抜いた。沿道は世紀の大勝負に大観衆が熱狂して声援を送り、最後は
関東組の勝利に終わった。この駅伝大会が成功したため、三年後は東京と箱根
を往復する駅伝大会が始めている。これが現在の箱根駅伝。最近では海外でも
駅伝が行なわれている。日本が生んだ競技が、世界に広がりつつある。≫
▼ 駅伝は順調でもチームの一人が倒れれば、それで終わりとう危険がある。
だから、見ている分には面白い。倒れた人は、それで一生の傷を負う。
甲子園の野球に、似たところがあって、そのドラマは残酷でさえある。