「やさしさ」という技術 2015/12/3
                   ステファン・アインホルン (著),
    * やさしさは、気づかいから…
  〜まずは本書の印象に残った個所をコピーから〜
≪ ☆「おはずかしい話ですが、私は生涯、人類の行く末について考えてきた
 というのに、結局は“もう少し人にやさしくしなさい"という言葉よりもましな
 助言を人に与えられないことがわかったのです」
         ――オルダス・ハクスリー(イギリスの哲学者・小説家)
☆ ―「はじめに」より―
「お金持ちになる方法や、頭がよくなる方法、創造力や仕事のスキルを高める
 方法について書かれた本はすでにたくさんある。だが、やさしさの技術を磨き、
よいことをして成功する方法について書かれているのは、本書以外にはないと…。
一般的な通念では、やさしさとは「生まれもった資質・性格」であって、個人
の意思でコントロールできるものではない。だが本書を読んでもらえればわかる
とおり、これは正しくない。一部は親から受継ぐものだが、やさしさというのは、
誰でも意識的に身につけることができ、一生磨き続けることができる「技術」だ。
そしてこの技術こそが、人生で成功を収めるために、そしてこの世界をより住み
やすい場所に変えるために、もっとも重要な要素なのである。
さらに私が伝えたいのは、私たちは自己犠牲的な博愛主義者になる必要はなく、
利己的な動機から他人によい行いをしてもまったく問題はないということだ。
やさしさは、まちがいなくあなたの得になる。こう聞いて憤慨なさる方も
いらっしゃるかもしれないが、本書を読み終えるころには、みなさんにも納得
してもらえると私は信じている」         
 ――
☆「毎晩ベッドで寝入るまでに一時間はかかる。でもその時間を苦痛には感じ
 ないんだ。あれこれと考え事ができるから。そうだな、その時間は家族に何を
 したら喜んでもらえるかをじっくり考えるよ。昼間は仕事のことをあれこれ
 考えてしまうからね」
☆ 公の場で大変な状況に出くわした時。「私の問題じゃない」と思った時は
 「もしこれが私の問題じゃないのなら、いったい誰の問題だろう?
 こんな時、人間らしく、仲間として行動をするのは誰の役目なんだろう?」
☆ チューリッヒ駅に一人の年老いた女性が立っている。しかもここ10年間、
 毎日。女性の名はハイジ。通行人のために祈っている。慈愛に満ちた眼差し
 で通行人に神様のご加護がありますようにと。
☆ ー人は自分がいい扱いを受ければ自分も周りに人を大事に扱おうとする
 ー晴れの日の方がチップが多い。
 ー良いテスト結果と伝えたグループは募金額が多い。
☆ 人生は計り知れないほど豊かで意味あるものだ。問題は私たちが忙しすぎて
 重要なことや意義のあることをなかなかできないことにある。できたとしても
 私たちはそれらがどれだけ意義深くどれほど重要かを必ずしも理解している
 ワケではない。だからこそ私たちは立ち止まって周囲を見渡し自分の行動を
 見直すべきだ。そして私たちは何が意義深くて何がそうでないかを判断する
 能力をやしなうべきなのだ。 ≫

▼ やさしさですか。人生を振返るとき、多くの人は、それを実感するはず。
 父親が家族、親族に一家を引継いだ当主としてからか、身内に対して非常に
親切だった。現在、核家族化が進む中で、身内の中も、距離が出来てしまった。
属する社会が、家族、親せき、学生時代の友人から、ネットへ大きく移動した
昨今、さらに、この傾向が強くなっている。ネット上だけでなく、身辺の人の
やさしさが必要のようである。「その善良さは、他の資質が相まってこそ」と、
言いたいが… 結局は、相手の話を果てしなく聞いてやるのが、第一歩。
しかし、特に年齢を重ねるほど、その必要性がある。それは分かってはいても、
老いるほど、何事も億劫になる。底が浅いということになるが、私は、まずは
自分の心の声を聴くことから。
で、毎日、過去17年分の、このテーマ日記を読み直し、当日分を読返している。
まず読返すのが前日分を読むが、恥ずかしいかな、必ずや間違い文字や、いい
加減な論理が目につき、修正する。 これをしないと、数年後に読返した時に
何とも嫌な心持になる。 この程度の内容でも、私にとって限界の線上。
だから諦めもつく。鼻先で笑うなら、実践してみたら? と。翌日、読返し、
前日分の誤字、当て字を見出し、その上に、数年前の中の文章にも… そして、
知能の程度が露わな内容の直面が連日、続くことに。愚痴になったが…
 昨日も、連れに、『今朝のブログに「やさしさ」をテーマに書いて、何よ。
まずは、私からでしょう! 笑わすんじゃないわよ』 と一括された。
その一言に、ロクに読んでないことが見て取れたから怒る以前の愚痴。
『やさしくなれないから、テーマに取上げたんだ!』とも言い返せず、ったく!

後記: 芯から優しくなるには、苦労に苦労を重ねないと出来ないんじゃない。
 テクニックではないんじゃないですか? 力も、知性も、あってこそ、包み込め
るんじゃないですか? しかし、それでもやさしさは必要。放っておけば人間は
野獣の顔になるから、せめて、「ふり」から入ればいいのさ。そうでしょ!
8年前から現在に至るまで、年に数度、吠えかけられるが、ほぼ老化現象か、
鬱症が見て取れる。2〜3年以内に、そのまま表立つから面白い! 
私も含めてだが、抱え込んだ問題を病気とすると、解りやすい。
問題は、対象にあるのではなく、当人の病の中にあるのである。それに
気づかないから、直ぐか、2〜3年後に、返り矢として当たる自然な事態。

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5709,つれづれに哲学 〜「イリヤ」について
2016年11月01日(火)
  * レヴィナスの、「イリヤ」について
 収容所から生還したレヴィナスの知人・親戚縁者の殆どが殺されていた。が、
世界は、そのまま、何事も無かったように存在している、その不思議と恐怖。
それを「主語無き存在」と語る。二人称の消滅した世界も末恐ろしいのだろ。
80歳半ばにもなると、同年代が次々と亡くなっていく恐怖に似ているのか。
≪ 【ハイデガーと対決したレヴィナスは、「存在」について、いかなる
 存在者も存在しないが「この存在者が存在しないという無」それ自体は
存在するとし、存在者なき存在を「il y a」と表現した。
存在について、ハイデガーは「〜がある(独語:es gibt〜)」を用いたが、
レヴィナスは「〜がある(仏語:il y a〜)」を用いて語ろうとした。
 ハイデガーの「es gibt」は「それが与える」という意味の他動詞。
一方、レヴィナスの「il y a」は「それがそこで持つ」という自動詞。
ハイデガーが指摘した「存在者(あるもの)」と「存在(あること)」
という区別を、レヴィナスも踏襲はするが、その時、「存在」が「存在者」の
述語となっているので、「存在」のより根源的な意味が見て取られていない、
レヴィナスは批判する。レヴィナスがここで考えるのが「存在者なき存在」。】
 ヤスパーは、ユダヤ人だったレヴィナスの妻など、親戚・知人の殆どを
ナチストに殺される。辛じて強制収容所から生き延びたものの全てを失う。
それでも、なお、世界はそのまま存在している…。
何が存在しているのだろう。レヴィナスは、このような主語無き存在を、
イリヤ」と呼んだ。自分中心の世界を創り上げれば、イリヤの孤独から逃れる
ことが出来るのか。いや、できない。それは、自分が知っている範囲で世界を
構築しているため。その恐ろしいイリヤから、抜け出せる道を、
「他者の顔に、その道を見いだす」とする。≫
▼ 死に直面すると、「自分の死後も、世界は何事もなかったように
 動いていくことが奇妙に思われ、それが恐怖心を呼起す」という。
それと、この世で遣り残した事と、残していかざるをえない家族と財産。
「あ〜、何で物でなく、事にしておかなかったか。事なら持っていけたのに!」
誰もかも、何も持たずに生れてきて、何も持たずに死んでいく。
レヴィナスの考える、<「存在者なき存在」> の自らの体験。絶対孤独の
世界の恐怖が、死に向かう人たちの共通の感覚だろう。 で、以下につづく。

・・・・・・
5344,自殺っていけないの? 〜身の下相談
2015年11月01日(日)
           身の下相談にお答えしますー上野千鶴子
   * 自殺って何でいけないの?
 〜問い: 自殺は本当にいけないですか 〜相談者無職男性50代
≪50代の無職男性です。自殺について相談します。自殺者は13年連続で
年3万人超と報道されています。世間一般的には自殺は良くない、弱い人間の
することだという暗いイメージができあがっています。どんな理由があっても、
自殺は絶対にいけないと言います。でも私は、自殺を正当化できないか、後ろ
暗いイメージを残さないで自死できないかと考えてきました。人に迷惑をかけ
ない方法で自殺するとしても、本当にいけないことでしょうか。将来性のある
小学生や中学、高校生の若い子たちが、いじめが要因で自死を選ぶのは肯定
できません。でも私のように50代で無職、独身、今までにやbたいよにや⊃て
きたし、親しい友人や知人もいないし、兄弟親戚もいないなら、遺族となって
悲しくつらい思いをさせる人たちもいません。特にこだわることも無く生きて
きて、年金保険料は25年以上納めました。私が年金支給年齢に達する前に自死
を選択すれば、国から支給されるはずの年金は国庫に戻ります。将来の年金を
支給するための財源として、消費税の増税をしようとしている政府にとっても、
私が自死すれば負担は軽くなり、究極の社会貢献だと思います。
世間一般的に言う将来を悲観しての自死ではなく、明るく前向きな自死だと
私自身は思うのですがいかがでしょうか。≫
≪ 答え: 正直に弱さを認めましょう
 ひとは社会的な理由からではなく、個人的な理由から自殺します。
冒頭「世間一般的には」と書き起こすあなたは、自殺する気が、はなから
ない人とお見受けしました。するってえと、このご質問の意図は?
☆ 解釈そのー。
 回答者に議論をふっかけてどんな答えが返ってくるか相手を試す。
残念ですがそんな一般論に付きあっているヒマはありません。
☆ 解釈その2。「自殺の正当化」の理由を求めているあなたは、この欄の回答
 をその司正当化」の根拠にしようとしている。自殺は積極的なアクションで
あり、遺書は生涯最後の命をかけたメッセージ。そこに「朝日の悩みのるつつぼ
で、こんな回答をもらったから」なんて書かれてはたまりません。その手は桑名
の焼きはまぐり。そもそもこの欄の回答には、命をかける値打はありません。
☆ 解釈その3。信念や信条で自殺なさるならとくにおとめしません。ただし
 あなたのその信頼にわたしは同意しませんし、つまらない信条だと思います。
くりかえしますがひとは社会的な理由から自殺することはありませんし、あなた
が言うように「将来を悲観して」自殺を選ぶこともありません。ひとは個人的な
理由から現在を悲観して自殺を選ぶので、現在とくに死ぬ理由がなければ、
ホンモノの自殺志願者から自殺をロ先でもてあそぶ者と、怒りを買うでしよう。
☆ 解釈その4。この文章には書かれていない何かもっとべつな理由で、
 あなたは死にたいと思っており、それを引きとめてほしいと思っている。
そもそも本気で死ぬつもりのひとは、お悩み相談なんてしません。
「死にたい」メッセージは、その実「死にたくない」メッセージ。
自殺者がたび重なる自殺予告をすることは知られていますが、それはその
メッセージを受け止めてほしいという心の現われです。
▼ 誰も、好んで自殺をするのではなく、それだけの苦しい理由がある。
 自殺も、時と場合によって肯定されて然るべきである。誰が社会的理由で
自殺をしなければならないのか? その辺が中途半端。自殺の正当化など、
死んでしまえば、如何でもよいこと。但し、身辺の人を傷つける気遣いは?
・・・・・・
79,閑話小題 ー話すより書け      
2014年11月01日(土)
   * まずは、話すより書け
 数ヶ月前になるが、小学校の同期会が近隣の温泉宿で行われた。
86歳の担任の西澤先生も出席され、会の始まる前に別室の先生に挨拶にいき20分
ほど話をさせてもらった。以前、新潟で一晩、御一緒して古町に飲みにいった
ことがあった。その時、社内報に書きつらねた『事業百訓』のコピーを差上げたが、
その話から、『今ではブログに13年以上、毎日欠かさず文章を書き続けて、身近な
30人〜40人位が読者になっています。慣れてくると、これが面白くなって、毎日
2〜3時間はかけてます』と話すと、『そうですね、話すより書けと言いますよね。
書けば、一度、内容を整理できるうえに、考えますから・・』と答えられた。
先生から、高校、大学の合格時に、お祝いの葉書を頂戴した。そして三年前?
も慰めの葉書を頂いていた。先生は筆書の達筆家。そのため、悪筆の私には、
それがプレッシャーになり、その返事に悪戦苦闘。
大学のゼミの武澤先生も、何度も、手紙を頂いた。話すより、書けである。
入院した人に一番良いのが葉書の便りというが・・ 書く癖をつけると、論理的
になって、相手の話の骨格が把握できるようになる。読書と、手紙を多く書いて
いる人は、そうでない人に比べ、話す内容が格段の差が出てくる。逆に、一寸
した世間話に、気楽に答えられなくなり、結果として、硬い印象を与えてしまう。
性格もあるが・・ 頭に浮かんだ言葉を、一度、書き出してみると、更に、
考えが出てくる。話すことで、次々と、新たに考えるタイプもいるが・・
早朝、この文章の加筆、修正をしていると、意識内での自己対話をしている
感覚になる。それと、誰かに向かい問いかけをしているような・・ それが内省、
内観にもなっている。大自然に、一流芸術に触れ、驚き、感激し、感動し、
それを言葉にし、自己対話をし、誰かに話す、そして書き出し、残す。
この一連が人生を豊かにする。 
・・・・・・
6076,閑話小題 〜「CSI」もどき事件
2017年11月01日(水)
 「CSI:科学捜査班」とは、10数年来みてきた刑事モノ。まだ見てない録画
が30本も残っている。ということは、録画が300本あるので一割を占める。
 当初は、外れが少なく面白かったが、さすがにマンネリ化していた。 
猟奇連続殺人モノが多く、7人のチームが豪華な小型機で都市間を移動する。
取扱う犯罪は、トラウマを抱えた異常者が次々と犯罪を重ねるが、短時間で
手際よく解決していく。こういう大量殺人は時々、表立って大騒ぎに。
これに刺激されてか、日本でも起きてしまった。2ヶ月で9人の殺人とは! 
これで果たして済むのか。更なる大量殺人が露見するのか? 
  〜 「CSI」を検索すると
≪ 『CSI:科学捜査班』(CSI)は、 アメリカ合衆国CBS他にて2000年から
 2015年まで放映されていたテレビドラマ。大ヒットにより、多くの人がCSI
警察に実在する組織と誤認、ここに就職したいとの志望者が殺到した。
そこで各警察署でも科学捜査を行うセクションを独立させ、CSI命名した、
とのことである。概要は、華やかなカジノを中心に人々の欲望が渦巻く街・
ラスベガスを舞台に次々に起こる難事件を、科学捜査班(正しくは鑑識班)が
最新科学を駆使して、現場証拠から犯人及び犯行過程を解明していく。
 シーズン1から平均視聴者数は2000万人超えを記録、通算100話目となる
シーズン5第8話「第三の性」では、シリーズ最多となる3146万人の視聴者数を
記録した。その後、サイバー犯罪に的を絞った『CSI:サイバー』も視聴率が
伸び悩んだため第2シーズンで打ち切りとなり、2016年3月で16年間続いてきた
CSIシリーズは終焉を迎えることとなった。≫

▼ ドラマとはいえ各国の社会の実態を垣間見れるが刑事モノ。
 物語は生生しくシリアス。それぞれの社会の陰の一部を抉り出す。
最近は英国、北欧の刑事モノが面白い。子供の臓器販売とか、人身売買とか、
東方諸国の移民問題のトラブルとか様ざまだが、スリルとサスペンスに満ちて
いる。しかし、物覚えもつかない子供の頃から、見ていたとしたら、こういう
事件も起きるだろう。還暦も過ぎた頃から実感するのは、社会は若い人たち
中心にまわっていること。充分に味わってきたので、「ああ時代が変わった!」
で済むが、味わってこなかったとしたら、社会に怒りを感じ、何かしらの怒りを
向けたくなるのが人の情。で、自殺願望の弱者に対して、こういう犯罪が起
しまった。「事実は小説より奇なり」の実態とは? 当分、このニュースが
中心になるが。朝鮮戦争の危機から目を離さないことだ。一番危ないのが、
足元が大揺れのトランプ大統領と、金様。数百万の人命に関わるからだ。 
・・・・・・
4612, 君は1万円札を破れるか? ー2
2013年11月01日(金)
            ー君は1万円札を破れるか? ー 苫米地英人 (著)
   * 世間を覆う「不安」の正体 ーお金の本質は「情報」であるー 
《 今の世の中、「先行きの不安」を感じている人が、大変多いようです。
2010年に次の世論調査の結果が発表。世界の国内総生産の75%を占める先進
23ヶ国の人々を対象に「将来について安心を感じるか、不安を感じるか」
という質問をしたところ。将来が「安心」と回答した人が23ヶ国中最低の86%
もの人が「不安」と回答えたそうです。ちなみに,「安心」と回答した割合が
高かった国のトップはインド(79%)、中国(78%)、オーストラリア(73%)
でした。 なるほど、インドや中国は今後、飛躍的な経済成長が見込まれて
いますし、オーストラリアは先進国の中にあって健全な財政状況が続いています。
それに比べて日本はと考えたときに、将来に不安を覚える人が多いこと。
・・恐怖というのは、その対象がハッキリしているものをいいます。その対象に
よって自身にどんな危険がもたらされるのかという認識が生じます。
その危険に対して、なんらかの対処をしなければという反応を伴う精神状態が
「恐怖」です。 たとえば、山道を歩いていてへピに出くわしたときに感じる
のは「不安」ではなく「恐怖」。「かまれたら、危ないかもしれない」と危険を
認識して、一目散に逃げるなり、危険を回避するための行動を取ろうとします。
それに対しして不安とは、その対象がはっきりしないもの。精神医学でいう
不安症とは、具体的に恐れる対象や根拠がないにもかがわらず
「何かいやなこと、恐ろしいことが起こるかもしれない・・」といった
悪い未来を漠然と予測し、不安にとらわれる病気。日本国民の大半が、不安感
に取りつかれている。「会社の業績が不振で減給された。いずれリストラされる
のでは……」「企業が次つぎ倒産し、求人がへり仕事に就けなくない…」
「年金や国保などの社会保障制度も維持できなくなることはわかりきっている…」
など不安を感じる理由が挙がってくる。けれど、「不況」や「財政破綻」など
の問題に対して、「どのように危険なのか」を正確に判断し、「どうすれば
対処できるか」といったことにまで考えをめぐらせている人は、あまり多くない
でしょう。大半の人は、テレビのニュースや新聞、雑誌などでそれらの言葉を
見かけるたびに、ただ漠然と「何か困ったことが起こり、その弊害が自分の身
にも及ぶのではないか」と不安を煽られているだけでないでしょうか。 
その不安の正体を突き詰めれぱ、「お金に関する不安」です。世の中の先行きが
恩わしくない方向に向かつていて、そのために自分が充分なお金を得られなく
なり、生活が苦しくなる・・ そんな不安に多くの人がさいなやまされている
わけです。 最初に結論を言っておきます。現代のお金は、単なる「情報」に
過ぎない。「これには、これだけの価値がありますよ」と主張する情報です。
これもまた「信用」という情報のみです。 多くの人は、日ごろ目にしている
紙幣や硬貨のことをお金と思っているかもしれません。紙幣や硬貨には物理的
な実体がありますが、実は、それはお金の実質ではありません。仮の姿だと
いってもいい。お金の本質により近いのは、みなさんの預金通帳に記帳されて
いる「数字」です。こういうと、「実際にお金があるから。通帳に数字が書き
込まれているんでしょう」と思われるかもしれません。通帳に起蔵されている
残高をいつでも引き出すことができる。それはただ、お金が出人りしている
記録だろう、と。実は、そうではない。数字のほうが本質で、紙幣やコインは
それを目に見えるようにして、やりとりできるための道具。
ただの紙っぺらであり、金属片に適ぎないのです。》
▼ 準備期間を含めた45年間の創業と事業人生、このカラクリを真に分かって
 いただろうか。2001年の9・11テロから急激に地方経済が悪化していった辺り
から、バブル崩壊の上に、更に大きな並みが押し寄せてきている。9・11テロも、
やらせ?・・そして、リーマンショックと、3・11災害と世界規模の地震津波
経済震災と、自然震災が世界と日本を襲った。お金の正体は情報というなら、
情報機器の革命的進化が世界を根こそぎ変えている。それが、経済震災で
リーマンショック、政治的には北アフリカ、中東の政変であり、欧米経済の
衰退。そして、静かに進行している世界恐慌
・・・・・・
4237, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー10
2012年11月01日(木)                       
 * 卓球をピンポンと呼ぶのはなぜか    
              ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より   
卓球は英語で「テーブルテ二ス」という。1880年代、イギリスのテ二ス愛好家
たちによって考案されたスポーツだ。じつはテーブルテニスというのはあとで
ついた名前で、もともとはイギリスでもアメリカでも「ピンポン」と呼ばれた。
ピンポンの語源は、当時使われていた中空の革張りラケットで球を打つと「ピン」
という音が出て、球がテーブルに当たると、「ボン」と聞こえるところからきて
いる。この名称が卓球協会の名称として正式に採用され、イギリスとアメリ
では「ピンポン協会」が設立された。ところが、このピンポンという名称は
すでにイギリスで商標登録されていることが、あとになって判明。スポーツ用品
メーカーが家族で遊べる玩具として発売していた卓球セットの商品名を、
「ピンポン」として登録していたのだ。そこで、トラブルを避けるため、
イギリスのピンポン協会は解体された。今でも卓球をピンポンと呼ぶのは、
当時の名残り。
   * 土壇場は斬首刑の土もリ
ドタキャンとかいう、土壇場の意味は、字の通り「土を盛って築いた壇の場所」。
江戸時代の死刑に、この土壇場に罪人を横たわらせて斬首刑を執行したため、
土壇場は「斬首刑の刑場」を意味していた。土壇場に上げられた罪人は、手足を
拘束され、どうにもならない状態で処刑を迎えた。ここから土壇場は、どうにも
ならない事態をさすようになった。
▼ 土壇場で死に直面した時のの恐怖は、言語に絶するだろう。そういえば、
 ユーチューブで、フセインが絞首刑になるまでの映像があった。吉田松陰
恐怖で転げまわったとか。ところで、バンジージャンプの飛込み台の恐怖の
どん底の凍りついた瞬間を思い出した! 数分前から恐怖で呼吸困難、頭の中は
真っ白!「こんなはずでなかった!」という言葉。躊躇するほど恐怖が倍増
してくる。ワッーという感じで飛び込んだが・・ 高層ビルから投身自殺を
しようとして、2Fで何かに引っかかり九死に一生を得た人のインタビューを
TVで見たことがあるが、その直前まで意識があり、鮮明に落下していく光景が
見えていたという。ロシアン・ルーレットも、こんな感じだろう。
快感のところもあるようだが。

つれづれに

イメージ 1

 他のブログ
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 昨日は、家内がイオンのSJで留守のため、寝室に閉じこもって
録り溜の映画とドラマをみたが、どれもこれも面白い。
アメリカ映画は、映画の背景にキリスト教的な倫理が入っている。
そのため、どこか疾しい気持ちが湧き上がる。
それにしても、過激なのが多い。




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3872, 一人旅
2011年11月01日(火)

  一人旅を過去に何度かしたことがある。北海道と九州に、それぞれ10日間ほどと、大学を出て四日市
勤務をしたときに、紀州の尾鷲に一泊したこともあった。 金沢で修行していた時には、観光バスの日帰り
コースで能登半島に行ってきた。23歳から26歳の4年間、精神的な体力が出来たころである。
一人旅には、それに似合った時節がある。27歳で結婚し、事業の立ち上げを始める直前。振りかえってみると、
その時節しかタイミングがなかったのである。 一人旅をすべき時節に、すべき事をしていたことになる。
 一人旅は思い立ったら、駅の旅行センターで、「一週間ほど北海道の一人旅をしたい」といえば、窓口の
担当者が、そのルートを一緒に組んでくれ、列車と宿の手配をしてくれる。そして、そのルートに従えばよい。
一度、列車に踏み込めば、不安とか、孤独感はなくなる。 若さもあり、一人旅そのものに酔っている部分
もあった。 当時の記憶が少ないのは、目先が変化変化の連続で、刺激の強い日々だったからである。 
現在、一人旅というと、面倒という思いが先にたつ。 しかし今から思うと北海道も、九州も思いで深い。
人生を振り返ると、それぞれの時節の思い出があるが、特に旅行の思い出は大きい。
北海道は、青森から青函連絡船に乗り、函館、札幌、釧路、網走、旭川、函館と周遊した。北海道の旅も、
一歩踏み出すと気ままだった。 結婚してから10年間は家内と国内旅行ガ中心だった。事業と家庭中心で、
海外旅行に切り替えたのは15年経ってから。卒業記念に海外への一人旅が流行りだしたのは、私が卒業を
して数年してから。しかし当時の私の精神的体力では、海外の一人旅は無理。私の知人ではオーストリア
二人、イタリアに一人、留学をした。 それと幼稚園から高校まで同窓で、慶応大学教授になった直後に
亡くなった男が、学生時代に欧州を数ヶ月一人旅をしたといっていた。 そう、新潟県活性化案を一緒に
つくった松下さんも、一年間、彼方此方のアメリカの大学を聴講してまわったとか。 感受性の強いうちに
世界を見ると見ないとでは大違い。それも一人旅で・・・
 幕末から明治維新にかけ、外国に行った人と、行かなかった人と、その後の活躍が全く違っている。 
明治政府の高官になって、新しい政府つくりの邁進したのは、前者が多い。一人旅は変わっていく景色を
見ながら、独りブツブツ呟きながら思いにふけるもの。
 ・・・・・・
3507, ユダヤ人の頭脳活性法
2010年11月01日(月)
              「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
 ピアノとか、吹奏をやる人は勉強の成績がよい人が多い。それは長年の間、繰り返し集中し、続けない
と身に付かない。教科書を理解し、暗記するなど、それに比べれば、取るに足らないから成績も良くなると
思っていたが・・・ ユダヤだけでなく、優秀な人間?の特性、頭脳活性法が書かれている。
  * アマゾンの ー内容紹介ーより
 マルクスフロイトアインシュタインドラッカースピルバーグ…… 彼らはみなユダヤ人。
もちろんユダヤ人全てが優秀なわけでは無いけれど、優秀な人間が多いのも事実。それには何か理由がある
のだろうか――。 実はそのヒントは彼らのささいな日常にあった! 五感を目一杯に使い、日々を楽しく
過ごすユダヤ人たちの文化。子どものころから全身を使って本を読み、聖典の名言を吸収していく。
そして創造することのみに自分の価値を見出す。そんな生活の積み重ねによってユダヤ人の発想力が生まれる
のだ。 そんなユダヤの世界からヒントを得た、頭脳活性のための様々なトレーニング方法。ほんの少しの
工夫でユダヤ人のすごい発想力が手に入る! ユダヤ本というと、怪しさのようなものを感じてしまうが、
この本には、それがない。ヘブライ大学卒業後、企業コンサルタントなど、学者ではなく「実学」の世界で
生きてきた著者自らの人生観を通して、ユダヤ箴言、格言などから学ぶべきことを的確に表現している。
 ~「まえがき」より~
ユダヤ人だから特別に優秀である」と強調するつもりはありません。それは人種の優劣をつけることであり、
私の本意ではありません。けれども、彼らから学ぶべき点が大いにあることも事実。 確かに、世界にこれだけ
有能なユダヤ人がいるということは、どこか秘密があるに違いない。 そう思ってこの本を読むと、彼らが
勤勉で自らを高めるために努力を惜しまない、ということが見えてくる。 そして「何かに感動する素直な心」
こそユダヤ人共通の特性!と。
 *ユダヤの格言やユダヤ人の名言として   ・人の目は前にある。後ろにはない。
  ・考えるのをやめることは、私にとって生きるのをやめることだ。
  ・話す前に、あなたの言葉を選べ。……etc
  ―
 基本は「五感を研ぎすます」こと。 見る、聴く、触れる…そういった感覚を養うことで、人間は心の豊かさ
を手に入れ、頭脳も活性化していくのだ、と。心の豊かさが持てれば「何かに感動する素直な心」になれる。
彼らはユダヤ教の基本構造として選民意識を持ち、それを実行していくことである。そこに、生まれつきの
天才的頭脳が重なれば優秀な人材が輩出するのは当然。金融世界で支配しているユダヤ人も、こういう背景
があると知ると、納得がいく。アラブ人やインド人が、彼らに敵うわかがない。 
 ・・・・・・・・
3132, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー6
 2009年11月01日(日)
 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)     ー読書日記
   近代イデオロギーの罪
 * 理性主義の恐怖 p-99
科学の発展や、大航海以来の欧州世界の拡大で、それまで宗教が欧州人に一つの統一的説明を与えていた
世界が崩れていく。そこで登場したのが「理性」という理念である。これが「神」の代わりになった。
1789年のフランス革命では、「理性」が至高の価値として掲げられ「神の死」が宣言された。
「唯一の神の信仰」が「唯一の神としての理性への信仰」にすり替わった。そうすると、理性からはずれる
ものが出てくる。それが子供であり、未開人であり、精神病者である。近代は理性というものを発見し、
そこから逆噴射する形で、子供、未開人、精神病者を発見したのである。その三者の共通点は理性の欠落。
子供には理性を持つように教育をしなかればならない、未開人には、教え導かなければならないという
ことで、植民地主義が正当化され、精神病者は回復するまで隔離されるようになった。 
 フランス革命ロシア革命も、理性によって理想社会を作ることができるという考えから起こった。
反計画経済の大御所のハイエクは、社会主義共産主義は、社会は人間の理性で設計できるという思想だが、
それは「致命的な思いあがり」だと。 共産主義というのが理性の理想的社会だとすると、これに反対する
ヤツはみんな殺されなけばならないことになってしまう。 で、中国やソ連カンボジアで大虐殺が生まれて
きたのである。社会主義がなぜに間違えていたかと言うと、経済が下部構造になっていて、それを計画経済
でやっている。あれは要するに意識が全てを決定するということ。 ところが基本的に経済の流動的動きは
無意識が決めている。
 ーー
 この辺を考えると、知性、理性的にあろうとしてきた現代人の方向そのものを根底的に考え直さなければ
ことになる。最近、年齢のためか根底から今までの生きかたに対して疑念を感じるようになっている。毛沢東
は何を国民にしたのだろう。スターリン毛沢東も、理想社会を目指して数千万人も虐殺をしてきたのである。
また、アメリカも、この金融恐慌を引き起こしたのも、理性主義の行き着いた先であった。 
時代は丁度良く欧州大陸からアメリカ大陸へ重心を移していたのが、今世紀はアジアに移行する。
アジア的な考え方が見直されなければならないが、動乱を通してか、それともソフトにいくのか? 
・・・・・・・・・
2767, こころと脳の対話 -3
2008年11月01日(土)
 面接や新入社員教育の時には、河合隼雄と同様、「中心をはずさないで、無心になって対象の人と相接する」
しかない。そうすることで、心だけでなく、心の中心点の奥の魂同士がクロスをすることができる。そこまで
しないと、相手のことが理解できないのである。 美人とか、センスや、頭の良さなど属性になるのである。
河合は当たり前のことを素人向けとして、解りやすい事例を出しただけ。 
相手の中心点だけを見ると、逆に性格とか、片親とかの属性が浮きだって見えてくる。 
そこまでいくには、経験を重ねるしかない。  それにしても、色いろな心の病があるものだ。
「こころと脳の対話」 河合隼雄 茂木健一郎
    第三回 魂を救う対話 
  *相手の「魂」だけを見つめる
 P-160 
茂木 「中心をはずさない」って、僕、すごく大事なことのような気がしてきたんです。というのは、
   『五輪書』には、たしか、相手のどこかに注意を置いてはいけない、というようなことが書いて
   あるんですね。やっぱり同じ感じですか。
河合  同じです。それからね、これは僕が人にほめられた最高の賛辞というか、
   「うれしくてしょうがないからあちこちでしゃべっているんですけれどね、どないうてほめてくれたか
   というとね……。その人は、「離人症性障害」っていう、大変なノイローゼなんです。現実感覚がなく
   なるんですね。こういう場所にいても、みなさんが生きている人間に見えなかったり、それからこう
   いうふうに手を振っても、本当に自分が手を動かしているのかわからない。すっこい苦しいけど、誰も
   わかってくれない。自殺する人も多いんですけれど。でも外見はふつうで、ちょっと見てもわからない。
   そういう離人症になられた人が、自分が現実感覚がないのをなんとかしたいと思うから、人と接近する
   わけね。その人、きれいな女の人やったから、恋人がいっぱいできて、また、いっぺんに二人も三人も
   つくったらしいから、恋人同士が殴り合いしたり、劇的なことが周りでいっぱい起こっているんだ
   けれど、その人は全然、劇の外にいるわけです。そうでしょう、現実を生きてないわけだから。 
   その入が、あちこちのセラピストのところに行ってみても、どうしてもうまくいかない。何入かの
   あとで、私のところにこられた。 私のところにこられて、治るまで五年ぐらいかかったんですよね。
   「本当にありがとうございます」とお礼をいわれたときの言葉がおもしろいんですよ。
   「いちばん初め・先生に会ったときに、この先生で自分は治ると思った」
   「どうしてですか」 「いままでの先生と全然違った」 「どう違った?」
   「私が部屋に入ってきたとき、先生は、私の顔にも服装にも、全然関心を示されなかった」
   というのは、ものすごく美人ですから。服もきれいなのを着ておられるんだけれど、その服も見て
   ないし、顔も見てない。
   (以下、字数制限のためカット10年11月01日)
・・・・・・・・・
2007年11月01日(木)
2403, 恩送り      (゚▽゚*)♪  ('-'*)オハヨ♪
 ある本に「恩送り」という言葉があった。よい言葉である。もともと江戸時代にあった言葉で儒教的、
仏教的な味わいがある。それが明治以降西欧的な考え方が入り、死語になってしまった。親が子供にして
やったことは、子供もまた順繰りに子孫代々受け継いでいくもの。それが血統であり家系として引き継がれて
いくものである。最近は「家」そのものが崩壊傾向にあり、個人に重きを置くようになったが、それでも
個人として「恩送り」を必要ということである。最近「Web 2・0」で、情報公開が大きな流れになって
いるが、これも類似したものである。
 ー電子辞書のウキィペディアによるとー
「恩送り」をとは、自分が誰かから受けた親切・善意・思いやりなどを、与えてくれた人へ直接返す
かわりに、別の、必要としている人達に送る事である。又、それにより善意が社会を巡り、様々な善き
連鎖が社会全体へと広がってゆく事も指す。これに似た言葉として、「恩返し」があるが、それは字の
通り恩を受けた人に直接に恩を返すことが、これだと二人の閉鎖的な関係で終わるが、「恩送り」という
考え方・実践ならば、返す相手が限定されていないので、親切を送り出す相手や、親切の内容は、自在に
無理なく選ぶ事が出来る。従って比較的短い期間・時間の間に、具体的に親切をこの世に"現実化"させる事
が出来る。 人々が「恩返し」にこだわらず「恩送り」も選択肢とする事で、社会全体としては、"現実化"
し "流通" する親切の量が、圧倒的に多くなるのである。
これは1人1人の視点でも、日常的に自分が出会う親切の量が増える事を意味する。

井上ひさしNHKの番組『井上ひさし福祉都市を語る~イタリア・ボローニャの共生社会』において
以下のような主旨の事を語っている。ー 江戸時代に、「ご恩送り」という言葉がありました。ご恩返しは、
贈り物を送ったり返したりで、関係は2人しかないわけです。ご恩送りは、誰かから親切を受けたら、これを
親切を受けた誰かに返すのではなくて、他の人に渡していくんですね。そうすると、江戸に100万人いる
としますよね。1日に一度ぐらいは親切を受けることはありますよね、一瞬のうちに江戸の町に100万の
恩というものがバーッといくわけです。 それをお互いに回すわけですよね。・・・(中略)最近ではある
程度の年齢の人たちだけでなく、学生などにもこのような考え方が広がってきている。特に旅好きの青年、
ボランティア活動に熱心な青年などには顕著にこのような考え方を持ち、日々実践している者も多々見られる。ー
   --
  -以上だが、それでは「恩」とは、どういう意味なのだろうか? 漢和辞典を引くと
(以下、字数制限のためカット11年11月01日)
・・・・・・・・
2006年11月01日(水)
 2038, 躁鬱病について -6   オッ(*^○^*)ハ~ヨウサン!
 「夫はうつ、妻はがん」
    ―夫婦で苦境を踏み越えて ー ?  小川 宏 著
この本で有名人で「うつ病」から脱出した人や、亡くなってしまった人を何人かあげている。
脚本家の倉本聰、俳優の木の実ナナ高島忠夫、気象士の倉嶋厚などである。
皇太子妃の「適応障害」も、専門家の話によると「うつ病」という。
世界を股にかけたキャリアの女外交官が小さな籠に入れられ、男児が生まれない重圧の中で、ノイローゼに
なるのは当然のこと・・ 倉本聰とラジオの対談で病気の話を聞く機会があった。それによると20歳代から
欝を繰り返し、二十数年前、北海道の富良野に居を移してからは、毎日のように自殺を考えていたという。 
その地に適応するまでの苦闘が思い知れる。
自殺で亡くなった人は、桂枝雀ポール牧嵐寛寿郎などがいる。精神科医の大原健士郎氏との対談で、
「小川さん、自殺未遂者が息を吹き返した時の第一声の言葉かわかりますか?」と訊ねられて、
「多分生きていて良かったと言うんじゃないですか?」の答えに、 先生曰く、
「そういう人はわずかで・・・ほとんどの人は、助けて!といいます。」 自ら命を断とうとした人が、
助けて!とは矛盾しているが、先生は「誰でも命への執着があるので、そういう言葉を発するのです」という。
  (以下、字数制限のためカット10年11月01日)       
・・・・・・・・・ 
2005年11月01日(火)
1673, うそつき -1              ー 読書日記
  「うそつき」 ―うそと自己欺まんの心理学    チャールズ・V. フォード (著) 
この本は面白い!自分の心理の底奥深く食いこんでくる。
「人は誰しもうそをつく」という解りきったことを、あらためて突きつけられると、ひるんでしまう。それほど、
「うそ」は誰も扱いがむずかしいテーマである。 実際、夫婦でも友人でも「うそ」を上手に織り込んでいないと、
その関係は崩壊してしまう。 要は真実を語り、その中に適当にうそを織り込むからこそ人間関係は上手くいく。
「うその基本的技法は相手の聞きたがっていることを語ることである」という言葉に、結婚詐欺師と宝石屋の
営業マンが思い浮ぶ。
(以下、字数制限のためカット09年11月01日)
・・・・・・・
2004年11月01日(月)
 1308, まさか、地元で大地震!ー7
先週の金曜日、新潟に一泊のあと自宅の近くに帰ってきたところ、200m先にある、長岡高校と長岡大手高校
の周辺が、自衛隊やマスコミの車で、ものものしい雰囲気に一変していた。一昨日の朝、散歩をしていたら
自衛隊の大型ヘリが住民を搬送しているのが見えた。長岡高校のグランドが、ヘリの基地になっていた。
近くの大手高校が山古志村の避難場所になっているようで、自衛隊が朝晩、運んでいるようだ。長岡も被災地で
あるが、自宅近くの倒壊の家はない。生命の危機は全くなかったし、秘境旅行を十数年してきた為か、目の前の
死の恐怖以外は不感症になっている。しかし彼等のヘリで運ばれている姿をみて、被災地の真っ只中の実感が
少しわいてきた。こういう経験は感じ方(受けとめ方)で、全く違ってくる。昨日の夕方、同じコースを歩いて
みたら、もう終わった雰囲気。人生一度のあるかどうかの出来事であるが、何か実感がまだ湧いてこないのは
如何してだろうか。新幹線が長岡~新潟間を開通すれば、ほぼ元の生活に戻ることもある。 個人的には
30~40万位の損失か。 石灯篭の復旧に15万の見積もりが、とりあえず確定したものだが。 
今朝方も、震度4ぐらいの地震があった。 まだ予断が許されないが、間隔は空いてはきている。
・・・・・・・・
2003年11月01日(土)
 941, 何事もない日の日記
 はっきりいって今日は何も書くことがない。何事も書くことがないときは、何もないことを書くのも面白いと
考えて、それをテーマにして書いてみる。 テーマがまったく見当たらないことは月に一~二度位ある。
  (以下、字数制限のためカット10年11月01日)
 ・・・・・・
567、ケーススタデー   ー1
  ー 2002年11月01日(金)
 前回書いた学生時代のゼミの内容を書いてみる。 人生で、このゼミの訓練が非常にプラスに働いた。
人事管理の具体的事例研究で、討論でその本質を探る手法ー
各部所で起きたトラブルの問題点の原因と解決を考える内容である。
・一週間前に翌週分の「トラブルの現象」の問題のプリントを渡される。
・それを次のゼミで各自が自分の意見を述べる。
・それにしたがって議論を始めるのだ。
・それが終わった時に、そのベストの原因追求と解決案の内容を示されるのだ。
 そしてゼミの結論との誤差を話し合う。
幼児期から両親の自営していた生の会社のケースを見ていた事と、8人兄姉の末っ子で常に状況を冷静に
見ていた為か、自分の意見があたるのだ。寮生活でイロイロのトラブルもみていたのもあった。その為か
自分のゼミにおける立場が確立さていた。それよりも、現象の中にその骨組みをさがして、自分なりの組み
立てをする面白さを知った。これは後で事業を起こすときに非常に役に立った。人間関係に対して、直感的に
論理だって構図になって瞬間に出てくるのが最大の武器になった。良質な上司には可愛がられるが、逆の
ケースの場合は大変な事態になってくる。この男は何を考えているのかを不安になるらしい。 自分は
サラリーマンは絶対に無理と社会に入って直感した。
・・・・・・
「205」春画
 ー2001年11月01日(木)
 子供の時から、一番上の姉より家に春画があることは聞いていた。それが寝室を改装した2年前に隠し
??より出てきた。 
(以下、字数制限のためカット09年11月01日)
3872, 一人旅

2011年11月01日(火)

 一人旅を過去に何度かしたことがある。北海道と九州に、それぞれ10日間ほどと、大学を出て四日市
勤務をしたときに、紀州の尾鷲に一泊したこともあった。 金沢で修行していた時には、観光バスの日帰り
コースで能登半島に行ってきた。23歳から26歳の4年間、精神的な体力が出来たころである。
一人旅には、それに似合った時節がある。27歳で結婚し、事業の立ち上げを始める直前。振りかえって
みると、その時節しかタイミングがなかったのである。一人旅をすべき時節に、すべき事をしていた。
 一人旅は思い立ったら、駅の旅行センターで、「一週間ほど北海道の一人旅をしたい」といえば、窓口の
担当者が、そのルートを一緒に組んでくれ、列車と宿の手配をしてくれる。そして、そのルートに従えばよい。
一度、列車に踏み込めば、不安とか、孤独感はなくなる。 若さもあり、一人旅そのものに酔っている部分
もあった。 当時の記憶が少ないのは、目先が変化変化の連続で、刺激の強い日々だったからである。 
現在、一人旅というと、面倒という思いが先にたつ。しかし今から思うと北海道も、九州も思いで深い。
人生を振り返ると、それぞれの時節の思い出があるが、特に旅行の思い出は大きい。北海道は、青森から青函
連絡船に乗り、函館、札幌、釧路、網走、旭川、函館と周遊した。北海道の旅も、一歩踏み出すと気ままだった。
 結婚してから10年間は家内と国内旅行ガ中心だった。 事業と家庭中心で、海外旅行に切り替えたのは
15年経ってから。卒業記念に海外への一人旅が流行りだしたのは、私が卒業をして数年してから。
しかし当時の私の精神的体力では、海外の一人旅は無理。私の知人ではオーストリアが二人、イタリアに一人、
留学をした。 それと幼稚園から高校まで同窓で、慶応大学教授になった直後に亡くなった男が、学生時代に
欧州を数ヶ月一人旅をしたといっていた。 そう、新潟県活性化案を一緒につくった松下さんも、一年間、
彼方此方のアメリカの大学を聴講してまわったとか。 感受性の強いうちに世界を見ると見ないとでは大違い。
それも一人旅で・・・
 幕末から明治維新にかけ、外国に行った人と、行かなかった人と、その後の活躍が全く違っている。 
明治政府の高官になって、新しい政府つくりの邁進したのは、前者が多い。一人旅は変わっていく景色を
見ながら、独りブツブツ呟きながら思いにふけるもの。
 ・・・・・・
3507, ユダヤ人の頭脳活性法
2010年11月01日(月)
              「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
 図書館で借りてきて目を通したが、なかなかである。ピアノとか、吹奏をやる人は勉強の成績がよい人が多い。
それは長年の間、繰り返し集中し、続けないと身に付かない。教科書を理解し、暗記するなど、それに比べれば、
取るに足らないから成績も良くなると思っていたが・・・ ユダヤだけでなく、優秀な人間?の特性、頭脳
活性法が書かれている。
  * アマゾンの ー内容紹介ーより
 マルクスフロイトアインシュタインドラッカースピルバーグ…… 彼らはみなユダヤ人。もちろん
ユダヤ人全てが優秀なわけでは無いけれど、優秀な人間が多いのも事実。それには何か理由があるのだろうか―
実はそのヒントは彼らのささいな日常にあった! 五感を目一杯使い、日々を楽しく過ごすユダヤ人たちの文化。
子どものころから全身を使って本を読み、聖典の名言を吸収していく。そして創造することのみに自分の価値
を見出す。そんな生活の積み重ねによってユダヤ人の発想力が生まれるのだ。 そんなユダヤの世界からヒント
を得た、頭脳活性のための様々なトレーニング方法。ほんの少しの工夫でユダヤ人のすごい発想力が手に入る! 
ユダヤ本というと、怪しさのようなものを感じてしまうが、この本には、それがない。ヘブライ大学卒業後、
企業コンサルタントなど、学者ではなく「実学」の世界で生きてきた著者自らの人生観を通して、ユダヤ
箴言、格言などから学ぶべきことを的確に表現している。
 ~「まえがき」より~
ユダヤ人だから特別に優秀である」と強調するつもりはありません。 それは人種の優劣をつけることであり、
私の本意ではありません。けれども、彼らから学ぶべき点が大いにあることも事実。 確かに、世界にこれだけ
有能なユダヤ人がいるということは、どこか秘密があるに違いない。 そう思ってこの本を読むと、彼らが勤勉
で自らを高めるために努力を惜しまない、ということが見えてくる。 そして「何かに感動する素直な心」
こそユダヤ人共通の特性!と。
 *ユダヤの格言やユダヤ人の名言として   ・人の目は前にある。後ろにはない。
  ・考えるのをやめることは、私にとって生きるのをやめることだ。
  ・話す前に、あなたの言葉を選べ。……etc
  ―
 基本は「五感を研ぎすます」こと。 見る、聴く、触れる…そういった感覚を養うことで、人間は心の豊かさ
を手に入れ、頭脳も活性化していくのだ、と。心の豊かさが持てれば「何かに感動する素直な心」になれる。
彼らはユダヤ教の基本構造として選民意識を持ち、それを実行していくことである。そこに、生まれつきの
天才的頭脳が重なれば優秀な人材が輩出するのは当然。金融世界で支配しているユダヤ人も、こういう背景
があると知ると、納得がいく。アラブ人やインド人が、彼らに敵うわかがない。 
 ・・・・・・・・
3132, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー6
 2009年11月01日(日)
 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)     ー読書日記
   近代イデオロギーの罪
 * 理性主義の恐怖 p-99
科学の発展や、大航海以来の欧州世界の拡大で、それまで宗教が欧州人に一つの統一的説明を与えていた
世界が崩れていく。そこで登場したのが「理性」という理念である。これが「神」の代わりになった。
1789年のフランス革命では、「理性」が至高の価値として掲げられ「神の死」が宣言された。
「唯一の神の信仰」が「唯一の神としての理性への信仰」にすり替わった。そうすると、理性からはずれる
ものが出てくる。それが子供であり、未開人であり、精神病者である。近代は理性というものを発見し、
そこから逆噴射する形で、子供、未開人、精神病者を発見した。その三者の共通点は理性の欠落である。
子供には理性を持つように教育をしなかればならない、未開人には、教え導かなければならないという
ことで、植民地主義が正当化され、精神病者は回復するまで隔離されるようになった。フランス革命
ロシア革命も、理性によって理想社会を作ることができるという考えから起こった。反計画経済の大御所
ハイエクは、社会主義共産主義は、社会は人間の理性で設計できるという思想だが、それは「致命的な
思いあがり」だと。 共産主義というのが理性の理想的社会だとすると、これに反対するヤツはみんな
殺されなけばならないことになってしまう。で、中国やソ連カンボジアで大虐殺が生まれてきたのである。
社会主義がなぜに間違えていたかと言うと、経済が下部構造になっていて、それを計画経済でやっている。
あれは要するに意識が全てを決定するということ。ところが基本的に経済の流動的動きは無意識が決めている。
 ーー
 この辺を考えると、知性、理性的にあろうとしてきた現代人の方向そのものを根底的に考え直さなければ
ならないことになる。最近、年齢のためか根底から今までの生きかたに対して疑念を感じるようになっている。 
毛沢東は何を国民にしたのだろう。スターリン毛沢東も、理想社会を目指して数千万人も虐殺をしてきた
のである。また、アメリカも、この金融恐慌を引き起こしたのも、理性主義の行き着いた先であった。 
時代は丁度良く欧州大陸からアメリカ大陸へ重心を移していたのが、今世紀はアジアに移行する。
アジア的な考え方が見直されなければならないが、動乱を通してか、それともソフトにいくのか? 
・・・・・・・・・
2767, こころと脳の対話 -3
2008年11月01日(土)
 面接や新入社員教育の時には、河合隼雄と同様、
「中心をはずさないで、無心になって対象の人と相接する」しかない。
そうすることで、心だけでなく、心の中心点の奥の魂同士がクロスをすることができる。
そこまでしないと、相手のことが理解できないのである。 美人とか、センスや、頭の良さなど属性に
なるのである。河合は当たり前のことを素人向けとして、解りやすい事例を出しただけ。 
相手の中心点だけを見ると、逆に性格とか、片親とかの属性が浮きだって見えてくる。 
そこまでいくには、経験を重ねるしかない。それにしても、色いろな心の病があるものだ。
               「 こころと脳の対話 」 河合隼雄 茂木健一郎
    第三回 魂を救う対話 
  *相手の「魂」だけを見つめる
 P-160 
茂木 「中心をはずさない」って、僕、すごく大事なことのような気がしてきたんです。というのは、
   『五輪書』には、たしか、相手のどこかに注意を置いてはいけない、というようなことが書いて
   あるんですね。やっぱり同じ感じですか。
河合  同じです。それからね、これは僕が人にほめられた最高の賛辞というか、
   「うれしくてしょうがないからあちこちでしゃべっているんですけれどね、どないうてほめてくれたか
   というとね……。その人は、「離人症性障害」っていう、大変なノイローゼなんです。現実感覚がなく
   なるんですね。こういう場所にいても、みなさんが生きている人間に見えなかったり、それからこう
   いうふうに手を振っても、本当に自分が手を動かしているのかわからない。すっこい苦しいけど、誰も
   わかってくれない。自殺する人も多いんですけれど。でも外見はふつうで、ちょっと見てもわからない。
   そういう離人症になられた人が、自分が現実感覚がないのをなんとかしたいと思うから、人と接近する
   わけね。その人、きれいな女の人やったから、恋人がいっぱいできて、また、いっぺんに二人も三人も
   つくったらしいから、恋人同士が殴り合いしたり、劇的なことが周りでいっぱい起こっているんだけれど、
   その人は全然、劇の外にいるわけです。そうでしょう、現実を生きてないわけだから。その入が、
   あちこちのセラピストのところに行ってみても、どうしてもうまくいかない。何入かのあとで、私の
   ところにこられた。 私のところにこられて、治るまで五年ぐらいかかったんですよね。
   「本当にありがとうございます」とお礼をいわれたときの言葉がおもしろいんですよ。
   「いちばん初め・先生に会ったときに、この先生で自分は治ると思った」
   「どうしてですか」 「いままでの先生と全然違った」 「どう違った?」
   「私が部屋に入ってきたとき、先生は、私の顔にも服装にも、全然関心を示されなかった」
   というのは、ものすごく美人ですから。服もきれいなのを着ておられるんだけれど、その服も見て
   ないし、顔も見てない。
   (以下、字数制限のためカット10年11月01日)
・・・・・・・・・
2007年11月01日(木)
2403, 恩送り      (゚▽゚*)♪  ('-'*)オハヨ♪
 ある本に「恩送り」という言葉があった。よい言葉である。もともと江戸時代にあった言葉で儒教的、
仏教的な味わいがある。それが明治以降西欧的な考え方が入り、死語になってしまった。親が子供にして
やったことは、子供もまた順繰りに子孫代々受け継いでいくもの。それが血統であり家系として引き継がれ
ていくものである。最近は「家」そのものが崩壊傾向にあり、個人に重きを置くようになったが、それでも
個人として「恩送り」を必要ということである。最近「Web 2・0」で、情報公開が大きな流れになっているが、
これも類似したものである。
 ー電子辞書のウキィペディアによるとー
「恩送り」をとは、自分が誰かから受けた親切・善意・思いやりなどを、与えてくれた人へ直接返すかわりに、
別の必要としている人達に送る事である。又、それにより善意が社会を巡り、様々な善き連鎖が社会全体へと
広がってゆく事も指す。これに似た言葉として、「恩返し」があるが、それは字の通り恩を受けた人に直接に
恩を返すことが、これだと二人の閉鎖的な関係で終わるが、「恩送り」という考え方・実践ならば、返す
相手が限定されていないので、親切を送り出す相手や、親切の内容は、自在に無理なく選ぶ事が出来る。
従って比較的短い期間・時間の間に、具体的に親切をこの世に"現実化"させる事が出来る。人々が「恩返し」
にこだわらず「恩送り」も選択肢とする事で、社会全体としては、"現実化" し "流通" する親切の量が、
圧倒的に多くなる。これは1人1人の視点でも、日常的に自分が出会う親切の量が増える事を意味する。

井上ひさしNHKの番組『井上ひさし福祉都市を語る~イタリア・ボローニャの共生社会』において以下の
ような主旨の事を語っている。ー 江戸時代に、「ご恩送り」という言葉がありました。ご恩返しは、贈り物
を送ったり返したりで、関係は2人しかないわけです。ご恩送りは、誰かから親切を受けたら、これを親切
を受けた誰かに返すのではなくて、他の人に渡していくんですね。そうすると、江戸に100万人いると
しますよね。1日に一度ぐらいは親切を受けることはありますよね、一瞬のうちに江戸の町に100万の恩
というものがバーッといくわけです。 それをお互いに回すわけですよね。
 ・・・(中略)最近ではある程度の年齢の人たちだけでなく、学生などにもこのような考え方が広がって
きている。特に旅好きの青年、ボランティア活動に熱心な青年などには顕著にこのような考え方を持ち、
日々実践している者も多々見られる。ー
   --
  -以上だが、それでは「恩」とは、どういう意味なのだろうか? 漢和辞典を引くと
(以下、字数制限のためカット11年11月01日)
・・・・・・・・
2006年11月01日(水)
 2038, 躁鬱病について -6   オッ(*^○^*)ハ~ヨウサン!
 「夫はうつ、妻はがん」
    ―夫婦で苦境を踏み越えて ー ?  小川 宏 著
この本で有名人で「うつ病」から脱出した人や、亡くなってしまった人を何人かあげている。
脚本家の倉本聰、俳優の木の実ナナ高島忠夫、気象士の倉嶋厚などである。
皇太子妃の「適応障害」も、専門家の話によると「うつ病」という。世界を股にかけたキャリアの女外交官
が小さな籠に入れられ、男児が生まれない重圧の中で、ノイローゼになるのは当然のこと・・
倉本聰とラジオの対談で病気の話を聞く機会があった。それによると20歳代から欝を繰り返し、さらに
二十数年前、北海道の富良野に居を移してからは、毎日のように自殺を考えていたという。その地に適応する
までの苦闘が思い知れる。自殺で亡くなった人は、桂枝雀ポール牧嵐寛寿郎などがいる。精神科医
大原健士郎氏との対談で、「小川さん、自殺未遂者が息を吹き返した時の第一声の言葉かわかりますか?」
と訊ねられて、「多分生きていて良かったと言うんじゃないですか?」の答えに、 先生曰く、
「そういう人はわずかで・・・ほとんどの人は、助けて!といいます。」 自ら命を断とうとした人が、
助けて!とは矛盾しているが、先生は「誰でも命への執着があるので、そういう言葉を発するのです」という。
  (以下、字数制限のためカット10年11月01日)       
・・・・・・・・・ 
2005年11月01日(火)
1673, うそつき -1              ー 読書日記
  「うそつき」 ―うそと自己欺まんの心理学    チャールズ・V. フォード (著) 
この本は面白い!自分の心理の底奥深く食いこんでくる。
「人は誰しもうそをつく」という解りきったことを、あらためて突きつけられると、ひるんでしまう。
それほど、「うそ」は誰も扱いがむずかしいテーマである。 実際、夫婦でも友人でも「うそ」を上手に
織り込んでいないと、その関係は崩壊してしまう。 要は真実を語り、その中に適当にうそを織り込むから
こそ人間関係は上手くいく。「うその基本的技法は相手の聞きたがっていることを語ることである」という
言葉に、結婚詐欺師と宝石屋の営業マンが思い浮ぶ。
(以下、字数制限のためカット09年11月01日)
・・・・・・・
2004年11月01日(月)
 1308, まさか、地元で大地震!ー7
先週の金曜日、新潟に一泊のあと自宅の近くに帰ってきたところ、200m先にある、長岡高校と長岡大手
高校の周辺が、自衛隊やマスコミの車で、ものものしい雰囲気に一変していた。一昨日の朝、散歩をしていたら
自衛隊の大型ヘリが住民を搬送しているのが見えた。長岡高校のグランドが、ヘリの基地になっていた。
くの大手高校が山古志村の避難場所になっているようで、自衛隊が朝晩、運んでいるようだ。長岡も被災地
であるが、自宅近くの倒壊の家はない。生命の危機は全くなかったし、秘境旅行を十数年してきた為か、
目の前の死の恐怖以外は不感症になっている。しかし彼等のヘリで運ばれている姿をみて、被災地の真っ只中
の実感が少しわいてきた。こういう経験は感じ方(受けとめ方)で、全く違ってくる。昨日の夕方、同じ
コースを歩いてみたら、もう終わった雰囲気。人生一度のあるかどうかの出来事であるが、何か実感がまだ
湧いてこないのは如何してだろうか。新幹線が長岡~新潟間を開通すれば、ほぼ元の生活に戻ることもある。 
個人的には30~40万位の損失か。石灯篭の復旧に15万の見積もりが、とりあえず確定したものだが。 
今朝方も、震度4ぐらいの地震があった。 まだ予断が許されないが、間隔は空いてはきている。
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2003年11月01日(土)
 941, 何事もない日の日記
 はっきりいって今日は何も書くことがない。何事も書くことがないときは、何もないことを書くのも面白い
と考えて、それをテーマにして書いてみる。 テーマがまったく見当たらないことは月に一~二度位ある。
  (以下、字数制限のためカット10年11月01日)
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567、ケーススタデー   ー1
  ー 2002年11月01日(金)
 前回書いた学生時代のゼミの内容を書いてみる。 人生で、このゼミの訓練が非常にプラスに働いた。
人事管理の具体的事例研究で、討論でその本質を探る手法ー
各部所で起きたトラブルの問題点の原因と解決を考える内容である。
・一週間前に翌週分の「トラブルの現象」の問題のプリントを渡される。
・それを次のゼミで各自が自分の意見を述べる。
・それにしたがって議論を始めるのだ。
・それが終わった時に、そのベストの原因追求と解決案の内容を示されるのだ。
 そしてゼミの結論との誤差を話し合う。
幼児期から両親の自営していた生の会社のケースを見ていた事と、8人兄姉の末っ子で常に状況を冷静に
見ていた為か、自分の意見があたるのだ。寮生活でイロイロのトラブルもみていたのもあった。その為か
自分のゼミにおける立場が確立さていた。それよりも、現象の中にその骨組みをさがして、自分なりの
組み立てをする面白さを知った。これは後で事業を起こすときに非常に役に立った。人間関係に対して、
直感的に論理だって構図になって瞬間に出てくるのが最大の武器になった。良質な上司には可愛がられるが、
逆のケースの場合は大変な事態になってくる。この男は何を考えているのかを不安になるらしい。
自分はサラリーマンは絶対に無理と社会に入って直感した。
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「205」春画
 ー2001年11月01日(木)
 子供の時から、一番上の姉より家に春画があることは聞いていた。
それが寝室を改装した2年前に隠し??より出てきた。 
(以下、字数制限のためカット09年11月01日)