* 見え隠れする魂のイメージ
 一昨日、8年前の10月23日分のテーマ、『魂とは』が、考えさせられた。
幽体離脱の経験が何度かあるので、高橋信次の娘・佳子の『魂』の説明が、受け
入れやすい。深いところで、亡き両親と繋がっている感覚が現にある。 
誰にもあるのだろうが、その感覚を、
< 私たちの心・想いは、平和で満ち足りた天上界から苦しみばかりの地獄界まで、
あらゆる世界に通じています。その魂の抱いている内宇宙とは、それにとどまらない。 
魂の次元は過去・現在・未来が一つになり、自他を超えるもの。魂とは、この人生
だけでなく、永遠の生命として経験してきた幾度もの人生の記憶と限りない智慧
湛えた存在であり、私たちを超えた無意識の膨大な経験と記憶の貯蔵庫、宇宙の源
という次元に繋がっています。> 
 とすると… 両親から受継いだ愛情に繋がっているような感覚が納得できる。
心とは、岩から流れ込んだ淡水と海水が混濁した洞窟内に。魂は外海に例えると
理解しやすい。自他の自が洞窟、他が外海。心と魂の説明を簡潔にした解釈は、
他に多くある。他と繋がっている感覚は、両親の愛情の温もりの感覚にある。
『魂を込める』といえば、「いま ここ わたし」に心を集中した状態である。
それが永遠の世界にコンタクトした垂直の時間になる。

――――
3498, 高橋信次の娘・佳子のいう〈魂〉とは
2010年10月23日(土)
  先日の読売新聞の一面に高橋信次の娘の高橋佳子の著書広告があった。
 高橋信次といえばGLAの教祖で、何冊かを20歳代に読んだ記憶がある。
  ーまずはウキィペディアによると
≪ 10歳頃(1937年頃)から現在で言う「幽体離脱」現象のような霊現象を体験
 するようになり、その肉体の自分とは違う霊体の自分を「もう一人の自分」と
呼び、その現象に幼心に疑問を持ち、以来約32年間、電子工学や物理学等の自然
科学を修めつつ、探求を続けた。しかし、従来の宗教書を読もうとはせずに、
独自の探求を続けた ・・・≫
 ウキィペディアには、彼とGLAの詳細がこと細かく書かれている。
それより、彼女の魂の解釈が分かりやすい。
  ー概要と印象的な部分を私の主観でマトメテみたー
*敗北の時代 ー現在の日本は、困難な時代である。高度成長以降バブル崩壊
 から嘘のように元気を失っている。財政赤字は900兆以上にもなり、収入は
 日ごと目減りを、老後を支えるはずの年金は崩壊の危機に直面している。
 自殺者は3万人を10年以上続けており、明るい話題は陰を潜めている。
*最大の危機は「冒険」の喪失ー 何より問題は、未来に希望が持てなくなり、
 新しい挑戦が出来なくなっているからだ。
*人間には外界に左右されない内なる可能性があるーそのためには、今までに
 ない生き方に挑戦するとき、前向きな挑戦は本当に想像を絶するほどの違い
 が出てくる。人間の中には、未知の可能性がある。
*「人間は魂の存在」が出発点 ―「人間は魂の存在として受けとめること」
 −>「人間は肉体と魂から成り立つ」こと。
 まず人間の肉体は、地球上の生命進化の究極の姿を現す叡智に満ちたもの。
 この世界の物質をつくる元素は星の中で生成され、星が終焉を迎えるとき、
 超新星爆発で宇宙に散らばったものから出来ていて。その延長が肉体である。
 その魂の方はどうかというと、魂は心とつながり、 さらにその深奥に広がる
 存在である。肉体の基である外宇宙が百億光年以上のとてつもない広がりを
 抱いているものならば、 これに劣らない広大の内宇宙をもたらしている。
 仏教の一念三千という言葉は、その広がりを示している。私たちの心・想いは、
 平和で満ち足りた天上界から苦しみばかりの地獄界まで、あらゆる世界に
 通じています。その魂の抱いている。 内宇宙とは、それにとどまらない。 
 魂の次元は過去・現在・未来が一つになり、自他を超えるもの。
 魂とは、この人生だけでなく、永遠の生命として経験してきた幾度もの人生
 の記憶と限りない智慧を湛えた存在であり、私たちを超えた無意識の膨大な
 経験と記憶の貯蔵庫、宇宙の源という次元に繋がっています。あらゆる生命
 と存在を一つに結びつける、つながりと絆が張り巡らされたどの宇宙を、
 ≪ユニバース≫と呼ぶ。その≪ユニバース≫こそ、計り知れない広がりと深さ
 を抱いている私たちの母胎であり、だからこそ、私たち人間は、宇宙=
 ユニバースに通じるゆたかな智慧によって 自らが進化するだけでなく、
 世界と光の共鳴を果たせる存在となる。
*魂が引き出す宇宙=ユニバースの世界 ―我われは偶然が支配する科学的
 世界観の下では、自分が意味もなく生まれ、世界とは特別なつながりはない
 と思っているかもしれない。しかし、そうではなく魂の次元に気づいた
 時、みな「つながり」によって生かされる「絆」の塊となる。その絆の基、
 宇宙の源には、私たちが拠るべき、全ての解答と青写真が湛えられている。
〜〜
解)魂について、これだけ明快に説明している文章も珍しい。「魂とは、生前、
死後に自他を超えて広がる広大なる内宇宙の基につながっている」は、神秘的、
宗教的である。

H0403事業百訓
 385 、否定は結論であって、探究を中止する事だ。
  正しい結論は自ら体験をして、あらゆる角度から探究をして、
  疑問を解明してこそ出るものだ。
  根拠のない否定は自らを否定する事になる。(高橋信次

・・・・・・
2004/07/11
1195, 授かった不思議な力
 ー鈴木秀子の本を何冊か読んだことがある。先日図書館で借りてきた対談集
を読んで、その中の臨死体験の話に興味を引かれた。何かこの世には窺い知れ
ない何かがあるような気がする。何回か書いたことがあるが、私にも何回か
幽体離脱?の経験がある。 歳を重ねれば重ねるほど、「不思議」という言葉
の奥行きの深さを感じるようになってきている。
私は「自分の接した人の運勢が良くなる」話しは、かって聞いたことがない。
神憑りである、いや今風にいうと「上げまん」だが、これは結婚した場合である。
有能な右上がりの人は、周囲に似た現象が生じるだろうが、全ての人の運勢を良く
はしない。やはり、何かの特殊能力が臨死体験以降身についたのだ。人間には、
本来持っているが退化して隠れてしまった能力が多くあるような気がする。
 あるキッカケでそれが飛び出してくるのだ。

 以下は、ある対談集を書き写した。 
ーー
臨死体験後、不思議なことがありました。
結婚式に招かれて待機をしていたら、背広を着た人が男性がいらして、
「あなたのような人にようやくお会いできました」っておっしゃるんです。
自分は高野山系統の住職で、生まれたときからひとを見ぬく特別の能力がある。
そして、あなたの授かったような能力を自分も欲しかったけれどもらえなかった。
どういう能力ですかと聞くと、大きな大宇宙の力が私を通って出会う人に伝わって、
どんどんその人の運勢が良くなる能力だというんです。

私も最初はその能力をまじめには信じませんでしたが、それだけ色いろなことが
重なると信じざるを得なくなりました。今では人に会うのが楽しみになりました。
そのたびに、その方の運勢がこれから良くなると思うと、人に会うのがうれしい。
だから生きていくことが、とても楽しくなったのです。…

…人間は地球上にみんなバラバラに住んでいるような気でいて、実は根っこで
繋がっているということです。自分の手にたとえると良くわかりますが、
人は指の部分、見える部分だけを見てこの人の学歴がいい、お金があるって
お互い比較するんです。でも手のひらの部分、根っこの見えない部分では
平等で,全部繋がっているんです。
何が平等かというと,命をもらって生かされている存在であるということ。
誰もいつか死ぬということ。大宇宙の大きな慈しみに満たされて生かされている
大切な存在という三つにおいて平等だと思うんです。

…だから臨死体験をしてつくづく、あの至福の世界が本物で、この世は
経ていく世界だっていう感覚があるんです。やはり人間の本分、ビーイングと、
現実社会での自分の役割、ドゥーイングのつながりに意識を向けていかないと
虚しくなっていくのではないかと。
人生のテーマを考える時、ビーイングの世界にまなざしを据えてこそ、
充実したものになるのではないでしょうか。
 
 ーその臨死体験の講演をまとめてみるー

奈良での学会に出席するため、友人のいる修道院に泊めてもらっていた。
その修道院は、宮家の立派な屋敷を改造した建物で、二階の客間から下に降りる
階段は高く急であった。

その夜、寝つかれなかった彼女は、何となく夜中に起き出し、暗がりの廊下を
壁づたいにそっと歩いた。曲がり角らしきところで一歩足を踏み出したが、
実はそこは廊下ではなく、その急な階段だったのである。
 踏み出した瞬間、足は空をつかみ、体はバランスを失った。

恐怖を感じる暇もなく、一気に下まで落ち、床に叩きつけられて、そのまま気を
失ってしまう。 ふと気づくと、私のからだは宙に浮かんでいます。
そして、空中にまっすぐ浮いている私を、高いところから、もう一人の私が
見つめているのです。

空中に浮かんだ私 の足の周りを、なぜかたくさんの筍の皮のようなものが
覆っていました。 それが蓮の花びらだとわかったのは、ずっとあとのことです。
台湾のさる有名なお寺を訪れたとき、仏像の足の周りを筍の皮のようなものが
包んでいるのを見て、あ、これだったんだと思いました。

それは蓮の花びらでできた台座でした。
その筍の皮のような花びらが足もとから一枚一枚散っていくのです。
高いところからそれを見ているもう一人の私は、花びらが散るごとに、自分が
一つひとつの苦しみから解放されて、自由になっていくのがわかりました。
 
一枚落ちると、
「ああ、これでもう人の言うことに煩わされなくてすむ、私は自由になった」  
 と思い、さらにもう一枚落ちると、
「もう人に気を遣い、不安に脅かされなくてもすむ、私は自由になった」   
 とつぶやいているのです。 限りない解放感と喜びが胸に溢れてきました。  

花びらが最後の一枚になり、これが落ちたら完全な自由になれると思ったとき、
最 後の一枚の花びらは落ちることなく、からだがすっと飛翔しました。
そのとき、見ている自分と見られている自分が一つになりました。   

一瞬のうちに高さの極みに飛翔し、私は今まで見たことのないような美しい光に
包み込まれました。白っぽい金色の輝きに満ちた、いちめん光の世界にいたのです。
まばゆい輝きでしたが、まぶしすぎるとは感じませんでした。  
 
それは人格を持つ命そのものの光であり、深い部分で、自分とつながり、
交流している生きた光なのでした。
これが至福なのだ、完全に自由なのだ、と私は感じていました。
不思議なくらい、五感も思考もすべてが生き生きと冴えわたっています。
オリンピック選手がベストコンディションで世界記録を破る瞬間とは、
こんな状態のときなのでしようか。

からだの全機能が最高の状態に保たれ、調和し、研ぎ澄まされているのです。
その冴えわたった意識の中で、私ははっきりと理解したのでした。
 「この命そのものの光の主に、私はすべてを知りつくされ、理解され、
受けいれられ、許され、完全に愛しぬかれている」 これが愛の極致なのだと。

もし愛の究極の状態というものがあるのなら、こういう感情に貫かれること
ではないかしらとも思いました。真に満たされた状態とは、こういうことを
言うのでしよう。しかもその満たされた光の世界には、時がないのです。

 あっ、これが永遠なんだと私 は思いました。
心は愛に満たされ、知性は冴え、能力のすべてが最高の状態で調和しています。
 そんな至福感に包まれていたとき、どこからか声が聞こえてきました。
「癒してください、癒してください」  
 その声には、少しつたない感じの独特のアクセントがありました。  
その声が聞こえてきたとき、光であり命そのものの主が「現世に帰りなさい」
と言いました。
それは言葉ではなかったのですが、そう伝えられたのがわかりました。
そしてさらに、「現世に戻ったとき、いちばん大切なのは、知ることと愛する
こと、その二つだけが大切なのだ」というメッセージを私は受け取ったのです。  
 
真夜中に突然、大きな音がして叩き起こされたシスターたちが見たのは、
寝巻き姿で階段の下にうずくまっている見知らぬ女性だった。 鈴木氏は、
それでも「大丈夫」と言いながらよろよろと立ち上がり、支えられながら
二階の部屋にあがったという。が、また気を失った。そして、上に述べられた
ような不思議な体験が彼女に起こったのは、救急車が到着するまで修道院
二階のベッドで意識を失っていたあいだのことだったようだ。
至福感のただ中にいたときに聞こえた、少しつたない感じの「癒してください」
という声は、そのときベッドの周囲を囲んでいたなかにいた外国人シスターの
祈りの声だったらしいという。

幸い肋骨のひび程度で大怪我をまぬかれた鈴木氏は、事故後の静養中にさらに
次のような体験をしている。
階段から落ちた翌日は、運動会の次の日のように全身がズキズキ痛んでいました。
全体が大きな瞳れ物と化したようで、ベッドの上で寝返りを打つのも、つらい 
状態でした。けれども、そんな肉体の痛みとは裏腹に、精神は高揚していて、
とても 気持ちがいいのです。

階段から落ちた前後の自分の行動の記憶はまったくないのに、あの不思議な
光に包まれた記憶は鮮やかに脳裏に焼きついていました。あのまばゆい光の余韻
や、悟りの境地にも似た研ぎ澄まされた感覚は、忘れようとしても忘れられない
ものでした。私は限りない至福感に満たされ、恍惚とした気分でベッドに横た
わっていました。 ようやく歩けるようにたった次の日、外の空気が吸いたく
なった私は、痛いからだをひきずって窓のところへ行きました。
窓を開けると、そこには秋の田園風景が広がっていました。
刈り入れを終えたあとの田圃がどこまでも続き、稲が束になって下がっています。
のどかな景色を眺めながら、自分が今、奈良郊外にいることをふと思い出しました。  

すがすがしい稲の香りが胸の中に広がったとき、突然、大きな感動がからだを
貫きました。 稲や土、光や風、自然界のありとあらゆるもの、大宇宙のさまざま
なものがすベて、素晴らしい秩序の中にあって、それぞれが一つひとつの役割を
果たして調和している、そうして燃えている―─。  

それは閃きに似た強烈な感動でした。大宇宙との一体感を、頭ではなく、
からだ全体で、魂の深みで悟ったような感じでした。目から鱗が落ちるどころ
ではありません。そのような至福の状態が三日間くらい続いたでしようか。
からだが治っていくにつれ、その高揚感も薄れ、やがて徐々に日常の平静な状態
に戻っていきました。

けれども、あの光に包まれる体験をしてから、まるで別次元の境地に達したよう
に、私の中ですべてが変 化していました。それまで悩んでいたいろんなことが、
とても小さく見え、いっせいに霧が晴れたように、私の人生はすがすがしく晴れ
渡っていました。そして、私の心の中には、ある言葉が、美しい鐘の音のように
響きわたっていました。
 「大切なのは、知ることと愛すること。それだけが大切なのだ」

鈴木氏は、その後に彼女の身に起きた数々の不思議な出来事によって、あの光
との出会いの体験が、たんなる夢や幻覚ではなかったという確信を深めていく。
その第一は、この事故の5〜6年前から患っていた膠原病が、事故のあと完全に
治ってしまったということだ。
膠原病は原因不明の難病だ。彼女の症状は、急に寒さにあうと、からだ中が硬直
してしまうというものだった。血管の流れは滞り、手は死人のように真青になって、
ときにはからだに鉄の輪をはめられたような痛みで息もできないほどだったという。
長年苦しめられていたそんな膠原病が、すっかり治ってしまった。
検査の結果、血管が詰まっているところはどこにも発見されず、本人も医者も
びっくりしたという。病気はその後二度と再発することもなく、それどころか、
あの臨死体験以来、病気ひとつせぬ丈夫なからだになったという。

 彼女が自分の体験を幻覚でないと確信した別の理由は、
レイモンド・A・ムーディー・Jrが書いた臨死体験についての本を読んだこと
であった。事故のあと、まだ入院をしていたあの日、見舞いに来たイギリス人の
シスターが、いま面白い本を読んでいるといって紹介してくれたのがムーディーの
『 LIFE AFTER LIFE』(日本語版『かいまみた死後の世界』評論社)であった。
そのなかには、臨死体験をした多くの人々のエピソードが集められている。
友人が、「臨死体験をした人たちの中には、光に出会う人々もいるらしい」と語り
始めたとき、鈴木氏ははっとする。
「その光は生きた光で、まばゆいけれど、まぶしすぎるという感じではなくて‥」 
だとすれば、それは彼女が出会った光とまるで同じだ。
鈴木氏は、そのとき初めて自分のあの体験が「臨死体験」だったことを知ったという。
こうしてムーディーの本に出会い、それを読み終えた頃に、担当の医者から膠原病
がすっかり治っていることを告げられたのだ。

・・・・・・
2005/09/17
1628, ソウルの富士山ー日野敬三 対談集 −2

 作家の保坂和志の対談ーソウルの富士山ーも含蓄がある。
死に直面した日野の心理が二人の対談から、みごとに浮かび上がっている。

保坂和志
今日は日野さんが、脳の手術から回復される過程で体験されたことを、
闘病記というより旅行記のような感じでうかがいたいと思います。

ー日野ー
自分が脳を手術されて、術後び安静状態にあるんだとわりあい客観的に
自覚したのは一ヶ月ほどあとでした。
なんとなく現実がわかるようになっても、まだうつらうつら夢を見ている
状態がさらに一ヶ月続きました。そこには、どうも完全な夢とは違う。
自分がソウルにいて窓の外がソウルの街がみえる。(実際は東京だが)
そして、富士山でなくてカイラス山がみえる。もしかすると、この人生では
なくて、その前のいつか巡礼に行ったことがあるのかも、と思い直しました。
だとすると、僕の中で辻褄が合うのです。カイラス山はそれだけの格と威厳が
ある山ですからね。超意識の神話的空間内だったら、カイラス山も見える。
それだけのリアリティのエネルギーを持ってなかったら、何が聖山ですか。

ー日野ー
僕は実は世の中を楽しんでいる、あるいは生きていること、人間であることが
好きなんじゃないかと思い当たったんです。
それを好きでないように思い込んでいきていたのが、いよいよ最後のところに来て、
その思い込みが剥がれ落ちて本当の地が出たんだと気がついた。
もう一つ考えたのは、人生はなにも正しく生きねばならいことはないと。
楽しく明るければよい。正しくありたいと思ってきたが、それは最も大切では
ないと、ベッドの中で声に出して自分に言った覚えがあります。

ー保坂ー
今回の日野さんの体験がものすごく言葉にしにくいのは、
死のそばまで行ったはずなのに、死の遠くに行っちゃって、
ずっと夢とも幻覚でもなかった、本人はもう一つの現実だとおっしゃっている。
つまり、死とか、夢とか、現実とかの定義が一般のものとは違っているわけです。
ふつうの人も同じ手術をすればたぶん何割かは似たような経験をするものでしょう
けど、たいていは周囲の目が怖いから、その辺を正直に言わないだと思います。
日野さんの場合、職業的な自負なのか、ありのままに語れているところが非常に
貴重ですよ。

ー日野ー
僕に言わせれば、やっと退院をしてみたら現実のほうが定義が壊れかけている
かのように思いました。ちょうど僕の意識が戻ったころに、同じ脳の病気の
小渕前首相は亡くなるし、そのあとを継いだ森首相は妙なことを言い出すし。
もっとショックを受けたのは、社会面では子供達の殺しの記事ばかりですよ。
ものすごく異様だった。
ソウルで富士山やカイラス山を幻覚?で見ていて、
僕はとてもまともだったんだなと思いました。
僕らは日ごろいとも簡単に現実と夢と言います、全く別のように。
でも本当は、そう分かれる以前のところに生きているんじゃないか。
夢現のあいだ」ということを東洋人は古くから知っていたように思います。
夢現のあいだ」は「無現のあいだ」でもありましょう。

退院をしてから老荘の本、道教関係の古い本を改めて身近に読んでいます。

たとえば、中沢新一さんもチベット密教を修行して幽体離脱を体験した話を
書いているでしょう。
もうひとつの微細な分身をこしらえて、肉体から自由に出て動きまわる・・
僕も入院中にいろんなところに行きましたからね。
実際に行ける場所ではないにかかわらず、そこで見たり考えたりしているのは、
たしかに自分自身なんです。この僕の肉体に限定された存在がギリギリ最後の
ものじゃなくて、そこからまだ先の、本当のエッセンスのような小さく精妙な
自分があるらしいと思うとドンドン自分が怪しくなるから、まだきちんと考え
つめてはいないですけど。この予感は気味が悪いし、楽しくもあります。

−保坂ー
社会がひとつの現実だけをもって見ることができないのと同じように、
人間もやはり一つの個体のなかにすべてが規定されているのではないかも。

ー日野ー
その個体を離れるというか、さまよい出るというか、叩き出されるとうか、
どうであれ自由になることは楽しいですよ。
無責任ゆえの自由のみたいなものは。

ーー
冷徹な記者あがりの作家が幽体離脱をして、チベットの霊山のカイラス
にいってきた。それも夢ではないと言い切っている。
また、
ー僕らは日ごろいとも簡単に現実と夢と言います、全く別のように。
 でも本当は、そう分かれる以前のところに生きているんじゃないか。
夢現のあいだ」ということを東洋人たちは古くから知っていたように思います。
夢現のあいだ」は「無現のあいだ」でもありましょう。
という、クダリは、生死の狭間での極限から生じた魂の深い世界を
垣間見た体験があるからこそ、言えることだ。

人間の脳には、信じられない能力が隠されている。
死の瀬戸際を漂うと、その一部を垣間見ることができるのだろう。
死ぬ時の楽しみでもある。

ー面白いことに、去年の今日老子荘子のことが書いてあった。
意味ある偶然の一致である。
・・・・・・
2711, 臨死体験を経験できるヘルメット
2008年09月06日(土)
 何の知識無しで初めて幽体離脱を経験したときの驚きをリアルに憶えている。
それを契機に、キュープラ・ロス、立花隆臨死体験などの本を読み、その経験
の意味を知った。ところが最近になり、アメリカでパーシンガー博士の開発した
ゴッドヘルメットと呼ばれるものがあり、これ装着すると万人が体外離脱できる
という。博士はてんかんの治療で、脳を電極で刺激する手術を400例以上やって
いて、その手術の際に側頭葉のシルビウス溝と呼ばれる、右耳の上を電極で刺激
すると、体外離脱がおこることを発見した。これで体外離脱した意識が、遠くの
ものを見てきて、現実と一致したり、霊が他人の体をジャックしたイメージも
起こるという。これまでのように脳を開いて直接電極を押しあてたりせず、電磁気
で脳を刺激して、反応を見る研究が盛んのようだ。体外離脱とは、脳の中の幻覚
ではなく、アストラル体のような意識が、抜け出している状態ともいわれる。
実際に体外離脱の経験者に装着したところ、同じような経験をしたという。それまで
一部霊能者とか、そういう体質を持った人だけしか経験できなかったことを、科学者
は誰にでも体験できるようにする。何年もしないうちに、家電店頭で並ぶかも。 
これを被って気が向いたら幽体離脱をするのも面白いだろう。そういえばアルファー
波を発生させる器械を買ったことがあった。またマリファナを吸ったと同じ気分に
なるCDのセットも買ったことがあったが、少し酔ったような気分の状態になる。
私は酒に酔いの方が好きだが。他のTPOSが面白いだけであるが・・・恐らく、これを
被っても、私の経験した幽体離脱の緊迫した感覚とは違うだろう。色いろな状況の
中で独りで、誰にも言えない奇妙な体験だから神秘的なのであって、ヘッドギアの
器械で幽体離脱をしても、味も素っ気もないだろう。しかし、面白そうである。
前に書いたことがあるが、欧州の帰りの飛行機の中での夢。「自分の身体が突然に
フワフワ空に向かって上昇して、電信柱が下に見えてきた辺りで恐怖心が出てくる。
夢から早く覚めて布団に身体を戻さないと、我に返った。ところが、そこは飛行機
の中で、身体が地上に在るはずなのに逆に、その遥か上を猛スピードで移動している。 
そこには、飛行機も、シートも、周囲の人たち消えて、独り宙を移動している」
身体が凍りつくとは、このことだろう。 恐らく、死ぬ瞬間とは、あの感覚になる
のでは? 絶叫をしそうになったが、ギリギリ抑えることができた。
人間は大地の上で生きているのである。 死ぬと、大地から離れるのである。
幽体離脱で元の身体に戻ってこれないで、狂ってしまうケースもあるというし、
自分が外に出ている間に、動物か彷徨っている霊が入り込む場合が往々にあるという。 
オウム教が騒がれていた頃、ニュースなどの映像で、ヘッドギアをしている信者の
姿を見かけたが、あれがゴッドヘッドだったのか? 集団維持の手法や典型的カルト
の教え否定されるべきだが、宇宙からの視点とか、こういう幽体離脱の手法は、
なるほどと感心する。脳はまだまだ未知の世界である。脳は3?しか使われておらず、
10?も使えば天才になれるという。神様(自然)は何を脳にさせよとしたのだろう。
我われ凡人は、パソコンなど、道具を有効に使ってせめて5〜6?を使えるように
すればよい筈だが?

つれづれに

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 他のブログ
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 今日はドラフト会議、今年は当たり年。
籤を引く担当者にとって比較的楽になる。外れても
二巡目にも遜色ないのが多く控えているためである。

 高卒に多くの逸材が揃っているようだが、大学、社会人にも
多くいるようだ。 私の御勧めは、ノビシロがある早実の野村。
何だかんだと言っても大阪桐蔭の根尾。




・・・・・・
・・・・・・

6069,閑話小題 ~割合で理解する法則 ~2
2017年10月25日(水)

  * “2・6・2の法則”
 パレートの法則と似ているが、
これは人間組織に焦点を当てている。
  ?優秀な人が2割
 ?普通の人が6割
?パッとしない人が2割 
▽ たしかにそうだ…。考えみるに、人間の本質の各要素にも言える。
 さらに、生き方の要素、‘遊び’‘学び’‘働き’の比率にも当てはめる
ことも出来る。その年代により、その比率は変化して当然。20代なら、遊びが
2割、学び6割、働き2割。還暦過ぎれば、遊び6割、学び2割、働き2割とか。
理屈など、どうでもたてられるが… 
――
   * “78対22の法則”
 世の中は、すべて78対22で成り立っていると言う法則。
 古くからユダヤ人の間で伝わる格言。
?空気中の成分は、窒素約78%、酸素・二酸化炭素等その他の気体が22%。
?22%の人が78%の売上をあげている。
?肺呼吸と皮膚呼吸の割合は78対22
?人間の体は、水分78%、その他22%
?地球の海の割合は78%に対して陸地が22%
▽ これもパレートの80:20の法則と、“2・6・2の法則”に似ている。
 “78対22”の比率に、自然界の何かがあるのか。
――
   * ハインリッヒの法則
1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、
その背景には300の異常が存在するというもの。
 重大な事故:1
 軽微な事故:29
 ヒヤリとするような事故:300
▽ 人生一般にも言える。逆に、成功や機会についてもいえる。博打や、事業
 の成功の背景には膨大な失敗がある。まずは量から入り、質を上げていく。
年齢のためか、軽微な事故や失敗について思い出す。その1つでも重大事故に
なっていたら!が、次々…と。とすると、重大事故は、必然だったのか。

・・・・・・
5702,自分のための人生 ~⑥
2016年10月25日(火)
   * 不安に感じるより、まずはやってみる
 20歳で、両親のような「創業」を決意、それ以来、その影に怯えながら、
何とか不安を乗りこえてきた。前向きに暗闇の未知の世界に向かって踏出す
恐怖心は、誰にもある。そこで、「その時は、その時!」の言葉に従い、
その都度、具体化をしなければならない。
 人は、失敗を恐れるあまり、新しいことに挑戦するのをやめてしまうが、
転がってしまえば、じぐざぐでも、前には進む。
「失敗と、成功の経験の積み重ねこそが、成長の土壌」になる。面白いことに、
ドン底にこそ、小さいチャンスの糸が見えてくる。それも準備があればこそ、
糸先が見える。 まずは、不安を乗越えて一歩踏出すこと。これは、事業でも、
秘異境旅行でも言えること。 
 人生は生きている最期までがプロセス。その時点時点で、選択した項目に
全力を出しきること自体が、節目を強くすることになる。『面白かった!』
の実感が、何もかも吹飛ばしてくれる。 畜群には、それが見えない。
 今ではネット・ゲームやマネジメント・ゲームがあるが、自分を博打の駒
にする醍醐味に到底及ばない。 いや、今では、その方が遥かに面白い?
 何れの石ころも、遠目でみれば、カタチと、大きさが大小の違う砂利。
としても、生きていくには砂利なりに前向きでなければ?
 事業も、秘異境旅行も、その都度、不安を乗越えた一歩から始まる。
≪P・200 未知のものを避けているとき、自分のその行為に気づく
 ことが大切だ。その瞬間に自分自身に言い聞かせてみよう。
「人生、必ずしもいつも、自分の行き先がわかっていなくてもかまわない」と。
<型にはまっている>と気づくことが、それを変えていく第一歩である。
 少し冒険をして、型にはまったやり方から抜け出してみよう。
何の予約もせず、地図も持たないで、行き当たりばったりの休暇を過ごすのも
いい。何が起こっても、自分を信頼して事の処理に当たるのだ。
たとえば、新しい仕事の面接を受けてみる。あるいは、「よくわからない」
「理解できない」と言って、これまで避けてきたような人と話してみる。
 自分の偏見を疑問視してみると、そのために自分が何の進歩もなく、
おもしろ味のない人間であることが、すぐにわかる。
自分とは違うタイプの人に多く会えば会うほど、今まで自分がどれほど損を
してきたか、自分の恐怖心がどれほど愚かだったか、よくわかるだろう。
これを見抜くことができれば、未知の世界は避けるべきものではなく、
むしろどんどん探索すべき場所になるだろう。・・ (中略)
覚えておいていただきたい。人間にかかわることは全て、自分と無縁でない。
自分にその気があれば、何にでもなれる。このことをしっかり心に刻み込んで
おき、安全で逃避的な行為に陥ったら、思い出そう。
失敗を恐れる気持ちは、往々にして、他人の反対や嘲笑に対する恐怖心。
 他人には他人の考えがあってけっこう、自分とは関係ない。このように、
自分の行為を他人の言葉ではなく、自分自身の言葉で評価しよう。
自分の能力は優劣で決まるのではなく、ただ他人とは違うというだけである。
            < 『自分のための人生』~6章 > より ≫ 
▼ 人間は「習慣」で動く生き物。それを利用して、一日の行動スケジュール
 の質量を、数ランク上げれば、それが第二の天性として身についていく。
 新しい時節に新しいことを始めるには充分の準備が必要となる。そして、
 いざ踏み出し繰返すと、思いのほか、スムーズに動き出す。
  畜群をネット辞書で検索すると
【「畜群」- 意味(独)【Herde】「ヘールデ」
 「超人」を理想とするニーチェが指摘した 集団から突出することを恐れる
 人間の特徴。 囲われた群れから孤立することを嫌い、欲望を抑えて、
 利他的に努める性質...】とある。所詮は、何れも石ころは石ころ、砂利で
 しかないが、それを自覚出来ているかどうか? 出来ていれば、石群から
 離れ、急流に身を置き、面白可笑しく転げまわるだろうに。畜群でしかない
 自分の石(人生)小ささを、日々、面白がっているに過ぎないが。
  ところで、畜群の人生、何が悪い? 「和して同ぜず」でなく、
 「和して同じる」のが悪いからか。付和雷同が一番悪い。良しとするのが、
 「畜群」ということか。ネット世界には「ネット畜群」なる生き物もいるが。

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5337,本当に、数字は「ウソ」をつかないのか?
2015年10月25日(日)
              ~『考える練習』 保坂和志
  * 一面だけの情報なら、それは正確とは言えない
 マスコミの報道は、ニュースという短期間の視聴者の関心を惹きつけるのが
仕事のため、どうしてもオーバーな報道をしたがる、そこに、大きな誤差が出る。
現在問題になっている、2cmの杭の段差問題が、それである。哲学書を読み
続けていると、こういうニュースの欺瞞性が見えてくる。たまたま、図書館で
見つけた、以下の内容が、正に、それを言いあてている。~その辺りから抜粋~
≪ 消費税を上げなくてはダメだという理由に、年金問題がある。
 年金は何十年か前は8人で1人を養っていたのが、いまは3人で1人を支える
「騎馬戦状態」だと言われている。 それも2050年頃には1人で1人を支える
「肩車状態」になるという。だから税収を確保しなきゃいけないというんだけど、
でもそれは年金だけを見たときの話でしょう。たとえば70年代は、家族を考えて
みた場合、専業主婦のいる家庭に子ともが1人か2人だったわけだから、1人の
働き手が最低2人養っていた。いまは共稼ぎで子ども1人のところも多いじゃない? 
子どもが2人いても共稼ぎ家庭なら1人で1人を養うことになるし、一人っ子なら
0・5人しか養ってない。うちなんかは、子とも0だ。猫はいるけと。
 そこに年金が肩車状態になったって、1人増えるだけじゃん。それならいけない
はずはない。だからここには考え方の誘導があるんだよ。誘導があると、みんな
その流れの中でしか考えなくなってしまう。いちばんわかりやすいのは、労働
人ロの割合だと思う。全人口に対して労働人口の割合が増えてることだけは
間違いないんだよ。それなのにお金が足りないというのは、一人ひとりの給料が
安いからでしょう。大企業が消費税に賛成している理由は、正社員を減らして
正規雇用を増やして賃金をもっと減らしたいからと思うんだよ。だから、
消費税増税はいまの人件費削減の流れの後押しになる、ということなんじゃ
ないかと思う。情報を一部分だけ出して、いかにも根拠があるかのように統計
を見せて、「数字はウソをつかない」とかって言っても、一面だけの情報なら、
それは正確とは言えないよね。タバコの発ガン率とか、メタボの人が脳卒中
になる確率とか、運動不足の何とか率とかって.いろいろ出てくるじゃない。
これをしている人はそれが15%上がる、30%上がるってさ。でも、もともと
そういう症状になる人が全体の何%いるかまで出ていない限り、何%増えようが
減ろうが、説得力はないはずだよ。この店で宝くじを買えば当たる率が30%
上がるっていったてじゃあ買おうって人はいないよね。宝くじなんてもともと
当たらないんだから。タバコを吸ったら肺ガンになる確率が30%上がりますよと
言われても、一生のうちに肺ガンになる確率が5%だとしたら、それが30%増え
ようがたいしたことはない。まあ数字自身は「ウソ」をついてはいないのかも
しれないけど。気が利かないだけで。じゃあ、それは厚生年金で、国民年金
話と混同してる?そうかもしれないけど、国民年金と厚生年金の一体化とかも
言ってるんだからいいんだよ。≫
▼ 自頭で考える訓練をしておかないと、マスコミの、世間の好い加減な
垂流し情報をそのままを信じ込んでしまい溝沼のボウフラに陥る危険がある。
9割以上が、上記のような情報のため、一線を画さなければならない。
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4972,閑話小題 ーツアーゲームの醍醐味 ~?
2014年10月25日(土)
  * ツアーゲームの醍醐味
 ツアーは、ツアーゲームという方が、その本質をついている。
  ーネット辞書によると、
≪ ツアーとは、基本的にはパンフレットやインターネットサイトなどで
 宣伝して旅行者を募集し、旅行代理店で旅行契約を締結し代金の収受を行う。
行程表に従った団体行動で集合場所から解散場所まで全行程に添乗員が同行する
形態が基本であるが、1990年代からは添乗員が同行せずに所定の往復の交通と
宿泊(に加えオプショナルツアー)で構成されるフリープランが台頭し、
旅行者のニーズに合わせて選択できる。
 :利点として
・添乗員が同行するパッケージツアーでは、現地での不安感が少ない。
・比較的多くの観光名所を観光バスなどで短時間に効率よく周遊出来る。
・現地の情報の事前収集がされているので、参加者は、情報収集のエネルギー
 が少なくて済む。
・団体料金が適用されるため、自由旅行や手配旅行より旅行費用が割安な
 ケースが多い。
・旅行業者は3つの責任(旅程管理責任、旅程保証責任、特別保障責任)
 を負うため、手配旅行に比べて安心。
 :欠点としては
・観光ルートが時系列で細かく設定されており、せわしなく感じる場合がある。
 また、自由時間が少ないため観光内容に物足りなさを感じることもある。
・行動の大半を他の参加者と共にするため、煩わしく感じる場合がある。
・近年、格安航空券やホテル代の割引が個人客にも開放されており、自由旅行
 や手配旅行の方が安くなることも少なくない。特に1人参加で1人部屋追加
 料金を支払う場合はかなり高くつく。また、辺境地をチャーター便や
 貸切バスで周遊するツアーも高額になりやすい。
・土産物店や免税店に何回も立ち寄らされることがある。現地での観光を
 放棄する方法もあるが、ツアーによっては認めないものもある
 (土産物店等が旅行会社と契約してマージンを旅行会社に払っている)≫
▼ 以上だが、一般的にツアー旅行は、フリープラン派と、パッケージ派に
 分かれる。49回のツアー経験から、フリープランでの現地代理店との直接
交渉のパックは、旅行代理店の裏づけがないため、現地の ガイドの好い加減な
扱いが多い。少し窮屈でも、私はパック旅行にしている。アフリカとか南米
専門の弱小旅行代理店は、(何度かの経験からみて)やめた方がよい。
マニュアルと、チェックリストが皆無のため、添乗員の劣悪な扱いを受ける
ケースが何度かあった。代理店は、それぞれ客層を絞っている。その時々で、
代理店の浮き沈みが激しい業界である。JTB日本旅行、近畿ツーリスト、
HIS、阪急旅行社の順に重心が移動している。自分は何を旅行で求めるかで、
その相手先を決めるが、私の場合、値段と行き先の内容になる。
 ツアーゲームは、私にとって最高の遊びであり、別腹の多くの体験と感動
が詰まっている。それぞれのツアーの延長が、TVやブログで見るなどしながら、
今も続いている。その度、新たな経験がある。
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4605, 閑話小題 ー今回は、い~かな
2013年10月25日(金)
   * 「今回は、い~かな!」
 一昨日の夜、家内のところに、柏崎の中学同級会の誘いの電話が入った。
その後、家内が言うに、「去年、出席したばかりなので、今年はい~かな、
とヤンワリと断った」と。そこで、当意即妙に「せっかくだから、『い』
を付けたら!」と言うと、「何のこと?」と、のたまう。「『い』をつければ、
いかないー行かない」だろうと教えても、何かボーとしている。そして暫くして
「あっ、そっか!」 それで、本人は笑ったが、ジョークに鈍い御人は、
こういう言葉の彩の面白さに反応しない。 以前、何処かの居酒屋で、
店主が「今日は、真イカしか、ありません」に、「ま、いいか」と駄洒落を
飛ばしたが、全く反応をしなかった。同席の三人はお愛想笑いをしてくれて、
何とか場は持ったが・・ ま、いいか! 「今回は、い~かな!」は、巧い
断り方。営業のプロなら、「じゃあ、次回は必ずお願いしますね!」というか。
   * ぽっくりシューズ
 子供の頃、女の子が、ぽっくり下駄を履いていた。ウィキペディアのよると、
『ぽっくり下駄は、日本の町方の子女の履き物。舞妓や半玉、花魁や太夫につく
「かむろ」の履き物でもあり、七五三のお祝い履きにも使われる。』とある。 
 新しい自転車を購入して一ヶ月経つが、一時停車の時、足のツマ先が地面に
ギリギリ。スポーツ自転車の停車の時、サドルの前に腰を出し、女またぎで
両脚をつくのが通例。(そこまでサドルを上げておく)だが、緊急停止の場合、
短身もあり、2~3センチ足りない。日が経つにつれ、その下り方に慣れては
きたが、やはり不安で、厚底シューズを検索で調べ、アマゾンから購入した。
送料込で3900円。早速、送られてきた現物は、何と、ぽっくり下駄にそっくり、
ウォーキングをスムースにする健康シューズ。つま先の厚さは、普通のシューズ
と変わらないし、踵部分が削られ、中央が膨らんでいる。失敗かなと思いつつ、
履いてみたが、何とか停車時に安定してつき、一応は、合格。
 その後、いつもの通り大手大橋を15分ほどヒキチャリウォーキングをしたが、
姿勢を正して歩かないと不安定になる。 足元が三分の一しか接しないため、
姿勢が良くするしかない。まだ慣れてないため疲れが残るがウォーキングに最適。 
自転車以外は珍妙な型のため、普段は履けない。踵から脚を踏み込み前に重心
移動すると、楕円形のため勢いつき身体が移動しやすい。よく考えたものだが、
自宅の2Fへの階段で、後ろに重心をかけ、げ落ちそうになった。
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4230,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー5
2012年10月25日(木)
ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
  * 特産品を混ぜ合わせて偶然生まれたマヨネーズ
 高校時代の夜食に、冷めたご飯をバターで焼いて、それにマヨネーズと
塩をかけて食べていた。それが、お新香と食べると、やけに美味しかった。
マヨネーズが生まれるに、やはり歴史があったのである。
≪ 日本人に人気の高い調味料の一つ、マヨネーズ。何にでもマヨネーズを
 かけて食べる「マヨラー」という人もいるくらいだ。その起源をたどると、
18世紀まではマヨネーズというソースは存在しなかことが判明している。
マヨネーズが誕生したのは、イギリス海軍の拠点だったメノルカ島の小さな
港町・マオンにフランス軍が攻撃を仕掛けたことがきっかけだ。
フランス軍を率いていたリシュリュー公爵は、終わりの見えない戦いの合間を
縫って、マオンの街角を訪れた。城塞付近の前線では激しい戦闘が行なわれて
いたが、一歩街に入ればそこは平和な田舎町。リシュリューはひとときの安らぎ
を求めたのか、目についた一軒の料理屋に立ち寄った。戸惑う料理人に、
リシュリューは「何かうまいものを食わせてくれ」と注文。
料理人は肉を焼きながら、マオンの特産品であるオリーブオイルとレモン、
ワィンビネガーを使ったソースを作りはじめた。しかし、これだけで公爵が
満足するか不安に思った料理人は、少しでも料理をグレードアップさせたい
との思いから、島の名物・メノルカ鶏の卵をそのソースに加えた。 
マヨネーズがこの世に誕生した瞬間である。そのおいしさに驚いたリシュリュー
がレシピを持ち帰り、マオンのソースという意味の「マオンネーズ」として
マランスに伝え、やがてこれがマヨネーズと呼ばれるようになった。 ≫
▼ マヨネーズといえば、キューピーマヨネーズで、他のマヨネーズは、
 不味く感じて当分の間は舌が受けつけなかった。これとケチャップも、
冷や飯と一緒に炒めて食べていた。チャンハンの具なしというもの。