* SCのテナントの変遷
 自宅から100mほど先に、原信とドラッグストアを核にした7店舗の小型のSC
がある。18年前に東亜マッチ工場敷地跡にオープン。 それと、9年前には、駅裏
から東バイパスに向かう主幹道路を50年以上かけて拡張、今では見違えるほどの
様変わり。新潟駅南も同時進行で開発された。長岡駅裏から600mほど先の一角に
大型SCも10年近く前に完成。 そこのSCのSJには、毎日のように通っている。
 家内は運転免許がないため、自転車で長岡駅内SCと、近隣のSCと、川西の
イオンのSCがテレトリー。 日曜を除くと、連日、ウィンドウショッピングか、
日用品の買い出しに。 テナントの出入りの激しさから、景気が良くないことを
肌で感じてるようで、月に一度は、<スッパリ、事業を止めて良かった!>と
宣っている。私が早朝から寝るまで目一杯、淡々と日程を熟していることもある。
暗い顔をし、ため息をついていたら、こうは言わない。
 ところで至近距離のSC内にあったチャンコ料理店が、数ヵ月前から営業を
停止したが、何が入るか楽しみしていたが、一月前から工事が始まり、
<国産牛肉、食べ放題>の看板が出ていた。 来週オープン予定だが、
<焼肉のサカイ系列の店>。同SCでは、数年前にユニクロが移転の後に、同系列
の「GU」が入っていたが、これも新しくオープンしたSCに移転。 その後、
<百均>の店舗が入ったが、一年もしない内に撤退し。現在は空き店舗。
毎日のように通っている500m先のSC内のSJに隣接した飲食店。初めは「お好み
鉄板焼き店」から、幾つか店が変わって、今はインド料理店。(川西にも数年前
から営業をしている…) 地元の学生向けのファーストフードの店も、今では
コインランドリーに。この程度なら当然か?
しばらく前の話になるが、毎日のように顔を出すため顔見知りのレジの人に、
『どちらからですか?』と問われ、『100mか、150m先かしら!』と答えると、
しみじみと、『近くの人と顔を合わせ宅ないこともあって宮内から通っている。
この辺りに住んでいれば、4つ、いや川崎と愛宕SCを入れると6つのSCに
囲まれていて、自転車で5〜10分ですよね。夢みたい!』と言われ、
『エエ〜!』と恵まれた買物環境に初めて気づいたという。確かに、この20年
で様変わりをしてしまった。気づかないのは住人だけですか。チラシの特売を
みて、スッと20分、姿が見えないと近隣のSCに。1時間だと、駅前のヨーカ堂に、
買物に出る。 確かに特価ハンターには便利のようだ。 
『大して金もないのに、週2回、イオンのSJに行き、月1度は新潟に、年に10回
は格安チケットで東京に、お上り。 知ったら殺意?を持たれる?』と言うと、
『何を言ってるの、計画以内で納めている上に、1円、2円の節約をするところ
はしている。あなたに注意されるいわれはない。それも今では、宿無しを
僅かな年金で住まわせているのよ!』『常日頃、言ってるじゃない。持って
あの世には逝けないと。死んでしまえば1円もかからないの。老後資金など、
銀行と保険屋の間接勧誘の洗脳でしかないでしょ。老齢化したらどうする? 
この家を抵当に入れるか。売ればいいんでしょ。』と、いたってシリアス。
どうも、あと20年は生きそう。私が逝くと、そうは言っていられないが。
その辺りは、何とかなりそう? 上手くいく人は、何があっても、上手く
いくように出来ている。

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3858, 幽霊を哲学してみる
2011年10月18日(火)
 先日、ある人と食事をしていた時の話題。
《 最近、自分には学校とか病院の前に屯をしている霊が見えることがある。
貴方のブログに、そういう感覚があると書いているが、このことを如何思うか? 
最近、気晴らしにパワースポットに行くのが趣味になっている。長岡には、
そういうスポットは何処にあるのか?》という内容。〜それに対し私の返事は〜
《 ブログに書いてあるとおり、38年前に父親が亡くなった時から10数年、
 シックス・センスが身についた時期があった。実際に経験してみて、こういう
ものかと思い知った。 子供の頃から両親や姉などが、幽霊の話を真剣な顔を
しているのを聞いて、他愛無い話と子供心に思っていた。ところが、父が亡く
なった直後に「父親の死にたくない不安の気持ちが夢の中で乗り移り、我に
返った時に、父親の魂が自分に乗り移ったような奇妙な経験」をした直後から、
幽体離脱や、奇妙な偶然の一致などが多く続くようになった。 これだけは、
実際に経験してみないと分からないこと。 しかし10数年前から哲学に興味
を持ち読み続けてから、その感覚が薄れてしまった。特にカントを知り、
何度も読み込むうち、霊の正体が理屈で分かりかけてきた。私はカレーを食べる
と汗が人一倍出る。そのためカレーをイメージしただけで汗が出たり、カレーの
臭いさえしてくる。これは、嗅覚がカレーの言葉に刺激されるからである。 
それと、あなたが見える幽霊に似ている。そこに幽霊がいるのではなく、
貴方の中にある幽霊の刷り込みの感覚が働くためである。 それが分かると、
シックス・センスは、その入り口で遮断される。人間の脳は、生物が20億年
かけた生命の歴史が刻まれている。 霊も、その類である。》であった。
霊に関しては、そんな簡単に言い切れるものではない。過去を振り返ると
分かることだが、我々は共同幻想の中にある。人生は幻想の中で浮遊していて
いるだけ。見える人には見えて、見えない人には見えない。そう見えるも
脳の悪戯? ふと考えついたのが「目覚めた状態で見える夢」という言葉。
そうすると、やはり幻覚、幻想になる。 カラオケスナックは、酒で脳を麻痺
させ、映像と歌謡曲で幻想の世界を作り上げる場所。 映画館も、小説も同じ。
 たまたま、二年前の同月同日に「生きる幻想 死ぬ幻想−2」を書いていた。 

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4223, 神は妄想である ー4
2012年10月18日(木)
 神は妄想である ー4                        
  * パスカルの賭け  ー「神は妄想である」リチャード・ドーキンズ著
 学生時代に読んだパンセの「パスカルの賭け」を読んだとき、いやに納得した
ことを憶えている。と同時に「裸の王様の真の姿に目をつぶって黙っていた方
が得」という、いかがわしさも感じとった。イスラム教、キリスト教ユダヤ教
の文明の対立が激しくなる中、無神論も、堂々と主張すべき時期に来ている。
パスカルの賭けも、あまり語られてないが、当然。 ーその辺を抜粋ー
≪ 仏の偉大な数学者ブレーズ・パスカルは、神が存在するという確率がどんな
に小さくとも、神の有無について間違った推測をしたときの報いには、かなり
大きな非対称性が存在すると考えた。< あなたは神を信じた方がいい、
なぜなら、もしあなたが正しければ永遠の幸福という利益を得るが、間違って
いたとしても、いずれにせよ失うものはないだろう。それに対して、もし
あなたが神を信じないとして、それがまちがっていることが判明すれば、
あなたは永遠の苦しみを得ることになるが、正しかったとしても、何の利得
もない。悩む必要がないのは明らかだ。神を信じなさい。 >である。
 けれども、この論証には、はっきりとおかしいところがある。信じるという
のは政治問題とは違って、あなたがどうするか決定できるものではない。
少なくともそれは、自分の意志で決定できるようなものでも、自分の意志で決定
できるようなものではない。私は教会へ行くかどうかを決定できる。
私はニカイア信条を唱えるかどうかを決定できるし、聖書に手を載せて、そこに
書かれているすべての言葉を信じると宣誓するという決定をすることができる。
しかし、これらの行為のどれ一つとして、私が信じていないものを実際に信じ
させることはできない。‘パスカルの賭けは、神を信じているふりをするための
論証でしかありえない’。そして、あなたが信じると主張する神は全知という類
の存在ではない方がいいだろう。さもなければ、神はその偽装を見抜いてしまう
だろうから。「何を信じるか」ということが自分で決定できるものだという馬鹿
げた考えは、ダグラス・アダムズの『ダーク・ジェントリーの全体論的秘密探偵社』
において、みごとにからかわれている。そこにロボットの電子僧侶が登場するが、
それは「あなたにかわって物事を信じてくれる」、労働節約型の装置である。 
 宣伝によれば、デラックス型は、「ソルトレイク・シティ[モルモン教の本拠地」
では信じないようなことを信じさせることができる」というふれ込みの商品だ。
しかしいずれにしてもなぜ私たちは、「神を喜ばせたいならば、しなければ
ならないのは彼を信じることだ」という考えを、そんなに簡単に受け入れて
しまうのだろう? 信じることの何がそれほど特別なのだろう? 神が親切、
寛容、あるいは謙遜、あるいは誠意という報償をくれるだろうというだけのこと
ではないだろうか。≫
▼ 「信じることで、神から親切、寛容、謙遜、誠意という報償を与えられる
 だけで、十分過ぎる」ことも確かである。信仰は自分で自分の首を縛るだけか、
長年の歴史に耐えた教えに『良心』を育て導く道理が入っているため信じるに
足りるか。キリスト教圏だった、自分の子供には無神論より有神論者を
選ばせるのは頷ける。亀井勝一郎の「愛の無情」でも読み返すか。

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4965,閑話小題 ー誇りを持つのはいい、誇ってはいけない
2014年10月18日(土)
   * 誇りを持つのはいい、誇ってはいけない
 誇りの持てない人こそ誇りたがる?それ以前に、誇りとは、どういう意味か。
ネット辞書によると、「その者自身の具体的な長所や美点に対する心理」
「名誉に思えること」 自信がないと、虚勢でそれを現出させがちになる。
隠せばこそ誇りとして、熟成されるが、ついつい、見せて誇ってしまうのが、
人間の性である。他人を見ていると、それが分かるが、自分のことになると!
誇りの逆が卑屈だが、これを、この言葉に当てはめると、
「落ち込むのは仕方がない、卑屈になるな」になる。 
ほおっておけば、老いるほど卑屈になるは!
   * 人と違う生き方は孤独のようだが、実りは大きい
 意識するしないにかかわらず、それぞれが人と違う生き方をしている。
ただ、人を意識しなければの話。スポーツジムのヨガに週2〜3回、二年半、
参加してきたが、少し暗がりの中で毎回のように言われるのが、
「各々のマットは、各々の全世界です。周囲の人を意識しないで、自分だけの
世界に入って下さい!」である。実際に参加していると、殆どの人が、忠実に
自分の世界に入りきっているのが分かる。人と違う生き方は、人を最小に
意識した生き方ということになる。その第一歩が、人と比較しないこと! 
その為には、まずは、自分の好きなことを長年かけて続けること。
それには孤独の世界を大事にしなくては。

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4598, 読書という体験  ー1
2013年10月18日(金)
      「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集)
 読書を体験として捉えるところが面白い。
それも色いろな分野の識者の体験談?だから惹きつけられる。
   ーアマゾンの内容 よりー 
【熱い気持ちで読んだ本で経験したことの方が、実際に経験したことより
 今日の私にとっては何倍も大切な思い出になっているのだ ―香山リカ
 「読書だって“人生経験”」(学者、作家、)ー ジャーナリスト、
 俳優など、三四人の多彩な筆者による、さまざまな読書という体験。】
 まずは、読んだことのある著者から取り上げていくが、
 特に藤原正彦の内容が良い!
   * 教養を培う  ―私の「読書ゼミ」 藤原正彦 
NHKによる最近の読書調査を見ると、中学生.高校生がいかに本を読まないか、
 あらためて愕然とする。平均読書時間は一日に数分である。一方、テレビに
費やす時間は、平日が約二時間、休日が約四時間である。高校生三人に二人は、
一ヵ月に一冊も読まないという。読書以外に、文学、歴史、思想といった教養を
身につける方法はほとんどないから、このままでは早晩、日本は無教養な人々で
埋めつくされることになる。 教養がなくとも、日常生活をつつがなく送り、
幸せな人生をまっとうすることはできる。その意味で教養とは個人的なもの。 
教養がどうしても必要なのは、長期的視野や大局観を得たいと思う時である。
「長期的視野や大局観を持つとは、時流に流されず、いったん自分を高みに置き、
現象や物事を俯瞰しつつ考察するということ」である。このためには若いうち
から、「現状」を離れ大きな枠の中で人間や社会の本質に迫ることに慣れねば
ならない。そこで、時空を超える唯一の方法、すなわち読書により、古今東西
の偉人賢人の声に耳を傾け、庶民の哀歓に心を震わせる、ということが必要。
このような読書の累積が教養である。長期的視野や大局観は、リーダーとなる人
の絶対条件である。我が国の政治や経済政策がいつまでたってもうまく機能せず、
社会や教育が少しずつ荒廃していくのは、リーダー達の大局観の欠如による。
大局観がないと、常に時流に流され、右顧左眄し、対症療法に走ることになる。
大局観欠如の背景には、かつてあった教養主義の衰退、読書離れがある。
 リーダーだけが教養を積んでいれば、国民一般はどうでもよいかというと、
そうはならない。我が国が民主主義をとっているからである。国民の総意に
基づいて物事を決めるのだから、その国民に判断力がないと大変なことになる。
民主政治は衆愚政治になりはてる。 読書離れは、民主主義を最低の政治
形態にまでおとしめ、日本を滅ぼす。... 》
▼ この危機感から筆者は、大学で八年前に読書ゼミを始めた。主に一年生を
 対象とした週90分、半年間のこのゼミは、以後毎年開いているという。
この内容について次回に取り上げる。 武澤ゼミの武澤教授の指導に似ている。
事例の現象に隠されている本質は、かなりの読書量がなければ、理解不能
ものばかり。基礎教養が、人格をつくり、それが問題を解決する。
私のゼミの事例研究の前の一年は徹底的に指定された本を読まされるが、私は
二年目からの参加。ひと月もしないうちに、己の絶対量の読書不足を自覚する。
二年目の彼らに全くついていけない。それが時間が経つたびジワジワ効いてくる。
それまでの読書の絶対量の不足。この自覚が武澤ゼミ、学生時代の最大の収穫。
 卒業時には、ノイローゼ気味でコンプレックスの塊になっていた。
特に都会生まれの学生は、読書の必要性を知っていて、絶対量を読んでいる。 
卒業の越年を真剣に悩んだ結果、社会生活に入ってから、毎日、二時間の読書を
 続けることを心に決め、それが現在まで続いている。そのことで、心の個室
を持つことができた。足の踏み場もないが・・ 

・・・・・・
5330,閑話小題 〜メガネ店に隣接したコンタクト専門店
2015年10月18日(日)
   * メガネ店に隣接したコンタクト店
 あと三ヶ月で自動車免許の書き換え。毎回、問題は眼の検査がギリギリ線上。
その都度、何とか合格してきた。70歳誕生日の免許書換えの法定講習会に
行ってきたが、その検査では今回は無理。レンズの入替えか、コンタクトか、
白内障手術かの判断。で、「メガネスーパー長岡店」に、問い合わせの電話を
入れると、一度、コールセンターにつながり、眼医者が、(週3日だけ待機)
する隣接するコンタクト専門店を紹介された。こうしないと、店単位の判断
のため、コンタクト隣接店の紹介をさせないための対策だろう。
 で、昨日、早速、紹介された店に行ったところ、強度から、メガネでも何とか
合格ラインのレンズにすれば、クリアするという。そこで、コンタクトのコストと、
レンズの値段を聞いたところ、コンタクトなら3分の1という。コンタクトの選択肢
は考えてなかったので 判断は二日後に延ばすことにした。 ちなみに値段は、
一日使い捨ての30個入りのソフトコンタクト(乱視用)で、7千〜8千円。
コンタクトは20歳代に10年間近く使ったことがあるたって抵抗感はないが、
一つ位、クリアするレンズも必要?レンズの入替えか、コンタクトか迷うところ。
現時点ではコンタクトだが? コンタクト専門店で判断予定!
   * やはり原監督が辞意
 昨日のヤクルト対巨人戦は、20分位で他のチャネルに変えてしまった。
巨人の対戦相手を原監督の来年の姿を見たくないため、応援するのも複雑
な気持ち。原の監督年齢が、既に過ぎてしまっていたのは誰の目にも明らか。
今朝のヤフーのニュースに、<負けて決勝に進めなかった結果、辞意を表明>
と載っていたのを今朝になって知った。これで良いのだろう。ドラフトがある
ため、早々、監督の人選になるが、一時的に江川か、正当なら桑田か、巨人の
コーチ陣の中からか、この数日は面白くなった。原監督は、総括として、
歴代の上の部類に入る名監督である! 巨人のGMに留まるか、一度、
すべてを脱ぎ捨て、数年、休むか? やはり、一度、休むがよい!
・・・・・・
・・・・・・
6062,閑話小題 〜小池の誤算
2017年10月18日(水)
   * 大いなる判断ミス
・あと4日で衆院選挙が実施される。安倍首相の疑惑隠しと、民進党の自壊に
つけこんだ解散であることは自明。「希望の党」の設党の勢いからして、
「もしや?」の可能性もあったが、舞上がった小池が大失敗をした。民進党
自民党一強体制の破壊のため頭を下げ、解党までして合流しようとした矢先、
「左翼と、元・元首を、さらさら入党させるつもりはありません!」の一言
で、自民党大敗の流れが大きく変わった。安倍打倒で結束していた対立軸
がブレタのである。その一言で、私も「小池はダメ!」と変心をした一人。
白け、冷静になったのである。結果論になるが、「まず全て取り込み勝利し、
その後、解党なり、排除すれば良かったのである。
・それに第二次朝鮮戦争の勃発への危機感が日ごと高まりもある。北朝鮮
とって核弾頭ミサイルの脅しには日本ほど好都合な国はない。やり返せない
のである。開戦ともなれば、首都圏と原発基地近隣の被害は甚大になる。
最も心配していたのが自宅から30キロ先にある柏崎刈羽原発への攻撃だが、
この緊迫した世界情勢の中、大国とわたり合えるのは、安倍首相しかない。
皮肉にも拒否された左翼系のグループの立憲民主党が予想以上の伸び。
私は、まだ誰に投票するか様子見… 安倍首相と小池とれば、「希望」より
政治経験の深い安倍に傾くのは自然の理。となれば「政権交代はない!」。
 <稼働をしてない原発は、空箱と同じ>と知り、安堵。興味本位で言えば、
今回の総選挙ほど物語に満ちた選挙はない。 小池もタレント議員上がりの
都知事の器。それだけでも充分に御立派。今は「万一」に備える時節になる。
 恐ろしいのは戦争の惨劇がリアルに世界中に垂流されること。それと難民!
・・・・・・
5695,閑話小題 〜県知事選の結果に
2016年10月18日(火)
  * 県知事選の結果には驚いた
 先週の木曜日に近くの従兄が亡くなったこともあって、県知事選と、
長岡市長選を全く忘れ、むろん、その結果も知らなかった。翌朝になって、
家内から「森市長が負けた」と聞いて、耳を疑った。 家内も、
「昨夜半、森市長が勝つと思っていたので選挙結果に吃驚した!」という。
 忘れてなかったら、長い目で、森市長に投票と決めていた。その直前まで、
アンチ建設省米山隆一に投票に決めていたが、改めて自頭で考えてみて、
長岡市長として実績と、安定した業績を考えて比較したところ、森市長が、
県知事に向いていると判断を切替えていた。
 以前、30年間、新潟駅前で事業をしていたこともあり、県知事関係者から
相談を受けた大学ゼミの後輩の「道路アクセスと経済効果」の専門家に、
「停滞する新潟県の発展には何をしたら良いか?」と、相談され、
即座に、「新潟駅から新潟飛行場までの新幹線の延長」を提案した。
そして、有志を集めて、その利点を幾つかあげて議論いるうち、新潟駅
空港を結ぶ沿線に多くのプロジェクトの絵図が浮かんでいた。
 元建設役人の森市長なら、それを熟知しており、最後の政治生命をかけた
政策としたと推測される。
 米山新知事、新潟が今も昔も、「江戸の天領」が見抜けるか疑問である。
泉田知事は、その重要性に気付いてなかった! 気づいても、プロジェクト
を推進するには実力不足を自覚していた? 僅差でもない結果は、国家として?
原子炉再開に慎重な泉田知事を追い落とした自民党に対する反対とすると、
新潟県民の良識は満更でもないと知った。もし、安倍政権が自滅の道を歩む
とすると、この知事選挙が大きな道しるべになる。17年前に、新潟県知事
を、泉田と、森の何方かを選ぶかの自民党の裁定が、泉田。今から思うに、
森の方が遥かに、新潟県にとって良かったのでは。 
 それからしても、『森県知事』が、『米山県知事』より、良かったはず。
17年前の市長選で、『米山長岡市長』より『森長岡市長』が良かったように。
市長、県知事は、住民にとって未来の選択。 東京都知事選挙のように。 
ただし、米山隆一には県知事としての「大化け」のノビシロを持っている?
《 ★ ー新潟 与党敗北で再稼働困難に 10/17(月) 産経新聞 掲載 ー
 新潟知事選で与党敗北 野党系・米山氏当選 柏崎刈羽の再稼働困難に
 任期満了に伴う新潟県知事選は16日投開票され、無所属新人の医師、
米山隆一(49)=共産、自由、社民推薦=が、前長岡市長の森民夫(67)
=自民、公明推薦=ら無所属新人3人を破り、初当選を果たした。
東京電力柏崎刈羽原発(同県柏崎市など)の再稼働に反対する共産党など
野党の後押しを受けた米山氏の当選で、政府や東電が推進する再稼働が困難に
なる可能性がある。投票率は53・05%で、過去最低だった前回の
43・95%を9・10ポイント上回った。(産経新聞)》

つれづれに

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 早朝のポタリングは、寒さがキツクなってきた。
まだ、18度だからよいが。

 昨日、愛宕SCの前側の「ケンタッキー・フライドチキン」横の
一年程、空き店舗だった飲食店に工事人が数人、打ち合わせをしていた。
何が出来るのだろう。




・・・・・・
・・・・・・

3493, 人生、よもやま話 ‐2
2010年10月18日(月)

 幼児の頃は、聞くもの見るもの全てが新鮮で遊びの対象になる。まだ憶えているのが、初めて海を見たとき。
長岡から当時の列車で一時間足らずの柏崎で見た青い海と、潮風の臭いと、漁船と、近くの箱に入った魚に
驚いた。 同じ歳の親戚の男の子が海岸近くにいて、近くの寺に夏ごと泊り込みで遊びに行っていた。
 実家では店のビル全部が遊び場であった。 また幼稚園に入ってから直ぐに何人かの友人が出来た。
その一人が焼鳥屋の息子。家に行くと焼き鳥の仕込みをしていた親父さんが、イオリで焼いて食べさせて
くれた白モツの味は今でも忘れられない。その店(鳥梅)は、現在もある。 そのうちに、郊外にプールが
出来て夏になると通っていた。 歳の離れた兄が5メートルの飛び込み台の上から足を持って逆さまに吊り
下げられた恐怖心は生々しい。 その頃の楽しみの一つが祭りの屋台である。その幾つかに家族で行ったり、
一人でも行っていた。 特に「チケンサマの祭り」が多くの屋台や、植木の店がたつ。そこで一軒ずつを
一日かけて見るのである。 その中で、金魚と鯉の出店が気に入りだった。父は「贅沢は敵」の明治気質の人、
三輪車以外の玩具など殆ど買って貰えなかった。 そのため、祭りでも何かを買う楽しみではなかったが、
普段には見れない珍しいものを見る楽しみとしていた。 その癖が現在で残っている。 あまり物が欲しい
と思わないのは、そのため。新しいデジタル商品を除けば、見るだけで満足してしまうから安上がりである。
骨董品を見るのは好きだが、それを欲しいと思ったことはない。所詮は倉庫のゴミでしかないことを知って
いるからである。美術館で見れば充分である。そうこう考えると、なるほど「魂の故郷は幼児の頃の思い出」
というのは肯ける。人生は記憶で彩どられている。

 ・・・・・・・
3118, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー2
2009年10月18日(日)
「生きる幻想 死ぬ幻想 」岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)  ー読書日記
  * 一神教批判をめぐって
 多神教の日本人と一神教徒の欧米・アラブ人とは肌の色だけでなく、根本的に考え方が違う。
一神教徒は多神教の多い黄色人種や黒人を元もと見くびっている。宗教そのものは本来そういうもの。
だから、今さら、そういう異種の人と割り切り付き合うしかない。 外国旅行をしていると、辛らつな人種
差別を感じとることは度々である。今さらのことだが。 アメリカは、中近東にサウジアラビア、東洋に日本
という赤色と黄色の属国があるとしか捉えていないのである。いざとなるとCIAが陰湿な謀略を属国日本
に仕掛かける。
  ~以下の文章を読むと、その辺のことが、よく見えてくる~
 Pー6  ユダヤ教キリスト教イスラームは、同じ「一神教の神」を奉じる兄弟宗派です。
一般に「旧約聖書」と呼ばれているのはユダヤ教聖典で、これはキリスト教イスラーム聖典として
認めています。キリスト教にとっては『旧約聖書』プラス『新約聖書』が聖典であり、イスラーム
旧約聖書』と『コーラン』が聖典です。
同し神様を奉じているのに、どういう角度で見るかによって、歴史的に分派しているわけです。ですから、
この三つの宗教は「セム一神教」とか「アブラハムの宗教」と呼ばれている。このうちユダヤ教は、一応
ユダヤ民族と呼ばれる人々の「民族宗教」で、あまりほかに拡がっていかない、むしろ閉ざされていく傾向を
持っていますが、キリスト教イスラームは「普遍宗教」として民族・文化を超えて拡がっていこうとする。 
これが非常に問題を起こすのです。一神教というのは基本的に自分たちの神だけが真実の神である、と主張
しているわけですから、他の宗教には非寛容です。実際、他の神々を否定し、殺していきます。そして極端に
言えば、自分たちの神を信じない者は人間ではないと考える。ところが一神教徒にとって最も大きな敵は、
同じ一神教の他宗派なのです。多神教徒は、劣った連中、迷妄の徒だと思って下に見ることができますが、
同じ一神教の仲間だと、そうは行きません。これはちょうど左翼の中で一番敵視して闘ったのは、むしろ
国家権力やブルジョワ階級よりも、同じ活動をしている分派の方だったのと同じ心理です。
解釈を違えた者同士は、まったくの異教徒よりもっと敵となるんです。
 P-50 僕の仮説では、人間はもともと黒人で豊かなアフリカに住んでいた。ところがそこに色の白い
アルビノが生まれて、それが差別されて、中東やヨーロッバに追いやられた。そういった差別された連中がまた
エジプトでも差別されて生み出したのが一神教であって、もともとユダヤ教は恨みがましい宗教だという説です。
自分たちが差別され、虐げられてきたから、他に対して攻撃的になり、他を差別する。ユダヤ教は、さきほど
も言ったように、エジプトで奴隷になっていた入々が、モーゼという英雄に一つにまとめられて、パレスチナ
に逃亡してきて、現地の神々を追い払ってつくった宗教ですし、キリスト教も、ユダヤ教徒のなかで差別
されていた人たちがつくり、ローマ帝国の中で差別された人々に広まった宗教です、だから万軍の主という
神や、復讐の神といった、自分たちを差別する連中をやっつけてくれる神を作り上げたのです。 
キリスト教がヨーロッパに拡がったというのも、ヨーロッパの特に北部は、非常に自然が過酷で、そこに
追いやられた白人たちは、人類史的に見れば、ひどく悲惨な目に遭っています。だからこそ、ああいう磔に
なって死んだ人が教祖であるような宗教が、ヨーロッパ人にとっていちばんフィットしたのではないかと
思います。教祖は人々が同一視できるというか、自分をそこへ投げ入れることができるような存在である
必要がありますから。
~~
多神教一神教が戦えば、間違いなく後者が勝つことは、歴史が証明している。多神教にとって、
一神教もその一つだが、一神教は他の神を認めないのだから、心根が全く違う。
・・・・・・・・・
2753, ジム・ロジャーズの金融危機インタビュー
 2008年10月18日(土)
ライダーの投資家で知られてる、ジム・ロジャーズが、この金融危機についてインタビューしていた。
この人の本は四冊読んでいるが、その行動力と眼識には目を見張るものがある。 ここで、
ー「今回のバブルはおそらく世界史上、最悪の借金バブルだった。今後10年は第2次世界大戦以来、
最悪の景気後退になると思う」 金融機関の公的救済についても否定的ですね。「救済は間違いだ。
わずか数千人の金融村の人たちを救うために、3億人のアメリカ人が害を被る。ーと、語っている。 
これから10年は、世界にとって際どい日々。【金融危機インタビューより 朝日新聞(08年10月)】
 *ドル失落は始っている   
ーソロス氏と創設したファンドが10年で運用利回りが4千%を超えたことは有名です。原油など商品市場
の高騰を早くから指摘していた一方で、ドルの暴落をずいぶん前から予想していますね。「私は米ドルも、
投資銀行も売り続けている。バーナンキ(米連邦準備制度理事会議長)は4年間、宅市場には問題がないと
言い続けてきた.が大間違いだった。彼は経.も市場も通貨も何も分かっていないと思う。
知っているのはお金を刷り続けることだけだ」 ドルの基舳通貨体制は崩れるのでしょうか。
「米ドルは今、すでにその地位を失いつつあり、今後数年でドルの価値は大きく失われると思う。
10年前は世界の外貨準備の7割はドルだったと思うが、いまは63%だ。中東湾岸の米国の友好国でさえ、
ドルでなく別の通貨での決済を議論し始めている。こういうことは最初はゆっくり.起こる。
それが次第に速度を増し、最後にはドルからの逃避が起こる」ー米国の投資銀行心、政府系住宅金融
ファニーメイ」や「フレディーマック」が大きな問題を抱えていると、数年前から指摘していましたね。
「市場は狂乱状態にあり、あまりに過熱していた。仕事を始めたはかりの29歳の若者が、高級車
『マセラッティ』を乗り回し、年に1500万ドル(約15億円)も稼ぎ、『僕は頭がいいから当然だ』という顔
をしていた。正気の沙汰じゃない。狂ったような巨大なバプルが発生していた」「無職の人が、頭金なしで、
四つも五つも家を買えるなんてことは歴史上なかった。あり得ないことが起こっていた。金融や歴史、市場
を少しでも学んだものなら、すぐに分かる」1危機対応として大幅に金融緩和を続けると、どんな影響が
考えられますか。「さらなるインフレ、ドルの価値下落、高い金利だ。はんそうこうを重ねれば重ねるほど、
経済は長期低迷する。欧州もお金を刷り続け、日本は超低金利、これはすでに問題を引き起こしている。
ガソリン、教育費、娯楽費だって過去2、3年でみな値段が上がっている」「今回のバブルはおそらく
世界史上、最悪の借金バブルだった。今後10年は第2次世界大戦以来、最悪の景気後退になると思う」
ー破綻の連鎖を避けるために米政府が実施するという、金融機関の公的救済についても否定的ですね。.
  ー以下は字数の関係でカットー2010年10月18日
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2007年10月18日(木)
2389, こころの旅  -3         c⌒っ *・∀・)φ【才八∋ゥ♪】
  「こころの旅」神谷 美恵子 (著)
 第一章、人生の出発点の中の
 -人生の諸段階ーの説で、八段階の半分の四段階が11歳までに区分されている。
更にいえば、5歳までに三段階が終わっているのである。これからみると、小学校で既に勝負がついている
のである。いや、もっと厳密にいえば、小学校入学時に質として、もう範疇に分けられていたのである。
以前、最終区分前の中学校の成績順が、そのまま人生を決めていると書いたが、エリクソンによると、
小学校でホボついていることになる。 そう小学校も、中学校と同じことが言える。
一番、二番、三番、四番とその後の消息を聞くと、そのまま拡大した人生である。私は4番位であったが、
男で7番以内で地元に帰ってきたのは私だけである。といって兄弟でもえらく違うから、一概にはいえない
のだろうが。 大學の時に当時の親友だった男に、「お前は竹のようなヤツだ。遊ぶが、ある所までいくと
元に戻って自分の姿勢は崩さない」と言われたが、それが子供の時からの親の生きる姿勢を見てきたからである。
それでも自分の殻を必死に破ろうとしてきたが、これでこのザマである。 以下は、その人生の諸段階
の部分である。意味は深い!
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人生をいくつかの段階に分けて考えることは昔から多くの人が試みてきた。成人までの発達段階については
フロイトの図式が長い間君臨してきたが、最近はピアジュの長年の実証的研究による図式がつねにこれと
比較対照されるようになった。全人生の分析としては、シャーロッテ・ビューラーの「生活曲線」が興味
ぶかい試みである。最近ではエリック・エリクソンの「ヒトの八年代」が注目をひいている。
その年齢的区分だけを示すと、次の通りである。
*乳児期。*二~三歳。*四~五歳。*六-十一歳。*十二-十八歳。
*成人早期。*中年期。*老年期。
 この各年代にそれぞれの課題と危機があるが、それがうまく乗り越えられたときには生きて行く上で
大切な力が身にそなわる。その力とは「徳」である。エリクソンは原語(ラテン語)の意味で使っているのだ、
とわざわざことわっている。つまり道徳的な価値判断のニュアンスを加えたくないのであろう。しかも
人間の生を支える力は、そのまま「徳」でもあるわけだから、それでこのことばを使うのだという。
たとえばエリクソンの考えるところでは、乳児期の課題とは「基本的信頼感」を形成することで、これが
うまく果たされると「希望」という力あるいは徳が人にそなわるという。 
   次は彼のルッター研究からの一節である。
 (以下、字数の関係でカット2008年10月18日)
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解) 高校か、大学を卒業するまでは親の責任がある。特に10歳になるまでは、大事な時期である。
「二回生まれ」とは面白い説である。「全く同じ人生を過ごしたい」と、思えるかどうかだろう!
両親と、連れ合いの相性が良いかどうかが基準だろう。それと、自分か!
                      ヾ(´_`●)ノ ノヾィ♪
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2006年10月18日(水)
2024, ある「煉獄」の中にて
               才八∋ウ_〆(∀`●)
これからの内容は本人の同意を得て書いている。
(もし本人の同意なくして書いたとしたら、本人を著しく傷つけことになる上に、裏切り行為になる。
 本人曰く「母の苦労を多くの人に知ってもらえるから、書いてもよいです!」・・)
そこには誰も悪人はいない、存在するのは人類最大の問題(嫁・小姑など家に存在する)不条理である。
Aさんの話を聞くうちに浮かび上がってきた奥行きの深い話である。どの家にも、このような問題はあるが、
あまりにも複雑な構図である。それを背景としてAさんの一人間としての素晴らしさが浮かび上がってくる。
                       〔註〕煉獄とは、地獄と娑婆ー現世の中間にあるところ
ー女性Aさん(25歳)の視点で書くー (以下、敬称は略す)
・Aの母親F(48歳)が夫と離婚、Aと弟を引き取り中越地区にある実家に出戻った。
・実家にはFの両親B・C(80歳前後)と、Bさんの未婚の姉のD(80歳代前半)がいる。
 家は大きな家ではない。
・Aの母親Fは、AとAの弟E(21歳)を育てるため身を粉にして働いた。
 そしてAは女子短大を卒業、新潟に就職して5年目になる。
 弟Bはコンピューター専門学校を卒業、今年から首都圏のソフト会社に就職した。
・ところが母親は立ち仕事で人一倍働いたため、腰痛が悪化。去年から働きに出れなくなり収入も途絶えた。
・そのため元々折り合いが良くなかった同居の叔母Dとの人間関係のバランスが崩れてしまった。
 子供二人が家を出ていってしまったことと、母親Fが働けないため収入が途絶えたことで、
 弱い立場の陥り、その結果として鬱病になりかけている。
・Aにとっては、そんな実家には帰りたくないが、そのままにしていたら母は重度の鬱病になり廃人になって
 しまう。A一人の収入では母親を引き取れない。そこが地獄絵図の世界としても、その狭い家に帰らないと
 母は間違いなく潰れてしまうという内容である。 
  露骨に言ってしまえば、
 ・「行かず後家」と、・その実家に「出戻ってきた母」と、・嫁の立場の「お祖母さん」と、
 ・その間でシドロモドロする「お祖父さん」が、織り成す小さな世界の蓄積された‘葛藤ドラマ’
  ということになる。
   (以下、字数の関係でカット2009年10月18日)     (*^ワ^*)i バイバイ
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2005年10月18日(火)
1659, 北イタリア旅行記-8
 ー旅行雑感-1
 旅行中に、色いろな思いや出来事に行き会うことが多い。ただ、文章にするには如何書いてよいものか
 と切り捨てている場合が多い。しかし、むしろ面白いのは、知りたいのは、思い出として取っておきたい
 のは、その方が多いだろう。
・一人、50代半ばの女性が参加していた。百回近くは、旅行しているという。 娘の就職を有利にする
 為に、娘の学生時代に年13回も一緒に旅行に出たという。 プロテニスや、プロ野球、スケートなどの
 何ママとかパパは聞いたことがある。(松井や、イチロウ。テニスの・・・・)一流旅行代理店に入社
 させるために、旅行に徹底的に連れて出たという話は初めて。その努力が実って、めでたく大手航空会社
 に就職が叶ったとか。本人が旅行代理店に勤めたかったので、娘にその夢を託したという。
・今回の旅行は、ヴェニスで雨がドリャブリ。その寒さの為か腰痛になってしまった。
 そして帰国後も、その腰痛がさらに悪化してしまった。もう10日近く経つのに、全然よくならない。
・「欧州の豊かさは日本のゆたかさとは雲泥の差がある」とバブル只中、当時の東京相互銀行の長田頭取の
 手記にあった。イタリアで感じたことは、3000年の歴史の蓄積の豊かさを実感した。街の教会に
 しても、公園、家にしても、数百年も経っている。 それがすべて長年かけた先祖からの遺産である。
・どの国もそうだが、北が豊かで、南が貧しい色分けになっている。
 イタリアも同じであった。イタリア人は、自分の出身をイタリアとほとんどいわない。シチリアとか、
 トスカーナとか、ローマという。彼等は数百年もそれぞれの地区が独立国だったためだ。
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2004年10月18日(月)
 1294, 県知事選挙ーつれづれ
昨日は県知事選挙。 実のところ、ギリギリまで誰に入れたら良いか焦った。家内と誰を入れたらよいか
消去法をしたところ、全てが消えてしまった。共産党社民党、泡沫、泡沫、自民党。まず自民党を消去、
次に社民党、そして共産党、そして泡沫、そして塗れ雑巾の元??、誰もいないのだ。今の「公務員型・
現状維持・最?知事」で県民は白けている。そのため、最悪の知事選びの選挙であった。
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2003年10月18日(土)
927, 「楽しく生きるには」-読書日記
 学生時代の日記帳を見ていて気がついたことは、「人生楽しく」をそのまま実行していたことだ。
その点では今と変わりはない。 よく読むと、議論をしているか、本を読んでいるか、遊んでいるか、
酒を飲んでいるかだ。これは遊びのセンスと個人主義に関係しているようにも思える。
遊びと勉強の重要性が、この日記の中から読み取ることが出来る。
遊んでいなくては精神のバランスを保つことが出来なかった。
今の楽しい気持ちとは違うようだ。不安と期待と焦りが大きく背後にあった。
「楽しく生きるは」は誰にとっても、生きるうえで大きなキーワードだろう。
それでは、如何したらそれが出来るかを書いた本があるかというとほとんどない。
小さな既成概念に縛られて、その縄の存在すら気がつかずにストレスになる。
 以下は字数の関係でカットー2008年10月18日
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553, 基調色
- 2002年10月18日(金)
私に着こなしの事を語る資格はない。しかし、実質的合理的な着方なら話せる。背広やブレザーは自分の
基調色を決めておく。背広は細かいストライブの濃紺である。ブレザーは茶か紺で今は紺だけだ。背広は
7~8年前から、同じに見えるものにしている。古くなってきたら上下を換えても第三者には解らない。
実際は換えてきたことはないが,昨年は同じ背広を2着買った。カジュアルのジャンパーやセーターも
黒か紺に決めている、白やネズ色とも合わせられるからだ。海外旅行ではあまりみっともない着合わせは
できない。ある程度はチャンとした服装でなくてはならない。欧米人は白と黒を基調にして、あまり派手
な色は着てない。 パーテーや外食の時は着飾っているが、昼のカジュアルは質素でシンプルである。
日本人の団体をみると、チンドン屋の集団だ。自分の基調色の必要性に気づくのに30数年かかった。 
基調色を決めておけば、靴下やネクタイや鞄も色を絞るれる。若いうちは何でも似合うからよいが。
歳を重ねたら、みっともない格好だけは避けたい。それが色の組み合わせで出てしまう。最近気が
ついたが、ネクタイと靴下の色の組み合わせが重要とのことだ。濃紺なら黒でよいと思っていたが、
ネクタイの色に合わせてもよい。 ネズの靴下を葬式やお歳暮などで貰って履いていたが、
ネクタイを知らないうちにネズの入ってものにしていた。これは無意識であった。
おしゃれとは本来自分の欠点をカバーするのが目的という。若い時は長所を引き出すと良い。
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「182]」偽悪
2001・10・18
この言葉を聴いたとき、‘へーえこんな言葉もあるんだ!’と驚いた。 
また言葉のもつ深さと魅力もその時感じた。
ー以下は字数の関係でカットー2010年10月18日