『旅人よ どの街で死ぬか。〜「男の美眺」』
                   (伊集院静 2017年)から。
   * 旅、あるいは「出逢い」について
◉ 「人間は焦がれる生きものである。
  彼は焦がれていた。崇高なる精神がそこにはあざやかにあった。
  美しい旅人であった。人が何かに焦がれるのは、私たちの生が哀切で
  あふれているからである。」          64p
 <青年期には、確かに崇高な精神があった。あの精神は、今でも心の中核に
  確かに残っている。それが魂というのだろうか? 20歳代も、現在も…>
◉ カタルーニャの広場の地の底から死者の声がする。その声は私の耳には
  届かない。だがじっと佇んでいると奇妙な心持になる。そしてかすかな
  声が我うちから聞こえてくる。
 「御前は何者なのだ? ここに何をしに来た。どういう血が流れているのだ。
  その血には誇りがあるのか。」
  自分という存在の、生きる根源としての誇りが、身体のどこかを刻んでも
  流れてくるののか、と問われている気がする。   78p
 <地球の各地で、感動で茫然とした時に、必ずといってよいほど、生じてくる
  内なる声である。「いま、ここ、わたし」が、この大自然に同化している。
  わたしは、何ものでもない。この一部であり、永遠のカケラでしかないが、
  ただ、いま、ここにわたしが間違いなく存在している… と。 >
◉ ルソーがなぜゲルニカを世界の理想と言ったのか。ゲルニカは町の中心に
 一本の樫の木があり、五百年近くの間、この木の下に人々が集まり、あらゆる
 問題を合議し、決定してきた。イサベルとフェルナンドが結婚し、大航海時代
 のスペインが誕生する以前から、この共和制の原形を人々は存続させていた〜。
  〜一本の木を見る旅をぜひおすすめしたい。  91-93p
 <庭の草木の全てが両親が植えたもの。春から夏にかけて、その多くが花を
  咲かせる。確かに、二人とも亡くなったが、残したものは生きている。>
――
▼ 『男はつらいよ』の寅さんが、旅先の年寄りに、「ちょっと、旅のお方!」と
 呼び止められる場面がある。その土地モノにとって、旅人は止まり木の渡り鳥。
ましてツアーの団体客など… 30歳近くまで東京、三重、神戸、千葉、金沢と
今からすると「旅の人」人だったが、私は何ものでもなかった、なれなかった
存在だった。大波の合間を自分という板切れにしがみ付いて漂う存在でしかない。
それが青春なのだろうが。その時の出逢いと邂逅こそが人生だったようだ。
それは人生全般に言えること。だからこそ、人との「別れ際」が重要なのである。
行動指標に「後味の悪いことは極力避ける」を通していたが、甘かったようだ。
それは大方の人に見れれるが、大方の人は関係ないこと。 
「世界は広い、そして深い!」…求める者にとって、世界は辛い以上に面白い!
「半径500の世界は狭い、そして浅い!」のは、外に出ないだけ。 
‘自分の知っていることしか知らないことの自覚ない’から自分を保てるのさ。
アナタじゃない、今の私。落ち着くところは無知蒙昧! せめて比べないこと。

・・・・・・
5918,閑話小題 〜帰りの宇宙船内で
2017年05月29日(月)
   * 帰りの宇宙船で
 「何故に生まれてきたか?」の問いかけの答えを考えるに、
「宇宙彼方の惑星から地球の80年の旅に来ていると想定すると考えやすい」
と、そして、「子猿に纏わりつかれ、殆ど地球上の大自然も、人間も、人間が
営々としてつくり上げた「文化・文明」をみること出来なかったことに後悔
する」と書いた。 秘境異郷ツアーに嵌って、私にとっての世界の果てからの
現実社会からのトリップする経験をしてきた。この感覚を「人間の生死」の
極みの実感から、「人間の生きる目的」を考えるヒントにしている。
旅行から自宅に近づくにつれ、ホームベースがあればこそ、余裕を持って世界
の果てに飛ぶ立つことが出来た。それを拡大して、宇宙の果てから地球へ、
約80年の時間に色々な条件を与えられた上に、世界と内界を知り、味わい、
宇宙船に乗って帰っていく。宇宙船内で、自問自答するのは、如何だろう?
観て、経験した、感動と、感激と、感涙した極上の感情体験。四苦八苦、四楽
八楽の経験。それを阻んでいたのは、地球のシリアスな小憎らしいが、可愛い
子猿たち。それらも元の惑星に着いたと同時に宇宙の旅として忘れ去られる。
ただ、帰りの宇宙船内には、両親など因縁のある人たちが居る。数年前から、
早朝の仏壇前で、因縁深かりし故人のイメージを繰り返し想い浮かべている。
「末期の死の床での予行演習」の準備の一環ですか、これは。「暗い!」と、
いうアナタ。これは時間をかけ身につける「必須科目」。私だけの話だが… 

・・・・・・
4823,変えてみよう!記憶とのつきあいかた ー4
2014年05月29日(木)
         「変えてみよう!記憶とのつきあいかた」ー高橋雅延著
   * 万能薬としての「語り直し」
 ー「事業人生の45年」の語り直しーを書き始めたが、何故か心が重い。
 気持ちの中で目的のため、多くを切り捨ててきた部分を違う視点で見ることに
なるからだ。しかし、一つのことを得ようとしたら、それに見合うだけを捨てて
かからないと、何も得ることができない。万能薬として「語り直し」も、劇薬
にもなってしまう。これまでの記憶のありようを現在の主観的経験で変えようと
するのが、「語り直し」である。  ーその辺りから
《 その人の立ち位置によって、同じできごとでも違って解釈できる。だから、
 過去のどんなできごとも、必ず違ってみることができることを、肝に銘じて
賜おくことが必要だ。その上で、ある過去のできごとについて意味づけを変える
ために、そのできごとを、それまでとちがうことばで語り直さなければならない。
世間には「時間が癒す」という言いまわしがある。ここで、見過ごされがちな
ことだが、「時間が癒す」のは、単に時間が過ぎ去るからではない。
時間が過ぎ去る間に、人はそのできごとについて何度も考え、悩み、さらには
新しい経験をする。このことによって、元のできごとの意味づけ、語りかたが
変わるからなのだ。 ・・(中略)
「記憶をつくり変えたり、それを遠ざけるのは無理なことである。・・(略) 
しかし、―つねにー私たちは、自分の苦悩、自分自身の内的経験、自分自身の
精神の経過を処理しているわけである。それは、過去とよばれる客観体ではなく、
現在とよばれる主観的経験である。変える必要があるのは、誰か他の人間では
ない。最も大きく影響されているのは、私たち自身である。記憶をぬぐい去る
ことはできないが、記憶の有りようを変えることは可能なことを、私たちは
知っている。」・・ 》
▼ 現在、連続シリーズで書き始めたのは、「語り直し」だが、それより、
 全く忘れていた記憶の書き加えが多くなる。それが、書き直しということだが、
太い幹の記憶から、忘れていた細い幹と小枝と葉っぱ記憶が出てくる。
その記憶が新たな気づきを喚起する役割なってくる。若い時分は、誰も経験も
知識の絶対量が足りなく、ただ漠然と日々を過ごすしかなかった。あるのは、
何とかなるのでは?という、儚い想いだけ。語り直しは内省そのものになる。

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5553, 「要するに」「面倒くさい」「面白くない」「あとでしよ」」
2016年05月29日(日)
   * 「要するに」「面倒くさい」「面白くない」「あとで」
<「要するに」「面倒くさい」「面白くない」「あとで」>は、自らの壁を
つくることになることに気づかない。この随想日記を読み返すたびに、
「要するに」が目に付いてしまう。 要約を一度する癖も必要としても、
自分の理解した枠に、せっかくの新しい知識、情報を押し込むために、
次の深化が、そこで止まる。
 最近、老いの一現象か、「面倒くさい」の思いが先立つ。しかし、何事も、
「面倒くさい」先に、面白いこと、楽しいことが待っている。乗り越えてこそ、
面白いのに、「よる年波に勝てず」と、年齢のせいにする。「面倒くさい」を
乗越えるためには、一日、週、月、年単位のスケジュールを予め組むとよい。
 次に、「面白くない」。 これは老化のバロメーターである。以前は、
あれほど面白かったことが、何か詰まらない。「あれは、ああいうこと、
これは、こういうこと」と、小さな自分の範疇に入れてしまう結果である。
何事も、急がしい合間に、無理をしてするから楽しいことが多い。
老いるほど、中村天風の『積極一貫』を心がけなければならない。
「あとで」と後回しにして、多くのチャンスを逸してきた。「あとで」と
後回しにした事の山積みが、あまりに多い。『20秒ルール』と法則があり、
とにかく、20秒以内に、手をつける。投手がキャッチャーからボールを
受取ってから投球に入らなければならない時間を、何事にも当てはめれば
よい。これは、上記は老化現象として、私たちの生活を劣化させる。
・・・・・・
5188,人生相談という気晴らし! 〜?
2015年05月29日(金)
            『人生、しょせん気晴らし』中島義道
  * 父親とは、息子にとって「存在自体が悪」である
 父と息子の関係は、古代より続く永遠のテーマである。「息子にとって、
存在自体が悪!」とは・・ 私にとっての父親は、最大の理解者で、
独立を一歩、踏出したベストのタイミングで亡くなった。私に必要だった
のは、まず父親からの独立だが、計ったように亡くなっていった。
 人生で一番に恵まれていたのは、父親の直の愛情。その温もりは、
今でも残っている。ただ、私には具体的な指示は一切しなかった。
私から、能動的に具体的な何かを求めてくるまで、何も言わなかった。
≪  Q: 父親とはどういう存在であるべきか?
六十二歳の父親です。三十歳代の息子と娘がいます。私が育った家庭環境は
封建的であり、父を敬う風潮のある時代でした。しかし、その風潮も現在では
古臭いと子供や妻に反感を買うだけです。最近、思うのは私自身が父親として、
どんな存在だったかということです。子供たちは、大学を出たのですが就職
氷河期ということもあり、安定した職につくことなく、社会を彷徨ってますし、
結婚もしていません。私は家族の幸せを考えこれまで働き、経済的な豊かさも
獲得してきたつもりでしたが、これで良かったのかと疑問が残ります。
子供たちに一体何をしてやれたのかと考えるとやりきれない思いに囚われます。
父親の役目を終える時期が近づいているのですが、父親とはどういう存在である
べきかと今頃になって悩んでおります。中島先生はどのようにお考えでしょうか?
  A: 父親は子供から忘れ去られることを望まなければならない
 今回の二つのご質問を読んで、あらためて私は「人生相談」に向いていない
なあと思かました。人生相談を持ちかける人は、たぶん常識の範囲を超えない
かぎりで、つまりあまり苦労なく実行できる範囲で、何らかのポジティヴな
回答を求めている。あるいは、ちょっと考え方を変えれば「楽になる」そんな
妙薬を求めている。とすると、私にはそういうご期待に答える素質も趣味も
ないからです。人生が何の意味もないことは自明であり、その無意味な人生
の終局は死であって、永遠の無に突入するのでしょう。こうした差し迫った
大問題に比べると、どんな相談も失礼ながらちっぽけなもの、どうでもいい
ものに思われてしまうのです。と厭味を言ったうえで、お答えします。
私も一人の息子の父親ですが、「父親とはどういう存在であるべきか」と悩んだ
ことはまったくない。なぜならば父親とは、とくに男の子にとって三島由紀夫
の言葉なのですがー「それ自体としての存在が悪だ」ということがよくわかって
いるからです。もともと存在が悪なのですから、善人ぶってもすぐに化けの皮が
はがれてしまう。父親は子供に何をしても、いや、何かをするほど嫌われます。
とくに、感謝されよう、尊敬されようとして何かをすることが一番いけない。
とすると、何もしないのが一番いいという結論が直ちに出ます。父親は勝手に
子供を作ったのですから、子供を経済的には二十歳までは支援する義務がある。
子供に生きていくカを授ける義務もあるかもしれない。しかし、それが「義務」
なのですから、何の見返りも期待してはいけない。とくに、「立派な人」に
なること、「幸福になること」を期待することが一番いけない。そんなことは、
(父親という)他人が口出すことではないのです。父親は苦労に苦労を重ねて
子供を育て上げたら、子供から忘れられることを望まなくてはならない。
子供に対する執着を断つこと、子供から独立することです。どうせ、ちょっとで
死んでいくのだから、子供の人生は、子供に任せて、残された人生を自分の
ために使ったらいかがでしょうか?悪人は悪人に徹することです。≫
▼ 父の亡くなった年齢に近づくにつれ、やはり父親が、最大の理解者で
 あったと同時に、教育者だった。いつも、待ってくれていた。傷ついて、
横たわっていた時に、ただ一言『死んでしまえ!』以外、何も言わなかった。
死ぬに死ねないから、ただ、ジッとしていた。そのジッとしている効用こそが
人生にとって大事なことである。  明日は、その父の43回忌になる!
・・・・・・
4456, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー4
2013年05月29日(水)                                       
           『一日5分「簡単ヨーガ」健康法』ー番場浩之著   
  * 1日目 "胸を開いて積極的に    
A・完全な呼吸法をする体位……40       
 1、基本体位=仰向けに寝て、脚を少し開く。両手は臍の上に置き、
  親指と一さし指で三角形を作る。「静かな一息」−>「軽く一息」で息を
  出し切りながら、足の甲と膝裏を十分に伸ばす。顎も引いてウナジも伸ばす。
 2、お腹と脚を緩めると自然に息が入る。さらに「深く一息」を入れながら、
  万歳をするように両腕を左右45度に開いて上げ、手指を開いて肘を伸ばす。
  次に、膝裏を伸ばしながら、足先を手前に引っ張るように足裏を反らし、
  足指も充分に開く。この状態を保つ。
 3、ゆっくり息を出しながら、手を元に戻して「基本体位」で「軽く一息」。
 4、もう一回、1〜3を行い、最後に「軽く一息」−>
  「静かに一息」−>「各自の一息」で整える。
B・背骨をねじる体位(腕で半円を描く)……47
 1、基本体位=仰向に寝て両足を揃え、手のひらを上に向けて腕を横に伸ばす。
  次に右手を左の手の平に重ね合わせて左脇を下に横向きになる。次いで右膝
  を曲げて床につけ、足裏を左膝上部にあてがう。右腕を顔前の床に伸ばし、
  左手は右膝にあてがってしっかりつかむ。
 2、「静かな一息」−>「軽く一息」の後、「深く一息」を入れながら
  右腕を垂直に上げ、腰を入れる。このとき、入息に合わせて指先は
  きちんと揃え、肘もまっすぐ伸ばす。
 3、息を出しながら足指を握り、左膝裏を伸ばして腰をしっかり入れて意識
  しながら、右腕を背中側に押し倒して背筋をねじる。ここで、出息に合わ
  せて、足先から手指先までの「大地のアパーナ気」の流れを感じながら行う。
  (膝が床から浮かないように注意し、首もねじって右手先を見ながら行う)
 4、戻すときは、まず息を入れながら腕を垂直に上げて腰を感じ、次に、
  ゆっくりと息を出しながら、丁寧に1の姿勢に戻す。「軽く一息」したら、
  もう二回2〜4を繰り返す。計三回。軽く一息、静かな一息、各自の呼吸で、
  息を整え手、右腕側が終了。
 5、向きを変えて、反対側も、同じことを繰り返す。
▼ 座位で呼吸する他に、仰臥の姿勢で身体を伸ばしたり、捻って呼吸する
 ことで、「大地のアパーナ気」と、「天のアパーナ気」を取り入れるポーズ。
 ヨガの実習は、前屈、反り、ねじり、直立、完全弛緩、座法の姿勢を意識的に
 繰り返す実習で本来の姿に戻すことを目指すもの。特に、一日目の、二つは、
 基本中の基本である。これを身に着ければ、ダイナミックな「気」を引き出す
 ことが出来るはず。そういえば、学生時代の合気道に、ヨガの呼吸法に似た
 ところがある。合気道は相方と呼吸を合わせて気を練る。それに対しヨガは
 あくまで己独りの世界。 合気道の基本技には、「前屈、反り、ねじり、
 直立、完全弛緩、座法の姿勢」の全てが含まれている。ヨガの「大地の
 アパーナ気」と、「天のアパーナ気」を取り入れる行(ポーズ)も、20年位
 前の早朝ウォーキングの途中の橋の上で、天に両手を上げて天の気を取り入れ、
 それを、大地の底(地球の芯)に吸い込ませる呼吸をしていた。ところが、
 暫く休んでいたら、地球の芯が「ひさしぶり!」と反応してきた。
 あくまでも擬人化した対自か即自だが、現在では「球芯様」と名づけて、
 早朝のミニ・サイクリングの自転車上の自己対話の相手にしている。 
・・・・・・
4082, 老いの見本帳ーダークサイト −5
2012年05月29日(火)
    「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)  
  * 老いと勘違い 
 ここで、著者は長いページをさいて、中原文夫の「本郷壱岐坂の家」を
紹介しながら、「老いと勘違い」について書いている。
その概略を紹介しながら、現在の私の心境と、老い、そのものを考えたい。
≪ 主人公は多摩川沿いで大会社でないとしても、180人ほどの会社を持って
 いる会長。 息子が社長で、妻も元気で、事業も順調である。ある日、涼子と
いう20歳の女子社員が給湯室で三人の女子社員から詰られている場面に出くわす。
その時、70年前の記憶がよび戻る。14歳の時に家に家政婦できていた、同じ年代
の中山スズという娘を思い出す。別に女性として意識はしてなかったが、何故か
意地悪をする。その女性に似ていたことと罪滅ぼしの感情もあり、強引に自分の
秘書にする。そして会長職もあり、仕事内容は私用が中心になる。妻とともに、
その女性を身内同様、可愛がっていた。ところが、ある日、会社で火災が発生。
息子の社長の話だと、どうも、涼子が火を放ったらしい。 彼女の話では、
その間接責任は主人公の会長にあるという。 総務部長の自宅に電話をしてきて
「勤務以外の時間に私用で拘束し、休日は自宅に呼びつけ調理をさせたり、
女中代わりに使っていた」という。 すべての好意が歪曲され、悪意で色づけ
されているのに呆然とする。 その彼女から電話が鳴る。罵詈雑言である。
その頃、苛めた中山スズの娘から、一通の手紙を受け取る。スズは既に亡く
なっていたが、死後に、手紙を届けて欲しいと言われていた。その手紙の
内容は、あまり幸せでない生涯だったが、主人公と、その父親に対する深い
感謝の言葉が並んでいた。あの二年間が人生で一番幸せだったと。そこで思う、
「俺はどういう人間なのだろう。思い当たる節もなく、他人から慕われ、
そしてまた、かくも憎まれるということは、これは立派な罪ではないか。 
・・主人公は、これ以上ないおぞましい感情を突き付けられ、縋るように
本郷壱岐坂の家とスズのことへ、思いを寄せる。スズという過去の娘と涼子
という現在の娘、それぞれ互いに感じ考えていたことが全く違っていた皮肉を
綴っている。 ・・・精神科医の立場のコメントは、涼子のような女性は
世間に一定の割合で偏在している。ある種の人格障害には、まぎれもなく彼女
のように「最初は普通に見えたのに、ある時、豹変して相手に憎悪をぶつけ、
今までは耐え忍びつつ演技をしてきたと言い放つ」といった類型が存在をする。
それは往々にして相手に深い精神的ダメージを与える。それによって、
もはや人間そのものを信頼できなくなってしまう。・・・ ≫
▼ 現在の私の置かれた立場は、オセロゲームで、最後のコマが黒になり、
 それまでの白が一挙にクロに変わってしまったようなもの。しかし、いざ、
そこで見据えてみると、自分より、他の人たちの豹変を冷笑し面白がっている
視線がある。人生など、全て勘違いと思い込みで出来ているに過ぎない、
その自明なことが漫画的に現れ出るからである。そういえるのは、リスク管理
していて、目先の生活に困窮しないで済んでいることもある。事業を立ち上げる
ことは、強力な思い込みを形にすることである。そこには、当然、勘違いも多く
付随するが、消化していくしかない。しかし、最後がクロになると、全ての
出来事は、クロの要素になる。といって、それも物語である。要は、後悔しない
よう務めるしかない。人生は本来、勘違いで成立している。気づきたくないが!

・・・・・・
3716, ジャズについて −10
2011年05月29日(日)
         ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
  □ 黒人アーティストからの反撃  ー「ハード・バッブ」って何 ?
ソニー・ロリンズチャールズ・ミンガスのユニークな活躍
【五〇年代中盤以降、ニューヨーク周辺のビバップの流れをくむ黒人アーティスト
 の間から、クール・ジャズの知的な弱々しさを圧倒するかのような、たいへんに
勢いのある力強くエモーショナルな演奏スタイルが生まれてきた。これを白人
エスト・コースト派に対する黒人イースト・コースト派の巻き返しととらえ、
一連の傾向を「ハード・パップ」と呼ぶ。4ビートがより鮮明になり、アフター・
ピートも強調される。ハード・パップ・スタイルの特徴を一言でいえばこうなるで
あろうし、「ファンキー」とか「ソウル・ジャズ」と呼ばれることもあるが、
レッテル貼りはさておき、この時代に活躍したアーティストについて見ていこう。 
一九五六年に有名な三つのアルバムがリリースされた。ソニー・ロリンズ
サキソフォン.コロッサス』、 セロニアス・モンクの『ブリリアント.
コーナーズ』、チャールズ・ミンガスの『直立猿人』である。
ソニー.ロリンズ(一九二九〜)はチャーリー・パーカー亡きあと、即興演奏の
可能性をさらに押し広げたテナーサックス奏者である。
サキソフォン・コロッサス』は日本のファンが「サキコロ」などと呼ぶ定盤中
の定盤。彼の演奏は、豪快でおおらかなトーンの中に時折ユーモアのセンスも
感じさせ、なによりもヒューマンな魅力に満ちあふれていた。
セロニアス・モンク(一九一七〜一九八二)は、ビバップ創始者の天才であるが、
孤高の道を歩む。マイルスとのレコーディングで大喧嘩をしたという逸話が
残っているほど、彼のピアノ・スタイルはずば抜けてユニークであった。
ソロ・アルバムが多いのはそのため。彼は私生活でも時折、意味不明のことを
口走るような変人といわれ、七〇年代はじめに 重病で倒れたあとは、二度と
世間にその姿を見せることはなかった。しかしモンクには好き嫌い抜きで
聴ける「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」「ストレート・ノー・チェイサー」
などの有名な曲もあり、その評価は後年に高まっていくことになる。
(字数制限のためカット 2012年5月29日)

つれづれに

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 今日のYoutube


さて、車の車検の期限が近づいた。
納税も終わり、その証明を持って近くのトヨペットへ。

久々にYouTubeをみた。中南米辺りの街中で闘牛を放ち、町民が身体を
はって遊ぶ定番だが、撮影機が最新のためか、鮮明で迫力がある。
人間目線より、闘牛目線で、跳ね飛ばされた男どもを笑い飛ばすのは初めて。
次々と新しいの出てくるが、いくら見ても飽きないから不思議。






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・・・・・・

4455, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー3
2013年05月28日(火)
        『一日5分「簡単ヨーガ」健康法』ー番場浩之著
 「一週間の実修メニュー」はメニューは以下のとおり。
 シンプルだが、捩れ、反らし、伸ばしなどの要所をおさえてある。
* 1日目 "胸を開いて積極的に
 A・完全な呼吸法をする体位…40 B・背骨をねじる体位(腕で半円を描く)…
* 2日目 "足腰を軽快に
 A・膝を回す体位……54    B・膝を伸ばして、足の指を活性化する体位:
* 3日目 "身体の前後両面と、手指を開く
 A・胸と背中を開き、膝裏を伸ばす体位……66  B・手の指を開く体位ー72
* 4日目と背骨にいきいきと「気」を流す
 A・膝で半円を描く体位……78  B・上体を反らせて、背骨をねじる体位 
* 5日目"胸と脇を開き、首の血行をよくする
 A・胸と脇を開く体位……90      B・首を腕ではさむ体位……96
* 6日目"身体の疲れを癒す      
 A・背骨をねじる体位(腕を大きく回す)… B・上体を反らせる体位(腕を伸ばし)
* 7日目 一週間の疲れを癒し、新しい一週間を迎えるために
▼ ヨガ教室では50分間に、以上を殆ど網羅したポーズをとる。
 他にも椰子の木のポーズ、ワニのポーズとか色々あるが、50人定員のうち、
一~二人を除けば殆どがリピーターで、回を重ねる度に難度を上げていく。
この本に縛られることもないが、まずは従うつもり。SJでのヨガはエアロビ
感覚で興味本位で参加していたが、これを自宅で実施したら少し本格的。
 30分の早朝座禅は、ほぼヨガの瞑想と同じ。これに一か二つのヨガポーズを
取り入れれば、一寸したヨガの時間帯になる。次回から、上記の具体的な内容を
書きだしてみるが、実際に夜明けに、一人、ヨガを組むのもなかなか良い。 
何気ないそれぞれのポーズに、千年、二千年の積み重ねがある。
問題は続けられるかどうか。ヨガ教室で15ヶ月続けたから自宅でも、
という気になれた。続けると何事も面白くなり、力になっていく。
4時起床で、早朝座禅とヨガね~!冴え渡るが?
・・・・・・
2012年05月28日(月)
  * 書斎はシェルター
 私の書斎スペースは7畳ほどの仏間の一角である。一角といっても三分二を
占めている。リタイア以降、ここにパソコンを一台置いて、一日4~5時間は
読書をするか、パソコンで随想日記の下書きを書いているか、iPadに向かって
いる。腰痛持ちのためジッとしているのは一時間が限度、一時間に5分はお茶や
トイレにいったりして節目を作っている。BGMにパソコンに入力した音楽を
ステレオから流している。またネット・ラジオの音楽放送も時々流す。
朝の4時半~6時、9時~11時半、夕方1時間の合計5時間は書斎にいる。
途中、廊下をはさんだ前の寝室で寝転んでiPadで遊んだり、TVを見たり、
仮眠をしたりする。居間、書斎、寝室のバランスは丁度良い。外出は早朝の
ポタリング、スポーツジム、図書館、SCが中心になる。書斎といえば、
iPadと、パソコンの中に書斎機能がある。静かに落ち着けるシェルターの
役目が書斎だが、あまり居心地が良すぎると、自閉症になってしまう。
iPadを持ち歩けば何処にいても同じ。小さな生活圏内では何処にいても
自分の居場所ができるのは非常に助かる。
   * ギリシャを合わせ鏡にすると
 ギリシャは西欧哲学の発祥の地。そして現在、世界金融危機の発火点になろう
としている。東の地からギリシャをみると、とんでもない事態に追い込まれて
いるのが分かる。しかしギリシャと大して変わらないほど惨憺たるのが日本。
一年しか持たない首相が改革を錦の旗にして交代するが、いざ就任、実行段階
となると周囲から袋叩きにして、反対勢力が綺麗ごとを旗に権力奪取。
その繰り返しが代々続いている。覚めた目でみれば、その一連を分かってやって
いるから始末が悪い。国民がグローバル化した世の変化を実感できないのが実態。
10年前に決断しておかなければならない国家規模のリストラが出来ないジレンマ
に落ちている。その限界が、あと二年しかないというが、その行き先は、誰も
分からない。ギリシャ国民のユーロ圏に留まりたいが、耐乏生活はしたくない
国民感情は日本も同じ。右上がり経済の再来の幻想に、まだ浸っている。
最後はハイパーが吹き荒れるだろうが。
 
・・・・・・・
3715, 閑話小題 
2011年05月28日(土)
  * フレンドリーの雀はメタボ
 毎朝、信濃川に冬期間を除きサイクリングに行くようになって一年半になる。
10日ほど前に、いつものベンチのところでストレッチをしていると、一メール
ほどのところに雀がきてジッとみている。外国では公園などで何度も人懐こい
雀には出会っているが、日本では珍しい。暫くすると、餌が貰えないと判断した
のか飛んでいった。ところが昨日の早朝に、同じ場所で座って休んでいると、
雀が50センチもしない自転車のハンドルに止まって、こちらを見ている。
ポケットに何かと探したが、クリスクしかない。それを一粒、地面に投げたが、
パンや菓子屑でないと思ったのか、見向きもしない。よく見ると、普通の雀の
二倍近くもありコロコロしている。もしかしたら、雀ではないのでは?と、
見直したが、やはり雀である。恐らく誰かが餌付けをしているうち、他の人
からも餌を貰って太ったのだろう。 親しそうに近くにきて見つめられれば、
何か餌を与えたくなるのが人情。 その結果がメタボである。私も近々に、
餌を与えることになるだろうが。雀と鳩は、世界中、いたるところで見られるが、
その国々で、微妙に違う。餌によるのだろう。ところで最近、本当に雀の数が
少なくなった・・ 餌といえば、アイスランドに行ったときのこと。 
ホテルの近くの公園を散歩をしていた時、野生の大ガンの群れの一羽に
クラッカーを与えたところ、数十羽の群れが、私のところに押し寄せてきた。 
恐ろしくなり無我夢中で逃げたが、その時の恐怖は!早朝の朝靄の中の出来事
が幻想的な思い出として残っている。


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3350, 新型インフルエンザの総括
2010年05月28日(金)

 去年の4月に、メキシコで確認され日本に上陸して丁度一年が経ったが、現在では、話題に
さえのらない。WHOに入り込んだ製薬会社の連中の煽動にマスコミが異常に騒ぎすぎた。 
一年経ってみれば日本だけが過剰反応。 街中の人がマスクをしている姿が異様だったが、
それが世界のマスコミに報じられた。その結果、毎年の冬季に発生する季節性インフルエンザ
の死者数より少ない結果になったという、変な結果になってしまった。 医学者で東京文化
短期大学学長の中原英臣が産経の「正論」で、新型インフルエンザの総括をしていた。
新型インフルエンザの想定が鳥インフルエンザに対してしていた為に、強毒性の行動計画に
大きく影響された。それが、感染者が一人でも出た時点でも都道府県単位で学校を閉鎖をしたり、
集会の中止がした。これが過剰反応という受け止め方と、逆に、その結果、アメリカの26分の一、
カナダの10分の一の死亡率に収まった。
・これは、日本政府がインフルエンザの症状があったら、直ぐに受診する必要性を国民に
訴えたこともきいている。
・さらに日本人の衛生意識の高さが大きく影響している。 他人に感染させないためのマスク
着用も大きく影響した。「うがいと手洗い」を多くの人が積極的に行ったことも影響をした。
~~
以上だが、この過剰反応、近い将来必ず起きる猛毒性の鳥インフルエンザの予行練習とみれば、
決して過剰ともいえなかった。その時の教訓が、この騒ぎの中に多く含まれている。これは
国家の非常事態であり、自衛隊の役割が大きく求められる。この騒ぎのお陰で30年近く
毎年行っていた海外旅行を急遽キャンセル、結局行かずじまいだった。
これで大儲けをしたのは製薬会社。 現在でも、何か?大きな疑問が残っている。 
当時のマスコミの対応も異常であった。 マスコミも、このことを総括したのだろうか?
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2975, 縁は異なもの
2009年05月28日(木)
   「縁は異なもの」河合隼雄 白州正子 対談集
河合 日本の芸というのは本当に習うのが大変ですよ。ずーとやっていて、しかも最後がどう
なるかわからない。白州 研いで研いで、研ぎ抜いて。それで90歳になって精神が現われる…
現われないかもしれませんから。
連載中の本に書いたのですが、読者からありがたい手紙をいただいたのです。
「よき細工は少し鈍き刀をつかうという」『徒然草』の一節についてで、それまで私は
「鈍き刀」の意味を「あまり切れすぎる刀では美しいものは造れない」というふうに思って
いたわけ。でも違ったの。 その方は「鋭い刃を何十年も研いで研いで研ぎ抜いて、刃が
極端に薄くなり、もはや用に立たなくなった頃、はじめてしの真価が発揮される」というのです。 
ここでいう「鈍き刀」というのは最初から鈍き刀というんじゃないんですよ。本当に鈍い刀を
磨いでもだめ。 いい刀だから磨げる。しまいにはペロンペロンに柔らかくなるんですよ。
兼好法師は「妙観が刀はいたく立たず」とも書いているけど、やっぱり「立たず」なんて
言葉は「鈍き刀」じゃダメなんですよ。それが良くわかったの。
 ーー
 白州正子の対談を何度か読んだことがあるが、河合隼雄もたじたじなくらい言葉の剣先が鋭い。
鈍き刀を磨いでも鋭くはならない。鋭い刀を磨いて磨いて磨きぬいて鈍くなった刀こそ… 
よき細工に使うことが出来るという。言葉の奥底をみないと真の意味がつかめないというが、
まあ、凄いことをいう。 芸道や能力のことを言っているのだろうが。
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2611, サルトルについて、考えてみる  -2
 2008年05月28日(水)
改めて、読んでみるとナカナカ新鮮に思えてくるところが多い。読んだ当時から40年経て、
経験を多くつんだこともある。当時はピンと来なかったことも、今では深く納得する。経験は、
やはり「自分」の財産なのである。
 ー以下の論が、非常に面白い。
 *「意識」のあり方は、どのようなものか?
サルトルは「世界へと関わる」ということを、「否定」と「無」と結び付けて考える。
人間が世界へと「「関わって」いる、ということは、人間は世界では「ない」ということ。
たとえば、私は目の前のグラスでは「ない」し、窓の外の木ではない。サルトルは、人間が
「世界に関わる」というあり方をしているが、それは「世界ではない」というあり方だと、いう。
言い換えれば、人間と世界の間には「すき間」「裂け目」がある、ということだ。人間が
「世界と関わる」ということは、人間が「世界との間に裂け目を作る出す」ことだと考える。
サルトルは人間と世界の間の「すき間」「さけ目」を「無」と呼ぶ。ただしここで重要なのは、
意識は、裂かれた片方の「モノ」なのではなく、「さけ目そのもの」ということだ。意識と
しての人間は、いわば世界の中の裂け目、世界の中の無である。それは、意識が、関係する
片方の「モノ」ではなく、「関係」そのものであり、外部の世界への「矢印」そのものである。
… 「世界に対して」裂け目をもたらす人間は、それだけでなく、「自分自身に対して」も
裂け目をもたらす、とサルトルはかんがえる。人間は、常に過去の自分から脱出して新しい
自分になっていく存在である。過去と現在を乗り越え、未来に向かって自分を投げかけて
いく存在、それをサルトルは「投企」と呼ぶ。
  ~~
解)人間の意識が、世界と関わると、その世界との間に裂け目をつくりだす。それも人間の
 意識は、片割れの一方ではなく、裂け目、世界の無である、という。過去を振り返ると、
実感として接してきた世界の片割れとしての自分というより、色いろ経験してきた世界の接触
の中での私の意識は、それぞれが「無」だった。その時の己は、片割れの「モノ」ではなくて、
「関係」そのものであった。それは「矢印」であった。世界中を観光してきて、そして事業を
幾つか立ち上げてきて、その通りである。世界との間に裂け目を作り、世界の中に裂け目を
もたらす、「意識としての人間」をサルトルは「対自存在」と呼ぶ。異郷・秘境の地で我を
忘れて見入っているとき、自分は、そこに居ない。自分は、後で振り返ったとき、見入って
いる自分を対自として見ている内なる我が見ているとき、初めて顔を顕す。対象に魂を奪われ
ているとき、そこは一方の割れた「私」ではなく、裂け目そのものが私である。
別に難しいことではないのである。
  
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 *サルトルの人間観
(字数の関係でカット 09年05月28日)
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2007年05月28日(月)
2246, 愚痴
      ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!
愚痴とは、「言ってもしかたがないことを言って嘆くこと」、仏教用語としては
三毒の一の癡にあたり、物事を正しく認識したり判断したりできないこと」をいう。
 {参考のために、三毒とは克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、
 すなわち貪瞋癡(とんじんち)を指す。 貪ー貪欲、瞋ー怒、癡ー無知}
人の愚痴は気づくが、自分の愚痴は気づかないから始末が悪い。
初めて就職した時に、ある転勤先に「愚痴のオジサン」というアダナの人がいた。
「初対面の人を見つけると兎にもかくにも愚痴を言うから、受け流すように」と注意されたが、
なるほど話す大部分が愚痴なのである。;´д`)グチグチ!世の中にはこういう人がいるかと
驚いたことがあった。愚痴は人前では言うものではない実例としてみたが、「情けない」と
いうしかない。                       (-""-;)
私の周囲には少ないが、自分自身、知らないうちに言っているのかもしれない。
思い通りにいかないのが人生であリ、不意の出来事で窮地に立たされたり、本意でない
状況は「あざなう縄の如し」、次から次に問題が押し寄せてくる。それに対し
「愚痴を言っちゃ~おしまいよ!」と痩せ我慢をするのが人間のあるべき姿である。
「言ってもしかたがないことを言って嘆くこと」は最悪のことと分っていても、言いたい
のが愚痴である。だから、居酒屋が存在しているのである。とくに擦り切れるような大組織
の人間関係では、愚痴を言い、憂さを晴らさないことには精神の均衡が保たれないのが
男社会というものだ。教養ある人が愚痴をいっている姿は、あまり見受けられない。 
しかし人生の後半になると、肉体だけではない、精神の衰えとして、愚痴が出てくるから
気をつけなければなるまい。特に身近な問題、矛盾が吹き出る時節である。自分にプライドと、
自立心があれば、愚痴など言わないが、経営者や目上の者が愚痴など言っていたら、男の風上
にも置けない。 「腐った女のようなヤツ」と言えば、「他人の陰口を言い、人を平気で落とし
入れ、愚痴を言う人間」である。それは、やはり無知からきているのである。   
「あなた(わたし)、風上に置けない人じゃない!と言い切れますか?」 
自立してますか?ということ!                 

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2006年05月28日(日)
1881, 閑話小題
        ォ'`ョ━━(。・∀・)━━ゥ★   
 ーつれづれにー
一昨夜、会合が終わった後に新潟駅前で飲む。その後古町の[シャムネコ]という店に行く。
店の中を整理しないのが売りで、ホステスを猫がする店。コタツがおいてあったり、20年
以上前のカセットビデオ、そしてマンガ本、色紙、などが雑然と置いてある。しかし、よく
みるとチリなど溜まっていない。もう廃業したのではないかと電話をすると、第一声が
「一見(一限)の客はお断りですが、貴方は誰ですか」という愛想のない声が聞こえてきた。
5年ぶりだが、三匹の猫の源氏名は社長、専務、常務で、ママが従業員という設定になっている。
(以前にもこの店のことを書いたことがあったが)この三匹に役割があって、入れ替わり立ち
代り接客をする。カウンターの上を気を使いながら歩いて客に媚びたりする。  
(字数の関係でカット 09年05月28日)   (。・∀・)バイ!
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2005年05月28日(土)
1516, 気の発見-2
 気の話なら、40年のキャリアがある。この随想日記でも何度か書いてきたと思ったが、
どういうわけか、これをテーマにしたものは全く無かった。「気功」などというと誤解される
か、全く知らない人には説明が難しいから、取りあげなかったのだろう。
本棚を見ただけで10冊以上はある。
・「『気が』もっとわかる本」 ・「真気光」 ・「『気』で心と体が変わる」
・「気の威力」・「病は気から」 ・「『気』と正しくつき合う本」 ・「‘気'の発見」
・「『栗田式』超呼吸法」 ・「帯津良一自然治癒力の脅威」 などなど、
図書館で借りてきて読んだ本を加えれば20冊は軽く越える。
(もっとも理解していたかどうかは、全く別の話。殆どが、その本を買ったことで安心して
知ったつもりでいるだけだったが。)その集大成が、「ウォーキング気功」。
しかし、解りやすいという点では、この本は群を抜いている。
ー以下は要所の抜粋であるー
(以下、字数の関係でカット二千八年五月二十八日)
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2004年05月28日(金)
 1151, 「老い」を考えてみる
誰しも老いるのは嫌であるが、それは「長生きをしたからであり、そうプラスに考えれば、
老いもそう悪いものではないのではないか」と考えてきた。老いは誰もが通らなくては
ならない道である。人生とは、徳川家康でないが重荷を背負った山登りに似ている。登るほど
息切れする。しかし視野は広くなることも事実である。身体の老いより、心の老いが怖ろしい
のが老齢期の大問題である。「青春は失策、壮年は苦闘、老年は悔恨」というが、それを乗り
こえた精神の自由を維持することが大事。若いときには、われわれは愛するために生きるが、
年を重ねるとともに、生きるために愛することが必要になってくる。過去を振り返って、
その重さに耐えきれなくなる時、愛と感謝で包み込まなくてはならなくなるからだ。
身近の色いろの人をみると、「若い生活をしている者は若いが、老いた生活をしている人は
老いている」というのが解る。何があっても、精神は常に若く保たなくてはならない。人は
老年を恐れるが、そこまで到達するかどうか解らないのに気楽なものである。人生は飛び
立つ時より着地が難しいのは、飛行機と同じようなものだ。とくに商売や事業をしているもの
にとって、最後は切実な問題になる。いかにソフトランデングするかが問題になる。
「60過ぎのことを、それまで全て先取りをしてしまえ」と思って生きてきたことが、今に
なって本当に良かった思い始めている。気力、体力、金力のバランスが崩れてきて、
どうしても計画どおり行かなくなる。色々な問題が弱いところに出てくる。
それなら、無理をしても60前にした方がよいと自覚していた。義兄がしっかり60過ぎの準備
をしていて、ルンルン気分でいたが、60歳直後に亡くなってしまった。思った通りにいかない
のが人生である。初めから、人生の余白を埋めるのも大事ということを教えてもらった。
いずれにしても、一日一日前向きに精一杯生きていけばよいのだろうが。
以前、20歳上の従姉が、自分の90歳でなくなった母親のことを回顧して『母は50,60,70,
80歳の峠を越えていった凄さが解るようになってきた』と言っていたのが印象的である。
老いに関しては現在読み続けている藤沢周平の小説の隠れたテーマの一つ。
彼は主人公を通して老いいく人生の切なさや、最後の光り方を切々と書いている。
もう目の前に、一つの峠が見えてきた。
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2003年05月28日(水)
784, 芸術家と芸人
5~6年前に、「異種業の会ー旅行に出てみないかい?」と誘われて、面白そうなので
参加した。大学教授、大手代理店の課長、芸術家数人、二代目等、個性的な人の集まり。
一回目が九州と大阪。二回めが盛岡と札幌・函館の視察であった。県からの補助金で食事を
含めて全て無料であった。日本が背伸びをした、足の下をそのまま見ているようでもあった。
反面、将来の姿とはこんなもの?と予感できる世界であった。といって、取ってつけた感も
否めなかった。一回目が北九州の福岡ドームとホテルと再開発地区、長崎市の観光、湯布院、
大阪の再開発の視察であった。半分はその名を借りたお遊びでもある。しかしどこも新鮮な
夢のある輝かしい?世界であった。特に北九州の再開発は、北九州がアジアに向けての拠点
を目指しているのが感じ取れた。再開発には否定的だが、こういうものの表面だけを見ると
なるほど騙されるのも解るような気がした。湯布院が期待していた以上であった。
時代劇の映画に出てくる隠れ里のような山里にあった。個性的な店が多く出ていた。
料理屋に小物や民芸品を売っているのが何ともセンスがよい。若い女性や若者だけでなく、
あらゆる年代の人が楽しめる。映画セットの中にいるような感じがした。30数年前の軽井沢
の旧軽通りに少し似ていたが、湯布院のほうがゆったり、ほのぼのとした感じで好きだ。
 二回目が、盛岡、札幌、函館の視察であった。メンバーはほぼ同じである。これも楽しい
面白い旅行であった。札幌の郊外の丘陵地帯にある芸術をモチーフにした公園には驚かされた。
いま考えてみると、バブルの一現象だったのだろうが、広大な敷地とモチーフが何ともいえ
ない安らぎを与えてくれた。函館の観光をモチーフにした街つくりも素晴らしい内容であった。
石原裕次郎をモチーフにした館とか、ガラス細工専門店とか、年中クリスマスグッズを売って
いる店があったり、寿司屋がところ狭しと並んでいる街とか、楽しいのだ。この旅行で芸術家
数人に向かって、「芸術家なんて気取っているけど、所詮は物を作る芸人だろう!」と
酔って言ったらしい。ところが芸術家たちが、その言葉にいやに納得くしていたとか。

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2002年05月28日(火)
 420,世間とは
「西洋でいう個人が確立されてない日本では、社会は存在していないのでないか?」
という疑問が以前からあった。その代わり存在するのは、噂と悪口からでお互い牽制しあう
「世間」である。阿部謹也の「世間とは何か」という本を立ち読みをして、思わず納得した。
現在国際社会で日本が冷笑されるのも、もともと日本では存在していない国際「社会」の中で、
常に世間という日本社会を外に出してしまう為である。勤めとか事業で、いろいろの地域社会
をみてきて漫画的な社会?構造に驚いた。世間様の存在と、それに対するペルソナー仮面を
付けて、全員して演技している滑稽さである。それは社会というより、群れという感覚であり
その統制は噂と恥の文化である。 ある作家がある部落に住んで、その滑稽を「気違い部落」
という本で著した。それが売れると、逆に気違い?にされ村八分にされてしまった事が、
話題になったことがあった。世間に属さない他者は今の日本では人であって人間でない、
と先ほどの「世間とは何か」に書いてあった。その地域の集り坊主とか、地銀とかに勤め、
支店長あたりになる。そしてその地域の噂社会の中で、よい人を演技する?のが、
「世間を渡る」という世界。この世界で、個人として真っ当に生きるには、強靭な意思と
主体が必要だ。結局それを殺ぎ落とさないと、生きていけない社会でもある。
そして自分とは何かを死に近づいて考えて、気づく?世間に縛られた小さな一生を、
その時初めて悔やむ!世間とは、幻想社会という事を! 日本の島国的特性そのものだ。
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10年前書いた文章です。
  ーH0407城下街小唄ー
私の出身地の長岡はかつて“長岡藩”の城下街であった。その大手通りのほとんど真中に
生まれ育った事もあり、その長所・短所がよくわかる。その特質は閉鎖性・固定的、商人的
であり、“城下街曼陀羅”がきっちりできており漫画的ですらある。彼等の社会は
“ウワサ社会”で構成されている。 特に長岡財界とかいう社会が存在(?)しており、
彼等の出す“ウワサ”がその社会を大きく左右する。それが事実であろうがなかろうが
“マンダラ”の中心点に近い人間が言った事こそ絶対のようだ。(“ウワサ”として)
彼等の社会をみていて、維持型の人間こそ“一級”と評価される。固定社会が故に何も
しない(何もできない)事こそがベストなのだ。“非能動的二代目+婿取り娘サロン
社会”と言える。先日もいやな“ウワサ”を聞いた、今は下火になったのだが、新興の
各業界の?1の社長が十人あまりが故に聞くに耐えない“ウワサ”を流された。
“一種の集団いじめ”なのだが、そのストーリーが陰湿でリアリテーにとんでいる。
冷静に考えればほとんどが尾鰭のついたウソである? それがおもしろおかしくて集団
ヒステリック的につくりあげられており、自らの名が出るかどうか怯えている。
“参加型変態うわさゲーム”を全員で楽しんでいる“痴呆社会”そのものである。
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2001年05月28日(月)
 [34] 糸井重里サイトを見て感じた事
糸井重里の「ほぼ日刊糸井重里新聞」を二年前にホームペジを開いて、
現在1日二十数万のアクセスがあるという。ちょっとした新聞社なみだ。開いてみたが
なるほど面白い! ホームページ作りより、自分自身のインターネットに対する感覚が
変わってきている事がわかる。考えてみたら1度ホームページに載せたら、そのデータ
は半永久的に残る。ホームページは墓場と言っていたが、そのとうりである。
永久に残るデータベースである。糸井重里本人が「不思議な感覚」と言っていたが
わかるような気がする。