つれづれに

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 今日のYoutube


さて、車の車検の期限が近づいた。
納税も終わり、その証明を持って近くのトヨペットへ。

久々にYouTubeをみた。中南米辺りの街中で闘牛を放ち、町民が身体を
はって遊ぶ定番だが、撮影機が最新のためか、鮮明で迫力がある。
人間目線より、闘牛目線で、跳ね飛ばされた男どもを笑い飛ばすのは初めて。
次々と新しいの出てくるが、いくら見ても飽きないから不思議。






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4455, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー3
2013年05月28日(火)
        『一日5分「簡単ヨーガ」健康法』ー番場浩之著
 「一週間の実修メニュー」はメニューは以下のとおり。
 シンプルだが、捩れ、反らし、伸ばしなどの要所をおさえてある。
* 1日目 "胸を開いて積極的に
 A・完全な呼吸法をする体位…40 B・背骨をねじる体位(腕で半円を描く)…
* 2日目 "足腰を軽快に
 A・膝を回す体位……54    B・膝を伸ばして、足の指を活性化する体位:
* 3日目 "身体の前後両面と、手指を開く
 A・胸と背中を開き、膝裏を伸ばす体位……66  B・手の指を開く体位ー72
* 4日目と背骨にいきいきと「気」を流す
 A・膝で半円を描く体位……78  B・上体を反らせて、背骨をねじる体位 
* 5日目"胸と脇を開き、首の血行をよくする
 A・胸と脇を開く体位……90      B・首を腕ではさむ体位……96
* 6日目"身体の疲れを癒す      
 A・背骨をねじる体位(腕を大きく回す)… B・上体を反らせる体位(腕を伸ばし)
* 7日目 一週間の疲れを癒し、新しい一週間を迎えるために
▼ ヨガ教室では50分間に、以上を殆ど網羅したポーズをとる。
 他にも椰子の木のポーズ、ワニのポーズとか色々あるが、50人定員のうち、
一~二人を除けば殆どがリピーターで、回を重ねる度に難度を上げていく。
この本に縛られることもないが、まずは従うつもり。SJでのヨガはエアロビ
感覚で興味本位で参加していたが、これを自宅で実施したら少し本格的。
 30分の早朝座禅は、ほぼヨガの瞑想と同じ。これに一か二つのヨガポーズを
取り入れれば、一寸したヨガの時間帯になる。次回から、上記の具体的な内容を
書きだしてみるが、実際に夜明けに、一人、ヨガを組むのもなかなか良い。 
何気ないそれぞれのポーズに、千年、二千年の積み重ねがある。
問題は続けられるかどうか。ヨガ教室で15ヶ月続けたから自宅でも、
という気になれた。続けると何事も面白くなり、力になっていく。
4時起床で、早朝座禅とヨガね~!冴え渡るが?
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2012年05月28日(月)
  * 書斎はシェルター
 私の書斎スペースは7畳ほどの仏間の一角である。一角といっても三分二を
占めている。リタイア以降、ここにパソコンを一台置いて、一日4~5時間は
読書をするか、パソコンで随想日記の下書きを書いているか、iPadに向かって
いる。腰痛持ちのためジッとしているのは一時間が限度、一時間に5分はお茶や
トイレにいったりして節目を作っている。BGMにパソコンに入力した音楽を
ステレオから流している。またネット・ラジオの音楽放送も時々流す。
朝の4時半~6時、9時~11時半、夕方1時間の合計5時間は書斎にいる。
途中、廊下をはさんだ前の寝室で寝転んでiPadで遊んだり、TVを見たり、
仮眠をしたりする。居間、書斎、寝室のバランスは丁度良い。外出は早朝の
ポタリング、スポーツジム、図書館、SCが中心になる。書斎といえば、
iPadと、パソコンの中に書斎機能がある。静かに落ち着けるシェルターの
役目が書斎だが、あまり居心地が良すぎると、自閉症になってしまう。
iPadを持ち歩けば何処にいても同じ。小さな生活圏内では何処にいても
自分の居場所ができるのは非常に助かる。
   * ギリシャを合わせ鏡にすると
 ギリシャは西欧哲学の発祥の地。そして現在、世界金融危機の発火点になろう
としている。東の地からギリシャをみると、とんでもない事態に追い込まれて
いるのが分かる。しかしギリシャと大して変わらないほど惨憺たるのが日本。
一年しか持たない首相が改革を錦の旗にして交代するが、いざ就任、実行段階
となると周囲から袋叩きにして、反対勢力が綺麗ごとを旗に権力奪取。
その繰り返しが代々続いている。覚めた目でみれば、その一連を分かってやって
いるから始末が悪い。国民がグローバル化した世の変化を実感できないのが実態。
10年前に決断しておかなければならない国家規模のリストラが出来ないジレンマ
に落ちている。その限界が、あと二年しかないというが、その行き先は、誰も
分からない。ギリシャ国民のユーロ圏に留まりたいが、耐乏生活はしたくない
国民感情は日本も同じ。右上がり経済の再来の幻想に、まだ浸っている。
最後はハイパーが吹き荒れるだろうが。
 
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3715, 閑話小題 
2011年05月28日(土)
  * フレンドリーの雀はメタボ
 毎朝、信濃川に冬期間を除きサイクリングに行くようになって一年半になる。
10日ほど前に、いつものベンチのところでストレッチをしていると、一メール
ほどのところに雀がきてジッとみている。外国では公園などで何度も人懐こい
雀には出会っているが、日本では珍しい。暫くすると、餌が貰えないと判断した
のか飛んでいった。ところが昨日の早朝に、同じ場所で座って休んでいると、
雀が50センチもしない自転車のハンドルに止まって、こちらを見ている。
ポケットに何かと探したが、クリスクしかない。それを一粒、地面に投げたが、
パンや菓子屑でないと思ったのか、見向きもしない。よく見ると、普通の雀の
二倍近くもありコロコロしている。もしかしたら、雀ではないのでは?と、
見直したが、やはり雀である。恐らく誰かが餌付けをしているうち、他の人
からも餌を貰って太ったのだろう。 親しそうに近くにきて見つめられれば、
何か餌を与えたくなるのが人情。 その結果がメタボである。私も近々に、
餌を与えることになるだろうが。雀と鳩は、世界中、いたるところで見られるが、
その国々で、微妙に違う。餌によるのだろう。ところで最近、本当に雀の数が
少なくなった・・ 餌といえば、アイスランドに行ったときのこと。 
ホテルの近くの公園を散歩をしていた時、野生の大ガンの群れの一羽に
クラッカーを与えたところ、数十羽の群れが、私のところに押し寄せてきた。 
恐ろしくなり無我夢中で逃げたが、その時の恐怖は!早朝の朝靄の中の出来事
が幻想的な思い出として残っている。


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3350, 新型インフルエンザの総括
2010年05月28日(金)

 去年の4月に、メキシコで確認され日本に上陸して丁度一年が経ったが、現在では、話題に
さえのらない。WHOに入り込んだ製薬会社の連中の煽動にマスコミが異常に騒ぎすぎた。 
一年経ってみれば日本だけが過剰反応。 街中の人がマスクをしている姿が異様だったが、
それが世界のマスコミに報じられた。その結果、毎年の冬季に発生する季節性インフルエンザ
の死者数より少ない結果になったという、変な結果になってしまった。 医学者で東京文化
短期大学学長の中原英臣が産経の「正論」で、新型インフルエンザの総括をしていた。
新型インフルエンザの想定が鳥インフルエンザに対してしていた為に、強毒性の行動計画に
大きく影響された。それが、感染者が一人でも出た時点でも都道府県単位で学校を閉鎖をしたり、
集会の中止がした。これが過剰反応という受け止め方と、逆に、その結果、アメリカの26分の一、
カナダの10分の一の死亡率に収まった。
・これは、日本政府がインフルエンザの症状があったら、直ぐに受診する必要性を国民に
訴えたこともきいている。
・さらに日本人の衛生意識の高さが大きく影響している。 他人に感染させないためのマスク
着用も大きく影響した。「うがいと手洗い」を多くの人が積極的に行ったことも影響をした。
~~
以上だが、この過剰反応、近い将来必ず起きる猛毒性の鳥インフルエンザの予行練習とみれば、
決して過剰ともいえなかった。その時の教訓が、この騒ぎの中に多く含まれている。これは
国家の非常事態であり、自衛隊の役割が大きく求められる。この騒ぎのお陰で30年近く
毎年行っていた海外旅行を急遽キャンセル、結局行かずじまいだった。
これで大儲けをしたのは製薬会社。 現在でも、何か?大きな疑問が残っている。 
当時のマスコミの対応も異常であった。 マスコミも、このことを総括したのだろうか?
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2975, 縁は異なもの
2009年05月28日(木)
   「縁は異なもの」河合隼雄 白州正子 対談集
河合 日本の芸というのは本当に習うのが大変ですよ。ずーとやっていて、しかも最後がどう
なるかわからない。白州 研いで研いで、研ぎ抜いて。それで90歳になって精神が現われる…
現われないかもしれませんから。
連載中の本に書いたのですが、読者からありがたい手紙をいただいたのです。
「よき細工は少し鈍き刀をつかうという」『徒然草』の一節についてで、それまで私は
「鈍き刀」の意味を「あまり切れすぎる刀では美しいものは造れない」というふうに思って
いたわけ。でも違ったの。 その方は「鋭い刃を何十年も研いで研いで研ぎ抜いて、刃が
極端に薄くなり、もはや用に立たなくなった頃、はじめてしの真価が発揮される」というのです。 
ここでいう「鈍き刀」というのは最初から鈍き刀というんじゃないんですよ。本当に鈍い刀を
磨いでもだめ。 いい刀だから磨げる。しまいにはペロンペロンに柔らかくなるんですよ。
兼好法師は「妙観が刀はいたく立たず」とも書いているけど、やっぱり「立たず」なんて
言葉は「鈍き刀」じゃダメなんですよ。それが良くわかったの。
 ーー
 白州正子の対談を何度か読んだことがあるが、河合隼雄もたじたじなくらい言葉の剣先が鋭い。
鈍き刀を磨いでも鋭くはならない。鋭い刀を磨いて磨いて磨きぬいて鈍くなった刀こそ… 
よき細工に使うことが出来るという。言葉の奥底をみないと真の意味がつかめないというが、
まあ、凄いことをいう。 芸道や能力のことを言っているのだろうが。
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2611, サルトルについて、考えてみる  -2
 2008年05月28日(水)
改めて、読んでみるとナカナカ新鮮に思えてくるところが多い。読んだ当時から40年経て、
経験を多くつんだこともある。当時はピンと来なかったことも、今では深く納得する。経験は、
やはり「自分」の財産なのである。
 ー以下の論が、非常に面白い。
 *「意識」のあり方は、どのようなものか?
サルトルは「世界へと関わる」ということを、「否定」と「無」と結び付けて考える。
人間が世界へと「「関わって」いる、ということは、人間は世界では「ない」ということ。
たとえば、私は目の前のグラスでは「ない」し、窓の外の木ではない。サルトルは、人間が
「世界に関わる」というあり方をしているが、それは「世界ではない」というあり方だと、いう。
言い換えれば、人間と世界の間には「すき間」「裂け目」がある、ということだ。人間が
「世界と関わる」ということは、人間が「世界との間に裂け目を作る出す」ことだと考える。
サルトルは人間と世界の間の「すき間」「さけ目」を「無」と呼ぶ。ただしここで重要なのは、
意識は、裂かれた片方の「モノ」なのではなく、「さけ目そのもの」ということだ。意識と
しての人間は、いわば世界の中の裂け目、世界の中の無である。それは、意識が、関係する
片方の「モノ」ではなく、「関係」そのものであり、外部の世界への「矢印」そのものである。
… 「世界に対して」裂け目をもたらす人間は、それだけでなく、「自分自身に対して」も
裂け目をもたらす、とサルトルはかんがえる。人間は、常に過去の自分から脱出して新しい
自分になっていく存在である。過去と現在を乗り越え、未来に向かって自分を投げかけて
いく存在、それをサルトルは「投企」と呼ぶ。
  ~~
解)人間の意識が、世界と関わると、その世界との間に裂け目をつくりだす。それも人間の
 意識は、片割れの一方ではなく、裂け目、世界の無である、という。過去を振り返ると、
実感として接してきた世界の片割れとしての自分というより、色いろ経験してきた世界の接触
の中での私の意識は、それぞれが「無」だった。その時の己は、片割れの「モノ」ではなくて、
「関係」そのものであった。それは「矢印」であった。世界中を観光してきて、そして事業を
幾つか立ち上げてきて、その通りである。世界との間に裂け目を作り、世界の中に裂け目を
もたらす、「意識としての人間」をサルトルは「対自存在」と呼ぶ。異郷・秘境の地で我を
忘れて見入っているとき、自分は、そこに居ない。自分は、後で振り返ったとき、見入って
いる自分を対自として見ている内なる我が見ているとき、初めて顔を顕す。対象に魂を奪われ
ているとき、そこは一方の割れた「私」ではなく、裂け目そのものが私である。
別に難しいことではないのである。
  
  ---
 *サルトルの人間観
(字数の関係でカット 09年05月28日)
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2007年05月28日(月)
2246, 愚痴
      ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!
愚痴とは、「言ってもしかたがないことを言って嘆くこと」、仏教用語としては
三毒の一の癡にあたり、物事を正しく認識したり判断したりできないこと」をいう。
 {参考のために、三毒とは克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、
 すなわち貪瞋癡(とんじんち)を指す。 貪ー貪欲、瞋ー怒、癡ー無知}
人の愚痴は気づくが、自分の愚痴は気づかないから始末が悪い。
初めて就職した時に、ある転勤先に「愚痴のオジサン」というアダナの人がいた。
「初対面の人を見つけると兎にもかくにも愚痴を言うから、受け流すように」と注意されたが、
なるほど話す大部分が愚痴なのである。;´д`)グチグチ!世の中にはこういう人がいるかと
驚いたことがあった。愚痴は人前では言うものではない実例としてみたが、「情けない」と
いうしかない。                       (-""-;)
私の周囲には少ないが、自分自身、知らないうちに言っているのかもしれない。
思い通りにいかないのが人生であリ、不意の出来事で窮地に立たされたり、本意でない
状況は「あざなう縄の如し」、次から次に問題が押し寄せてくる。それに対し
「愚痴を言っちゃ~おしまいよ!」と痩せ我慢をするのが人間のあるべき姿である。
「言ってもしかたがないことを言って嘆くこと」は最悪のことと分っていても、言いたい
のが愚痴である。だから、居酒屋が存在しているのである。とくに擦り切れるような大組織
の人間関係では、愚痴を言い、憂さを晴らさないことには精神の均衡が保たれないのが
男社会というものだ。教養ある人が愚痴をいっている姿は、あまり見受けられない。 
しかし人生の後半になると、肉体だけではない、精神の衰えとして、愚痴が出てくるから
気をつけなければなるまい。特に身近な問題、矛盾が吹き出る時節である。自分にプライドと、
自立心があれば、愚痴など言わないが、経営者や目上の者が愚痴など言っていたら、男の風上
にも置けない。 「腐った女のようなヤツ」と言えば、「他人の陰口を言い、人を平気で落とし
入れ、愚痴を言う人間」である。それは、やはり無知からきているのである。   
「あなた(わたし)、風上に置けない人じゃない!と言い切れますか?」 
自立してますか?ということ!                 

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2006年05月28日(日)
1881, 閑話小題
        ォ'`ョ━━(。・∀・)━━ゥ★   
 ーつれづれにー
一昨夜、会合が終わった後に新潟駅前で飲む。その後古町の[シャムネコ]という店に行く。
店の中を整理しないのが売りで、ホステスを猫がする店。コタツがおいてあったり、20年
以上前のカセットビデオ、そしてマンガ本、色紙、などが雑然と置いてある。しかし、よく
みるとチリなど溜まっていない。もう廃業したのではないかと電話をすると、第一声が
「一見(一限)の客はお断りですが、貴方は誰ですか」という愛想のない声が聞こえてきた。
5年ぶりだが、三匹の猫の源氏名は社長、専務、常務で、ママが従業員という設定になっている。
(以前にもこの店のことを書いたことがあったが)この三匹に役割があって、入れ替わり立ち
代り接客をする。カウンターの上を気を使いながら歩いて客に媚びたりする。  
(字数の関係でカット 09年05月28日)   (。・∀・)バイ!
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2005年05月28日(土)
1516, 気の発見-2
 気の話なら、40年のキャリアがある。この随想日記でも何度か書いてきたと思ったが、
どういうわけか、これをテーマにしたものは全く無かった。「気功」などというと誤解される
か、全く知らない人には説明が難しいから、取りあげなかったのだろう。
本棚を見ただけで10冊以上はある。
・「『気が』もっとわかる本」 ・「真気光」 ・「『気』で心と体が変わる」
・「気の威力」・「病は気から」 ・「『気』と正しくつき合う本」 ・「‘気'の発見」
・「『栗田式』超呼吸法」 ・「帯津良一自然治癒力の脅威」 などなど、
図書館で借りてきて読んだ本を加えれば20冊は軽く越える。
(もっとも理解していたかどうかは、全く別の話。殆どが、その本を買ったことで安心して
知ったつもりでいるだけだったが。)その集大成が、「ウォーキング気功」。
しかし、解りやすいという点では、この本は群を抜いている。
ー以下は要所の抜粋であるー
(以下、字数の関係でカット二千八年五月二十八日)
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2004年05月28日(金)
 1151, 「老い」を考えてみる
誰しも老いるのは嫌であるが、それは「長生きをしたからであり、そうプラスに考えれば、
老いもそう悪いものではないのではないか」と考えてきた。老いは誰もが通らなくては
ならない道である。人生とは、徳川家康でないが重荷を背負った山登りに似ている。登るほど
息切れする。しかし視野は広くなることも事実である。身体の老いより、心の老いが怖ろしい
のが老齢期の大問題である。「青春は失策、壮年は苦闘、老年は悔恨」というが、それを乗り
こえた精神の自由を維持することが大事。若いときには、われわれは愛するために生きるが、
年を重ねるとともに、生きるために愛することが必要になってくる。過去を振り返って、
その重さに耐えきれなくなる時、愛と感謝で包み込まなくてはならなくなるからだ。
身近の色いろの人をみると、「若い生活をしている者は若いが、老いた生活をしている人は
老いている」というのが解る。何があっても、精神は常に若く保たなくてはならない。人は
老年を恐れるが、そこまで到達するかどうか解らないのに気楽なものである。人生は飛び
立つ時より着地が難しいのは、飛行機と同じようなものだ。とくに商売や事業をしているもの
にとって、最後は切実な問題になる。いかにソフトランデングするかが問題になる。
「60過ぎのことを、それまで全て先取りをしてしまえ」と思って生きてきたことが、今に
なって本当に良かった思い始めている。気力、体力、金力のバランスが崩れてきて、
どうしても計画どおり行かなくなる。色々な問題が弱いところに出てくる。
それなら、無理をしても60前にした方がよいと自覚していた。義兄がしっかり60過ぎの準備
をしていて、ルンルン気分でいたが、60歳直後に亡くなってしまった。思った通りにいかない
のが人生である。初めから、人生の余白を埋めるのも大事ということを教えてもらった。
いずれにしても、一日一日前向きに精一杯生きていけばよいのだろうが。
以前、20歳上の従姉が、自分の90歳でなくなった母親のことを回顧して『母は50,60,70,
80歳の峠を越えていった凄さが解るようになってきた』と言っていたのが印象的である。
老いに関しては現在読み続けている藤沢周平の小説の隠れたテーマの一つ。
彼は主人公を通して老いいく人生の切なさや、最後の光り方を切々と書いている。
もう目の前に、一つの峠が見えてきた。
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2003年05月28日(水)
784, 芸術家と芸人
5~6年前に、「異種業の会ー旅行に出てみないかい?」と誘われて、面白そうなので
参加した。大学教授、大手代理店の課長、芸術家数人、二代目等、個性的な人の集まり。
一回目が九州と大阪。二回めが盛岡と札幌・函館の視察であった。県からの補助金で食事を
含めて全て無料であった。日本が背伸びをした、足の下をそのまま見ているようでもあった。
反面、将来の姿とはこんなもの?と予感できる世界であった。といって、取ってつけた感も
否めなかった。一回目が北九州の福岡ドームとホテルと再開発地区、長崎市の観光、湯布院、
大阪の再開発の視察であった。半分はその名を借りたお遊びでもある。しかしどこも新鮮な
夢のある輝かしい?世界であった。特に北九州の再開発は、北九州がアジアに向けての拠点
を目指しているのが感じ取れた。再開発には否定的だが、こういうものの表面だけを見ると
なるほど騙されるのも解るような気がした。湯布院が期待していた以上であった。
時代劇の映画に出てくる隠れ里のような山里にあった。個性的な店が多く出ていた。
料理屋に小物や民芸品を売っているのが何ともセンスがよい。若い女性や若者だけでなく、
あらゆる年代の人が楽しめる。映画セットの中にいるような感じがした。30数年前の軽井沢
の旧軽通りに少し似ていたが、湯布院のほうがゆったり、ほのぼのとした感じで好きだ。
 二回目が、盛岡、札幌、函館の視察であった。メンバーはほぼ同じである。これも楽しい
面白い旅行であった。札幌の郊外の丘陵地帯にある芸術をモチーフにした公園には驚かされた。
いま考えてみると、バブルの一現象だったのだろうが、広大な敷地とモチーフが何ともいえ
ない安らぎを与えてくれた。函館の観光をモチーフにした街つくりも素晴らしい内容であった。
石原裕次郎をモチーフにした館とか、ガラス細工専門店とか、年中クリスマスグッズを売って
いる店があったり、寿司屋がところ狭しと並んでいる街とか、楽しいのだ。この旅行で芸術家
数人に向かって、「芸術家なんて気取っているけど、所詮は物を作る芸人だろう!」と
酔って言ったらしい。ところが芸術家たちが、その言葉にいやに納得くしていたとか。

・・・・・
2002年05月28日(火)
 420,世間とは
「西洋でいう個人が確立されてない日本では、社会は存在していないのでないか?」
という疑問が以前からあった。その代わり存在するのは、噂と悪口からでお互い牽制しあう
「世間」である。阿部謹也の「世間とは何か」という本を立ち読みをして、思わず納得した。
現在国際社会で日本が冷笑されるのも、もともと日本では存在していない国際「社会」の中で、
常に世間という日本社会を外に出してしまう為である。勤めとか事業で、いろいろの地域社会
をみてきて漫画的な社会?構造に驚いた。世間様の存在と、それに対するペルソナー仮面を
付けて、全員して演技している滑稽さである。それは社会というより、群れという感覚であり
その統制は噂と恥の文化である。 ある作家がある部落に住んで、その滑稽を「気違い部落」
という本で著した。それが売れると、逆に気違い?にされ村八分にされてしまった事が、
話題になったことがあった。世間に属さない他者は今の日本では人であって人間でない、
と先ほどの「世間とは何か」に書いてあった。その地域の集り坊主とか、地銀とかに勤め、
支店長あたりになる。そしてその地域の噂社会の中で、よい人を演技する?のが、
「世間を渡る」という世界。この世界で、個人として真っ当に生きるには、強靭な意思と
主体が必要だ。結局それを殺ぎ落とさないと、生きていけない社会でもある。
そして自分とは何かを死に近づいて考えて、気づく?世間に縛られた小さな一生を、
その時初めて悔やむ!世間とは、幻想社会という事を! 日本の島国的特性そのものだ。
ーーーーーーーー
10年前書いた文章です。
  ーH0407城下街小唄ー
私の出身地の長岡はかつて“長岡藩”の城下街であった。その大手通りのほとんど真中に
生まれ育った事もあり、その長所・短所がよくわかる。その特質は閉鎖性・固定的、商人的
であり、“城下街曼陀羅”がきっちりできており漫画的ですらある。彼等の社会は
“ウワサ社会”で構成されている。 特に長岡財界とかいう社会が存在(?)しており、
彼等の出す“ウワサ”がその社会を大きく左右する。それが事実であろうがなかろうが
“マンダラ”の中心点に近い人間が言った事こそ絶対のようだ。(“ウワサ”として)
彼等の社会をみていて、維持型の人間こそ“一級”と評価される。固定社会が故に何も
しない(何もできない)事こそがベストなのだ。“非能動的二代目+婿取り娘サロン
社会”と言える。先日もいやな“ウワサ”を聞いた、今は下火になったのだが、新興の
各業界の?1の社長が十人あまりが故に聞くに耐えない“ウワサ”を流された。
“一種の集団いじめ”なのだが、そのストーリーが陰湿でリアリテーにとんでいる。
冷静に考えればほとんどが尾鰭のついたウソである? それがおもしろおかしくて集団
ヒステリック的につくりあげられており、自らの名が出るかどうか怯えている。
“参加型変態うわさゲーム”を全員で楽しんでいる“痴呆社会”そのものである。
・・・・・・・・・
2001年05月28日(月)
 [34] 糸井重里サイトを見て感じた事
糸井重里の「ほぼ日刊糸井重里新聞」を二年前にホームペジを開いて、
現在1日二十数万のアクセスがあるという。ちょっとした新聞社なみだ。開いてみたが
なるほど面白い! ホームページ作りより、自分自身のインターネットに対する感覚が
変わってきている事がわかる。考えてみたら1度ホームページに載せたら、そのデータ
は半永久的に残る。ホームページは墓場と言っていたが、そのとうりである。
永久に残るデータベースである。糸井重里本人が「不思議な感覚」と言っていたが
わかるような気がする。