* シネマ『スリービリボード』
 前回みた邦画が面白かったが、今回はハリウッド映画。
何処にもありそうな東部の田舎町の、化粧気のない普通の中年のオバさん
がヒロインの物語が奇抜で良い。西部劇のガンマンのごとく、怒りをエネルギー
にして、立向かっていく姿に引込まれていく。フィクションなればこその物語。
  〜HPの紹介から
<米ミズーリ州の片田舎の町で、何者かに娘を殺された主婦のミルドレッドが、
犯人を逮捕できない警察に業を煮やし、解決しない事件への抗議のために町
はずれに巨大な広告看板を設置する。 それを快く思わない警察や住民と
ミルドレッドの間には埋まらない溝が生まれ、いさかいが絶えなくなる。
そして事態は思わぬ方向へと転がっていく。娘のために孤独に奮闘する母親
ミルドレッドをフランシス・マクドーマンドが熱演し、ウッディ・ハレルソン、
サム・ロックウェルら演技派が共演。「セブン・サイコパス」「ヒットマンズ・
レクイエム」のマーティン・マクドナー監督がメガホンをとった。>
  〜評価・レビューより
≪ カールした髪を少しだけ後ろで束ねて、そこにバンダナを締め、ツナギで
武装した怒り心頭の母親、ミルドレッドが、ギターの爪弾きに乗って、レイプ
され、焼き殺された娘の敵を討ちに行く。さながら現代のミズーリにカウボーイ
がワープしてきたかのようではないか! ジョン・フォードと同じくアイルランド
に故郷を持つ監督&脚本のマーティン・マクドナーは、偉大な先人に敬意を表し、
西部劇の再構築を果敢に試みている。 しかし当然、ここでは善対悪の構図は
かつてのように単純ではなく、悪人に見えた人間には情状酌量の余地が大いに
あり、さも善人面して登場する人物が巨大悪の手先だったりする。そんな時代に、
ひたすらいがみ合い、傷つけ合うことなど無意味なのだ。互いに思いやりを持ち、
理解する努力を怠らないことこそ、人としての知恵ではないのか?想定外に次ぐ
想定外で観客をとことん混乱させる物語は、最後に心和む着地点を用意して、
そこはかとない余韻を残して幕を閉じる。その余韻はしばらく消えることはない。
オスカー云々に関係なく、今年まず観るべき1作だ。≫

≪激しい怒りや悲しみ、笑いといった様々な感情という糸が絡み合い、最後は
 スッと解ける映画。主人公のミルドレッド母ちゃん、娘が何者かによって
殺され、一向に解決しない警察に対して、警察への非難のメッセージが記された
広告看板を建てて、それに携わった人々の人生が変わってしまう物語。
 ミルドレッド母ちゃん、町の人々から尊敬されている警察署長、そして、
ザコンのクズ警官の主要三人のそれぞれの関係者があの広告看板によって、
人生がだんだん変わる様の描き方が非常に上手い。監督が天才過ぎ。 あと、
キャストそれぞれ良かったが、一番印象的なのが、ディクソン。マザコン
クズ保安官でだが、最初はサイコ野郎と思っていたら中盤〜終盤辺りから
印象が変わる。逆にミルドレッドは、最初は同情してたが、彼女の怒り、暴言、
暴力といった行為がかなりエスカレートしていき、町の人々は同情が失せます。≫

▼ アウトサイダーの生き方を標榜している私と重なる部分があってか、過剰に
 同調して見ていた? 保守的な田舎町で、三枚の大看板に、抗議メッセージを
掲げて波紋を呼ぶ、それを物語にするアイデアは面白い。
【 熊さん: 何か八つぁんに似ているね。
 八つぁん: 私は、接触を最小にしているだけ。しかし、声高々に、ここで
      書いているけどね。ここまで書けば嫌われるのは分かっているよ。
 寅さん: 解ってないんじゃないか。「良いこと3つ、悪いこと1つ」と、常に
      言ってるじゃないか。良いところが三倍はあるよ。何を怖れているんだ。
八つぁん: 毎日、ない頭を絞って書いていると、どうしても本音が出るの。
      怖れるといえば、もう亡くなった一番上の姉夫婦の、地元豪族
      肩書信仰の妄信を見ていて、反面教師になっているの。
大家さん: 可愛いもんじゃないですか。フリをしていれば済む話。
八つぁん: 今さら、フリもありゃしない。かなり変人と思われてしまったね。
熊さん:  そりゃ、酷い言われようだよ。少し外れても遠からじだよ。
寅さん:  俺など、面白くてさ。フーテンの寅が、知恵足らずの男に、
      「おい、相変わらずバカか」といった返事、「御母ちゃんが、バカに 
      バカというのが一番バカだよと、言っていたよ!」を思いだすんだ。
八つぁん: 実は自分もさ。本当にバカなのさ。そういう私が一番バカだね。 
      この随想日記が、この映画のビルボード代り? まあ、怒るは…。
大家さん: フウテンの寅の実家の叔父さんが、寅に、「本当に馬鹿だね!」
      と言うけど、「本当にバカだね。」
八つぁん: 本当にバカだもの。熊、寅が小バカなら、俺は大バカさ。
      いや、バカ違うんねん、パーなんねん、ですか。
大家さん: とすると、さしずめワシはグウなんねんですか。 何かコントだね。
      グウって、「愚う」って洒落? オチの説明もいけませんや!  
熊さん:  「グウは、パーには勝てません」ってね。
寅さん:  大家さんまで、フザケチャいけません。 それは熊と俺の役割。
熊さん:  それよりツマラナイ。 で、テーマって何だっけ? 
八つぁん: 風変わりなハリウッドものシネマの評論よ。 評価は85点。 
      自ら進んで映画の世界に入り込むか観劇のコツになるが… 
大家さん: 毎週、よくも飽きずに通ってるけど、そんなに面白いの?
八つぁん: そりゃ面白いよ! 一時的に「あっちの世界」に飛ぶんだもの。
      シネマ館で見るのは違うよ。1100円も出すんだよ。2000円だと、
      月に一回になるけどね… 

・・・・・・
3604, 旅ばなし 小題 
2011年02月06日(日)
   * カナダ・ロッキー山脈の感動
 カナダのロッキーの懐に初めて入った時の感動で世界観が一変した。 
これが地球上に存在しているのか?と。バスの中で眠り込んでフッと
眼を覚ましたときに、「これは夢で現実とは違う」と思ってしまったほど。 
しかし現実と気づいてからは、見る一景色ごとに息を飲んでしまった。
「ロッキーの、この景色を見た前と後の間に一本の線がひかれたようだ!」
という言葉が、次々と展開していく景色を見るたびに浮かんできた。
タイミングとして初めて広大な大自然を見たのが良かった。グランド
キャニオンやスイスアルプスを先に見れば、同じように感じただろう。 
私にとってロッキーが秘境・異郷にのめり込むキッカケになった。
大自然の壮大なパノラマに対する感動が、自分の心に深い何かを与えられた
初めての経験であった。  
  * 秘境ほどトラブルが大きくなる
 あまり人が行かない秘境ほど、問題が次から次へと生じてくる。それも
慣れてくると、こういうものと腹が据わってくる。それを逆に楽しむのが通
というもの。トラブルと思わなければ、それはトラブルではない。人生も同じ、
受け止め方の問題になる。波乱万丈の人生とは、トラブルが多くて浮き沈みが
激しい人生をいう。しかし一つ間違えば破滅を何とか乗り切ってきたに過ぎない。
トラブルを旅行でこなしながら、秘境の自然から何かを頂くのが、その妙味。
良い旅行には、必ず同行者に恵まれる。(例外もあるが?)そして、遠く
離れた大自然の神秘の懐の中で、感動の響きを頂く。神とは宇宙の織り成して
いる力の総称というが、ロッキーを見ていると次々に現れてくるパノラマが
神の姿に思えてくる。
  * 323,ある時間の断片-1  2002年02月06日(水)
 モロッコマラケシュで、夜半ホテルより馬車に乗り中心街の
「ジャマ・エル・フナ広場」に行った時の話。4人のりの馬車に一緒に
のったのが、同じグループの母娘であった。母親は少し初老性のボケ?が入って
いたか、もしくは「元お姫様」ではという感じの品のよい人で、一人興奮してか
話しまくっていた。その話しが面白い!といって今回の観光のピークの場面。
その街の景色が素晴らしさと、どっちに気持ちを集中してよいのか迷っていた。
世界的に知られている「マラケシュの街並み」も素晴らしいが、その人の話しも
面白いのだ!私はマラケシュの街並みの方をとる。それは座る場所で決まる。
家内はその話の聞き役をとった為、街並みは殆ど見れなかったという。
 その内容とは
ー自分の亭主は日航の機長であった。以前羽田で精神症で大事故をおこした?
機長と同期。実を言うと自分の亭主が高所恐怖症。誰も知らない秘密を私だけが
しっていた。「屋根の修理で震えていた」のを見てしまった。本人に聞いたら
「実をいうとそうだ!」と答えた。こういう話がそのベストタイムに続くのだ、
よりにもよってその時間に!そのTPOSで聞くから、その話が更に面白い!
家内は笑いっぱなし!それに劣らず、その夜景が素晴らしい。
まさしく小説の世界、いや映画の世界といってよかった。同行の娘が傍でハラ
ハラしているのが手に取るようにわかる。母の世話に全神経を帰国するまで
使っていた。  ネタはツキマセン! このての話しなら!
・・・・・・
5440,人生で最も大切な技術 ー心の自由
2016年02月06日(土)
      『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 自由への大いなる飛躍
 ここで、エゴから開放されることが、心の自由という。御隠居生活は、
今さら、老いさき短いのに、エゴもなにもないだろうという諦観が、拘りから
自らを解放させる。森の生活から、サバンナの生活の移行が、「心の自由」を
実感させる。森は森で面白いが、サバンナにはサバンナの面白さがある。
 心を自由にするにエゴからの解放を勧める。遺伝子科学は、遺伝子の進化
の本質はエゴにあると解明したが、そこは知的生物?たる人間様。せめて
心の自由を、「私の・・」からの解放が必要である。 〜その辺りから〜
≪ 自由になる、ということは、自分の運命の支配者になることである。
 ただ、自由と聞くと、行為、動作、意見等の自由、自分が決めた目標達成
の機会を獲得する自由、等というふうにとかと解釈されがちである。
そのように自由を納得することは、自分の外側に自由を置いて、思考の横暴な
振る舞いを看過することになる。実際、西欧では、自分のしたいことをして、
衝動おもむの赴くままに行動するのが自由、という解釈が一般的である。
しかし、そうした考え方はおかおとししい。したい放題とは、心を混乱させる
思考の慰み者として、自分自身を決めるのも同然である。それは、山頂で吹き
まくる風によって、あらゆる方向にへし曲げられる草と同じ状態である。
「私にとって幸福は、したいことを誰にも一切ロを挟まれないですること」
BBCのインタビューに答えていた英国の若い女性がいた。無秩序な自由の唯一
の目標は、欲望を即座に達成することである。だが、果たしてそれが幸福を
もたらすだろうか、という疑問が生じる。その疑問には十分な根拠がある。
 自然で自発的な行動は、精神的な混乱がない限り、長所となる。しかし、
心の中で渇望、嫉妬、傲慢、恨みなどの狂犬を荒れ狂うままにさせておくなら、
間もなく、心はそれらの狂犬に占拠される。一方、自由な心は、膨大で、
明確で、静寂な空間で、そこに痛みはなく平安だけが強化される。・・(略)
心の自由は、とりわけ、「私に」と「私の」という独裁者エゴからの解放で
ある。エゴは自分が嫌うあらゆるものと衝突し、自分が欲するあらゆるものを
自分のものにしようと必死になる。それ故、自由になることは、心を支配し、
曇らせる苦痛の絆を断ち切る作業と言える。それは、自分の人生を、習慣と
心の混乱によって作りだされる性癖や性質に明け渡す代わりに、自分の手中に
収めることである。水夫が船の舵柄を緩めて帆が風にはためくままにして、
潮の流れに漂わせている場面を想像すれば、それが自由な航行とは呼ばれずに
漂流した状態だとわかるだろう。自由な航行とは、舵をしっかり握って
自分の選んだ目的地に向けて航行することである。
 日常生活でこうした自由が体得できたなら、他者に対して心が開かれる上、
忍耐力が備わることになり、自分の選んだ人生の方向からまったく外れずに、
断固として突き進む覚悟ができるだろう。実際、方向感覚を持つことは
生きる上で不可欠である。ヒマラヤをトレッキングする際には、何日でも
何週間でも歩く覚悟をしなければならない。・・≫ 
▼ 英国の若い女性が言った、「「私にとって幸福は、したいことを誰にも
 一切ロを挟まれないで・・」の「したいこと」を、「幸福になるために」
に替えれば良いこと。そのために、少々自由を犠牲にしなければならない。
・・・・・・
5076,閑話小題 〜火あぶりの処刑
2015年02月06日(金)
   * 火あぶりの処刑
 イスラム国のヨルダン人パイロット兵の処刑の映像には驚いた。
ブログに掲載するかどうか迷ったが・・ 少し考えてみれば、ガンで死ぬ時は、
少しカタチが変わるだけ?いや、違うか? これ、殺伐とした時代の象徴である。
彼らはイスラム原理主義の名を借りた殺戮集団。世相が20世紀前半の第一次、
第二次世界大戦辺りの、ニヒリズム的様相になってきた。 ウネリの元は、
情報端末とネットの普及による情報革命。それはグローバル化と、一強多弱を
推し進め、弱者に格差と差別が曝け出され妬めと怒りが充満していく。
島国日本にとって、テロの不安は少ないが、今後は、そうはいかなくなる。
 初めてイスラム圏に入ったのがエジプト。深夜に入国し、数時間後に飛行機で
ルクソールに向かったが、早朝、街から聞こえてきた、アッラーの祈りの音声。
丁度、ラマダン(断食)の最終日で、ホテルの従業員が殺気だっていた。
 現地の日本人ガイドに、飛行場からホテルに向かうバスの注意。
『ここは、イスラム教の国。私たちは欧米文化の国。まず全ての常識を
横に置いて下さい。違うのです、全く違うことを忘れないで下さい!』と・・
「これだから、秘境・異郷は面白い!」と、思うようになるに、何度かの
経験を要した。世界は、それぞれ違うのである、全てが! 旅行は、日常生活
との差異を求めて外に出て、日常を外の目で見て、考える機会でもある。
原理主義者としても、誘拐、殺戮を容認する思想が現に存在している。そして、
それを脅しとして公開する。彼らにとって、テロも戦争の一つでしかない。
欧米が勝手につくったアラブの、いや世界の国家を否定し、イスラム原理
主義国家という共同幻想を優先し、地域を州と見なすとは、考えたもの。
共同幻想イスラム原理主義に感化され、『そこでテロで、戦闘に参加せよ!』
と煽られれば、誰にもチャンスがある。まさか、半年前まで、こんな現象が
出るとは誰も思ってもみなかった。 恐ろしい時代である。
 良い時代を、数限りない良い思いで過ごせたと、感謝する日々である! 
東京オリンピックに大きな不安要素が加わった!幻に終わらなければよいが。
・・・・・・
5806,「7回読み」勉強法
2017年02月06日(月)
            <超速「7回読み」勉強法〜山口真由 (著) 
* 勉強法とは、最大限の努力すること
< まず目を通すだけで気楽に読むのを3回、キーワードに注目して3回、
 仕上げに1回、合計7回読むことが基本 >という本。「この経歴の人が、
7回読むのだから、凡庸の私が、1〜2回、目を通すだけでは駄目」という
道理を、この年齢でつくづくと実感するのだから我ながら何をかいわん。
「学生時代から、2〜4時間、本を読み続けている」という慢心が、勝手に
枠をつくっていたようだ。著者にとって、『1〜2回読んで理解したつもり
にならないで』といいたいのである。    
 〜内容紹介
【東大を首席で卒業するトップエリートは、いったいどんな勉強をしてきたのか。
一般の人とはもともとの頭の作りが違うのか、努力の量が違うのか、みんなが
知らない暗記のコツを知っているのか。東大法学部を首席で卒業し、官僚を経て
弁護士、テレビコメンテーターなどとして活躍する著者が、どのような勉強法を
実践してきたのか解説。「勉強は決して楽しいものではない」と著者は言い切る。
知識を学び、自分のものにするには「努力」が必要です。 勉強という作業は
極めて地味で、時には退屈、多くの場合は苦痛でさえあるのです。そんな作業を
継続してこられた大きな要因は、自分に合った勉強法を確立できていたから。
勉強法さえ確立できれば、知識の獲得は断然楽になります。
 本書では、その具体的な勉強法として、誰でも実践可能な「本を7回読む」
というシンプルな方法を中心に、著者が編み出した勉強のコツをたっぷりと
紹介しています。
――
▼ 初めは全体を把握して、3度4度と徐々に精度を上げていく手順を教える。
 まずは絶対量の勉強をしろ、それ以外の安易な方法はないと著者は教える。
これは人生について言えること。「ますはベースになる、ある程度の教養が必要。
そして目先の問題解決に最大限の努力をしろ。その知恵と知識は‘独学’でしか
身につかない」ということ。 独りの行為で一番、効率的なのは読書という。
今ではネットサーフィンがあるが、それでも熟考をするに、読書が最適。
その為には、好きな分野を早めに見つけ、読書好きになるしかない。
 そういえば、Amazon電子書籍kindle、まだ買ってない! 
図書館だけではなく、実際に身銭を切って書籍を買い読んで、二回目以上は、
電子書籍で読返すのが、基本だが… 
・・・・・・
3969, 首都圏崩壊の可能性、7割 ー3
2012年02月06日(月)
    * 情報(言葉)の恐ろしさ
「7割の確率で首都圏直下型地震が4年以内に起こる」とうニュースが衝撃的
だったが、土曜日の朝、BS朝日で例の東大地震研究所の教授が、その首都直下
地震について話をしていた。「首都直下に7割起こるとはいっていない。
 南関東全域で7割の確率で、震源が首都直下の場合、死者1万1千人、
建物消失が85万棟になると算出したのであって、マスコミがそれを編集する
上で、南関東と都心直下の言葉が入れ替わった情報が一人歩きをした」。 
それも研究員個人の見解で、東大地震研究所が発表したのではない、という。 
記事の内容をよく読めば決して嘘ではない。見出しが誤解を生む内容で、
記事の内容も「都心が震源の場合」と書いてある。 情報とは、こんなもの。 
言葉の組み合わせで、受け止め方で、意味合いが違ってくる典型的事例である。
 見出しをそのまま、信じてしまう甘さに自分でも呆れている。 
マグネチュード7の地震は、3・11直後、何度も起こっている。それが南関東
起こって当然で、実際その地域で小さな地震が多く続いていることから、4年で
7割の可能性が出てきたようだ。東北の沖合で500年に一度の大地震が起こった
ため、周辺で大地震が起こる可能性が10倍になっていることからして、数年間は
特に厳重な注意が必要。 ニュースで早速、スーパーなどで、避難・災害用
グッズ売り場を二倍にしたと報じていた。多くの家庭で準備が始まったようだ。
世界的金融不安の上に、足元の地震の心配。ますます殺伐としてきた。
 とはいえ、首都圏崩壊の可能性?の備えは、充分にしておくべきである。 
・・・・・・
4711,閑話小題 ー最近、記憶術を少しずつ身につけている
2014年02月06日(木)
   * 夢に気づいた私は
 一昨夜になるが、夢の中で、これは夢?と気づいた。数年に一度はあるが、
何時も直ぐ夢から醒めてしまうが今回は違った。その物語こうだ。新潟駅前の
何処かの店に入って何か頼むが、忙しいのか取り合ってくれない。何か変だと、
店外に出ると、そこは目的先ではなく別の店。仕方がないと、他の店に入るが、
そこには誰もいない。そこで駅に向かうが、ポケットに長岡の帰りの切符がない。
もしかしたら車で来たのかと引き返し見渡すが自動車がない。また再び駅前の
広場に戻りながら、これは夢では?と気づくが現実感が強い。そこで、駅前の
広場を改めて見るが、嫌にリアルの光景。よく見ると、最近できた再開発ビルが、
見あたらない。これは、20〜30年前の駅前の光景! そう改めて見直すと、
鮮明な光景が急に曖昧になる。よくあるケース。せっかく夢なら、駅内の
店で美味しいものを食べてやれと階段を上がりかけたところで、目が醒めた。
  * 最近、記憶術を少しずつ身につけている
 このところ遊び気分で、長年、苦手にしていた記憶法を試している。
図書館から何回も『一年で全米記憶力チャンピオンに』を借りてきて、読み返し
ながら記憶訓練をしているが、これが段々、面白くなっている。基本は位置法で、
まず10ヶ所の家の中や、街中のイメージを焼き付け、そこに記憶すべきものを
置いていく。もう一つが、数字を4桁に区切り、身近なモノの値段にしてしまう。
9桁や13桁の最後の端数は、一円を+として、それに付け加える。
7桁の場合は、マイナス一円。39885269なら、3980円+8円の、
いま着ているジャケットに。ズボンが5260円+9円にする。問題は、
値札にその値段をすり込んでイメージする。意味付けをしていることになる。
もう一つは、よく通販のコマーシャルで数字をメロデーですること。
「三九八八♯の、五二六九♭〜〜」これを何度か繰り返すと良い。
遊びとしては手軽で面白い!次に思いついた7893の4251、確か憶えた
と思ったが・・ で、二回目に間違いなく憶えてしまった。
で、上記の二つは当然、脳に焼きついてしまった。
・・・・・・
4344, 感動すると疲れない
2013年02月06日(水)
「感動すると疲れない」何気なくネットで見つけた写真にあった言葉。
疲れないというより、疲れがとれる、という方が本当だろう? 事業の立ち
上げと清算を幾つか経験してきたが、創業を達成した感動は疲れの全てを
取りのぞいてくれた。希望を目的に即し目標をたて、具体的計画にし実行する。
自分の持っている全てを叩きつけたからこそ得ることが出来る心の奥の達成感。
成功すればこそだが何事にも変えがたい感動がある。それは創業だけでない。
今回の清算?も、淡々と終えることが出来たこともあり、厳しいが感動もの。
準備15年、創業以来30年の会社を潰すのも、事業の一環。愛した会社の
最期の看取りも、雲の上から見ている自分がいた。謹慎期間二年が近づいたが、
一連の疲れが取れたかというと、実感として半分。まだ45年分の疲れが
残っているようだ。ただ緊張感の蓄積からくる軽い神経失調症的な症状は、
ほぼ無くなった。これをとるには感動体験を更に積み上げること。
秘境旅行で大きな感動に出会うと、旅路の疲れが逆に、心地よいものに転換する。 
事業も同じ。立ち上げが上首尾に終わりホッとした時に起こる心の奥の感動で、
既に元を取っている。そのため事業清算をしても、後悔の念は全く生じようが
なかった。それは経験してみないと分からないこと。その辺の人が想像する
挫折感とは違う創業者の強みがある。感動と、その蓄積は、魂の財産になる。 
私の人生で、「感動」の場面には恵まれていた。感動は、求めれば与えられる。
絶望も感動も、多く味わった者が豊かな収穫を得ることが出来る。
 ーところで、感激と感動の違いを検索してみると、
【「感動」は、心が物事を受けとめて深く動かされること。多数の人が一度に
 感じるときに、「感動の名演技」のようにも使う。「感激」は、物事に触れて
激しく心が動かされ、なんらかの形で外に表われ出るような場合に多くいう。
かなり感情的で個人的な場面が多い。】とあった。私は、心が動かされることを
感激、魂が動かされることを感動と解釈していた。「感謝、感激、感動」 
体験には、人生の大きな秘儀がある。 同じ人生なら、可能な限り、これを
味わなければ生きている意味(価値)がない。味わった価値は、あの世に持って
いける唯一のもの。それも三日も経てば、全て同じこと。生きているうち感動を
積み味わうことしかない。手っ取り早いのが「シネマ」。そしてTVの映画などだが、
実際の経験には当然、劣る。が、それでも・・

つれづれに

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他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 

 今日のYoutube

 長岡市内の積雪は、気象庁の発表では1m30㎝。
  隣の屋根の目測が、1・6mぐらい。 

 今日の18時から、長岡駅前のグランド・ホテルで
 中学校の同期会の予定が順延の連絡が入った。
 これでは仕方がない。 あとは、スポーツジムに
 行くかどうか。




・・・・・・
・・・・・・

4711,閑話小題 ー最近、記憶術を少しずつ身につけている
2014年02月06日(木)
   * 夢に気づいた私は
 一昨夜になるが、夢の中で、これは夢?と気づいた。数年に一度はあるが、
何時も直ぐ夢から醒めてしまうが今回は違った。その物語こうだ。新潟駅前の
何処かの店に入って何か頼むが、忙しいのか取り合ってくれない。何か変だと、
店外に出ると、そこは目的先ではなく別の店。仕方がないと、他の店に入るが、
そこには誰もいない。そこで駅に向かうが、ポケットに長岡の帰りの切符がない。
もしかしたら車で来たのかと引き返し見渡すが自動車がない。また再び駅前の
広場に戻りながら、これは夢では?と気づくが現実感が強い。そこで、駅前の
広場を改めて見るが、嫌にリアルの光景。よく見ると、最近できた再開発ビルが、
見あたらない。これは、20~30年前の駅前の光景! そう改めて見直すと、
鮮明な光景が急に曖昧になる。よくあるケース。せっかく夢なら、駅内の
店で美味しいものを食べてやれと階段を上がりかけたところで、目が醒めた。
  * 最近、記憶術を少しずつ身につけている
 このところ遊び気分で、長年、苦手にしていた記憶法を試している。
図書館から何回も『一年で全米記憶力チャンピオンに』を借りてきて、読み返し
ながら記憶訓練をしているが、これが段々、面白くなっている。基本は位置法で、
まず10ヶ所の家の中や、街中のイメージを焼き付け、そこに記憶すべきものを
置いていく。もう一つが、数字を4桁に区切り、身近なモノの値段にしてしまう。
9桁や13桁の最後の端数は、一円を+として、それに付け加える。
7桁の場合は、マイナス一円。39885269なら、3980円+8円の、
いま着ているジャケットに。ズボンが5260円+9円にする。問題は、
値札にその値段をすり込んでイメージする。意味付けをしていることになる。
もう一つは、よく通販のコマーシャルで数字をメロデーですること。
「三九八八♯の、五二六九♭~~」これを何度か繰り返すと良い。
遊びとしては手軽で面白い!次に思いついた7893の4251、確か憶えた
と思ったが・・ で、二回目に間違いなく憶えてしまった。
で、上記の二つは当然、脳に焼きついてしまった。
・・・・・・
4344, 感動すると疲れない
2013年02月06日(水)
「感動すると疲れない」何気なくネットで見つけた写真にあった言葉。
疲れないというより、疲れがとれる、という方が本当だろう? 事業の立ち
上げと清算を幾つか経験してきたが、創業を達成した感動は疲れの全てを
取りのぞいてくれた。希望を目的に即し目標をたて、具体的計画にし実行する。
自分の持っている全てを叩きつけたからこそ得ることが出来る心の奥の達成感。
成功すればこそだが何事にも変えがたい感動がある。それは創業だけでない。
今回の清算?も、淡々と終えることが出来たこともあり、厳しいが感動もの。
準備15年、創業以来30年の会社を潰すのも、事業の一環。愛した会社の
最期の看取りも、雲の上から見ている自分がいた。謹慎期間二年が近づいたが、
一連の疲れが取れたかというと、実感として半分。まだ45年分の疲れが
残っているようだ。ただ緊張感の蓄積からくる軽い神経失調症的な症状は、
ほぼ無くなった。これをとるには感動体験を更に積み上げること。
秘境旅行で大きな感動に出会うと、旅路の疲れが逆に、心地よいものに転換する。 
事業も同じ。立ち上げが上首尾に終わりホッとした時に起こる心の奥の感動で、
既に元を取っている。そのため事業清算をしても、後悔の念は全く生じようが
なかった。それは経験してみないと分からないこと。その辺の人が想像する
挫折感とは違う創業者の強みがある。感動と、その蓄積は、魂の財産になる。 
私の人生で、「感動」の場面には恵まれていた。感動は、求めれば与えられる。
絶望も感動も、多く味わった者が豊かな収穫を得ることが出来る。
 ーところで、感激と感動の違いを検索してみると、
【「感動」は、心が物事を受けとめて深く動かされること。多数の人が一度に
 感じるときに、「感動の名演技」のようにも使う。「感激」は、物事に触れて
激しく心が動かされ、なんらかの形で外に表われ出るような場合に多くいう。
かなり感情的で個人的な場面が多い。】とあった。私は、心が動かされることを
感激、魂が動かされることを感動と解釈していた。「感謝、感激、感動」 
体験には、人生の大きな秘儀がある。 同じ人生なら、可能な限り、これを
味わなければ生きている意味(価値)がない。味わった価値は、あの世に持って
いける唯一のもの。それも三日も経てば、全て同じこと。生きているうち感動を
積み味わうことしかない。手っ取り早いのが「シネマ」。そしてTVの映画などだが、
実際の経験には当然、劣る。が、それでも・・

・・・・・・
2864, 「要約力」を要約する
2009年02月06日(金)

     * 「要約力」         ー読書日記

 あらためて「要約力」という視点でみると、この随想日記は要約日記と言い換える
 ことも出来る。毎日の学びや読書や思いなどの痕跡を文章で「要約」して遺すことである。
 8年間、欠かさず書き続けたために「要約力」がついたことは間違いない。
 この「要約」の力を一般の人は持っていないようだ。 決断の場面が少ないのだろう。
 決断をする時に、何度も、対象を要約して冷静に見つめる作業の繰り返しが必要だからだ。
  ここで
 「情報の要点をつかんで手短に集約し、かつ全体像をしっかり理解すること」
 「要約」という作業を「正しく効率的にできる能力」と「要約力」と定義した上で、
 「要約力とは情報を論理的に把握する能力であり、自分の考えや意見を論理的に構成し、
  表現する能力」
  としている。
 -要約には1.ストックと2.フローと分け、
 1.は情報の圧縮。 2.が目的に応じて整理・統合され強化されたものと分類し、
  要約カプセルと名づけている。
   -要約力強化には要約メモの習慣を勧めている。
  「要約」のポイントとして
  要約すべきところを箇条書きにして(50字以下.箇条書 10項目以下)
  前後の因果関係・相互関係から全体の文脈が見えるようにするのが良いようだ。
 更に印象に残った部分を抜粋すると
 ・要点という「点」を、論理という「線」でつないで全体像を理解すること
 ・記録力には感想力と要約力があるが、どちらもバランスのとれた人間形成のために必要
  感想力は、自分の思いや情緒を表現する「個性を感情面で育てる力」です。
 ・真の意味で要約力の高い人とは、必要なものを瞬時に抜き出し、統合することができる
 ・要約情報とは、連想や関連づけなど同時並行的な思考から生み出される情報の
  エッセンスとし
 ・要約思考を呼び起こすきっかけワードとは「なぜだろう?」「そういえば…」
  「とどのつまりは…」「でも、本当にそうなの?」「なるほど」
 ・ビジネスでは「起承転結」が「起結承転」になる
 ・共感意識は、要約に欠かせない「もう1つの視点」をつくる
 ・自分自身の感情にネーミングしてみる
 
 5分位の要点読みをして概略を把握、仮説要約をした上で、各論に入るのが
 速読法にあるが、これは訓練と習慣で身につけることが出来る。 
   要約は「20対80の法則」ということだ。

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2008年02月06日(水)
2499, 無くてはならぬもの -7
  Ⅴ 一度だけの人生  ―どこに根を張るかー  ~2

P-197
私たちは子供に向かって、「大きくなったら何になるか」と聞くが、それはよくない。
「何をするか」ということを問題にすべきである。
自分の職業を選ぶかということは、つまり自分の人生で何をするかを選ぶことである。
自分は何をするかを選んでから、どういう学問をするかを選ぶべきである。
一流大学でなければいいところに就職できない、など寒々しい気持ちで進学をしてほしくない。
自分が何かをしたいと決めて、そして、あの先生を決め、そして大学を決めてほしい。
あなたの人生で何をするかということは、世間や親が決めてくれることではない。
どこまでも貴方が決めることである。
 解)ここで著者は、意志、志をまず持ってから学問を目指すべきと言っている。
 学問は、その意志ー目指すべき人生を学ぶことでもあるから、一概には言えない!、
 それでも、目指すべき人生は何か?を学びたいという意志も、学問の効果になる。
 
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P-206
 *人生に意味をもて 
生きることに希望を持ってない現代人は、また人生に意味を感じられなくなっているように
思われる。意味がないから、生きることがたいくつなんだ。これほど忙しさを売物にしながら、
これほど人間が生きることに退屈している時代はなかった。
人間が人間であるゆえんは意味のない生活には耐えることができないことにあるのではないか。
耐えることができなくなると、それから逃げ出したいという欲求にかりたてられるのである。
・・・私もまたしばしば現実のさまざまな苦しみにうちひしがれることがある。しかし、
私はもはや人生に絶望しないであろう。「生きよ」と私をうながしてやまない声があるのだ。
祈りを通して、答えてくれる声である。祈るとき私はイエス・キリストの前に立つ。
祈るときキリストは私の前に立ちたまう。私は独りではない。
人生に意味を失っている友のうち、キリストが私に与えてくれるひとりの友のそばによって、
「生きよ」という力強い声を伝いたいのである。
解)「生きよ」という言葉! それは知識を持ってしまった人間に対し、神を信じろ
 という言葉に等しい。その人によるのだろうが、やはり神しかないのだろうか?
 40年近く前の文章だが、現在の社会に対する警告が深く含まれている。

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2007年02月06日(火)
2135, 時間についての一考察 -2

        b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
 前回につづき「今ここ」について、「哲学はこんなふうに」(スポン)の中の『第10章:時間』
 から更に書き出しながら考えてみよう。時間は「自分」を考える上で意味が深い。
 直感としての瞬間としての、「今ここ」の垂直に立ち上がる、永遠を考えると奥行が深い!

  ーーーーー
現在がすべてだというのに、我々は現在の外に出ることが出来るのだろうか?
精神でさえも現在に属しているというのに、どうして我々がそんなことを望むのだろう?
人生は、我われを脅かす運命や猛獣のように、未来の中に潜んでいるわけではない。
天国や約束のように天空の中に隠されているわけでもなく、
牢や檻の中にあるような過去の中に閉じ込められているわけではない。

我われの人生はいまここにあるのであり、いま現にあなたが生き、おこなっている当の
ものであり、存在のただ中にー現実として生きていることの果てしない嵐の中にーあるのだ。
セネカによれば、「生きることにとっての最大の障害は、期待を持つことだ。
・・将来のことすべては、不確実の領分に属している。いますぐに生きるべきだ」

今日を楽しめ!ということなのだろうか?それだけでは足りない。
日々は過ぎていき、一日たりとも残りはしないのだから。 むしろ現在を楽しむことだ。
現在は変わりながらも連続しているのだから。だから、永遠を楽しめ! それは瞬間を生きる
ということなのか? そんなことはない。瞬間のうちで、試験の準備をしたり、休日の計画を
たてたり、約束を守ったり、友情や愛情を築きあげることはことなどできるわけがない。

では、現在を生きるということなのか?それがただ一つの道なのだ。
未来において、はたらいたり、楽しんだり、やりくりしたり、愛したりできるはずもない。
現在だけが行為の唯一の場であり、思考の唯一の場であり、記憶と期待との唯一の場である。
それがカイロス(好機、行為すべき時)であり、あるいはカイロスとしての世界である。

存在が時間の中にあるのではない。存在が持続するからこと時間があるのだ。
現在を生きるということは、どういうことなのだろう? たんに真実に生きるということだ。 
我われはすでにその王国中にいる。永遠、それがいまなのだ。
  ーー
  
「いま・ここ、それ以外何もない、そして、たんに現在を真実に生きること」ということだ。
そうすると、誠実に純粋に生きるということが最も大事なことになる。それが永遠の命を得るということだ。
「亡くなった人に会えなくなる!というが、それは未来の期待である。
確かに会えなくなるのは事実だが、しかし亡くなる前よりいま・ここでは、自分の心の中では深くなっている」と、
以前書いたが、いま・ここ、という時間を考えると、その意味が理解できるようだ。
 
  我われの生きている数十年など、宇宙時間から考えれば一瞬でしかない。
  それなら、50年前の一瞬と、いま・ここの一瞬と同じことではないか!
  もし30年前の「いま・ここ」に大きな感動をしていた時と、いま・現在にボ~ッとしていたら、
  どちらの時間として存在しているのだろう。永遠へつながる瞬間をやはり求め続けなくてはならない!
  ということ。  それがカラオケで遊んでいる瞬間としても!誠実にその時間を楽しんでいるという
  意味で、何ごとも一期一会である。それぞれの時が永遠である!

  「現在だけが、存在している」だから、その時間を濃くしなくては!現在は永遠の旅人である。
  で、出来ちゃった婚で、その結果 離婚?アフォ!次元の低い事例を出すな、まったくもう!
                   (゚∇^*)ホンジャ、バイバイ! ♪~
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2006年02月06日(月)
1770, 閑話小題  才ノヽヨーφ(・ω・`)

ー倒産にみる地域性

倒産時の経営者に、それぞれ地域特徴があるという。
新潟県中越圏レベルの話になるが、長岡は倒産すると弁護士のところへ飛び込む、柏崎は夜逃げ、
銀行に融資を断られた帰りに首吊りか近くの川に投身自殺、三条・燕は昔から日常茶飯事で慣れたもの、
平然となすがままという。倒産は借金が絡むので、それぞれが生々しく生き死にの線上の残酷な事態になる。
身辺で何人も生々しいのを見ている。問題に直面しないで、最後まで逃げ回るから傷口が深くなる。
´・ω・`)_且~~茶 イカガ?

最近のネット上のキーワードにWeb2.0がある。数年前からはっきりと兆候を見せ始めている、
「新世代のWeb上の環境のこと」である。この環境変化を呼び込んだのはBlogやSNSGoogleAmazon
などの巨大ネット企業の数年来の行動の結果、でてきた環境である。
大枠の意味合いとしては、Web1.0の静的なWebや、Web1.5のサイトの独立性が高い
ダイナミックなWebとは異なり、サーバやコンテンツ同士がシームレスに連動され、
インターネットが社会的なネットワークとして動作する環境をいう。
調べても、これがweb2.0と言い切っているものはないが。 私の解釈でいうと、
「住宅にたとえると、これまでは都市計画もなしにそれぞれが勝手に建てていたものが、
自然発生的に都市計画が作られつつあり、マンションや高級住宅になり、それぞれ情報システムが
整ってきた状態」という喩えは、どうだろう。問題意識を持ち、コンセプトを確立してキーワード
を打ち込めば、一瞬にして膨大な情報が簡単に手に入る環境が整備されてきている。現在、薄型TVが
家庭に雪崩れこんでいるが、これに光ファイバーが連結されると多様な情報が家庭から取り込むこと
が可能になってきた。 面白い時代になったものだ!
                  Byeヾ(;ω;)Bye
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2005年02月06日(日)
1405, まよったときは運命を信じなさいー3
 -三つの部屋の物語ー

寝る前に「迷ったときは運命を信じなさい」の光のトレーニングをして半月以上になる。
以来、夢が次から次に出てくる。現在抱えている問題や過去が、夢の形で迫ってくる。
心の奥に閉まってある問題が、現在の問題と何らかの形で繋がって短編の物語になっている。
人生、59年も生きていれば、多くのことがある。 今まで袋に入れて、入り口を紐でしっかりと
縛って出さないようにしてきたが、過去の日記を書いたり、本を読み込むうちに溢れ出始めたのだろう。
そして傷口が傷むのだ。怒りは見えない形での傷口の悲鳴の変形ではないだろうか。
怒りは、その傷口からの叫びなのか。潜在意識とは、つくづく複雑で深いものである。
心理療法の映画を見ていると、心理カウンセラーが心の傷を探して、
その傷口を治療するプロセスを面白おかしくストーリーにしてある。
「迷ったときは運命を信じなさい」の中のギリシャ神話の神の「光りのイメージト・レーニング」は、
自分の原型探しの他に、自らが光りのイメージになることが、癒しにとってリアルで驚くほど効果的。
ところで、私のストーリーをつくってみたくなった。 私の心象風景でもある。

 ーー
ー三つの部屋の物語ー

地下へのトンネルのあった家から一度出て歩いていると、古びたレンガつくりの田舎風なホテルがあった。
そこで、そのホテルに泊ることにした。何か魂が休まるような感じのよいホテルである。
案内されたホテルの部屋は思いのほか広い。見渡すと隣の部屋へのドアがあった。
家族連れなど大人数の為に二室を使う時のドアである。そのドアが半ば開いていた。
中を見ると小さいスペースがあり、光り輝いていた。一歩入ると、自らが光りになったような感じになった。
そして更に三室のドアがあり、それぞれの部屋の名前が書いてあった。
「未来の貴方の部屋」「亡くなった縁故者の部屋」「無限宇宙空間の部屋」そこで先ず「未来の貴方の部屋」に
入ってみた。何と10年後の私と、20年後の私と、生まれる前から亡くなった後も包み込んでいる私が立っていた。
先ず10年後の私が、肩に手をかけてソファーに優しく導いてくれた。そこで、緊張をしている私に向かって、
にこやかに話し始めた。彼は、「これから先の貴方の10年間を全て経験してきた」。そして、慈愛の目で
私の心の奥を覗き見るようにみて、「私を知りたかったら、十年前の自分を見つめなおしている今の貴方が、
そのまま私である」と、語りかけてきた。
                 ー づづく
・・・・・・・
2004年02月06日(金)
1038、「わたしは悪い不動産屋」-2

以下の内容は、この本の書評というより、仕事で不動産にかかわってきた私の目から見た不動産業に
対する批判と知識である。この本を読む限り、不動産屋とかマンション屋は全て悪徳のように思えるが、
実際はそうではない。真面目な不動産屋が大部分である。しかし、20㌫?は悪徳に近い。80対20の法則がここ
でも当てはめることができる。その20㌫が80㌫の悪さをする。しかし、それを素人は見抜けるわけがない。
80㌫の善良の不動産屋にも20㌫の悪徳要素が含まれていると考えた方がよい。
完全な物件は無い、それをよい部分だけを誇張していまうのだ。
知り合いに面白い善意の不動産屋がいる。自分は何もそれが彼の仕事である。
ところが、それを親しい人間にも、それをしている。そのことを自分で全く解ってない。
純粋で、善意で、無意識で、人間の瑕疵をさがしてしまている自分に気が付いてない。
その瑕疵を純粋に相手を変えて言ってしまう。悪意なしの無意識の世界の恐ろしさの深さがある。
ー商売性格形成論を今度かいてみよう。
不動産業の業よりも、誰もが持っている人間の業であるが。人間は誰も善意の悪党の要素を多く含んでいる。
人間論になってしまった。まあ他人事でない。違うカタチで自分の生き方で、同じことをしていたのだろう。
生きるということは、こういうことなのだろう。純粋性の恐ろしさと、深さがある。
不動産屋は、なるべく相場より安く値づけをして早く商売を成立させたい。
その為に対象のケチとあら捜しをするのが習性になっている。不動産取引は、情報の売り買いである。
長期物件の売買で生きていく糧を長年かけて網を張っていく世界だ。蜘蛛の巣に情報がかかってくるのを
待つ商売である。少しマイナスの視点で書いているが、それだけ深い世界ということだ。
そして無くてはならないビジネスである。不動産屋をみていると、それぞれの個性がある。
野球のバッターに例えると
・バント専門
・ヒットバッター
・ホームランバッター
・代打専門と、それぞれの特性がある。
・バントは、アパートなどの仲介を中心に扱う
・ヒットは、マンションや住宅の売買を得意とする
・ホームランは億単位のビルの取引を狙う1発屋
・代打は、そういう情報を得て、長期物件に不得意の人に代わりに時間をかけて
 得点を得るために三割~半額をもらうことを裏契約をして共同作戦をする人
  等々、生臭い情報を探し求めて利益を探しだす世界である。
 自分を、その世界にサラシテ生きてきたからよく解るのだ。 
トンビという仕事もある。事務所を持たないで、情報を売り買いしているハイエナ的な仕事。
饅頭のアンコという言葉もある、情報のやり取りで利益を分け合うのだ。
                   ー つづく
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2003年02月06日(木)
673, 笑点

毎日新聞で,毎週日曜日の夕方のTV演芸番組の「笑点」を特集していた。
ー要点を書くと
・1966年から37年近い長寿番組である。
・16㌫の視聴率をコンスタントに上げ,時に20㌫を越す人気番組だ。
・過去に初代が立川談志、2代目が前田武彦、3代目が南伸介、4代目が20年前から現在の三遊亭円楽
・この大喜利には9人の構成作家がいる。持ち寄った100問を2週分の収録として6問まで絞り込んむ。
「旬の話題」と「同じ問題はやらない」がモットーだという。
 問題とその解答を同時に考えるという。 軽妙に答えているが、全て作家の創ったものだ。
・映画の寅さんのマンネリズムを逆手に魅力にしているという。
・長寿の秘訣は「腹8分目の姿勢」である。
(字数の関係でカット 2009年02月06日)
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2002年02月06日(水)
323,ある時間の断片-1

ロッコマラケシュで、
夜半ホテルより馬車に乗り中心街の「ジャマ・エル・フナ広場」に行った時の話。
4人のりの馬車に一緒にのったのが、同じグループの母娘であった。
母親は少し初老性のボケ?が入っていたか、もしくは「元お姫様」
ではという感じの品のよい人で、一人興奮してか話しまくっていた。
その話しが面白い!といって今回の観光のピークの場面。
その街の景色が素晴らしいのに、どっちに気持ちを集中してよいのか本当に迷ってしまった。
世界的に知られている「マラケシュの街並み」も素晴らしいが、その人の話しも面白いのだ!
私はマラケシュの街並みの方をとる。それは座る場所で決まるのだ。
家内はその話の聞き役をとった為、街並みは殆ど見れなかったという。
その内容とは
ー自分の亭主は日航の機長であった。以前羽田で精神症で大事故をおこした?機長と同期。
実を言うと自分の亭主が高所恐怖症。誰も知らない秘密を私だけがしっていた。
「屋根の修理で震えていた」のを見てしまった。本人に聞いたら「実をいうとそうだ!」と答えた。
こういう話がそのベストタイムに続くのだ、よりにもよってその時間に!
そのTPOSで聞くから、その話が更に面白い!家内は笑いっぱなし!
それに劣らず、その夜景が素晴らしい。まさしく小説の世界、いや映画の世界といってよかった。
同行の娘が傍でハラハラしているのが、手に取るようにわかる。母の世話に全神経を帰国するまで使っていた。
  ネタはツキマセン! このての話しなら!

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2月6日  1969年

産関論の試験は、まあまあよかった。途中で、クラブの仲間の小林(仮名)とバッタリであう。
茶店で、彼と話す。何かチグハグでかみ合わない。ここで司法試験に挑戦をすることにしたとか。
ここにきて、思いつきで受かるほど甘いものではない。動機が浅いのが私でも解るのに。
本人は、その甘さを指摘されたことが気に障ったようだ。
8日に、再び会うことを約束をする。私の寮に来るという。
クラブで親しかったが、これも最後になるだろう。親父が不動産屋で、
取引の何かがあって刑務所に入っているとか。どういうことか解らない。