‘ブラック・スワン’のキーワードを目にして、以前、テーマにしたことを
思いだしHP内検索をしたところ、5年前の文章が出てきた。当時は、北朝鮮問題
は今ほど深刻化でなかった。 一年数ヶ月前の2011年11月に父親の金正日が死去。
権力継承から日が浅く、ここまで緊迫した事態になろうとは思いもよらなかった。
このテーマを書いてから5年、開戦前夜の緊迫感が漂い、ブラック・スワン
「第二次朝鮮戦争」)の鳴声がチラホラ生生しく…。鳴声は幻聴か?と耳を疑い
聞こえぬ素振り。『まさか朝鮮半島と、日本と合わせて数百万人単位の犠牲者が
出る核戦争が起きるわけがない』が、本心だろう。しかし、72年前に、広島、
長崎に原爆が投下され数十万の市民が爆殺された。太平洋戦争では市民を含め
300万人が犠牲になった。 悪いことに、去年、ロシアの?で、白人第一主義の
トランプ大統領が就任。そこに北朝鮮が核開発とミサイルの実験で挑発。
ダメ押しで第三国が開戦のキッカケの謀略でも仕掛ければ!凄惨な核戦争勃発も
充分に有り得る話。正月に首都圏から帰省した次男に、『万一の場合は、疎開
として迷わず、ここに向かいなさい。』と進言。50年近く前は、ドルショックと、
石油ショックが起き。20数年前にはバブルと、その崩壊で日米経済戦争に敗れた。
そして2001年の9:11テロと、報復のアフガンとイラク戦争。2008年のリーマン
ショックと、東北大震と福島第二原発事故が起こった。そして全国各地で地震
火山噴火が相次いでいる。その流れからして、朝鮮有事があっても不思議でない。 
 こうなると、‘ブラック・スワン’と呼べないかも。 ここで、
< 毎日たんまり餌をもらって暮らしていた経験主義的な七面鳥は、
「世界は気前よく餌をくれる人間でいっぱいだ」という世界観を抱く>と。
 ある朝、起きて開戦勃発を知った数日後に、それまでの世界が一変する。
去年の一年間で、北朝鮮の難破船、いや魚舟が100数舟も死体とともに漂着した。
ミサイルを日本上空を超えて何度も打込み、「東京を火の海にする!」と恫喝。
5年前とは全く違った状況に。一年後の正月明けの今日、どんな状況で、この
文章を読むことになるのだろう。 「その前に、病死の心配しろ!」ですか。
―――――
4381, ブラック・スワン −1
2013年03月15日(金)
         「ブラック・スワン ―不確実性とリスクの本質」
                   ナシーム・ニコラス・タレブ
 衝撃的で、世界の見方は一変しなくとも大きく変わるはず。近くに数羽、
来ているが、何の化身か分からない。とてつも恐ろしそうなのは分かるが…
 人間など儚いもの。 ーまずは、アマゾンのないよう説明からー
■「ブラック・スワン(黒い白鳥)」とは何か?
 むかし西洋では、白鳥と言えば白いものと決まっていた。そのことを疑う者
など一人もいなかった。ところがオーストラリア大陸の発見によって、かの地
には黒い白鳥がいることがわかった。 白鳥は白いという常識は、この新しい
発見によって覆ってしまった。「ブラック・スワン」は、この逸話に由来する。 
ほとんどありえない事象、誰も予想しなかった事象の意味である。
タレブによれば、「ブラック・スワン」には三つの特徴がある。
 一つは予測できないこと。 二つ目は非常に強いインパクトをもたらすこと。
三つ目は、いったん起きてしまうと、いかにもそれらしい説明がなされ、実際
よりも偶然には見えなくなったり、最初からわかっていたような気にさせられ
たりする。
■ 世界の見方を変える書
 私たちは自分で思っているほど実際には物事をよくわかっていない、とタレブ
は言う。彼はそんな現象を長年研究してきた。私たちはどうでもよくて取るに
足らないことにばかり気をとられてしまう。そして相変わらず重大な事件に虚を
つかれ、そんな事件が私たちの世界を形づくっていく。本書でタレブは、私たち
にはわかっていないとわかっていることのすべてを語る。
ブラック・スワン」に立向かい、それを利用できる驚くほど簡単な方法を提示。  
 ーまずは、レビューよりー
≪ ブラック・スワンが象徴するのは、理論というものを「検証」することは
 非常に難しく、「反証」することは非常にたやすい、ということ。我々は常に
ブラック・スワンを発見してからしか、ブラック・スワンを含む理論を作れない。
サブプライム問題に代表されるような、ファイナンス理論が想定していない事態
は、そもそも理論で管理することが不可能なこと!金融論や投資理論を少し聞き
かじると、リスク、期待値、確率、変動率などわかった気になる。
しかし、そうした業界で議論されているリスクとはカジノゲームと同じで計測
できるリスクに過ぎず、私たちが現実に直面する現実は、計測自体不可能な
不確実性の方が圧倒的に多い。そしてちょっと判った気になった程度が、実は
一番危険だと本書は教えてくれる。「黒い白鳥」とは極めて稀な出来事の象徴。 
一羽の黒い白鳥が舞い降りただけで、それまですべてのことが崩壊する。
しかも、世間は判りやすい講釈のついた黒い白鳥には過剰反応する一方で、講釈
になじまない黒い白鳥の存在可能性は無視される。それが重大な結果をもたらす
にも関わらずだ。毎日たんまり餌をもらって暮らしていた経験主義的な七面鳥
「世界は気前よく餌をくれる人間でいっぱいだ」という世界観を抱く。ただし、
その経験主義的な七面鳥の世界観は感謝祭の前日に崩壊する。限定された経験
から安易に結論を導き出すことへの警鐘。たしかに、今回の金融危機で沢山の
七面鳥が悲鳴を上げたことは間違いない。≫
▼ 9・11、リーマンショック、3・11は、ブラック・スワンそのもの。
 「まさか」の出来事で、起こって初めて気づくこと。これは、このような
 歴史的大事件だけでなく、日常の中の出来事で多く見られる。 だから、
人生は面白く、刺激に満ちている。
―――――
2013/03/16
ブラック・スワン ー2
         「ブラック・スワン ―不確実性とリスクの本質」
                  ナシーム・ニコラス・タレブ
  書店で数年前から何度か手に取ったが買わなかった。 が、衝撃的で、
世界の見方は一変しなくとも変わるはず。どうも、近くに数羽、来ているよう
だが、「何の化身」か今のところ分からない。人間など儚いものである。
  ーまずは、アマゾンのないよう説明からー
■「ブラック・スワン(黒い白鳥)」とは何か?
 むかし西洋では、白鳥と言えば白いものと決まっていた。そのことを疑う者
など一人もいなかった。ところがオーストラリア大陸の発見によって、かの地
には黒い白鳥がいることがわかった。 白鳥は白いという常識は、この新しい
発見によって覆ってしまった。「ブラック・スワン」とは、この逸話に由来する。 
ほとんどありえない事象、 誰も予想しなかった事象の意味である。タレブに
よれば、「ブラック・スワン」には三つの特徴がある。一つは予測できないこと。
二つ目は非常に強いインパクトをもたらすこと。そして三つ目は、いったん
起きてしまうと、いかにもそれらしい説明がなされ、実際よりも偶然には見え
なくなったり、最初からわかっていたような気にさせられたりする。
■ 世界の見方を変える書
 私たちは自分で思っているほど実際には物事をよくわかっていない、と著者
は言う。彼はそんな現象を長年研究してきた。 私たちはどうでもよくて取る
に足らないことにばかり気をとられてしまう。そして相変わらず重大な事件に
虚をつかれ、そんな事件が私たちの世界を形づくっていく。本書でタレブは、
私たちにはわかっていないとわかっていることのすべてを語る。
ブラック・スワン」に立向かい、それを利用できる驚くほど簡単な方法を提示。  
ーまずは、レビューよりー
≪ ブラック・スワンが象徴するのは、理論というものを「検証」することは
非常に難しく、「反証」することは非常にたやすい、ということ。我々は常に
ブラック・スワンを発見してからしか、ブラック・スワンを含む理論を作れない。
サブプライム問題に代表されるような、ファイナンス理論が想定していない事態
は、そもそも理論で管理することが不可能なこと!金融論や投資理論を少し
聞きかじると、リスク、期待値、確率、変動率などわかった気になる。
しかし、そうした業界で議論されているリスクとはカジノゲームと同じで計測
できるリスクに過ぎず、私たちが現実に直面する現実は、計測自体不可能な
不確実性の方が圧倒的に多い。そしてちょっと判った気になった程度が、実は
一番危険だと本書は教えてくれる。「黒い白鳥」とは極めて稀な出来事の象徴。 
 <一羽の黒い白鳥が舞い降りただけで、それまですべてのことが崩壊する>
しかも、世間は判りやすい講釈のついた黒い白鳥には過剰反応する一方で、
講釈になじまない黒い白鳥の存在可能性は無視される。それが重大な結果を
もたらすにも関わらずだ。毎日たんまり餌をもらって暮らしていた経験主義的な
七面鳥は「世界は気前よく餌をくれる人間でいっぱいだ」という世界観を抱く。
ただし、その経験主義的な七面鳥の世界観は感謝祭の前日に崩壊する。
限定された経験から安易に結論を導き出すことへの警鐘。たしかに、今回の
金融危機で沢山の七面鳥が悲鳴を上げたことは間違いない。≫
▼ 9・11、リーマンショック、東北地震3・11は、ブラック・スワンそのもの。
「まさか」の出来事で、起こって初めて気づくこと。 これは、このような
歴史的大事件だけでなく、日常の中の出来事で多く見られる。だから、人生は
面白く、刺激に満ちている。
―――――
ブラック・スワン ー3
2013/03/24
        「ブラック・スワン ―不確実性とリスクの本質」
                   ナシーム・ニコラス・タレブ
  * 2023年までに予測されるブラック・スワンは?
 これから10年後の2023年までに予測されるブラック・スワンは、何だろう。
大雑把でいえば世界恐慌と大戦。今世紀に入って13年になるが、9・11テロ、
リーマンショック、3・11に代表される多くの黒鳥が、舞い降りてきた。 
さらに、その黒鳥の仲間が近くに来ているが、いつ舞い降りるのか分からない。 
地震などの天変地異、経済動乱、戦争が何かのキッカケで突然起ことになる。
しかし、恐れていては何も出来はしなし、あとは備えをするしかない。
ブラック・スワンは、歴史的大事件だけでなく、身辺の出来事にも起こっている。 
人生はマサカという形で、ある日、突然に、我われに襲いかかる。特に断絶の
境目には起きやすい。情報機器の進化は、とどまることなく進化し、情報や知識
は大量に私たちに押し寄せ、それがブラック・スワンを呼び寄せる(天変地異
を除くが)。これだけは、来てみて初めて分かること。
1〜2年スパンでは、イランの核施設へのイスラエル攻撃。それと欧州危機と
破綻か、分裂か、朝鮮戦争の勃発あたりか。地震か富士山噴火も考えられる。
「まさか」だから、こう書いていること以上のことが起こるはず。10年前に、
現在まで舞い降りてきた黒鳥を想像できようはずがない。昨日、シネマで「相棒」
の劇場版をみてきた。《殺人事件の背後に、官僚と政治家による銀行閉鎖の
「X−day」のネット上での暴露が隠されていた…》というリアルな脚本。
数日前にキプロスで銀行閉鎖があったこともあり、現実味がある切実な問題。
明日にでも、ここで書くが、アベノミクスの批判とも受け取れる内容。
意図的にハイパーインフレを起こし、銀行閉鎖を? ウソでないから恐ろしい。
ある日を境に、黒鳥が一定の間隔を保ちながら、次々と舞い降りてくる。
今世紀に入って現在に至るまで、舞い降りてきた黒鳥ように。

・・・・・・・
3957, 他人を責める「新型うつ」について ー3
2012年01月25日(水)
 * うつ病患者と自殺の異常増加の原因とは    
      ー日本の論点2012ー 他人を責める「新型うつ」片田珠美
 このレポートで「増加の一途のうつ病患者」について、次のようにある。
≪ 国内のうつ病の患者数は、1996年には43万人程度だったのが、2008年には
100万人を超え、いまや15人に1人が、生涯に一度はうつ病を経験するという。
うつ病の増加は、日本だけでなく世界的な傾向である。1970〜80年にかけて
おこなわれたコロンビア大学による世界各地の疫学調査では、北米.西欧州、
中東、アジアなどの各国すべてで、うつ病が増えているとの結果がでている。
アメリカでは年間2000万人がうつ病にかかり、全米保健統計センターの調査で、
1994年には2万人程度だった子どものうつ病が、03年には80万人と、なんと
40倍に増加したと報告されている。 ・・・≫
▼この異常の増加には、製薬会社の陰謀?があるようだ。DSMという米国流診断
基準が大きく影響しているという。「うつ病とは何か」を考えることをいったん
止めて、「うつ病とは、これこれといういうもののこと」と勝手に定義をして、
その基準にあわせて、それまで病気でないものを、どんどん、「うつ病」に
仕立て上げていった。要するに、うつ病の基準を広げ裾野が広まったための増加。 
それと時を同じくしてSSRIという抗鬱剤の新薬が販売された。ちょっとした
落ち込みでも「うつ」でないかと、直ぐに受診する人が増え、この薬を飲む人
が急増していった。「うつは心の風邪」というキャッチフレーズは、この新薬の
発売にあわせて広められたもの。しかし、この薬が普及するにつれ、自殺者の
数が爆発的に増えていった。実は、この薬は自殺念慮を惹起させる副作用
があるという。また、イライラや攻撃性が強くなる作用があるという。
ある温和な人が突然、狂ったように人の陰口をいっている現場を見たことが
あるが、あれは薬の作用だった?とすると、納得する。ハッピードラッグの
副作用も、一つ間違うと大きな挫折を伴うことになる。私も何人もの身近の人に、
気楽に通院を勧めていたが、ハッピードラッグの副作用までは知らなかった。
合法的とはいえ、ドラッグはドラッグ。 考えてみれば酒も一種の麻薬の類。
これもハッピーウォーターになる。疲れや心を癒すが、一つ間違えればアル中。 
うつを和らげるが、身体に蓄積していく。
・・・・・・
5064,あわいの力 ー?
2015年01月25日(日)
         ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著)
   * シテの「あわい」の役割
 夜八時に就寝し、午前一時には目が覚め、四時に起床するまでは朦朧とした
半睡状態。そこは無意識という異界と、現実の間を漂う「あわい」の世界。
そして起床、この随想日記の書上げをしている。 まずは〜アマゾンの案内〜
《 古代人には「心」がなかった―― 「心」が生まれて3000年。
「心の時代」と言われる現代、自殺や精神疾患の増加が象徴的に示すように、
人類は自らがつくり出した「心」の副作用に押し潰されようとしている。
そろそろ、「心」に代わる何かが生まれてくるのではないか?
 シュメール語、甲骨文字、聖書、短歌、俳句・・・。
古今東西の「身体知」を知りつくす能楽師・安田登氏が
「心」の文字の起源から次の時代のヒントを探る。
 あっちとこっちをつなぐ不思議な力!
異界と現実の間(あわい)の存在(能におけるワキ方)であり、
古代文字の研究も重ねる著者が、まったく新しい時代の姿を求め、
「あわい」の世界に飛び込んだ・・・! 可能性は、「日本人の身体」にあり!? ≫
▼ 先日書いた『中の人・外の人』で(一年の間、縫いぐるみを着て外出した
 経験を持つ筆者が、縫いぐるみの「うち」「そと」の『あわい』について
書いいた。 また彼が現在、住んでいる京都のひとは、「うち」と「そと」
の使い方が絶妙であると指摘。それは内面と外面が違うという単純なことでなく、
「うち」「そと」のあわい、中間領域を共有しながら京都の暮らしは営まれて
いることを指摘する。宇宙に漂う人間の心の背景の「間」にヒントが?
この時間も、毎日書いている、この文章も、「あわい」になる。
 とすると、現実と思っている日々そのものも、「あわい」。
・・・・・・
5794,閑話小題 〜つれづれに大相撲 〜?  
2017年01月25日(水)
   * つれづれに大相撲 〜?
 何を間違えたか、稀勢の里が優勝をして横綱になった。「実力だけでは
なれないのが横綱。その一番大切な何かが稀勢の里には欠けている」と横綱
白鵬に言わせた何かが、今場所には付いたのか。それとも実力が備わったのか。 
二人の横綱が途中休場をしたことも、プラスに働いた。 父親が、「息子が横綱
になるのが気の毒だ」と言わせしめた気の弱さ優しさ。 もう直ぐ31歳の遅咲き、
3年以上は綱を張りたいのだろうが、無理? 名大関で終わる典型的な力士に見え
たが。
 そろそろ不祥事が起きる時期に入った。丁髷姿で大柄で、目立つため、公共の
場で、派手に遊べない。「谷町」も、以前のように祝儀も貰えない時節、結局、
巧妙に近づいてくるヤクザや、芸能世界の玩具にされる状況は変わらない。
   * 名前の由来
 以前、書いたことがあるが、父方の法事の隣席に、「家老」という名の風格の
ある人がいた。市会議員に、その名の人がいたようだったが… 名前が名前だけ
に印象が残っていたが、当人?。 選挙のための源氏名としては非常に有効。 
酒を酌み交すうちに、「立派な名前ですね。元は何処のご家老様ですか?」と
話を向けると、慣れたもの。 <いや、そんな大それた由来ではなく、元もとは
「螻」で、オケラと馬鹿にされるので、改名を考えた時、せっかくなら「家老」
と思い立っただけ>とのこと。 小学校の4年時に「けら写真館」の娘さんが隣席
になったことがあったが、「オケラ」などの揶揄いはなかったようだ… 
学生時代に大恋愛をして結婚をしたが、早々にガンで亡くなったと聞いていた。
 大学生時代に「小作」「渥美清」という名がいたし… 確率からして、27人
集まると一組は同じ名がいるという。名前は、ミニ物語というが。
・・・・・・
4699,末期がん、その日のための予習を ー2
2014年01月25日(土)
       ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
 余命の期間を宣言された瞬間から奈落の底に突き落とされ、独り悶えること      
になる。そこで医師による患者に対する「心の処方箋」が、この第一章にある。
人は言葉によって救われる存在。その目次の小テーマそのものが、要約された
救いの言葉。知っているかどうかが大違い・・ 三冊の愛読書と、iPodと、
好きなDVDの用意か?  シリアス過ぎる? 
   第一章 がんとの賢い暮らし方 の目次より
・日本人の2人に1人がかかる国民病 
 ー「よりによって自分だけが!」でなく、丁反の確率と割り切るしかない!
・がんになっても天寿はまっとうできる ー「ガンで死なない時代」。
  遅らせ、天寿を全うすると割り切るべし!
・がんの不安とともに暮らす時間が増えていく 
 ー長生きの負の部分と割り切るしかない!
・人間関係の悩みは病人も健康な人も同じ 
 ー病気の悩み、家庭内・職場での偏見は、健康体でも同じと割り切るべし!
・10の悩みを0ではなく7に減らす ー所詮ゼロにするのは無理なら、
  少しでも減らす算段を!その差は大きい
・不安解消には「がんを忘れる」こと、「がん」の優先順位を下げる 
 ー好きな音楽を聴く、iPodなど準備をしておく
・柔軟性は強さ、頑固は脆さ ー泣いても笑っても同じ空と、心を柔軟に
・「目下の急務」がわかれば不安はなくなる ー言残すこと、書き上げるなど・・
・未来でも過去でもなく「いま」を生きる ー分からない未来より、
  目の前にある「いま」を大事に生きる
・いい思い出は、いまの活力 ー原点に帰ることで、今を整理する
・「今日が人生最後の日」と思えばいい ー健康人も、毎日を最後と
  生きれば、怖れは減る
・死ぬのは確実、いつ死ぬかは確率 あいまいなことは、あいまいに 
  罰が当たったと思う必要はない 
・罰は荷物として背負っていけばいい ー意外な落とし穴が、過去の後悔と自責
・発症するとはかぎらない「遺伝性のがん」 ー40歳前半で家系が全て死んで
  しまう人の話、ところが当人は!60過ぎ
・「がんの家系」にまつわる誤解ー食事など環境要因のガンが7割、その他3割
・がんも「個性」のひとつ ー 一律に考えないこと 自分自身の内と割り切る    
・不安や怒りは他人との比較から生まれるー自分一人の問題(人 *) 南無阿弥陀仏
・「看板かじり」は精神的に脆い 
  ー勤め先の肩書きだけに生きないこと。別のライフワークを持つべし
・衣食住が足りればそれで良しー勤めていたら閑職に甘んじるべし割切るべし
・顔を変えれば世界が変わる ー悲観した顔は他人に見せない。
               感謝の気持ちで第三者に接すれば顔は変わる
・「大好き」の気持ちは強い武器 ー医者や患者に、まず大好きという
  気持ちを持つこと、その前に現状の肯定を
・人間関係は鏡のようなもの ゴールまでが見通せないこともある
・ふまじめも、きまじめも「ほどほど」がいい ぁゎ(ω`;))((ノ;´・ω)ノぁゎ
・ネガティブな状態からいつ抜け出すか ー良かった思い出の領域にいるよう
  意図的にコントロールする
・人生いばらの道、にもかかわらず宴会 八方塞がりでも天は開いている 
  ー地球見学に来て、そろそろ元に帰還するだけ!
▼ いずれ誰にも訪れる死神、上記を心がけて、独り静かにプッツンと逝く。
 そして、生ゴミ。 さほど遠くない近未来にこれを真剣に読み返す時期が
来ると思うと凍りつくが、とはいえ、最優先すべき知識である。゚;Д;゚;カタカ㋟
・・・・・・
5428,人生で最も大切な技術 ー? 幸福は可能か
2016年01月25日(月)
       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福は可能か
 インド独立の父 マハトマ・ガソディの以下の言葉が良い。
< 手に入れられる外的自由の大きさは、ある瞬間の成長段階で獲得済の
 内的自由の大きさに比例している。それが自由についての正しい考え方なら、
 自己の内側を変革することにエネルギーのすべてを集中すべきである。>
外的自由から、逆に内的自由を得ることも、しばしばあったが、やはり、
内的自由から入るのが順当だろう。節目を打つというのは、挫折や、成功から、
これまでのステージから次の段階への変化にエネルギーを集中すること、
外的自由から、内的自由を得るための行為と思索をいう。読書で、著者の
世界にトリップするのは内的世界の自由を得る身近な手段。また、瞑想も
しかりである。今ではTVも、インターネットもある。 〜その辺りから〜
≪ 精神的な修行は、驚くほど多くの結果をもたらす。日々わずかの時間を
 瞑想に割くだけで、精神を鍛えることができる。想像以上に多くの人たちが
通常の家庭生活を営み、仕事に励みながらこうした訓練を続けている。
このような生活態度のプラス面は、煩わしい時間のやりくりといったマイナス
面をはるかに超えている。こうした訓練を続けることで、現実的な日常生活の
中で心の変革の旅に乗りだすことができるのである。パストゥール研究所で
研究に取り組みながら、パリの生活にどっぷり漬かっていた頃、数分しか実行
しなかったにもかかわらず、毎日の瞑想は非常に有益だった。
 日々の活動の中に、芳香が漂い、これまでにない価値を見出すことになった。
ここで言う瞑想とは、単なるリラクゼーションではなく、内面に目を転じる
ことである。思考がどのようにして生まれるのかを静観し、憂うつなものも
陽気なものも、すべての思考の裏に常に潜んでいる平安、静寂、純粋な心の
様相をじっくりと見つめる作業である。それは思ったほどに複雑で難しいこと
ではない。ほんのわずかな時間を割くだけで、瞑想がもたらす効果を実感し、
結果を認識するようになる。自分の中で起こっていることを内観する、その
経験を少しずつ身につけることで、思考経路をよりよく理解するようになる。
その結果、心の毒を洗い流すコツがつかめるようになる。
 心の平和を少しでも感じられるようになれば、生気溢れる感覚の維持と煩雑
な職業を両立することが難なくこなせるようになる。同様に、心身が不安定で
不安感の強い状態(過度の自己中心としばしば関連する)から自分を開放する
ことができたとき、恐怖心は弱まり、人に対して自然に心を開き、「人智
超えた存在の気まぐれ」と呼ばれる運命に翻弄されずに、それに直面できる
ようになる。国だろうが教会だろうが、あるいは専制君主でさえも、
人々に人間性向上を義務づける権力を持たない。これは本人の意思で選択する
しかない。統計遺伝学者のルカ・キャヴァリ・スフォルツァとその息子
フランチェスコが雄弁に述べている。
【心の自由は、自分が制限するか、制限することを許した他者が制限する場合
を除けば、限界がない。その自由は偉大な力をもっている。個人を変革させ、
その能力を最大限に伸ばし、人生のあらゆる瞬間に、完全な満足感をもたらす。
個人が意識を成熟させれば、世界も変わる。なぜなら世界は個人の集合体だから。】
▼ 私にとっての午前中の読書や、ネットや、寝室や居間でみるTVドラマと
 映画も、内的世界を自由に飛びまわっていることになる。それに比例して、
外的世界が広がっていることも確かだが、瞑想で、心の内から、広大な宇宙と
つながることは、外的自由より遥かに解放されることも確かである。
・・・・・・
4332, 自己とつきあうということ −2
2013年01月25日(金)
        「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
 定年退職や失業などの節目で、戦略的引きこもり、良くいえば自己に沈潜
することが重要になる。現在の私が、そうである。枝葉を切って根を養う時。
特に老木は必要としない枝葉を思い切って落とさなければならない。
戦略的退却と判断したら、果敢に決断、実行すべきなのが人生である。
そして、人生を振り返り、己に沈潜すべきで、それから逃げては人生を狂わせる。
  * 自己への引きこもり ー人生の戦術的退却と沈潜ー
≪ スペインの哲学者オルテガ(1883〜1955)は、自己へと向かう姿勢を重視。
「自分自身への戦術的退却や慎重な思索なしに、人間的生は不可能である」。
彼は、人間は、しばしば自分から疎外されて、自分が信じているもの、
忌み嫌っているもの、大切なものがなにかを見失ってしまう危険にさらされて
いることを指摘した。 われわれひとりひとりは、唯一にして他に譲り渡す
ことのできないところの自分自身でなくなるという危険に常にさらされている。
オルテガは、そうした自己喪失から人間を救うのは戦略的に自己へと撤退
すことだと見なし、それを「注意力の転換」「内部への注目」「自己の内部に
引きこもること」といった言い方で示した。 しかし、彼が、「自己疎外」
との対比でくりかえし言及したのが「自己沈潜」である。
 それは「自己に沈潜する能力、われわれの朽ちることなき深みに静かに
ひきこもる能力」を意味する。とはいえ、自己の内部への沈潜、撤退によって、
他人や外界とのつながりを断ち切ってひきこもってしまうという姿勢が
強調されているわけではない。ひきこもるのは、「周囲についてのわれわれの
考えを検討し、そして戦術を練るために一時行動を中止」するためである。
われを忘れ、自己を疎外された人間のふるまいは、しばしば「ばかげた態度」
や「愚行」を招きやすく、「理にあわない別の態度」へと波及するがゆえに、
その連鎖を断ち切るためにこそ、沈潜が必要とされるのである。 
・・オルテガの言う、「自分自身の孤独の深みにひんぱんにひきこもらなければ
ならないという義務」はほとんどはたされていないであろう。戦略として内部に
向かう態度、自己に沈潜する態度を保持する人より、自分以外のものに拘束
され、外部へと結びつけられた態度の内で生きる人が圧倒的に多い現実のなかで、
両者の見解は時代錯誤的なものに見えないではない。しかし、生のさなかで、
生を感受し、生を考えて生きることの楽しさを味わうことを求めるとすれば、
この考え方から学ぶべきことは多いであろう。 ≫
▼ オルテガが「自己疎外」と「自己沈潜」と対比しているところが分かりやすい。
 自己疎外は自分と折り合いがつかない状態で、自己沈潜は自己疎外による愚行を
避けるために、戦略的に一時期に自分を閉じてしまうことである。そういえば、
 私の午前中の時間の使い方がそうだ。明らかに独りになり自分の世界に
沈潜している。午後からは、シネマやTVで映画をみたり、スポーツジムに
行ったり、SCで買い物をしたり、図書館で本を読んだりして、外界に触れる
ようにしている。砂時間沈潜でしかないが・・ 社会という森林の中の、
一本の木(事業)から離れ、自分自身に撤退し、自己沈潜をすることは、
人生の義務である、とすると、身に沁みて理解できる。成るほど、独り部屋で、
音楽を聴いたり、ネットサーフィンをしたり、随想日記の下書きをしている
時間が至福に思えるのは、その義務を楽しんでいるため。
社会から自分独りの世界への撤収、そして沈潜だが、浅い。

つれづれに

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  今日のYoutube

 昨日は、横殴りのような雪だったが、今朝がたの庭をみると、
 さほどの積雪はなかった。ただ、寒いこと、この上ない。





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4699,末期がん、その日のための予習を ー2
2014年01月25日(土)
       ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
 余命の期間を宣言された瞬間から奈落の底に突き落とされ、独り悶えること      
になる。そこで医師による患者に対する「心の処方箋」が、この第一章にある。
人は言葉によって救われる存在。その目次の小テーマそのものが、要約された
救いの言葉。知っているかどうかが大違い・・ 三冊の愛読書と、iPodと、
好きなDVDの用意か?  シリアス過ぎる? 
   第一章 がんとの賢い暮らし方 の目次より
・日本人の2人に1人がかかる国民病 
 ー「よりによって自分だけが!」でなく、丁反の確率と割り切るしかない!
・がんになっても天寿はまっとうできる ー「ガンで死なない時代」。
  遅らせ、天寿を全うすると割り切るべし!
・がんの不安とともに暮らす時間が増えていく 
 ー長生きの負の部分と割り切るしかない!
・人間関係の悩みは病人も健康な人も同じ 
 ー病気の悩み、家庭内・職場での偏見は、健康体でも同じと割り切るべし!
・10の悩みを0ではなく7に減らす ー所詮ゼロにするのは無理なら、
  少しでも減らす算段を!その差は大きい
・不安解消には「がんを忘れる」こと、「がん」の優先順位を下げる 
 ー好きな音楽を聴く、iPodなど準備をしておく
・柔軟性は強さ、頑固は脆さ ー泣いても笑っても同じ空と、心を柔軟に
・「目下の急務」がわかれば不安はなくなる ー言残すこと、書き上げるなど・・
・未来でも過去でもなく「いま」を生きる ー分からない未来より、
  目の前にある「いま」を大事に生きる
・いい思い出は、いまの活力 ー原点に帰ることで、今を整理する
・「今日が人生最後の日」と思えばいい ー健康人も、毎日を最後と
  生きれば、怖れは減る
・死ぬのは確実、いつ死ぬかは確率 あいまいなことは、あいまいに 
  罰が当たったと思う必要はない 
・罰は荷物として背負っていけばいい ー意外な落とし穴が、過去の後悔と自責
・発症するとはかぎらない「遺伝性のがん」 ー40歳前半で家系が全て死んで
  しまう人の話、ところが当人は!60過ぎ
・「がんの家系」にまつわる誤解ー食事など環境要因のガンが7割、その他3割
・がんも「個性」のひとつ ー 一律に考えないこと 自分自身の内と割り切る    
・不安や怒りは他人との比較から生まれるー自分一人の問題(人 *) 南無阿弥陀仏
・「看板かじり」は精神的に脆い 
  ー勤め先の肩書きだけに生きないこと。別のライフワークを持つべし
・衣食住が足りればそれで良しー勤めていたら閑職に甘んじるべし割切るべし
・顔を変えれば世界が変わる ー悲観した顔は他人に見せない。
               感謝の気持ちで第三者に接すれば顔は変わる
・「大好き」の気持ちは強い武器 ー医者や患者に、まず大好きという
  気持ちを持つこと、その前に現状の肯定を
・人間関係は鏡のようなもの ゴールまでが見通せないこともある
・ふまじめも、きまじめも「ほどほど」がいい ぁゎ(ω`;))((ノ;´・ω)ノぁゎ
・ネガティブな状態からいつ抜け出すか ー良かった思い出の領域にいるよう
  意図的にコントロールする
・人生いばらの道、にもかかわらず宴会 八方塞がりでも天は開いている 
  ー地球見学に来て、そろそろ元に帰還するだけ!
▼ いずれ誰にも訪れる死神、上記を心がけて、独り静かにプッツンと逝く。
 そして、生ゴミ。 さほど遠くない近未来にこれを真剣に読み返す時期が
来ると思うと凍りつくが、とはいえ、最優先すべき知識である。゚;Д;゚;カタカ?

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5428,人生で最も大切な技術 ー⑨ 幸福は可能か
2016年01月25日(月)
       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福は可能か
 インド独立の父 マハトマ・ガソディの以下の言葉が良い。
< 手に入れられる外的自由の大きさは、ある瞬間の成長段階で獲得済の
 内的自由の大きさに比例している。それが自由についての正しい考え方なら、
 自己の内側を変革することにエネルギーのすべてを集中すべきである。>
外的自由から、逆に内的自由を得ることも、しばしばあったが、やはり、
内的自由から入るのが順当だろう。節目を打つというのは、挫折や、成功から、
これまでのステージから次の段階への変化にエネルギーを集中すること、
外的自由から、内的自由を得るための行為と思索をいう。読書で、著者の
世界にトリップするのは内的世界の自由を得る身近な手段。また、瞑想も
しかりである。今ではTVも、インターネットもある。 ~その辺りから~
≪ 精神的な修行は、驚くほど多くの結果をもたらす。日々わずかの時間を
 瞑想に割くだけで、精神を鍛えることができる。想像以上に多くの人たちが
通常の家庭生活を営み、仕事に励みながらこうした訓練を続けている。
このような生活態度のプラス面は、煩わしい時間のやりくりといったマイナス
面をはるかに超えている。こうした訓練を続けることで、現実的な日常生活の
中で心の変革の旅に乗りだすことができるのである。パストゥール研究所で
研究に取り組みながら、パリの生活にどっぷり漬かっていた頃、数分しか実行
しなかったにもかかわらず、毎日の瞑想は非常に有益だった。
 日々の活動の中に、芳香が漂い、これまでにない価値を見出すことになった。
ここで言う瞑想とは、単なるリラクゼーションではなく、内面に目を転じる
ことである。思考がどのようにして生まれるのかを静観し、憂うつなものも
陽気なものも、すべての思考の裏に常に潜んでいる平安、静寂、純粋な心の
様相をじっくりと見つめる作業である。それは思ったほどに複雑で難しいこと
ではない。ほんのわずかな時間を割くだけで、瞑想がもたらす効果を実感し、
結果を認識するようになる。自分の中で起こっていることを内観する、その
経験を少しずつ身につけることで、思考経路をよりよく理解するようになる。
その結果、心の毒を洗い流すコツがつかめるようになる。
 心の平和を少しでも感じられるようになれば、生気溢れる感覚の維持と煩雑
な職業を両立することが難なくこなせるようになる。同様に、心身が不安定で
不安感の強い状態(過度の自己中心としばしば関連する)から自分を開放する
ことができたとき、恐怖心は弱まり、人に対して自然に心を開き、「人智
超えた存在の気まぐれ」と呼ばれる運命に翻弄されずに、それに直面できる
ようになる。国だろうが教会だろうが、あるいは専制君主でさえも、
人々に人間性向上を義務づける権力を持たない。これは本人の意思で選択する
しかない。統計遺伝学者のルカ・キャヴァリ・スフォルツァとその息子
フランチェスコが雄弁に述べている。
【心の自由は、自分が制限するか、制限することを許した他者が制限する場合
を除けば、限界がない。その自由は偉大な力をもっている。個人を変革させ、
その能力を最大限に伸ばし、人生のあらゆる瞬間に、完全な満足感をもたらす。
個人が意識を成熟させれば、世界も変わる。なぜなら世界は個人の集合体だから。】
▼ 私にとっての午前中の読書や、ネットや、寝室や居間でみるTVドラマと
 映画も、内的世界を自由に飛びまわっていることになる。それに比例して、
外的世界が広がっていることも確かだが、瞑想で、心の内から、広大な宇宙と
つながることは、外的自由より遥かに解放されることも確かである。
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4332, 自己とつきあうということ -2
2013年01月25日(金)
        「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
 定年退職や失業などの節目で、戦略的引きこもり、良くいえば自己に沈潜
することが重要になる。現在の私が、そうである。枝葉を切って根を養う時。
特に老木は必要としない枝葉を思い切って落とさなければならない。
戦略的退却と判断したら、果敢に決断、実行すべきなのが人生である。
そして、人生を振り返り、己に沈潜すべきで、それから逃げては人生を狂わせる。
  * 自己への引きこもり ー人生の戦術的退却と沈潜ー
≪ スペインの哲学者オルテガ(1883~1955)は、自己へと向かう姿勢を重視。
「自分自身への戦術的退却や慎重な思索なしに、人間的生は不可能である」。
彼は、人間は、しばしば自分から疎外されて、自分が信じているもの、
忌み嫌っているもの、大切なものがなにかを見失ってしまう危険にさらされて
いることを指摘した。 われわれひとりひとりは、唯一にして他に譲り渡す
ことのできないところの自分自身でなくなるという危険に常にさらされている。
オルテガは、そうした自己喪失から人間を救うのは戦略的に自己へと撤退
すことだと見なし、それを「注意力の転換」「内部への注目」「自己の内部に
引きこもること」といった言い方で示した。 しかし、彼が、「自己疎外」
との対比でくりかえし言及したのが「自己沈潜」である。
 それは「自己に沈潜する能力、われわれの朽ちることなき深みに静かに
ひきこもる能力」を意味する。とはいえ、自己の内部への沈潜、撤退によって、
他人や外界とのつながりを断ち切ってひきこもってしまうという姿勢が
強調されているわけではない。ひきこもるのは、「周囲についてのわれわれの
考えを検討し、そして戦術を練るために一時行動を中止」するためである。
われを忘れ、自己を疎外された人間のふるまいは、しばしば「ばかげた態度」
や「愚行」を招きやすく、「理にあわない別の態度」へと波及するがゆえに、
その連鎖を断ち切るためにこそ、沈潜が必要とされるのである。 
・・オルテガの言う、「自分自身の孤独の深みにひんぱんにひきこもらなければ
ならないという義務」はほとんどはたされていないであろう。戦略として内部に
向かう態度、自己に沈潜する態度を保持する人より、自分以外のものに拘束
され、外部へと結びつけられた態度の内で生きる人が圧倒的に多い現実のなかで、
両者の見解は時代錯誤的なものに見えないではない。しかし、生のさなかで、
生を感受し、生を考えて生きることの楽しさを味わうことを求めるとすれば、
この考え方から学ぶべきことは多いであろう。 ≫
▼ オルテガが「自己疎外」と「自己沈潜」と対比しているところが分かりやすい。
 自己疎外は自分と折り合いがつかない状態で、自己沈潜は自己疎外による愚行を
避けるために、戦略的に一時期に自分を閉じてしまうことである。そういえば、
 私の午前中の時間の使い方がそうだ。明らかに独りになり自分の世界に
沈潜している。午後からは、シネマやTVで映画をみたり、スポーツジムに
行ったり、SCで買い物をしたり、図書館で本を読んだりして、外界に触れる
ようにしている。砂時間沈潜でしかないが・・ 社会という森林の中の、
一本の木(事業)から離れ、自分自身に撤退し、自己沈潜をすることは、
人生の義務である、とすると、身に沁みて理解できる。成るほど、独り部屋で、
音楽を聴いたり、ネットサーフィンをしたり、随想日記の下書きをしている
時間が至福に思えるのは、その義務を楽しんでいるため。
社会から自分独りの世界への撤収、そして沈潜だが、浅い。