* 日本海の夕陽も絶品
☆ 感動ものの夕景は地元でも数知れず。その美しさは海外だけではない。
長岡近郊の港町、出雲崎の高台に、名前からしてロマンチックな、『良寛
夕日の丘公園』がある。そこから、右手に弥彦山、眼下に良寛堂、出雲崎漁港、
海岸線に沿って続く旧北国街道の‘妻入りの街並’をながめることができる。
この夕景は新潟名百景100の一つ。
☆ また新幹線通勤の車窓から、秋口の帰宅時間に新潟駅より見える出発直後の
真っ赤な夕日が良い。それから何日かすると、今度は長岡駅に到着する5分前の
山麓に沈む夕日も感動もの。30年、見続けてきたが、言葉を失うとはこのこと…
☆ 45年前20歳代半ばになるが、能登半島の夕景も鮮明に記憶している。
 金沢勤務の休日に、能登一周をドライブした帰路に見た日本海の夕映え。
今では「千里浜なぎさドライブウェイ」として観光化しているが、当時は、
地元民しか知られてない穴場。現在は、能登半島外房の砂浜の約8 kmの観光道路
で、千里浜と今浜の出浜の各海水浴場も兼ねている。日本で唯一、一般の自動車や
バスで海岸線の砂浜の波打ち際を走ることができる道路。このような道路は世界的
にも珍しく、アメリカのデイトナビーチニュージーランドのワイタレレビーチ
を含めて3か所だけと言われる。
それぞれの人生の時節に、様ざまな味わう光景があった。これらの蓄積が、
以下のような夢を生み出す。厳しく辛い極限の時節ほど、様ざまな光が射し
込んでいた。当時は気づかなかったが…。辛いだけ、何事も絶対肯定。
特に老年は! 夕映えが、それを教えてくれる。 
 それも、<肯定 肯定 絶対肯定>  時々、否定も必要? 如何?
それにしても、以下の夢からして、脳は凄い!
――
2015/06/16
昨日の朝みた夢の「夕陽の美しさ」
   * こんな美しい情景をみたのは初めて
 昨日の朝みた、夢の中の「海に沈む夕景の美しさ」には驚いた。
右手の海に、まさに沈まんとするオレンジ色と、赤と、紫と、金色が混合して
縦に紫色の海に突き刺さった光景に、我を忘れ魅入ってしまった。近くから
『ここで日没を多くみてきたが、こんなのは初めてだ!』というため息交じり
の声が聞こえてきた。その直後に目覚めたが、その感動の光景はクッキリと
残っていた。画家は、こういう夢を多くみるのだろう。それにしても、脳は
凄い画家としての創作能力があるもの。お近くなってきた? 現実に、この
ような日没の感動を積重ねをもとに、脳が創作をしたのだろう。
 ケニアのサバンナ、ギリシャエーゲ海の夕景、坂出の瀬戸内海の夕陽、
カトマンズの郊外の夕景、シリアのパルミラ遺跡の近くの高台からみた日没。
そういう視点で思い出したら、あるある、いくらでも。それぞれのTPOSの背景が、
その夕映えをクローズアップする。
   * 「折々のことば」(鷲田清一) 〜朝日新聞一面より
 〜人類学者は「ヴュジャデ」を通じてひらめきを求める。(トム・ケリー)〜
《 はじめて見るのに、かってどこかで見たことがあるように思うのがデジャヴュ
(既視感)。 ヴュジャデはその逆で、見なれたものをまるではじめて見るかの
ように見ること(未視感)。駄洒落である。偉大な発見はたいてい、ありふれた
ものを新しい目で見るところから生まれる。
  〜米国の経営者による「イノベーションの達人!」
    (J・リットマンとの共著、鈴木主税訳)から。 》
▼ 「既視感」に対し、「未視感」は、いいえて妙である。このところ、自分を、
 「未視感」で改めてみている。また、過っての旅行先をネットサーフィンで、
他人目線の写真をみるのも「未視感」になる。 毎日、御対面する、自分の十数年
分の文章も、そう。
・・・・・・・
3553, 「閑話小題」 が一番面白い?
2010年12月17日(金)
 「閑話小題」は書くネタが出尽くして、仕方なくメモがわりに書いた
中途半端な文章を小題として、幾つか重ねたもの。読者からみたらバレバレと
思っていた。だから、しゃ〜ない「B級品」と割り切っていた。その半分手抜き
の文章が先日、久々に参加した木鶏クラブの人から何気なく「閑話小題」が
一番面白いと言われ、何かの間違いと、再び聞き直したほど。それでも
「その人が、たまたま、そうか?」と半信半疑。ところが昨日、ある知人が
訪ねて来て「閑話小題」が面白いと全く同じことを言った。この10年間、
一度も言われたことがない「‘しょうがない’閑話小題」が面白いが偶然にも
一週間内に、たて続きである。実際、長い文章ほど時間もエネルギーも要する。
書くほうからしたら、その分、自己満足する。昨日の友人曰く、「それは、
あなたの言葉で、身近かなことを実感で書いているのが伝わってくるからよい」
という。日々の身近な内容はブログ「バード・ウォッチング」に書きとめていた。
要は実感として書いた文章こそ、相手に伝わるのである。記事とか書物の感想文
は、自分の記憶として留めておくためのマトメとして書いている。さらにいえば
一年先、数年先の自分が読み返し、消化するためのマトメ。読む方からしたら、
それは、それでしかない。しかし小題は書き散らした短文をマトメタもので
要点だけ書いてある。それなら閑話小題を多くすればよい。書いている方は無我
夢中であるが、読んでいる方は、その無意識の本音を楽しんでいるのである。
だから、冷笑も、侮蔑も、「何じゃい、笑うなら笑え、笑われて何ぼじゃ」
と割り切らないと。 ブログは結局は自慢話?の披瀝になる。
読んでいる方は冷静に、その辺が見えている。息抜きの文章が面白いとうと、
もう少し内容に強弱をつけた方が良いということか!書くテーマが見当たらず、
苦し紛れの「閑話小題」が、逆に、井戸の底から湧き出てくる水の味なのか。 
書き、曝すことの恐ろしさと、面白さか。ネット・セルフも色いろ考えさせられる。 
そこで、閑話小題を遡って調べたら、月に1〜2度しか書いてない。
内容も短くまとめてあり、解りやすく、言われるとおり。これからは週一ぐらい
は「閑話小題」を書くことにする。 ところで、「ツイッター」も時々
書いているんだけど! 少し軽すぎる?
・・・・・・・
3918, 精神力ーその偉大な力 ー8
2011年12月17日(土)
  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
【 難題にぶつかり、それを理解し、それを乗り越え、超越するとき、
そこから多くの力と知恵を与えられます。それにより将来においての他の更に
大きな問題に取り組めるのです。世の中には善いもの悪いものもありません。
ただ私たちが善い悪いと思うだけです。もし問題、難題を一つの機会か励ましの
挑戦と見るならば、人生に処する私たちを弱くしたり無能にしたりすることは、
ありえません。‘あらゆる事態はつまずく石か、ぬかるみの中の踏み石’です。
すべての進歩は、なにかの問題を征服し、なにかの挑戦に戦い抜いた結果です。
大生命力は、絶えず励ましの挑戦をしてきます。前進を促す体内の威力を
見出すと、私たちは成長するのです。もし挑まれなければ成長が出来ません。
教育さえあればとか、子供の頃の愛情の欠如で、やる気が起きないとかいう人を
知っています。しかし、その逆に、それをバネとして、その中に善を見つけ強く
なった人がいます。「あらゆる逆境は、好機のタネをもつ」といいます。
あなたの過去の傷は打撃や損失を癒す最も良い方法の一つは、その体験の結果
として生涯に起こった善いものの表を作ることです。ものごとが良くしていく
には、体験をいかに反応するかにあります。鹿が足がはやいのは、敵から
逃げるために自分の体内の力に頼ったからです。人間は自然界の挑戦を克服する
ため推理と知性を発揮してきました。問題を受け入れ、善さを見、ゆるし、
解放して自由にし、そして前進するか―あるいは怒り、おのれを哀れみ、
自分のことだけを思い、みじめに暮らすかです・・】
▼ 先日の新聞記事に「壁を乗り越えようとするな、壁のまわりを動き回れ、
そうすれば壁の隙間が見つかる。登ろうとするから、登れないと諦めてしまう」
というような内容があった。上記の内容に似ている。 20歳で創業を決意し、
準備を始め、結果は、2つの経済震災と東北大震災で、この結果に終わった。
が、創業も倒産も廃業も事業のうちである。その創業も、まずは精神である。
計画し、手順に入ると、まず思いもよらない難題が山のように次々と行手を
阻んでくる。 初めは、それを嫌々取り組んでいたが、慣れてくると、これこそ
が踏み台で、難題の中にこそ鍵があることが分かってきて、逆にゲームとして
楽しむようになる。この難題がゲームの醍醐味と自分に言い聞かせ暗示を
かける。下り坂より上り始めは夢はあるが、厳しい! それも数十倍も。
何だかんだあっても、事業人生は面白い。自分の限界が常に目先に立ち
塞がって、自分自身に直面する緊迫感が、である。今もか?
・・・・・・
5025,読書脳 ぼくの深読み300冊の記録 ー3
2014年12月17日(水)
          『読書脳 ーぼくの深読み300冊の記録 』立花 隆 (著)
   * 今世紀で人類は終わる?  
「今世紀で人類は終わる?」マーティン・リース(著)から!
  ー内容(アマゾン)ー
< たとえば、致死率の高い危険なウイルスのDNA配列情報は、いまやだれでも
ネットからダウンロードできる。このDNA情報から、ウイルスを合成し、さらに
強力なウイルスへと改造する技術を持った科学者は、世界に数千人存在し、その
数は年々増えている。もし、通り魔殺人や銃乱射事件を起こすようなタイプの
人間がこの技術を習得したら、いったい何が起きるだろうか。核戦争や地球
温暖化といった、20世紀から危惧されてきたものとは全く別の、予想外の脅威
による人類文明終焉のシナリオを、第一線の物理学者が描き出す>
 ー著者・立花の解説が明快である。
≪ 著者は宇宙物理学者。英王立天文台の名誉天文台長をつとめる。
 話はすべて、科学的にありうる地球滅亡、文明滅亡の話。小惑星の衝突、
温室効果」の暴走、といった自然現象の脅威もあれば、核兵器の拡散、
バイオテロ、カルトの先鋭化といった人間の暴走現象もある。
自己複製する機械ができて、人間より優秀になり、ポストヒューマン文明を
築いてしまうとか、生物を栄養源とする自己増殖ナノマシンが生まれて、爆発的
に増殖し、地球上の植物を食いつくしてしまうなどというテクノロジー
未来物語もある。 驚いたのは、最先端の素粒子実験がもたらしかねない世界
の終り。巨大な金や鉛の原子核を光速近くまで加速して衝突させると、原子核
くだけてグジャグジャになり、小スケールだが、ビッグバン直後の世界を再現。
すると、ブラックホールができて、周りのすべてを吸いこんでしまったり、
複数のクオークが途方もなく圧縮されて、ストレンジレットと呼ばれる奇妙な
新粒子を作りだしたりする。ストレンジレットは自分が接触するあらゆる地球上
の物質を片端から奇妙な物質に作りかえていって、アッというまに地球を直径
百Mほどの超高密度天体に変えてしまう可能性がある。あるいは、この実験で
真空に転移を起こさせ、これまでの空間を空間ならざるものに変貌させてしまい、
これまでの空間がスッポリそれにのみこまれてしまう可能性がある。
このような真空の相転移が宇宙規模にふくらんでいき、ついには銀河系全体が
すっぽり、飲みまれてしまうことも考えられる。≫
▼ 小スケールのビックバン直後の世界の再現の可能性には、驚いた。
 あるうることである。また、狂信的イスラム教徒達が、自分の体に細菌を
感染させて、世界各地で、いっせいにテロに走ることも十分に考えられる。
現在、問題になっている『イスラム国』。ネット上の教団が、世界中の狂信的
イスラム教徒に様々なテロを呼びかけている。そのアメリカも、考えてみれば
狂信的キリスト教国。とすると「目には目」の殺しあい、激しくなって当然。
・・・・・・
4658, 2050年の世界 ー21
2013年12月17日(火)
「2050年の世界ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
               〜英『エコノミスト』編集部 (著)
  * 第四章のまとめーソーシャル・ネットワークの可能性
・インターネットが人類に与えた影響は、ソーシャル・ネットワークのくくり
 でみるとわかりやすい。コンピュサーブなどのパソコン通信掲示板の世界
 から、よりIDが実名化したフェイスブックの世界まで、その世界は、八億人
 を超えひとつの国家となっている。
SNSの興隆により、三つのトレンドが将来に予想される。
 一つめは、意思決定において友人の影響力が強まる。
 二つめは、集団の英知を利用したウィキペディア型のサービスを利用する
 度合いが強まる。
 三つめは、新聞やテレビなどの大マスコミに頼らずとも大規模な運動を
 起こすことができる。
・社内の協業を促すために、セキュリティの厳しい社内SNSの新しい形が
 生まれ、それを利用する企業が増えるだろう。
トヨタは、自動車間でソーシャル・ネットワーキング機能を持つことの
 できる車を発売するが、車に限らず、日常の電化製品のあらゆるものに、
 常時接続のものに、常時ネットを利用したソーシャル機能が搭載される
 ようになる。
・一方で、一社支配によるプライバシーの管理への懸念は、政府の規制を
 招くか、あるいは非営利団体によるデータの管理といった方向に向かう
 かもしれない。またSNS上のプライバシーの規定などを共有化する
 「権利章典」が作られる可能性がある。
・但し一社支配が長く続く可能性は少ない。新しいイノベーション
 持ったネットワークが参入し、既存のSNSに取って代わる。
・異なるSNS間で、ウェブ上の人格を移動し、共有できるシステムが開発される。
▼ この予測で、ここが一番予測しにくい分野。パソコンが携帯に収まるとは、
10年前は誰も思ってもなかった。そして、今度はメガネ型パソコンで視覚
情報を直接、遣り取り可能なものまで出てきた。グループチャットが、広島で
少女殺人事件を引き起こしてしまった。ーその事件をネット検索をするとー
《 広島県呉市の山中に女性の遺体を遺棄したとして16歳の少女が逮捕
 された事件で、警察は男女数人を死体遺棄の疑いで逮捕。この事件では逮捕
された少女の友人3人が17日朝、警察に出頭し、任意で事情を聴かれていた。
また、逮捕された少女が携帯電話の通信アプリ「LINE」で友人に犯行時の
状況などを打ち明けていたことが新たにわかった。 》
この事件に至った具体的内容がTVで放映されていたが、多くの見知らない人が
会話に出入りをしてエスカレートしていく。逆に趣味などの世界の人が簡単に
結びつくことが可能。それぞれのレベルの結びつき強くなり、固定化すると、
ネットカーストも出来てくる。レベルが違うと理解できない世界になる。
価値観の違いとレベルの差異は違う!そこが問題。
・・・・・・
5755,閑話小題 〜これが今どきのギャル語ですか!
2016年12月17日(土)
   * リア充から、ソロ充へ
 「ギャル流行語の意味が分かりますか?」というワイドショーのTVレポート
 をみてネット検索をすると、先日発表された【2016年ギャル流行語トップ10】
があった。若い娘は、これらを使うことで、仲間意識を持つようだ。要するに、
幼児化を互いに楽しんでいるような。若いのは一瞬、若いうちに楽しむのもよい。
 〜まずは、【2016年ギャル流行語トップ10】
1位:沸いた :「嬉しい!」「最高!」といった興奮状態の時に使用される
2位:よき  :「最高!」「OK!」といった意味合い
3位:らぶりつ  :「いいね=ハートマーク」「らぶりつください!」
  「らぶりつありがとう!」とフォロワーなどに呼び掛ける言葉として使用。
4位:リアタイ :リアルタイムの略だけではなく、リアルタイムで“見る”」
   といった意味合いを持っている
5位:最&高
6位:ソロ充 :現実の生活(=リアル)が充実している人を指す「リア充
  から派生した言葉『ソロ充』が登場。1人でも充実した時間を過ごしたり、
  単独行動でも人生を楽しんだりしている人を指す言葉として、
  「今日はひとカラでソロ充!」
7位:やばたにえん :「やばい」が変化した言葉『やばたにえん』は、SNS
  LINE、日常会話においてブームに。「明日のテスト、マジやばたにえん!」
 「頭痛やばたにえん」の使い方で言葉にアレンジを加えてくれるギャル語
8位:ありよりのあり :物事の可否を決める時に「超あり!」といった意味
9位:フッ軽  :「フットワークが軽い」を略した『フッ軽』がランクイン。
 「すぐ来てくれるフッ軽な友達、最高!」「〇〇のフッ軽具合にありたみ
 (ありがとう)!」といった意味合い
10位:きびつい
 ――
  参考に、【2015年ギャル語流行語トップ10】
1位 パリピ      パ−ティーピープルを略した言葉
2位 ◯◯かよ     SNS投稿に対して、ツッコミを入れる言葉
3位 リア友      リアルな友達の略、「ネッ友」の対比言葉
4位 初見(しょけん) ツイキャスで使用されキャス主の放送を初めて見た
           ユーザーが使用する言葉
5位 cp        SNSなどで、カップル(couple)の変化形として
         頻繁に使用された言葉
6位 鬼コ     鬼電が変化した言葉として使用された、鬼コールの略語
7位 レベチ    レベルが違うが略された言葉
8位 メンディー  面倒くさいが変化した言葉
9位 やーよ    GENKINGがメディアで発信したことで人気を集めた言葉
10位 つ      都合のいい女を略した言葉
〜〜
 これらは、スマフォの会話で、気楽に自己表現を出来るから便利。
これに絵文字を絡めれば、何か孤独を紛らわすことが出来る。この幾つかを
入れた現在の私の気持ちを現すと、
「毎朝の、この時間帯は、ソロ充で最・高。リアタイで、独り沸いている。
こういうのも、ありよりのありで、よきかな。」 何か心寒くなってきた。
 世界は寒々しいが、ギャルは若いというだけで温みがある。

・・・・・・
5390,自分史の書き方  ー?
2015年12月17日(木)
          『自分史の書き方』立花 隆(著)
   * 事前の(授業内容紹介)
 「自分史」のモデルを日経新聞の【私の履歴書】のするとはさすがである。
 担当の専属記者が、時系列の表の項目に、対話からエピソードなどを引出して
埋めこんだ後に語り口調の物語化をする、これこそ有名人の個人史とである。
  −‘はじめに’の冒頭の文章を抜粋するー
≪【これは実践的な授業である。目標は、各自が、自分史を書き上げることに
置く。それも単なるプライベートな身辺雑記的自分史ではなく、同時代史の流れ
の中に、を置いて見る、「自分史+同時代史」としたい。
セカンドステージのデザインに何より必要なのは、自分のファーストステージ
を見つめなおすことである。そのために必要な方法は、自分史を書くこと。
 おの程度の自分史にするか。目標は日経新聞の「私の履歴書」あたりに置く。
私の履歴書」は1日およそ400文原稿用紙3〜3・5枚が30回続き、
全部で100枚程度で終わる。この程度の自分史は、正しい手順に従って少し
ずつ書いていけば誰でも一書ける。その手順を教える。代表的な「私の履歴書
の構造分析から始める。次に各自の自分史年表と同時代史年表を書く。
この授業では、各自がそれまでに書いてきたものを、相互に読み合い、批評
し合うことを随時行うから、恥かしいなどの理由でそれができない者は、
はじめからこの授業をとらないこと。】
 開講当時、一般社会のリタイア年齢(定年ー年金生活)は、60歳だった。
しかし、日本人の平均寿命が男性79歳、女性86歳まで延びている現在、
60歳はリタイア年齢としてちょっと早すぎる。むしろ、60歳は人生の中間地点
ぐらいに考え、「そこから、人生のセカンドステージがスタートする再出発
地点だと考えるべきだ」というのが、このコースの発想の原点だった。
 だが再出発してどこに向かうべきなのか。いま自分たちの未来にはどんな
可能性が横たわっているのか。日本は、世界は、これからどうなっていくのか。
そして、自分たちはいま何をなすべきなのか。
 このような「中間再出発地点」に立ったときに、なすべきことは、
「過去(自分と社会の両面。日本と世界の両面)を総括する中締めと、いま
自分たちが立っている地点を再確認すること」ではないか。そして
「未来の可能性を展望すること」ではないか。そのために必要なのは、
じっくり考えることと学び直すことだ。そのような学びに最適の場は大学だ。
そこには人生の学び直しのためのあらゆるインフラ(請座、教師、学び伸聞、
学び舎)がそろっている。こういう発想に立って開講されたのが
「セカンドステージ大学」だった。≫
▼ 昨年の今ごろ、やはり立花隆の著書を取上げていた。
 私の人生の中間点は、5年半の「まだらボケ」だった母親を看おくった後
だった。さて、今後、どうするか? 「最適な正解が考えられないなら、
還暦までの9年間で、30年分を生きること!」とし、そのまま実行した。
それについて何度か書いてきたので、ここで省くが、還暦を向かえた時、
「無事到達でき、心底、良かった!」と思えたのも、その5年後の節目時の、
「でも、まさか!」の坂を、何とか越えられたのも、この実践のため。

・・・・・・
4293, 衆院選挙の結果について
2012年12月17日(月)
   * この結果は、ベストに近い! とみるべきか?
 選挙結果が粗方の予想通りになった。小選挙区制度では、こんなもの。
これで超保守体制で難局に立ち向かうことになる。この選挙は民主党の自滅と、
第三局の乱立による共倒れと、尖閣列島などの領土問題や北朝鮮のミサイル
発射も日本の右傾化を進める結果となり、まったく空気が変わる。
民主党の弱者救済のスタンスから、弱肉強食へ大きく舵をきることになる。
グローバル化社会では割り切るしかない。経済は、今週の株価がどうなるのか? 
特に週末にかけての動きが心配である。まずは来年三月の金融円滑法の打ち
切り問題、自民党が果たして打ち切りが出来るだろうか?地元の高校の同級生
が3人続けて、倒産、不祥事、自殺が発生した。 
 これ、「地方は既に恐慌が始まっている」という私の説の身近な現象。
ここで政策の大転換が必要な時節、この結果も悪くはないという見方も出来る。
問題は、自公で三分の二の議席を確保したこと。参院で法案が否決されても、
再び可決出来る。おまけに改憲に反対している公明党と、この夏まで組んで、
その後に、改憲賛成の維新の会に乗り換えれば、それも可能になる。週刊誌など
の事前予測の結果に近かったが、まさか60議席を割るとは思ってなかった。
タカ派の安部が、領土問題で中国と真っ向から対峙することになれば、
経済に直接、大きく響いてくる。それと、建設国債の乱発による公共事業の
拡大も懸念される。地元の小選挙区では自民党の全勝。建設業界の笑い声が
聞こえてきそうである。土建王国の宗主だった角栄の娘も、この逆風で落選。
当然といえば当然。 政治課題のスタンスは、「消費税増税原発継続、改憲
原爆保持、地方への分権化、賛成。公共事業の依存化、反対!」。そうこう
考えると、最後の公共事業反対以外は、この圧勝は良かった、ということ。
分かってはいたが、民主党への拒否反応が、ここまで大きいとは驚き。 
政治談議が多くなったのは、歳のため? 年末まで、株式か国債の暴落が
ないことを祈るばかり。
 

つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 

  今日のYoutube

 毎日、夜半に面白い夢をみる。こうして思いつくテーマを元に、
知ったことを書き出すと、頭が空になり、それが、夢を誘発する?





・・・・・・
3178, アメリカは現在、どうなっているのか ー2
2009年12月17日(木)

  * アメリカの産業の現状は?
 ー 以下は、中央公論中岡望のレポート[アメリカ、失われたバラ色の未来」の抜粋である ー
アメリカでは金融業界を「ウォール・ストリー」というのに対して、製造業などの産業のことを
「メイン・ストリート」という。現在、ウォール・ストリートは急速に回復しているが、メイン・ストリー
や地方経済の低迷の色はさらに濃くなっている。アメリカ経済の衰退はもはや避けがたい状況となっている。 
デトロイトでは、自動車産業の衰退で都市そのものも機能しなくなっている。工場労働者だけでなく、
高学歴のホワイトカラーの雇用調整もかつてないスピードで行われている。自動車会社のビッグ・スりーは
工場労働者だけでなく、2006年末から今年の六月までに3万人のホワイトカラーを解雇。
かっては最強の労組と言われたUAW(全米自動車労組)も、雇用維待するための戦闘力を失ってしまっている。
その結果、ミシガン州の6月の失業率は15・6%と.全国平均の失業率を大きく上回っている。デトロイト
失業率は17・7%とさらに高い水準になっている。同州の労働者の20%がフルタイムの仕事を探しながらも、
パートタイムでしか働けない半失業の状況に置かれている。 デトロイトの住宅市場に回役の兆しはなく、
七月時点で住宅価格はピークを付けた2006年初と比べて45%下落し地域杜会の荒廃が続いている。同州では、
高賃金が期待できる防衛関係や代替エネルギー関係や医療関係の企業の誘致を進めているが、目立った成果は
見られない。 職を失った人は悲惨である。
あるクライスラーのエンジニアは年収11万ドルを稼いでいたが、早期退職をした現在はパートタイムで
働いており、週給はわずか500ドルである。クライスラーの製造開発の責任者であった男性は、年収10万ドル
以上あったが、早期退職をして得た現在の仕事の年収は3万1千ドルである。職を失う影響は収人の滅少に
留まらない。アメリカの健康保険制度は企業が提供しており、仕事を失うことは健康保険も失うことになる。
 ー
 アメリカ社会の深刻な問題は、貧困と格差である。最も豊かな国でありながら、貧富の格差は深刻。
その貧者に金融危機が直撃をし、その格差をますます大きくしたのである。貧困率は一年で12・5パーから
13・2パーセントへ拡大した。「1人暮らしで100万円、4人暮らしで200万円」以下で生活する人は4000万人と
一年で、250万人も増えたという。医療も、教育現場もガタガタで日本とは事情が全く違う。あと1~2年後の
地方が、これに近い状態だろう。 これらをみると、アメリカ一極の時代の終焉を示している。 
それだけ、この金融恐慌の影響は大きい。

・・・・・・・・・・
2813, ビッグスリの救済は正しいことか?
2008年12月17日(水)

 アメリカのビッグスリーを政府が公的資金投入の検討を始めたというが、
中長期的に見たときに正しい判断かどうか?
アメリカ国内のGMの一人当たりの人件費が、トヨタの1・3倍。 そこまで賃金を下げるべきと
いう議会の案に、組合が反対という。従業員の数も、全米でGM25万人に対して、トヨタが7万人。
 その結果、利益はGMの一台あたりマイナス11万に対して、トヨタは6万円の黒字。
 売り上げ台数が両者、同数。役員の年俸が、トヨタ1億に対して、GMが何と13億という。
・車種もビッグスリー合計で、15ブランド130種類に対して、日本の三社合計で7ブランド59種類で、
二倍以上。販売店がビッグの14000店に対して、日本三社で4000店で三倍以上。これをみただけでも、
子供でも何が問題か一目瞭然である。その上に、アメリカ車の工場は、大型車の生産向けに造られていて、
簡単に時流となっている小型車、エコ車への反転攻撃は難しいから、如何にもならない事態である。
 しかし、明らかなことは、一度倒産させて再生のプロセスを踏まない限り赤字を垂れ流すしかない。 
 誰がこんな会社の車を買うものか!である。といって倒産させれば数百万の失業者で溢れかえることも事実。
 日本や欧州の自動車メーカーにとっても、下請けが倒産すれば、部品の一部が入荷しなくなることもあり、
痛し痒しである。 ところで、これは先進国といわれる国家の縮小版でしかないのでは?
 そうすると、この世界恐慌?は、100年、いや500年単位の世界システムの自然崩壊でもある。
 中国、ロシア、インドが近代化に本腰を入れたと同時に、地球が持たなくなったのである。
 そうこう考えると、この一連の金融危機は世界を一度、根こそぎ破壊するエネルギーを持つことになる!
 (字数制限のためカット09年12月17日)
・・・・・・・・・
2007年12月17日(月)
2448, コマツの「コムトラックス」には驚いた!
                  ('-'*)オハヨ♪
一昨日の朝、何気なくBS・TVに回すと、コマツの社長が出ていた。見たのは最後の10分位だったが、
「コムトラックス」というシステムを紹介していた。思わず、その内容に引き込まれてしまった。
ブルドーザに機稼動管理システム「コムトラックス」を標準装備し、遠隔での効率的な車両管理や
きめ細かなサポートサービスを提供する。
建設機械の内部に組み込んだセンサーで車両のあらゆるデータを収集して自動的に送信するシステム。
365日24時間、本社へコムトラックスから絶え間なく送られてくる情報は、コマツ自身、販売会社、顧客
の誰にとっても「宝の山」であるという。それを顧客・販売会社に公開してお互いに有益に使うのがミソである。
一種のWeb2.0型企業ともいえるが、そのシステムなどで、現在では利益率で米キャタピラーを追い越し、
今後とも業績の向上が期待できる見込みが高いという。TVの画像には、宇宙衛星により大きな地図上に世界中の
稼動しているブルドーザの現在地が表示されていた。 更に、それぞれのマシーンの情報 ーガソリンの在庫や、
稼動状況、機械の自己診断の記録、運転状況などのデーターが自動的に情報センターに送られてくる。それらの
記録を販売会社、顧客が交互に使用できるという。運転手のサボりは勿論、ガソリンの不正使用や、盗難も即座
に把握できるという。「何で小松のブルドーザが売れるのか?」と思っていた矢先、納得をさせられてしまった。
顧客にとってブルドーザの状況は一切、機械自身が発信して本部が管理してくれる。機械自身がブログを持ち、
自動的に発信するマシーンといえる。これも情報化社会の先取りの事例ということである。こういうシステムは
今日明日出来ることではない。長年の企業全体のシステムの構築の結果できることである。ただ驚いてしまった。
せめて人間もブログは持たないと!IT革命は人類の20万以来の潮流の変化であり、身近に感じ取れるのは
個人的立場からみればブログと携帯電話だろう。
                       バイバイヽ(*´∀`)ノ
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2006年12月17日(日)
 2084, 森の生活  
 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ~ ヨウ
        『森の生活(ウォールデン)』岩波文庫
        
現在、世界において「シンプルライフの生きかた」が見直され始めているが、その元祖といえるソローが
再び注目され始められている。1817年生まれのソローは、1845年の独立記念日を機に、故郷のボストン郊外の
ウォールデン湖のほとりに移り住む。そこに20代後半の2年あまりの間ひとりで過ごした生活を記したのが、
『森の生活』である。シンプルライフの元祖といえよう。ソローは、この森の生活の中で、
人間が生きるために必要なものは、「最小限の持ち物と最小限の労働だ」という結論に至っている。
ソローの‘自然のなかで質素に生きる’を至上とする考え方は東洋的である。
自然との共存を図ろうというソローのメッセージは、効率良く、便利な生活になった反面、
混沌として複雑化する世の中にあって、単純化した生活のあり方を提示している。
森林生活や農業の専業の人からみたら、何を今さら!と思うだろう。
あちら側(都会)の人が、二年余り遊びに来た戯言でしかないと。
しかしソローが読んで欲しいと思う対象は、そういう連中ではない!まあ、そういう穿った理屈はやめておこう。
都会生活につかれ田舎の生活に憧れている自然派にっとは、桃源郷のような生活と思えるのだろう。
     ーー
 ーまずは、印象的なところを抜粋してみるー
「私が森へ来たのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、
人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか確かめてみたかったからで、死ぬときになって、自分が
生きていなかったことを発見するようになりたくなかった。人生とはいえないような人生は生きたくなかった。 
生きるということはそんなにもたいせつなのだから。深く生きて生の精髄を吸出し、もしそれがつまらなかったら、
それをつきとめて、そのつまらなさを世の人々に伝えよう。それがつまらないものであったら、それを身をもって
味わい、その真相を報告できるようにしたい」(上巻162-164頁)
「われわれは存在するように見えるものを、存在するものと思いこんでいる。
 ・・永遠の時間には、確かに真実で崇高なものがある。けれども、そうした時間や場所や機会はすべて、
いま、ここにあるのだ。
 ・・『自然』そのものと同じように、一日を思慮深くすごそうではないか。
 ・・一日を精一杯、楽しく生きようと心にきめて。
 ・・生であろうと死であろうと、我われが求めるものは実在だけである」(上巻172-176頁)
 「春の到来は、『混沌(カオス)』からの『宇宙』の創造であり『黄金時代』の到来であるかのように感じられる。」
   (上巻256頁)
私は私の実験によって少なくともこういうことを学んだ。
「もし人が、みずからの夢の方向に自信をもって進み、頭に思い描いたとおりの人生を生きようとつとめるならば、
ふだんは予想もしなかったほどの成功を収めることができる、ということだ。
そのひとは、あるものは捨ててかえりみなくなり、目に見えない境界線を乗り越えるようになるだろう。
新しい、普遍的でより自由な法則が、自分のまわりと内部とにしっかりとうち立てられるだろう。・・・
生活を単純にするにしたがって、宇宙の法則も複雑でなくなり、孤独は孤独でなく、貧しさは貧しさでなくなる。
・・・・君の生活がいかに見劣りのするものであろうとも、それにまともにぶつかり、それを行きよ。
それを避けたり、けなしたりするな。それは君自身ほど悪くは無い。
それは君が最も富んでいるとき、最も貧弱に見える。あら捜し屋は天国でもあら捜しをするだろう。貧しくとも、
君の生活を愛したまえ。賢人らしく、菜園の野菜のように君の貧しさを耕せ。
衣服でも友人でも新しきものを手に入れようと焦るな。
古いものに目をむけ、古いものに戻るがいい。事物は変わらない。我われが変わるのである。
君の服を売り払い、君の思想をとっておきたまえ。」  (下巻276頁)
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ソローにとって、「自然」と向き合うということは、「自己」を見つめることでもあり、人生の探究は、
遠い幻想的なものでもなく、「いま、ここ(現在)」の世界で「自己」を実現させることにある。

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2005年12月17日(土)
1719, 熟年離婚
          おはよう!v(=∩_∩=)v
 TVで松坂恵子と渡哲也が夫婦役の『熟年離婚』の連続ドラマを放映していた。
 そのうちの二~三回しか観ていないが、考えさせられる問題であった。
 作家が悪いのか脚本が悪いのか、離婚理由が希薄で現実離れしていた感があった。
 男の立場からみると、渡哲也役の亭主が気の毒すぎるように思えた。
 停年の日に家族の前で突然離婚を申し立てるのはドラマとはいえ不自然である。 しかし、最終回
(12月8日放送)の視聴率が21・%と、同ドラマ9回中で最高を記録、平均視聴率も19・%と、
 この木曜ドラマ枠では過去最高だったという。            ~匸Pヽ(・ω・`)コーヒーデモ…   
 テレ朝が調査会社に依頼したアンケートでも、2年後に定年を迎える団塊世代(1都3県、男女各100人)
で「離婚を考えたことがある」と回答した女性は38%(男性23%)だったとか。 周囲でも熟年
離婚の話をよく聞く。 
                           """(_ _,)/ mou iya
 あと二年すると団塊の世代が定年をむかえ、それまでの離婚待機組(退職金と年金待ち)が多く控えている。
 知人で離婚をした人をみると、女性の自立は困難を極めている。一人、老後を生き抜くのは並大抵ではない。                
  インターネットで調べてみたら、 同居期間25年以上の熟年夫婦の離婚は、ここ10年で2倍以上に増え、
 同居期間30年以上に限ってみると3倍近くになる。この増え方は、離婚全体の増加率の2倍にもなり、
しかも、そのほとんどが妻からの申し立てによるものという。
  何か解るような気がする。相手の話をよく聴こうとしない人種があまりにも多い。
 以下はスポニチのネット記事のコピーである。
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熟年離婚」共感呼んで20%超
 テレビ朝日のドラマ「熟年離婚」(木曜後9・00)の平均視聴率が、10日放送の第5話で20・3%
(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録し、番組開始以来初めて20%の大台を超えた。
 
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 2004年12月17日(金)
 1354, 私の宝物
「私にとっての宝物」とは何だろうと考えてみた。
これだけはというものはないが、秘境旅行のアルバムと、その先々で買ってきた小さな置物人形と、
その都度社内報と随想日記に書いてきた旅行記である。 底は浅いが。旅行だけは私として、
金とエネルギーを使ってきた。いま全額のお金と、旅行のどちらを取るかといえば旅行経験である。
そうすると旅行経験と、それにともなう写真と人形と旅行記が「私にとっての宝物」ということになる。
37~8年のスパンの、わずかなライフワークである。
現在、23歳の頃の日記を書きうつしているが、その時、初めてで最期の手紙を両親に書いていた。
転勤で通帳からお金が引き出せないで、手元のお金がゼロになって住所の移動の知らせと、お金の無心を
していた。母親が死んだ時に寝室を整理していて、その時の手紙が出てきた。「子供の思う心と親心の差」を、
その時おもい知った。両親にとっての宝物?だったのだ。
現在の私の宝物といえば、「この随想日記」である。何せ一日3時間近くのエネルギーが、
この文章に時間を入っている。1350×3時間=4千時間の圧縮である。
それと秘境の旅行先で買ってきた小さな土産人形だ。500円から5000円位の土産物屋から買って
きた置物だ。会社のサイドボードと、自宅の棚に置いてある。地震で全て壊れても、おそらく惜しくは
思わない代物である。しかし、それがある限りモノとして残っている思い出の塊の宝物である。

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2003年12月17日(水)
987,新潟駅周辺整備計画
先日の新聞に「駅前周辺整備計画」が少し延びそうになってきた。といって、半年から一年だろう。
自社のホテルの4棟のうち2棟が、この整備計画の道路拡張に引っかかる。10年か20年後には道路に
変っている。2~3年前に「駅前周辺整備計画」説明会があった時に、むしろ当社にとってプラスと感じた。
丁度設備の老朽化の建て替え時期になっていることと、分散をしている棟を一ヶ所に集めることができる。
恐らく新潟駅の現在の線路の何処かの代換地になるだろう。
その時は私は引退しているが、10年20年先の事業のデザインを考えて判断をしなくてはならない。
大手ゼネコンの営業部長の話によると「駅周辺の再開発の買収」は、焼け太りになるのが過去の通例だという。
具体的な内容が出てくるのは着工後の数年後の話だが、少なくとも地価の下げ止まりになる。
そのためか駅周辺の買いの話が多くなってきている。最近知ったことだが、買収は手付金がミソという。
これが確実な買収の裏付けの内容になるからだ。実際に工事が始まれば、雰囲気が一変をすることは間違いはない。
そして具体的な話が飛び交うだろう。その意味で一日でも早く着工をしてもらいたい。新潟も他県同様に景気は
最悪である。今ふうに言えば‘寒ぶー’である。いま新潟で残されているプロジェクトは、この再開発だけである
といってよい。その駅周辺で事業をしているだけで恵まれているのだが?いずれにしても面白くなってきている。

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2002年12月17日(火)
613,爆笑再開発
 -新潟駅前ビル再開発
(以下字数の関係でカット2008年12月17日)
以前再開発の愚をこの随想日記に書いたが、その馬鹿世界が新潟駅前ビル再開発の完成で顕になってきた。
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2001年12月17日(月)
272,人生は問題解決のプロセス
 ー小説・脚本の創り方と人生ー
 ジェームス三木の「脚本の創り方」という講演を10年前に経営セミナーで聴いた。「藍より青く」を
創ったエピソードである。朝の8時15分の連続TV 小説の時間の身近にあるもの考えた。「醤油と魚」である。
醤油やと網元の対立に恋愛をかませる。それから「藍より青」ができた。その子女、子息の恋愛に対して、
困難という山を次々と置き、それを主役が解決していくプロセスをドラマとして筋を付けていく。
「へー、どうということないんだ!自分でも創れる!」ということを思い出した。主役とは「問題解決人」。 
水戸黄門もそうだ、勧善懲悪だから解かり易い。人生も考えてみれば、問題解決のプロセスだ。
そして一山二山越えていく事だ。 自分がその主役である。その意味で[みんなが大将!」である。
自作自演の舞台劇である。しかしそれをまた間接的に操っている存在に気づく事がある。
どうにもならない運命という奴である。それを神という存在で解決しようというのが宗教。
いづれにしても問題は派生する。そういうものだと割り切ってしまえばいい!
「その問題はその時のその人に、ピッタリの内容」と思えば諦めがつく!
その時私のおまじないは以前も書いたように「正中心一点無」だ。
問題から逃げないで、中心から目をそらさない事だ。それが出来ないのが人間だが。

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ある時間の断片
12月17日 1968年
 朝11時起床。
12時に一年先輩の佐々木さんに、クリスマスで20時以後の女性の寮立ち入りについて相談される。
私に対して軽んじている風がありありであった。その時に蒲生にもう20時以降の禁止はもう時効と
面と言われた。生意気な奴だが、2年も下なので相手にもできない。
 一度池袋に行き、学校に立ち寄って、駅で28日の帰省バスの切符を買う。
その後、千葉の検見川の姉の優子さん宅に向かう。 17時に着く。
押しかけで悪かったが、家庭内が落ち着いた感じがした。22時からよく2時まで卒論に集中できた。