* 『横綱アドバンテージ』の問題が隠れテーマ!
 日馬富士と、親方の涙の会見をみて、「何も解っちゃいない?」と首を捻って
しまった。ことは、朝青龍白鵬から受け継がれてきたモンゴル人の鬱積した
被差別と、被害者意識が背景にある。モンゴル人には、「強ければ、勝ちさえ
すれば、多くのことが許される」という大陸的体質がある。それに対し、日本
には、海の要塞に囲まれ、外からの侵入の心配がない島国根性の国民性。
 その差が、貴乃花白鵬を比べると歴然としている。貴乃花には、三代目の
血筋と、純粋培養の恩恵がある。白鵬にもモンゴル相撲の血筋があるが、ここは
島国日本。モンゴル人には勝ち続てナンボの存在でしかない。そこに決定的
差異がある。 その一つが『張り手』の問題。
 貴乃花の著書の中に、「張り手」について、相撲道に反する象徴としてあげ、
忌み嫌う。以前は、これほど「張り手」を使うことはなかったが、そこに目を
つけた朝青龍が、『横綱アドバンテージ』の特権を作り上げ、白鵬日馬富士
鶴竜へと受け継がれてきた。横綱に張り返したら、本場所間の稽古土俵に押し
かけて半殺しにする仕組み。それを知っている貴乃花部屋の貴乃岩に、それが
出来ないため、出身高校の同窓会に押しかけ、礼儀と躾の説教。これは、目上
に対する、「張り返し」の禁止強要でもある。今回、暴行現場に同席していた
白鵬に7時間以上も聴取をしたのは、一連の事件に共同謀議があったかどうか?
を、丁寧に聴きだすため? 無知が成せることか、日馬富士が『酒が入っての
暴行ではありません!』と会見で話していたが、この手の暴行は、酒の勢いが
ことを大きくする。 
『酒の勢いでないとすれば、朝青龍追放を起因としたモンゴル・コンプレックス
の怨念に対するシゴキと捉えられ、手を出さなかった2人の打合わせがあった?』
と受止められても致し方がない。その辺りを、貴乃花が警察に訴えた主旨だろう。
この怨念は朝青龍日馬富士、次は白鵬に。
 現在の理事長は、実績からして故・千代の富士にするのが慣例だった。
で、当然、その後の理事長は貴乃花が引き継ぐのが流れ。北の湖も自分の前に
白系ロシアという理由があったとしても、一期でも大鵬を理事長にするのが筋。
白鵬も実績からして当然、理事長になる権利があるが、明らかに日本人の体質
とかけ離れている。そうこう考えると、「国技」の意識と、公益法人の特権を
捨てて、新たに出発するしかない。この危うさが、また面白いことも事実だが… 
 大陸の肉食系に制圧されるのは自然の理。 しかしモンゴル劇場の終焉も、
決してオーバーではない。来場所から、貴乃花部屋力士への、陰陽の嫌がらせ
が始まる。その辺りが、見ものになる。
  有り体からすれば、こういうことだ!
角界を占拠したモンゴル人横綱三人が、『横綱アドベンテージ』を守らない
貴乃花部屋の若手モンゴル人力士を、巡業中の出身高校の同窓会に、出席し、
その一人が暴行に至った。暴力団の刑事事件なら、当然、手を下さなくとも
大親分の白鵬が共謀犯の主犯になる。この男、歴史の残る40回の優勝回数を
誇るが、大陸系のため、島国根性の日本人と体質が全く違う。今では、相撲
協会そのものが、「ポチ」にしか思えない。所詮は、「わしと違った二流
どこの連中…」と。だから、何をしても許されると。 ということは、
この男の暴走は、もう止まることはない。 来年で、舞上がりの愚行で、
「御二人」の二の舞になり、追放?の運命が待っている。その確率7割!】
大相撲そのものの品質維持のためにも、その前の、この事件の主犯として…?
 何で、あの二流どこの理事長、責任を取って辞任しないのか?
 白鵬を最低でも一年間の出場の禁止(間接的引退勧告)しないのか?
それを真剣に考えられるほど意識は高くはないだけ、ということか。

・・・・・・
5739,なぜ本を読むといいか? 〜4
2016年12月01日(木)
        <本を読む人だけが手にするもの>藤原和博
   * 本を読むだけで何が得になるか
 著者は“人生の糧を得る手段として読書をする必要があり、
教養を磨く必要がある”と『読書』に特化して論じている。読書は
損得より人生の根幹に関る問題だが、解りやすく言っているのだろう。
 体操の金メダリストの内村選手がインタビューで、
『私の脳に小さな自分がいて、競技の最中に支持を出している』
といっていた。練習の積み重ねで、「小さな自己」が、育っていて、
次の動作の指示をするという。私の小さな自己は、夜半の数時間の半睡の
瞑想状態と、起床直後のこの文章の完成とネットアップと、ミニ・チャリと、
午前2〜3時間の読書が、小さな自己を育てると思うと成る程!である。
武澤ゼミで一年間、週に1〜2度、様々な会社内トラブルの本質を討論し、
最後に、その解答が示される。それが、思いもよらない切口のもの。
太陽が黄色に見えるぐらい、絞られた上のため、ショックは大きい。
しかし、回数を重ねるうちに、正解に近い判断が出来るようになる。
そこに違った知性が別人格がいて、冷静にゼミ員を見つめているような。
 それが現実に教授でもある。現実社会に出て、会社は急速配転をして
人材を育成しようとする。当然、ノンキャリアとのトラブルが派生する。
その時々、ゼミで育成された「冷静な視線」が、自分と、周囲を見ている。
その冷静な自己が、「内なる小さな自己」に被さってくる。私にとっての
これが、歪んだ私を冷ややかに見下しているそのままが、このブログを
通し透けて見えている。見下しているのは、本人だけならまだ良いが、
世間にも向かうため、溝が深くなる?  要するにバカ!
  〜その辺りから〜
≪・幸福という定義を自分で決め、現在の自分がどの地点にいて、
 どちらの方角を目指し、どこまで達成すればいいのかということまで、
すべて自分で決めていかねばならない。人生は誰も助けてはくれない。
成熟社会は、個人がバラバラになっていくことと同義である。
それにともなって、地域コミュニティの影響力も後退していく。
日本にはもともと地域社会というコミュニティがあったが、産業化に
よって破壊されていった。その代わりの役目を果たしたのが、企業と
いうコミュニティだ。しかし、成熟社会では、それさえもアメリカ流の
グローバリズムによって分断されていく。
・じつはヨーロッパを中心に成熟社会を迎えた先輩諸国がやったのは、
国家として宗教を発動し、バラバラになっていく個人を再び紡ぐことだった。
日本のように企業がその役割を担うのではなく、宗教界が教会というネット
ワークで紡いでいったのだ。ややこしいのは、日本は太平洋戦争の影響で、
このように、国家が宗教を発動できなくなったことだ。宗教の未整備に
よって、とくに若い人たちが浮遊している。
・では、宗教の代わりに彼らをつなぎとめているのは何か。
 それが日本の若者が異常にのめり込んでいる携帯メール。
突出してメール文化が盛んになったのは、宗教の代替機能として、
つながったような気になるという側面が大きかったと私はみている。
宗教が機能している社会では、宗教が物語をつくり、幸福とは何かを教える。
でも、日本のように宗教が機能不全の国家では、自分で自分の宗教、あるいは、
その代替物としての幸福論を持たなければならない。だが、携帯メールは
その場限りのつながりを与えてくれるだけで、幸福論の代わりにはならない。
だれかに託したり、自らを捨てて帰依することができる人はそれでいいと思う。
しかし、そうではない普通の人は自分で本を読み、自分で世界観を構築しな
ければ幸福論は築けない。≫  〜序章より〜
――
▼ 明治以前、それまで国内の農民を束ねていたのが寺院。
 それを明治政府の樹立のため、国家そのものを信仰対象にした。
それが第二次大戦で崩壊したため、新たな機能が働いてなかった。
その一部を上京してきた地方出身を狙いを定めたのが創価学会。何の頼る
べく無い人に、美味しい親鸞の教え。最近では、ネットとりわけ、スマート
フォンを与えられた大衆はネットで、人との繋がりに心の安らぎを求めるよう
になった。ここで情報機器の果てしない進化もあり、読書習慣が薄らいでいる。
国家、宗教も曖昧な時代に、それぞれの人生観、幸福感が必要となる。それは、
読書により長年かけ確立しなければ、いざという時、誰も助けてはくれない。
群れれば群れるほど、繋がれば繋がるほど、孤立することになる。
私を取囲む『弧』、孤独の『弧』が曖昧のため、周囲に翻弄される。
 弧ならまだしも、「狐」に、「狐独」になり、街を徘徊するゾンビに! 

・・・・・・
5374,閑話小題 〜お金のいらない快適生活
2015年12月01日(火)
   * お金のいらない快適生活
 年金生活に浸った日々もけっこう面白いことに出会える。
年金で収入が3割減になったが、出歩く機会が減った分、支出も減ったが、
それでも身銭を削る生活は気持ちがマイナスになる。この数年、〔下流老人〕
という言葉を、マスコミで聞かない日はない。 先日、図書館で
 ーお金のいらない快適生活入門〜岸本葉子著ーを見つけ、借りてきた。
1999年の初版だが、現在こそ通用する内容。大方の主婦は、似ている節約の
工夫をしている。 内容は、「いかに金をかけずに、生活を快適に過ごすか」
がメイン・テーマ。 世の中の仕組みは、各生活レベルの人の2〜3割上の
消費をしたくなるよう出来ているが、少し節約すれば、快適生活も可能。
 〜この内容を要約すると
・ 腰湯をながらの〔読書風呂〕の勧め、
・〔漬け物漬け〕を楽しみ方、漬け物そのものを楽しむ、
・〔金券ショップ〕の極め方 〜一度、電話で問合すか、顔を出す、
・〔スーパー通い〕のコツ、 〜チラシで、特売品を見つける、
・〔ひとりファッションショー〕の楽しみ方 
       〜ハンター気分のウィンドウ・ショッピングを、
・〔大相撲のTV観戦〕、
・〔部屋いじり〕の金のかからない方法、〜(ここにはないが)百均で、
・〔風邪療法〕は〔食べて寝て治す〕がベスト〜生姜、ニンニク、葱スープ、
  などが紹介されている。 
▼ その中で納得したのが、「睡眠が、もっとも金のかからない娯楽」。
 私ごとだが、20時に就寝、4時の起床の生活で、大体、0時過ぎまで
爆睡し、4時までが、まどろみの中。その状態を、良しに出来るかどうかが
分かれ目。ポイントは、楽しいフラッシュを引出し、少しでも不快な記憶や、
考えが浮かんだ時は、トイレか、飲料水を含み、気分を変える。
 価値があるという面では、週一回のシネマ通いも、充分、価値のある快適
生活の一部。せっかく無の世界(宇宙の彼方)から地球上に、「人間」という
知的生物として、80年を与えられたのだから、最大限、楽しまなければ・・ 
 で、金が無い? いや、無いのは、知恵! しかし、大盤振る舞いも、
これまた、「快適」というより「快楽」生活だろう。 酒とツマミを買いにいった
折に、最近、「ニラ」と、「ニラの卵とじの素」を時々、買ってくるようになった。
これが、下手な中華料理店より、はるかに美味い。
今度は、「胡瓜」と「胡瓜付けの素」など漬け物にもレパートリーを広げるか! 
ケチぐさい話だが。 楽しみ方で、一番、安上がりで、価値があるのは
ネットサーフィンという。 しかし、填まりすぎには御注意! 
・・・・・・
5009,幸福優位7つの法則 −1
2014年12月01日(月)
   【幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係ショーン・エイカー著
  * 成功すると幸せになるのではなく、幸せな人間が成功をする!
 身近の人をみると、この意味を実感する。こと自分をみても、事業の最終段階
リーマンショックと3・11地震に遭遇し、倒産という事態に陥っても、不幸と
思ったことは一度もない。この程度で幸福感が破壊されるわけもなし、私を勝手
に不幸と思い込んでいる9割以上が、時代が激変する中、遥かに私より状況が
悪い?ことを知っているからだ。いずれ誰も「死」に直面するが、それを不幸と
思うか、幸運と思うかである。もし死なないとしたら、どうだろう。
ここでいう幸福の説明が分かりやすいが・・ それは次回に。
「人間は成功すると幸せになるのではなく、幸せな人間が成功するのだ」を、
言い替えると、
「人間は失敗すると不幸になるのではなく、不幸な人間が失敗するのだ」
になるが、実際のところ、不幸ではなく、むしろベストだと捉えている。 
裏表の捉え方の問題、いや、これも幻想である。
  ☆ 内容紹介     
≪「自分は幸せだ」と思える人ほど、よい結果を生んでいる。ハーバード大学
 で人気第1位の講師直伝!最先端のポジティブ心理学が解き明かす「成功」と
「幸福」の驚くべき関係。 世界中から秀才が集うハーバード大で学生から絶大
なる人気を集める「幸福学」 講座で講師を務めた著者は、厳しい競争環境でも
前向きな精神状態を作り上げて抜きんでる人とプレッシャーに負け行き詰る
人の違いはどこかを追求。
 本書では、ハーバード大生や著名企業のプロフェッショナルへの実証実験を
踏まえ、成功をめざしてやみくもに努力するのではなく、幸福感や楽観主義を
もつことが学業、仕事での成果に、組織の生産性向上、チームワークの強化に
結びつくという事実を浮かび上がらせ、その要因を幸福優位性(ハピネス・
アドバンテージ)と名付け、7つの法則にまとめた。自己啓発から組織
マネジメント、教育と幅広く応用可能で示唆に富んだ一冊。グーグル、コカ・
コーラ、IBMなど世界的企業で採用され、驚異の効果をあげたメソッド。
『努力すれば成功する。成功すれば幸せになれる』の図式は間違いということ。
努力して結果を出した人は、往々にしてさらに高い目標を設定し、成功と幸せ
を先送りしてしまう。すなわち、幸せは『成功に先行する』のであり、単なる
成功の結果ではないのだ。簡単に言おう。人間は成功すると幸せになるのでは
なく、幸せな人間が成功するのだ。≫
▼ 学生時代から幸せそうな人は、今でも幸せそうであり、不幸そうなのは、
 今でも不幸そうである。よく観察すると、「性格的に清潔感があり、明るく、
真面目で、両親に愛された人が幸せそう。その逆に、捻くれ、苛めっ子は、
不幸そうであった?」 これも、私がつくったミニ物語でしかない。現在の、
こつこつ積み上げた生活習慣は、この本の中の「幸せの状況」そのものだが・・
どうだろう、幸せだろうか?少なくとも不幸ではない。
それで十二分としなくては!     ヽ(´∀`。)ノ:。 [*☆*ォ前バヵ?
  ー次回は、幸福優位の7つの法則についてー
・・・・・・
4642, 老後の生活破綻、そして死 ー1
2013年12月01日(日)
      「老後の生活破綻 - 身近に潜むリスクと解決策」西垣 千春 (著)
 老後の生活破綻の不安は、多かれ少なかかれ万人の課題。敢えて目を背けず
直視すれば、問題を少なくすることは可能。周りに破綻事例は多くあるが、
一歩間違えれば自分自身の問題になる。まずは、ーアマゾンの内容紹介ーより
認知症、病気、詐欺、事故、子どもの失業 ―老後の生活にはさまざまな
リスクが潜む。そして一度問題が生じると、周囲に気づかれないまま生活が
破綻してしまうことも、現代の日本社会では少なくない。高齢者を助ける
サービスはたくさんあるのに、なぜ十分に活用されないのか。苦しむ高齢者を
一人でも減らすため、また、自分や家族がそうした事態に陥らないために何が
必要なのか。豊富な実例とともに考える。}
▼ 一年前に高校の同級生Kさんが自死をした。商売上の借金による苦悩の末
 と推察される。他人ごとではない。私の事業は20年、30年以上に渡る装置産業
のため、思いもよらない時代変動も事業計画に入れておかなければならない。
26歳時に事業計画に入り、一年後に貸ビルが完成した前後に石油ショックが発生。
新興住宅地中央の商業地前の、数百世帯のマンション群の計画は全て中止。
事前の思惑が狂ってしまい、ただ茫然。6箇所のテナントスペースは、空。
まずは食い扶持に、その一角で、養老の滝FCに加入し、焼き鳥屋をオープン。
何とか目先の目処をたてた。しかし、この出発時の大波が教訓になった。
《人生も事業も、不測の事態が起こることを前提に、事業計画、人生設計を
 たてること!》を、骨の髄に刻むことが出来た。 その経験が無かったら、
事業撤収も最悪の事態を向かえていただろう。だからKさんの自死は他人ごと
では無い。商売や事業破綻は凄惨そのもの。しかし誰もが何らかの形で
「人生の破綻?=死」か、その前の「老後の生活破綻」が訪れる。 
具体例として、ここで「事例で見る生活破綻」を6つ載せている。
人生の幸福度は「健康」「家族」「収入」で決まるが、老後は過去の問題が
蓄積している上に、脳も肉体も衰える。そして、介護期間が平均10年と
すると決して明るい未来でない。一年,一日、一時間一時間を充実して
生きるしかない。「人生、生きているうちが花」。「K君を偲ぶ会」で垣間
見た、それぞれの「老病死」への不安。で、クラス会の次回の幹事の他に、
ジョークも含め、今回の「偲ぶ会」の幹事から次会の「偲ぶ会」の幹事に
M君が指名。年齢からして1〜2年ごとになるはずだが・・誰ひとり次は
自分と思っていない。M君、私に「次は、御前だ!」
・・・・・・
4277, この非常事態に、万一の備えがあるの? −5 
2012年12月01日(土)
  * 創業準備、創業、盛業、衰退、倒産で、合計45年
 人生で一番辛い一つの倒産を経験をした。創業を決意し、その事業準備と
立ち上げの苦労からみれば、リスクヘッジもあったが、最後の苦しみなどの
エネルギーは数パーセントにも満たない。現在、比較的平然としていられる
のは、面の皮が厚いのではなく、総合スパンの45年か、新潟駅前シリーズの
31年スパンの物語の終わりの一場面と見てるから。二代目経営者は、
その隠された汗水の経験がない?ため、激動に対して開き直りが出来ない。
だから言動が軽くなる。極限の苦渋を味わってないため、限界が分からない
のである。そのため他人の苦境に冷たく、表面的な上面しか見るれない。
それ故の強さもあるが・・ 今回も彼らの視線の低さが露骨に見え隠れ。
その辺りが一番、面白いところだが。文章作法の「起承転結」を事業に当て
はめてみると、その辺が分かりやすい。
「起」が事業創業の決意と、その準備期。
「承」は、具体的な創業と右上がりの拡大時期。 
「転」は、ピークから右下がりの転換期。
「結」は、終焉。 
45年スパンで実際に幾つか事業経験し、9・11、9・15、3・11の歴史的大震災
の三連発で「結」を‘最悪の事態’で終えた。が、少しの無念さは残ったと
しても、「あれでは仕方がないが、面白かった」という諦念がある。 
それもこれも自業自得。「起の経験も、終わりの結の経験してない人が、非難
などもってのほか」という思いがある。これは創業経験者には分るが、未経験
なら分かろうはずがない。人は、経験と知識範囲しか物事は知りえない! 
これが一連の事業経験から得た最大の教訓! 
 創業準備の事業設計段階から、万一の場合の「シェルター」を組み込んでいた。
それが、大方の人には理解できない。喩え話でいえば、「外海の大波が内海に
迫っている中、ゴルフ場で、仲間内の噂話に夢中!の人達」に外海の津波
分からない。いや、目ざといのは、とっくに逃げている? 本来は、何事も
「起承転結」より「起承転々」の方が良いが、乱気流の中では、「転々」は、
大きくリバウンドする危険が大きい。先月、三週続いた不景気がらみの
身辺の一連の出来事、来月はないだろうが?
・・・・・・
3902, 精神力ーその偉大な力  ー3
2011年12月01日(木)
 この本を読み返すと、20歳代の気持ちに帰ったような心持ちになる。
カスターがいう精神とは信念である。信念は順調時より障害が立ちはだかった
時に現れ出てくる。その時に知恵と叡智が心底の信念の蓋から湧き出てくる。
信念から湧き出た知恵と叡智を力にして、それを乗り越えた時に、自然(神)
は真の喜びと生きがいを与えてくれる。
  ー 印象に残った箇所を抜粋してみる ー  〜精神論は、夢がある。
  * あなたは何か?
 魂の定義は「それ自身にめざめたあの力」というしかありません。
自分自身について、より深い、より根本的真理を知りうる人は、おのれに
めざめたポイントであって、大生命力に属し、己の意のままに採択を行う
ポイントだと知っています。・・ごく少数の人のみが意識的に心の操作が
できるのです。人間はおのれみずからに真に目覚めた知覚するポイントで
あって、自由意思の完全体としり、おのれの精神に指令し、感情を統御し、
身体を使いこなせるまでは、結局、眠れるに等しいのです。・・
 自分の体験や、自分の世界のうえに支配を及ぼすのは、彼みずからについて
の真理に目覚めることが前提です。・・ 私たちは、大生命力が人と化した
ものです。いずれも大生命力の人格化です。誰しも、自らの中に大生命力の
知恵、才知、偉大、表現の要具など全てを包み持っています。・・ 
各自の採択する力が各人を分けるので、その人は、まさしく一人の神であり、
その採択が、私たちに何が起こるか、未来が幸か不幸か、成功か失敗かを
定めるのです。
  * あなたの内の魔力的力
 必要なのは正しい考え方だけ。それを信頼することで正しい答えが来ること
になる。・・多くの人は、真理に直面したがらない。そして否定的な考え方が、
不幸の体験を引き寄せる。だから思考=信念に気をつけなければならない。
何をなすべきかについては、内心の直感にたより、最深の潜在意識に従って
行動すれば、物事は良い方向に動いていく。そこに魔力的力が生じてくる。
  * 内心に案内者を持つ
 自分の中を見ると、内心の案内者と呼ばれる能力があるのが分かる。
虫の知らせや、霊感などによって、理性を超えた予知を感じ、その方向に
行くと、そのとおりであったことが、なんべんもあったでしょう。あなたの
内部には何かがあります。それは心の水準に従い、あなたを導いて、正しい
ときに正しいところに、正しい言葉を使わせ、正しい方法で、正しいことを
させます。あなたたち自身の中には、理知と知恵があります。
この特性が、思わしいほど多いと感じる人は、誰もいませんが、その知恵と
叡智を使って体験することに限界を感じる人はいないはずです。その叡智と
知恵は、無限に、その人の内にあるのです。私たちの中には、喜びや楽しさ
の特質があります。それが少ないとしたら、それは、その人に少ないからで
なく、その道筋を知らないだけ。その能力こそ、内心の案内者といえるのです。
その人を探し出すのは、その人だけです。大生命力が、その仮身となって、
呼びかけられるのを待っているのです。「良きこと、悪きことはないのです。
ただ思いが、それをつくるのです。」

つれづれに

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今日のYoutube

 今日は、シネマの日。早いものだ。

 明日は、東京で大学の同級会。ここも、毎年、死亡や寝たきり
など。減員で、中学・高校と同じく、同期会になりつつある。
今夜は中学の同期会があるが、二日連続は肉体的に無理のため、
欠席予定。






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3902, 精神力ーその偉大な力  ー3
2011年12月01日(木)
 この本を読み返すと、20歳代の気持ちに帰ったような心持ちになる。
カスターがいう精神とは信念である。信念は順調時より障害が立ちはだかった
時に現れ出てくる。その時に知恵と叡智が心底の信念の蓋から湧き出てくる。
信念から湧き出た知恵と叡智を力にして、それを乗り越えた時に、自然(神)
は真の喜びと生きがいを与えてくれる。
  ー 印象に残った箇所を抜粋してみる ー  ~精神論は、夢がある。
  * あなたは何か?
 魂の定義は「それ自身にめざめたあの力」というしかありません。
自分自身について、より深い、より根本的真理を知りうる人は、おのれに
めざめたポイントであって、大生命力に属し、己の意のままに採択を行う
ポイントだと知っています。・・ごく少数の人のみが意識的に心の操作が
できるのです。人間はおのれみずからに真に目覚めた知覚するポイントで
あって、自由意思の完全体としり、おのれの精神に指令し、感情を統御し、
身体を使いこなせるまでは、結局、眠れるに等しいのです。・・
 自分の体験や、自分の世界のうえに支配を及ぼすのは、彼みずからについて
の真理に目覚めることが前提です。・・ 私たちは、大生命力が人と化した
ものです。いずれも大生命力の人格化です。誰しも、自らの中に大生命力の
知恵、才知、偉大、表現の要具など全てを包み持っています。・・ 
各自の採択する力が各人を分けるので、その人は、まさしく一人の神であり、
その採択が、私たちに何が起こるか、未来が幸か不幸か、成功か失敗かを
定めるのです。
  * あなたの内の魔力的力
 必要なのは正しい考え方だけ。それを信頼することで正しい答えが来ること
になる。・・多くの人は、真理に直面したがらない。そして否定的な考え方が、
不幸の体験を引き寄せる。だから思考=信念に気をつけなければならない。
何をなすべきかについては、内心の直感にたより、最深の潜在意識に従って
行動すれば、物事は良い方向に動いていく。そこに魔力的力が生じてくる。
  * 内心に案内者を持つ
 自分の中を見ると、内心の案内者と呼ばれる能力があるのが分かる。
虫の知らせや、霊感などによって、理性を超えた予知を感じ、その方向に
行くと、そのとおりであったことが、なんべんもあったでしょう。あなたの
内部には何かがあります。それは心の水準に従い、あなたを導いて、正しい
ときに正しいところに、正しい言葉を使わせ、正しい方法で、正しいことを
させます。あなたたち自身の中には、理知と知恵があります。
この特性が、思わしいほど多いと感じる人は、誰もいませんが、その知恵と
叡智を使って体験することに限界を感じる人はいないはずです。その叡智と
知恵は、無限に、その人の内にあるのです。私たちの中には、喜びや楽しさ
の特質があります。それが少ないとしたら、それは、その人に少ないからで
なく、その道筋を知らないだけ。その能力こそ、内心の案内者といえるのです。
その人を探し出すのは、その人だけです。大生命力が、その仮身となって、
呼びかけられるのを待っているのです。「良きこと、悪きことはないのです。
ただ思いが、それをつくるのです。」


・・・・・・

3537, 上質な人生
2010年12月01日(水)

図書館で【上質な人生へようこそ】ー『セオリー』2007年vol.12 ーという特集の雑誌をみつけた。
まず人生に上質などあるのか?という平凡な反発があったが、テーマからして面白そうで読んでみた。
期待に反して? なかなか奥行きの深い言葉が次々と出てきた。下質な人生なら、周辺にいくらでも
転がっている。誰もが、自分を少しは上質と思っているから生きられるのである。
私に、「貴方にとって上質な人生とは、どのような人生か?」と問われれば、「自分のやりたいことを早く
見つけ、生涯を通して楽しむことが出来て、最後に面白くて、良かったいえる人生」と、迷わずにいう。
それぞれの人生があるから、他人が比較するものでない。そのためには努力と忍耐と勇気が必要である。
  □ この特集の中で印象に残った言葉を抜粋してみる
*「お金の使い方で分かります」イタリア人は貯蓄をゼロにして、この世をさる。 
 「家と車について考え方を変えるー家と車に日本人は金をかけすぎ。小さな家でもいいじゃないか!
  家と車のローンで一生を終えてしまう人生に疑問。 お金の準備、遊びの準備が必要」大前研一
*「他人の基準にふりまわされ、ゆたかな人生を追い求めるほど、『上質』とはかけ離れていく。
  物が溢れる今の時代だからこそ、自分の基準で(ほどほど)を知ることが必要」
 「仕事も人生も、型を極めながらも肩の力が抜けた、ある種の軽やかさを持つところに、
真の上質が宿るのです」                 「女性の品格」著者・坂東真理子
*「『将来なんてものは、どこにも存在してない。現在幸福である以外に、幸福であることはあり得ない。」
                                        池田晶子
*「『また会いたい』そう思わせる人が、上質なんだと思う」 
  ~~
 中学校にしろ、高校にしろ、やはり上質というか、品の良いのはいた。残念?なことに、それが
そのまま成績にも、その後の人生にも大きく影響をしていた。品性が良いだけでなく、バランス感覚が
違っていた。この年齢になってから、若いときに出会ってきた人などを改めて照射してみると、全く
違った基準でみることになる。品性だけは、隠しようがないもの。 やはり、家柄や、生まれ持った
本人の性質があるようだ。 なるほどカントがいう、『良心』が親から受け継がれてきた人と、
その逆の人とでは、長い人生で大きな差が出るもの。 それが端的に出るのが、酒癖、女癖である。
 私など、・・・・・

・・・・・・・・
3162,人生に関する小題
 2009年12月01日(火)
* 人生は玩具箱
「人生とは畢竟、運命の玩具箱だ。人間とはその玩具箱に投げ込まれた人形だ。」(有島武郎
言いえて妙である。 そこには、これまで乗った車、住んだ家、他の人形もある。
「玩具の喩えを他人に喩えるのは問題である」と、いうのは別の機会にする。そこで「人生は宝箱」という
言葉が思い立つ。(恐らく誰かが比喩をしているはず)行蔵の一つ一つが宝とすると、幾らでも宝はある。 
それでは「人生はゴミ箱」というと、それほど無いのは、無意識で自分の心をコントロールしているためか? 
そうでもないか?お宝は、心の底から感動したこと、全身全霊で何かに打ち込んでいた時と事をいう。
反対に、ゴミ箱は中途半端な時間を過ごしていた時? 無駄も必要だから、それは違うか。
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* わたしは地上でたった一人になってしまった
 「孤独な散歩者の夢想」は、64歳のときに書き始め2年後の死ぬ直前に終わった文章、ルソーの絶筆である。
「第一の散歩」から「第七の散歩」まであり、その後は「八、九、十」がメモのような文章が続く。 冒頭で
「こうしてわたしは地上でたった一人になってしまった。人なつっこい人間でありながら、万人一致の申合せで
人間仲間から追い出されてしまったのだ・・ わたしは、かれらから離れ、すべてのものから離れたこのわたしは、
いったい何者か」と問う。「自分に残されたことは、すべての世間から放逐された自分はいったい何者なのかを
探求することだけなのだ」と自覚する。 私の周辺で倒産時の男たちの気持ちは、まさに、このようだろう。
多くの取引先、そして部下を路頭に迷わせ、自分の存在の卑小さと、嫌らしさに自己嫌悪を一人する。 
自分は何者なのか?ただ、歩くこともままならぬ、折れてしまった、これ!である。
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*「人生は軍務のようなもの」と考えれば楽
 エピクテートスの「人生談義」の中に、以下のような言葉がある。
《 人生は軍務のようなものであるのを諸君は知らないか。 或る者は歩哨をやらねばならないし、
また或るものは戦うために出て行かなければならない。 皆が同一の処にいることもできなければ、
また善いことでもない。だが、君に何かもっと辛いことが課せられるとき、君が将軍から課せられた
任務を果たすことを怠って不平をいい・・・ それは軍隊がそういうものということを理解していない。
というのはもし皆が君のまねをするならば、人は豪を掘りもしないだろうし、また保塁をめぐらすことも、
危険を冒すこともしないだろう。 むしろ戦争に役に立たぬように思われるだろうからだ。(中略》・・・・
各人の生活は戦役、しかも長い複雑な戦役のようなものである。君は軍人の本分を守らねばならない。》
 = 最近、つくづく実感することである。「人生は不条理!と割り切るしかない」ということか?
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2797.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・6
2008年12月01日(月)
 ー「学ぶ」ことは「知る」こと。「知る」ことは「変わる」こと。ダーウィンの次の言葉が好きだ。
「もっとも強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き残るわけでもなく、
 唯一生き残れるのは、変化できるものである。」だから「学び」、「知り」その結果、「変わる」こと
しか生き延びることが出来ないのだ。それにしては、あまり代りばえしないのは、如何いうことか・
  ーーー
「第5の法則】
  「学ぶ」ことは「知る」こと。 「知る」ことは「変わる」こと。「その瞬間に、わたしは自分が
本当にやりたいことを確信した。誰かのためではなく、打算的でもなく、自分の中のにある純粋な興味
から、ただただ、それを学びたいという 気持ちが芽生えたのだった」 エドワード・テーラー
「学ぶということは、これまで理解していると ずっと思い込んでいたことに対して、
 突如として まったく違った見方をすることです」          ドレス・レシング
「教育とは、学校で習ったすべてのことを 忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう。
 そして、そのカを社会・が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、
 みずから考え行動できる人間をつくること。 それが教育の目的といえよう」
「学べば学ぶほど、 自分がどれだけ無知であるかを思い知らされる。
 自分の無知に 気づけば気づくほど、よりいっそう学びたくなる」  アルバートアインシュタイン
「どんな教育もつきつめていけば、独学につながる。
 その意味で、独学が唯一の教育であると、私は確信している」       アイザック・アシモフ
「知恵を獲得する過程で、 忍耐があれば、すでにその半分は 手に入れたようなものである」ユダヤの諺
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2007年12月01日(土)
2432, 田淵節也 -「私の履歴書」最終日        オッ ヽ(゜∀゜)ノ ハー
11月の「私の履歴書」は野村證券の元会長の田淵節也であった。週に2日位は読んでいたが、昨日が
最終日であった。アメリカの衰退と、その隷属国家の日本の動乱?を予測。バブルが弾ける直前に、彼が
「株は長期に低落する。「時代は変わった」と言ったのを憶えている。その時、「株屋のオヤジが
こんなことを言ってよいのか?」と驚いたが、再び、ここで同じことを予言している。
「また、海の色が変わる!」という。
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日経新聞私の履歴書」2007年11月30日ー
 =アメッポンの行く末は 世の中変わる、不変の真理=
  *再度・海の色*
バブルが弾ける直前に、僕は株式相場の潮の変り目を直感して「海の色が変わった」と発言した
ことを書いた。今、その時感じたのと同じような胸騒ぎを覚える。 「アメッポン」(アメリッポン
と言う人が多いが、僕はアメッポンを使う) と言われる日本は米国に振り回されてきた国だ。
その米国が今また大きく変わる節目にあるような気がしてならない。
 来年の大統領選挙で優勢が伝えられている民主党候補が勝てば、イラク戦争への厭世気分が一段と
高まり、中東情勢は混沌とするのではないか。中東情勢が混沌とすれば、ペーパーマネーのドルの
信認が低下し、米国は金や原油穀物などの実物資産を裏付けとする新しい通貨制度を考え出すので
はないかと思う。そうなれば、金本位制が「ドル本位制」に変わって以来の大変化だ。世界中が混乱、
アメッポンの日本は一番大きな影響を受ける。 既に、世界はざわついてきた。
僕は安倍晋三前首相のお父さん(安倍晋太郎元外相)と親しかったが、安倍さんが総理になった時、
「蒸留水しか飲んだことがない人は持たないのではないか」と思った。小沢一郎さんが天下を取る
のか小泉さんが再登場するかは分らないが、いずれにしても、日本は大揺れするのではないか。
高度成長期以来、ぬるま湯につかってきた日本は、久しぶりに大激動の時代を迎えることになる
ように思う。 僕は日本の将来を悲観も楽観もしていない。 日本は世界屈指の豊かな国だ。
「職人国家」としてそれなりのステレータスを保っていけると思うから心配していない。
最近、円高を歓迎するようになったのは進歩だと思う。もっとも、軍事力も持たずに「金融立国」の
幻想を抱いている人は幻滅するかもしれないが……。「履歴書」を書く機会を与えられ人生を振り
返っても、僕の人生なんて波欄万丈には程遠く大したことはない。改めて人生観を自問すれば、
「人間は太古の昔から同じことを繰り返している動物」ということだ。人生は思った通りにならない。
それは残念なことだが、だから人生は面白いのであり、結果的にハッピーなのではないか。
「人間三代でチャラ」とはよく言ったもので、いい事ばかりは続かないし、悪い事ばかりも続かない。
人間、何が幸せで何が不幸か、本当のところは分からない。それもまた人生の面白いところだ。
人間は変わらないが、世の中は変わる。これが実感であり、不変の真理なのだと思う。・・・・
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解)今年から5~10年にかけて、歴史的にみて動乱期に入った!ということだ。
それと日本を「職人国家」という見方も面白い。今後のアメリカの没落は誰の目にも明らかなこと。
とすれば、アメリカの国債を半強制的に持たされた日本は、アルゼンチン並みへのプロセスに
入るのは当然である。
                  (σ’д゜)バイ!
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  2006年12月01日(金)
 2068, あたりまえなことばかり -19
     (+>∀<+)ノ おぁはは~ようさん!
 哲学的にみると、トラウマ「心的外傷」に対して、心は物理的に存在していないのだから、
 外傷と言えないという。しかし深い悩みを持った人は、心を肉体に喩えると大きな傷を負っている。
 大きな傷として仮定して、その傷口を消毒し、外科的な手当てが必要である。それが精神科であり、
 セラピーの役割となる。それぞれの立場・見方も必要である。以前は、癒しなどの言葉は無かった。
 精神科があってもセラピーなどあったのだろか。手相などの占いが、昔流のセラピーの役割をして
 いたのだろう。私の場合の心の危機の場合、読書、音楽、ウォーキング、酒を飲んだり、
 このHPなど、癒しそのものである。最近は、これに早朝の曼荼羅モーニング・ページである。 
 それに毎朝の仏壇の前の祈りもある。ストレスなど溜まるわけがないが、それでも少しは溜まる。  
 自分の連れ添いが自殺したり、子供が自分のミスで死んだりした時に、癒しなどという言葉は、
 あまりにも甘く聞こえてくる。自分で自分を救う以外ないだろうが、自分で自分を癒すなどできは
 しない。そう考えると、癒しとは「目先の心の傷を応急処理すること」ということになる。
 それも大事なことである。それをしなかった為、精神病になる糸口になるからである。
 まあ、この本の抜粋もなかなか面白いが・・・ 
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どうすれば癒されるのか  
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癒しは「ストレス発散」「コンプレックス解消」に比べると、具体性に欠ける。ストレス解消のため
カラオケに行く。コンプレックス解消のために化粧をするという具体性は無い。 何となくふわふわと
浮わついた「雰囲気気」、それが当の癒しであるとするならば何となく納得する。 だとしたら、
癒されるべき傷などどこにも無かったか、その程度のものである。具体的なものが見えないから、
漠然とした物欲しげなそこへ、各種のグッズやセラピーが商品として流通するという構図である。
しかし、受動態「癒される」の主語あくまでも「自分」なのだから、主語を支点にこれを能動態に
変換すれば、「自分が自分を癒す」になる。「癒し」とは、各種グッズやセラピーによって、自分で
自分を癒す能動的行為であると言うこともできる。自分で自分を癒すとは、どういうことであろうか。
癒すためには癒されるべき傷がなくてはならない。傷とは何であろうか。傷ついているのは自分である。 
そう思っているのは誰だろうか。「自己治癒」という、いっけん明瞭なようなこの概念は、日常レベルの
予測をはるかに超えた、広がりと奥行きと複雑さを持っている。それは、一般的な問いのある種の
逆転によって垣間見られる。
「私とは何か」  ->「何が私であるのか」 「心とは何であるか」->「何が心であるか」
「心はどこにあるか」ではない。「何が心であるか」である。「どこに」は、既に三次元空間内に
それがある存在していることを前提としている。脳も心もこの三次元空間内の物体である。
しかし、心の痛みは、その痛みはそのものは、物理的な存在ではない。本来、物理的な存在でない
ものを、物理的な存在であるように表象する、もしくは表象させるそのような命名が、多くの誤解を
生じさせている。トラウマ「心的外傷」、その視覚的イメージが、何がしかの塊り状のものが、
傷口を空けているという光景である。 心的外傷、すなわち心が外から受ける傷である。
物理的でないものの、「外」、その「内」とは、どのような区分であろうか。「心の外」とは、
どこを指すのであろうか。「心」に外と内があるというのは、これも長い我われの錯誤は、「私」
が身体であるという一方の強力な錯誤と手を組んで、「私の心は体の内側に存在する」、その主観
である。そしてそれは客観としての世界もしくは他者とは関係しないか対立する、という錯誤の
世界像として定着する。したがって、「私の心に傷を与えるのは、世界もしくは他者である」。
トラウマ理論とは、あるいは主客二元の世界観に典型的な、短絡的解釈ではないだろうか。幼少期に
虐めを受けたから性格はこうなった、という遠い原因から、あなたにそういわれたから私は傷ついた、
(字数制限のためカット、10年12月01日)
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2005年12月01日(木)
 1703, 政府系金融機関の統合                (~O~)ふぁ
政府系金融機関が三年後に統合されることになった。郵政民営化にともなう郵貯の出口
の縮小処置である。悪く言えば、中小金融機関への貢ぎもの(中小企業の債権)である。    
思いきった人員整理も断行されるから、政府系金融機関の職員は仕事にはならない。統合は
地方の切捨てでもある。(@_@;) 戦後60年、地方への過剰投資が目にあまったことも事実。
四国への三本の大橋の建設は、この象徴である。 (=_=;) 糖尿体質の現在の地方には過激な
手術になるが、グローバルの時代に中途半端な体質変換では日本そのものが衰弱死をしてしまう。 
(字数制限のためカット、09年12月01日)
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2004年12月01日(水)
1338, 「自分を活かす極意」ー 読書日記-2 
 ー自分のクセを技に変えるー
三色ペンの技法に次いで、この言葉が印象的である。 その文章を抜粋して考えてみる。
ーでは、ふつうに日常生活を営み、ある程度の年齢に達成した私たちには何を技にすればよい
のだろうか。私は究極的には「クセの技化」だと考えている。 武道や芸道ではクセを直して
技を身につける。しかし、年齢を重ねると、クセはほとんど直らないものである。それを直そう
とするよりも、それを芸にする、
 (字数制限のためカット、10年12月01日)
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2003年12月01日(月)
971, ナレッジマネジメントー2
 「マルコムボルドリッヂ国家品質賞」について
字数の関係でカット(2007年12月01日)
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 2002年12月01日(日)
597, スーパー床屋 -2
そこで働く人たちはほぼ全員椅子貸しの契約社員。TVで見た範囲の知識だが、頭の洗いは
省略をして掃除機のようなもので吸い取ってしまう。髭そりもオプションになっているようだ。
一人当たり10~15分で仕上げてしまう。特に土曜と休日に集中するという。それなら美容院
もあってもよいのではと思ったら新潟にも全国チェーンで「クイーン&キング」という名で青山
にあるという。 これなら家族でいける。知人が最近スーパー床屋に切り替えたと言っていた。
月に一回行っていたのを2回行くようになったとか。それでも安いという。「将来殆どがスーパー
床屋にきりかわるだろう」と言っていた。自宅の近くのSCゾーンの一角にスーパー銭湯が開店
するが、その中にスーパー床屋が併設されると家内が言っていた。 500円の銭湯に1500円
の床屋で2000円である。それでも床屋の半額なら大部分がそちらを選ぶだろう。今の回転寿司と
寿司屋の使い分けの状態ににてくる。寿司屋も数年前に80?は回転寿司に取って代わると食堂
専門誌に書いてあった。現在その流れが加速している。年に1~2度寿司屋に行って、月に
1~2度回転寿司に行くパターンになってきている。学生時代の事を思いだした。池袋駅の地下に
半額に近い床屋があった。多くの若い女性の従業員がいて広い店であった。いつも満杯であった。
ただ一回で二度と行かなかった。若い女性にミニスカートに胸の開いたブラースを着せて色気を
売っていた店がある時期流行ったという。 クラシックを流している床屋もあった。 何か床屋
談義になってきた