* 「自己実現」と「自我実現」の違い
 自己実現を果たすべく生きてきたが、「自我実現」でしかなかったのか?
そういえば私も、40代後半から、事業面だけでなく、私的ライフワークに、
シフトを大きく変えていた。
  〜ネットに、理解し易い内容があった〜
≪・『「自己実現」は、スイスの心理学者であるユングが考えたもので、
 彼は人生の前半は「自我実現」を目指し、後半に「自己実現」に取り組むのだ』
 と言いました。
 私がみなさんの相談にのっている感覚だと、30歳台〜40歳台頃に、この
「自我実現」から「自己実現」へのコーナーを曲がる人が多いなと感じます。
 自我実現から、無意識と共に歩む「自己実現」に入ってきている人はたくさん
 いるはずです。
  ☆<その人生の前半に目指す「自我実現」と、
    人生の中盤から目指していく「自己実現」の違いは何でしょうか?>
 =ユングいわく「自我実現」とは、「社会的に評価されるようなこと」
  分かりやすく言うと、
【やると決めて、それができた!→みんながすごいと言ってくれたり、
 自分も達成感がある→自分を褒められる、認められる】
 そんな感じが、自我実現モード。
「意識的・理性的に予想していた(意図していた)成功や実現を得ていく」とか
「(目に見える形で)何かできたら、自分を認められる」というのは、自我実現
 的といえます。
=それに対し「自己」とは、意識だけでなく、無意識も含んだものを意味します。
 ですから、「自己実現」というのは、 潜在意識や無意識という訳のわから
 ない要素が突入してきますので、思い通りにいかないことも増えます。
☆ <え?自己実現って、やりたいことを実現することではないの?>と思うかも
 しれませんが(それが普通の反応かもしれません)
 人生中盤以降で取り組む、ユングのいう「無意識と共に歩む自己実現」とは、
【どうなるかを決めて、その通りに実現させてナンボ】(自我ワールド)から
【どうなるかわからない世界も、自分の中に取り込んで統合していく】
 (自己ワールド)という世界になってくるという意味があります。
・でも・・・いままで、どうするか決めて、結果を出したら自分を認めてきた、
 コントロール好きの「自我」にとって、どうなるか分からず、訳も分からず、
 成果が見えないというのは、コントロール不可能ですから、ストレスフルで、
 怖いものです。そうなると、自我にとって、自己は脅威になり、必ず、自我は
 抵抗します。
「わけのわからない事とか、どうなるかわからない世界を取り込むなんて、
 振り回されるし嫌!」
「そんなの不安で耐えられない」
「成果が見えなかったら、どうやって自分を評価するの?」
「成果がなければ、誰も認めてくれないんじゃないの」
このような思考の自分は、ヤングな自我実現モード。 …  ≫

▼ 何気なく使っている、「自我」「自己」も、無意識が含まれるかどうかで、
 分かれてくるという。「自己ワールド」と、「自我ワールド」の境目を明確
にしておかないと、自己分裂に陥ることになる。そう、「他者の自我」に、
「自分の自己」が、押しつぶされる「群れの自己」いや「群れの中の自我」に
陥ることになる。それが「世間」という群れの正体、「劣化した自我ワールド」
の立派な一員の姿である。
オバマ前米国大統領と、トランプを、例えてみると、「劣化した自我ワールド」
は、明らかに? 腐った裸の王様のシャッポを被ったアメリカの混乱、天罰と
言えば、それまでだが… 面白いことも確かである。

・・・・・・
5636,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー最悪の想定
2016年08月20日(土)
   * 最悪の想定
 新しい分野へ一歩踏みこむ場合、そこに不安と、苛立ちが立ちふさがる。
不安状態から、行動にうつるためにはどのようなステップを踏めばよいか。
カーネギーの『道は開ける』では、非常に簡潔な下記の3つのステップを
紹介している。
一、「起こりうる最悪の事態とは何か」と自問すること。
二、やむをえない場合には、最悪の事態を受け入れる覚悟をすること。
三、それから落ち着いて最悪状態を好転させるよう努力すること。
『道は開ける』 〜悩みを解決するための魔術的公式 P.53〜

この道理を、学生時代に読んでいたお陰で、どれくらい難関で、助け
られたことか。特に、最悪を想定し、そこから、計画を設定していく。
創業では、事業失敗からくる自己崩壊の回避である。
 賭け事で、一番確率が良いのが『創業』という。それでも5〜6%の確率。
失敗の94〜95%の想定をして事前に手を打っておかなければ、踏み出せない。
事業整理を、まだ止めときでない時節に、決断を出来たのは、創業計画段階で、
最悪の想定をしていたため。そこが出発点のベースになる。その辺りを「畜群」
には知りようがない。長年かけた人生設計、事業設計など分かりはしない。
 事業の失敗を想定して
・息子も含めて、親戚縁者は会社に入れない
・15%は家内名義の給与を与え、別通帳にしておく
 当然、連帯保証に妻子はしない
・当月の20日締め、月末払い(実質的現金払い)を守る
・手形決済は、問題外
・合法的裏金を長年かけて準備する。例として(会社が私に掛けた生命保険の
 掛金7〜8割が、契約解除と同時に戻ってくる契約で、その期ごとの経費で
 落ちて、その存在は、帳簿上から消える。しかし現在は禁止されている。)
(妻子への無税相続の贈与)などなど。これも長年かけなければ効果は少ない。
 だからこそ、畜群の視線の幼稚さが浮上がって見えてくる。まさかの最悪が
 起るのは事業であり、人生である。 当然、畜群に、その後、次々と酷い最悪
 が襲っているが、本人は、そのことに気づかないから始末が悪い。
『それにしても、まさか自分がネ!』は、同世代なら、全て人の問題である。

・・・・・・
5271,閑話小題 〜天津の大爆発 
2015年08月20日(木)
   * 天津の大爆発 
 〜まずは、この事件のニュースの一部から
【 爆発現場の空気中から高濃度の有毒な神経ガスが検出されていたと伝え
 爆発現場の倉庫には700トンのシアン化ナトリウムや、800トンの硝酸
アンモニウムなど、 40種類以上の危険化学物質計3千トンが保管されていた。
中央テレビによれば、専門家は「こうした物質が水と混ざったり、アルカリ化
したりして神経ガスができるほか、 爆発の過程で化学反応を起こし、有毒性の
ガスが生じる」と 指摘した。 中央テレビでは「神経ガスを吸い込めば呼吸器
系統や心臓などが突然停止し、死亡に至る可能性がある」と紹介した。】
 テロではないと思うが、どうだろう。数百人が爆死をしたと思われるが、
実際の死者数は表立てないだろう。 もし危険物質の存在と、ずさんな管理の
隙をテロリストに狙われたなら、ことは深刻。この事故、中国政府にとって、
株価暴落、二度の人民元の引下げ直後であり、あまりにタイミングが悪い。
 ネット上の、この事件による影響についてのコメント、
≪ 世界第四位の港、天津大爆発はタイミングが悪かった。
 輸出依存型経済モデルから内需主導の経済への戦略的転換点で、
この大事件が起こり、日本企業を巻き込み、サプライチェーンが破断された。
ときあたかも、目指す内需は不動産不況の余波で盛り上がらない。
大都市では不動産価格の上昇も見られるが、全体で見れば、まだ住宅過剰在庫
を持て余している。新規住宅建設が低調なので、そこで使用される素材である
鉄やセメントなどの需要も急減している。そうなると負の連鎖で、鉄やセメント
工場の設備投資は増えない。更に、新たな経済を主導する産業セクターとして
期待されている医療、教育、観光、情報産業などへの移行も遅々として進まない。
現状を放置すれば、世界的経済減速で旧経済モデルの輸出も盛り上がらず、かと
いって新経済モデルの産業も伸び悩む、経済構造変換の端境期にあるわけだ。
そこに天津大爆発の追い打ち。 既に、習政権は、人民元切り下げという
「伝家の宝刀」を抜き、力づくで、中国製品の国際競争力を高め、他国の輸出
を奪う戦略に出ていた。今回の急激な人民元切下げは終息したようだが、また、
近い将来、その第二ラウンドが起こるだろう。通貨安競争は終わってない。≫
▼ この爆発は、世界第四位の港の保管庫で起こった事件。毒ガス、化学兵器
 の保管庫?というのは明らか。あの穴の大きさからみて、ただならぬ爆発
だったことが分かる。共産党内部の権力闘争の真只中で起こった化学兵器倉庫内
の大爆発、単純な火災爆発でないと見るべきである。何か変だが、それを
隠すため、矛先が海洋への領土侵略に、より強く向かう可能性が高くなる?
・・・・・・
4906,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー1
2014年08月20日(水)
     『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』石井光太
  * 小さな神様見つけ方  〜� 幻のプロ歌手への夢  
 前回取り上げたー『レンタルチャイルド』の著者、石井光太の最近の著書を
図書館から借りてきた。『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』である。 
その中にあった‘小さな神様の発見’が良い。
 まず、インドネシアストリートチルドレンの「小さな神様」の話である。
ストリートチルドレンたちは常に飢餓や伝染病の危険に瀕していますが、
 決して意気消沈しているわけでない。街角で友達と追いかけっこをしたり、
肩を組んで流行の歌をうたったりしています。私はそんな姿を見て、彼らの
精神力の根本には何があるのかと不思議に思っていました。ある日、私は理由を
知ることになります。何人かの子供たちと話をしていたら、共通する逸話がある
ことに気づいたのです。それは彼らの希望ともいうべき話。次のようなものです。
 『この国は貧しいから、ストリートチルドレンとして育った子供は多いだろ。
だけど、歌さえうまくなればお金持ちになって楽しい暮らしができるようになる
んだ。昔、この町のストリートチルドレンに毎日歌をうたって上手になった人が
いた。彼は路上で歌をうたって施しを求めていたところ、音楽プロデューサーに
スカウトされてプロの歌手に。瞬く間に有名になり大金持ちになった。
僕もそうなるんだ。毎日路上でうたいつづけているのは、これが僕にとって成功
する方法だからだ。僕は先ぱいのようにプロ歌手になって大金持ちになるんだ』 
 似たようなことを多くのストリートチルドレンが喜々として語っていました。
彼らによれば、ストリートチルドレン上がりの歌手は何人もいるそうです。
ストリートチルドレンにとってこういう歌手は目標になっている。
彼らは学校教育を受けていないため大きくなってもまともな仕事に就けることは
ほとんどありません。だからこそ、プロの歌手になることを目指して毎日歌を
うたいつづけている。私は何人もの子供たちからこの話を聞くにつれ、
「プロの歌手」というのが誰だか気になりました。 ある日、レコード販売店
を訪れ、その歌について尋ねてみたら、店長はきっぱりと、
『そんな歌手はいないよ。ストリートチルドレンたちの妄想だろ。路上で育った
子供は社会的な常識もなければ、麻薬で体はボロボロになってしまっている。』≫
▼ チャップリンが似た状況から、歴史的喜劇役者になった事例がある。
 しかし、そこは欧州の話。インドネシアでは不可能だろう。その中で、
小さな神様という共同幻想をつくり、信じることも必要だろう。
ムンバイのギャングに売られたり浚われた子供たちは、その中で、マフィアを
慕っている。彼らは、やさしくしてくれるからである。そして、それぞれが、
それぞれの「小さな神様」を見出している。 ところで私の小さな神様は何だろう。
ありきたりだが、私は両親。 母親が常日頃の口癖、
『私には、幼い頃に亡くなった父親の背後霊がいて、子供の頃から私を守って
いてくれていた!』 幸せな人と思っていたが、68年の人生を振り返ると、
極限になると両親から受継いだ体質が自分を守っていた。 
ただ末っ子のファザコン、マザコンでしかないが・・ 有難いことである!
・・・・・・
4539, 閑話小題 ー新富裕層の出現と移住
2013年08月20日(火)
 一昨夜のNHKスペシャルで、日本やアメリカなど新富裕層が節税のため税率の
低い国への移住する人々を取り上げていた。株式の利益に対しては税金ゼロ。
所得税も、日本の4割未満とか。 ーNHK・HPの番組内容の説明によるとー 
《 世界中で巨額の資産をもつ新富裕層が増えている。経済のグローバル化
 金融の高度化により、短期間で富を築くことができるようになったためだ。
こうした新富裕層を自国に移住させ経済を活性化させようという国も増えている。 
所得や金融取引にかかる税金を安くすることで、やり手の起業家を呼び込む。
日本人新富裕層が向かうのが、シンガポール。新富裕層の実態や各国の思惑を
取材し、世界経済に与える影響を探っていく。》とある。〜ネット検索によると
《 調査会社キャップジェミニとロイヤル・バンク・オブ・カナダが共同で
 調査した。 富裕層は、居住用不動産を除く金融資産を100万ドル(約9700万円)
以上持つ人と定義した。国別では米国が前年比12%増の343万人と圧倒的な首位を
キープした。米国のS&P500種 株価指数は昨年、13%上昇。米住宅市場の回復
もあり、富裕層の持つ資産がかさ上げされた。 米国では富裕層の金融資産のうち
4割弱を株式が占める。リスク資産への投資比率が高いことが伸びに寄与した。
2位は同4%増の190万人となった日本。3位のドイツ(101万人)を含め、
上位3カ国で 世界の5割強を占めている。アジアでは中国(64万人)と韓国
(16万人)がそれぞれ14%、11%伸びた。 一方で、低迷 したのが中南米
景気の鈍化が深刻なブラジルは16万人と前年のほぼ横ばいにとどまった。
富裕層人口は世界に1090万人存在し、その保有資産も約42兆7000億米ドル
(同9.7%増)と増加中。・・・ 》とあった。
▼ NHKのレポートで、シンガポールで「フェラーリを持っているのが参加資格
 のクラブ」の一人の日本人を取り上げていた。殆どが真っ赤なフェラーリ
スポーツシャツも同色で10数人が集っていた。可愛いいが、そこには金の情報
が集まる。国籍をシンガポールなど税金の安い国に移すのは、財政危機の日本
では、自然の流れ。「富裕層=ミリオネア」(金融資産1億以上)の中に、
金融資産10億円を超す「超富裕層=ビリオネア」が存在、ビリオネアは日本に
2万6千人存在している。  現在のところ表立った株式や国債の暴落は無いが、
ある日、何かの切っ掛けで爆発するのは時間の問題。私が審査基準の5億?以上
の金融資産があれば、シンガポール辺りに。
・・・・・・・・
4164, 老年行動学 ー2
2012年08月20日(月)           
 * 自伝的記憶       
     「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一(著)
 最近、思い出す頻度が高いのは20〜25歳の頃のことが多い。当時の日記が
残っているためと思っていたが、その年頃は強い感情が満ち、自由で未来への
旅たちの時節。少しの決断が、人生を大きく左右に分けてしまい後悔も大きい。
多くの自伝的記憶は、この頃がピークになる。あの極度の緊迫感のあった日々は
過酷だが懐かしさが残る。  ー次の部分は、理解しやすいー
≪ 日常のできごとの記憶である「エピソード記憶」のうち、自分の人生に
 関する「自伝的記憶」だけは、20代をピークに、10歳後半から30代前半まで
の青春時代のできごとを、たくさん思い出すのです。なぜか青春時代よりも
今に近い、30代後半以降のことは、青春時代ほどには思い出しません。
この、青春時代の記憶を突出してたくさん思い出す現象を、
「レミニッセンス・バンプ」と呼びます。レミニッセンス・バンプは、老人に
限ったことではありません。中年以降の人ならば、誰にでも起こります。 
では、いったいなぜ、青春時代の記憶だけが突出しているのでしょうか? 
その理由の一つは、「強い感情を伴うできごとは、記憶しやすく思い出しやすい」
という、記憶の特徴が挙げられます。10代後半から30代前半にかけては、進学
したり就職したり、親元を離れたり、友と出会って友情を育んだり、けんかを
したり、恋愛をしたり結婚をしたりと、強い感情を伴うできごとが多くあります。
そのため、それらのできごとが、ことごとく心にしっかりと刻み込まれるのです。
また、親の監視下から離れ、なおかつ重要な仕事を任されることも、養うべき
家族もないといった、社会的責任のない青春時代は、人生でいちばん自由かつ
可能性に満ちたた時代です。親や地域の抑圧から解放され、社会からの抑圧は
まだない。ほんのひととき。その、今は失ってしまった自由と可能性に満ちた
時代に、人はノスタルジアという感情を喚起され、好んで思い出すのです。≫
▼ 自伝的記憶は、その時どきで再編成される。あらゆる可能性に満ちた青春
時代は、老いるほど懐かしいものとなる。俗世の縛りから解放され、そこはか
となく楽しい気分でいられる時間がある老人は、楽しいことを思い出しやすい。
人間は楽しい気分の時は楽しいことを、悲しい気分の時は悲しいことを思い出す
傾向にあるためである。人生のピークは、青春の真っ只中にあるため、その辺
の記憶が鮮明に戻ってくる。 老年は、自分の人生という物語の記憶を校正
している。過去の日々を思い出し、「日々是好日」というより、過去の
「日々是口実」を都合良くすることになる。自伝的記憶の再構成である。
 ・・・・・・・
3799, タブレット式パソコン
2011年08月20日(土)
 そろそろタブレット式パソコンを、と思っていた矢先に、この一連の騒動。 
ここで、少し落ち着いたので、家電メーカーのタブレットPCのコーナーに行って
驚いた。それより隣のモバイル携帯電話コーナーに驚いた。その内容は今度に
して、タブレット、ここで買うと二年間は縛られてしまうので慎重になる。  
売り場で感じたことは
ソニーかアマゾンの読書用専用の機種か、
・ドコモの多機能のものか、
MaciPadか、
・家のパソコンに無線ランをつけ、電波を飛ばして、
 家庭内の第二の携帯パソコンとして割り切ったものに、大方分類される。
その中で、どれを選ぶかである。 私の知人のように、両方選ぶというのも
あるが・・ 年金生活者として殆ど家にいる身として別に買わない選択もある。 
電話機能付かどうかは機種によるが、モバイル携帯が大きくなっただけ。
各メーカーが数年後の主力商品を目指し機能の競争が始ったため、少しでも
後の方が良いものが出てくるはず。しかしデジタリアンとして、ここで我慢
するのも辛い。外的世界から、内的世界に気持ちの重心を移動したので焦る
必要もない。ところで最近、モバイル携帯電話やタブレット式PC用の直感的な
ブログが出始めてきた。写真と、映像が直感的に表現でき、かつ見やすく面白い。 
数年後には、これにデジタルTVかパソコンに連動するのだろう。 
 最近、目にする丸めることが可能なシート式モニターにモバイル携帯を連動
するものが出てくるはず。こと、デジタル機器に関しては、想像を遥かにこえた
ものが次々と出てくることになる。手段=道具の方が、人間の進化を超えて
きている現実は、プラスにもマイナスにもなる。ますます、面白、怖い時代に
なっていく。とにかく、モバイル売り場へ遊びにいってみたら、今と未来の
一部が垣間見れるはず。ランニングコストは、モバイル携帯が6千円、
タブレットが7千円。その中間的大きさの商品が初期投資0円になっていた。
その境目の基準が、大きさだけだと! 今日、明日、他の家電メーカーの店頭で、
説明を聞きにいくつもりだが、今のところ、あと数ヶ月は待つ方になるのでは? 
 ところで一年前に買いかえた多機能TV、面白過ぎてバカが増している。 
今さらか・・・
・・・・・・・
3434, 再び、死について考えてみる ー2
2010年08月20日(金)
 * 死に際の恐ろしさ
 家内が、近所に住む友人の通夜で聞いてきた話。肺が溶けていく病気で
(肺結核)、息の出来ない苦しさと痛みの果てに、最後には「オトウサン、
助けて!」と叫んでいたという。断末魔の苦しみは、近親者に一番辛いもの。
同級生の葬式で、衰弱しきった遺体を見て驚いたばかり。死に際の苦痛は避ける
ことが出来ないのだろうか。最後は独りで苦悩と苦痛の中で死を向かえると
思うと、何ともやりきれない。といって考えても考えなくとも結果は同じ。
なら考えない方がよい。年寄りは、そういう事例を多く見聞きしているから
「ぴんぴん・ころり」と死にたいと、願うのである。死を悲劇と考えるか、
生の成就と考えるかは難しい。最近、亡くなった友人の大部分は、苦痛と苦悩の
果てに亡くなっていった? 最期は、リンゲル(麻薬)の濃度を高め、苦痛を
緩和し、その果てに死を早めるしかない。そこではリンゲルによる極楽と、
肉体の苦痛の地獄が混濁する。父親も、手術後の数日間は苦痛の極みにあり、
「あんなに苦しむなら、手術などしなければ良かった!」と死ぬ数ヶ月前に
言っていた。 手術の一年後に亡くなったが、最期は病室で独りで頭を掻き
毟っている姿をみた。「死んでいいから、どんどんリンゲルを打ってくれ」と、
延命より、安楽死を望んだ。また、私の4番目の姉の旦那が亡くなった時の、
断末魔の苦しみの状況も、姉からリアルに聞いた。最期は苦痛で暴れるのを、
何人かで抑えて・・ 亡くなった。 数年に一度は、訳のわからない新聞記者
とか、検察が、断末魔の苦しみの末に、強いリンゲルとか何かで死期を早めた
のを聞き込んで、逮捕や刑事告発をするケースがある。ガンだけではないが
死に際には苦しむ患者の息を止めてやるのが、医師の役割。誰が苦痛の際で
生きているより、早く解放された方が良いのは当たり前のこと。
死は誰にも平等に、思わぬ苦痛を伴いやってくる。人生は生きているうち!
美味い酒を飲んで、好きなことをして、後悔の残さないように生き、そして
最期は、のたうちまわって死ぬしかない。上手く死ぬのも芸のうち、など
言っていられない。ホテルのバスにナミナミと水を張り、睡眠薬をタップリ
飲み、美味い日本酒を一升も飲めば楽に逝けそうだが。  
まだまだあるが、こういうジョークは止めておこう。

つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 

  今日のYoutube

 昨日は飲み会。21時そうそうに帰ってくる。
何か、年齢を感じた。 以前、60歳を過ぎた人をみて、
「いい歳をして!」と思ったものだが、それから11年も
経った年齢なら…  としても、月に一度は… 
 

・・・・・・
・・・・・・

3799, タブレット式パソコン
2011年08月20日(土)
 そろそろタブレット式パソコンを、と思っていた矢先に、この一連の騒動。 
ここで、少し落ち着いたので、家電メーカーのタブレットPCのコーナーに行って
驚いた。それより隣のモバイル携帯電話コーナーに驚いた。その内容は今度に
して、タブレット、ここで買うと二年間は縛られてしまうので慎重になる。  
売り場で感じたことは
ソニーかアマゾンの読書用専用の機種か、
・ドコモの多機能のものか、
MaciPadか、
・家のパソコンに無線ランをつけ、電波を飛ばして、
 家庭内の第二の携帯パソコンとして割り切ったものに、大方分類される。
その中で、どれを選ぶかである。 私の知人のように、両方選ぶというのも
あるが・・ 年金生活者として殆ど家にいる身として別に買わない選択もある。 
電話機能付かどうかは機種によるが、モバイル携帯が大きくなっただけ。
各メーカーが数年後の主力商品を目指し機能の競争が始ったため、少しでも
後の方が良いものが出てくるはず。しかしデジタリアンとして、ここで我慢
するのも辛い。外的世界から、内的世界に気持ちの重心を移動したので焦る
必要もない。ところで最近、モバイル携帯電話やタブレット式PC用の直感的な
ブログが出始めてきた。写真と、映像が直感的に表現でき、かつ見やすく面白い。 
数年後には、これにデジタルTVかパソコンに連動するのだろう。 
 最近、目にする丸めることが可能なシート式モニターにモバイル携帯を連動
するものが出てくるはず。こと、デジタル機器に関しては、想像を遥かにこえた
ものが次々と出てくることになる。手段=道具の方が、人間の進化を超えて
きている現実は、プラスにもマイナスにもなる。ますます、面白、怖い時代に
なっていく。とにかく、モバイル売り場へ遊びにいってみたら、今と未来の
一部が垣間見れるはず。ランニングコストは、モバイル携帯が6千円、
タブレットが7千円。その中間的大きさの商品が初期投資0円になっていた。
その境目の基準が、大きさだけだと! 今日、明日、他の家電メーカーの店頭で、
説明を聞きにいくつもりだが、今のところ、あと数ヶ月は待つ方になるのでは? 
 ところで一年前に買いかえた多機能TV、面白過ぎてバカが増している。 
今さらか・・・

・・・・・・・
3434, 再び、死について考えてみる ー2
2010年08月20日(金)
 * 死に際の恐ろしさ
 家内が、近所に住む友人の通夜で聞いてきた話。肺が溶けていく病気で
(肺結核)、息の出来ない苦しさと痛みの果てに、最後には「オトウサン、
助けて!」と叫んでいたという。断末魔の苦しみは、近親者に一番辛いもの。
同級生の葬式で、衰弱しきった遺体を見て驚いたばかり。死に際の苦痛は避ける
ことが出来ないのだろうか。最後は独りで苦悩と苦痛の中で死を向かえると
思うと、何ともやりきれない。といって考えても考えなくとも結果は同じ。
なら考えない方がよい。年寄りは、そういう事例を多く見聞きしているから
「ぴんぴん・ころり」と死にたいと、願うのである。死を悲劇と考えるか、
生の成就と考えるかは難しい。最近、亡くなった友人の大部分は、苦痛と苦悩の
果てに亡くなっていった? 最期は、リンゲル(麻薬)の濃度を高め、苦痛を
緩和し、その果てに死を早めるしかない。そこではリンゲルによる極楽と、
肉体の苦痛の地獄が混濁する。父親も、手術後の数日間は苦痛の極みにあり、
「あんなに苦しむなら、手術などしなければ良かった!」と死ぬ数ヶ月前に
言っていた。 手術の一年後に亡くなったが、最期は病室で独りで頭を掻き
毟っている姿をみた。「死んでいいから、どんどんリンゲルを打ってくれ」と、
延命より、安楽死を望んだ。また、私の4番目の姉の旦那が亡くなった時の、
断末魔の苦しみの状況も、姉からリアルに聞いた。最期は苦痛で暴れるのを、
何人かで抑えて・・ 亡くなった。 数年に一度は、訳のわからない新聞記者
とか、検察が、断末魔の苦しみの末に、強いリンゲルとか何かで死期を早めた
のを聞き込んで、逮捕や刑事告発をするケースがある。ガンだけではないが
死に際には苦しむ患者の息を止めてやるのが、医師の役割。誰が苦痛の際で
生きているより、早く解放された方が良いのは当たり前のこと。
死は誰にも平等に、思わぬ苦痛を伴いやってくる。人生は生きているうち!
美味い酒を飲んで、好きなことをして、後悔の残さないように生き、そして
最期は、のたうちまわって死ぬしかない。上手く死ぬのも芸のうち、など
言っていられない。ホテルのバスにナミナミと水を張り、睡眠薬をタップリ
飲み、美味い日本酒を一升も飲めば楽に逝けそうだが。  
まだまだあるが、こういうジョークは止めておこう。

・・・・・・
3059,逆説思考 -3
2009年08月20日(木)

  * 「逆説思考」を逆説で思考してみよう。
まずは逆説思考の典型的事例は、フランクルの心理学である。フランクルが「夜と霧」で、
死と隣り合わせの日々で、コペルニクス的転換の心理転換が起こる。「人生に何かを求める
のではなく、人生が私に何を求めているか。 そう、生き抜いて愛する人と再会をし、
自分の残してある仕事をやり遂げること」である。人生が何を人に求めているか? 
・創造価値(何かを創造することによって実現される価値)
・態度価値(人生でどうしようもならない究極の場面で態度を変えることで実現される価値)
・体験価値(何かを体験することで実現される価値。美しい夕日や景観を見て実現される価値)
 
これらを知るために、「本当にしたいことは何か」「夢は何か」「人生の目標は何か」を
まず追求すべきである。しかし、自分の人生は無意味という観念にとらわれた人にとって、
その価値を受け容れることが難しい。それでは、どうするか! 「闘う」ことしか、自分の
価値を創りあげることができないのである。人生に押しつぶされいる人は、「生きるのが辛く
なっている」のである。 その「つらさ」については仏の哲学者ドゥルーズが原因を追究している。
彼は「器官なき身体」という生きることの実相を明らかにしている。我われは「欲望」と
「欲求」によって動いている。 喉が渇けば水を飲むことによって欲求を満たそうとする。
性欲も、食欲も、睡眠欲も、排泄欲もである。 しかし、それだけで人間は行動するわけではない。
 自動車がガソリンの補給と、ラジエーターの水の交換だけで動くものではない。
それは自動車が人間の目的のための道具であるのと同じく、人間も、身体の生理的欲求だけでなく、
「器官の欲求」を超えたところに存在する何かのありさまを「器官なき身体」とドゥルーズはいう。 
 ー彼は以下のようにいう。(*参考 「現代思想の使い方ー生きるのがつらいと感じた時
ドゥルーズ」P176)
「闘いとは、反対に、力と力で補完し、自からの捕らえるものを豊かにするあの『器官なき身体
の生命力のことである。赤ん坊が呈示しているこの生命力、すなわち、執拗で頑で飼い馴らしがたく、
あらゆる器官組織的な生とは異なる、そんな生きるー意志である。」それは、私たちの「存在そのもの」
に由来する力であり、「存在そのもの」が指し示し、進んでいこうとする方向性である。
「存在そのもの」とは「生そのもの」と置き換えることが出来ます。 辛いというのは、その
「生そのもの」の発露が何かで阻止された状態である。この辛さを克服するには、「器官なき身体
の目指す方向を見据え、その方向に努力することである。それは、別の存在と衝突し、その価値観
を取り込んでいくことにより次第に達成されるのである。 その闘いを、ドゥルーズは『あいだに
おけるー闘い』と呼ぶのである。「あいだにおける闘い」によって、私たちは、「存在そのもの」
へと近づいていくことが出来ます。たとえば自然と闘うとき、「対抗する闘い」ではなく、
「あいだにおけるー闘い」を行うことによって、「自然」と融合し、新たな何かなることができます。
「裁きによって、人は成長しない」と彼はいう。「裁き」は既存の枠組みによる準拠して何らかの
価値判断を行うことであり、それでは、それから一歩も抜け出せない。 我われが、その裁きから
抜け出て闘いを選択しなければならない。その闘いが我われの生命を輝かせるのである。
 ーーー 以上だが、
生きていくうえで、3C(チャレンジ、チェンジ、コンペティテーション)が必要である。
世界は常に変化しているなら、己も変化しない限り、不自然状態になり、「つらさ」という圧力が
押しかかってくるからだ。フランクルの人生の意味を見出していける人なら、価値を求めることも
出来ようが、意味や価値をどのようにして見出していくかという、更なる根源的な問いが必要になる。
そこにあるのは、闘いしかないのである。先ほど書いたように「つらさ」は、その闘いの回避に
原因があるのである。常に自問自答している「正中心一点無」の気持ちで問題から目を背けないで
立ち向かうしかないということになる。最後の最後は「見方を変えるのではなく、宇宙の中で
自分は独りと自覚し、己の価値を闘い取るべし」ということだ。
アウシュビッツ収容所内では無理だろうが! 部屋の中からなら良い、ということ?

・・・・・・・・
2694, 「レンタルの思想」-2
2008年08月20日(水)

 二十年ほど前か、「人生は神様からの借り物、何を焦っているのか! 借金も資産のうち、
その資産も借りでしかない。自分自身も大自然からの借り物でしかない。借りの世界と言う
人生では、何事も真正面から目を離さなければ、それだけでよい!」と、視点を見据えたら
気持ちの重みが半減した。所詮、娑婆は生きているうちの幻想でしかない。
「色即是空、空即是色」ということだが、それもこれもレンタルと思えば、それでよい。
 宇宙からの俯瞰からみる宇宙的人間論も必要な時代に差し掛かったのである。
 ーネットにあった「レンタルの思想」の松井教授の‘インタビュー’の部分をコピーしたー
・夜半球の地球を宇宙から眺めると煌々と輝く光の海が見えます。
 この光の海を "地球システムを構成する人間圏という構成要素"としている。
・大気が見える、海が見える、大陸地殻が見える、森林が見えるとかと同様に森林は生物圏。
・我々が一万年前か農耕牧畜という生き方をしている。狩猟採集"と"農耕牧畜"という生き方を
宇宙から見るということと同じですが、地球システムという見方で比較すると、この二つは
まったく違う。"狩猟採集"というのは、"生物圏"という地球システムのサブシステムに閉じ
生きる生き方です。 動物がやってる生き方なんです。我々人類が700万年ぐらい前に類人猿
から分かれたといっても、狩猟採集をしているうちは基本的にほかの動物と変わらない
 ー人間は、生き物の一種にすぎなかったー
・人間は生物圏の中の種のひとつとして生きているということなんです。
 食物連鎖に連なって、生物圏の中の物やエネルギーの流れを利用して生きる生き方。いろんな
人類が生まれては消えたという歴史の中で、現生人類も1万年前まではそういう生き方をしていた。
 その"農耕牧畜"という生き方を地球システム論的に考えてみる。例えば、森林を伐採して畑に
変えると、太陽から入ってくるエネルギーが地表で反射される割合が変わるわけです。
 これは、太陽のエネルギーの流れを変えてるわけ
・雨が降ったときに大地が侵食される割合も、森林に覆われているときと農地とでは全然違うわけ。
 それが土砂として海に流れていく。これは、地球における物質循環を変えるということでしょ」
 これはすなわち、地球全体のエネルギーや物質の流れに関わって生きるということです。
 それを地球システム論的に分析すると、"人間圏"という新しい構成要素をつくって生きる生き方
ということになる。その結果、地球全体の物やエネルギーの流れが変わったということです」
  ー"人間圏"というのは、我々が生物圏の中から飛び出して作った新たな構成要素ー
・1万年ぐらい前に生まれて、どんどん大きくなって今に至ると。その発展段階での違いも
分析することができます。すると今の人間圏の問題点も浮き彫りになってくるわけですよね。
 そのシステムが何であれ、システムを記述するときにはその構成要素が何なのか、構成要素間の
関係性が何なのか、これを特定するとそのシステムの特徴が分かるわけです。関係性とは駆動力
が何なのか、によっています」 地球システムの場合で言えば、構成要素とは先程述べたような
さまざまな物質圏です。その関係性とは例えば、海から蒸発した水が大気中で雲を作り、雨と
なって落ちて大陸を侵食して……といった循環ですね
・人間圏の場合だと、産業革命のころまではその誕生以来、基本的な変化はありません。
 駆動力という意味では、地球システム固有の自然のエネルギーを使っていたということです。
 すなわち、地球という星全体の物やエネルギーの流れを人間圏にバイパスさせていたということ。
 日本だと江戸時代まで、ずっとそうなんです」
・体にしたって、皆さん自分の体だと思ってるでしょ。でも、自分の体じゃないよね。
 生きている間、地球から借りてるだけだよね。
・元々地球を構成している元素の一部をたまたま体として利用している。我々が生きるときに
身体という物が重要なんじゃなくて、それぞれの臓器が重要なんです。人体というシステムを
構成する構成要素ですが、その臓器がそれぞれの機能を発揮し、人体というシステムを作ってる。
重要なのは、その臓器の機能なんですよね
・これはどういうことかっていうと、実は身体という物を所有するんじゃなくて、レンタル
してるということです。こういうふうに物事を考えない限り、地球システムと調和的な人間圏
は作っていけない こういう方向に動いていかなきゃいけないけど、これは基本的には資本主義
経済とか市場主義経済とかと矛盾するよね 「例えば江戸時代だと、領地にしても家屋敷にしても、
所有しているのではなく、貸し与えられているだけですね。」
「そのころは、もともと所有なんて概念はない。みんなレンタルだった。加えて駆動力をその内部
にもたないから、江戸時代に環境問題なんてほとんどない。これは地球システムと調和的な人間圏。
 そういうことを考えてみれば、わたしの言ってることはそんなに荒唐無稽じゃないんだけど」
 ーー
 一万年来の、大転換期に差し掛かっているのは解っていたが、それは情報化時代の到来が起因と
思っていた。それが人間圏の膨張による限界点を超えたことによる、とは。 地球のシステムが
間違いなく人間圏を破壊する。それが温暖化による天変地異や、これから間違いなく数千万規模
の死者が予測される鳥ウィルスの流感や、エイズである。 それを目の当たりに見ているのである。
 ミャンマーのサイクロン、中国の四川省の大地震、至近では中越地震中越沖地震、これは始まりで
しかない!人生の元を取っている?ので、諦念でとらえているが、5年~10年スパンのことではない。
 50年~100年単位で、いやもっと大きなサイクルだろう。20世の人類は何をしたのか?未来の人類に。
   
・・・・・・・・・
2007年08月20日(月)
 2330, 「ぼくの血となり肉となった500冊」 
                          ー読書日記
         (`・ω・。)っノXXXXXXX>C 才ノヽ∋―
 「ぼくの血となり肉となった500冊そして血にも肉にもならなかった100冊」ー著者 立花隆
昨日の「株価暴落の意味するもの」で引用したが、この1ヶ月は隙間時間があると、この本を
読んでいる。彼の猫ビルにある3万5千冊の中から選んだ数百冊の本のミニ・ダイジェスト。 
数行から数十行の内容がキラリと光っているものばかりである。 ランダムに面白そうな部分を
抜粋しながら考えるに丁度良い。『思索紀行 ぼくはこんな旅をしてきた』の続刊的な本である。
この本がキッカケで、彼の著書「エーゲ 永遠回帰の海」を買って読んで、今年の旅行はギリシャ
と決定した。更にウィトゲンシュタインの「90分でわかるウィトゲンシュタイン」を買った。 
彼の本は、読書のナビゲーターとして割り切って読んでいる。まずは、彼の彼たる所以である
特徴の部分から抜粋してみる。
--
*フィクションからリアル世界へ(P-64 )
  (字数の関係でカット2008年08月20日) 
・・・・・・・・・
 2006年08月20日(日)
 1965.事業百訓・・・?
  事業百訓ー1985年・1986年(3)
   S6001新年にあたり
  (字数の関係でカット2008年08月20日) 
ーS6004事業百訓ー
  (字数の関係でカット2008年08月20日
ーS6007事業百訓 ー
  151 彼は何も知らないのに何か知っていると信じている。これに反して
  私は何も知りはしないが、知っているとも思っていない。(ソクラテス
  152 序、破、急
  153 暇を利用しない人は常に暇なし。
  154 芸術とは、破壊の集積である。-ピカソ
  155 三十才までで人生の大部分が決定する。それも二十才より二十五才までが
人生の縮図と断定してよい。
  156 “ひらめき”は集中力のきわみ。
  157 万事を得んとすれば一事に専心すべし。
  158 個性、個性といって、一つの石ころが他の石ころと違うことを
   得意になってもお前さんがたを大勢一緒にあつめたら、ただの「砂利」ではないか。
広津和郎
  159 集中力とは、問題に対して注意を一点に集める能力。
  160 問題解決の方法は「理ずめに考える-論理的に考える」「比喩-たとえ××」
の二つの方法しかない。
ーS6008事業百訓ー
  161 ライバルは他社ではなく変化そのものだ。-イトーヨーカ堂
  162 一番危険な事は多少とも知っていることだ。
  163 質の向上が自然と量の拡大になる。(質の追及は量をともなってくる。)
  164 一つの成功は次の成功の入場券を手に入れたにすぎない。-キッシンジャー
  165 “旅立ちは夜あけ前に!”
  166 “常住戦場”“常住不況”
  167 D・D・S(Deep・Discount・Store)
    今までのディスカウント・ストアよりももっと安さを追求した店で、
アメリカ流通業界の新しい業態の店。
  168 怒らず、恐れず、悲しまず。
  169 経験をしない者は、知ることができない。
  170 人間は神様によって生かされている存在である。この認識の上に立つといろ
いろな事がみえてくる。運にめぐまれ隆盛している人物がいる。彼は神につかわれて
いるのである。別の言葉でいうと、この状態はツイている状態である。
……こうもいえる天地自然の法則にそって自然の流れに適応していく事が
神様につかわれることである。 -伊藤昌哉-
ーS6010事業百訓ー
  171 欧米社会の原型は“父性社会”であり、日本は“母性原理の社会”である。
    (グレート・マザの潜在意識の中の存在・マザコン社会)
  172 悩むのはお前の勝手! 自分が悩むのは自分を“神”より見せてもらっているのだ。
  173 “情報化”とは“自由化”を意味する。(逆に“自由化”は“情報化”を意味する)
  174 時代の流れで“高度化”と“高級化”を間違わぬよう。
  175 順境は逆境のシグナル(逆境は順境のシグナル)
  176 生徒(我々)と先生(お客様)はむかいあうのではなく同じ方向に向いて
いなくてはならない。
  177 一日十通の手紙を出す事を自分に課した七万通を既に出した人の話。
  178 “商い”と“経営”のあたりまえの条件とは「一人一人のお客様がきちんとみえること」
    「一品一品の動きがきちんとみえること」
  179 店や企業にとってのチャンスは外にはない。我うちにある。
  180 真の価値は体質が生みだす。お客様の選択は表面的なものでなく体質そのものにむけ
られているはずだ。
  181 キューピーマヨネーズはマヨネーズだけであれだけ大きくなった。
  182 店の「心」がときめいているか。そのときめきをお客様につたえるのだ。
ーS6012事業百訓ー
  183 企業内にあるのはコストセンターのみ。プロフィットセンターは外部にある。
  184 経営の根幹は、第一に徹底したプレーン・ストーミング。
第二にそれによる明快な戦略の確立。
    第三に軍隊的な実行。  第四に公正な事業評価である。
  185 一棟規模を思いきって大きく投資する事が経営のポイントである。
  186 プライス力 四割 規模力 三割 駐車力 三割
  187 企業の「三力」 「知力」「体力」「魅力」
  188 予定挫折(人生マニアル化)
  189 葉書の達人たるべし(葉書の活用いかんでその人の人生の充足度がわかる。)
  190 人はこの世に神より封書をもたされておくり出されている。35才を中心とする
小十年の間にあけてみるべし。
  191 “必要は発明の母”の時代より“発明は必要の母”の時代へ。
  192 地方における最大の害悪は、農民感覚をマイナス面に作用させてしまう事である。
    (毎年同じ作業をくり返す事がよい事であり変化は悪である。城下町はその典型。)
ーーーーーーー
事業百訓ー1986年
ーS6101新年にあたり
(字数の関係でカット2008年08月20日

ーS6103事業百訓 ー
193 ・性相近 
 ・習相遠(人間はうまれた時は能力に差はないが、努力の積重ねでその差は無限となる)
194 今なる時はなかりけり。“い”の時くれば“ま”の時は去る。
195 べきときにべくる事をべきすべき。
196 創造とは伏従行為である。耳をすましてきこえない声を聞く。
197 生のほうから死をみると暗いが、死のほうから生をみると明るい。
198 五年あるいは五億が一つの壁、この壁をこえなくては並の中小企業か倒産かどちらかである。
199 今年はごまかしごまかしやってきた高度成長期の遺物が、かたずけられるといった程度の年。
200 感謝をすれば感謝のできる事が近よってくる。
201 現在の絶対的方向
  (1) 国際化が進む事  (2) すべての面で自由化が進む (3) 都市の集中化が進行
  (4) 人工の老齢化が進む  (5) 科学技術の想像を絶した発展
202 “美”の本質を追求していくと秩序を内在している。
203 “美”とは誰がみても美しい不思議。
204 古今の名作はわかりやすい。(難しさはきえやすい)
 ーS6107事業百訓ー
205 他人によってキズつけられるのは自分のエゴイズムだけである。
206 善き人におきる事は必ず善き事である。 (善き人には悪いことはおきない。)
207 みじめなということは低きところにおる人ではなくて、進むことのできなくなった人です。
八木重吉
208 私みずからであること、それのみ絶対である。私みずからより大きい必要もない、
自からである時のみ神を感ずる。
209 禅を通じて得たことは“徹すること”“こだわらぬこと”である。
この二つがそのまま勝に通ずる。-川上哲治
210 打破漆桶底(性の根底にある無明その底をぶち破る。その底がわれて仏と
ひとつづきになること)
211 もとはこちら、そのままけっこう(そのままけっこうがこの世の極楽である)
212 一日は一生の縮図です。それをさとって粛然たる思いがした時初めて人生の真実の
一端にふれたようなものです。
213 人の幸福をともに喜び、ひとの不幸をともにかなしむ
 ーS6109事業百訓ー
214 悟りということは「如何なる場合にも平気で死ぬ事かと思っていたのは間違いで、
  悟りとは如何なる場合でも平気で生きて居ること」であった。-正岡子規-病床六尺
215 平家を滅ぼすものは平家なり、鎌倉を亡ぼすものは鎌倉なり -徳川家康
216 プライス戦争が最終的に勝てる条件である-そのための体質づくり-
217 大きくなるまでは専業できなくてはならない。
218 “量”の拡大は“質”の向上をうながす。(質が向上しなくて量の拡大を維持できなくなる)
219 “量”が70%、“質”が30%(量稽古を体験せずして、技術の向上なし…)
220 一流の結果を二流の選手が出しただけのこと
  (-野村元捕手の講演より-その為にあらゆる手段、頭を使いきった)
221 人間限界を知るようになると
   ?目標より現実をみるようになる ?ノウハウがはっきりみえる 
  頭をつかう必要性を知る(野村選手)
222 明確な他社との差別化こそ戦略のテーマ
   (→それは他社との闘いよりで得られるものでなく、
  (自社のお客様との闘いの中より勝ちとる事である)
223 人材とはある一面がすぐれている人をいう。
   人物とは一つ一つはたいした事はないが、トータルとして重量感があり
   魅力・能力のある人のことをいう。
 ーS61 12ー  今年度をふりかえって                  
    以下字数の関係でカット2008年8月20日