つれづれに

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  今日のYoutube

 昨日は飲み会。21時そうそうに帰ってくる。
何か、年齢を感じた。 以前、60歳を過ぎた人をみて、
「いい歳をして!」と思ったものだが、それから11年も
経った年齢なら…  としても、月に一度は… 
 

・・・・・・
・・・・・・

3799, タブレット式パソコン
2011年08月20日(土)
 そろそろタブレット式パソコンを、と思っていた矢先に、この一連の騒動。 
ここで、少し落ち着いたので、家電メーカーのタブレットPCのコーナーに行って
驚いた。それより隣のモバイル携帯電話コーナーに驚いた。その内容は今度に
して、タブレット、ここで買うと二年間は縛られてしまうので慎重になる。  
売り場で感じたことは
ソニーかアマゾンの読書用専用の機種か、
・ドコモの多機能のものか、
MaciPadか、
・家のパソコンに無線ランをつけ、電波を飛ばして、
 家庭内の第二の携帯パソコンとして割り切ったものに、大方分類される。
その中で、どれを選ぶかである。 私の知人のように、両方選ぶというのも
あるが・・ 年金生活者として殆ど家にいる身として別に買わない選択もある。 
電話機能付かどうかは機種によるが、モバイル携帯が大きくなっただけ。
各メーカーが数年後の主力商品を目指し機能の競争が始ったため、少しでも
後の方が良いものが出てくるはず。しかしデジタリアンとして、ここで我慢
するのも辛い。外的世界から、内的世界に気持ちの重心を移動したので焦る
必要もない。ところで最近、モバイル携帯電話やタブレット式PC用の直感的な
ブログが出始めてきた。写真と、映像が直感的に表現でき、かつ見やすく面白い。 
数年後には、これにデジタルTVかパソコンに連動するのだろう。 
 最近、目にする丸めることが可能なシート式モニターにモバイル携帯を連動
するものが出てくるはず。こと、デジタル機器に関しては、想像を遥かにこえた
ものが次々と出てくることになる。手段=道具の方が、人間の進化を超えて
きている現実は、プラスにもマイナスにもなる。ますます、面白、怖い時代に
なっていく。とにかく、モバイル売り場へ遊びにいってみたら、今と未来の
一部が垣間見れるはず。ランニングコストは、モバイル携帯が6千円、
タブレットが7千円。その中間的大きさの商品が初期投資0円になっていた。
その境目の基準が、大きさだけだと! 今日、明日、他の家電メーカーの店頭で、
説明を聞きにいくつもりだが、今のところ、あと数ヶ月は待つ方になるのでは? 
 ところで一年前に買いかえた多機能TV、面白過ぎてバカが増している。 
今さらか・・・

・・・・・・・
3434, 再び、死について考えてみる ー2
2010年08月20日(金)
 * 死に際の恐ろしさ
 家内が、近所に住む友人の通夜で聞いてきた話。肺が溶けていく病気で
(肺結核)、息の出来ない苦しさと痛みの果てに、最後には「オトウサン、
助けて!」と叫んでいたという。断末魔の苦しみは、近親者に一番辛いもの。
同級生の葬式で、衰弱しきった遺体を見て驚いたばかり。死に際の苦痛は避ける
ことが出来ないのだろうか。最後は独りで苦悩と苦痛の中で死を向かえると
思うと、何ともやりきれない。といって考えても考えなくとも結果は同じ。
なら考えない方がよい。年寄りは、そういう事例を多く見聞きしているから
「ぴんぴん・ころり」と死にたいと、願うのである。死を悲劇と考えるか、
生の成就と考えるかは難しい。最近、亡くなった友人の大部分は、苦痛と苦悩の
果てに亡くなっていった? 最期は、リンゲル(麻薬)の濃度を高め、苦痛を
緩和し、その果てに死を早めるしかない。そこではリンゲルによる極楽と、
肉体の苦痛の地獄が混濁する。父親も、手術後の数日間は苦痛の極みにあり、
「あんなに苦しむなら、手術などしなければ良かった!」と死ぬ数ヶ月前に
言っていた。 手術の一年後に亡くなったが、最期は病室で独りで頭を掻き
毟っている姿をみた。「死んでいいから、どんどんリンゲルを打ってくれ」と、
延命より、安楽死を望んだ。また、私の4番目の姉の旦那が亡くなった時の、
断末魔の苦しみの状況も、姉からリアルに聞いた。最期は苦痛で暴れるのを、
何人かで抑えて・・ 亡くなった。 数年に一度は、訳のわからない新聞記者
とか、検察が、断末魔の苦しみの末に、強いリンゲルとか何かで死期を早めた
のを聞き込んで、逮捕や刑事告発をするケースがある。ガンだけではないが
死に際には苦しむ患者の息を止めてやるのが、医師の役割。誰が苦痛の際で
生きているより、早く解放された方が良いのは当たり前のこと。
死は誰にも平等に、思わぬ苦痛を伴いやってくる。人生は生きているうち!
美味い酒を飲んで、好きなことをして、後悔の残さないように生き、そして
最期は、のたうちまわって死ぬしかない。上手く死ぬのも芸のうち、など
言っていられない。ホテルのバスにナミナミと水を張り、睡眠薬をタップリ
飲み、美味い日本酒を一升も飲めば楽に逝けそうだが。  
まだまだあるが、こういうジョークは止めておこう。

・・・・・・
3059,逆説思考 -3
2009年08月20日(木)

  * 「逆説思考」を逆説で思考してみよう。
まずは逆説思考の典型的事例は、フランクルの心理学である。フランクルが「夜と霧」で、
死と隣り合わせの日々で、コペルニクス的転換の心理転換が起こる。「人生に何かを求める
のではなく、人生が私に何を求めているか。 そう、生き抜いて愛する人と再会をし、
自分の残してある仕事をやり遂げること」である。人生が何を人に求めているか? 
・創造価値(何かを創造することによって実現される価値)
・態度価値(人生でどうしようもならない究極の場面で態度を変えることで実現される価値)
・体験価値(何かを体験することで実現される価値。美しい夕日や景観を見て実現される価値)
 
これらを知るために、「本当にしたいことは何か」「夢は何か」「人生の目標は何か」を
まず追求すべきである。しかし、自分の人生は無意味という観念にとらわれた人にとって、
その価値を受け容れることが難しい。それでは、どうするか! 「闘う」ことしか、自分の
価値を創りあげることができないのである。人生に押しつぶされいる人は、「生きるのが辛く
なっている」のである。 その「つらさ」については仏の哲学者ドゥルーズが原因を追究している。
彼は「器官なき身体」という生きることの実相を明らかにしている。我われは「欲望」と
「欲求」によって動いている。 喉が渇けば水を飲むことによって欲求を満たそうとする。
性欲も、食欲も、睡眠欲も、排泄欲もである。 しかし、それだけで人間は行動するわけではない。
 自動車がガソリンの補給と、ラジエーターの水の交換だけで動くものではない。
それは自動車が人間の目的のための道具であるのと同じく、人間も、身体の生理的欲求だけでなく、
「器官の欲求」を超えたところに存在する何かのありさまを「器官なき身体」とドゥルーズはいう。 
 ー彼は以下のようにいう。(*参考 「現代思想の使い方ー生きるのがつらいと感じた時
ドゥルーズ」P176)
「闘いとは、反対に、力と力で補完し、自からの捕らえるものを豊かにするあの『器官なき身体
の生命力のことである。赤ん坊が呈示しているこの生命力、すなわち、執拗で頑で飼い馴らしがたく、
あらゆる器官組織的な生とは異なる、そんな生きるー意志である。」それは、私たちの「存在そのもの」
に由来する力であり、「存在そのもの」が指し示し、進んでいこうとする方向性である。
「存在そのもの」とは「生そのもの」と置き換えることが出来ます。 辛いというのは、その
「生そのもの」の発露が何かで阻止された状態である。この辛さを克服するには、「器官なき身体
の目指す方向を見据え、その方向に努力することである。それは、別の存在と衝突し、その価値観
を取り込んでいくことにより次第に達成されるのである。 その闘いを、ドゥルーズは『あいだに
おけるー闘い』と呼ぶのである。「あいだにおける闘い」によって、私たちは、「存在そのもの」
へと近づいていくことが出来ます。たとえば自然と闘うとき、「対抗する闘い」ではなく、
「あいだにおけるー闘い」を行うことによって、「自然」と融合し、新たな何かなることができます。
「裁きによって、人は成長しない」と彼はいう。「裁き」は既存の枠組みによる準拠して何らかの
価値判断を行うことであり、それでは、それから一歩も抜け出せない。 我われが、その裁きから
抜け出て闘いを選択しなければならない。その闘いが我われの生命を輝かせるのである。
 ーーー 以上だが、
生きていくうえで、3C(チャレンジ、チェンジ、コンペティテーション)が必要である。
世界は常に変化しているなら、己も変化しない限り、不自然状態になり、「つらさ」という圧力が
押しかかってくるからだ。フランクルの人生の意味を見出していける人なら、価値を求めることも
出来ようが、意味や価値をどのようにして見出していくかという、更なる根源的な問いが必要になる。
そこにあるのは、闘いしかないのである。先ほど書いたように「つらさ」は、その闘いの回避に
原因があるのである。常に自問自答している「正中心一点無」の気持ちで問題から目を背けないで
立ち向かうしかないということになる。最後の最後は「見方を変えるのではなく、宇宙の中で
自分は独りと自覚し、己の価値を闘い取るべし」ということだ。
アウシュビッツ収容所内では無理だろうが! 部屋の中からなら良い、ということ?

・・・・・・・・
2694, 「レンタルの思想」-2
2008年08月20日(水)

 二十年ほど前か、「人生は神様からの借り物、何を焦っているのか! 借金も資産のうち、
その資産も借りでしかない。自分自身も大自然からの借り物でしかない。借りの世界と言う
人生では、何事も真正面から目を離さなければ、それだけでよい!」と、視点を見据えたら
気持ちの重みが半減した。所詮、娑婆は生きているうちの幻想でしかない。
「色即是空、空即是色」ということだが、それもこれもレンタルと思えば、それでよい。
 宇宙からの俯瞰からみる宇宙的人間論も必要な時代に差し掛かったのである。
 ーネットにあった「レンタルの思想」の松井教授の‘インタビュー’の部分をコピーしたー
・夜半球の地球を宇宙から眺めると煌々と輝く光の海が見えます。
 この光の海を "地球システムを構成する人間圏という構成要素"としている。
・大気が見える、海が見える、大陸地殻が見える、森林が見えるとかと同様に森林は生物圏。
・我々が一万年前か農耕牧畜という生き方をしている。狩猟採集"と"農耕牧畜"という生き方を
宇宙から見るということと同じですが、地球システムという見方で比較すると、この二つは
まったく違う。"狩猟採集"というのは、"生物圏"という地球システムのサブシステムに閉じ
生きる生き方です。 動物がやってる生き方なんです。我々人類が700万年ぐらい前に類人猿
から分かれたといっても、狩猟採集をしているうちは基本的にほかの動物と変わらない
 ー人間は、生き物の一種にすぎなかったー
・人間は生物圏の中の種のひとつとして生きているということなんです。
 食物連鎖に連なって、生物圏の中の物やエネルギーの流れを利用して生きる生き方。いろんな
人類が生まれては消えたという歴史の中で、現生人類も1万年前まではそういう生き方をしていた。
 その"農耕牧畜"という生き方を地球システム論的に考えてみる。例えば、森林を伐採して畑に
変えると、太陽から入ってくるエネルギーが地表で反射される割合が変わるわけです。
 これは、太陽のエネルギーの流れを変えてるわけ
・雨が降ったときに大地が侵食される割合も、森林に覆われているときと農地とでは全然違うわけ。
 それが土砂として海に流れていく。これは、地球における物質循環を変えるということでしょ」
 これはすなわち、地球全体のエネルギーや物質の流れに関わって生きるということです。
 それを地球システム論的に分析すると、"人間圏"という新しい構成要素をつくって生きる生き方
ということになる。その結果、地球全体の物やエネルギーの流れが変わったということです」
  ー"人間圏"というのは、我々が生物圏の中から飛び出して作った新たな構成要素ー
・1万年ぐらい前に生まれて、どんどん大きくなって今に至ると。その発展段階での違いも
分析することができます。すると今の人間圏の問題点も浮き彫りになってくるわけですよね。
 そのシステムが何であれ、システムを記述するときにはその構成要素が何なのか、構成要素間の
関係性が何なのか、これを特定するとそのシステムの特徴が分かるわけです。関係性とは駆動力
が何なのか、によっています」 地球システムの場合で言えば、構成要素とは先程述べたような
さまざまな物質圏です。その関係性とは例えば、海から蒸発した水が大気中で雲を作り、雨と
なって落ちて大陸を侵食して……といった循環ですね
・人間圏の場合だと、産業革命のころまではその誕生以来、基本的な変化はありません。
 駆動力という意味では、地球システム固有の自然のエネルギーを使っていたということです。
 すなわち、地球という星全体の物やエネルギーの流れを人間圏にバイパスさせていたということ。
 日本だと江戸時代まで、ずっとそうなんです」
・体にしたって、皆さん自分の体だと思ってるでしょ。でも、自分の体じゃないよね。
 生きている間、地球から借りてるだけだよね。
・元々地球を構成している元素の一部をたまたま体として利用している。我々が生きるときに
身体という物が重要なんじゃなくて、それぞれの臓器が重要なんです。人体というシステムを
構成する構成要素ですが、その臓器がそれぞれの機能を発揮し、人体というシステムを作ってる。
重要なのは、その臓器の機能なんですよね
・これはどういうことかっていうと、実は身体という物を所有するんじゃなくて、レンタル
してるということです。こういうふうに物事を考えない限り、地球システムと調和的な人間圏
は作っていけない こういう方向に動いていかなきゃいけないけど、これは基本的には資本主義
経済とか市場主義経済とかと矛盾するよね 「例えば江戸時代だと、領地にしても家屋敷にしても、
所有しているのではなく、貸し与えられているだけですね。」
「そのころは、もともと所有なんて概念はない。みんなレンタルだった。加えて駆動力をその内部
にもたないから、江戸時代に環境問題なんてほとんどない。これは地球システムと調和的な人間圏。
 そういうことを考えてみれば、わたしの言ってることはそんなに荒唐無稽じゃないんだけど」
 ーー
 一万年来の、大転換期に差し掛かっているのは解っていたが、それは情報化時代の到来が起因と
思っていた。それが人間圏の膨張による限界点を超えたことによる、とは。 地球のシステムが
間違いなく人間圏を破壊する。それが温暖化による天変地異や、これから間違いなく数千万規模
の死者が予測される鳥ウィルスの流感や、エイズである。 それを目の当たりに見ているのである。
 ミャンマーのサイクロン、中国の四川省の大地震、至近では中越地震中越沖地震、これは始まりで
しかない!人生の元を取っている?ので、諦念でとらえているが、5年~10年スパンのことではない。
 50年~100年単位で、いやもっと大きなサイクルだろう。20世の人類は何をしたのか?未来の人類に。
   
・・・・・・・・・
2007年08月20日(月)
 2330, 「ぼくの血となり肉となった500冊」 
                          ー読書日記
         (`・ω・。)っノXXXXXXX>C 才ノヽ∋―
 「ぼくの血となり肉となった500冊そして血にも肉にもならなかった100冊」ー著者 立花隆
昨日の「株価暴落の意味するもの」で引用したが、この1ヶ月は隙間時間があると、この本を
読んでいる。彼の猫ビルにある3万5千冊の中から選んだ数百冊の本のミニ・ダイジェスト。 
数行から数十行の内容がキラリと光っているものばかりである。 ランダムに面白そうな部分を
抜粋しながら考えるに丁度良い。『思索紀行 ぼくはこんな旅をしてきた』の続刊的な本である。
この本がキッカケで、彼の著書「エーゲ 永遠回帰の海」を買って読んで、今年の旅行はギリシャ
と決定した。更にウィトゲンシュタインの「90分でわかるウィトゲンシュタイン」を買った。 
彼の本は、読書のナビゲーターとして割り切って読んでいる。まずは、彼の彼たる所以である
特徴の部分から抜粋してみる。
--
*フィクションからリアル世界へ(P-64 )
  (字数の関係でカット2008年08月20日) 
・・・・・・・・・
 2006年08月20日(日)
 1965.事業百訓・・・?
  事業百訓ー1985年・1986年(3)
   S6001新年にあたり
  (字数の関係でカット2008年08月20日) 
ーS6004事業百訓ー
  (字数の関係でカット2008年08月20日
ーS6007事業百訓 ー
  151 彼は何も知らないのに何か知っていると信じている。これに反して
  私は何も知りはしないが、知っているとも思っていない。(ソクラテス
  152 序、破、急
  153 暇を利用しない人は常に暇なし。
  154 芸術とは、破壊の集積である。-ピカソ
  155 三十才までで人生の大部分が決定する。それも二十才より二十五才までが
人生の縮図と断定してよい。
  156 “ひらめき”は集中力のきわみ。
  157 万事を得んとすれば一事に専心すべし。
  158 個性、個性といって、一つの石ころが他の石ころと違うことを
   得意になってもお前さんがたを大勢一緒にあつめたら、ただの「砂利」ではないか。
広津和郎
  159 集中力とは、問題に対して注意を一点に集める能力。
  160 問題解決の方法は「理ずめに考える-論理的に考える」「比喩-たとえ××」
の二つの方法しかない。
ーS6008事業百訓ー
  161 ライバルは他社ではなく変化そのものだ。-イトーヨーカ堂
  162 一番危険な事は多少とも知っていることだ。
  163 質の向上が自然と量の拡大になる。(質の追及は量をともなってくる。)
  164 一つの成功は次の成功の入場券を手に入れたにすぎない。-キッシンジャー
  165 “旅立ちは夜あけ前に!”
  166 “常住戦場”“常住不況”
  167 D・D・S(Deep・Discount・Store)
    今までのディスカウント・ストアよりももっと安さを追求した店で、
アメリカ流通業界の新しい業態の店。
  168 怒らず、恐れず、悲しまず。
  169 経験をしない者は、知ることができない。
  170 人間は神様によって生かされている存在である。この認識の上に立つといろ
いろな事がみえてくる。運にめぐまれ隆盛している人物がいる。彼は神につかわれて
いるのである。別の言葉でいうと、この状態はツイている状態である。
……こうもいえる天地自然の法則にそって自然の流れに適応していく事が
神様につかわれることである。 -伊藤昌哉-
ーS6010事業百訓ー
  171 欧米社会の原型は“父性社会”であり、日本は“母性原理の社会”である。
    (グレート・マザの潜在意識の中の存在・マザコン社会)
  172 悩むのはお前の勝手! 自分が悩むのは自分を“神”より見せてもらっているのだ。
  173 “情報化”とは“自由化”を意味する。(逆に“自由化”は“情報化”を意味する)
  174 時代の流れで“高度化”と“高級化”を間違わぬよう。
  175 順境は逆境のシグナル(逆境は順境のシグナル)
  176 生徒(我々)と先生(お客様)はむかいあうのではなく同じ方向に向いて
いなくてはならない。
  177 一日十通の手紙を出す事を自分に課した七万通を既に出した人の話。
  178 “商い”と“経営”のあたりまえの条件とは「一人一人のお客様がきちんとみえること」
    「一品一品の動きがきちんとみえること」
  179 店や企業にとってのチャンスは外にはない。我うちにある。
  180 真の価値は体質が生みだす。お客様の選択は表面的なものでなく体質そのものにむけ
られているはずだ。
  181 キューピーマヨネーズはマヨネーズだけであれだけ大きくなった。
  182 店の「心」がときめいているか。そのときめきをお客様につたえるのだ。
ーS6012事業百訓ー
  183 企業内にあるのはコストセンターのみ。プロフィットセンターは外部にある。
  184 経営の根幹は、第一に徹底したプレーン・ストーミング。
第二にそれによる明快な戦略の確立。
    第三に軍隊的な実行。  第四に公正な事業評価である。
  185 一棟規模を思いきって大きく投資する事が経営のポイントである。
  186 プライス力 四割 規模力 三割 駐車力 三割
  187 企業の「三力」 「知力」「体力」「魅力」
  188 予定挫折(人生マニアル化)
  189 葉書の達人たるべし(葉書の活用いかんでその人の人生の充足度がわかる。)
  190 人はこの世に神より封書をもたされておくり出されている。35才を中心とする
小十年の間にあけてみるべし。
  191 “必要は発明の母”の時代より“発明は必要の母”の時代へ。
  192 地方における最大の害悪は、農民感覚をマイナス面に作用させてしまう事である。
    (毎年同じ作業をくり返す事がよい事であり変化は悪である。城下町はその典型。)
ーーーーーーー
事業百訓ー1986年
ーS6101新年にあたり
(字数の関係でカット2008年08月20日

ーS6103事業百訓 ー
193 ・性相近 
 ・習相遠(人間はうまれた時は能力に差はないが、努力の積重ねでその差は無限となる)
194 今なる時はなかりけり。“い”の時くれば“ま”の時は去る。
195 べきときにべくる事をべきすべき。
196 創造とは伏従行為である。耳をすましてきこえない声を聞く。
197 生のほうから死をみると暗いが、死のほうから生をみると明るい。
198 五年あるいは五億が一つの壁、この壁をこえなくては並の中小企業か倒産かどちらかである。
199 今年はごまかしごまかしやってきた高度成長期の遺物が、かたずけられるといった程度の年。
200 感謝をすれば感謝のできる事が近よってくる。
201 現在の絶対的方向
  (1) 国際化が進む事  (2) すべての面で自由化が進む (3) 都市の集中化が進行
  (4) 人工の老齢化が進む  (5) 科学技術の想像を絶した発展
202 “美”の本質を追求していくと秩序を内在している。
203 “美”とは誰がみても美しい不思議。
204 古今の名作はわかりやすい。(難しさはきえやすい)
 ーS6107事業百訓ー
205 他人によってキズつけられるのは自分のエゴイズムだけである。
206 善き人におきる事は必ず善き事である。 (善き人には悪いことはおきない。)
207 みじめなということは低きところにおる人ではなくて、進むことのできなくなった人です。
八木重吉
208 私みずからであること、それのみ絶対である。私みずからより大きい必要もない、
自からである時のみ神を感ずる。
209 禅を通じて得たことは“徹すること”“こだわらぬこと”である。
この二つがそのまま勝に通ずる。-川上哲治
210 打破漆桶底(性の根底にある無明その底をぶち破る。その底がわれて仏と
ひとつづきになること)
211 もとはこちら、そのままけっこう(そのままけっこうがこの世の極楽である)
212 一日は一生の縮図です。それをさとって粛然たる思いがした時初めて人生の真実の
一端にふれたようなものです。
213 人の幸福をともに喜び、ひとの不幸をともにかなしむ
 ーS6109事業百訓ー
214 悟りということは「如何なる場合にも平気で死ぬ事かと思っていたのは間違いで、
  悟りとは如何なる場合でも平気で生きて居ること」であった。-正岡子規-病床六尺
215 平家を滅ぼすものは平家なり、鎌倉を亡ぼすものは鎌倉なり -徳川家康
216 プライス戦争が最終的に勝てる条件である-そのための体質づくり-
217 大きくなるまでは専業できなくてはならない。
218 “量”の拡大は“質”の向上をうながす。(質が向上しなくて量の拡大を維持できなくなる)
219 “量”が70%、“質”が30%(量稽古を体験せずして、技術の向上なし…)
220 一流の結果を二流の選手が出しただけのこと
  (-野村元捕手の講演より-その為にあらゆる手段、頭を使いきった)
221 人間限界を知るようになると
   ?目標より現実をみるようになる ?ノウハウがはっきりみえる 
  頭をつかう必要性を知る(野村選手)
222 明確な他社との差別化こそ戦略のテーマ
   (→それは他社との闘いよりで得られるものでなく、
  (自社のお客様との闘いの中より勝ちとる事である)
223 人材とはある一面がすぐれている人をいう。
   人物とは一つ一つはたいした事はないが、トータルとして重量感があり
   魅力・能力のある人のことをいう。
 ーS61 12ー  今年度をふりかえって                  
    以下字数の関係でカット2008年8月20日