* リタイアで神経症が治る
 6年前、少し前がかりで、会社を整理して御隠居生活にはいった。
何故か、その時以来、様々な神経症が収まってしまった。負担が大きかった
のである。準備期間の15年間を含めた20歳からの45年間、何か憑き物に追い
かけられ、神経を擦減らしていた日々から解放されたためである。このプラス
効果は思いもしなかったこと。
 先日、図書館で見つけた本が、それを解釈している内容。ずばり、
<自律神経を整える「あきらめる」健康法ー小林弘幸著>。
 私は、「あきらめざるを得なかった」だけだったが、以来、少し肩身が狭く
なった気分以外、全身がフワフワと浮いたような気楽な心持ちになっている。
スーパーのレジでドキマギしたり、会話時に相手と目を合わせると過度に緊張
したり、都電内などの視線恐怖症などが、嘘のように消えてしまった。
客商売の職業柄、いつ何時トラブルが襲い掛かっても、対処できる緊迫感を
持っていた日々が、会社清算の決断した瞬間から、45年間、維持していた重圧
から解放されていた。仕事など責任を負えば、誰もがストレスで少なからず
神経症があって当然のことだが。
 〜アマゾンのビュアーの書き込みより〜
≪ 本書は、ネガティブな感情が自律神経のバランスを乱し、結果的に心と体
 に 不調をもたらすとう負の連鎖について分かりやすく説明した上で、この
負の連鎖を断ち切る方法として「あきらめる」ことを提案しています。
そして、「あきらめる」の本来的な意味は、物事を途中で投げ出すような後向き
な態度ではなく、物事の道理をしっかり理解し、執着を捨てるという前向き態度
であるとしています。とはいっても、自分が執着してきたことに対して、そう
簡単に「あきらめる」ことは難しいのが人情…。 そこで、本書は、「ゆっくり、
動く」ことや「あきらめリストの作成」等日常生活ですぐに使えそうな
「あきらめる」習慣を紹介してくれています。この本を読んで肩の力が抜け、
思考もクリアになったように思えます。オススメの一冊です。≫

▼ 自律神経失調症は、対人関係などのストレスによるネガティブな感情を
 起因とする。で、リタイア時には、少し厳しめな日常のスケジュールをたて、
淡々と過ごすことで、内、外のネガティブの嵐から自らの心の芯を護ってきた…
 問題は、夜半に目が覚めた時に起こるネガティブな感情。これを、プラスに
有効に如何に転嫁するかである。 スポーツジムでの、「ヨガ」が終りの仕上げ
に、5分間の『屍のポーズ』がある。マットの上で、大の字になり、死んだつもり
になって、手足の末端から、内臓、頭の緊張を抜いていく。これも慣れるつれ、
緊張感と安堵感で、何かの自縛から解放された感になる。 夜半の覚醒時に、
これをやると、この時間帯が、「銅」の時間帯から、成り「金」に変わる。
ここでいう、「あきらめる」は、「諦める」ではなく、「明らめる」であり、
モノゴトを明らかにすること。その点、16年続けてきた、このブログで、
思いを、書き連ね公開(後悔)している習慣が「心の杖」になっているが、
どうも、それを振り回して他人を殴りつけてもいるらしい。 ったく!

・・・・・・
5560,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜?
2016年06月05日(日)
  * 強烈なミヤコ蝶々の母役   <山田洋次名越康文 対談>より
 なぜか、シリーズの中で印象に強く残っているのが、寅の母親。
ミヤコ蝶々が演じていたが、これがハマリ役。寅の『基低欠損』の原因である
関西のオバアチャン。 私事になるが、終戦直前に焼出された商家再建の中で、
産まれ育った。両親は商売に熱中、私を含めた8人の兄姉たちは、親の直の愛情
を受ける機会が少なかった。その中、末っ子もあって、兄、姉たちだけでなく、
多くの従業員の愛情を一身に受けたのが大きい。両親は、気が向いた時だけ
愛情を注いでくれていた。その代わり、美人の女店員に付いてまわっていた。
 ふと思いついた言葉が、私に関しては「基底肥大」。兄、姉は、終戦
最中の混乱で、『基低欠損』が大きくあったような。 
〜これは、何れの家庭にいえることだが。条件と原因は、ほぼ同じ働きをする。
≪山田:自覚はしていないけれど心の中に空洞を持っている人間、寂しさを抱えて
 いる人間は、そこを埋めたい埋めたいと意識の下で思っている。だから、時々、
 ヒステリカルに怒ったりしてみんなに嫌われたりするということでしょうか。
名越:寅さんは第二作で実の母親に会います。しかし京都でラブホテルを経営して
 いる母親役のミヤコ蝶々さんがこれまた強烈で、せっかく念願の親子再会を果た
 したのに、「今頃、何の用やねん。あっ、銭か、銭はあかんで」と、サラッと
 言われてしまう(笑)。
山田:撮影した後、そういう残酷な母親を演じさせた僕に、蝶々さんは
 「気にしなくてもいいんですよ」と言うんですよ。「わてはこういう汚い役は
 好きなんや。その奥に、人間のキラッとしたものが見えればそれでええんや」
 と言っていました。
名越:さすが蝶々さんですね。この第二作の中で、蝶々さんは「どの世界に、
 喜んで子供を捨てる親がいるんじゃ!」とズバッと言いす。-このセリフが心に
 残るんです。ぞしてラストシーンでは、橋の下で、寅さんが母を追いかけている。
 あの場面は本当に象徴的で、カウンセリングを山のようにやってきた人間から
 すると、「そうそう、これしかないんだよな」と思います。つまり、子供の方が
 一生懸命、親の「理想像」を作り、それをいつも追いかけているんです。≫
▼ 母親が亡くなった時、医師の依頼で、解剖をすることになった。
 兄二人が、たて続きに不幸な死に至った苦悩で極度のノイローゼに陥って、
数年間、心筋梗塞などで死線を彷徨った中で、心臓の4分1が壊死をしていた
ことがわかった。医師は、よく生き延びていたと、驚いていた。その中で、
生き残った6人に、深い『基底欠損』が、当然あった。青年期に至るまで、何度
も亡くなった兄二人が夢に出てきていた。その傷を抱え、膨大なエネルギーを
要する創業を、我ながら目指したもの。その経験があるため、第三者の批判の
軽さに心底から蔑視ができる。批判は自分の影に対する反映でしかないのが
自覚できない。影口の呟きで、自分の壁をつくっているのが、俗にいう世間人。
 〜で、また偶然だが、以下につづく!

 ・・・・・・
5195,魂が擦り切れるまで哲学に徹したか
2015年06月05日(金)
   * 哲学という気晴らし  〜『人生、しょせん気晴らし』中島義道著 
 こういう文章を読むと、<この10〜20年、独学で「哲学」を学んできま
した>など、よくも言っていたと自嘲をする。どの道も、命がけでなければ
プロとはいえない。「ひきこもり」と「哲学をする」は、紙一重
 20歳代に、スランプになると、度々、六日町にある「雲屯庵」という禅寺に
本を持ち込み座禅をしていたが、そこの若い雲水が、時々、「野狐禅など
してもしなくても同じだ」と強烈な批判をしてくれた。若い雲水は命がけで、
禅道を歩んでいるのに、少しの挫折で横たわる代わりの私の野弧禅など、
この馬鹿野郎である。しかし今から考えると、決して無駄ではなかった。
 これと同じことが、哲学の道でもいえる。 〜その辺りから(p91)
≪ 私が哲学にのめり込んだのは大森荘蔵先生に会ったからである。東大
 法学部に進むはずであった二十歳の私は、突如哲学に鞍替えしようと決意した。
その頃、大森先生の書いたものをむさぼるように読んでいた私は、大森先生に
じかに会って、いったいこんな自分でも市民から哲学者という「ならず者」へと
転落する資格があるのか賭けに出た。「駄目だ」というわずかな言葉をも、
視線をも、サインをも見逃さず、その時は哲学を潔く諦めよう。
 こうした悲壮な決意で先生に対したが、思いがけないことに、私は先生から
文句なしの適性を保証されてしまった。「来なさい」と言われ、胸も張り裂けん
ばかりに嬉しかったが、同時に奈落に突き落とされた。ああ、これで俺はもう
まともな市民としては生きていけない。哲学で行き詰ったら、後は死ぬしかない
と思い、泣きたくなるような気分だった。 それがまもなく現実になった。
法学部を捨てて先生の所属する教養学科の科学史。科学哲学分科に進学するや
否や、私は深刻なノイローゼに陥った。現実の哲学に失望したわけではない。
哲学は、そして先生はますますすばらしい存在として私に迫ってきた。だが、
だからこそ、自分に絶望した。そんなにすばらしい世界が与えられたのに、
それを充分活用できない自分の愚かさ、無能さに絶望したのである。
 蛆虫のような老婆を殺した瞬間に、自分もまた蛆虫だと悟った『罪と罰』の
ラスコーリニコフのように。俺は誤解していた、分不相応の高望みをしていた、
俺は真理のために生きることなぞできないのだ、俺はやはり蛆虫として真理を
横目で睨みながら何もわからずに死ぬほかないのだ。そう思った。そう思って、
自分の浅はかさを嘆きながら引きこもり、死ぬことを考えていた。
 ずっと後になって、奥様から「あの頃たびたび、主人は中島君自殺するかも
しれないと言っていました」と聞かされた。そんな苦しい時でも、私を哲学
へと「誘惑した」先生を瞬時も恨んでいなかった。ただ、せっかく見込んで
くれたのに、こんなテイタラクで申し訳ない。そのために死のうかと思った。
それからいかにして「治った」のかは、長い話になるので割愛する。
とにかく、私は門下の仲間たちとはよほど違って不思議なほど転び、蹟き、
滑りながら、哲学を続けている。といって、私は先生に普通の意味で
「感謝している」わけではない。私が駆け込み寺のように先生のもとに身を
寄せてから、本当に辛くきつい人生が待っていた。だが、私はこうしか生き
ようがなかったのだから仕方ない。先生との出会いも運命であり、私が哲学
を志すと「そこに」先生がいたのだ。 先生は私の恩師であろうか? 
いまさら「恩師」などと言えば、「私は中島君の師であったことなどない」
と切り返されるであろう。そうなのだ。私が先生を、一番煩わせた問題児で
あったとは確かであるが、先生は私の恩師なのではない。私は先生に哲学とは
こういうものだということを教えてもらったが、その後いまに至るまでその通り
のことをしていないのだから。だから先生は権威・権力におもねることを蛇蝎
のように嫌った。『哲学の教科書』がベストセラーになり、わずかの褒め言葉を
期待して勇んで病院に見舞いに行った時、「もう少ししたら何か言います」
と言われた。だが、何も言わずに死んでしまった。これもずっと後から聞いた
話であるが、私がウィーンから帰ってきて人より十年も遅れて駒場の助手に
なった頃、「今度帰ってきた中島という男は難しい所もあるが、どうか寛大に
見てくれ」と哲学仲間に訴えていたという。何も知らなかった。涙が出る思い
である。それほど気にかけてくれた先生は、物書き業に堕した私を許してくれ
ないであろう。魂が擦り切れるまで哲学をしていない私を軽蔑するであろう、
それが苦しいので、時折私は必死に叫んでみる。「私は先生とは違うのです、
こういう形でしが哲学ができないのです」そうしながら、「それでいいのだよ」
という先生の優しい言葉を期待する。だが、いくら耳を澄ましても何も聞こえて
こない。≫
▼ 何度も読み返えすたび、その都度、それぞれの青年期の節目の苦悩が蘇る。
 多かれ少なかれ、青年期には、各自が、似たような苦悩を抱えて苦闘するが、
いつの間に現実に同化してしまう。で、娑婆娑婆して、この有様! 色即是空
・・・・・・
4830,「事業人生を決心して45年」の語り直しー8
2014年06月05日(木)
  * 「語り直し」を始めて驚いたことは
 3年前の結末で、オセロゲームの駒が白から黒に変わったと思い込んでいた。
ところが、変わったのは細部の記憶が次々と最近のことのように思い出すこと。
嫌な出来事と思っていた中に、自分自身の姿が垣間みることが出来ることだ。
むしろ、不遇の渦中こそ、人生の醍醐味がある。ただ、気づくか気づかないか。
不遇であればあるほど、周囲の人に親切になる。だから、多くの邂逅が生まれ、
味のある日々になっている。成るほど、人生は面白いものである。生きてきた
課程で、日々、世界が変化している。そして自分自身も、大きく変化している。
特に、20歳代の変化は激しく、留まることはない。金沢にいた頃の会社は、
最後は吸収合併をされて、今は、何一つ残ってない。あるのは抽象画のような
記憶だけ。しかし、これが自分の基礎に大きく根を張っている。
 金沢に来たのだからと、能登一周の観光バスで一日一人旅をしたり、
同僚との東尋坊へのドライブに行ったり、早朝の金沢港でのキス釣とか、
金沢駅前の居酒屋で騒いだりとか、入社前の研修での永平寺の座禅とか・・・ 
 ところで、東尋坊は北陸随一の景勝であり、自殺の名所としても知られている。
同僚から聞いたのが、自殺者の霊が管理事務所に尋ねて来たとか、断崖から
下を見たところ、多くの手が伸びてきたとかは日常茶飯事という。 
 せっかくの金沢なら、茶道でもと思いたち、同僚の女性の紹介で、寮の近くの
家に習いにいっていた。異様な緊張感が漂う中、来ている女性は、なかなかの
若い美人ばかり。週の火・木曜日の週二回のどちらかに行くが、これが心落着く。
それぞれの日で、来ている人が違うが、そこでの美人を見るのが楽しみに
なっていた。ただ、それだけだが、金沢を急遽、去るにあたって、その事情を
師匠に話すと、「ところで結婚相手が決まっているの?」と聞いてきた。
「職場の女性以外に、チャンスもないし、同僚は付合わない主義で・・」
と答えると、「どっちの娘がいいの?」と! 結婚相手など微塵だに考えて
なかったので、「別に!」と答えたが、悪くはないが今さら時間が無い。
考えてみたら金沢での伴侶の選定も考えられた。 浅く広い、いちゃつき
レベルでは、多くの思い出はある。一番、惨めで、嫌なことばかりの日々の中に
こそ、多くの心の痕跡がある。それが青春ということか。人生は多くの
出来事と、その記憶の重なりで出来ていて、「自分」は、その蓄積そのもの。 
そうこう振返ると、創業準備期間の15年の方が、創業以降の30年より、遥かに
エネルギーが入っていたことになる。結果が、どうであれ、野心を持って、
ひたすら日々を過ごしていた20歳代が、人生の醍醐味があったようだ。
 結果としてみて、20歳代は、非常に合理的配転を自らしていたことになる。
今だから言えるが、面白い日々だった。
・・・・・・
4463, 余命半年 −1
2013年06月05日(水)
        「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
 老いるにも準備が必要であるが、死ぬことにも準備が必要のようだ。
「あと余命半年」と悟った時に何をするか?その時には、苦悩と苦痛が頭を
占めて殆ど何もできない。あと半年と悟った時、「準備をしてきて良かった」
と言えるよう、普段から一歩ずつ足を踏みしめて生きなければならない。
それにしても、それほど遠くない未来に、余命半年+−数ヶ月の余命を宣言
されるか、自分で悟る時がくる。これが脳溢血、心不全、交通事故など瞬間死
の数倍の確率というのが現実である。その瞬間から悟りすまして生きるなど、
無理。それまで積み重ねた知識と経験と覚悟を持って、平静に保つしかない。
  ーまずは、「はじめに」より抜粋---- (要約でもある)
≪「あなたの余命は半年です」突然そう宣告されたら、あなたはどうする
 だろうか? とりあえず遺産をどうするか、そこから手をつけるだろうか。
あるいは、かねてより行きたいと思っていた海外に旅行に出かけるだろうか。
いずれにせよ、ぼやぼやしていたらあっという間に半年など過ぎてしまう。
半年・・・たった六ヶ月である。「命はそれまでですよ」と告げられたあなたは、
その半年の間にやるべきことをすべてやり、心にも折り合いをつけて最後を
向かえることが出来る自信はあるだろうか? ・・まさに人の数だけ物語があり、
バッドエンドもハッピーエンドもある。ある時から、私は何がこの二つを
分けるか、あるいは、ある人の終末期に光が包まれるのに、ある人の終末期に
色濃い闇に閉ざされるのか疑問に思った。 結論から言うと、老いる前から
老いることを、病気になる前から病気になることを、死ぬ前から死ぬことを
考え、そこで悲観的になるのではなく、だからこそ一足一足を踏みしめて
生きようと、そう思った人間にはそれ相応の最期が約束されるということが
わかった。老いること、病気になること、死ぬこと、それを事前に考えるのは、
ものすごく精神力を使い、大変な作業である。ともすれば抑うつ的になって
しまうこともあるだろう。しかし、その差は必ずいつか出る。ひょっとすると、
最期ばかりか、明日からも大きな差となって現れるかもしれない。・・ ≫
▼ このところ、老い、病気、死についての本を読むことが多い。 
 読んでいると安らぐのである。どっちにしろ、そう遠くない先に直面する。
その時になって、急ごしらえの準備は、それでしかない。しかし、この本も、
  健康時からの心得、病初期・病中の心得、病末期の心得、死の心得と、
段階をおってるから、シビアで引き込まれる。緩和医療のお医者さんもあり、
著者は、その実態を紹介することで不安を少なくしたいのが、この本の主旨。
 「精一杯生きました。悔いはありません」そういって誇らしげに言える
ための準備、それは「今を幸せに生きる」こと。
・・・・・・
4089, 老いの見本帳ーダークサイト −9
2012年6月5日(火)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
  * 役割としての「年寄り」   
 ここで、「老人と年寄の意味合いの差は、喧嘩の仲裁ができるかどうか」。
村の長老は、争い事の仲介者としての役割が最も似合っている。若づくりを
した粋な老人も良いが、何もかもしりつくした重みのある長老も良いもの。
≪【老人と年寄り】 老人という言葉には、老化現象の起きた人間とか老衰
間近の人間といった印象を覚えてしまって、好きになれない。老人ホームとか、
老人病院といった具合に。それよりは「年寄り」といった呼称のほうが、経験
や年輪を重んじている気配が感じられる。相撲界でも年寄株は必ずしも高齢者が
持つわけではないし、江戸時代の武家では役員待遇的な意味合いではなかったか。
長老、なんて尊称も最高齢者というよりは「年寄り」に近いニュアンスであろう。
 わたし個人の勝手なイメージでは、年寄りとは喧嘩の仲裁ができる人である。
「ここはひとつ、年寄りの顔に免じて堪えてくれんかのう」と言えば、
それで喧嘩している同士はしぶしぶ矛先を納める。立腹しつつも、どこか安堵
した表情を浮かべながら。そんなふうに心の機微を読み取り、また最後の
最後に腰を上げる状況判断の確かさと、人生経験を重ねてきていることへの
万人の敬意とかが、その場を収めるのである。
 ・・ 六十歳を超えると急に「余りにも下世話な」妄想が突出するケースが
散見されることは、既に第5章で触れた。その背景には、若さから遠ざかった
ことへの無念さとともに、年寄りであることを受け入れるに足る価値感が高齢者
に与えられていないことがあるだろう。暴走老人などというものが出現したのも、
老人であるという無力感や孤独感のみならず、年を重ねたという事実を劣化と
いった文脈でしか認識しない世間への恨みが大きかったからだろう。
年長だからとそのことだけで威張るのも、あるいは落胆するのも問題だけれど、
年長者の顔を立てるといった世の中の「知恵」が通用しなくなっている。
その辺りの軋みを是正するには、もはや老人が年寄りであることを意識的に
「演じる」ことから再スタートするしかないのではないか。世の中が認めて
くれるかどうかはさて置き、年寄りというキャラクターを、役割を、もっと意識
してみてはどうなのか。そのキャラクターが現今においては「カッコ悪い」と
いった了解があるから、年寄りであることを皆が演じたがらない。若く見える
意外性ばかりを狙いたがる。 団塊の世代がこれから老人へと突入していく。
どのような老人像を頭の隅に思い描きつつ年寄りになっていくのか。ジーンズや
Tシャツが少なくとも外見的に旧来の老人とは違ったイメージをもたらすだろうし、
家族のあり方も変化してきているのだから、過去の年寄りの姿がそのまま手本には
なるまい。還暦に赤烏帽子と赤いちゃんちゃんこを贈られていた頃とは時代が違う。≫
▼「あえて自分らしい年寄りを演じてみることで、配役として全うしてみる
 ことを楽しんでみればベスト、人生など所詮は座興に過ぎないのだから」という
著者の言葉が説得力がある。清濁併せ飲む老人を演じるのも面白いが・・
どうも、クソ真面目は? 年寄りは、目立たないことだ。団塊の世代の年寄が、
目立ち始めてきた。だから海外旅行者の数が不景気にかかわらず減らない。
  彼らは「皆んなで渡れば怖くない世代」である。兄弟、友人も皆んな
年寄りになっていくため、無力感や孤独感は少なくて済む。
 

つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 
  今日のYoutube

 今朝がたのポタリングの寒かったこと。
それでも気持ちが良いのは、6月上旬だからだろう。

 イギリスで、再びテロ。
旅行代理店も大変だ。これでは欧州に旅行は控えるだろう。
英国も、これではEUの離脱も決定的。 今更か…



・・・・・・
4089, 老いの見本帳ーダークサイト -9
2012年6月5日(火)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
  * 役割としての「年寄り」   
 ここで、「老人と年寄の意味合いの差は、喧嘩の仲裁ができるかどうか」。
村の長老は、争い事の仲介者としての役割が最も似合っている。若づくりを
した粋な老人も良いが、何もかもしりつくした重みのある長老も良いもの。
≪【老人と年寄り】 老人という言葉には、老化現象の起きた人間とか老衰
間近の人間といった印象を覚えてしまって、好きになれない。老人ホームとか、
老人病院といった具合に。それよりは「年寄り」といった呼称のほうが、経験
や年輪を重んじている気配が感じられる。相撲界でも年寄株は必ずしも高齢者が
持つわけではないし、江戸時代の武家では役員待遇的な意味合いではなかったか。
長老、なんて尊称も最高齢者というよりは「年寄り」に近いニュアンスであろう。
 わたし個人の勝手なイメージでは、年寄りとは喧嘩の仲裁ができる人である。
「ここはひとつ、年寄りの顔に免じて堪えてくれんかのう」と言えば、
それで喧嘩している同士はしぶしぶ矛先を納める。立腹しつつも、どこか安堵
した表情を浮かべながら。そんなふうに心の機微を読み取り、また最後の
最後に腰を上げる状況判断の確かさと、人生経験を重ねてきていることへの
万人の敬意とかが、その場を収めるのである。
 ・・ 六十歳を超えると急に「余りにも下世話な」妄想が突出するケースが
散見されることは、既に第5章で触れた。その背景には、若さから遠ざかった
ことへの無念さとともに、年寄りであることを受け入れるに足る価値感が高齢者
に与えられていないことがあるだろう。暴走老人などというものが出現したのも、
老人であるという無力感や孤独感のみならず、年を重ねたという事実を劣化と
いった文脈でしか認識しない世間への恨みが大きかったからだろう。
年長だからとそのことだけで威張るのも、あるいは落胆するのも問題だけれど、
年長者の顔を立てるといった世の中の「知恵」が通用しなくなっている。
その辺りの軋みを是正するには、もはや老人が年寄りであることを意識的に
「演じる」ことから再スタートするしかないのではないか。世の中が認めて
くれるかどうかはさて置き、年寄りというキャラクターを、役割を、もっと意識
してみてはどうなのか。そのキャラクターが現今においては「カッコ悪い」と
いった了解があるから、年寄りであることを皆が演じたがらない。若く見える
意外性ばかりを狙いたがる。 団塊の世代がこれから老人へと突入していく。
どのような老人像を頭の隅に思い描きつつ年寄りになっていくのか。ジーンズや
Tシャツが少なくとも外見的に旧来の老人とは違ったイメージをもたらすだろうし、
家族のあり方も変化してきているのだから、過去の年寄りの姿がそのまま手本には
なるまい。還暦に赤烏帽子と赤いちゃんちゃんこを贈られていた頃とは時代が違う。≫
▼「あえて自分らしい年寄りを演じてみることで、配役として全うしてみる
 ことを楽しんでみればベスト、人生など所詮は座興に過ぎないのだから」という
著者の言葉が説得力がある。清濁併せ飲む老人を演じるのも面白いが・・
どうも、クソ真面目は? 年寄りは、目立たないことだ。団塊の世代の年寄が、
目立ち始めてきた。だから海外旅行者の数が不景気にかかわらず減らない。
  彼らは「皆んなで渡れば怖くない世代」である。兄弟、友人も皆んな
年寄りになっていくため、無力感や孤独感は少なくて済む。
 
・・・・・・
3723, ジャズについて -15
2011年06月05日(日)
         ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
   * 日本のジャズはどうなっている ?
【 二十世紀初頭にアメリカに生まれたジャズが日本に入ってきたのは、明治から
 大正に入り、第一次世界大戦が勃発した頃だ。
 当時は社交ダンスが華やかなりし時期で、ダンス音楽として輸入されたのである。
 一九三〇年代にもなると、東京を中心にダンス・ホールがお目見えし、日本人による
 バンド演奏も行なわれるなど、第一次ジャズ・ブームが起こる。わが国最初の本格的な
 ジャズメンとの評価を得るトランペッター南里文雄が活躍を始めたのも、そんな時代である。
 しかし、ジャズが本当に日本にもたらされたのは、第二次世界大戦後の進駐軍占領時代と
 いっていいだろう。それというのも、戦争が激しくなる一九四〇年前後には、ジャズメン
 の主な活躍の場であったダンス・ホールは閉鎖され、やがては「敵性音楽」との理由から
 演奏そのものが禁止されるなど、ジャズの空白期間に入るからである。
  戦後のジャズ。それは、進駐軍として駐留する兵隊の娯楽として、NHKがジャズなど
 アメリカのポピュラー音楽を放送したことを直接のきっかけとする。やがては、慰安の
 ため進駐軍のキャンプを巡ってジャズを演奏する日本人も出現。
  同時に、日本人の心もとらえ、五〇年代に入ってルイ・アームストロング
 ベニー・グッドマンデューク・エリントンなど本場の巨匠たちが来日するにいたって、
 第二次ブームとも呼ぶべき様相を呈したのである。もちろん・進駐軍とともにもたら
 されたジャズは、アメリカと同じようなスタイルの変遷を経ながらも日本にすっかり
 定着していき、一方、日本の流行歌にも大きな影響力を及ぼすのである。
  そんな日本のジャズで活躍した多くのプレイヤーの代表をあげるとすれば、サックス
 の松本英彦渡辺貞夫、トランペットの日野皓正、ピアノの秋吉敏子、菊池雅章、
 山下洋輔らになるだろう。なかでも日野晧正や菊池雅章、秋吉敏子といった面々は、
 ジャズの本場アメリカを拠点に活躍。日本におけるジャズも、本場がそうであるように、
 八○年代以降やや沈滞気味だが、そもそもは輸入された音楽であるジャズの世界でも、
 世界に通用するアーティストを輩出していることだけは忘れてはならない。 】
 ▼ 私が学生時代に、TV番組でジャズが多く流れていた。それだけでない、カントリー
  にウエスタン、ブルースにロックと、当時はアメリカに如何に同化するかが、大きな
 バロメーターのところがあった。現在も、その傾向が残ってはいるが。
 地方出身の学生であった私も、何の抵抗もなく、アメリカナイズされていった。
 それから考えれば今さら何がジャズか、になる。とはいえ、当時の刷り込みのある
 ジャズに興味を持つのは当然といえば当然で、抵抗なく、その世界を楽しめばよい。
 ・・・・・・・
3358.すでに世界は恐慌に突入した ー1
 2010年06月05日(土)
「 すでに世界は恐慌に突入した ーデリバティブとドルはあと数年で崩壊する 」 
                           ー船井幸雄 朝倉慶 著
  ーまず、アマゾンの 内容紹介 よりー
いよいよ、資本主義が音を立てて、崩れていきそうな気配。今の我々のシステムは
デフレという状態では崩れません。貨幣への信頼があるからです。ところが、世界的に
始まってきた、石油や食糧をはじめとした、今の商品高が止まらなくなり、酷いインフレ
状態に陥ると、やがて貨幣に関する信用が失墜して、経済活動、その他も収集がつかなく
なってしまいます。そうなれば、資本主義の崩壊です。そのきっかけを作るのがドルの暴落。
ドル暴落という引き金が引かれれば、国債大量発行という借金漬けの日本の状態もそうですが、
中国の体制の問題、イラン、イスラエルに見る中東問題、インド、パキスタンの紛争、さらには
ロシアや東欧、書きだしたらきりがないほどの世界を取り巻く矛盾が一気に噴き出てしまう。 
・・・・ (中略) 恐らく今回の混乱は、経済的な破壊に留まらず、天変地異や、
鳥インフルエンザなどの破壊的な疫病も伴うこととなる。 まさに人類史上最大の困難が
幕明けようとしています。しかし、この事態を決して悲劇的なことと捉えないでほしいのです。
豊かになった我々は、実は、多くのものを失ってきているのです。親殺し、子殺し、無差別殺人、
振り込め詐欺、こんなことはなかったことです。豊かさとともに何かが変わったのです。
家族や隣人への愛情、屈託のない笑顔、世の中には、お金では買えないものが山のように
あって、そのものすべてを取り戻す旅が始まるのです。お金や人の地位などは目で見ること
ができます、しかし愛情や信頼などは、目では見えませんし、計ることもできません。
一番大事なのは、この目に見えないもので、これから、我々はこの目に見えない、今まで
失った一番大事なものを取り返しにいくのです。
 ~~
しかし朝倉慶の「大恐慌入門」は、たとえ話を多く取り入れながら分かりやすい内容で、
非常に多く売れたよう。その続編といった内容で、6京という信用取引の残高のマイナーは、
まだ世界中の企業、金融機関、政府系機関の金庫の中でジッと眠っているだけ、必ず、その
損失処理をしなければならない時期がくる。それが今や刻々と近づいているのは
誰の目にも明らかである。対処処理で札を刷りまくった結果は、札の価値の下落、
ハイパーインフレである。今年の暮れから2012年には、発生するのは間違いないこと。
・・・・・・・
2983,超円高社会ー 6
2009年06月05日(金)
 現在の年金問題の大きな問題は誰が起こしたのか、そして、その問題点とは何かを
簡潔に書いてあった。 これによると、田中角栄である。 考える方も考える方だが。 
彼の功と罪は、あまりに大きい。 最後は消費税とは別に、「年金税」という直接税で
賄うしかないのだろう。
 ーまずは、その部分を要約して書いてみたー
  * 孫代にツケを回す年金制度の犯人は角栄
【 自分が積み立て、増やしたお金を老後に受け取るという制度は、当初のように
続いていたら、これは公平な制度である。「制度を越えた支え合い」などという政府の
マヤカシで洗脳される余地はなかった。では何時、世代間で極端に不公平な賦課方式に
替わったのだろうか。実は、あの詐欺師のような男、角栄である。田中角栄時代に、
日本はハイパーインフレに襲われた。当然年金は目減りをする。年金を引き上げれば喜ばれる。
しかし、下げれば嫌われる。そこで角栄は考えたのである。日本の制度は大福帳会計である。
個人個人の会計の口座の中味を把握できる仕組みになっていない。そこで、年金制度を
賦課方式に切り替えれば、年金を掛け金を値上げすることなく、当面の年金額だけを
大幅に増やせるぞ、と。この決定こそ、身勝手に国民の財産を奪い取る悪魔の決定であった。 
それを解りやすく説明をすると、若いXさんの積み立てた財産を勝手に奪い取り、老後期にある
Yさんに勝手にばら撒くという案なのだ。自分の積み立てた金は現在の老人に支払われてしまい、
老後は、その時の若い人から支払えばよい、という考えである。負担を後世代に回すことで
票を買うという背信的な政策だったのである。当時、角栄の熱狂的に支持した層が、現在、
老後の世代になっており、この歪んだ制度の最大の受益者になっている。彼等こそ角栄円高
社会ー 5の共犯者なのである。積み立て方式を賦課方式に替え、そして自ら払った金額より
大幅に超える年金を受給し、今の若者に尻拭いを押し付けたのである。角栄は「今太閤」
と呼ばれ人気者になって、票を取り、私腹を肥やして、あの世に逃げていったが、残された
国民はいい面の皮である。こうして角栄の手で年金はネズミ講のシステムに切り替えられた
のである。このネズミ講の破綻を避けるには、より多くの金を集め、被害者の数を多く集めて、
誰かが尻拭いをしなければならないのである。そのためには人口が増え続けなければならない。】
ーー
以上だが、私たちの年代は、その恩恵を受けるが、その後を考えると大変な負担になる。
これと同じようなことを、自民党が大量国債発行を続けてきた。更に、この金融恐慌を
キッカケに大量に積み増している。 もう手が付けられない手負い獅子。この総選挙で
抹殺されるか、生き延びるか? 自民党を選択してきた国民の民度が一番の問題。
・・・・・・・・・
2008年06月05日(木)
2619, 消費社会から格差社会へ ー3
                      ー読書日記ー
ー若い人は一人旅は流行らないー
 この本によると、10年ぐらい前までは、「深夜特急」とかいう本に啓発されて若者が
パックを背負って世界を旅するのが流行っていた。 が、今では全くといってよいほど
見られないという。 いつの間にか時代は変化していたのである。
  ▼ まずは、その部分を抜粋してみる。
以前、ある研究会で旅行関係の仕事をしたんです。聞くところによると最近の若い子が
海外旅行に行かなくなったと。まあお金もないし、頻繁に海外旅行しなくなったと。
でもお金の問題だけじゃなくて、どうもコミュニケーションカが非常に低くなっているん
じゃないか、と。 七〇年代初期に 「団体旅行なんてカッコ悪いぜ、デイパック背負って
行く旅がいいじゃん」っていう、「地球の歩き直的なムーブメントがあったけれど、今は
「若者だから一人で旅をしろ」って言っても、もう行かないんです。早大の探検部は今や
存亡の危機だそうです。しかも部長は東京理科大の女子学生らしい。 なぜかというと親が
止めちゃう。「今度こんな所に行くんだけど」って息子が言うと、親が「危ないからよせ」
って言う。 それで探検が成り立たなくなったそうです。日本以外にもっとおもしろい世界
があるぞ、なんていう期待も持ってない。じゃあ、どうやったら海外旅行をしてもらえるか、
という研究をして、一つ出た結論が「新・団体旅行」なんです。一昔前の「農協パック」
みたいな団体旅行でいいんじゃないかと。なにしろ郊外の「下流」の若者は「新しい農民」
だから。ただ、まったくの団体旅行ではだめだから「みんなと一緒に行く自分らしい旅」
みたいなコンセプトがいいんじゃないかと。つまり「島宇宙」を用意してあげるわけね。
ーー
若い人の大半が、金もない、覇気もない、夢もない、ということ。 時代の背景に直接
反映しているインターネットや衛星TVをみれば、世界の映像が直ぐに飛び込んでくる。
しかし実際に行って感じるのとでは雲泥の差があるのが、わからないのである。
さらに傾向として結婚からも逃避し出している、ともいう。
若者はノイズに弱いというが、結婚ほど連れ合いや、子供のノイズは煩いものはない。
中国は「一人っ子政策」のプラス面がある。 両親が、一人っ子に集中して教育をする
からである。特に主流を占める貧困層こそ、その脱出手段として、将来を子供にかける。
だから底辺の底上げになるのである。その若者が、そろそろ社会の中核に出てき始めた。 
それに日本の若者が太刀打ち出来るわけがない。衰退の最も深刻な現象が、若者たちの
無力感である。 ある意味、政治の怠慢の犠牲者である。
                              ーつづく
・・・・・・・・・
2007年06月05日(火)
2254, ビョーキな人々探訪記 ー3     o(゜∀゜)o オッハヨウ
鬱病について
依存症とは違うが、これも大変な病である。作家の原田宗典中村うさぎの対談も
絶妙である。原田宗典は数冊読んだことがあったが、彼が鬱病とは驚きだ!
 (字数の関係でカット09年06月05日)
・・・・・・・・
2006年06月05日(月)
1889, 閑話小題       おはよ?!(*^ワ^*)i              
ーインフレの足音ー
 家内の話では、
「スーパーの特価のトイレットペーパーが売り出し直後に売り切れる。主婦レベルの買い
だめが始まっているようだ」とのこと。値上がりを見越して、主婦レベルでのささやかな
生活防衛が始まったようだ。 原油の値上がりからみて当然の現象である。
 インフレはまだ先のことと思っていたが、悪性インフレが徐々に姿を現してきた。
2008年から2010年辺りに世界的な大変動がある。
ーサッカーのドサクサにー
 サッカーのワールドカップのドサクサを狙って政治的な大事件が起こる可能性がある。
 冷静に、それが何だか見てみ極める必要がある。その一つが村上の逮捕か?
 それとも、あの大銀行の手入れか。アメリカの株価の大暴落か。アメリカの大手??
 会社の倒産か。大きなテロも可能性がある。無ければ無いでよいが。
ー自殺が8年連続で3万人超ー
 3万人超の自殺が8年連続とは、異常の数字である。
 ホテルで自殺者が出ると当事者として、その詳細が警察から知らされる。
「おん宿 かわせみ」という時代小説があったが、自殺者だけに限らず、
(長期宿泊者などの事情を聞くと)色いろな人生を垣間見ることができる。
 例えば
・12平米のツウィン・ルームに男女二人が5?6年近く宿泊して(暮らして)いたとか。
・子供連れの女性が二年近くシングル・ルームに住んでいたとか。
・怪しげな若い男が、明らかに純情そうな素人娘のヒモとして、ピンサロで働かせていたとか。
・最近は見られなくなったが、流れのピンサロ嬢も時期になると宿泊するという。
 当ホテルは方針上、絶対に売春などの宿泊は厳禁をしているが、時代のせいか、
 デルヘル嬢を他のホテルは殆んど認めているという。 書けばつきない・・・・
 そういう危ない人が必ず数人は宿泊しているが、必ず警察がチャックをしていて本人
 の大筋が見えてくる。 自殺で一番憐れだったのが、窓から飛び降り自殺をした人である。
 警察が調べたところ、最近に同居していた女性が亡くなって、その身元もわからない上に、
 本人の身元も解らないという。何か深い事情があったようだが、身元不明で処理する
 しかないとのこと。誰も好んで自殺するはずがない、死ぬなりの深い理由があるのだろう。
 考えてみれば、20代までは死にたいと何度思ったことか?
 最近は、死にたい!でなくて、もっともっと生きたい!と思うのは老化の現象か?
  (字数制限のためカット 2011年6月5日)
・・・・・・・・
2005年06月05日(日)
1524, わたしの酒中日記ー3
   金沢編ー1
ー1971年10月某日
会社の寮から50?のところに「トラちゃん」というホルモン焼屋がある。まわりカウンター
の中で、小太りのトラちゃんというに相応しい小母ちゃんがやっている店である。この店には
月に1~2度位、ブラリ入る。寮に近いわりには、会社関係の人はこない。
香林坊には、いくらでも面白そうな店があるので、こんなところでは飲まないし、彼女が
大体いるためか、一人で飲む奴などいない。 香林坊からバスで10分のところにあるが、
何時ものようにモツの炒め物を注文して一人飲んでいると、寮の2年先輩が嬉しそうな顔を
して入ってきた。 「おお一人か!実をいうと、今日は競馬で大穴を当てたんだ。
一杯奢るから俺について来な!」 断る理由など一切無し、タクシーで香林坊の少し路地に
入った店に乗りつけた。 看板には「平家 落人焼き」とある。店に入ってビックリした。
油で店の中が黒光りしてギトギトである。威勢のよい40歳がらみの親父と、女将が愛想良く
むかえてくれた。カウンターの中に大きな1m四方の鉄板に、魚や肉を野菜と一緒に焼いて
出してくれる。メニューは鉄板焼きだけのシンプルなメニューだけである。ツマミは、手で
千切ったキャベツが大きなバケツから手掴みで、皿に入れられて出される。
それを食塩を振りかけて前菜にする。平家の落人が、山に隠れて兜を逆さました中で、
山菜や猪の肉などを焼いて食べていたという由来から名づけたのだろう。ここの名物は何と
いっても「夫婦喧嘩」とタクシーの中で聞いていた。 ストレスの溜まったオカアチャンが、
いい加減なオトウチャンに切れる。見ていても迫力があるという。そして何時もの通りに
夫婦喧嘩が始まった。両親の赤裸々な夫婦喧嘩もなかったので、その夫婦の迫力に驚いた。
しかし、一戦が終わった後は何事も無かったように穏やかになった。オカアチャンが休みの
日など、一人しょんぼりとしているという。その親爺が、今度は会社の先輩の絡み始めた。
「お客さんには悪いけど、今日は最高の日のように見えるが、実際は最悪の日なんだよ! 
博打で当たった味が結局は深みにはまり込むんだ。その意味で今日は最悪の日だよ!
気の毒になー!」聞いていてイヤに納得のいく言葉。
・・・・・・・・・
2004年06月05日(土)
1159, 「武士の家計簿
いま話題になっている本に、この「武士の家計簿」がある。激動の時代が、武士の家計簿
リアルに浮き彫りにされている。
現在我々が直面している金融破綻や地価の下落、利権と収賄等々の問題が、150年前に
 金沢で全部経験ずみなのが面白い。
・仕事は経理加賀藩御算用者(経理係)、・小遣い6千円 
・幕末の武士は年収の二倍の借金に苦しんでいた。
  (字数制限のためカット 2010年6月5日)
・・・・・・・
2003年06月05日(木)
 792,起業とは-1
 現在、起業家という言葉がキーワードになっている。国家が支援金まで援助して新しい
事業を興すことを勧めている。ベンチャーだけでなく、企業に属している人やすべての
社会人にこのマインドが求められるようになった。しかしアイデアや着想を練り上げて、
プロジェクトを立ち上げ、業績をあげて、拡大し、次世代にひき継ぐのは至難の業である。
うまくいっても大体が25?30年で、その生命を終了する。 営業ー不動産などで
「千三つ」といわれることがある。
(字数制限のためカット 2011年6月5日)
・・・・・・・・
2002年06月05日(水)
 428, おしっこをしながら、水を飲む
「おしっこをしながら、水を飲むとそのまま飲んだ水が垂直に排出された感じになる。
 宇宙が身体に流れ込む感じ」という本を読んで、昨日3回も実行してみた。
・まず感じたことは、「こんなことを実際やってみる人は、
 この本を読んだごく僅かな単細胞の人だろうな?」という気持ち。
・世界広しといえども、こんな経験をした人は殆どいない事をしてみた自分の可笑しさ。
・現実にはそうでないが、飲んだ水がじかにそのまま排出されるという
 実感が愉快であった。そこには胃も腸もないそのまま出て行く実感である。
ところでそれがどうしたの?と聞かれても答えようがないが、新鮮な気分と、誰もやった
ことない体験をしてみた!という可笑しさで,気分が一新しただけでも価値があった。 
何事も経験です!! 貴方も経験してみたら??!
・・・・・・・・・・・
2001年06月05日(火)
[43] オークションサイトについて
今日インテリア山下の社長が来社して、下取りのダンツーの絨毯を1円でネット
オークションに出してみた’と言われたので早速オークションに千円で入札をしてみた。
またネット上の新しい世界を垣間見た思いだ(e?ビジネスの新しい可能性の一部を)。
これこそ新しい社会の1つの可能性を現している。ホームページにしろインターネット
で毎日が新しい発見の連続である。確かにネットバブルの部分があることは否定できないが、
といってネット社会の方向は事実である。是非このサイト見てみる事を薦めます。
前の頑張ってます!はパソコン教室の練習です。
記念の為残してきます。        http://auction.excite.co.jp/