* 母親と供に
 宇宙船内の両親の席の母の隣に座り、一方的に話した内容とは。
≪ 父親も尊敬してましたが、貴女も人間として見上げる存在でした。
 亡くなった時、医師希望の解剖の結果、心臓の4分の1が壊死していたこと
を知り愕然としました。2人の息子を死なせ、母としての責任と後悔で重度の
ノイローゼに陥ってしまったことは知っていました。それでも、心臓が四分の一
も壊死していたとは。 中学校2年の時に、夜半、心臓発作のため、立川病院の
院長自らが駆けつけて、止まりかけた心臓のマッサージをしながら、大声で、
『堀井さん、自分で生きようとしなければ助かりません。苦しくても生きたいと、
思って自ら立ち上って下さい!」と絶叫していたのを覚えています。
言語に絶する苦しみが当時の私に伝わっていたと思ってましたが、殆ど分かって
なかったということですよね。 白髪が立上り、両手を上に突きあげ。私を見て、
「助けて!」と、絶叫していましたね。その急場を乗越えた後、少しずつ病状が
良くなっていく過程で、新興宗教に助けを求めたり、宗教書や倫理書を熟読する
ことで、苦しみの種を、一つずつ取除いて立上っていく姿を身近で見ることが
出来ました。貴女の生い立ちは、生れて直ぐに父親が亡くなり、男後家の義父に
苛め抜かれたと、ことあるごとに聞いてました。実母も義父に気遣い、表向き
幼女の貴女には冷たくしていたと。 親からの直の愛情を、子供に与えられた
経験のなさが、仕事の忙しさも手伝って、目先、ガムリャラに生きるしかなく、
息子の不幸を招いたと、聞いていました。これは子供の私たちにも影響をあった
ようです。 その反動が、私に集中し、孫のような特別待遇をして貰いました。
結果的に、それが良かったか、悪かったか。貴女は、子供でも分かるような、
宗教書や倫理の本を何気なく、茶の間において、自然に読ませてくれていたのが、
間接的教育だったのですね。
 10年近くの重度のノイローゼの中で気づいたことは、「過酷の環境下での、
『無教養』が、取返しのつかない不幸の原因だった」ということですよね。
私自身も、「知識の絶対的不足」に気づいたのは、地元を離れた学生時代。
オープンハウス的な寮生活で、全国の多くの人と、私生活を共有したためです。
「面白い共同体の寮があって、実に社会勉強になる」と、何処かから聞きつけ、
放り込まれましたが、その実態について、殆ど話した事はなかったですが…
これが絵に書いたような雑多の家庭事情を持った玉石混合の25室の寮。その部屋
には、その友人も多く出入りをしており、良いにつけ悪いにつけ、赤裸々な様々
な品位を垣間見ることが出来ました。これが、面白い別次元の空間。都会の寮や、
アパートなら、こんなものでしょうが… 
 そういう貴女と33年間も同居することが出来、あまりに多くを学ぶことが
出来たことが、この地球ツアーで、一番の成果だったようです。両親にならって
何が創業の人生を目指してきたか、である。『ご覧のとおり、そのまま結構!』
とは、あなた方を省みると、決して言えません。何はあれめぐり会えたことが、
一番の感謝すべき幸運だったと、黄昏の日々を過ごしています。≫
 

・・・・・・
5559,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜?
2016年06月04日(土)
 最近になって、『男はつらいよ』のシリーズの再放送を見なくなったが、
以前は、再放送の度、何度も観ていた。もちろん48作の全部を観ている。
TVの再放送を含め平均3回を観たとして、150回は観たことになる。
特に浅丘ルリ子の、リリー役ものは、5〜6回以上は観ていた。この映画が
始まった1969年は、新社会人として、四日市、神戸、桑名と、転勤生活の中で、
家族の温みを寅さんの実家の団子屋の中に温みに求めていたようだ。 
精神分析医と、『男はつらいよ』の山田洋次監督の対談が、なかなか面白い。
  * 寅は「基底欠損」   <山田洋次名越康文 対談>より
≪ 山田:寅は「人間というのはこんなにみっともないよね」という恥部も
 見せてくれる。自分が食る分のメロンがないというだけで、「どうせ俺はね、
 この家では勘定に入れてもらえない人間だからな」と言って大ゲンカしたり。
名越:有名なメロン騒動ですね(第15作『寅次郎相合い傘』)。『男はつらいよ
 を全作観て、僕は寅さんの中にとめどないブラツクホールのようなものを
 感じました。寅さんを心理分析すると、99%は温かいものでできているけれど、
 残りの1%に、ダークマダーのようなものがギューッと凝縮されている。
 それは下手したら温かい99%を無にしてしまうようなすごい闇です。
「俺の気持ちをわかってくれ!」という精神的な甘えも強烈で、カッとして暴れる
 こともしょっちゅう。じゃあなぜ寅さんにこのような攻撃的なエネルギーが
 生まれるのかと考えた時、「基底欠損」という精神分析用語がハッと頭に浮か
 びました。幼い頃、親に甘えても受け入れてもらえなかった。おっぽいが十分
 に吸えなかったとか、抱っこしてもらえなかったとか、満たされるべき欲求が
 満たされなかった。そういう根本的な愛情や安心感の欠如が、大人になって
 から甘えたり、無理を言うことにつながってしまう。寅さんもそうすることで、
 親に拒絶された「欠損」を埋めようとしているんじゃないかと解釈したんです。
山田:とても面白いですね。「基底欠損」という言葉を初めて聞いたし、そういう
 心理学的なことは何も知りませんでした。だけど、寅みたいな人間はどこか心
 の中に空洞があるんだろう、そういう人間って、赤ん坊の時がひどく不幸
 だったと考えて、寅が産みの母に捨てられたという設定にした。≫
▼ 私の母親が、世にも珍しい<ママ父>虐めの被害者。その恨み辛みを、
 ことあるごとに聞いていた。 3人の子供を残して逝った父親の後添えに、
祖母は男後家と再婚、八百屋を維持した。その義父との間に4人の子供が
できたが、義父は徹底して3人を虐めたという。祖母も、男後家の関係上、
3人には冷たくせざるを得く、一番末の母は、幼児の頃から、両親の温みを
知らないで育った。その為、自分の子供に対して、どう愛情を与えて育てて
よいのか、知る由もなく、それが、母親の「基底欠損」である。当然、その
子供も、基底欠損になる。何れも多かれ少なかれ、それを持っている。
両親の温みの実感が無いのも辛いものがあるようだ。  〜つづく

・・・・・・
5194,千年ぶりの「大地動乱期」に入った日本列島
2015年06月04日(木)
   * 「南海トラフ巨大地震」について、
 2011年の東日本大震災以後、日本列島はいつ、どこで地震や噴火が起きて
もおかしくない「活動期」に再び入った。13年には小笠原諸島西之島近くで
海底噴火があり、溶岩は島をのみ込んで陸地を広げてきた。昨年は御嶽山噴火が
あり、57人が死亡。阿蘇山の噴火もあった。御嶽山噴火から半年、その間に
噴火が次々と起こっている。これは「大地変動の時代」が始まったといことか?
 火山学者で京都大教授の鎌田浩毅が、『新潮45』の去年の11月号や、近刊
地震と火山』で、1100年前の貞観地震から、大噴火と、「南海トラフ地震」の
可能性を取り上げている。被害は東北大地震の10倍以上と。 〜その内容とは〜
≪「南海トラフ巨大地震」は、10年ほどの誤差があるにせよ、地球科学的に
 発生時期が予測出来る唯一の巨大災害で、その予測は2030年代。
現在は2015年だから15〜20年後になる。 1100年前の地震
869年 貞観地震三陸沖)M8.4 大津波
878年 相模・武蔵地震(関東諸国大地震)M7.4 直下型
887年 仁和南海地震南海トラフ沿い)震度7 巨大津波が発生。
 この貞観地震が3.11に似ていて、9年後にそれぞれ起こった。
これを単純に現在にあてはめると、2011年(3.11の年)の9年後2020年は
東京オリンピック、9年後は2029年に南海トラフという計算になる。・・
 「3・11」以降の日本列島が千年ぶりの大変動期に突入したことは、日本人の
共通認識として必要なことではないかと考えている。二〇三〇年代に起きる
可能性の高い南海トラフ巨大地震は、一〇年ほどの誤差があるにせよ、地球科学
的に発生時期が予測できるほとんど唯一の巨大災害である。こうした、言わば
「虎の子」の情報を活用し、必ずやって来る激甚災害を迎え撃たなければならない。
南海トラフ地震が首都圏を直撃した場合には、国家機能が麻痺する恐れもある。
さらに江戸時代のように、巨大地震の数ヶ月後に富士山が大噴火した場合には、
地震と火山災害が同時にもたらされることになりかねない。
事実、両者の複合災害によって幕府がしばらく疲弊したことが記録に残っている。
南海トラフ日本列島で生きのびる巨大地震が「3・11」の20兆の損害より一桁
大きいダメージを与えることは必定で、日本経済が破綻するだけでなく世界金融
危機を招くと予測する専門家も少なからずいる。今後の日本にとって喫緊の課題
は、その激甚災害をいかにして減らすかである。こうした大きな流れの状況下で、
今回の御嶽山噴火が起きたのである。地球科学者としての視点からは、大地が揺れ
火山が噴火する現象は、日本人にとって避けられない事態である。今後、災害に
対する正確な知識を事前に持ち、ネットを活用しながらリアルタイムで情報を
得つつ、刻々変化する自然現象に向けて手を打たなければならない(拙著
地震と火山の日本を生きのびる知恵』を参照)。 加え、過度の不安に陥って
しまうのではなく、「正しく恐れる」ことも求められる。今回の噴火をきっかけ
として、我々の大地が千年ぶりの変動期に入ったことを、読者の方々の人生と
仕事のスケジュールに組み込んでいただきたいと切に願う。≫
 また、「サンデー毎日」緊急報告の下では、こう書いている。
≪ 御嶽山噴火は『大動乱時代』の幕開か?
 地球科学者たちは、3年半の東日本大震災以後、日本列島の地盤が長期的に見て、
変動期に入ったことを、各種の観測でつかんでいた。いわば、「3,11」が引き
起こした1000年ぶりの『大地動乱の時代』である。 御嶽山が活動期に入り、
富士山や箱根山などの活火山の地下にあるマグマが、いつ活動を再開しても
不思議ではない状態にある。過去の歴史を振り返ると、海域でマグニチュード9
という巨大地震が発生すると数カ月から数年以内に、近隣の火山の噴火を誘発
する事例がある。20世紀以降、全世界でM9クラスの巨大地震は6回起きたが,
その全てで、地震の数日もしくは数年後に噴火が発生。 869年に起きた
貞観地震」と極めてよく似ている。9世紀には、地震と火山の多い特異な
変動期にあったが、それは貞観地震をきっかけに始まった。3,11以後、
日本列島は9世紀同様の『大地動乱の時代」に入ったに違いない。・・ ≫
▼ 爆発的な噴火を起こした鹿児島県の口永良部島。噴火直後に火砕流が発生、
 海岸線にまで到達した。気象庁は、噴火警戒レベルを3(入山規制)から、
5(避難)に引き上げ、町は全住民に避難指示を出した。レベル5に引き上げ
られたのは、気象庁が平成19年に噴火警戒レベルの仕組みを導入して初めて
のことだ。桜島阿蘇山箱根山など全国各地で火山活動が活発になっている
日本列島。日本人の特性、喫緊の問題以外は楽観的で、「正しく恐れる」こと
から目を背ける性向がある。リアルなドラマ仕立ての『日本沈没』の様相に!
5年後には、東京オリンピックもあることだし、起こった時は、起こった時と!
・・・・・・
4829,「事業人生を決心して45年」の語り直しー7
2014年06月04日(水)
   * 出口王仁三郎の虎穴問答
 ここで大きな問題を起こしてしまった。ナンバーツだった取締役人事部長と
社長と対立の真中に立たされた。新入社員教育以来、私に目をかけてくれ、
自宅に招かれたり食事をしていた部長と接しているうちに、私主導で同期生会を
つくることになった。今から考えてみるとA部長の誘導があったが、それは後に
なって気づいたこと。 何度か会を重ねている内に、「県知事でも招待するか」
という話になって、A部長に相談に行くと「県知事とは懇意にしている」という。
その辺から配送センター所長が、そんな会を作らせてしまった責任問題も加わり、
明らかに社長直の、会潰しが始まった。組合の温床になる恐れと、明らかに
部長派閥の一つと見たのだろう。 県知事からOKの返事を貰っていたので
途中で、今さら止めるわけにいかず。何人かが会そのものを止る動きが出てきた。 
私の立場が、東レの所長と人事部長の関係で、預かりの中途半端な立場で、
非常に弱い。いつ、首になるかもしれない中、その人事部長が辞めてしまった。
その中で、何とか県知事招待の会が開かれたが、その後、知ったことが、県知事
招待の献金の相場が当時の100万(現在では7〜8百)など、私に知る由がない。
それらのストレスで、大酒を飲んだ末に、寮内で、人をはばかることなく、
一晩中、号泣をした。泣いても泣いても涙が湧き出ることを初めて知った。
後年、映画で知ったが、刑務所入所の初日に、囚人が一晩中、号泣するのが恒例
という。 泣き終わって割り切れたのか、まず自から、その会を止めることにした。
 その頃、近くの書店で手にしたのが、大本教出口王仁三郎の特集の雑誌。
そこに、大本教の弾劾裁判での、王仁三郎の「虎穴問答」があった。
あまりに大くなった大本教に、当時の政府が徹底した弾圧、裁判にかけられた
王仁三郎が、戦時体制を虎に喩えた虎穴問答である。虎穴に落ちてしまった人が、
助かるために、どうすればよいか? を裁判長に問いかけをする。ーネットからー
《 ▽ 大阪控訴院での裁判長との虎穴問答−「人虎孔裡に墜つ」という禅問答
王仁:「一人の人間が虎の穴へ落ち込んだ場合どうしたらよいか。
  裁判長、あなたはどうお考えになりますか?」
・裁判長:「自分は法律家だからわからないが、どういうことなのか?」
王仁:「人間より虎のほうがつよいから逃げようとすると殺される。
 刃向かっていっても同じことだ。ジッとしていても虎が腹がへると殺しにくる。
  どっちにしても助からない。けれどひとつだけ生きるみちがある。
  それは食われてはだめだ。こちらから食わしてやるのだ。食われたら
  あとにはなにも残らんが、自から食わしてやればあとに愛と誇りとが残る。
・裁判長:「うーん」 と嘆声を漏らした。
王仁三郎は、この問答で大本事件を語ったのである。 そして、この問答が
  事件の一大転機をもたらした。》
 この逸話を、自分の立場になぞらえて、その会を止めたが、この経験から
多くのことを学んだ。当時の私は、良くいえば純粋、悪くいえば無知蒙昧。 
が、その後の人生で、節目時の決断に、この経験が、大きく影響をしていた。
「駄目だと思ったら、自ら喰われてやること! 三年前も、最後の最後に、
『自分から喰われてしまえ!』という内語が、後押しをした。「逆境には根を、
順境には枝をはれ」というが、逆境こそ力が蓄える!・・傷だらけの上だが。
・・・・・・
4462, 99・9%は仮説、ですか〜 −4
2013年06月04日(火)
     「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内薫
   * 第3章 仮説は一八○度くつがえる
 東北大震災による大津波で、原発安全神話が一瞬にして崩れ去った。
絶対安全は仮説でしかなかったのである。その事実の前で社会は直ぐに手の平を
返す。私も、あり得ない震災クラスの9・11テロ、リーマンショック、3・15震災で
呆気なく会社が倒産。その辺りは実感している。‘まさか!’が現実に有得ること
を父と自分の経験から学んでいたので、幾かのシェルターを組み込んでいたので
何とかなった。現在の「現在の健康が目先続いていくだろう」という前提も仮説。
全てが一瞬で崩れ去ってしまう。ただ少し早いか遅いか。ーその辺りを抜粋ー
≪ ひとくちに仮説といっても、みんなが正しいと信じているものから、
 ほとんどの人がまちがいだと決めつけているものまで、実にさまざまな種類が
あります。仮説には、白から黒までの幅広いグラデーションがあるのです。
この章では、そういった仮説の信じがたい大逆転劇をみていきましょう。・・・
「医学界の負の遺産ロボトミー」。エガス・モニス(1874〜1955)という
ポルトガルの医者が、1949年度のノーベル生理学医学賞を「ある精神病において、
ロボトミー手術の治療的価値を発見したことに対して」受賞した。
(この年に湯川秀樹博士が「中間子論」でノーベル物理学賞を得た。)
 ロボトミー手術とは、一口に言って脳の前頭葉の切除手術である。
モニスは、1935年に人間に対して、この手術を始めた。そのきっかけは、
1935年のロンドンでの神経医学会でカーライル・ヤコブセンとジョン・フルトン
という人が、「チンパンジーロボトミー手術を行ったら凶暴性がなくなった」
という報告を行ったのだが、それを聞いていたモニスがロボトミー手術を
精神病患者に応用することを思いつき、すぐ自分の患者に対し手術をした。
 これは、現代から考えると、まったくありえないこと。モニスは
「この前頭葉切除は、非常に簡単な手術である」といっていきなり数十人の
手術をした。当時は、たとえば統合失調症躁うつ病に対し、効果的な治療法
がなかったから」という。1952年のクロルプロマジンに始まった薬物療法
進歩によりロボトミー手術の評価は一変した。結果的には、ロボトミー手術と
いうのはとりかえしのつかない治療法だった。世論が180度変わってしまった。
1946年までに一万人が、この手術を受けている。・・・≫
▼ 時の政権の政策も仮説の典型。政権が変われば一八〇度覆ってしまう。
 イラク戦争フセインの科学兵器疑惑に、CIAの間違った調査でイラク
攻撃を仕掛けた。これも、持っているという仮説の上で、調べた結果である。
人生を振る変えると、当てにならない仮設を信じて生きてきた。私だけでなく、
すべての人に言えるから、諦めがつくが、それにしても、である。
逆に過去の色いろな場面で、違った仮説で判断していたら、如何だったか?
という仮説も立つ。考えて仕方がないが、なるようにしか、ならなかった、
ということ。それにしても、大半の人の仮説は楽観的過ぎる!
・・・・・・
4088, 老いの見本帳ーダークサイト −8
2012年6月4日(4月)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
  * 老いと鬱屈   
 私の嫌いな言葉に「世間」がある。日本の社会は、「世間」という言葉と視線
に常に怯えて暮らしている。属している社会が固定化されているほど、そこには
難儀なものを抱えたグロテスクな世界ができている。それで、一生何も出来ない
で死を間近にしたときに、その正体に初めて気づくのである。 その不快な毒を
体内に蓄積して、ただれている世間という虫。シラミである。老化は、否が応でも
毒が蓄積されている。そう、世間の一員に陥っていく。だから、熟年になったら
群れてはならない。  ー次の箇所は、老いの屈託を巧妙に表現している。
≪ 老いは、人生経験を積むことによって「ちょっとやそっとでは動じない」
 人間になっていくこととは違うのだろうか。難儀なこと、つまり鬱陶しかったり
面倒だったり厄介だったり気を滅入らせたり鼻白む気分にさせたりするようなこと
への免疫を獲得していく過程ではないのか。難儀なことを解決するのか、避けるか、
無視するのか、笑い飛ばすのか、それは人によって違うだろうが、とにかく次第に
うろたえなくなり頼もしくなっていくことこそが、老いの喜ばしい側面ではないか
とわたしは思っていたのだった。 だが、世の中にはまことに嫌な法則がある。
嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに麻痺してしまうのに、不快なことや
苦しいことにはちっとも馴れが生じない、という法則である。不快なことや苦しい
事象は、砒素や重金属のように体内へ蓄積して害を及ぼすことはあっても耐性は
できないものらしい。 だから老人は欝屈していく。歳を取るほど裏口や楽屋が
見えてしまい、なおさら難儀なものを背負い込んでいく。世間はどんどん
グロテスクになっていき、鈍感な者のみが我が世を謳歌できるシステムとなり
つつある。・・・老いても鬱屈や煩悩は蓄積していくばかり、難儀なことには
事欠かない。しかし遅かれ早かれ、この世界のほうを、さながら迷子みたいに
置き去りにしてやれるのである。・・・ ≫
▼「嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに麻痺
するのに、不快なことや苦しいことにはちっとも馴れが生じない、という法則
である。」は、正に人間の不幸の起因である。それを打ち消す方法は数多あるが、
その毒は体内に蓄積し、さらに体外に放出する。そして、マイナスの循環で、
体内の毒は、ますます濃くなっていく。この本は、その見本帳でもあるため
面白いのである。これまで見てきた身近な老人に、酷似しているため妙に馴染む。
そして本格的に一歩ずつ仲間入をしていく。それならば老いは鬱屈するものと
初めから割り切って孤立していた方が良い?

つれづれに

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  今日のYoutube

 一昨日のシネマは、Xマンシリーズの『ローガン』を見てきた。
90点の評価というところ。 期待しなかった分、面白かった。
内容は、かなり激しい残虐ものだが、不死身のXマン故に、安心して
見ていられるため、何とか正視してみることが出来た。観客は10数人だが、
時間帯もあってか私と同年代ばかり。


・・・・・・
3722, ジャズについて -14
2011年06月04日(土)
          ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
  * ージャズ・ボーカリストー 《 ビリー・ホリデイからカサンドラ・ウィルソンまで 》
【 ジャズの歴史とジャズマンについて、その流れを追ってきたが、
ジャズ・ボーカリストを簡単に触れておこう。 
・ジャズ・ボーカリストといえば、誰もがまず思い浮かべるのは、ルイ・アームストロングと、
暗い日曜日」「奇妙な果実」がよく知られているビリー・ホりデイ(一九一五~一九五九)であろう。
三〇年代の小コンボをバックにした珠玉のような名唱、スターダムにのぼりつめた四〇年代、酒と
麻薬で声をつぶしながら深い感動を誘う五〇年代の円熟ーー。 
 「ビリー・ホリデイは、それが自分の人生のように歌った」といわれ、その技巧以上に、ひとつ
ひとつの歌詞に込められた万感の思いを、じんわりと聴き手の魂の奥底まで響かせたポーカリスト
・歌も人生も劇的だったビリー・ホリデイと対照的に、エラ・フィッツジェラルド(一九一ハ~一九九六)は、
抜群のリズム感とまるで楽器を思わせるボーカルが特徴で、ジャズ・ポーカリストのトップとして長く
その地位を維持した。大作「ソングブック」(五九)など、どれをとってもほれぼれする美しさである。
サラ・ヴォーン(一九二四~一九九〇)も、エラ・フィッツジェラルドと双壁をなすモダン・ジャズ時代
の女性ジャズ・ボーカリスト。 四五年にソロシンガーとして独立。五十年代には、トランペットの
クリフォード・ブラウンと組んで名作を発表し、七十~八十年代にかけては、ピアノのオスカー・
ピーターソンらをバックに名唱を残している。
・カーメン.マクレイ(「九二二年~九四)、アニタ・オデイ(一九一九~)といったシンガーたちの
名前も忘れられない。サラ・ヴォーンも含めて、彼女たちのスタイルには、多かれ少なかれ・ビリー・
ホレデイの影響がうかがえるのはもとより、ルイ・アームストロングが完成させた‘スキャット
というジャズならではの歌唱法も受け継いでいる。
・ほかにも取り上げなければならないジャズ・ボーカリストは多いが、最後に、カサンドラ・ウィルソン
である。ちょっとドスの利いた声は好みが分かれが、『ニュー・ムーン・ドーター』(九五)は、
サウンドもボーカルもじっくりと聴き惚れるしかない傑作。まさしくブラック・ミュージックの
新しい帰結として、カサンドラ・ウィルソンに耳を傾けることを勧める。】
▼ ジャズについては、他の音楽と同列に聴いていたが、この本で取り上げているジャズマンの名前は、
けっこう知っていた。私のような、音楽に疎い者でも知っているのだから、ジャズは、TVなどを
通して私たちの生活に入り込んでいる。学生時代に、暇を持ちあませて、ジャズ喫茶などで屯して
いるうち、知らないうちに接していたのである。
  ・・・・・・・
3357, つれづれに ー閑話小題
2010年06月04日(金)
  * 日銀短観 新潟県の景況感が四半期、ニケ月連続全国最低
 新潟県日銀短観で、新潟県といえばだいたい中位の上であった。しかしリーマンショック以来、
右下がりに転じ、ついに二期連続で全国最低になったと地元紙が報じていた。 私が地元経済が
異常に悪いといい続けてきたが、過剰反応でないことが実証された。 まずは公共事業天国だったのが、
「鉄から人へ」とへ国家政策が変わった。農業も、輸出産業関連も最悪、日本で一番早く、恐慌の
影響をモロに受けているのが実情である。元もと新潟県人は質素倹約をモットーである。
不景気となれば、その本領が直ぐに出てくる。
  * 県立近代美術館には、驚いた!
 一昨日、「奈良の古寺と仏像」展が長岡の県立近代美術館で開催されているので、行ってみた。
期待には反しなかったが、それより初めて入った県立近代美術館の豪華というより、豪奢な建物に驚いた。
半年以上前から、冬と春先を除いて、早朝、電動アシスト自転車で二つの大橋を一周するのが日課
なっている。そのコースの土手にそれがあるが、空気が違うのである。 肯定的にみれば、これ位は
市の格からいって当然?、しかし程度を遥かに超えている。ゼネコンの税金収奪の姿といって過言
ではない。戦後バブルの饗宴の建物である
  * 鳩山から管に
 鳩山と小沢が辞任、次は管副総理が首相に決定する。 当初の予定通り。 これで、小沢も選挙に
専念できるし、新しい体制で選挙に向うのはベストの判断である。 管も、果たして一国の首相に
相応しいかというと、これまた不安が残る。しかし鳩山よりはマシか。これだけは、やらせてみないと
分からない。民主党が勝利すれば当面の間、思い切った政策を実行できる。管は参院で勝利すれば
非常に恵まれた役回りになる。 ところで私が学生時代にいた寮が、早稲田の理事が自宅の庭の周りを
囲むように25室の部屋を運営をしていたところ。 そこは、民主党渡部恒三などが寮生だったが、
当時も地方出身の政治家志望の学生がいた。その関係で軽井沢の鳩山一族の政治団体が経営している
「友愛山荘」に休みになると、ヘルパーとして遊びに行っていた。 
別荘地の真っ只中にあるため、自分まで、そこの住人になったような気分になれるのが良かった。 
当時、鳩山兄弟は、東大の学生で、鳩山御殿のパーティーのサクラの客として参加したことが数回
あった。 当時は弟の方が首相になる人材と、聞いていた。が、今では人望がないと知れてしまった。 
いずれにしても政治家は大変な仕事である。
・・・・・・・・・
2982,超円高社会ー 5
2009年06月04日(木)
* 食料自給率40%は本当か?
 第7章 市場を毛嫌いする官僚システムの罪と罰 ー『食料自給率40%の世論誘導』には驚き。
 ーその概要をまとめると・・・
著者は、食料自給率40%は農水省が都合よく作りあげたマヤカシの数字という。
農水省の言い分だと自動車の自給率は1%ということになる。 自動車は原料の重量比によって
計算をしない。自動車は出荷額や付加価値で考える。それと全く同じように食料も出荷金額ベース
自給率を計算することこそが、世界で広く通用している食料自給率なのである。その世界通用
自給率で計算すると何と66%なのである。日本国内では、カロリーが低く、しかし付加価値の
高い商品作物を多く造っている。だが、カロリーベースで計算すると、故意に無視していることになる。
カロリーベースで自給率を算出しているのは世界で韓国と日本だけである。例えばキノコはカロリー
ゼロである。『自給率が低いー>これは大変ー>自給率を上げよう』のパターンである。しかし、
この三段論法の二段目が抜け落ちている。自給率が何故高くなければならないか、が抜けている。
去年7月の漁船のストは、魚価を上げることが目的ではなく、補助金だったのである。ある業界
だけが何故、特定の補助金が出たのか、不思議な現象である。GDPとは『付加価値』の合計額の
ことなのである。豚の子どもを親に育てて、豚の付加価値を与えたものが農業の仕事の筈が、
そのところは一切考慮に入れない計算方式である。 国内で生まれ、大きくなるまで育てた豚の肉
でも「エサの90%以上が輸入品だ」という理由で国産にカウントされない。そのために9・7%に
なってしまう。それに輸入豚47%を加えると、僅かに5%にカウントされるのである。 
そうこうあらゆる手段で、役人が66%の自給率を40%にするために、あらゆるところで数字の
改竄を行っている。米の自給率は、実際は108%なのに、この8年連続でジャスト100%
ということになっている。8パーセントは、元々なかったとして切り捨てている。
 ーー
 こんなことを知らされると、読む前まで信じていた「グローバルの時代の自国の食料戦略」
とやらも、何か役人に世論誘導されている実態に、侘しくなってくる。この方式だと、自動車の
原材料自給率は1%という。
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2618, 消費社会から格差社会へ ー2
2008年06月04日(水)                  ー読書日記ー
ークルマが社会に与えた影響ー
 車が社会に与えた影響について書いてあるが、若い女性が新幹線や電車の中で鏡を出し化粧を
している理由が、車の中と混同していることが解った。 新幹線といえば毎年の4月の恒例の姿がある。
新社会人の女性が平気で待ち行列で「うんち座り」をしている姿である。学校の校内の習慣を続けて
いるに過ぎないが、若い女性はひときわ目立つ。半年で流石に止めるが、それでも半年は続けるのである。
これとは関係ないが。乗用車に電子レンジと冷蔵庫が付く時代になったということである。
内と外の境目が曖昧になっている。そのこと自体がホームレス化ということではないか。
   ーー
上野 もう30年も前のことですが、滋賀県の大津の西武百貨店の駐車場で、車から降りてくる人の
調査をしてことがある。 履物の大部分が{つっかけサンダル}ということがわかった。夏ということ
ではなかった。
 私領域の顔で降りてくる。車は長距離を移動しても私空間を出前する乗り物だということがわかった。
三浦 クルマが人々の潜在心理に与えた影響はすごく大きいですよ。あまりそれを指摘する人はいませんが、
 クルマで育ってしまうと、電車に乗っても化粧をする。「クルマに乗ってると、なんで電車でやっちゃ
いけないの?」っていうことだと思うんですね。 僕もクルマの調査したら、若い男の子がカップ
ラーメンを食いながら 運転していたし(笑)。 あと信号待ちでマンガ読んでいるんですけど、
信号が青になると、読みながらそのままブーンって出すんで驚いてしまいました。
上野 怖え?(笑)。
三浦 もう、なんでもやってますよ。実際、ロサンゼルスの通勤サラリーマンは、朝ご飯を食べる
 暇がなくて、クルマに電子レンジ積んで、テレビディナーを食べながら通勤するらしいですよ(笑)。
 トヨタの「エスティマハイブリッド」っていう車種も、コンセントがついていて電子レンジを
 搭載できるらしいですから。
山野 ええっ、ホント?
三浦 ですから、電子レンジと冷蔵庫をクルマに完備してあげれば、今の若い子はもう大喜びですよ。
 コンビニが走っているようなものですから(笑)。
上野 "ゴーイング・マイホーム"、つまり「走るわが家」ね。
三浦 そのうち仕事がなくなって、トレーラーハウスに住むようになってね。最近、犯罪を起こして
 人を新聞で見ていると、住所不定・無職でクルマにズットすんでいる人がけっこいる。
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 アメリカが、既にトレーラー・カーに住み込むプアーが多く見られるという。日本の地方は
車がないと生活が非常に不便で、一家に一台から、一人の一台の時代に入っている。これは車が
モバイル・ルーム化したともいえる。携帯電話にワンセグの機能と、ステレオ機能が付いていれば、
充分満足のいく空間になる。  さらに、コンセントまでついていれば・・・ 
家庭など消滅するのは当然のことである。
                         ~つづく
  ・・・・・・・・・・
2007年06月04日(月)
 2253, 倒産にも色いろあるようだ!   ヾ(´∀`o)+。才ノヽ
一昨日、兄夫妻が倒産以来、初めて報告を兼ねて遊びにきた。内面は複雑だろうが、金に追われた
困窮の日々から開放され、さっぱりしたようだ。倒産のマイナス・エネルギーだけは経験した本人
しか解らないこと。傍で見ていて解ったことだが、倒産にも良質か悪質かどうかがある。
 ーまずは悲惨な例からー
幼馴染の兄弟の倒産と、その後の成り行きを数年に渡り身近で見聞きした。倒産直後に弟が建設関係の
営業で私のところに訪ねてきた時、20歳以上も老けた70代半ばの風貌になっていた。想像を絶した
経験をしたのだろうが、それそのままが顔に出ていた。自覚していたかどうかは別だが営業手法として
「倒産ネタ」を使っていた。 そのネタなら、どのトップも自ら聞いてくれる、トップにとって明日は
我が身だからだ。しかし本人はつらかっただろう! 彼の話によると、兄の会社の借金の保証人になり、
連鎖倒産をしたという。そして離婚。その後、半年間の引きこもりなど死線を彷徨った後、知り合いの
会社の社長に声をかけられ、営業をしていた。その後、年金年齢になり、働いていた会社を辞めると
同時に酒びたり、そしてアル中に近い状態。一人暮らで際どい日々を送っている。厚生年金が入るので、
生活は成り立っているというが・・ 二十年近く前、婿取りの姉夫婦が経営していた会社が倒産。
それも私と同敷地内の家に住んでいたのでプロセスがまる見え!  生々しい迫力があった。
一度??保証人の封筒を持ってきたが・・「貧すれば鈍する」のが、倒産である。そのときは母と金を
出し合って、整理専門のコンサルタントの先生に頼んで、後始末をしてもらったが・・その時に姉夫婦
の友人・知人の借金の明細のコピーをみたが、億以上であった。致命傷ではなかったが、??もやられて
いた・・・ 人徳というか、長岡的というか、よく貸すよ?である。私など誰一人として貸しては
くれないし、借りる気などさらさらない。それより、驚いたのは????である。亡き姉への悪口に
なるか!  人生色いろある!
ー良質か悪質かは、以下がラインとなるー
・親戚への請け判、借金があるかどうか。   ・高利貸から借金があるかどうか。
・痴呆名士様の世界から脱皮しているか。   ・手形を出しているか。
・夫婦関係が崩壊をしているかどうか。    ・アルコール依存症か女性依存症になっているかどうか。
・事業をしている場合、厚生年金に二人とも入っているか。 
・倒産資金の150万が用意できるかどうかー弁護士費用。
今回の兄夫婦の場合は、全てをクリアー?していたから、良質倒産?である。二人とも厚生年金に
入っていて、義姉は二年後に到達、それまで凌げばよい。厚生年金は法律で守られているから、普通
より恵まれた年金生活が保障されている。
  (字数制限のためカット 2011年6月4日) 
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2006年06月04日(日)
1888, 井村雅代
              才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
シンクロナイズド・スイミングのコーチ「井村雅代」という存在を、ある本で知った。
あまりの型破りの指導のため組織から追放され、練習場も失い、選手に次々とさられた。
 (字数制限のためカット 2010年6月4日)
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2005年06月04日(土)
1523, わたしの酒中日記ー2
    ー長岡殿町         2005年5月31日
今日は父の33回忌の法事である。 法要の席を長岡駅前の『田村』で開く。
坊様がまた例の調子で・・・・?
    (字数制限のためカット 2011年6月4日)
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2004年06月04日(金)
 1158, 年金の話
これだけ不景気になってくると気になるのが老後である。そのためか、年金がここにきてクローズ
アップされてきている。今年から、58歳を過ぎると年金の予測の数字を希望者に郵送される。半月前
にその内容が送ってきた。こういう時代、明日何がおきても不思議ではない。とくに事業をしている
立場上、不安の要素があまりにも多い。
ある日ハイパーインフレがおきて金利が2倍にあがる可能性がある。また、上越新幹線でテロの
爆発がおきても不思議でない。(新潟駅の新幹線のホームでは、各階段に警察官が二人ずつ合計10人
近く張り付いている)新潟にアルカイダーの幹部が一年半潜伏していたとかいう情報があったことと
関係しているのだろう。ハイパーインフレやテロで、会社は一瞬で倒産してしまう可能性を含んでいる。
経営者は何も保証されてない立場にあるから、万一のことがあれば明日からの生活に事欠くことになる。
倒産をした最悪の人を何人も現に見てきているから、時々凍りつくような不安に落ちいることがある。 
それが逆にエネルギー源にもなっているが。社会保険センターから送ってきた年金の数字を見て少し
ッとした事も事実である。年金支給が63歳と思っていたが、今回の郵送で60からでももらえることを
初めて知った。
・1年7ヶ月経つと(60歳)全く他に収入がない場合で、190万円の年金支給。
・4年7ヶ月で(63歳)で、260万円。
・6年経つと、家内の分を加算すると3?0万位という。ー何とか人並み?に生きていけそうな金額である。
家内に説明をすると「丁度よいようになっているのね!」セフティーネットとして、あるとないと
では全く違う。こういう年齢になったのだ。
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2003年06月04日(水)
791, 鎌倉がよかった
 林さんに大学の授業が終わった後、鎌倉を案内をしてもらった。家内と私にとって素晴らしい思い出
になった。鎌倉は父方の親戚が駅前で古美術(堀井古美術)の店を開いて、法事などで数回行っていた。
しかし鎌倉の大仏以外は全く未知の世界であった。 今回初めて解ったことだが、鎌倉にも五山があった。
鎌倉時代に中国の五山制度にならって、鎌倉の禅寺に設けられた五大寺をいう。室町初期には鎌倉・京都
それぞれに五山が定められた。その後たびたびの改定を経て、足利義満のとき、五山の上に南禅寺がおかれ、
・京五山として天竜寺・相国寺建仁寺東福寺万寿寺
鎌倉五山として第一位 建長寺 第二位 円覚寺 第三位 寿福寺 第四位 浄智寺 第五位 浄妙寺 がおかれた。
 それぞれに深い歴史があることがはじめて解った。
私達が案内されたのが、第一の建長寺と第二位の円覚寺、それと長谷寺と‘あじさい寺’の名で親しまれて
いる名月院である。全て印象的であった。 その中で名月院を書いてみるとー北条時宗が建てた禅興寺の
塔頭の一つだったが、のちに足利氏満の命令で上杉憲方が時宗の父、時頼の墓所として中興した。
1394年上杉憲方の没後、上杉憲方の法名 をとって明月院となった。アジサイだけでなく スイセン、ボケ、
モクレンなど草花の種類も 多い寺である。それぞれが、味わいのある素晴らしいお寺であった。
鎌倉がこれほど良いとは実際のところ知らなかった!  昼飯を御馳走になった老舗の中華料理店がよかった。
横浜の中華街にある中華料理店の支店として60年前から営業をしているという。由緒ある別荘がそのまま
店になっている高級料亭風であった。中華料理も絶品の味であった。林さんとでなければ、間違っても
入れない店である。 話は変わるが鎌倉でタクシーに乗った運転手が「景気が悪い!」といっていた。
特に今年に入ってから、かなり悪いとか。鎌倉の一人当たりの地元に落とす金は平均700円?
と冗談で林さんが教えてくれた。ウォーキングスタイルにリュックを背負いコンビニで弁当を買って
ベンチで食べるのが鎌倉の一日観光のスタイルとか。 母校の講義と鎌倉の散策、一期一会の素晴らしい
二日間であった。
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2002年06月04日(火)
 427,世間とはー3
世間に住む人々を喩え話で挙げてみると面白い! 娑婆の集約の姿であろう。
・まずはー どぶに浮くボウフラ!!
   (字数制限のためカット 2010年6月4日) 
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2001年06月04日(月)
[41] 20年の通勤
新潟と長岡を20年通勤している。1年に250日*20年=5000 
 5000*2800円平均=1400万円になる。
  (字数制限のためカット 2011年6月4日)