* 100%アクティブ・ラーニングを提供する「未来の大学」
 NHKの番組のテーマだが、これが驚きで、何もかもが刺激的である。
恵まれた時代背景の中で、学生時代を過ごせたのが大きな財産になっている
からこそ、このシステムの素晴らしさが理解できるのだろう。まだ開校して
二年半で卒業者が出てないが、このシステムは非常に良い。
  〜まず概要から〜
≪ ★アクティブ・ラーニングとは、教員からの一方向的な講義で知識を覚える
 のではなく、生徒たちが主体的に参加、仲間と深く考えながら課題を解決する
力を養うのが目的。そうした力を養う授業手法として、議論やグループワーク
などが挙げられることが多い。 想像してみてください。世界中から集まった
クラスメイトと一緒に4年間、世界の7つの国際都市に住みながら、現地の企業、
行政機関、NPO等でのインターンをする学生生活を。授業は午前中の2コマだけ。
午後は事前課題と自由時間で、その国の暮らし、文化を体感し、多様性を身に
つけることができる学生生活を。これはミネルバ大学の生徒が経験する日常です。
ミネルバ大学は2014年9月にサンフランシスコで開校した全寮制4年制総合大学。
 1年目の授業は約30-40%が最新のITプラットフォームを活用した反転授業形式の
クラス、残りは現地の行政機関や企業、NPO等でのプロジェクト学習やインターン
で行われます。カリキュラム設計を担当したStephen Kosslyn教授は前ハーバード
大学社会科学学部長で、認知科学脳科学の分野で30年以上の研究実績があります。
Kosslyn 教授は、カリキュラム設計にあたり、学部卒業生に求められる技能は、
特定分野の専門知識ではなく、むしろ、その学生が将来どんな職業に就いても、
活躍できる「学び方」だと考えました。 そして、その4つの技能である、
クリティカル思考、クリエイティブ思考、プレゼンテーション能力、コミュニ
ケーション能力は知識のインプットではなく、継続的な実践・フィードバック
による鍛錬でのみ習得できるとの考えに基づき、生徒がこれらの技能を効果的に
習得できる学習ツールを開発しました。
★Active Learning Form という新しい学習ツール
 ミネルバ大学での授業は、全て18人以下のセミナー形式で行われます。
生徒は事前課題を提出後に授業に臨みますが、授業の進行は従来の大学とは
大きく異なります。授業はActive Learning Formと呼ばれるオンラインプラット
フォームを通じて行われます。この授業には、以下の特徴があります。
・教師はファシリテーションに徹し、10分以上話していけない
・リアルのクラスでできる作業をより効率的に実施できる
・全ての授業が記録され、何度でも見返すことができる
・教師と生徒の関係をより緊密にできる
 授業は議論を喚起するような質問から始まり… (略) ≫
――
▼ 私の学生生活での武澤ゼミのシステムが、少し、これに似ていた。
 週に二回のゼミ。20人が一室に集まり、二時間、与えられた企業内トラブルの
ケースを元に議論。2〜3つ(時々変わる)に分けられたゼミのグループが、問題
点を探って、それぞれの結論を出す。そして今度は、全体で、互いの結論を批判し
合う。そして結論を出すが、その後、幾つかの学問による分析された解答が与え
られる。それも各自が持ち帰って差異を書き出す。これら一連が真剣勝負。
甘さが許されない。いや甘さ故、己の無知と基礎知識の必要性に気づかせる仕組み。
終えて校外に出ると頭の中は真っ白、太陽が黄色に見えるほど。そして、その間に
企業訪問をして、人事課の中間管理層の人たちと議論する。初めは馬鹿にしていた
人事担当者が途中から顔色が変わってくる。これが面白い。 何かミネルバ大学
に似ているところがある。キャンパスが、都内から世界中になっただけで、事象の
中から本質を求めることは変わらない。しかし、背景のキャンパスの広さと異質さ
こそ最も重要になるが… これに情報端末を駆使をして知識・情報を加えていけば、
当然、広く深い教養が身に付いていく。移動した都市には美術館も博物館もある。
各都市間の文化、文明、自然の差異から多くを学べる。それが多感の年頃なら知識、
経験の絶対的格差が生まれる。教育は最後は独学、ネットを駆使すれば、意志さえ
あれば、アクティブ・ラーニングに近いことが可能である。しかし環境こそ最も
重要である。 40歳から60歳にかけて秘異境旅行に集中して行ったが、これも
アクティブ・ラーニングの一つだったと、これを書いていて気づいたこと。
21世紀は辛い世紀になりそうだが、面白そうでもある。
 リタイアをして実感することは、50年近くの早朝の読書などの独学の蓄積と、
それから派生する知恵。それから垣間見てくる、己の歪みと、卑小さである。
『で、どうした?』『どうもしません! 日常の心が少し豊かなだけです。』

・・・・・・
5433,人生で最も大切な技術 ー? 純粋意識
2016年01月30日(土)
       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 心の本質、純粋意識の経験
 仏教の教えの真髄を、欧米人向きに説明するための、「純粋意識」が、明快
でよい「色即是空 空即是色」の心境が「純粋意識」であり、修行の一つが、
座禅になる。それにしても、明快な解釈である。 〜その辺りから〜
≪ 心の中には、絶え間なく流れ続ける思考の流れがあるという、それまで
 一度も気づかなかったことが見えてくるだろう。好むと好まざるとに関わらず、
感覚、記憶、想像から生まれる無数の思考が人間の心を永久に流れ続けている。
 ところが、人間がどのような種類の考えを抱こうとも、心の中には、一つの
特質が存在している。それは、あらゆる思考の基礎をなす根源的な意識である。
それは心が安らかな稀な瞬間にしか現れず、ほとんど動かないが、心の知力が
そのままそこに残っている状態でもそこに存在している。この単純に解放された
自由な存在は、「純粋意識」と呼ばれるものである。心を構成する内容が不在
でも、それだけは存在しているものだから、純粋意識と呼ばれるのである。
 心が心を観察する作業を一段深めると、この純粋意識とその働きによって
生まれる思考を経験するだろう。純粋意識は必ずそこにある、としか説明の
しようがない。この思考には生まれつき備わった性質があるのか。
特別に存在するのか。 答えは否である。
 では、色や形はあるか。同じく否である。そこに見出すのは、知(無知の反対
の意味での)の本質だけであるが、それ自身には本質的な特徴はない。純粋意識
に突入すると、心に本来備わっている中身が空の状態を経験する。この思考
ゼロの考え方は疑いもなく、西欧心理学には馴染みのないものである。
「思考をゼロにする目的は何か」
「第一、怒りなどの強い感情や考えが生じたら、何が起こるのか」。
 確かに、強い思考には誰でも簡単に屈しそうになる。なぜなら、人間を不安
や無分別にさせ、時には暴力的な発言や行為に走らせ、他者を苦しめ、やがて
後悔する結果を生じる、無数の新しい思考を増殖するのがこの強い思考だから。
このような雪崩現象が起こらないように、怒りのような激しい思考そのものを
つぶさに点検すれば、それが最初から煙や鏡のような存在でしかなかったこと
がわかるだろう。純粋意識から生まれる思考は、純粋意識に再び吸収される。
それは海から生まれた波が再び海に消えていくのと同じである。この原理が
理解できれば、心の平安に向かって大きく前進することができたといえる。
この瞬間以降は、思考が心の障害になる毒素が弱まり始める。この手法を習熟
するには、一つの思考が浮かんだ時、その考えがどこから来て、いつ消えるか、
どこに行ったか、を自問自答することである。取り留めのない散漫な思考に
妨げられない、この短い瞬間に、心の本質を熟視するのが良いだろう。
 過去の考えが沈黙し、未来の考えが未だ起らないこの瞬間こそが、光り輝く
聡明・純粋な意識の存在を気づかせてくれる。その意識は、頭で組み立てた
概念的な構築にへつらうことがない。この純粋意識を実際に体験することで、
仏教がいう心の本質を次第に理解できるようになるのである。≫
▼ 純粋意識で純粋意識を説明しているから、スッと理解できるのか。
 般若心経を忘我の状態で唱えている状態が純粋意識。では、仕事に
没頭の状態は、どうだろう? 少し違うか。 以前、大きな決断をする直前の
眠れない夜の二時半が、純粋意識に近い状態になっていた。その時、さあ、
どうする?と。 それでも、多くの間違いがあったが、自分としては、
考え尽くして決めたことと諦めがつく。思考の果ての、思考ゼロもある。
これも純粋意識とチト違うか。 で、これも偶然、以下につづく。
・・・・・・
5069,あわいの力 ー�
2015年01月30日(金)
        ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著)
  * 日本の「心(こころ)の三重構造」
 ここで、「心」の三層構造がシンプルに説明されている。これまでは、
< 仏の心を、「こころ」、移りゆく感情などを中心にした西欧的解釈を、
「心」と解釈してきたが、この三層構造は面白い! 〜その辺りから〜
≪ 「心」は、三層構造である。 
 ・一番上の表層が「心(こころ)」(=脳)があって、
 ・その下に「おもひ」(=内臓感覚があり)
 ・深奥に「しん(心)」(=芯=神)がある。
― 表層にある「こころ」の特徴をひとことでいえぱ「変化する」ことです。
 たとえば、去年まではあの人のことを好きだと言っていたのに、今年はもう
違う人を好きになっている。そんな移ろいやすい感情が「こころ」です。
こころ変わりという言葉があるでしょう。
― その「こころ」の下には、表層の「こころ」を生み出すもとになる動的な
 心的作用、「おもひ」があります。「おもひ」のなかで重要なのが「こひ」
という言葉です。「こひ」は、ふつうは「恋」という漢字をあてて恋愛感情を
いうことが多いのですが、本来は自分のなかに、なんらかの欠落感があって、
その欠落状態が埋まるまで、なんとも落ち着かない、そんな不安定な状態を
さします。たとえば、さっきまで目の前にいた子どもがいなくなり、その子が
戻ってくるまでは安心できない、そんな状態のことです。漢字で表記するなら
「乞ひ」がいいでしょう。雨が降らないから「雨乞い」をし、お腹が空いて
しかたがないから「物乞い」をする、そんな状態を「こひ」といいます。
 ・・仏教にも以心伝心がある。世阿弥は、心より心に伝ふる花と言った。
言語以前である。能は、「おもひ」を圧縮した芸能である。演技により解凍
された「おもひ」は、観客の深奥に隠れている「おもひ」と同期して目覚め
させる。「おもひ」の世界の言語は、歌(詩)である。
 能というのは、この「おもひ」を圧縮した芸能で、そして能を演じるという
ことは、その「おもひ」を解凍していく作業なのかもしれません。そこで解凍
された「おもひ」は客席にあふれていき、それがまた観客ひとりひとりの
「おもひ」と同期して、そこに何かを生み出す。それが能という芸能なのです。
― 一瞬にして相手に伝わる何か、それが「心(しん)」です。それは「芯」にも
通じ、「神(しん)」にも通じる、ちょっと神秘的な心的作用です。以心伝心と
いうときの「心(しん)」が、まさにそれです。言葉や文字を媒介とせずに、
一瞬にして相手に伝わる何か、それが「心」なのです。・・・ ≫
▼ <お能は、「おもい」を圧縮した芸能> この一言にお能の本質が言い
 表されている!「おもひ」は、「こひ(乞い)」も、解りやすい。人生は、
「おもひ」を求め流離う(さすらう)旅である。流離い流れついたのが、
現在の自分。「心・観・学・術・体」の、観が「おもひ」で、「学・術・体」が、
渡世(娑婆)で生きるということ。 この「心・観・学・術・体」は次回で!
 * また偶然だが、以下の内容が、丁度よい内容! お後がよろしいようで。
・・・・・・
4704,「考える」と、「思う」の違い
2014年01月30日(木)
   *「考える」と、「思う」の違い  ー『散文』谷川俊太郎著より
 何気なく書いている文章に、「・・・と考える」と、「・・と思う」がある。
「思う」は、感覚的、無意識的というニュアンスがあり、これを受けて論理を
組み立てるのが「考える」。この読書日記で、同感したり、感激、感動、感謝
した内容を取上げ、自分の考えに論理だてるプロセスが「考える」ことになる。 
  ーその辺りから
《 思うという行為は、考えるという行為に比べて、より感情的であり、
 より不正確である。物思いという言葉にも表われているように、それは時には
余りにも漠然としていて、まるで自分を甘やかしているようにとれることがある。
けれどまたそれ故にこそ、思うことは考えるという行為に比ぺて、いっそう
未分化であり、人間のより多く部分をその中にまきこむ。考えるのが主として
理性の働きであるとすれば、思うのはおそらくまず感ずることにその基礎を
置いている。考えることは時に現実を離れて抽象的な理性の遊びに堕するが、
思うことの堕落はもっと肉体的な自己陶酔に向かう。こういう風に、思うと
考えるとを分けてみても、実際にはこのふたつの心の働きは、つねに亙いに
補いあってひとつである。思ったことを考えることでより精密化し、考えた
ことをもういちど思ってみることで、より全体的にすることを、無意識の
うちに私たちはくり返している。 ・・・ 》 ヽ(゚ロ゚(-_-;)ゝ アッ!
▼ 上記の《 》が、同感、同調した部分になる。 それを受け「▼」部分が、
「思い」「考える」ことになる。◎「考える」は、「言語を用いて」
「意識的に」「論理的・合理的プロセスを踏んで」のに対し [(ーヘー;)え〜と  
◎「思う」は、「言語を用いずに」「半無意識に」「思い浮かぶに任せ
(必ずしも、論理的・合理的とは限らない)」「悔しいと思った。」
「悔しいと考えた。」と、すると、後の方が少し違和感がある?「思う」が
どちらかと言えば受動的、「考える」が能動的な感覚のために、少し違った感覚。
英語では「考える」は「Think」。「思う」は「Feel」に近い。
 何かを考えるキッカケは感謝、感動、感激など、感じ入った場合が多い。
だから一流の芸術作品を多く見たり、大自然の神秘に触れたり、書物を通したり
して一流の人物に接して日々、新面目を見出すことが必要である。
「思う」を受けて「考える」ことは、受動から能動の切替ポイントになる。
積極一貫で人生に立ち向かう中で考えるしかない! /(@゚ペ@)ウーン
・・・・・
4337, 閑話小題 ー「私には友人が一人もいません」
2013年01月30日(水)
  * 「私には友人が一人もいません」
 ある政治ネタを中心にした関西系のバラエティー番組のゲストの一人が
何気なく発した一言が印象的であった。「私には友人が一人もいません。
だから、携帯電話には時おりくる仕事関係以外に電話は入りません!」一瞬、
その場が白けるほどのインパクトがあった。事業創業と独立独歩を人生の
コンセプトにし、また専攻が社会学だったこともあり、あまり人に好かれる
タイプでないと自認している。しかし、どの場面でも、気心が知れた人はいた。
大方が飲み友達だが・・ しかし、堂々とTVの前で「私には友人がいません!」
と言えるだけの強さは私にはない。 映画で、一匹狼の殺し屋が、独り部屋の
中で拳銃を弄っている場面が頭に残っているが、あの感覚なのだろう。
別に友人など求めず、単独に徹すれば、これほど自由なものは無いはず。
一人旅をたとえれば分かること。 知人に、一切、人を寄せ付けない人がいた。
仕事の能力はあるが、趣味は一切持たず、酒もタバコもやらず、奥さんと年に
数回、外食をする位とか。せいぜい家でTVを見るぐらい。情報化の時代に逆に、
こういうタイプが増えているのだろう。中学校の同級会で久々に会った旧友。
糖尿で片目が失明、仕事はリタイアし、ゴミ出し以外、外出をいないという。
ただ終日ボ〜っとテレビを見ているだけと涙目・・ 
家内が先に亡くなれば、似たような状態になるのだろうが、どうも私が先。
時代の変り目もあるが、社会的・金銭的にも恵まれているのにウツっぽい
のが目だってきた。
  * アップル株が
 アップルの株価下落が止まらず、ここ数日で時価総額で6兆円以上下落。 
時価総額世界一から転落、アメリカの石油大手のエクソンモービルが返り咲き。
「アップル」株の時価総額は、昨年9月には60兆円と世界一の時価総額になった
が、週末には、38兆円に減少、昨年9月から現在までに22兆円、率で38%が減少。
カリスマ的創業者ジョブスが亡くなった影響が、ここで表面化したのだろうか。 
問題はiMac,iPod,iPhone,iPadに次ぐ新商品が打ち出せるかどうか。
「あれは、ジョブスの強烈な個性が生み出したものだった」に終わる可能性が
出てきた。 彼が元気だったら次に何を打ち出したのだろう。やはり、居間の
テレビになるのか。家内が言うに、「知人間で情報ギャップが大きくなった。
検索が出来ない上に、それ以前に無気力な人が目だってきた。」とか。
それも、iPhoneが解決する。 
・・・・・・
3962, ゲーミフィケーション
2012年01月30日(月)
【ゲームが未来を救う!?〜広がるゲーミフィケーションクローズアップ現代
 * ビジネス、日常生活にゲームを持ち込む
最近クローズアップ現代が面白い。先回はビジネスや科学の分野などにゲームの
手法を取り入れ活用している事例を紹介している。私も以前より事業や人生に
「ゲーム化」を取り入れてきたこともあり、非常に興味を持って番組をみた。 
ここでも、ゲーム化について何度か取上げてきた。ネットが世界的に普及して
きた中で、ゲーム感覚で多くの人が協力する時代でもある。
 驚いたのは、この番組の中で、コンビニの監視カメラを公開し、万引き監視を
ゲーム感覚で察知し、店に知らせるシステム。ポイント制にして最高で月3万円が
貰える。先に見つけ連絡したものが勝ち、ポイントがつく。
 −まずは、クローズアップ現代のHPより
≪人々を楽しませ、夢中にさせるゲームの手法やノウハウを“ゲーム以外”
 の分野に活用していこうという動きが、急速に拡がっている。その名も
ゲーミフィケーション”。若者の車離れにあえぐ自動車業界では、運転技術
を採点し、ドライバー同士で競わせる機能を搭載した新型車が登場。ゲーム的な
手法の導入は、外食・旅行・小売りなど他の業種にも拡大し、2014年には世界の
グローバル企業の70%以上にのぼるという予測もある。更に、米国ではタンパク質
の構造解析をゲーム化することで、科学者が10年以上解けなかったエイズ治療の
カギを握る酵素の構造を3週間で解明。食糧危機やエネルギー問題などを解決する
イデアを競わせるゲームを通じて、人類が直面する課題の克服に役立てていこう
という試みも始まっている。広がる“ゲーミフィケーション”の世界を検証する。≫
■ 人生のゲーム化といえば、目を剥いて怒る人もいようが、人生は、その人に
 とっての物語を生きることである。最期には死が待っているが、生老病死
人生のサイクルとして、それぞれの障害を乗り越えるゲームが人生。そう思えば、
難関も、乗り越えるための壁として対処を想定ができるもの。何ごとも準備が
重要だが、その準備をゲーム化するのがミソ。何事も楽しまなくては続かない。 
楽しむには過程の難関をゲーム化し乗り越えることである。ゲーム化すれば苦難
は数分の一になる。航空会社が販促として「乗った距離をポイント制にして
恩典をつける「マイ・レージ」というサービスがあるが、顧客の「私は、これだけ
ポイントを集めている!」という自尊心と、特典で旅行できる恩典がヒットし、
今では、当たり前のように使われている。これもゲーム感覚で、ポイント集めを
楽しんでいる。 私も早朝から就寝まで、日程を組んで習慣化し、そのチェック
として手帳に書き込んでいるが、実は一種のゲーム感覚で実行している。 
倒産劇も、途中から手順に落として実行しているうち、ゲーム感覚になって
しまい、自分で驚いた。他人から見たら、変じゃないかと思われて当然。
 とにもかくも長期にわたり一つずつ壁を乗り越えなければならないのだから、
ゲーム感覚で冷静でなければ神経衰弱になる。毎日書いているこれも、
まずテーマ探し、材料集め、それを起承転結に仕上げ、何ども修正、
完成するゲームである。
・・・・・・
3597, 誤訳口臭論
2011年01月30日(日)
 仏文学者の鹿島茂のコラムに「誤訳と口臭」論があった。面白い切り口である。
≪ その昔、手がけた翻訳書における誤訳の指摘がされると、気が気ではなかった。
最初の翻訳書が出された時、誤訳の指摘に関する記事が専門の学会誌に掲載された。
読んでみるといちいちもっともな指摘で批判を甘んじて受けるしかないわけだが、
実際に指摘した人物の試訳を見ると、むしろそちらの方が誤訳だらけだ。
この程度のレベルかと、少し安心する一方で、無性に怒りが込み上げてきて、
その人間の過去の翻訳文章における誤訳の指摘を、今度は対抗して学会誌に掲載
すべく、原稿を書き始めたが途中で馬鹿らしくなって、結局やめてしまった。
このように、人の誤訳というのは見つけやすいものの、自分の誤訳は他人から
指摘されるまで分からないことが多い。 誤訳というのは「口臭」に似ていると
思われ、自分口臭に気がつかないまま「おまえの口は臭いぞ」と言うことに
似ているという。「だから、非常に攻撃的に他人の誤訳を指摘している人を見ると、
 この人は、たぶん自分の口臭には気がつかないタイプの人なんだろうなと思う」。
「口臭のない人がいないのと同様に誤訳のない翻訳はない。これだけは真実である」
と、思いやられる。≫
〜 だいたい、こんなことだが、政治家の足の引っ張りあいの国会答弁、
 これって口臭でなく・・ これから思いつくのが「陰口口臭論」「悪口口臭論」
がある。これは、世間とかいう現象社会にドップリ漬かっている基礎教養の欠落
している人たちの放つ毒。放っている連中は面白いが、その毒をまかれた方は・・
毒には毒をもって制するというが、それ以前に、毒婦、毒男には近づかない方が
よい! 彼らには、それが全世界でしかない。これも口臭か!
このブログをネットを通した口とすると、口臭を放ち放題ということか。 
凄い口臭なのだろう!自分では気づかないが! だから誰も、ブログなど書かない! 
素裸で、大通りに大の字で寝る覚悟が無ければ、もの書きになれないと、
瀬戸内寂聴が書いていたが。  私など無理無理! 絶対に無

つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 

  今日のYoutube

 そろそろウィンドウズVISTAのサービス期間が終わる。
YAHOO!の、これが、ソニーのVAIOでは不調でアップ不能
 対策を立てないと・・・




・・・・・・
3960,ファイナル・クラッシュ ー7
2012年01月28日(土)
            「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」石角完爾
  * 日本をいかに安楽死させるか ー
【 2011年5月下旬、アメリカの下院の外交委員会で、「ジャパンリスクレという名の小姿員会が開かれ、
そこに日本の大使が呼ばれた。アメリカ議会では、日本国債はいつ暴落するか、そのときにアメリ
としてどう対応すぺきかという問題を公式に研究しているのである。誰がどう見ても、日本政府の財政
破綻は防ぎようがない。それは日本経済全体に波及する。日本にとって大震災以上の津波が押し寄せてくる。
その時、どうやってアメリカ経済を日本政府の破綻から切り離し、日本を安楽死させるか、そのための
メソッドを研究している。 彼らは、どうせ型通りの発言しかしない日本の大使から何か意味のある話を
聞けるなど思ってはいない。 日本経済の先行きについて、アメリカ政府ではすでに彼らなりの崩壊の
シナリオを描いているはずだ。その内容を再確認する一環として日本の大使を呼んだのだろう。
 日本を単独で安楽死させる方法として、どのような形が考えられるだろうか。一つは日本の国債
格付けを一気に一~二段階下げてしまうやり方がある。寝耳に水のデフォルトでは世界経済が混乱する。
しかし「投資不適格」レベルにまで格下げをした後でなら、日本国債がデフォルトしても「やっぱりね」
ということになり、市場の動揺も抑えやすい。・・・ 
 現在1・1%ほどの国債発行金利が1.6、2.0%近くに達する可能性がある。市場の国債の価格が
それだけ下がると、長期金利が上がってくる。5%になったら何が起こるか。 この金利は、世界的
に見ればごく普通の金利である。既に1000兆円野金利が4%上がれば40兆円のアップである。
 ・・・ それは国債と同額の金額になる。 】 
▼ 危機管理が不在の日本は、今や瀬戸際に立っているが、それにお構いなく政争に明け暮れるしか
 ない日本。偶然だが、去年の今日(下記)に「危機感が無さ過ぎる日本」の小テーマで書いていた。
当時、そんなことより、自分の会社が大きな危機にあることに、まだ気づいて無かった馬鹿加減が
出ている内容でもある。「国家天下より、自分のことを考えろ!」だが、どっちにしても同じ結果で
しかなかったことも事実である。 もう今さら国家天下でもないが・・ 小高い中腹の山から大津波
  よく見えるから、同じようなことを書いている。金融関係のトップクラスの人たちは、そのことを
一番よく分かっているが。何も言えない。
  
・・・・・・・
3595, 閑話小題
2011年01月28日(金)
  * 危機感が無さ過ぎる日本
 この商売をしていると、数ヶ月先の先行指数が数字に出てくる。 2001年の9・15テロ
では、翌日から客数が三年に渡り右下がりが続いた。その対策として政府は円安に誘導し、輸出を
柱に景気対策を図り、関東・東海地区では景気が一時的に持ち直し、不動産のミニバブルが東京の
好立地では起きた。そして2008年の9・15のリーマンショック。その翌週から急角度の
右下がりになり、現在も続いている。私の触覚からしたら、二月か三月の株の大暴落があっても
不思議でない事態。 マスコミの情報コントロールのためか、政治的思惑か、表面化をしない。 
コールドは去年で2割上がり、今年も、この情勢では2割は上がるだろう。現在の体制では、
この難局を乗り越えることは不可能。ということは、やはり株暴落のプロセスからしかない?                     
 * 10人を11人の年金で賄う?
 先日の新聞記事を見て、目を疑った。
「年金受給者5988万人、加入者6874万人」とあった。10人を11人の加入者が背負う割合になる。
10年か20年後なら分かるが、あと数年で、その数は逆転するだろう。二人で一人でも重いのに、
一人が一人を背負うなど、考えられない。去年で年金支給総額が50兆円。気が遠くなる数字。
これで支給時期の延長も考えないと国家が持たない。自民党と役人が組んで悪さをしてきた結果
だが、さらに悪いことに左翼が政権を乗っ取りやりたい放題。いつ爆発をするかの秒読みに入った。
 * チュニジアの政変について
 地中海のアラブ圏のチュニジアで学生デモの拡大で、比較的安定していたと見られていた
チュニジアで政変がおきた。これは携帯電話やツイッターなどの情報化が背景にある。
その影響がアルジェリアリビア・エジプトにも波及、暴動が多発、この動きがサウジアラビア
クエート・カタールアラブ首長国連邦、更に欧州、中国にも波及する可能性もある。
それだけ、この世界的金融恐慌は直接・間接的に仕事にあぶれた人達に影響を与えている。
その大元は、情報化。
 ・・・・・・・・・
3230, 死は‘別れ’のとき
 2010年01月28日(木)
 昨日30年間近く毎年、行われている高校の同級会のメンバーの一人の近藤さんの訃報が入ってきた。
癌である。これで5人目で、2割強が亡くなった。 ところで、癌から死に至る恐怖心を克明の記録
を残した学者がいる。岸本英夫である。もと東京大学の教授で宗教学の学者だった。彼は彼自身
臨終の最後まで、死という問題を直視し続け、現実の死という問題に真向うから取り組んだ人。
癌でも最も恐ろしい悪性黒色腫という転移性の早いことでは致命的な癌。
 あと半年しか命の保証ができないと診断された岸本教授のショックを、こう書いている。
「私の内心は、絶えず血みどろの闘いだった。 昼はまだ良い。 夜が問題だった、夜、一人自分
の部屋に入ると、激しい緊迫感が襲ってくる。癌の宣告を受けた私は、もはや絶望という意識で
心が一杯になってしまった。そしてその時、私は生れて初めて、生きていたいという生命欲が猛然
と頭をもたげてきたことを知った。腹の底からわき起る凄じい生命欲は、死にたくないという強烈
な欲求と、死に対する物凄い恐怖となって現われてきた。生命が直接の危機に陥ると、心はどれ程
たぎり立ち、猛り狂うものであるか、そして全身が手足の細胞の末々に至るまで必死で死に抵抗
するものであるか、私は身をもって知らされた。」 
 岸本英夫が死との苦闘の末に行きつい た境地は、  
・「与えられた人生を、よく生きる」ということと、
・もう一つは「死は、人生によくある″別れのとき″の一つなのだ」ということ。
≪ 人間は一生の間に何度も別れを経験する。 それには悲しみも伴うが、人はそれを耐えて、
 乗り越えてゆく。死はつらく悲しいことだが、それは人生にいろいろある‘別れ’の一種に
過ぎない。ただ最後の大仕掛けのことでしかない。 今までの様々の ″別れ″と本質的に異った
ものではないのではないか。 普通の別れに対しても人は準備をする。それと同じように、
 死に対しても心の 準備をしておけばいい。そうなりきれた時「癌のおかげで、本当の生活が
できると感じがする」≫ という。
 ~~
 亡くなった同級生にも死の恐怖との激しい苦闘と肉体的苦痛があっただろう。
もの静かな誠実の塊みたいな人だった!ご冥福を!
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2855, ある喩え話 -自由と平等 どっち
 2009年01月28日(水)
自由主義社会主義的体制を解りやすく喩えると自由主義と、格差を嫌い管理を優先する
社会主義的体制のどちらがよいかが、今後の大問題として浮上してきた。新自由主義をあくまで
優先するか、平等を優先して規制強化かは、人類の永遠のテーマである。それが堺屋太一の寄稿文
に分かりやすい喩え話で掲載されていた。 これは、酒飲話の余興にでも使える。
【 あるとき、慈悲深い神様が、子羊が狼に食べられるのを見て哀れに思い、狼の牙を抜いて
羊に変えられた。羊たちは平和に暮らせるようになった。ところが数年経つと羊の数が増えて、
一部の強い羊が草原を占拠。弱い羊は飢えだした。神様は飢える羊を不憫に思い羊たちに等しい
広さの草原を割り当てた。その結果、争いはなくなったが、どの羊も飢えて死んでしまった。 
神様は草原を増やすことは出来なかった。 この神様はカール・マルクス毛沢東とかいった。
やがて神様は交代して、前の神様の失敗に懲りて逆のことをやりだした。狼たちに羊を捕る自由
を与え、いっそう強力な牙と知恵を与えた。地上は弱肉強食の場になり羊は食い尽くされた。
その上に狼同士の共食いが始まり、数年後にはただ一頭の巨大な狼が荒野を彷徨っていた。
この神様をリカードとか鄧小平ともいう】 まあ、面白い例え話である。
 次のような即興の物語が思いついた。
【 羊の群れに紛れ込んだ狼どもが、知恵を使って眠り薬入りの美味しそうな藁をまいた。
 しかし薬は実は羊にとって毒であった。その結果、羊の全てを殺してしまった。しかし、
その狼は、その前に羊の毛を騙して刈り取って、高い金で売り、羊の肉を塩づけにして自分の
生きている間は楽しくおかしく遊んで暮らしましたとさ! になる。しかし、それを見ていた
神様は、狼の住んでいる森を焼き尽くしました。焼け跡には、ただ風が吹いていました。
但し罰として狼を生かして草原に追放しました。それがハイエナとして今も生きている・・とさ】
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2008年01月28日(月)
2490, 閑話小題         才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
  *高校の同級会
 昨夜は、高校の同級会があった。15人が集まったが、何か会うたびに病気と年金の話
が中心になる。二次会、三次会などで帰ったのが1時過ぎ。ここまでくると、肩書きとか、
収入とか、どうでもよくなる。だから良いのだろう。高校の同級会は20年ほど前から毎年
のように開いていたが、発起人の4人の中の中心人物が亡くなって、この数年開かれてなかった。
これから毎年開かれるようだが・・
  *大相撲も終わってしまえば
大相撲も終わってしまえば、予測どおり白鵬朝青龍の決定戦なり、白鵬の優勝で終わったが、
やはり朝青龍の存在は現在の大相撲には欠くことのできない存在ということになったが・・。
(字数の関係でカット11年01月28日)
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2007年01月28日(日)
2126, タクシー運転手残酷体験記      オッ(*^○^*)ハ~ヨウサン!
 デフレ経済と過当競争の狭間の中で、苛酷労働と低賃金の象徴的な職業のタクシードライバー
の現状について、ここで何度か書いてきた。借りてきた雑誌の中にノンフェクション作家の体当たり
「運転手体験記」のレポートがあった。仕事の関係で彼らの生態の情報が入るが、実際に運転手
をした生のレポートは、具体的で生々しい。レポートの現場は京都だが、地方の現場の平均とみてよい。
観光シーズンがあるから楽そうに思えるが、実際はそうでもない。レポーターは(学生時代に学校に
通いながら)運転手を1973年から77年までの4年間、最初が9万位で、辞めるころは15万円を稼いだ
経験がある。当時の学生としての収入として悪くなかった。それから30年、タクシー運転手を巡る
状況は悪化の一途。特に5年前の2002年の規制緩和の「改正道路運送法」が施行されてから、
増車と運賃値下げなどで過当競争に陥り、デフレも重なり劇的に収入が激減したという。
大阪の運転手事情はTVで何度かみたが、札幌・仙台などでは、平均240万を切ったという。
このレポーターの現場の京都では、2000年の354万円の平均年収が、2004年には20%減の287万に激減。
これを手取りの月収に直すと月17万円になる。この17万円を稼ぐには、40万に売り上げが必要だという。
タクシーの売り上げ=荒利になるので人件費率からみたら、妥当だろう。朝7時から16時までの勤務
だが、その売り上げを上げるためには、19時まで働かないと到底無理!ほとんど毎日12時間以上
働いても15~6万円になるかどうか。レポーターの勤めたK社の平均一人当たり売り上げは36万なので、
一人の手取りは13~4万円。これでは一家の主の収入で家族を養っていけるわけがない。そこで会社に
入ってくるのは年金生活者になる構図になる。このレポートでは、17万円を稼ぐ厳しさを生々しく
レポートしていたが、読んていて、そのリアル感には驚かされた。タクシーの事故率は普通の車の9倍
もある、それだけ乗車時間が長いこともあるが、その苛酷な労働条件がベースにある。売り上げ累進
歩合制度は原則的には禁止されているが、この過当競争の中では有名無実になっている。
私自身はタクシーだけは健康と、自分の経済観念のベースを維持するため可能な限り乗らないことを
モットーとしている。(ただケチだけか?)新潟を例えにすると、最近は旧市街にある古町とい
飲食街には行かない! タクシー代が馬鹿馬鹿しいからだ。この春から、地元の新潟も完全歩合制に
移行と聞いている。こうなると、会社は車と名義を貸せるだけの商売になってしまう。
個人タクシーと大してかわりはしない。通勤で駅前を歩いていると、お客に見えるのかタクシー・
ドライバーの鋭い視線が痛い。
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2006年01月28日(土)
1761, あなたのところのホテル、大丈夫?              (σ・з・)σオハYO!!
最近、会う人によく聞かれるのが「あなたのホテル大丈夫?」である。耐震問題と、昨日すっぱ
抜かれた偽装工事である。もちろん「大丈夫!」である。誰も解っていると思っていたが、それは
私の思い込みであった。(このHPの日々日常の出来事を書いている‘バードウォッチ’の
コーナーに少し書いたが)
  ー偽造問題では
・当社のホテルは最終工事は1995年に終わっており、市の建築課が何度か検査に来ている。
(民営委託になったのが1998年)
  (字数の関係でカット09年01月28日)
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 2005年01月28日(金)
1396, お水の花道
先日見た「お水の花道」のドキュメントが面白い。新宿のキャバクラの数人のホステスの素顔
と店中の出来事を追ったドキュメント。この随想日記にも何回か取り上げてきた。女の世界を
知る一番手っ取り早い凝縮された職場である。虚飾と現実が紙一重の世界でもある。
この番組みでは、4人の個人を、それぞれ追っていた。時給が5~6千円ということ、
それとお客の取り合い、携帯電話でのお客への攻勢、そして店内でのお客との掛け合いなど、
キャバクラの内側がリアルに映し出されていた。彼女達は、自分が消耗品ということをよく
知っている。しかし生きるために? 新宿のキャバクラで自分を酷使している。ストレスから
くる鬱病と闘っている娘や、それぞれの人生を背負って、一夜一夜を精一杯生きている姿が
あった。暴走族の女番長で少年院帰りの、刺青の入った素朴なホステスが圧巻である。
彼女は、お客との仮想恋愛が苦手で、飲むことを売りにしか出来ない姿が痛々しい。店は互いに
売り上げを競わせて、多くのお客を引こうとする。同じ位の娘を持った親なら正視できないだろう。
そう簡単に時給5000円も稼げるわけがない。それだけ仕事も過酷になる。その世界を、カメラは
冷徹に写しだしていた。彼女らに他に何ができるのだろうか? という同情もわいてくる。
もっと気張らずコツコツ生きなさい!という親心が出てくる。しかし、それぞれの生きてきた
環境と人生がある。今まで書いた「水の世界」についての内容をこぴーしておきます。 
ー真面目に、よく書いたものだ!本当。
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2001/12/21  
銀座ナンバーワン
銀座ナンバーワンホステス二人の対談が、ある雑誌に載っていた。
丁度バブルの絶頂期だったと思う。
 (字数の関係でカット09年01月28日)
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2004年01月28日(水)
1029, 夢分析ー自己解剖
ー心の地下を覗く
「昨日・1月27日の‘メルクマール’に書いた夢分析をしてみる。
 ー内容は
ー『学生時代の日記』を随想日記に書きうつしているせいか、当時の部屋に35年ぶりに
行った夢をみた。小さな押入れの中には当時のものが、そのままあった。布団に、電気炬燵、
実家から送ってきていたコメ、柿の種などなど、忘れ去っていたものが、記憶としてハッキリ
したイメージになっていた。記憶とは凄いものだ。但し部屋の中は全くの空であった。
押入れの中のものを全て出して、その処分に困っているところで目が覚めた。夢まで、
35年前にタイムスリップをしてしまった。他人の夢の話ほどつまらないものはないという
からこの辺で止めておくがー
以上であるが、自分の心の奥の階段を掘り下げるとはどういうことかを、解剖してみる。
現在毎日35年前の日記を書いているから、この夢をみたのだ。おまけに、その前日
「眠りについてお話」を書いたことも重なっている。そして前日眠れない時間を
2時間も過ごしたから、神経が鋭敏になっていた。更に、その日記の内容が益々刺激の
深い内容が続いていることもある。
 ー我流であるが、夢の把握と解剖をしてみる
・「35年前の部屋に、現在の自分が訪れている設定の場面」の夢であった
・部屋が空室で綺麗であった
・冷静に部屋の中と外の庭と大家の住んでいる母屋を見ていた
・その部屋の押入れの中の当時のものを、時代を超えて記憶としてリアルにみていた
 それを一つずつ押入れの中から出して、冷静に見ていた
・それを処分しようとしているが如何にもならないで困っている
押入れは、22歳の日記そのものである。押入れの中のものは、毎日の日記の内容であり、当
時の出来事である。処分しようとするが、処分できないのが過去そのものである。冷静の目は、
当時をみている自分の視線である。以上であるが、単純といえば単純な自分がいる。
箱の中は見なかったが食べ物が封印されて腐っているようなものもあった。
何か深い意味が含まれているのか、ただ久々に開けた押入れの中の食料が腐っていただけなのか、
それは自分の「良心」の判断になる。夢は潜在意識の入り口である。記憶には、人間の、猿の、
哺乳類の、動物の、生物の、長い記憶が刻み込まれている。それからみれば、35年前と35日前
の記憶もさして変わりはない。
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 2003年01月28日(火)
664,「日本経済の破断界」
十数年前から日本経済の破滅を言い切ってきた元三菱総研専務ー高橋乗宣の本のタイトル。
去年の秋に新潟の紀伊国屋で買おうかどうか迷って買わなかった本を図書館で先日借りてきた。
  ー要約を書くとー
・日本経済が凋落した原因を、「ニクソン・ショック」としている。今になって世界
 機軸通貨のドルが暴落して騒いでいるが、ニクソン・ショックの時点で終わっていた。
アメリカがIMF体制をつくった当初、世界の金保有量の66?を保有していた。 
 アメリカは35ドル1トロイオンスの金の交換ルートでIMF体制をつくった。 
 その体制の前にどこの国もドルを欲しがった。それを利用してドルをばら撒いた。
 ドルをばら撒く事がプラスに働いた。ドルが機軸である限り必ずアメリカへ戻ってきた。
・ところがドルを手にしてもアメリカ製品を必ずしも買わなくなった。
  (字数の関係でカット2010年01月28日)
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2002年01月28日(月)
314、情報化ー 一考察
情報化とは、突き詰めれば[中抜き]ということになる。横に重層になっていた構造が立てに
なり直接、世界にさらされる状況といってよいーそれが結果として[中抜き]になる。
銀行を例にとると、都銀、地銀、信金という規模別に、あるいは地域別に棲み分けていた
業態が、一瞬で直接さらけ出されてしまう。合理化をしないできた地銀以下が,都銀や
ほかの金融機関、更に世界の銀行と同列に、競争にさらけ出されてしまう。結果はすぐ出る。
情報化は競争社会にさらけ出されることである。 地方区が全国区になるようなものだ、
いや世界区に。アメリカの証券会社のメルリリンチが、ネット証券の出現の為この数年で
会社の存続さえ危うくなる時代である。
(字数の関係でカット2012年01月28日)