* 今日は、母親の20回忌。
 昨年の母親の命日には、それまで書いてきた母親について纏めてあった。
10数年、毎日、書き続けてきた過去からの贈り物である。自画自賛になるが、
もし子供に、亡くなって20年近く後に、このように想い出してもらえたら、
幸せだろうに。 末っ子で特別視された恩返しと考えれば当然だが。
 親子の関係、特に父親との関係は、シックリいかない人類の永遠のテーマ。
順調にエリートコース?を歩いてきた知人が、ある時、深刻そうに、
『何か私は、父親に愛されなかったような気がする。』と、話してくれた。
最近、特に思うのは、『人格の背骨は、両親の愛情で作られている』である。
末っ子は末っ子で、兄・姉から軽く扱われ虐められ、大変だったが、両親からは、
「特別扱いされ、何があっても守られ、許される」という妙な甘い意識があった。
 父親が亡くなってから、複雑な家族環境のため、「独り立ち」が、否応なく
求められた。そこから、両親から受けた愛情と精神の背骨を感じるようになった。
 次々に立ち塞がる難問に、「父なら如何しただろう?」の自問自答で湧き上る
知恵に大いに援けられた。その上、同居の老いた母親の温みが直に伝わっていた。
 追)去年、母親について書いた文章を纏めたが、もし、それをしてなかったら、
  昨日、一昨日、時間をかけて同じことをしていたはず。私は去年も、今年も
 同じ私である。母は父と伴に、戦前、戦中、戦後を生き抜いてきた。
常に何かを目指し努力をしていた後ろ姿を垣間見えていた。会社清算の痛みも、
「痛、痒い!」と思えるのも、万一の備えの上に、両親の修羅場を見ていたため。
70年の人生を振返ると、両親の懐で、面白、可笑しく、生きてきたと実感する。 
父の口癖、「死んでしまえば、それまでよ!」では、決してない。死んだ後にも、
背骨として子供たちの中に生き続けている。ところで私は 子供に対し、両親の
ように膨大な愛情を与えてきたのだろうか? それにしても、甘さ丸出しで、
ネホリハホリ書いたもの。

・・・・・・
5306,閑話小題 〜今日は母親の命日
2015年09月24日(木)
  * 今日は母親の命日
 今日は母親の命日、19回忌になる。早いものである。
ほぼ毎年、父の命日には思い出などを取り上げるが、振返って調べると、
母の命日には、時どきしかなかった。しかし、その前後に夢に必ずといって
いいほど出てくる。昨日の朝方も、夢に出てきた。寝室の二つの
ベッドが、廊下をおいた差向かえにある仏間に移動してあって、寝室には
一つだけ母のベッドが置いてある。その枕元には文庫本が一冊あり、何かの
読書指導書。さすがと思ったところで目が覚めた。
また今朝方も極楽にいるような夢をみた。
《自宅の1Fの勝手口の前に、花園に色々の種類の花が咲乱れている。
そこに様々な小鳥や鳩の大きさの鳥が次々やってくる。そこで、デジカメで、
写真を撮るが、いつの間にか、その花園の赤い花が、周囲に広がっている。
鳥と花の兼合いが、何とも美しくて写真を撮ることを忘れて見入っている。》
 これを書いていて、この夢が実は母親の贈りものでは?と、思いついた。
この随想日記から、母について書いていた文章を内部検索で調べると、
以下の内容が出てきた。書くこと、書き残こして外部化しておくことは、
心の、想いの刻印になる。 燃焼しきった人生は、奥行きが深い。
 極楽の景色を、母に鮮明に見せて貰ったことになる。毎日、世界の絶景を
ブログに乗せているが、極楽的光景を連日、目にしている背景があるようだ。
 さて、ポタリングをして、母の墓参りだ。
―――――
4200, 閑話小題 −スマート家電
2012年09月25日(火)
  * 母の命日
 昨日は母親の17回目の命日。亡くなって、16年経つ。
やはり、その年月は長い。今でも2〜3ヶ月に一度は、母の夢をみる。
先日、倉庫で母親のアルバムを見つけた。四人姉妹の末娘の姉と、旅行先で
当時の映画俳優と記念写真を撮っていた。戦後、戦中、戦後という激動の中に
生きてきた逞しさがあった。当時の男も女も皆そうだったが、平時の数倍の
人生を生きてきた。私の知恵は、こと何かあると両親に語りかけることから
生まれることが多い。夜半に問題を語りかけると、思いもよらない答えが出る。
読書は著者との対話でもある。愛読書を読み返すとは、最も信頼する著者の魂
と対話していることになる。両親は、自分の限界であり、かつ土台である。
両親は、私にとって限りなく純粋で愛情の塊のような人だった。
独り何かを求め続ける、これが両親から学んだこと。
  * スマート家電
 ( ・・略 )
・・・・・・
2007/04/24
2212, 宇宙的自己?が語りかけてきた?
              (。・8・。)ノ おはよう!
   *一昨日の朝方の夢
10年近く前に亡くなった母の夢を時々みるが、一昨日の夢が不思議な夢。
晩年の母は5年半ほど痴呆症だったが、夢の中の母は平常の状態。
不思議に思い、「如何したら呆けないでいられるのか?」と聞いたら、
「何を経験しても、その都度ごとに文脈としてまとめることよ、
また、一つ一つの要素をキッチリと言葉にしておくことよ。」
と諭すように答えた。そして、家の宝として、小さな仏像を5~6個持ってきた。
さらに家にある大きな封書を持ってきた。神聖な昔から家にある「書置き」の
ようだ。そこで目が覚めた。普段の自分の世界から一歩抜け出た不思議が感覚。
‘遥か遠い向こうの世界からの魂の呼びかけ’のような、‘宇宙的自己と
しての母の自己が、地上の私に直に語りかけてきている’ようであった。
現に毎晩、私が寝ているところが、母が30年以上寝ていた処である。

「魂とは何なのだろうか?」不思議で不思議で仕方がない。
誰もが持っている、不死の何かなのだろうか?
あの夢に出てきた母とは誰なのだろうか?
自己の創り出した(記憶の底から出てきた)母のイメージだろう。
夢も考えてみたら不思議である。
犬も夢をみるというが、自分の無意識がつくり上げた物語である。
 以前は不思議な夢を多くみたが、最近はめっきり少なくなった。
モーニング・ページに起きざまにみたばかりの夢の内容を書いている。
そのまま、大学ノートに書きなぐるが、生々しい夢を書くのも面白い
ものである。モーニング・ページの大きなコーナーになっている。
内容は他愛もないが、それでも時どきハッとするような深い内容がある。
夢と魂とは何か結びついているんじゃないのか?と時どき思う。
それも身近な母や父などの夢は、特に!

ところで母が持ってきた、あの封書の中味は何だったのだろう?
母の残した、「詩」だろうか?それとも家を守りなさいというサイン?
あのイメージは、家筋としての記録である。
家系としての筋道?   胡散臭いが!        
               ホンジャ  (~▽~*)/
・・・・・・
2006/09/24
2000, 継父
        (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。
この随想日記2000回と重なるところが不思議である。
早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。
5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院までオシメをする
ことがなかった。痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。
始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。
マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、抑えていた
悪口・陰口が始まる。心が腐っていくのが手に取るように解る。

マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。
亡くなって一月後に、
「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いた。

両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。戦争は全ての
国民に深い傷と重石を担がせる。第二次大戦直後に生まれたが、
あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・

ところで母の命日なので供養として、
母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。
そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。
この話を故人になったが教育学者の森信三さんが間接的に聞いて、
「自分の主催している会で話して欲しい」と依頼があったが、
断ってしまった。20年前で母が生存中なことと、それを多くの
セレブの前で話すには自分が出来てなかった。
その時、是非話しておけばと悔いが残っている。

母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。
(奇しくも昨日 WOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。
3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書きであった)
家が商売をしていたので残った祖母は男後家をもらうしかなった。
そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。
そこで何が起こるだろうか?この設定は、言わずもがなの結果になる。
義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。
3人の末であった母に、特に虐めがいったという。
それが母のトラウマになってしまった。     ーつづく
 さて墓参りだ!
ーー
書いた後に気がついたことだが、
ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー)
次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。
               (。・ω・)ノ☆゜+.バイ! 
・・・・・・
2004/09/25
1271, 母が亡くなって、まる八年!ー2
十数年前のこと、新潟に有名な教育者が講演に来た。その夜、勉強会の
「新潟木鶏クラブ」で、彼を囲んだ座談会を開いて話を聞いた。
そしてそのままホテルに泊まってもらった。
翌朝お礼を兼ねて、弥彦の良寛で有名な「五合庵」などを車で案内をした。
二人きりの車の中、4時間位話をする機会になった。
そして直に旧知の友のようになった。知らないうちに、昨日書いた
母の生い立ちと、それゆえの不幸の出来事の話と、不条理の話に及んだ。
本人も、思いもよらない「五合庵」の散策と、新潟の田舎の風情を楽しんで
いたようであった。 それから2ヵ月後、本人から連絡が入った。
「先日のお母さんの話」を、森信三さんに話したところ
「すごい内容だ。是非うちで開いている勉強会で話してくれないか」
と依頼されたという。

いま考えたら、そこにいって話をすべきであった。
「自分の話ならするが、母の話なので、勘弁して欲しい」と断ってしまった。
こういう機会でなければ、森信三という戦後日本最大の教育者とは、会う機会
がなかったのに、本当に惜しいことをした。また、そこに聞きに来ている人は
ふだん会えない、凄い人ばかりのはずである。 後悔あとに立たずである。
森信三氏も似たようなことがあったというが。それから数年後の1992年に、
森信三氏は亡くなったのだ。本当にバカのことをしたものだ。

話は元に戻るが、母の7人の兄弟・姉妹のうち、母の実父の上・三人は
幸せな人生をおくり、下4人は??
ー 幸せ不幸は、本人が決めることであるが。
「事実は小説より奇なり」というが、母方の姉妹をみていると軽く一冊の
小説になる。一人一人の一生は深く重いものである。
・・・・・
2004/09/24
1270, 母が亡くなって、まる八年!ー命日に,母の魂に捧げる

今日の9月24日が母の命日である。まる八年経った。遠い昔のような気がする。
今でも夢に出てくるが、その頻度は少なってきている。母の優しさは、誰に
とっても共通である。父の真の厳しさと、母の優しさの深さを知るのは、
自分がその年齢になって初めて解るものだ。

世界広しといえども、母は一人である。そして、ただ無条件で愛して
くれたのは両親だけである。親の愛こそ、神の愛に勝るものである。
真実の愛は、親の愛がその原点にある。

愛は力である。内面の強さは突詰めてみると、親の愛が基盤になっている。
キリストの愛も、最後まで見守っていてくれた母マリアの愛の反映である。

人間形成は、10歳までの家庭構造とそれを取り巻く環境ー条件で
ほぼ決まってしまうが、その中で母の役割は非常に大きい。

 ー命日ということで、母のことを少し話してみる。
母は特異な家庭環境の下で育った。兄一人、姉一人の三番目に生まれた
二年後に、実父が亡くなってしまった。そこで祖母は、(後妻でなく)
後夫をもらった。(要するに男後家)

その後、後夫の子供が4人生まれた。
後夫は当然のことながら、前夫の子供を徹底的に苛めた。
特に一番幼い母が、その対象になった。
祖母は後夫の手前、守ることも、直接的な愛情を注ぐことができなかった。

そのトラウマが母の一生を通してついてまわった。
子供に対する扱い方(直接的愛情のかけ方)を全く知らなかった。
ただ厳しく当たることしか自分の体験がなかった。

それが長兄、次兄が不幸を向かえるキッカケとなってしまった。
その結果、重度のノイローゼになった。私が7〜10歳の時である。
立ち上がるのに5年もかかった。その時、心臓が四分の一壊死してしまった。
(亡くなった直後の解剖で判明) そういえば、私も子供を抱きしめる
ということは一切しなかった。その苦悩・苦痛の中から、神様のような
優しさを持つようになった。そして強さも。

その環境の中で育った兄姉は、それぞれが何らかの神経症が残った。
私が癒し系の話題が多いのも、その神経症系を乗りこえるプロセスで
多くの本を読んだからだ。いやそれより、面白いこともあったが。
どの家庭も、色いろな事情はあるものだが。
特に、戦争下を通り抜けてきた世代には。
      さあ墓参りだ!      23日6時半ー記

・・・・・・
2002/10/15
ー堀井シマ短歌集ー  

6年前に亡くなった母の「短歌集」から時々コピーを載せます。

ー堀井シマ短歌集ー  (1)

・窓の下逆巻く波のはげしくてわが生涯の縮図の如し    −1

・蛙鳴き夏を呼び込む水張田にビルの影寫り小波のたつ   −2

・どくだみの影ゆれ動くせせらぎの石を渡りて広き野に出づ −3

・川岸に釣竿たれ居る子供等のビク覗けば鮒一尾なり    −4

・仏壇に献げし碗の茶の中に梅花うつぎは香り放ちぬ    −5

――
ー堀井シマ短歌集ー  (2)

・大椿大島よりの土産花部屋蔽ふごとく大きく開く    −6

・袋田の三段の滝夢のなかに亡き友がきて元氣に笑ふ   −7

・夕闇の中白き木蓮万と咲く東山魁夷に描き貰ひなば   −8

・雲上に仏の在す仏国殿慈悲たたへ拝む諸人救はんと   −9


・雲深き山の里にも桜咲き舞ひ散りながら下草を染む   −10

――
ー堀井シマ短歌集ー  (3)

・湯の宿に見る八海銀山駒ヶ嶽山頂の残雪�敞を見る如し  −11

朝顔の蔓うら枯れて落ちし実の秋田のなかに黒く光れり −12

・いつの間にか喜寿とはなりぬ友ら多く賀詞を賜ひぬありがたきかな
                           −13
・枯葉舞ひ地上に落つる間もなくに又もや風に吹かれ飛び散る−14

・五歳の孫友の泳げる�敞を画きて特別賞を貰ひかへりぬ  −15

^――
堀井しま短歌集ー4

剣道にはげむ男の孫それなりに力をつけて貫禄をもつ  −16

雪とくる音に目覚むる春の明け臥所をなほも離れがたかりー17

羽衣の謡の聞こゆ亡き友の家なき空地に茫々として   −18

南山の向うは日出づる日本なり連なる山に紅き陽の照る −19

ソウルにて博物館に展示さる砧青磁天竜七官     −20

――
堀井しま短歌集ー   (5)

白と青の雲の織りなす象徴画空のカンバスに無限に拡がる−21

残雪は牙むく如く嶺に冴えてなだりは青き夏の立山   −22

立山の頂きに佇つ若き等は頭を垂れをりおもひ思ひに  −23

雨後の庭靜まりかへる片隅に目をくりくりと足元の蛙  −24

手水鉢かけひの上の青蛙水したたるを覗きみすらし   −25

・・・・・・
2002/10/12

母から聞いた話である。
母が堀井に嫁いで数年たった時、多くいる小姑との折り合いが
うまくいかず、離婚を覚悟に実家に帰った時の祖母の励ましの話が良い。

「一番苦しい時は人生で一番いい時なのよ!」
私の一番苦しい時に聞いた言葉であった為か、強い印象が残っている。
小姑とイロイロあったと聞いていたが、こういう話しを聞くと納得する。

祖母もその経験があるから?その瞬間、その言葉が出たのだと思う。
人生の深淵のある言葉である。
「苦しいときは逃げては絶対に駄目、前向きに生きなさい」
という気持ちの意味が背後にある。

人生から逃げ回っている人が本当に多い。
逃げても、その自分が何処までもついて来るのさえ気づかない。
そしていつも逃げ回ろうとしている。
このような人には「人生のいい時は来ない!」来ても気がつかない。

「苦しみを通り抜けて歓喜に!」というベートーベンの言葉がある。
苦しむから歓喜があるのだ。
マゾはそれをセックスプレーで楽しむのだろう。

最後の一言は必要ない?!
硬い話を最後で落とす為です?

・・・・・・
2002/08/16
送り火ー母への追悼文

今日はお盆の送り火ーご先祖様があの世に帰っていく日だ。
6年前に亡くなった母の通夜の挨拶の下書き文が出てきた。
もうあと一ヶ月で7回忌だ。机の中から偶然出てきた文を書いておきます。
  −通夜挨拶ー         平成8年9月25日20時

本日は母の通夜にお忙しい中、遠方よりご列席いただき
有難うございました。母も心より喜んでいると思います。

この7月半ばまで浮腫で入院していましたが、昨日の9月24日の
12時51分に帰らぬ人となりました。

当初は三週間の入院予定で順調に回復しているように見えましたが、
まさかこれだけ早く亡くなろうとは・・・。
88歳6ヶ月の命でした。

母は生前、今夜飾られている写真を自分で用意して‘私の葬儀に
必ず飾るように!’との遺言でした。本人が一番気に入っていた写真です。
また通夜は明るく華やかに!とのことでした。

私自身29歳の時から21年間、母と同居、
母に手を取られて今日まできたというのが実感でした。
自分でいうのは何ですが、本当に偉大な母でした。
母の死で自分も初めて一人立ちができそうです。

七年前に脳梗塞がでて以来、大木がゆっくり倒れていくように・・・。
そして今日に至りました。その中で一人の人間の「生老病死
のすざましさを身近で見せてもらいました。
私も死ぬ時は母のように死にたいと思います。

母とは二年前より、早朝長岡ニュータウンの広場までドライブに行き、
誰もいない散歩コースを20~30分、車椅子で一周するのが日課となっていた。
そして途中のベンチで一本の缶ジュースを半分ずつ飲むのが・・・。
正に霊界を二人で宙遊しているようでした。 そして一回ごとに、
これが最後かと、これが至福の時かと実感していました。

今夜は通夜参列いただきありがとうございました。
明るい話をするつもりが涙が出てしまいました。
 重ねて、参列有難うございました。

・・・・・・
2001/12/21
[56] 母のアルバム
昨日母のアルバムを見ていたら、若かりしころの父とその兄弟達
の写真があった。

そこでパソコンのアルバムに取り入れようスキャンしたところ、
上部が細くなる写真に映し出された。

何回やってもそうなるので、ひっくり返してやってみてもおなじように
上部が細くなる。

怪奇現象化と薄気味悪くなりっていると、TVのBSデジタルラジオから
‘故郷’曲(ウサギ追いしかの川ーーー)が流れてきた。
遇然の一致は解っているがなにか不思議な感覚にになってきた。
仕方がないので隣にならんであった、母の見合用と聞いていた写真を
スキャンする。

何回やっても歪む、かなり小姑に虐められた話を聞いていたので
‘あの世でも上手くいってないのでは’と心配になってきた。

思い出の写真コーナーに載せてある。  2001/06/18

つれづれに

イメージ 1

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  今日のYoutube


 今朝は母親の20回忌の命日。一時間のミニチャリの後、墓参りに。
信濃川の水量は、昨日同様に大め。 
 
 昨日のシネマは、『BFG ビッグ・フレンドリー・ジャイアンツ』を観てきた。
スピルバークがディズニーの組んだファンタジーなら面白くないはずはないと、
決めたが、まあ面白かった。 それでも 評価は85点
 ネット上の評価は 5点満点の3・4点で、高くはないが、毎週、
ドンパチものを観ているため、時々は、ファンタジーも良い。
 特撮の進歩が、映画内容を格段と面白くする。

黒人が警察の射殺された事件で、妻が、その場面を撮影した
写真が、ネット上に公開されていた。こうなると、公開処刑の感もある。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160924-00010000-afpbbnewsv-int
http://www.afpbb.com/articles/-/3101673
 これでは、暴動が起きて当然である。


・・・・・・
・・・・・・
4941,閑話小題 ー夜半にみた恐ろしい夢
2014年09月24日(水)

* 夜半にみた恐ろしい夢
 昨日の朝方2時半頃だったか、恐ろしく生々しい夢をみた。
ーそのショートショートとは
《 居間でウトウトしていると、突然、立派な袈裟を着た僧侶が部屋に入ってきた。
 ハッとし夢から覚め、何だと思った次の瞬間、全身ねずみ色の姿が現れ出た。
そこで、恐怖でパニック、悲鳴と共に思いきり蹴飛ばした、と同時に目覚めた。
その時、実際に上布団を蹴っていた。隣に寝ていた家内は、気づかなかった。 
時どき家内に、「夢か何かで魘されていて煩い!」と、文句を言われていたが、
成るほど! 坊様と、ねずみ色の影の二重構造の夢とは面白い!お迎えが近いのか? 
何だろう! その前日の小学校の同期会で、同級の悪ガキだった男が、
「数ヶ月前に切腹をした。片足、いや両足が棺桶に入っている。80歳までは
生きれると思っていたが・・」と、死の恐怖に怯えていたことを思い出した直後の夢。
「他人事でないぞ」という想いが、この物語として夢になった、か。 三年前の
節目から、同級会の度に嫌味を言われたが、三度目に「この男、危ない事態になる!
(私の節目の傷口に触れたため)」と直感したが、案の定、こういうカタチになった?。
意味ある偶然だが、「危ない何かが起きる!」と思ったのは確か。 
更に辛辣なのが何人もいるが、いまだ元気だから、これ、起こってしまった現実の、
あと講釈。夜半にみた夢は、それを注意にきた坊様と解釈すると、筋が通るが・・
「自分の傷口を、傷ついた他人の血で洗うと、毒がまわるから気をつけろ!」
という注意か。この年齢になれば、「どの道、直ぐに死ぬのだから!」 
少し早いか遅いかの差でしかない。 ところが、この下書きを終え居間に戻った
昨日の夕方、家内が、『明日、お母さんの命日、知っているの』  
さて母の墓参り、般若心経をあげにいくとする。 そういえば、二日前の
この随日で、母のことを書いていた。 この二つの文が、そのまま、母親への
供養である。 私にとって両親はベストの親と感謝している!
・・・・・・
4574,  二代目のスポーツ自転車 ースポーツ自転車の勧めー5
2013年09月24日(火)
   * 二代(台)目のスポーツ自転車
 注文していた電動アシストのクロスバイク(自転車)が、一昨日、自転車
専門チェーンの「あさひ」に届いたと連絡があった。4年間乗ったマウンテン
バイクについで二台目のスポーツ自転車になる。まずスピードがマウンテン
より2倍近く出るのがよい。これで何が変わるか楽しみだったが、単純だが、
一時間のポタリングの周遊範囲が自動的にスピードに比例し二倍になった。 
なるほど人間と同じで、機能に制約されていたのである。
人間も知識と情報により左右されるのと同じ。もっとも乗る前から、コース
をどこにしようか考えてはいたが、実際に走ってみると見えてくる。信濃川
土手の二つの大橋一周から、土手の下にある河川敷のコースも見つけ走ること
にした。当面は、秋という季節柄、一時間から一時間半から二時間とすると
三倍の距離、走ることになる。連休と物珍しさもあるが、朝夕、買った当日と
昨日、二時間走ってきた。乗り心地はMTB(マウンテンバイク)は、小回り
がきいて、軽く、目線が地面近いローラースケートという感じだが、
クロスバイクは、ズッシリとして、目線が高く、スピード感がある。
今までレースタイプにスイスイ追い越されていったが、今度は、追い越す方に
移行するが、4年間、MTBを乗ってきた者にとって、大きな違いになる。
欠点は、一時停車の時、つま先立ちになること。 しかし、スポーツ自転車の
基本は、つま先立ちになるまでサドルを上げることというから、一週間位の
訓練で身に付きそう。こぎ出す前は、男またぎでなく、女またぎがスポーツ
自転車の基本。停車の時は、一度、サドルから前に腰を外し、両脚を地面に
つけるのが基本。そう言われればTVで見ていると、そうである。
 これで二種類のスポーツ自転車を持ったことで、ポタリストか、ペダリスト?
の仲間入り。一応、自転車愛好家と自認できる。ところで、買う気になって、
スポーツ専門店の売り場に入ったのと、冷やかしとでは違って見えてくる。 
自転車初心者コースの本を読んだこともあるが、それにしても種類が豊富である。
 店舗だと、大たいの店が、メーカー品だと一割引、ネットでは二割引になる。 
ネットで買うのと、店舗で説明を受けた一割の差は何か?というと、自転車に
まつわる情報の差であった。そこで、店舗で一割のサービスを受けることに
したが、それだけの情報とサービスはあった。旧来の自転車屋は、パンクや
ブレーキの修理を必要とする、土着の商売。地元の長岡では、20~30年前
まで100軒あった店が20軒に激減したという。自転車本体が、スーパーや、
HCの攻勢で、売れなくなったため。「あさひ」の店頭は、殆どが見本陳列で
取り寄せがベース。 その分、多くの見本がある。 あと冬季間まで二ヶ月、
まずは距離を走らなくては! 元気のうちである。
・・・・・・
4199, 呪いの時代 ー15
2012年09月24日(月)                          
   * 「ほんとうの私」という幻想からの脱却  『呪いの時代』内田樹
<実は私たちは「ほんとうの私」という幻想に縛られている>というドキッ!と
する説が、ここで書かれている。誰の心奧にも理想と現実のギャップが潜んでいる。
それが何時の間にか、理想の自分が「ほんとうの自分」という幻想になり、
それが「正味の自分」にとって替わっていたとしたら・・ 何だろう何時も
独り呟いている  「本当の自分とは?」 ーその辺からー
≪ ・・その「幻想的なオレ」が、ある日、何かを呪ったのである。呪いの標的
となったものは、具体的なものや、誰かでなく、妄想し、『本当の自分』が所有
するべきもの、占めているべき地位を不当に簒奪している誰かである。
その呪いは、何時の間にか現実の力を持ってしまい、破壊の塊になってしまう。
破壊の力は現実の身体に根拠を持つ限りそれほど害にはならない。
攻撃が破壊的になるには、それが身体を離脱して「幻想」レベルに達したとき
なのです。だから、私たちにとって喫緊の問題は、妄想的に構築された
「ほんとうの私」に主体の座を明け渡さず、生身の、具体的な生活に捉えられた、
あまりぱっとしない「正味の自分」こそ主体としてあくまで維持することです。
しかし、そのぱっとしない「正味の自分」を現代日本のメディアは全力を
挙げて拒否し、それを幻想的な「ほんとうの自分」に置き換えようと私たちに
促しつつけている。≫
 ▼ この文章から思いたってくるのは、 <「ほんとうの私」は実は幻想。
 周辺に見られていると思っていた 「正味の自分」が、自分の実像でないか?>
である。社会に出て、それぞれの世界で生きてきて、常に「ほんとうの私」という
幻想が「正味の自分」を見ていた覚えがある。それが私を突き動かしてきた。
しかし、このようにコペルニクス的なドンデン返しの真理を突きつけられると、
根こそぎ人生を考え直さなければならない。そのため、神は老後の期間を与えた
のだろう。話は少し変わるが、土曜の午前中に家族の外見変身をテーマにした
番組がある。家内が見ているので、自然と見るようになった。
変身願望の家族、特に主婦に、番組が美容とブランド品の服飾で変身させ、
あたかも本当の貴女は少し手を加えれば美しいのですよ!と幻想的セレブの
家族を演出する。見る方も、本人たちも、その着せ替え幻想を楽しむバレエティ。
それはそれで良いが、少し豊かになり背伸びをすると、 その幻想世界と
現実世界が入れ替わってしまう。森林(現役)に住んでいる内は良いが、一歩
サバンナに踏み入れると正味の自分に向き合わざるをえなくなる。その時、
私たちは「ほんとうの私」という幻想に縛られていた自分に気づく。
(それさえ気づかない人が多い)それと同じことが、総中流社会から総下流
幻想が移行しつつある日本である。バブル崩壊後、国民の過半数が実質、預金
ゼロになるなど総下流化の様相。その怒りが呪いになっている。
「ほんとうの私」という幻想こそが、悪魔の正体。呪いは、自滅につながる。
なる程、呪い呪われの時代である。これが当分続くとしたら、
正味の自分の心のシェルターを用意すべきか。その正味の自分も幻想?
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3834, ツール(道具)について考えてみる ー1
2011年09月24日(土)
 電動アシスト自転車を使い始めて二年になるが、その日から日常が変わって
しまった。足馴しに自転車で自宅から20分ほどの信濃川の長岡大橋から
大手大橋を一時間ほど一周したが、自動アシストのためペダルのストレスが半減。
そのためか信濃川一周のポタリングが快適であることに気づいた。空気が新鮮で、
野鳥が多く飛び交い、川幅が広く、流れが緩やか。そこから見る360度の視界
がまた良い。川向こうから街中に向かう長岡大橋の上からのパノラマはライン川
の風景に決して劣らない。それと何より、自宅の生活圏から一歩外に出た開放感
が良い。自宅近くの栖吉川を30年近くウォーキングをしてていたが、丁度
その頃に工事で遠回りをしないと何時ものコースを行けないこともあり、切り
替え時だった。 以来、12月から3月を除いた連日、信濃川周辺のポタリング
は日常生活の大きな柱。新たな手段が生活を変えてしまった。10年前にパソコン
をものにする最後のチャンスと必死の思いでパソコン教室に通いだし、このHPを
立ち上げた。それ以来、パソコンとネットが生活の核になっている。 
過去を振り返ってみて学生時代に残した日記が、当時のままを記憶として
残してくれている。「書くこと、書き残すことの秘儀」というか、その価値を
数十年後になって読み返して気づいたこともあって、一日一文をHPに書き残す
ことにし、それが現在も続いている。事業のためとか、自己顕示欲のためでなく、
「いま、ここ」を書き出すこと、書き残すことの価値を知っているからこそ
続いている。日々の痕跡を残すために、ブログほど便利なツールはない。
そのためには開き直りと、公開の結果のマイナスの危険を承知した上に、
それ以上の何かの利点を直感しているから書き続けている。要は、道具が逆に
行動、習慣を決めてしまうのである。 道具というと聞こえは悪いが
「ツール」というと、納得する。
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3469, 基本的信頼
2010年09月24日(金)
 人間には二種類ある。 基本的信頼が強い人と、基本的不信の強い人である。
それは「自分だけは大丈夫」という原初的な感覚につながっている。 何時も
言っているが、身近に幼児期に両親の愛情がタップリ入っている人がいる。
その過剰は自分は特別の存在という感覚が強い反面、非常に精神的に強い側面がある。
乳幼児は非常に無力で、助けてくれる人を必要としており、基本的信頼が満たされて
いると「世界は自分を大切に扱ってくれる人がいる」という感覚を得ることが出来る。 
この感覚は人格の一番奥底に存在する安心感、自己信頼感を形成をする。
この感覚が強ければ強いほど何かが起こっても何とかなると考えられ、自分の希望は
叶えられるという全能感を得ることが出来る。基本的信頼を与える存在は、母親か
母親的存在で、子供を自分のように愛せるかどうかで、この感覚が左右する。
E.エリクソンによると、「基本的信頼感の獲得」という乳児期の発達課題は、
良質な母性的養育関係を通して達成される。「自分は見捨てられていない」
「ここにいていいんだ」「自分には価値がある、受け入れられている」
という基本的な信頼感を、乳幼児は求めているのである。片親の子供は就職に不利
というが、企業も経験的に組織人として基本的信頼がベースにある人を選択するのも、
こういう事情がある。それは人間的な温かみとして表出している。これだけは、
隠そうとして隠せない。その意味で両親の素質と相性は大きく子供に影響している。
とはいえ、兄・姉を見ていると同じ環境で育っても大きく違う。それは、両親との
相性が大きく左右している。そうこう考えると、多人数の姉・兄の末っ子で両親に
特に愛された実感があるだけで充分に恵まれていた。過剰の愛情は「我がまま」
という副産物もついてくるが。今日は母の命日で亡くなって14年になる。

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3094,久々にジョーク -2
2009年09月24日(木)
 * 三つの願い
 愛猫と二人暮らしの八十歳の老婆。天気がいいのでベランダで椅子を揺り動かして
いると、足もとにランプが落ちているのに気づいた。それを拾い上げ、ほこりを払っ