ー「地球大進化 第3回 知られざる“生命の星”の秘密」ー
   * 爬虫類から哺乳類への主役交代
 地球環境により、その都度、新しい生命が生まれ出てきた。 そして、
環境の激変で、それらが絶滅。違う環境に適した生命が生まれ出てきた。
知的生命たる人間が、それ故に、自滅するのに百年はかからないというが、
何か時代の様相からみて、考えられないことがない。 〜その辺りから〜
≪ 2億5千万年前、突然生命に襲いかかった地上最大の火山噴火、それが
 当時生きていた生物の実に95%を絶滅させるしまうことになった。
さらにその後訪れた巨大恐竜の全盛時代、私たちの祖先はその影に怯えながら
暮らすことを余儀なくされていきます。しかしこの暗黒の時代を乗り越えた時、
私たちの祖先は爬虫類から哺乳類へと一気に進化し、大きな飛躍を成し遂げる
ことになる。おなかの中で子供を育て哺乳で養うという哺乳類独特のLife style
の誕生。それは全ての生命を絶滅の危機に追いやるような地球の途轍もない
大変動とその後の恐竜の支配がなければ生まれなかったことが分かってきた。
地球生命史上、最も劇的といわれる哺乳類誕生のドラマとは・・・
 ○ 大量絶滅:地球が95%死んだとき
 私たち哺乳類を語る前に、まず2億5千年前に起きた史上最大の生物絶滅事件
の実態を探る旅からスタートする。実はこの事件こそ私たちの哺乳類の誕生の
ためになくてはならないものだと考えられているからです。それは恐竜が登場
するはるか昔の出来事でした。案内してくれたのは南アフリカ博物館、ミジャー
スミス博士です。20年に渡ってここカルー盆地で動植物化石を調査してきた。
乾燥した大地に絶滅が起こる直前の地層がむき出しになっていた。
ここに童子の陸上を闊歩していた動物の足跡が残っているという。
この動物の体長は3m、しかし恐竜ではありません。最初の恐竜が地上に現れる
のはこの足跡よりさらに2000万年も後のこと。足跡をつけたのは一体どんな
動物だったのか。実はこの時代に繁栄していたのは現在の哺乳類と非常によく
似た動物、ディクトドンと呼ばれる草食動物の化石(南アフリカ蔵)。
体長は50㎝、穴熊のように地面を掘った巣で暮らしたと考えられています。
またゴルゴノプスと呼ばれる肉食動物、体長3m。鋭いきばが特徴です。
この時代の百獣の王、いわばライオンのような存在だったと考えられている。
これらは皆、爬虫類のように卵によって繁殖したと考えられています。
しかし骨格や歯に私たちの哺乳類と共通の特徴が数多く見られるため、哺乳類型
爬虫類と呼ばれています。この仲間の中からやがて哺乳類へと進化的動物が現れる
ことになります。「哺乳類型爬虫類は一般にはあまり知られていない存在です。
しかし実に多様で当時の環境に非常にうまく適応していた動物であること知ると
皆さん驚くことでしょう。しかも私たち人類の祖先にあたる動物なのです。
彼らは恐竜が現れる数千万年も前に繁栄しました。いわば地球を初めて
支配していた動物たちだったのです。」≫
▼ 上記のプロセスを経て、哺乳類が、そして類人猿が地上に現れ、主役の
 座を占め、人間へと進化?してきた。乗越えることが出来ないような、
大きな壁が、逆に進化をもたらすのは「人生」と同じ。成長後、挫折と崩壊、
そして灰の中からの再生から、その都度、新たな自分が生まれ出てくる。
・・・・・・
4892,定年後の4年目のリアル −2
2014年08月06日(水)
            「定年後のリアル」勢古 浩爾 (著)
 面白そうな要点の抜粋が、アマゾンのレビューに幾つかあった。
≪ ・「この先わたしたちはどうすればいいのだ、・・・というように具体的な
 方策を他人や本に求める根性がすでにだめである、・・・「自分のリアル」は
 自分にしかわからない」(6~7頁)。
・「わたしのこころは基本的に幼少年期からずっとおなじものである。
 中年になってもこころはひとつ。・・・わたしはこれを自分年齢だと考えるが、
 その中核は、多くの人にとっては少年期や思春期のときのこころのままでは
 ないのだろうか」(67頁)
・「社会的年齢と生理的年齢と自分年齢は絡み合い、相互に反発しあって
 一致することはあまりない。そのときは一も二もなく、自分年齢を優先すれば
 いいと思う。いいも悪いもない。そうするしかない。基本的には自分の
 「こころのリアル」に従って生きていくのが一番である」(70頁)。
・「どんな立場もなくなるということが、これほどまで自由だとは知らなかった」
                           (104頁)。
・「さみしいなあ、でもそれがどうした」と思うことである。
 これは「ありのままの自分でいいんだよ」ではない。これが自分の現況である、
 というだけのことである」(153頁)。
・「つまらないことだが、三日間絶食をしてみた。結果、食は生活の句読点
 であり、それが失われると一日はのっぺらぼうの時間になる。それが失われる
 と生活の楽しさの大半が失われる、ということに気づいた」(169頁)
・「わたしたちは自分なりのしかたで自分の生を生きるほかはない」(208頁)。
・「さて、ここでわたしは、「定年後、残りの人生をベストに過ごすには
 どうしたらいいのだろう?」という問いに対しては、たった一言でもって
 完璧無比に答えることができる。「あなたの好きなように生きてください」
 である。 ・・・「好きに生きよう」である。
「好きでなくても、今の生活しかないのなら、それで生きよう、である」(213頁)
・「私が死んでも、・・世界にとってはまったく大したことはない。
  この世はつねに生きている者たちのもの」(235頁)
 食って、寝て、本(新聞・週刊誌・小説を含む)読んで、勉強(歴史、思想史、
 数学、等々)して、AV観て、何か執筆でもし、たまには小料理屋で一杯やって、
 あるいは散歩や旅行にでも行って・・・そういう生活に私は入りたい。≫
▼ 私が一番、実感したことは、「どんな立場もなくなることが、これほどまで
 自由だとは知らなかった」である。確かに、少し寂しいし、肩書き無しの自分に
向合うと、今まで如何に、その土台の上で好い気になっていたかを、思い知る。
しかし、それも時間が解決してくれる。ただ、突きつけられるのは収入が激減
してしまう現実。仕事上を含め付合いなどの経費は殆ど無くなるが、可処分所得
も皆無になり、ヘソクリをしてない?自分に後悔する。この辺りが、一番の
「定年後のリアル」の問題。次が、「自由の不自由」の問題。 何もかも自分で
計画をたて、判断をしなくてはならない。が、更に厄介なのが、今までの仕事の
拘束に換わって家庭内の、差別が待っている。
 で、偶然だが、去年の同月同日の以下の文に続く!
・・・・・・
4525, 生きる悪知恵  ー4
2013年08月06日(火)
  「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著)
 歯車の一つとしてのサラリーマンが、自分で商売をしてみたい気持ちも分から
ないでない。私が、ここで度々取り上げる飼い犬、野良犬、狼、の例えがある。
飼い犬がサラリーマン、野良犬は商売人、狼は一つの判断ミスで餓え死ぬ作家・
芸術家・政治家・創業実業家あたり。その最もひ弱な飼い犬が、「定年間近に
僅かな退職金元手で何か商売」というストーリーに無理がある。それも小さい
ながらも創業など、土台無理。野良犬にも野生剥き出しで、餌をあさる逞しさが
必要だが、とっくの昔に去勢されている自分が見えない。そして出来もしない
夢に憧れている。 それが、「あっぶね〜」のである。
《  * 夫が脱サラして田舎暮らしをしたいと言い出した
Q:夫が脱サラして田舎暮らしをしたいと言い出した。早期退職の退職金元手に
 田舎でそば屋をやりたいと言うんです。そば打ちは趣味でやっていて、確かに
 おいしいことはおいしいのですが、商売の経験もなく成切すとは思えません。 
A:あっぷねー。 商売は雪山と一緒なんで、うりかり一緒に登ったら夫婦で
 遭難しまうで〜 だいたい「田舎でそば屋」って、水商売上がりの女が
「お花屋さんやりたい」って言うようなもんで、あまりにも夢見すぎ。
 田舎ってどのへんを考えてるのかわからないが、田舎ってそんなに客来ないよ。
 人いないから。こういうパターン、今すごく多いみたいだけどね。ダンナは
 会社の人間関係に疲れて「田舎で暮らしたい」、奥さんは「デパートのある
 とこじゃないと嫌」っていうんで定年退職後にケンカになちゃうっていう。
 これ、半々にすればいいと思うんだ。都会に小さなアパート借りて、奥さんは
 そこで暮らして、たまにダンナさんのいる田舎に会いに行くとか。だって
 今までダンナが生活支えていたわけでしょ。だったら、奥さんも今から
 働けばいいじゃない。老舗のそば屋で働いてノウハウを盗めば一石こ鳥(笑)。 
 とにかく上手くいっている人と、いってない人の話を聞けばより。そうすれば、
 旦那さんも勘違いに気づくかもしれないし。でも、このダンナさんも今まで
 頑張ってきたんだから、一度失敗させてあげてもいいんじゃない? やらずに
 後悔するより、やって後悔したほうが絶対いいし、あんまりお金をかけずに
 小さく失敗してみるといい。退職金を突っ込んで田舎に家を買うんじゃなくて、
 古い民家をちっと改造したようなお店とかあるじゃない。田舎じゃなくて
 埼玉ぐらいにしておくとか。それだったら、失敗しても取り返しがつくって、
 失敗すると決めつけちゃってますけど、だいたい失敗しますから。》
▼ こういう質問自体が愚問そのもの。サラリーマンに成りきった人が、
 創業、それも田舎でそば屋など、何年も蕎麦屋を続けきた主人に失礼である。
彼らでさえ、大方が冷凍やインスタント麺の普及で危機の瀬戸際。趣味と職業は
全くの別問題。20年前に、近くのバイパス沿いに趣味がこうじて蕎麦屋を出した
人がいた。そこの主人が、蕎麦の奥行の深さを滔々と講じたが、好きでない私は、
ポケッとして聞くしかない。そして1〜2年後に、その店は閉店していた。
凝った店構えだったが! 本当のソバ通など少数派で、金にはならない。
早く言えば、月末の材料と電気光熱費を支払うために働いているようなもの。
それが殆ど。厨房と、店内の一つ壁とカウンターの内外では異次元の世界。 
これは創業者と、二代、三代目にも言える。本能剥き出しを必要とする創業者を
狼とすれば、中途半端な二代目、三代目は野良犬、いや宅上犬。宅上犬ほど、
野良犬や、狼を笑い見下す。家を出て、ゴミ漁りや、荒地で野生生物の捕獲の
経験がないためである。
・・・・・・
4150, 5年前に、現在の状況を予測できたか?
2012年08月06日(月)
 今から5年前といえば、2007年8月である。それから13ヶ月後に
リーマンショックが生じた。当時は以前に経営していた会社のリストラ効果で、
何とか目途が立ったところで、米国の住宅ローンの債権証券が危険水域にある
と新聞が書き始めていた。そして2008年9月15日にリーマンショック
現実に起きてしまった。それから売上は激減、二年半後に倒産に至った。
あの時と現在の状況を比較すると、現在の方が格段悪い。今後5年後を考えると、
早ければ年内に、遅くとも数年内にリーマンショックなど比べようもない激震
が世界中に駆け巡る。それからして、かなり厳しい想定を現実としてしなければ
ならない。私自身も年齢からみて、これまでの不摂生を考えると、今さらなので
腹を据えているが。 実際のところ5年後、どうだろう?この5年の激変より
遥かにマイナスの状況と見るのが自然。今から5年後に「現在の状況を予測
できたか」という問いに対して、やはり想定外であるという答えが帰ってくる
だろう。目に前に迫っている経済大津波は分かっているが、実際に起きて
みないと実感できないのが人間。想定外のことは考えられないが、万一の備え
を作っておくことは可能である。家族経営をしているところは、
�身内を外に出すか、それとも自分が出るか。�身内の債務保証を無くすこと。
�売上が半減した時の想定をしておくこと。�運転資金がマイナスに転じた時の
対処の想定。(見切り千両のタイミングの想定)�予備資金の準備、などが
考えられる。私の場合、7年がかりで予備資金を準備、万一、これを一時的
にも流用した時が見切り時とし、そして実際に実行した。ところで5年前に、
現在の状況は想定外だったのだろうか? その頃、危機管理セミナーに立て
続けて参加していた。予測通りの部分と、まだ予測に至ってない部分があるが
潮流は大方、予測通り。しきりに金の購入を勧めていたが、当時より金価格は
2〜3倍。恐らくハイパーインフレが5年内で吹き荒れるが、その状況が
予測不能ということか。中国が一度、国内外で動乱が起こる可能性があるが、
いずれにしても立ち直りは早いはず。ユーロ圏、アメリカ、ロシア、中国、
日本と、いずれも激変するはず。 大変とみるか、面白いとみるかだが、
前者だろう。まず経営者は5年後の仮説をたてないと!
・・・・・・
3785, 世界でひとつだけの幸せ ー�
2011年08月06日(土)
 *「世界でひとつだけの幸せ」マーティン・セリグマン著
   ー この本の概要からー
【「楽観的で前向きな人は、幸せで、長生きで、成功する!!」 と、
  楽観主義を身につける方法が具体的に紹介されている。
   ● 心から幸せを感じるにはどうすべきか
 ・ パート1では、過去、現在、未来において、どのようにすればよいか
  (*過去は感謝、容認、忘却、 *未来は希望と楽観、 *現在は快楽と
    充足感、との違いを理解し、充足感を満たす生き方をする)。
 ・ パート2では、6つの美徳を紹介、それを基に24種類の強みを示し、
   どのような強みを持っているかを知り生かすことを提言。
 ・ パート3では、人生の大きな3つの局面である仕事、愛情、子育ての
   状況において同じ強みを発揮するかという実践的な内容。
* 楽観主義の「永続性」については、「悪いことは一時的、良いことは
  永続的と考える」ことや、 「普遍性」については、「悪いことは一部の
  面に限られていて、よいことは普遍的だと考える」
* 今回の震災に直面しては、「これは一時的なことだから、
  もうすぐ解決する」とある。
*「学習性無力感」についてや、「まったく同じショックを受けても、それを
 制御できる、つまり自分が行動すればショックをくい止められるような場合は、
 動物も人間も活動的になり、情動が落ち着き、健康になるという結果が得た」
*「行動することに効果があり、結果を制御できると知ることが重要である」
 という「随伴性」についてがわかりやすい。
*「ただ苦悩を和らげるだけでは、苦しみ、自暴自棄になっている人を、
 本当の意味で救うことはできない。 人はどん底にあっても、美徳や誠実さ、
 さらには生きる目的や価値を必死になって求めている。
 本当に必要なのは、『苦しみを理解して和らげることではなく、
 幸せを理解し築き上げることである』」
* 人間の心はいつでも変えられる。今までの説をくつがえし、人々の願い
 をかなえるもの、それが著者の提唱する「ポジティブ心理学」」
 1.お金持ちは幸せか?  = 著者は、「アメリカ、日本、フランスなど
  先進国はこの50年で購買力が倍以上になったが全般的な生活に対する満足感
  は少しも変化していない」と。必要な生活できる収入と購買力が得られた後
  は富が増えても幸福は増えない。幸福感を決めるのは、お金をどのくらい
  大切なものと考えるか、という価値観であると。
 2.強みを生かせば幸せになれる  = 「弱みを克服することに人生を
  費やすのは間違い。むしろ、人生最大の成功と真の満足感は強みを
  伸ばした時に現れる」と。
 3.過去が未来の幸福を決めるのか? =「そんなもので決まるわけ無い!」
  と! これまでの心理学(ex.フロイト派)のマジョリティーは「過去が
  決める」だった。実際の調査結果の一例として、11歳になる前に母親と死別
  した子どもは、鬱病になる確率が若干高いが、女児に限るとそのリスクは
  ごく稀。むしろ「幼児期の経験が現在の不幸の原因だと思いこんだり、その
  ために未来に対して臆病になったりすれば人生をむだにすることになる。」
  という。】
▼「ネガティブ志向の人が、自らの短所や悩みを解消するのではなく、それぞれ
 に備わっている「強み」を さらに伸ばすことで今よりもっと幸せになる」は、
この本の要諦。「得手に帆を上げ」前に進む生き方を勧めている。
  ・・・・・・・
3420, その後の、我が家のインコ
2010年08月06日(金)
 去年の秋口にコガネインコが我が家に来てから10ヶ月、ペットショップ
の店内で従業員や客に可愛がられ人に懐いていたインコ。あまりに人懐こいので
数回、店で頭を撫ぜていた。ところが三ヶ月も経っても、いつもの籠で人から
頭を撫ぜてもらっている。何か愛おしくなったが、値段が6万8千円もするし、
家内が生きものが大嫌い。もしか買った大騒動が起こる。しかし衝動的に、
そのインコが買いたくなって、「このインコ、1万円を引いてくれたら買うけど、
どうですか」と女店員に言うと、大人しそうな女店員が、「このインコ、従業員
みんなで大事に育てた素直なインコ。値引きなど、とんでもない」と怒りだした。
「じゃあ、責任者にお客が三ヶ月も売れないインコは、それだけで商品価値が
下がっている。6万円なら、買うといっていると、聞いてきて」というと、
しばらくして、戻ってきて「店長がオッケーをだしました」という。という訳で
商談成立。それはよいが、家内の怒りを考えると、冷や汗が出てきた。そして
家に帰ってから、一ヶ月間は毎日のように罵声を浴びせられた。それに耐え
切れずに新潟のホテルの長期滞在の棟に、ペットして持って行くことにした。 
しかし、持っていこうと、車に乗せる直前を図って、「暫くの間、置いておいて
よい」との、許可を得た。本人もしたたかだ。居間のベランダに鳥篭を置いて
いたため、部屋そのものにも寄り付かなかった。それが今では毎日数回は籠の前
にある椅子に座ってインコの相手になっている。とにかく人恋しく、相手にして
欲しいと鳴き叫ぶのである。あらゆる鳴き声で、自分の気持ちを伝えようという
のが分かるから、生きもの大嫌いな家内も、情にほだされたのである。 
女店員がいうに「気が優しく、籠の蓋を開けておいても外に出ようとしない。
しかし人好きで、頭を撫ぜてもらうのが大好きでペットしては最高です」と、
いったとおりである。人間も鳥も当たり外れがある?。
小桜インコを5代続けて飼ってきたが、子供2人が高校を卒業してからは、
飼ってなかった。小桜インコと比べると、鳥というより、犬という感である。
とにかく人好きで、あらゆる鳴き声で気持ちを伝えてくる。個々の足音や車音
で誰かの判別が可能。また犬が尻尾を振ったり股に入れたりで、喜びや恐怖を
表現するが、このインコ、羽ばたきで表現する。鳥の形をした愛犬という風。
要は自分を相手にして欲しいと全身をつかう。今でも居間の私の定位置の
ガラス戸一枚先のベランダで時々、鳴声で呼びかけてくる。家から遠ざかる
ときは「行かないで」という鳴声、帰ってきたときは嬉しそうな鳴声。
これは、むしろ犬。小桜の10倍の値段のわけだ。

つれづれに

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   今日のYoutube

 全国高校野球選手権が開幕をした。
ことしは100年目の節目、有望な選手も多く面白くなりそう。



・・・・・・
3045,会津八一の 学規
2009年08月06日(木)

 会津八一は「学規」を作成し、 自ら及び教え子達の範とした。   
  ふかくこの生を愛すへし
  かへりみて己を知るへし
  学芸を以て性を養うへし 
  日々新面目あるへし
  ー 十四ヶ条 ー
1 感情を以ってうたふこと。
2 真に内心から湧き上がる感情無きときは、漫然として歌を作らんと
思わざるべきこと。
3 世才・文才・常識、そんなものでは、自分も感動してをるにあらず。
それを以て他人を動かし得ざること当然なり。
4 感情を単純化してうたふべし。
5 表現も単純にして直裁なるを尚ぶ。徒に曲折せるは、
真情の流露をさまたぐ。
6 詞句の曲折は初学の能くなし得るところにあらざるも、老熟して
これを自在になし得るとも、真情の枯渇し居らば、かへりて厭うべきなり。
7 用語は常人の耳に遠からざるものをよしとす。ろくろく学問を精しからぬ
者が専門家振りて、古語歌謡といふようなるものを襲用するは、最も厭う
べきことなり。古語を用ふるは、やむを得ざる時にのみ限りて許さるべし。
8 散文にていふに如かざることを歌として歌ふは、根本的に心得ちがいなり。
9 和歌は我国のみにあれども、詩歌は如何なる民族にもあり。
和歌はその一種なりと知るべし。我国の歌人なかまにあらざれば解し
がたき如きことを、詩歌の本道とも本質とも認めがたし。外国語に翻訳しても、
その国の人々によりてたやすく解せらるるやうにてありたし。
10 従って、その辺の歌集をのみひもどき居りて、それで勉強したりと
おもふは不心得なり。ひろく世界古今の詩歌を味ひみるべし。
11 いやしくも歌を作るは容易にあらず。うかうかと濫作して、よき歌の
出来んことを希ふは無理なり。一方心境を練り詩歌を弘むるとともに、
真に感興の内に催すをまちて、精細を傾けて歌ひ出すべし。
12 要するに作歌は、天才と人力とをまちて、しかも精進して初めて
為し得るのみ、漫然たる態度にてたづさはるべきにあらず。
14 書外は工夫をつみて悟得せらるべし。
  ~~
 八一は新潟の人で名前は以前より知っていたが、 
これだけ含蓄のある学規があったことを知らなかった。
これまでの生き方で、甘さを痛烈に批判された気分である。
 特に、「・ふかくこの生を愛すへし ・かへりみて己を知るへし 
・学芸を以て性を養うへし ・日々新面目あるへし」は、
 この年齢になったからこそ分かるところがある。更に十四ヶ条も、
これは作歌の道だけでなく、人生の生き方に通じる。

 ・・・・・・・・・
2680, 漠たる不安
2008年08月06日(水)

アメリカのサブプライム問題や、中国の動乱の予感や、イラン・イラク問題
など世界は漠たる不安に覆われている。それに対して二つの取得る態度がある。
・それから目をそらさずに色いろ対策を練って対処をするか、
・将来に対してあまり深く考えずに、ただ目の前のことだけに対処をして
 将来に対しては自己逃避をするかだ。そのためには、全て目先の状況の
責任を押し付け、問題解決から背を向けるだけに徹する。
現在の日本の企業も、個人も、この後者の姿勢が大勢のように思える。
ただ、大津波を前に逃げることも出来ず、呆然としているのが現状。
将来が明るく、前向きになれればよいが、この現状では致し方がないのも解るが。
将来に明るさが見込めないと、目先の直感に頼り、論理的思考を無くしてしまう。
思考停止の状態が、現在の日本の政治や経済において顕わに出ているといってよい。
こういうときほど、何が問題なのかジックリと冷静に論理的にならねばならない。
漠たる不安の隠れた?原因として世界が大きな激動期に入ったことにある。
その大きな要因は、情報化による、グローバル化である。
特に、共産圏が解体して、資本主義社会との垣根がなくなり競争が激化した
ことが大きな要因だ。また情報機器の進歩で、今まで隔離していた影の部分が、
露出され出した。アフリカで虐殺があれば、それが映像で露骨に流される。
内外に対する暴力装置で君臨していた独裁者も世界の目に晒されてしまう。
日本では、これまでの教育の大失態で、差をつけられてしまった若者の不安の
蓄積と鬱憤は、最近の秋葉原の無差別殺人などから見られるように、マグマ
になってある日、爆発をするのである。こういう時代であればあるほど、
教養の積み重ねが大事になってくる。こういう時代は、戦争という破壊で一度、
清算をして、ゼロから再び出発することも出来ない。だから、手段として
テロになるのだろうが、それが更に社会を重苦しくしていくのである。
  ところで不安といえばキルケゴールである
一方で、人間の実存感を支える「主体性」を取り上げ、他方では、その実存感
にたえずつきまとう「不安」を取り上げた。「不安」は人間精神の最大の課題
であり、彼が生きた1時代以上に、20世紀は「不安の世紀」となった。
ハイデッガーが、キルケゴールの影響を受けて、人間の不安を自分の哲学の
ベースにした。現代人はあらゆる事柄に不安を感じ、「不安」は人間の行動原理
の内で最も大きな要因になっている。
人間の欲求や行動は、その社会的な営みや文化的な営みも含めて、すべて
「不安」に起因し、「不安」に結実していく。人間は、この世に誕生したことの
不安の叫びである産声から始まり、死の不安に包まれていく。
そして、不安の解消のための気晴らしで、人生の多くの時間が費やされる。
情報化、そしてグローバル化で、この不安は解消・縮小されるのではなく、
拡大されている。不安の度合いがより深く浸透しているのが現在時点のようだ。
だから不安とは何かをキルケゴールやハイデッカーなどの書を通じて
学ばなければならない。 哲学がより要求されるということだ。

・・・・・・・・・・
2007年08月06日(月)
2316, 日本の原発依存度って、どうなっている?
      ファァ(*つ●-*)*.;'Good☆Morning

今回の地震による柏崎刈羽原発の火災などで、殆ど意識してなかった原発
対する依存度に関心が向いた。そこでインターネットで早速しらべてみた。
 それによると・・・
世界の電力の16%は原子力で、日本国内の原子力依存度は、約3分の1強の37?。
世界全体として原子力の依存度が高まる傾向にある。現在の日本では、石油
危機当時と比べ、エネルギー消費に占める石油依存度が大幅に低下。
日本と同様に石油資源を持たないスウェーデンでは、70年の77%から95年の
43%へと着実に石油依存度を削減 、スウェーデンのエネルギーシステムの
中で原子力発電は重要な位置を占めている。石油危機当時の73年度には
77.4%だったエネルギー消費に占める石油依存度は、2001年度に50%になった。
(エネルギー消費と発電の石油依存度は違う)現在の日本には、53基の原発があり、
発電量で37%を占め、これを50?まで戦略上持っていきたいというが政府の意向。 
電力10社では原発31%、石炭火力26%、LNG・LPG火力24%と構成が異なるものの、
いずれも原発依存度は30%台と高い。日本の原子力発電所は17カ所、53基が稼動中。 
その数は米国、フランスについで3番目になっている。国内総発電量の37%の
日本に対し、アメリカは20?でしかない。ここまで原発への依存度が高くなると
撤去するわけにもいかない。地球温暖化対策として化石燃料を増やせない現在、
日本では原発でカバーせざるを得ないのが実情。刈羽原発を筆頭として、
日本列島はどこでも地震が起こり得る。今度の地震も新たな活断層が動いた
というが、日本で活断層を避けることは難しい。今回のように地震が起こって
初めて分かるのが現状である。資源の乏しい日本では、エネルギーを確保、
維持していくことは国の盛衰に関わる。といって、数年来の原発事故や安全性
隠しで原発に対する不信感は非常に強い。敦賀周辺や東海周辺の原発の地
下には活断層がある可能性があり、一つ間違えば、大都市が近くに多くあるため、
数十万、数百万単位で死者が出る可能性がある。この問題は日本にとって今後
ますます大きく問われることになる。     byebyeヽ(o・ω・o)ノ゛
 ・・・・・・・
 2006年08月06日(日)
  1951, ローマから日本が見えるー20                      
        ー読書日記ー
第八章 「パクス・ロマーナ」への道 -3
    ーローマ軍団のリストラ
皇帝アウグストゥスは税制を整理・再構成をすることによって、以後の
ローマ帝国の財政面の基盤を確立した。彼は限られた財源をもとに、あるゆる
知恵を使い「パクス・ロマーナ」を実現していった。アントニウスとの内戦が
終結した時点のローマは、50万人の膨大な兵力を抱えていた。
オクタヴィアヌスアントニウス双方がそれぞれに軍団を抱えていたから、
これだけに達していた。これをアントニウスは何と三分の一に削減する。
下手に削減すると人気に影を投げかける。彼は私財を投げ出して、退職金を
あてることにした。その軍団を常備軍へと改組する。広大なローマ帝国を限られた
兵力で守るために如何したらよいか?彼が考えついたのは、属州民の活用であった。
彼は属州民からの志願者による「補助兵」からなる部隊を編成する。
その数は軍団兵と同数の15万人。軍団兵と属州軍の合計30万人があれば
ローマ帝国の防衛線は守りきることが可能と読んだ。属州軍の待遇は、さすがに
軍団兵と同じにはできない。そこで、属州軍には補助兵としての25年の満期除
隊を迎えると、自動的にローマ市民権が与えられることになった。ローマ市民権
を得れば、属収税は払わなくてよい。この場合の市民権は世襲の権利ですから、
子々孫々まで恩恵にあずかることができる。それを考えると、多少兵役期間が
長かろうが、給与が低くとも、属州民にとって「旨み」があったのだ。

 ーローマ防衛体制の構築ー
30万人を長い国境に沿って薄く均等に貼り付けていたのでは、意味が無い。
外敵が侵入してきたとき、そこに兵力を集中してこそ撃退できるというもの。
そこでアウグストゥスは軍団兵を主戦力として活用できるようにして、
補助兵はその補助や警戒任務につけることにした。
 ・国境に沿って配置された見張り用の要塞では、地元で採用された補助兵が
警戒に当たり、
 ・敵の襲来が発見されれば、ただちに狼煙を上げるか、馬を飛ばして近くの
補助部隊基地に知らせます。
 ・補助部隊基地はただちに援軍を派遣すると同時に、軍団基地にその情報を
もたさせて、主力である軍団兵の派遣を要請するというのが手順である。
つまり、敵襲はとりあえず補助兵で何とか食い止めて、本格的撃退は軍団でという
わけである。ここでカギとなるのが、スピードである。そこで役に立ったのが、
ローマ人が共和制度の頃から営々と築きあげてきた街道網。これが古代の高速道路
としてカバーしていたおかげで、ローマ騎兵は一日で百キロ近く、歩兵で時速5キロ
で移動できた。このローマ防衛体制のアイデアは、現代の国々の軍にもそのまま
受け継がれている。最前線の基地には最小限の兵を配置するだけにとどめ、
有事の際には機動部隊が海や空を移動して援軍に当たるというやりかたが、
二千年昔にローマ人が考え出していた。
                 
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2005年08月06日(土)
1586, 日本経済恐ろしい未来      
 
「日本経済 恐ろしい未来」ー 読書日記

この本を図書館から、何回か借りてきた。そして読み返しながら、
日本経済の行方の参考にしている。全ての問題を先送りにしようとする日本の
将来に大きく警鐘をしている。冷戦が終了し米国の特待生であった日本が、米国
などに政治的に利用するだけされても、まだ体質を変えることができない事態。
この本が書かれて3年経っているが、その後に何ら改善されていない。
いやマスマス悪化しているのが実情である。目先、中国のバブルによって、
日本からの輸出が増えて一見景気が良さそうだが。さらに改革の大元の郵政法案
が揺らいでいる。 あるHPから、この本の概略をコピーしておきます。
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 (字数の関係上、カット)2008年08月06日
 
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2004年08月06日(金)
1221, 運について-2

何回か「運について」(後にコピーしてある)を書いてきたが、再び書いてみる。
運にも二種類ある。 受身の運と、積極的に自分からつかみとる運である。
・受身の運は、「結果として何時も運がついている運」
 性格とか、親の愛情が本人に染み付いているとか、宗教的な環境の中で
 育っていて良い結果をもたらす運である。ー性格の明るく良い人。
 良家の子女(躾がゆきとどいている人)。
・積極的な運は、「何事にもポイントがある、それを見逃さないよう努力をする。
 意志こそ運の原動力、原因」という運である。
 ここで取りあげる運は、両者を重ねもつ運である。両方が揃って初めて開ける運である。
私の周辺の女性に、美人で、性格が明るくて、一生懸命に生きているが、そのわりには
状況が不幸せの人が何人もいる。やっと幸せを手に入れたと思ったら、すぐに不幸のどん底
に落ちてしまう。よく見ていると、両親が不仲だったり等、色いろの理由がハッキリみえる。
「ある程度耐える」という家系からくる知識・体質を持ってない。
「ありがとう」を繰り返し言いつづけることは、耐えることの呪文である。
運が上向く以前に、耐えることが出来ない習慣を変える作用がある。
いま一つ、言葉の重要性を知らない。「自分は、ついている(運がある)」と、
毎日こころの底から思っていれば、そして、「ついている」と現に言葉に出していれば、
ツキが回ってくるに。「俺はついてない」「どうしようもない」「世の中が悪い」
「あいつのせいで、こうなった。あの畜生め」と、あけてもさめても唱えていれば、
不運しかこないのは当然である。もし幸運がきても、それが見えなくなってしまっている。
世の中の八割そうだから、それで良いのかもしれないが。チョッとしたことなのに、
せっかくの人生、あまりにも勿体ない。運は因縁と似ている。因は直接の原因、縁は
間接原因をいう。これが重なって結果がきまってくる。
多くの因縁の中で、良いものを選択するのも本人である。
やはり良い本、良い人、良い芸術、大自然にシャワーのように浴びるしかないのか。
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265, 運について -1
2001年12月10日(月)
(字数の関係でカット09年08月06日)
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2003年08月06日(水)
854, 閑話休題

 全くテーマが浮かばず如何してよいか解らない日がある。まあほとんど毎日だが。
そこが面白い面もあるが。それでも強引に書いた文章ほど後で読むとよいから不思議
なものだ。 そうこう考えていたら、あるホームページに「閑話休題」というテーマ
があった。これから無理にテーマを決めないで、時々「閑話休題」で書くことにした。
書いた後でテーマを書き換えればよいし、そのまま閑話休題としてもよい。
 野口悠起雄の「超文章法」の中で、テーマの探し方に「窓から飛び降りそうな
くらい大変なものである、考え尽くしてひねり出すしかない」と書いてあったが、
それを読んで学者でもそうかとほっとした。それと「文章上達は量をこなして、
校正と推敲を重ねるしかない」と本音で書いていた。結局は努力努力努力しかない。
一見なにげなく書いてある文章に、それだけのエネルギーと時間が入っている。
逆にいえば、プロほど想像を絶するほどの絶対量と、その校正と推敲を重ねているのだ。
これはすべての分野にいえることで、プロの世界はそうそう甘くはない。
気楽な「閑話休題」を時たま挟み込むのも本音がでて面白いだろう。いまもテーマを
意識しないためか次々とキーが動いてくる。
 話は変わるが、昨日隣家で建前があった。100坪の敷地に二階建てで延べ
50坪位の結構大きい家だ。夕方帰宅したら、屋根の下地も含めて建前が終わっていた。
家内が言うには「20~30人が蟻のように取り付いていた」
とか。夕方には子供たちを集めて、上棟の祝いで何かをばら撒いていたという。
大きいクレーン車が次々と加工された材木を吊り上げ、鳶が組み立てていく。
いま流行の何とか工法という奴で遠くの工場で加工して持ってくるのだろう。
 新しい家は、その人たちにとって仮の天国の世界の創造である。本人達はいまが
一番嬉しい時期だ。いままでは隣家に広い庭の空間があったが、
これからは光が少なくなる。
仕方がないが。

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2002年08月06日(火)
479, 楽観と意志

「楽観は意志、悲観は感情」 この言葉と出会って、「楽観の意味」が始めて理解
できたようなきがした。そういえば若い時ー理想に燃えていた時、その背後には
悲観という不安が大きな口を開けて足元にあった。若い時期の楽観はあくまでも
虚構のような夢の世界であった。その正体が意志であった事がこの言葉を知るまで
解ってなかった。それだけ強烈な言葉であった。悲観はただ流されている喜怒哀楽
でしかない。そういう悲観に占められていた時期の自分は、ただ感情的世界で
しかなかった。鬱の自分はそう感情の世界にドップリつかっている意志喪失の
自己の世界である。常に鬱の人は教養のない感情に支配されている人が多い。
また非行動的の人が多い。行動の、行は仏教語で判断という。動はあくまで動物の
動きでしかない。行動は意志が入った動きだ。行動的ということは楽観が勝って
いる状態と云える。私の周辺の80?の人は悲観的な感情に支配されている人だ。
また非行動的の人が多い。行動的かつ楽観的の人はその背後に強烈な意志が隠される。
楽しかった過去を思い出し楽しみ、将来の楽しみの計画をたてている
今。それに過去の計画を実践している今。 それが楽観であり、意志である。

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2001年08月06日(月)
[100] あら!たのし

難しいことをやさしく! やさしいことを深く! 深いことを愉快に!(井上やすし)
井上やすしの本を読んでいて納得して、彼のように紙に書いて机の電気スタンドに
張ってある。彼の言葉じゃなくて誰かの言葉を彼なりに変えた言葉だが。 
コツとか要領を旨くついている。天才はそれぞれこの方法を子供の時より造りあげていた。
考えている対象の文章化とか、ゲーム化とか絵画化とかして。楽しみまで高めるのは
そう簡単ではないが、でもやってやれないことはない。
「四S主義 = シンプリフィケーション スタンダーディゼーション 
スペシャリゼーション  セグメンテーション 」というチェーン理論の
ベースになる教えも、これに近い。