『思いが人生をつくる』 〜ジェームズ&リリー・アレン
 アメリカ的成功本のはしりの本。 「人生は考えたとおりのものになる」
良いことを考え、良いことをすれば良い結果が自ずと生じるもの。そして、
逆も。今から思うと、子供の頃から母親が、似たようなことを繰り返し、
私に語っていた。 〜まずはアマゾンの内容紹介より: 
《「心のなかの思考が、私たちをつくっている」アレンの成功哲学は、
シンプルであるがゆえに気づいた人はみな、人生の夢の頂に登っている!
100余年の時を経て、アレン夫妻初のカップリングBOOK。 著者略歴
・アレン,ジェームズ
 1864年英国生まれ。15歳のときに父親が他界。以降さまざまな職業に就いたが、
34歳のとき、思い立ったように毎朝瞑想をするようになる。その後、瞑想から
得たインスピレーションを書きとめ、そのアイデアをもとに19冊の本を出版。
1903年に発表された『As a Man Thinketh』は、当時の世界中の成功者たちに
支持され、今でも多くの人に影響を与え続けている
・アレン,リリー・L.
 1867年英国生まれ。25歳で、当時29歳だったジェームズ・アレンと出会う。
1895年にジェームズと結婚、以降夫の執筆活動を影で支える。
1912年にジェームズが他界したあと、ジェームズ・アレン哲学を世に広める
という使命を悟り、執筆活動を続け、10冊以上の本を出版する
  〜目次そのままが、概要にもなる。
■ 思いはあなたが生みだした子供 〜リリー・L・アレン 
  ・思いはあなたの子供
〜「思い」という私たちの子供たちが人を支配し、世界をも動かしているのです。
  ・恐怖
〜善良で純粋な魂を持つ人にとって、恐れることは何1つないのです。
  ・プライド
〜「知的プライド」は危険ですが、もっとやっかいなのは、
 「スピリチュアルなプライド」です。
  ・疑い
〜すべての人は善であり、誠実だと信じましょう。
  ・誠実
〜誠実になることは、信頼されることです。不誠実は恐怖に満ちています。
 誠実は、恐怖を知りません。
  ・希望
〜「希望」が存在するところには、「健康」「幸福」「純粋」、
 さらには「徳」が存在するのです。
  ・美
〜「美」のみが真理です!そして「美」のみが永遠なる存在なのです
  ・シンプルな法則
〜一度に一つのことだけを考えましょう。心の力を散乱させないようにするのです。
■ 人は思ったとおりの人間になる〜ジェームズ・アレン 
  ・思考と人格
〜人は思考の主人であり、人格の作者であり、状況、環境、運命の製作者なのです。
  ・思考と環境
〜特定の思考を継続すれば、良くも悪くも、その結果が必ず人格と環境に現れます。
  ・思考と健康
〜明るい思考ほど、病を軽くする医者はいません。
  ・思考と目的
〜人は自分の目的を抱き、一心不乱にその達成に前進すべきです。
  ・思考と物事の達成
〜すべての功績は正しい思考の結果なのです。
 それらは同じ法則と手法によって支配されています。
  ・ビジョンと理想
〜あなたが心のなかで賞賛するビジョン、たたえる理想こそが
 あなたの人生をつくり、あなたはそのとおりの自分になるのです。
  ・静けさ
〜真の自制心は力です。正しい思考は勝利です。静けさは力強さです。
▼ <「知的プライド」は危険ですが、もっとやっかいなのは、
「スピリチュアルなプライド」です。> には、ドッキとした。逆と思って
いる節があるからだ。他者をみると解るが、自分となると、それが曇る!
知的も、スピリチュアルも低いから、よりマイナスの人と比較したがる!
・・・・・・
4858,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー26
2014年07月03日(木)
   * 15年の準備期間の総括!
 このテーマを書き始めて改めて思うことは、30年間の新潟駅前のホテル
事業そのものより、その準備期間の15年間の方が遥かにインパクトが強く、
どの場面も、私の実力の極限?を超えていた。無心で取組んだ問題の中心点に
立向かい、堪えていると、その能力が何時の間に蓄えられいく。 
その立ふさがった壁、岩盤にこそ、問題解決の糸口が隠されていた。
そのためには、まず立ち向かうしかない。 節目ごとに、それまでの全てを
かなぐり捨て、それまでの実績を一度‘空’にして、立向かう中で、新たな色
(現象)が立ち現れてくる。何も無いと、逆に、自由に何でも取組め、かつ
考えることが出来ることになる。コップの水を一度、空にすればこそ、新しい
水を入れる事が可能になる。3年前の結果が、ベストと実感出来たのは、多くを
失えばこそ、新たな出発が可能になったからだ。これを書いていても、それぞれ
の節目では後悔しても、今からみれば、それはそれで!と、その時の己を容認
するしかない。 15年間の自己配転の繰返しの中で、基礎知識と基礎経験を
積上げた。一に準備、二に準備、三に準備。この結果で最後は終わったが、
これが私の限界、「御覧のとおり、そのまま結構!」である。 これが限界と
本当にいえる程でもないことは、わかってはいる。
しかし、私にとっての限界は、どれもこれも超えていた。
 ・20〜34歳までが完全独立の準備期間。
 ・新潟駅前シリーズ前半15年が50歳で、第二の節目。
 ・最後が65歳、事業人生の最後の節目になる。 
いずれの場面でも、何はともあれ、目先の創業の成果を上げるしかない!
創業は、いや事業は大相撲でいえば、14勝1敗では駄目で、最低でも8勝7休
でなければならない。まずは、真剣勝負の場に、自分を置いて、あとは出たとこ、
しかない。 どの場面でも、順調に枝と幹をのばし、張っている時より、節目
の時節の方にチャンスが隠されていた。白紙に戻して、考えるからだ。極限に
たつと、それまで得た知識、経験の蓄積が表立ってくるため、それらが消化
されるため、「人生に、無駄は無し」になっている。語り直しだからいえるが、
挫折をした下向きの時ほど、上向きへのヒントを拾うことが可能ということ。
それと、両親の愛情を直に受けていたことが、非常に大きい。これは準備以前
のことになる。この辺が、心の芯になる。 それと高度成長の時代も含めて、
全てに恵まれていた。これが下地にあって、この結果にも何ら後悔はない。 
手作りヨットの遊びは、運航も良いが、準備期間が一番、面白い!今だから
こそ言えることだが・・ なかなか、書き直しもエネルギーがいる!
・・・・・・
4491, 怒らないって本当は恐い! ー6
2013年07月03日(水)         『怒りの作法』小川仁志 著                      
   * 怒りの蓄積がストレスになるが、解消の中にお宝がある
 怒りには、ストレスがたまるデメリットがある。しかし、それを正しく利用
すればメリットになる。2年前の節目時に、まず考えたのはウツ病対策である。
身体を動かすこと。暇を持て余さないこと。周辺の「C」さん?の毒素に触れ
ないことである。それでも、3月に一度は仕方がないと割り切ってはいたが、
彼らの毒はCなるが故に強い。 で、何より身体を動かすことが、まずは基本。
そして、滅多に味わえない経験を、先人の言葉の中から探し出すこと。
そして、最もストレス解消になったのは、この経験と思いを言葉として表現
することだ。「C」さん? の卑しさを言葉として表現し得た時の快感は、
既にそれでストレス解消になる。 ただ、その人に、その自覚さえないから、
罪もない。 ここで紹介している子どもの養育概念に「セキュア・ベース」
という言葉がある。「心の安全地帯」と訳される。子どもが安心して外の世界に
出ていけるのは、親の存在があるからである。誰しも自分の心の平静を保つ
ことのできる場所や状態を求めている。とりわけこの理不尽な社会においては、
なおのこと。怒るという行為は、押しつぶされそうな心を、正常な状態に戻す
機能を果たします。 怒ることが出来るから、人は安心して理不尽な世の中を
歩いていけるのである。映画の物語からして、そうだ。普通、怒りが人を
不愉快にするが、でも主役が冷静に、暴力に対し暴力を持って対峙して問題を
乗り越えたときの快感を味わいに映画館に行くのである。 その怒りは、
見るものを心地よくさせる力を持つのである。だから、この2年間はウツ病
予防と割り切ってハリウッド映画を毎週のように通った。主人公と同化して、
ネガティブの怒りにポジティブに怒りことで、ストレスを発散し、セキュア・
ベースをつくっていたことになる。平静を装っているが、実は、受けている
ストレスは同じ。しかし、それなりの防具を着ているだけ。しかし、一番
身近な家内は、ここぞとばかりに、全身で傷口を直接、蹴り上げてくる。 
そう人生は、甘くない。
・・・・・・
4117, 財政恐慌 ー4
2012年07月03日(火)
  ー ユーロ危機に対する質問群 ー  
「財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した」浜矩子 (著)
● 1、我々は今どこにいるのか 2、いかにしてここにきたのか 
  3、なぜ、ここにきたのか 4、我々はどこに行きたいのか
≪ 1、今どこにいるのか? =今、我々は閉塞感のさなかにいる。
 2、いかにしてここにきたのか =高度成長期が終わり、ニクソン.ショック
   があり、プラザ合意があり、バブル経済を経て、失われた一年に見舞われ、
   小泉劇場に踊らされ、リーマン・ショックの衝撃を味わい、格差の深化に
   おののき、衰退国家化することを恐れつつ、ここにきた。
 3、なぜ、ここにきたのか? =ここに至る変転の節目節目で、タイミングを
   逸し、流れに身を任せ過ぎ、時流に飛びつき過ぎ、変身を恐れたから、
   ここにきた。
 4、どこに行きたいか?=我々は、ほっと安心できるところに行きた
   がっている。デフレや失業や年金問題や、通貨戦争や国々の財政破綻
   などを心配しなくていい。そのような安らぎの天地を求めている。
● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか どれくらい遠くまで
  行かないと、行きたいところに行けないのか
  ≪今、必要なのは、成長戦略ではなくて成熟戦略だ。大きく積み上がった
  富をいかに上手に分かち合うか。そのための新しいメカニズムを考案して
  いくことが必要だ。そのために、これまでの集権的管理のメカニズムを改変
  する必要がある。中央から全方位にばら撒く時代は終わった。
  地域社会の自己決定力と自己展開力をどう強めるかである。≫  
 ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、
  我々はどうすればわかるのか≪自分にとって最適の場所に着いているのに、
  それに気づかない、これは怖いことである。成長よ再び。円高よ去れ。
  そう願うあまり、対応によっては、着いたはずなのに、その場所を忌避
  していのではないか。 昨日の答えで、明日の質問に答えようとする。≫
 ● 我々は地図を持っているのか=持っているのは古い地図ではないか?
   むかし居たところに戻る地図ではないか。
 ● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか=元いた場所が不相応に
   なったため、成長期から成熟期になったため。
 ● 我々はここで立ち止まりたいのか=この場所の良さを引き出していくしかない。             
 ● それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか =それは無理。
   それなら、ここを新しい出発点にすればよい。】
▼ 以上だが、アメリカの支配下で一時的にしろ世界第二位の経済大国になれた。
 しかし、既に、その時は終わってしまった。そのことを、まずは悟らなければ
ならない。数年以内に、貧乏国に陥ってしまう。日本こそが財政恐慌の最たる国。
・・・・・・
3751, 閑話小題
2011年07月03日(日)
   ▼ 西鶴人情橋
 図書館で古本の無料配布で貰った10冊の一冊、「西鶴人情橋」を、何気なく
手にとって読んだところ、これが面白い。300頁を毎日1時間半平均で四日で
読み上げた。作家は吉村正一郎。初めて聞く名だが、物語に引き寄せられ、
ドップリと吉村の世界に引きずりこまれた。 西鶴と主役の侍を通した江戸時代
の大阪の物語だが、正統派の侍に対比させ、アクの強い西鶴人間性を浮かび
上がらせている。脇役の西鶴が実は主役のところがミソ。
  ーアマゾンで概要をみると・・
俳諧師から草本作家への転身をはかる井原西鶴。亡父ゆずりの豪剣をふるう
磯部信十郎。二人の奇妙な友情を軸に織り成される人間模様の数々。
米相場を左右する大坂商人たちの葛藤と幕閣中枢の暗闘には、謎の美剣士がからむ。
―剣あり、恋あり、友情ありの、浪花元禄時代絵巻。第3回時代小説大賞受賞作。】
とあった。 なるほど小説大賞なら面白いはず。 こういう何気なく読み始めた本
を一気に読むことは以前なら、無理である。最近になって気づいたことだが、
会社経営は膨大のエネルギーが取られていたようだ。しかし一度、肩から外れると、
こんなに楽かと驚いている。 余世に入ったということか! 10年続けてきた、
この随日、もうそろそろ他に切り替えたら?
  ▼ 扇風機が売り場からホボ消えていた
 物持ちの良い我が家の20数年年近く使った二台の扇風機と二台の
冷房も寿命がきたようだ。 (字数の関係でカット 12年7月3日)
  ・・・・・・
3386, 911・考えない・日本人  ー4
2010年07月03日(土)
 「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
  * たまたまその日は・・・を取りさってみると ーP/80
 出来事の真相を見極めるのに最も有効な手段は、その起きたことに対する情報の
中に、どれほどの偶然が含まれているかを見極めることだ。偶然が多ければ多いほど、
その情報は捏造性が高い。偶然を取り去れば、残るのは必然要素なのだ。
必然には矛盾がなく、偶然には矛盾がある。
911 に関するアメリカ政府の発表した情報には、偶然がギュー詰めになっている。
たまたまその日は……、といった矛盾だ。 どんな小さな偶然でも、それを丹念に取
り除いていくと、必然要素が残る。
たまたまその日、二十四時間迎撃体制を取っている戦闘機の発進がニューヨークの
すぐ近くにある米軍基地から遅れた。
たまたまその日ブッシュはフロリダの小学校にいた。
たまたまラムズフェルドを含め、ペンタゴンの幹部たちは、直撃されたビルの正反対側にいた。
たまたまその日は貿易センタービルのオフィスには、政府関係者は出勤していなかった。
 しかもたまたまそのビルの中には、CIAやFBIはじめとする政府の秘密情報機関が
多く入居していて、たまたまそこに保管されていた重要な秘密書類は灰儘に帰しった。
たまたまその存在が完全に抹殺された。、、、、
たまたまアルカイダの幹部は、その日ワシントンにいたし、同じようにたまたま
テキサスの別荘(ブッシュ家のたまたまご近所)にいたビン・ラディンの一家は、他の
すべての民間航空機がアメリカ上空の飛行を禁じられているにもかかわらず、
たまたま何機の飛行機を乗り継ぎ、事件直後に国外に脱出した。
 構造学的にも物理学的にも、あの種の外的傷害ではパンケーキ現象でビルが崩壊
することはありえないのに、たまたまああの二棟(及びもう一棟)とも、同様の崩壊現象
を起こした。これらはブロッカーズやポール・トンプソンの著書には、これらの「たまたま」
が羅列されている。 ・・・問題は、たまたま彼等を訴えている人々が、無力ということ。
▼ これらの偶然が、あまりに多い今回の事件。 どうみても変だが、マスコミは、それを取上げようとしない。
 そういえば真珠湾の攻撃の時も、明らかに情報が漏れていたのに、アメリカは見て見ぬふりをしていた。
あの攻撃で、一番メリットがあったのは、アメリカの公共事業の軍需産業であり、その情報でメリットを上げた
投資銀行である。株も為替も、その情報を知った上での買いが入っていたのは、周知の事実である。
・・・・・・・・・
3011,アンカリング効果
2009年07月03日(金)
「世界は感情で動く」 ー6         読書日記
 ー 行動経済学からみる脳のトラップー   
   *アンカリング効果
 船が錨(アンカー)を降ろすと船と錨を結ぶ鎖の範囲し動ごけなくなることからくる比喩で、
最初に印象にの残った数字や言葉に影響されることを言う。店頭で、1万円に赤線を引いて
7千円を見ると、お買い得と思ってしまうことをいう。
「本日限り」「女性半額」「先着10人限り」等の、色いろなアンカーが待っている。我われは、
知らないうちに自分でアンカーを降ろしている。 いま一度、それを点検してみる必要がある。
 アンカリング効果は、偏りや歪みを意味し、転じて偏見や先入観という意味の一種である。
・物事の交渉、売買の判断をする際に、初期判断条件として始めに印象に残った数字
(値段)や物(品質・量)が、 その後の判断全体にまで影響を及ぼす心理の傾向を指す。
・アンカーとは、不確実な事象を予測する時に特定の特徴や情報の断片をあまりに重視する
ことを指し、 最終的な決断、結論までアンカーを過度に注目、意識してしまい決定される
事象のことをいう ーアンカリング効果として、面白い事例があげられる。
「紙を半分に折り、また半分に折り、この動作を100回くりかえす。そうしたら紙の厚さは
どれほどになりますか?」大多数の人は1メートルくらいと答え、一番大きな数字をあげる人
でも、厚さ数十メートルである。しかし正解は、地球から太陽までの距離(約1億5千万キロ)
の800兆倍なのだ。そんなに!と驚くかもしれないけど、計算したらその通りなのだ。
「紙は薄っぺらいもの」という固定概念という脳のトラップに見事に嵌っているのである。
 初めてついた仕事しか出来ないと思い込んでしまう人が多い。これもアンカリングになる
のだろうが、人は、その仕事に錨を下ろして鎖の範囲を決めて、他のことは絶対に出来ない
と決めてしまう。私の見る限り9割?の人が、そうである。 考えてみれば、自分で勝手に
思い込んでいるだけのこと。転職や転業は、例えると、ある箇所に穴を掘っていて、一度
そこから出て他に似た穴を掘るのと同じである。それは経験を重ねると解ること。
一見違うようだが扱う対象が違うだけ。それが理解できないのである。 
そして多くの人は、その穴から一生出ることが出来ない。  人生は誰も同じだが。
 カミサンもアンカリングか。 これは梃子でも動かない。 ったく!
・・・・・・・・・・
2647, アメリカ狂乱 ー2
 2008年07月03日(木)
この本の次期大統領の行方以外のテーマ、アメリカの「偽札事件」の背景を
解りやすく説明している。成るほど、この問題は簡単に片付くわけがない。
 ーその要点をまとめてみたー
実際のところ、アメリカ経済はそれほどおかしくはなっていない。すでに述べたように
これまでの不況にくらべると、いまのアメリカには資金があふれている。
アメリカの経済専門家はこう言っている。「アメリカには資金がいまや有り余るほどある。
企業もふんだんにお金を持っている。うまくいっていないのは金融システムだ」 この説明は
きわめて意味深長である。これまでアメリカは常に資金が不足してきた。
アメリカの人々はお金が入ればすべて使ってしまう。消費がアメリカ経済の六十パーを
占めているのだ。だがアメリカ自体が強くて豊かな国であるため、世界の人々が
アメリカに資金を持ち込み、アメリカは資金がないにもかかわらず景気を拡大してきた。 
歴史的にみてもこの事実は明らか。
*1970年代に金本位制度をやめ、円を切り上げさせることによってドル安を実施した。
実質的なドルのインフレーションによってアメリカ経済は不況を脱し、経済が拡大をした。
*1980年代はレーガンアメリカの国有地をせっせと売ってサウジアラビアなど中東の
オイルマネーアメリカに取り込み、アメリカ経済を拡大した。
*1990年代には、世界に先んじてクリントンがIT革命をおし進め、世界中の資金を
集めてアメリカ経済を豊かにした。*2000年代、ブッシュは強いドルと土地、住宅
バブル政策によってグローバル化した世界の金融界から資金を集め、アメリカ経済の
好況を維持した。 この強いドルと住宅バブルを続けるためにアメリカ政府が必要と
したのが、サブプライム債券である。サブプライム債券という言葉が経済用語として
確立しているかどうか分からないし、この問題について経済専門家が明確に説明を
しているわけでもない。  (字数の関係でカット 12年7月3日)
・・・・・・・・・
2007年07月03日(火)
 2282, ハンモックを設置! (p≧w≦q)オッ☆ ハァァァァァァ♪
新幹線の座席前においてある通販のパンフレットに結構面白いものがある。
(ただし値段は、ネット上の価格の2?3倍する!) その中にフレーム付きのハンモック
があったが、2万円近くする。 そこでネットで調べたら、多くの種類が売られていた。
 (字数の関係でカット 11年7月3日)

つれづれに

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 今日のYoutube

今日の午後からは『シネマ』の予定。そして、夜は飲み会。
それにしても一週間が経つのが早い。

先週の土曜日に、湯沢で中学校の『古希の会』があったが、
途中、友人の車で乗り合いで六日町を通過した。
その時、40数年前に、よく『雲頓庵』に通っていたことを
思い出して、当時の話題をしていた。

当時、お寺には80歳を過ぎた、お婆さんが、手伝いで住み込んでいたが、
品の良い、人だった。が、そのお婆さんが、私たちと、お茶飲み話で、
新井石龍禅師に、「老いた現在、何をしたらよいですか?」と、聞いたら、
「学び続けなさい! そのために、読書が最適です」と言われたという。
今さら読書と思っていたので、驚いたと言っていた。まあ、そのとおりである。
その時々、新しい知識を入れておかないと! あの人たちのようになる!



・・・・・・
2647, アメリカ狂乱 -2
2008年07月03日(木)

   この本の次期大統領の行方以外のテーマ、
   アメリカの「偽札事件」の背景を解りやすく説明している。
   成るほど、この問題は簡単に片付くわけがない。

ーその要点をまとめてみたー
実際のところ、アメリカ経済はそれほどおかしくはなっていない。
すでに述べたようにこれまでの不況にくらべると、いまのアメリカには
資金があふれている。アメリカの経済専門家はこう言っている。
アメリカには資金がいまや有り余るほどある。企業もふんだんにお金を持っている。
うまくいっていないのは金融システムだ」 この説明はきわめて意味深長である。
これまでアメリカは常に資金が不足してきた。アメリカの人々はお金が入れば
すべて使ってしまう。消費がアメリカ経済の六十パーセントを占めているのだ。
だがアメリカ自体が強くて豊かな国であるため、世界の人々がアメリカに資金を
持ち込み、アメリカは資金がないにもかかわらず景気を拡大してきた。
 
 歴史的にみてもこの事実は明らかだ。
*1970年代に金本位制度をやめ、円を切り上げさせることによって
ドル安を実施した。実質的なドルのインフレーションによってアメリカ経済は
不況を脱し、経済が拡大をした。
*1980年代はレーガンアメリカの国有地をせっせと売ってサウジアラビア
など中東のオイルマネーアメリカに取り込み、アメリカ経済を拡大した。
*1990年代には、世界に先んじてクリントンがIT革命をおし進め、
世界中の資金を集めてアメリカ経済を豊かにした。
*2000年代、ブッシュは強いドルと土地、住宅バブル政策によって
グローバル化した世界の金融界から資金を集め、アメリカ経済の好況を維持した。 
この強いドルと住宅バブルを続けるためにアメリカ政府が必要としたのが、
サブプライム債券である。サブプライム債券という言葉が経済用語として
確立しているかどうか分からないし、この問題について経済専門家が明確に
説明をしているわけでもない。 だが政治的に見れば、このサブブライム債券は、
ブッシュ政権にとって世界中から資金集めるのに役立った。
 「アメリカが偽札で世界をだました」と私が言うのは、このことである。
その証拠にポールソン財務長官はじめアメリカの財政金融当局に大勢の
人間を出しているゴールドマン・サックスは、MBSをいち早く売り払って
難を免れている。

かってアメリカは三つ子の赤字と呼ばれる財政赤字貿易赤字、所得収支
の赤字を抱え込んだとき、せっせとドルを印刷をして世界の人たちに渡した。 
受け取った人たちは紙切れになるのではと、心配になったが、アメリカ経済が
拡大したためにそうした事態にはならなかった。しかし、アメリカがドルを
集めるために使ったサブプライム債権が紙切れ同然になった。
次の大統領はブッシュの「偽札事件」の後始末をしなくてはならない。
 ---
 ブッシュは、最悪の大統領として歴史に残るはずだ。
アメリカ狂乱」は言いえて妙の言葉である。

・・・・・・・・・
2007年07月03日(火)
2282, ハンモックを設置! (p≧w≦q)オッ☆ ハァァァァァァ♪

 新幹線の座席前においてある通販のパンフレットに結構面白いものがある。
(ただし値段は、ネット上の価格の2~3倍する!)
その中にフレーム付きのハンモックがあったが、2万円近くする。
そこでネットで調べたら、多くの種類が売られていた。
コンパクトのものは一畳のスペースがあれば何処にでも設置できる。
フレームの形が舟型をしていて、その中にハンモックを吊るすようになっている。
土曜日に注文したものが送ってきたが、値段は送料込みで5300円。
さっそく居間のベランダをサッシでガラスを囲ったスペース(幅1.5×7m)に設置。
そこで寝てみたが、これが非常に良い。一枚の網にスッポリ包まれ浮遊した感じが、
それだけで別世界に移動した感覚になる。 大人の揺り篭といったらよいだろう。
この夏、暑さで寝れない時、かなり頻繁に使うことになりそうだ。

ハンモックは一度、旅先で使ったことがあった。ベネゼイラのエンゼルフォール
へのキャンプ地に、エンジン付きの10人乗りのカヌーでキャンプをした時である。
大きな広い屋根の下に、数十のハンモックが吊ってあった。
初めは怪訝に思ったが、まあ郷に入ったら郷に入れと寝てみた。
ところが、これが寝心地が非常に良いのである。 寝返りの必要がないのである。
少し腰を動かすだけで寝返りをしたと同じ効果がある。疲れていたこともあったが、
熟睡をした。一緒に行った家内と次男も、熟睡できたと言う。
それ以来のハンモックだが、別世界に移動したような気分がよい。
サルは木の上で寝ていたので、ハンモックは原始に帰るようでいいのだろう。
それと宙に浮いている気分が、瞑想をしているようである。

買う前から分かっていたことだが、もう少し良いものにしておけば良かった! 
    でも、よい! ますます「お宅」か!         バイ☆(^∀^)ノ~~
 
 ・・・・・・・・・
2006年07月03日(月)
1917, スペイン画家・堀越千秋ー8 Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning  
    「スペイン七千夜一夜」-読書日記 ービバ、ジョ!(俺様万歳!)

「ビバ・ジョー!」という言葉が、スペイン人を表す言葉なら、
「世間様(に対して、恥かしい)!」という言葉が日本人を表わすといってよいだろう。 
東洋の島国の湿気の多い農耕民族として割り切ってみると、その特質も理解できる。
狩猟民族や、ジプシーなど放浪の民族では、世間様など気にしては生きていけない。
(仲間内があるか?)最近、国内でも「オイラが大将!」という言葉が流行った
ことがあったが。まずは、「スペイン七千夜一夜」の一節を、ご覧あれ!
ーー
      o(●´ω`●)o♪ Y(´∇`*o)(o*´∇`)oIビバ・ジョ ~
誰でも、スペイン人をつかまえて問うがよい。「あなたは、ふだん誰も口に
しないこのひとこと『ビバ・ジョー』をどう思いますか?」「もちろん」と彼は
答えるだろう。「それこそ最も私のいいたいことです」と。 それは
「私は神を信じますか?」にハイと答えるスペイン人より、多いに決まっている。

スペイン人は、初めからまっすぐなつもりで線を引く。それは道理や物理に
かなった直線である。しかし現実社会の間違った悪い事件が心を痛めたり道理を
歪めたりする。すると、この正しい直線に外的な力が加わり、多少のズレが生じる。
しかし、彼はそれに気づかず、また気づいたとしても、それは彼のせいではない。
外部の悪いもののせいである。外部の悪いもののせいであるから、
彼はひたすら彼の直線を引き続ける。彼はまとこに正しいのである。

しかし、悲しいかな、地球の直線は宇宙から見るとまさしく、らせん、なのである。
ロマネスクの教会などで見られる、素朴な力強い直線的な表現が、やがて渦を巻き、
天高きらせんになって、ついには「悪趣味」「過剰」の代名詞ともなってゆくところの、
かのバロック。これこそ、このねじれゆく姿こそ、スペイン人のこころの奥深く
潜むエッセンスなのではあるまいか。

あれはれた砂漠のようなスペインの大地に根をおろし、老獪にねじくれて、
節くれだって、乾いた木肌をらせんに巻きつつ天に伸びて繁る、かのオリーブの樹。
そのオリーブの樹のように渦巻く精神が、他に植物の湿り、陰とてないスペインの
荒れ地で、どうして同様に人の心に育たないわけがないだろうか。彼らスペイン人
においては、直線は、やがてかならず捩れ、ネジくれて、渦となり、らせんとなって
天へと吸い上げられるように天に昇るのである。(エル・グレコの絵を見よ)。
スペイン人は、家族を愛し、故郷を愛し、故国を愛す。自己愛にもとづく、それへ
の依存度は非常に多きい。それは、「ビバ・○○(地名)!」の言葉に表れている。
哲学者も指摘する、スペイン人の究極のひとことが、「ビバ・ジョー!」である。
   
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 「俺様、万歳!」   ヾ(>ω<○)【。゚+.万歳。゚+.】(●>ω<)ノ゙
 これこそ、これからの時代のキーワードになるのか? それとも、
500年前にピークを向かえて、時代から取り残された国の姿なのか? 
歳をとると、そういえば俺様万歳!になっていくのではないか?
先が短くなると、見えなかったことが見えてくるか?
思い切って、アウトサイダーになるか?それとも、仮面を被って
インサイダーに徹するか? どうでもよいか? 「貴様」どうする?  
ε(´',_c')зβyё ☆βyёε('c_,'`)з゛

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2005年07月03日(日)
1552, アウトサイダー

高校の同級会で「お前はアウトサイダーだ!」と言われた事がきっかけで、
コリン・ウイルソンの「カリスマへの道」の中の『アウトサイダー』の章を
読みかえしてみた。これから見ると、私は「アウトサイダー」に確かに重なる
部分がある。しかし全くのアウトサイダーとは違うようだ。自分の人生を大切に
しようとするなら、アウトサイダーの要素を持っていないと自己放棄の人生に
なりかねない。

彼は「アウトサイダー」の特徴を、サルトルカミュヘミングウェイ、ヘッセ、
ニーチェドストエフスキー、ブレイク、キルケゴール、ラーマクリシュナ、
グルジェフ、T・E・ヒューム、バーナード・ショー、等々の中から引用して
共通項を上げて、以下のように描写している。ー「あまりに深く、あまりに多くを
見とおす」人間であるアウトサイダーにとっては、現実の社会における人々の
尊厳も、哲学も、宗教も、すべてが、野蛮で、無統制で、不合理なものに艶だし
を塗って、何とか文明的、合理的なものに見せかけようとする欺瞞の試みにしか
見えない。 そしてこう述べる。
「(自分には)才能もなく、達成すべき使命もなく、 これと言って伝えるべき
感情もない。わたしは何も所有せず、何者にも値しない。が、それでもなお、
なんらかの償いをわたしは欲する。」 アウトサイダーとは、
・世人や文明規範の価値を受け入れることができず、
・それらを蔑視し、世界も自己も無意味なのだとみなすと同時に、
・それでもなお何か代わりとなる究極の真理、あるいは体験、あるいは
目的を欲している者なのである。 等々である。
誰でもこの要素を持っている。早くいえば孤高に似ている態度でもある。
孤高は自己を無意味とは思わないところが違う。諸子百家の中では、荘子にも
重なる部分がある。鳥瞰、虫瞰、モグラ瞰という視点の鳥瞰にも重なる。
また敗者が社会からはじき出された時の心情にも似ている。この辺は何度も
経験しているからよく解るが。「アウトサイダー」といえば、その逆の言葉
「インサイダー」が思い浮ぶ。株の取引で、内側情報を知りえたものが、
その立場を利用して株で儲けることを『インサイダー取引』という。
内側でこそ知りえる視点情報がある。反面、外側からこそ見える視点情報もある。
アウトサイダー」の視点も、「インサイダー」の視点も人間には必要である。
「和して同ぜず」というが、「同じて和せず」になるのが人間である。
小さな世界で生きる知恵としての両者の立場が各々ある。

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2004年07月03日(土)
1187, 異境・秘境ツアーレッスンー6
  ー遺跡編ー

37年前の欧州旅行時に立ち寄った、ローマの遺跡のコロッセウムを見たのが
初めてである。2000年前の動物の臭い? がいまだに残っていたのは驚いた。
それと西洋文明の奥深い歴史に圧倒されたのが今でも記憶に生々しい。
十数年前に行ったイタリアのポンペイの遺跡も素晴らしい。
近くのベスビオス山の大爆発で一瞬に埋まったために、2000年前の当時の
生活がそのまま完全保存されていた。ローマ帝国華やかなりし頃の市民の生活
がそのまま埋もれており、当時の様子が分かる。鉛の水道管が施されて水道が
あったのは驚異だ。 猛犬注意の表示もあり、今と変わらない生活ぶりが忍ばれる。
歩道もあり、横断歩道もある風呂に入ったままの姿の人とか、石化した遺体が多くあった。
パン屋や娼婦の館や民家が、ほぼ完全に奇跡的に残っていた。街の中心の水飲み場で、
街の人がそこに手をついて飲んだところが、回数を重ねたためか、すべすべしていて
当時の人間の感覚がそのまま伝わってきた。

遺跡の虜になったきっかけは、8年前にいったエジプトの遺跡である。(あとで、
その時の文章をコピーしておきます)とにかく、スケールの大きさに圧倒された。
シリアとヨルダンの遺跡もただ驚いてしまった。 今後2000年~5000年先は気の遠く
なるほどの彼方と思うが、過ぎ去ってしまえば昨日のように感じるのも妙である。
シリア砂漠のオアシスに忽然と現れる大遺跡パルミラ。かつて隊商都市として
栄華を極め、ローマを向こうにまわすほどの権勢を誇った文明の残照は、圧倒的な
存在感を漂わせている。 記念門・列柱通りは自分がタイムスリップをして、
2000年前にいたような気持ちになった。

神秘的という面では、インカの遺跡である。その中で、やはりマチュピチの
遺跡は圧巻であった。霊界の世界というのが、正にいいあてている。
日本と違い石文化は、数千年経ってもそのまま残るから、当時の痕跡を多く
残してくれる。時空をこえていつの時代も変わらぬ人間の暮らしと文化はある。

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H0805 エジプト、トルコ感激の旅  ーエジプト編ー 

 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。
まず最初に訪ねたのがカルナック神殿であった。
“まさしく驚愕!”直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に! 周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、
今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。歴史が私という小さな存在を
見下ろしているのだ。日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術が
あったのだ。

 壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの
熱心な説明も手伝って古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。
そらに天を指すオペリスクとラムセス?世などの王や神の像の数々、
「今まで何度か海外旅行をしていながら、何故ここにもっと早く来なかった
のだろうか?」と考えてしまったほどだ。
 
 次に行った“王家の谷”。ここは何代の王様の墓が、かくれるように数々
掘られている集団墓地だ。この中で英国の考古学者カーターの執念でつき
とめられたツタンカーメンの墓室にも入ってみた。また、夕日の長い影を落と
していたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と、やはり刻まれていたレリーフの数々。
その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つメムノンの二体の巨像の神秘的な光景
も印象的であった。
 
 翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス?等の巨大な立像も
実際そこに立ってみて古代歴史の深さを実感する事ができた。
またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”という小さな帆かけ舟の
夕日の中での“ひととき”も、その一瞬の中に永遠を感じる事ができるようだった。

 旅の後半になってカイロに入ったが、ナポレオンが言ったという
“四千年が諸君を見下ろしている!”というまさに異様なイスラム社会が大きな
カルチャーショックになった。丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの
断食の行)という事もあり、異様さがさらに目立ち、我々日本人は西欧社会に感化
去れているのが逆に対比する事ができた。早朝、街中とどろくアラーラの祈りの
スピーカーの音も異様そのものだった。

 我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、それがイスラム教。
カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげたピラミッドも本当にすばらしいの一言。
考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、ゾックと身ぶるいを
してしまった。まだ今にも起きあがりそうなラムネス?をはじめとする数々のミイラも
「数千年をこえて不死への激しい希求」を魂にかたりかけてくるようであった。

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2003年07月03日(木)
 820,ある時間の断片ー27
・10月28日 1968年
 午前10時に起床。 深井と『オリンピックの開会式』の実況を見る。
 13時に深井の家に出発、15時まで彼の家にいる。 その後、江ノ島に行く。
 第三京浜を彼のスカイラインGTでとばす。江ノ島の夕日を浴びた富士山が
 絶景であった。自然のこれだけの夕景は初めての経験である。右手に真っ赤な
 夕陽と左手に江ノ島。秋の海岸が何ともいえない。一生の思い出といってよい。 
 夜3時間、勉強をする。
・10月29日 1968年
 10時起床、洗濯をした後食事だ。12時から13時半まで勉強、その後
 高橋君の部屋に行きコーヒーを飲む。部屋に帰ると近藤君がレコードを聴きに来る。 
 聴いているうちにうたた寝をしてしまう、一時間半も経っていた。 その後、
 瓜生君の部屋に行き話をする。その後夕食をして、21時から本を読む。
 深井がまた新橋から20分位遊びに来る。

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2002年07月03日 スイス旅行中
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2001年07月03日(火)
 [72] 3D-ホームページ延期
三D-ホームページソフト7月2日の予定が富士総業の都合で7月23日に延期。
打ち合わせの中でかなりの手直しの部分が見えてきた為、延期になりました。
ホームページを三Dを取り入れる画期的なもので、大化けの可能性もある為、
徹底的な練り上げが必要のようです。